京都府は古く、東南部は山代、西北部は丹波・丹後の国造が支配していましたが、大化の改新で山背(城)国・丹波国となり、713年に丹波から丹後国が分置されました。794年には山城に平安京が造営され、以後1868年まで日本(朝廷)の国都となりました。『延喜式』では山城は8郡、丹波は6郡、丹後は5郡。平安朝期には各地に荘園が混在していました。鎌倉初期には京都に京都守護、のち六波羅探題が置かれ、丹波(守護は北条一門)・丹後(守護は長井家)をも管轄しました南北朝期には足利家が京都に幕府を開き、丹波・丹後は仁木家や山名家などが守護に任じられました。足利義満は室町邸を造営して幕府の政庁とし、山城守護は侍所の管轄となり、南北朝合一後、丹波は細川家、丹後は一色家が守護を世襲しました。戦国期には細川家が管領として京都で足利将軍を補佐しましたが、内紛により被官三好家、さらに松永久秀に実権を掌握され、丹波では波多野家が勢力を拡大しました。織田信長が入京すると三好・松永勢を制圧し、1573年には室町幕府を廃し、丹波を明智光秀、丹後を細川藤孝に与えました。豊臣秀吉は山崎合戦で光秀を滅ぼすと、山城・丹波に中小大名を配置しました。江戸期には幕府の京都所司代・伏見奉行が置かれ、中期以降、山城には淀藩(稲葉家)、丹波(東・中5郡)には亀山藩(形原松平家)など5藩、丹後には宮津藩(本荘松平家)など3藩が配置されました。1871年の廃藩置県により、山城と丹波東4郡とは京都府、丹後と丹波西3郡とは但馬と合併して豊岡県となりましたが、1876年に豊岡県が廃止され、旧丹後および丹波天田郡が京都府に合併され、現在の府域が確定しました。
山城守護職 丹波守護職 丹後守護職 高家 一色家=丹後守護 伊勢家=政所執事 小笠原(備前守)家 革島家 丹波国主・亀山藩 丹後国主・宮津藩 福知山藩 山家藩=谷家 淀潘 京都所司代 園部藩=小出家 田辺藩/舞鶴藩 峯山藩=京極家 綾部藩=九鬼家 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
(侍所が兼務) | 1352-84 | |||
山名 氏清 | 陸奥守 | 1385-86後 | ||
赤松 義則 | 上総介 | -1389 | ||
山名 氏清 | 陸奥守 | 1389-90 | ||
赤松 義則 | 上総介 | 1390-91 | ||
山名 氏清 | 陸奥守 | 1391 | ||
畠山 基国 | 右衛門佐 | 1392-94 | ||
結城 満藤 | 勘解由左衛門尉・越後守 | 善仏 | 1394-96 1396-99 |
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佐々木(京極)高詮 | 治部少輔入道 | 浄高 | 1399 | |
結城 満藤 | 越後入道 | 善仏 | 1399-1402 | |
畠山 基国 | 右衛門佐入道 | 徳元 | 1402-03 | |
高 師英 | 土佐入道 | 祥全 | 1404-16後 | |
一色 義貫(義範) | 兵部少輔・兵部大輔・左京大夫 | 1418前-21 | ||
佐々木(京極)高数 | 加賀守 | 1421-23後 | ||
佐々木(京極)持光 | 三郎・治部少輔 | 1424前-28 | ||
畠山 満家 | 左衛門督入道 | 道端 | 1428-33 | |
畠山 持国 | 尾張守 | 1433-34 | ||
一色 義貫 | 修理大夫 | 1434-36 | ||
赤松 満祐 | 大膳大夫入道 | 性具 | 1436-39後 | |
山名 持豊 | 右衛門佐 | 1440前-41 | ||
佐々木(京極)持清 | 中務少輔・大膳大夫 | 1441-47 | ||
一色 教親 | 左京大夫 | 1447-49後 | ||
畠山 持国 | 右衛門督入道 | 徳本 | 1450前-55 | |
畠山 義就(義夏) | 右衛門佐 | 1455-60 | ||
畠山 政長 | 弥次郎・尾張次郎・尾張守 | 1460-64 | ||
山名 是豊 | 弾正忠 | 1464-68後 | 1468よりは東幕府 | |
山名 政豊 | 弾正少弼・右衛門督 | 1474-78 | 東幕府 | |
畠山 義就 | 右衛門佐 | 1468-77 | 西幕府 | |
大内 政弘 | 新介・左京大夫 | 1470-77 | 西幕府・南三郡 | |
畠山 政長 | 左衛門督 | 1478-83 | ||
畠山 義就 | 右衛門佐 | 1482-85 | 南三郡を実力支配 | |
山城国一揆 | 1485-93 | 南三郡 | ||
伊勢 貞陸 | 兵庫助・備中守 | 1486-97後 | 1493以前は北五郡 | |
細川 政元 | 右京大夫・武蔵守 | ?-1507 | ||
大内 義興 | 左京大夫 | 1508-18 | ||
細川 高国 | 右京大夫・武蔵守 | 道永(常桓) | 1509-17 1518-27 |
1509-17乙訓・愛宕二郡 |
細川 晴元 | 六郎・右京大夫 | 1527-49 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
仁木 頼章 | 伊賀守・兵部大輔 | 1336-43 | ||
上杉 朝定 | 弾正少弼 | 1336-43 | 天田郡・何鹿郡 | |
山名 時氏 | 前伊豆守 | 1343-51 | ||
仁木 頼章 | 兵部大輔・左京大夫 | 1351-59 | ||
仁木 頼夏 | 中務少輔 | 1359-60 | ||
仁木 義尹 | 三郎・兵部大輔 | 1361-63 | ||
山名 時氏 | 左京大夫 | 道静 | 1364-71 | |
山名 氏清 | 民部少輔・陸奥守 | 1371-91 | ||
細川 頼元 | 右京大夫 | 梵栄 | 1392-97 | |
細川 満元 | 右馬助・右京大夫 | 道歓 | 1397-1426 | |
細川 持元 | 右馬助・右京大夫 | 常秀 | 1426-29 | |
細川 持之 | 中務少輔・右京大夫 | 常喜 | 1429-42 | |
細川 勝元 | 右京大夫 | 1442-73 | ||
細川 政元 | 聡明丸・九郎・右京大夫 | 1473-1506 | ||
細川 澄之 | 九郎 | 1506-07 | ||
細川 澄元 | 六郎・右京大夫 | 1507-08 | ||
細川 高国 | 右京大夫 | 1508-20 | ||
細川 澄元 | 右京大夫 | 1520 | ||
細川 高国 | 右京大夫 | 1520-25 | ||
細川 稙国 | 六郎 | 1525 | ||
細川 高国 | 右京大夫 | 道永・常桓 | 1525-31 | |
細川 晴元 | 右京大夫 | 1532-52 | ||
細川 氏綱 | 右京大夫 | 1552-? |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
今川 頼貞 | 駿河守 | 1336 | ||
荒川 詮頼 | 三河守 | ?-1337 | ||
上杉 朝定 | 弾正少弼 | 1337-38 | ||
今川 頼貞 | 駿河守 | 1339 | ||
山名 時氏 | 伊豆前司 | 1341-50 | ||
上野 頼兼 | 左馬助 | 1350-51 | ||
仁木 頼章 | 兵部大輔 | 1351-? | ||
高 師詮 | 武蔵左近大夫将監 | 1352-53 | ||
仁木 頼勝 | 弾正少弼 | 1353-60 | ||
渋川 義行 | 右兵衛佐 | 1363 | ||
山名 師義 | 右衛門佐 | 道興 | 1364-70 | |
山名 義幸 | 五郎・民部少輔・讃岐守 | 1374-81 | ||
山名 満幸 | 弾正少弼 | 1385 | ||
山名 義幸 | 讃岐守 | 1387 | ||
山名 満幸 | 播磨守 | 1389-91 | ||
一色 満範 | 右馬頭 | 道範 | 1392-1409 | |
一色 義範(義貫) | 五郎・兵部少輔・左京大夫・修理大夫 | 1409-40 | ||
一色 教親 | 五郎・左京大夫 | 1440-51 | ||
一色 義直 | 千徳丸・左京大夫 | 1451-67 | ||
摂津 之親 | 修理大夫 | 1468-? | 与謝郡 | |
細川 政国 | 右馬頭 | 1469-74 | 与謝郡 | |
武田 信賢 | 大膳大夫 | 宗武 | 1469-71 | |
武田 国信 | 治部少輔・大膳大夫 | 1471-74 | ||
(以後は一色家の欄を参照) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
大高 惟頼 | 大高大夫 | 高階惟章男 | 11C後半 | 足利荘内(下野) | |||||||
高 惟真 | 新五郎 | 惟貞? | 惟頼男 | ↓ | |||||||
高 惟範 | 滝口 | 惟章 | 惟真男 | ↓ | |||||||
高 惟長 | 刑部丞 | 惟範長男 | 1183? | ↓ | |||||||
高 惟重 | 刑部丞 | 次郎 | 惟長長男 | 1221 | ↓ | ||||||
高 義定 | 刑部左衛門尉 | ↓ 1221近江国内にも所領 |
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高 重氏 | 刑部次郎左衛門尉 | 重円 | 松本入道 | 惟重二男 | 1247後-? | ↓ | |||||
高 師氏 | 右衛門尉 | 心仏 | 重氏長男 | ?-1324 | 1324 | ↓ 額田郡(三河)内にも所領 |
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高 師行 | 太郎左衛門尉 | 太田原 | 師氏長男 | ↓ | |||||||
高 師秋 | 土佐守 | 太郎左衛門尉 美作守 |
師行長男 | ?-1351後 | ↓ 1351以降未詳 |
1338-42 伊勢守護 |
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高 師有 | 陸奥守 | 師秋五男 | ?-1364 | 1364 | 未詳 | 1362前-63 関東管領 |
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高 師英 | 土佐守 | 祥全 | 師有男 | 1364-1418後 | 足利荘内 | 1404-16後 山城守護 |
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(途中未詳) | |||||||||||
高 師長 | 師英曽孫 | 1459前後 | (諸国守護により 所領が被奪?) |
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【師重流高家】 |
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高 師重 | 右衛門尉 | 貞忍 | 師継 豊前権守 |
師氏二男 | 1343 | 未詳 | |||||
高 師直 | 武蔵守 | 真如寺 道常 |
五郎 右衛門尉 三河権守 |
師重三男 | ?-1351 | 1351 | 1335前-49 1349-51 執事 |
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高 師冬 | 播磨守 | 四郎左衛門尉 三河守 |
師行五男 師直猶子 |
1351 | 1339前-44後 1350前-51 関東管領 |
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高 師詮 | 左近大夫将監 | 播磨守 | 師直長男 | 1351-53 | 1353 | 未詳 1353滅亡 |
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【師泰流高家】 |
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高 師泰 | 越後守 | 道昭 | 四郎 刑部丞 尾張守 |
師重四男 | ?-1351 | 1351 | 未詳 | 1337前-38後 越後守護 1339前-40後 尾張守護 1347-49 河内・和泉守護 1350備後守護 |
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高 師世 | 左近大夫将監 | 師泰二男 | 1351 | ||||||||
高 師秀 | 尾張守 | 次郎 刑部丞 |
師泰三男 | 1351-? | 1352前-53後 河内守護 |
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(途中の 事績未詳) |
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高 師為 | 尾張守 | 二郎 | 師秀玄孫 | (備前国内?) | |||||||
高 師繁 | 越後守 | 弥二郎 刑部大輔 |
師為男 | (↓) | |||||||
高 師宣 | 刑部大輔 | 孫三郎 越後守 和泉守 |
師繁男 | 1531 | (↓) | ||||||
(以後未詳) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
一色 公深 | 宮内卿法印 | 宝持寺 | 一色阿闍利 | 足利泰氏七男 | 14C初頭 | 今川国氏女 | 幡豆郡一色(三河) | |||||
一色 範氏 | 宮内少輔 | 大興寺 古峯道猷 |
太郎 | 公深長男 | 1369? | ↓ | 1336-46 鎮西管領 |
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一色 直氏 | 右京大夫 | 智光寺 | 宮内少輔 左京大夫 |
範氏長男 | ?-1358後 | ↓ | 1346-61前 鎮西管領 |
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一色 範光 | 修理大夫 | 慈雲寺 徳翁信伝 |
範宗 五郎 右馬権頭 兵部少輔 |
範氏二男 | 1358後-88 | 1388 | ↓ | 1366-88 若狭守護 1379-88 三河守護 |
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一色 詮範 | 従四位下 左京大夫 |
長慶寺 大勇信将 |
兵部少輔 右馬頭 |
範光長男 | 1388-1406 | 1406 | ↓ | 侍所頭人 若狭・三河守護 |
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一色 満範 | 従四位下 修理大夫 |
慈光院 古天道範 |
兵部少輔 右馬頭 |
詮範長男 | 1406-09 | 1409 | ↓ | 若狭・三河守護 1392-1406 丹後守護 |
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一色 義貫 | 修理大夫 | 安養寺 泰雲 |
義範 直信 五郎 兵部少輔 左京大夫 |
満範二男 | 1409-40 | 1440(41) | ↓ | 侍所頭人 若狭・三河・ 丹後守護 |
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一色 教親 | 左京大夫 | 成就院 | 義季 五郎 |
一色持信 (満範三男) 長男 |
1440-51 | 1451(33) | 丹後国内に 本拠を移す |
侍所頭人 丹後・伊勢北 半国守護 |
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一色 義直 | 従四位下 修理大夫 |
義長 千徳丸 左京大夫 |
義貫長男 | 1451-74後 | ↓ 1468失領 |
1451-67 丹後・伊勢北 半国守護 |
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一色 義春 | 左京大夫 | 五郎 | 義直長男 | 1474後-84 | 1484(19) | 山名教豊女 | ↓ 1474回復 八田城(丹後) |
1474-84 丹後守護 1479-84 伊勢北半国守護 |
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一色 義秀 | 五郎 | 西禅寺 | 周儀侍者 | 義直二男 | 1484-98 | 1498 | ↓ | 丹後守護 | ||||
一色 義有 | 左京大夫 | 義季 | 一色義遠 (義貫二男) の男 |
1498-1514後 | ↓ | 丹後守護 | ||||||
一色 義幸 | 左京大夫? | 義有男 (一説には 教親男) |
1514後-58 | ↓ | ||||||||
一色 義道 | 式部大夫 | 左京大夫? | 義幸男 | 1558-79 | 1579 | ↓ 1579失領 |
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一色 義定 | 五郎 | 義俊 義信? |
義道男 | 1579-82 | 1582 | 細川藤孝女 | 1579弓木城(丹後) | |||||
一色 義清 | 越前守 | 義幸男 | 1582 | 1582 | ↓ 1582滅亡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
伊勢 俊継 | 従五位上 伊勢守 |
豊前守 | 平俊経男 | 13C前半 | 上総国内 | |||||||
伊勢 盛継 | 四品 左衛門尉 |
禅勝 | 俊継男 | ↓ | ||||||||
伊勢 貞継 | 従五位上 伊勢守 |
広禅寺 友峯昭禅 |
十郎 勘解由左衛門尉 |
盛継三男 | 1333?-91 | 1391(83) | ↓ 後、山城国内 に本拠を置く |
1379-91 政所執事 |
||||
伊勢 貞信 | 従五位上 伊勢守 |
知光院 松淵常貞 |
七郎 左衛門尉 |
伊勢頼継 (盛継二男) の男 |
1391-1401 | 1401(60) | 蜷川親心女 | ↓ | 政所執事 | |||
伊勢 貞行 | 従五位上 侍従 伊勢守 |
思恩院 心巌常誠 |
十郎 兵庫助 尾張守 |
貞信長男 | 1401-10 | 1410(53) | 木曽某の女 | ↓ | 政所執事 大和吉野郡守護 |
|||
伊勢 貞経 | 従四位下 侍従 伊勢守 |
勢元 | 十郎 勘解由左衛門尉 兵庫頭 |
貞行長男 | 1410-31 | 1432 | ↓ | 政所執事 大和吉野郡守護 |
||||
伊勢 貞国 | 従四位上 伊勢守 |
深心院 真蓮 |
貞慶? 備中守 兵庫助 |
貞行二男 | 1431-54 | 1454 | 蜷川親俊女 | ↓ | 大和吉野郡守護 1431-49 政所執事 |
|||
伊勢 貞親 | 従四位上 伊勢守 |
聴松院 悦堂常慶 |
兵庫助 備中守 |
貞国長男 | 1454-66 | 1473(57) | ↓ | 大和吉野郡守護 1460-66 政所執事 |
||||
伊勢 貞宗 | 従四位上 伊勢守 |
金仙寺 常安全宝 |
七郎 兵庫助 備中守 |
貞親長男 | 1466-1509 | 1509(66) | 蜷川親吉女 | ↓ | 大和吉野郡守護 1466-90 政所執事 |
|||
伊勢 貞陸 | 従四位上 伊勢守 |
勝蓮院 常照光岳 |
貞綱 七郎 兵庫助 備中守 汲古斎 |
貞宗長男 | 1509-21 | 1521(59) | ↓ | 大和吉野郡守護 1490-1521 政所執事 1493-1507前 山城守護 |
||||
伊勢 貞忠 | 従四位上 伊勢守 |
宝蓮院 常隆大盛 |
貞霽 七郎 兵庫助 備中守 |
貞陸長男 | 1521-35 | 1535(53) | ↓ | 政所執事 大和吉野郡守護 |
||||
伊勢 貞孝 | 従四位上 伊勢守 |
梅竹院 宗友松岳 |
又三郎 兵庫助 備中守 |
伊勢貞辰 (貞国曽孫) 二男 |
1535-62 | 1562 | ↓ 1562攻殺 |
政所執事 | ||||
伊勢 貞良 | 兵庫頭 | 建光院 紹良賢叟 |
小法師 十郎 |
貞孝長男 | − | 1562 | 1562攻殺 中絶 |
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伊勢 貞為 | 兵庫頭 | 瑞芳院 天悦空西 |
貞安 貞景 虎福丸 空斎 |
貞良長男 | 1573前-81? | 1609(51) | 岸章憲女 | 再興 1573織田信長に 降伏、所領(京都 近傍)安堵 |
||||
伊勢 貞興 | 三郎 | 即心院 夢岳常幻 |
熊千代 与三郎 |
貞良二男 | 1581?-82 | 1582(21) | 明智光秀女 | ↓ 1582滅亡 |
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伊勢貞衡(貞為の男)が1637年に江戸幕臣となり、子孫は旗本として1,000石を知行。 | ||||||||||||
【貞長流伊勢家】 |
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伊勢 貞長 | 因幡守 | 照心 | 左衛門尉 | 貞信二男 | 1434 | 宇治近傍?(山城) | 申次衆 | |||||
伊勢 貞道 | 駿河守 | 照安 | 貞高 五郎 |
貞長四男 | ↓ | 申次衆 | ||||||
伊勢 盛時 | 新九郎 | (早雲寺) | 伊勢盛定 (盛継曽孫) の男 |
1519(88) | ↓ 1487興国寺城 (駿河)へ移転 (→後北条家) |
申次衆 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
小笠原 貞長 | 彦次郎 | 小笠原宗長二男 | 14C前半 | (京都近傍?) | |||||||
小笠原 長高 | 美濃守 | 六郎二郎 | 貞長男 | ↓ | |||||||
小笠原 氏長 | 備前守 | 又六 弓太郎 |
長高男 | ↓ | |||||||
小笠原 満長 | 民部少輔 | 興元 | 又六 | 氏永男 | ↓ | ||||||
小笠原 持長 | 又六 | 心源 | 満長男 | ↓ | |||||||
小笠原 持清 | 備前守 | 大中 | 又六 | 持長男 | ↓ | ||||||
小笠原 政清 | 備前守 | 宗住 | 持清男 | ↓ | |||||||
小笠原 尚清 | 民部少輔 | 政清男 | ↓ | ||||||||
小笠原 稙盛 | 従五位下 備前守 |
尚清男 | ?-1565 | 1565 | ↓ 1565失領 |
||||||
小笠原 秀清 | 備前守 | 隆心院 功岩道忠 少斎 |
又六 庄右衛門 民部少輔 |
稙盛男 | 1580前-1600 | 1600 | 1580前 丹後国内 500石 |
細川家客分 | |||
小笠原 長光 | 備前 | 慈雲院 信嶺宗芭 |
長貞 又六 民部 |
秀清長男 | 1600-60 | 1660 | 1600豊前国内 累増 5,000石に至る 1632肥後国内 加増 6,000石 |
細川家臣 | |||
小笠原長之(長光長男)以降、細川家重臣(備頭級)として、代々6,000石を知行。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
革島 仲安 | 次郎左衛門尉 | 亀鶴丸 政次郎 |
佐竹一族 | 1312前後 | 革島南荘(山城) | ||||||
革島 憲安 | 阿闍梨 | 幸円 | 仲安男 | ↓ | |||||||
革島 幸政 | 三郎左衛門尉 | 憲安男 | 1326-38後 | ↓ | |||||||
革島 景安 | 次郎三郎 | 幸政男 | 1350頃 | ↓ | |||||||
革島 光安 | 左衛門尉 | 壱宝 | 景安男 | ↓ | |||||||
革島 秀安 | 中務大輔 | 光安男 | 1385-1417後 | ↓ | |||||||
革島 貞安 | 弥七郎 | 秀安男 | 1427前-? | ↓ | |||||||
革島 政安 | 新五郎 | 宗心 | 肥前守 | 貞安男 | ↓ | ||||||
革島 親宣 | 勘解由左衛門尉 | 政安男 | ↓ | ||||||||
革島 泰宣 | 従五位下 肥前守 |
鏡晴道宗 | 勘解由左衛門尉 | 親宣男 | 1487後-1534 | 1535(80) | ↓ | ||||
革島 就宣 | 又次郎 | 花岳玄徳 | 泰宣男 | (未相続) | 1520 | ||||||
革島 一宣 | 越前守 | 陽岑宗和 | 新五郎 左衛門尉 |
就宣男 | 1534-81 | 1581 | ↓ 1565失領 1570復帰 |
||||
革島 秀存 | 市之助 | 花徳宗空 | 一宣男 | 1581-82 | 1582 | 1582没後失領 弟・忠宣が郷士となり家名存続 600石で鷹司家奉仕 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔明智家(丹波国主)〕 |
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明智 光秀 | 日向守 | 咲庵 明窓玄智 |
十兵衛 | 明智光隆男 | 1579-82 | 1582(55?) | 妻木某の女 | 1571坂本城(近江) 1579亀山城 (丹波一国) 1582滅亡 |
||||
〔羽柴(秀勝)家(丹波国主)〕 |
||||||||||||
羽柴 秀勝 | 従三位 権中納言 |
瑞林院 賢岩才公 |
於次 | 織田信長四男 羽柴(豊臣)秀吉 の養子 |
1582-85 | 1585(18) | − | 1582新封 亀山城(丹波一国) 1585無嗣 |
||||
羽柴 秀勝 | 従四位下 少将 |
小吉 | 三好吉房二男 豊臣秀吉養子 |
1585-87 | 1592(24) | 江 (浅井長政女) |
1585新封、亀山城 1587違令除封 1589越前国内復封 1591岐阜城(美濃) |
|||||
〔前田家〕 |
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前田 玄以 | 民部卿法印 | 徳善院 天涼以公 |
基勝 半夢斎 |
出自未詳 | 1587?-1602 | 1602(64) | 村井貞勝女 | 1587?新封、亀山城 50,000石 |
(豊臣家) 奉行 |
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前田 茂勝 | 従五位下 主膳正 |
コンスタンチン (霊名) |
彦四郎 | 玄以二男 | 1602 | 1621(40) | 1602八上城 (丹波)転封 |
|||||
〔岡部家〕 |
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岡部 長盛 | 従五位下 内膳正 |
半弥 弥次郎 |
岡部正綱長男 | 1609-21 | 1632(65) | 松平清宗女 松平康元女 |
1584駿河・甲斐 二国内所領襲封 1590山崎(下総) 12,000石 1609亀山城 32,000石 後、加増 34,000石 1621福知山城 (丹波)転封 |
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〔松平(大給)家〕 |
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松平 成重 | 従五位下 右近将監 |
見樹院 覚誉円徹 |
松千代 五左衛門 |
松平一生長男 | 1621-33 | 1633(40) | 安藤重信女 松平康元女 |
1617西尾城(三河) 20,000石 1621亀山城 22,200石 |
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松平 忠昭 | 主税之助 | 太郎左衛門 | 成重二男 | 1633-34 | 1693(77) | ↓ 1634亀川 (豊後)転封 |
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〔菅沼家〕 |
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菅沼 定芳 | 従五位下 織部正 |
大虚院 無参円徹 |
定好 向丸 左近 |
菅沼定盈六男 定仍(兄)継嗣 |
1634-43 | 1643(57) | 松平康元女 三好一任養女 |
1606襲封 1621膳所城(近江) 31,100石 1634亀山城 41,100石 |
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菅沼 定昭 | 従五位下 左近将監 |
浄寂院 傑叢全英 |
左近 | 定芳長男 | 1643-47 | 1647(23) | − | 1643分知 38,000石 1647無嗣 弟・定実が継嗣 新城(三河) 7,000石 |
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〔松平(藤井)家〕 |
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松平 忠晴 | 従五位下 伊賀守 |
善得院 良光忠山 |
与吉郎 | 松平信吉二男 | 1648-67 | 1669(72) | 杉原長房女 | 1644掛川城(遠江) 30,000石 1648亀山城 38,000石 |
大番頭 | |||
松平 忠昭 | 従五位下 伊賀守 |
普光院 勇哲存秀 |
千太郎 内蔵允 権佐 玄蕃頭 |
忠晴二男 | 1667-83 | 1683(40) | 松平忠国女 | ↓ | ||||
松平 忠周 | 従五位下 伊賀守 |
忠易 忠徳 忠栄 与十郎 阿波守 |
忠晴三男 | 1683-86 | 1728(68) | 松平定時養女 米倉昌明養女 |
↓ 1686岩槻城 (武蔵)転封 |
若年寄 | ||||
〔久世家〕 |
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久世 重之 | 従五位下 出雲守 |
勝之助 | 久世広之三男 | 1686-97 | 1720(61) | 土井利房女 | 1683庭瀬(備中) 50,000石 1686亀山城 1697吉田城 (三河)転封 |
奏者番 | ||||
〔井上家〕 |
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井上 正岑 | 従五位下 大和守 |
正通 巳之助 民部 |
井上正任二男 | 1697-1702 | 1722(70) | 松平頼純女 | 1693郡上城 (美濃)襲封 47,000石 1697亀山城 1702下館城 (常陸)転封 |
若年寄 | ||||
〔青山家〕 |
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青山 忠重 | 従五位下 因幡守 |
真正院 清休義泉 |
冬松 喜大夫 下野守 |
青山宗俊三男 青山忠雄養子 |
1702-22 | 1725(69) | 青山幸道女 青山幸実女 |
1685浜松城 (遠江)襲封 50,000石 1702亀山城 |
||||
青山 俊春 | 従五位下 因幡守 |
玉雲院 栄岳紹適 |
宗忠 俊重 冬之助 下野守 |
忠重四男 | 1722-30 | 1730(31) | − | ↓ | ||||
青山 忠朝 | 従五位下 因幡守 |
幸堅 忠知 七三郎 刑部 伯耆守 |
青山幸督二男 | 1730-48 | 1760(53) | 榊原政邦女 | ↓ 1748篠山城 (丹波)転封 |
奏者番 | ||||
〔松平(形原)家〕 |
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松平 信岑 | 従四位下 紀伊守 |
宏源院 周誉道慧 得雄 |
九十郎 又七郎 佐渡守 |
松平信庸長男 | 1748-63 | 1763(68) | 内藤義孝女 内藤義英女 内藤清枚女 |
1717篠山城 (丹波)襲封 50,000石 1748亀山城 |
寺社奉行 | |||
松平 信直 | 従五位下 紀伊守 |
霊徳院 寛誉興仁 双峰 |
豊五郎 又七郎 佐渡守 (致仕後) 主計頭 |
松平庸倫 (信庸二男) 長男 |
1753-81 | 1786(55) | 松平光雄女 | ↓ | ||||
松平 信道 | 従五位下 紀伊守 |
誠敬院 天誉性山 寂円 |
又七郎 采女正 若狭守 |
信直長男 | 1781-91 | 1791(30) | 松平定静女 | ↓ | 寺社奉行 | |||
松平 信彰 | 従五位下 紀伊守 |
俊徳院 高誉賢勝 勇哲 |
道宜 信賢 金次郎 又七郎 |
信道長男 | 1791-1802 | 1802(21) | 美和 (松平忠告女) |
↓ | ||||
松平 信志 | 従五位下 紀伊守 |
浄徳院 麗誉殊持 無称 |
庸行 喜内 又七郎 |
松平庸孝 (庸倫二男) 二男 |
1802-16 | 1816(32) | 直 (松平定信養女) |
↓ | ||||
松平 信豪 | 従五位下 紀伊守 |
敬徳院 泰誉濬哲 淡亭 |
英之助 (致仕後) 図書頭 |
信志長男 | 1816-43 | 1865(52) | 賢亮 (酒井忠実女) |
↓ | ||||
松平 信義 | 従四位下 侍従 豊前守 |
庸謹 信篤 但馬守 紀伊守 |
松平庸煕長男 | 1843-66 | 1866(43) | 太田資煕女 | ↓ | 老中 | ||||
松平 信正 | 亀岡藩知事 | 又七郎 図書頭 |
信豪七男 | 1866-71 | 1909(58) | 植子 (宗義和女) |
↓ 1869亀岡藩と改称 1871廃藩置県 |
子爵 貴族院議員 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔細川家(丹後国主)〕 |
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長岡 藤孝 | 従四位下 侍従 兵部大輔 二位法印 |
泰勝院 徹宗玄旨 幽斎 |
万吉 与一郎 |
三渕晴員二男 (細川元常養子) |
1580-82 | 1610(77) | 麝香 (沼田光兼女) |
1568勝竜寺城(山城)安堵 1580宮津城(丹後一国) 141,400石 |
||||
細川 忠興 | 従四位下 侍従 越中守 |
熊千代 与一郎 |
藤孝長男 (細川輝経養子) |
1582-1600 | 1645(83) | 玉 (明智光秀女) |
↓ 1600中津城(豊前)転封 |
|||||
〔京極家〕 |
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京極 高知 | 従四位下 侍従 丹後守 |
瑞泰院 真巌道可 |
長寿 修理亮 修理大夫 |
京極高慶二男 | 1600-22 | 1622(51) | 織田信澄女 毛利秀頼女 |
1593飯田城(信濃) 1595加増 100,000石 1600宮津城 123,175石 |
||||
京極 高広 | 従四位下 侍従 丹後守 |
安智院 天真一道 |
高政 采女 采女正 (致仕後) 道愚 |
高知二男 | 1622-54 | 1677(79) | 茶々 (池田輝政女) |
↓ 1622分知 78,175石 |
||||
京極 高国 | 従四位下 侍従 丹後守 |
淵竜寺 静山宗光 |
高照 高好 仙千代 山城守 |
高広長男 | 1654-66 | 1675(60) | 千菊 (伊達政宗女) |
↓ 1666内訌改易 |
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〔永井家〕 |
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永井 尚征 | 従五位下 右近大夫 |
竜谷院 雲山宗関 |
大膳 | 永井尚政長男 | 1669-73 | 1673(60) | 長菊 (毛利秀元女) |
1658淀城(山城)襲封 73,600石 1669宮津城 |
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永井 尚長 | 従五位下 信濃守 |
霄空院 天永尚長 |
伝三郎 土佐守 |
尚征三男 | 1674-80 | 1680(27) | 青山宗俊女 | ↓ 1680被殺改易 弟・直円が継嗣、 新庄領内(大和) |
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〔阿部家〕 |
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阿部 正邦 | 従五位下 対馬守 |
正盛 作十郎 |
阿部定高二男 | 1681-97 | 1715(58) | 菊 (山内豊昌女) |
1671岩槻城(武蔵)襲封 99,000石 1681宮津城 1697宇都宮城(下野)転封 |
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〔奥平家〕 |
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奥平 昌成 | 従五位下 大膳大夫 |
昌春 熊太郎 |
奥平昌章二男 | 1697-1717 | 1746(53) | 阿部正喬女 | 1695宇都宮城(下野)襲封 90,000石 1697宮津城 1717中津城(豊前)転封 |
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〔青山家〕 |
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青山 幸秀 | 従五位下 大膳亮 |
覚樹院 了雄忠山 |
幸侶 成英 藤次郎 |
青山幸督長男 | 1717-44 | 1744(49) | 本多康慶女 | 1711飯山城(信濃) 48,000石 1717宮津城 |
||||
青山 幸道 | 従五位下 大膳亮 |
鎌次郎 主計 |
幸秀三男 | 1744-58 | 1779(55) | 松平光慈女 | ↓ 1758郡上城(美濃)転封 |
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〔松平(本庄)家〕 |
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松平 資昌 | 富之助 | 真岳院 春誉大廓 覚然 |
豊之助 | 松平資訓四男 | 1758-61 | 1762(19) | − | 1752浜松城(遠江)襲封 70,000石 1758宮津城 |
||||
松平 資尹 | 従五位下 大隅守 |
俊徳院 乾誉慈秀 和順 |
定八郎 | 酒井忠寄七男 | 1761-65 | 1765(20) | − | ↓ | ||||
松平 資承 | 従五位下 伯耆守 |
最勝院 顕誉義性 本然 |
富次郎 豊後守 (致仕後) 因幡守 |
松平正温三男 | 1765-96 | 1800(52) | 岩 (浅野宗恒女) |
↓ | 寺社奉行 | |||
松平 宗允 | 従五位下 大隅守 |
昇安院 常誉寂照 怛然 |
資貞 資允 富次郎 本蔵 伯耆守 |
松平資承二男 | 1796-1808 | 1816(35) | 季民 (松平輝和女) |
↓ | ||||
松平 宗発 | 従四位下 侍従 伯耆守 |
宏道院 粛誉明感 義方 |
資恭 富次郎 |
松平資承三男 | 1808-40 | 1840(59) | 牧野康儔女 | ↓ | 老中 | |||
松平 宗秀 | 神宮大宮司 中教正 |
秀次郎 図書頭 伯耆守 丹後守 |
宗允三男 | 1840-66 | 1873(65) | 松平乗全女 偶子 (大久保忠真女) 盈子 (松平輝延女) |
↓ | 老中 | ||||
本荘 宗武 | 宮津藩知事 (廃藩後) 籠神社宮司 |
武通麿 伊予守 弾正忠 伯耆守 |
宗秀五男 | 1866-71 | 1893(48) | 波子 (牧野誠成女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔小野木家〕 |
||||||||||||
小野木 重勝 | 従五位下 縫殿助 |
松樹院 慮宗貞岳 |
重次 公郷 清次郎 |
出自未詳 | 1587?-1600 | 1600 | 島清興女 | 1587?新封 福知山城(丹波) 31,000石 1600関が原の 戦後、廃絶 |
||||
〔有馬家〕 |
||||||||||||
有馬 豊氏 | 従五位下 玄蕃頭 |
万助 | 有馬則頼二男 | 1600-20 | 1642(74) | 連 (松平康直女・ 徳川家康養女) |
1595新封 横須賀城(遠江) 30,000石 1600福知山城 60,000石 1602三田領加増 80,000石 1620久留米城 (筑後)転封 |
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〔岡部家〕 |
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岡部 長盛 | 従五位下 内膳正 |
半弥 弥次郎 |
岡部正綱長男 | 1621-24 | 1632(65) | 松平康元女 | 1609亀山城 (丹波) 34,000石 1621福知山城 50,000石 1624大垣城 (美濃)転封 |
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〔稲葉家〕 |
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稲葉 紀通 | 従五位下 淡路守 |
顕竜院 陶雲祚晴 |
通吉 大夫 |
稲葉道通二男 | 1624-48 | 1648(46) | 松平忠明女 | 1607田丸城 (伊勢)襲封 45,700石 1616中島(摂津) 1624福知山城 1648被疑自殺 改易 |
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〔松平(深溝)家〕 |
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松平 忠房 | 従五位下 主殿頭 |
五郎八 | 松平忠利長男 | 1649-69 | 1700(82) | 鍋島勝茂女 | 1632吉田城 (三河)襲封 30,000石 同年、刈谷城 (三河) 1649福知山城 45,900石 1669島原城 (肥前)転封 |
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〔朽木家〕 |
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朽木 稙昌 | 従五位下 伊予守 |
隆徳院 馨隠自香 |
季綱 弥五郎 縫殿助 |
朽木稙綱長男 | 1669-1708 | 1714(72) | 作 (岡部宣勝女) |
1661土浦城 (常陸)襲封 27,000石 1669福知山城 32,000石 |
奏者番 | |||
朽木 稙元 | 従五位下 民部少輔 |
鏡心院 清源湛水 |
左近 帯刀 |
稙昌長男 | 1708-21 | 1721(58) | 秋元喬知女 | ↓ | 奏者番 | |||
朽木 稙綱 | 従五位下 伊予守 |
玄興院 健巌良性 |
稙富 吉三郎 大膳 |
稙元長男 | 1721-26 | 1726(17) | − | ↓ | ||||
朽木 稙治 | 従五位下 土佐守 |
常智院 孤峯無住 |
万吉 采女 (致仕後) 英山 |
稙昌二男 | 1726-28 | 1741(77) | − | ↓ | 小姓組番頭 | |||
朽木 玄綱 | 従五位下 土佐守 |
徳温院 俊山良哲 |
岩之助 舎人 出羽守 |
松平乗紀五男 (稙昌外孫) |
1728-70 | 1770(62) | 内藤清枚女 | ↓ | 寺社奉行 | |||
朽木 綱貞 | 従五位下 大炊頭 |
寂了院 文英兼光 |
万五郎 内記 出羽守 (致仕後) 星橋 |
朽木廸綱 (稙昌六男) 長男 |
1770-80 | 1788(76) | − | ↓ | ||||
朽木 舗綱 | 従五位下 伊予守 |
徳寿院 本覚桃源 了泰 |
千之助 舎人 |
玄綱二男 | 1780-87 | 1787(58) | − | ↓ | ||||
朽木 昌綱 | 従五位下 近江守 |
不見院 相外直了 宗非 |
斧次郎 左門 隠岐守 (致仕後) 竜橋 |
綱貞二男 | 1787-1800 | 1802(53) | 幾万 (松平宗衍女) 本多助盈女 伊東長詮女 |
↓ | ||||
朽木 倫綱 | 従五位下 土佐守 |
義運院 忠山成功 |
周三郎 千之助 舎人 |
舗綱二男 | 1800-02 | 1802(33) | 睦 (松平直紹女) |
↓ | 奏者番 | |||
朽木 綱方 | 従五位下 土佐守 |
泰運院 寿山椿齢 |
肥児太郎 (致仕後) 和竜 |
昌綱二男 | 1803-20 | 1838(53) | 松平資承女 | ↓ | ||||
朽木 綱条 | 従五位下 隠岐守 |
宝鑑院 格心全忠 |
鉄五郎 | 倫綱長男 | 1820-36 | 1836(36) | 総 (松平輝延女) 信 (松平定信養女) |
↓ | 奏者番 | |||
朽木 綱張 | 従五位下 近江守 |
錦光院 成徳惟馨 |
忠共 彦次郎 河内守 |
本多康禎二男 | 1836-67 | 1867(52) | 健(綱方女) 伸子 (本多助賢女) |
↓ | 奏者番 | |||
朽木 為綱 | 福知山藩知事 | 釾吉 伊予守 近江守 |
綱張長男 | 1867-71 | 1883(39) | 恒子 (米倉昌寿女) 郁子 (青山忠良女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子・綱貞の とき子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
谷 衛友 | 従五位下 出羽守 |
常照院 心翁荒鉄 |
甚太郎 | 谷衛好三男 | ?-1627 | 1627(65) | 1588前、何鹿郡内(丹波)襲封 1600山家に居所 16,000石 |
||||
谷 衛政 | 従五位下 大学頭 |
祥鳳寺 乾徳道輝 |
牛之助 大学助 |
衛友四男 | 1628-62 | 1662(65) | ↓ 1628分知 10,082石 |
||||
谷 衛利 | 甚九郎 | 智長院 了然宗廓 |
衛政長男 | (早世) | 1652(39) | ||||||
谷 衛広 | 従五位下 出羽守 |
日新寺 節岩源忠 |
助十郎 | 衛利長男 | 1663-89 | 1689(46) | ↓ | ||||
谷 照憑 | 従五位下 播磨守 |
偃蓋院 鶴仙至白 |
広頼 鶴千代 右京 大学 |
衛広二男 | 1690-1717 | 1754(81) | ↓ | ||||
谷 衛ミチ 〔「行」の真 中に「童」〕 |
従五位下 出羽守 |
天性院 廓公了無 |
勝千代 右京 |
照憑長男 | 1717-62 | 1763(64) | ↓ | ||||
谷 衛将 | 大学 | 本覚院 泰雲元明 |
勝千代 | 衛ミチ長男 | 1762-64 | 1764(37) | ↓ | ||||
谷 衛秀 | 従五位下 播磨守 |
天柱院 庸学万中 |
鶴次郎 図書 |
衛ミチ二男 | 1764-80 | 1780(52) | ↓ | ||||
谷 衛量 | 従五位下 播磨守 |
恭温院 徳峯道馨 |
鶴太郎 大学頭 出羽守 |
衛秀三男 | 1780-1801 | 1801(37) | ↓ | ||||
谷 衛万 | 従五位下 大学頭 |
大慈院 泰巌紹猷 |
房之助 | 衛量長男 | 1801-16 | 1816(21) | ↓ | ||||
谷 衛弥 | 従五位下 右京亮 |
凌霄院 玉鳳浄瑛 |
慱作 | 衛量二男 | 1816-20 | 1820(24) | ↓ | ||||
谷 衛昉 | 出羽守 | 義翁 | 鷹之助 | 青木一貞二男 | 1820-45 | 1884(74) | ↓ | ||||
谷 衛弼 | 従五位下 播磨守 |
良鑑院 義峯宗賢 |
弘三郎 | 本多康禎三男 | 1845-55 | 1855(34) | ↓ | ||||
谷 衛滋 | 山家藩知事 | 誠三郎 | 松平頼説五男 | 1855-71 | 1875(59) | ↓ 1871廃藩置県 |
子・寿衛のとき子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔木村家〕 |
||||||||||||
木村 重茲 | 常陸介 | 常照院 重高 |
隼人正 定光 重高 |
木村定重男 | 1592-95 | 1595 | 青木氏 (「宮内卿局」) |
1585越前府中城 120,000石 1592淀城 (=淀古城。山城) 180,000石 1595豊臣秀次に 連座して賜死 |
||||
〔松平(久松)家〕 |
||||||||||||
松平 定綱 | 従五位下 越中守 |
定信 亀松 三郎四郎 |
松平定勝三男 | 1625-33 | 1651(60) | 浅野長政女 | 1619掛川城(遠江) 35,000石 1625淀城(山城) 1633大垣城(美濃)転封 |
|||||
〔永井家〕 |
||||||||||||
永井 尚政 | 従四位下 信濃守 |
宝林寺 崑山 |
伝八郎 (致仕後) 信斎 |
永井直勝長男 | 1633-58 | 1668(82) | 内藤清成女 | 1626古河城(下総)襲封 89,100石 1633淀城 100,000石 |
老中 | |||
永井 尚征 | 従五位下 右近大夫 |
大膳 | 尚政長男 | 1658-69 | 1673(60) | 長菊 (毛利秀元女) |
↓ 1658分知 73,600石 1669宮津城(丹後)転封 |
|||||
〔石川家〕 |
||||||||||||
石川 憲之 | 従四位下 主殿頭 |
方円院 泰恵日周 |
昌勝 千勝 宗十郎 |
石川廉勝長男 石川総慶 (祖父)継嗣 |
1669-1706 | 1707(74) | 梅園実清女 | 1651亀山城(伊勢) 50,000石 1669淀城 60,000石 |
||||
石川 義孝 | 従五位下 主殿頭 |
義孝院 日意 |
昌信 主税 越前守 |
憲之二男 | 1706-10 | 1710(52) | 北条氏治女 | ↓ | ||||
石川 総慶 | 宗十郎 | 石之助 | 石川勝之 (憲之孫) 長男 |
1710-11 | 1764(61) | 久世重之女 | ↓ 1711松山城(備中)転封 |
|||||
〔松平(戸田)家〕 |
||||||||||||
松平 光煕 | 従五位下 丹波守 |
宝雲院 徳翁良泰 |
千虎 孫四郎 河内守 |
松平光永長男 | 1711-17 | 1717(44) | 阿部正武女 | 1705加納城(美濃)襲封 60,000石 1711淀城 |
||||
松平 光慈 | 孫四郎 | 三之助 | 光煕三男 | 1717 | 1732(21) | ↓ 1717鳥羽城(志摩)転封 |
||||||
〔松平(大給)家〕 |
||||||||||||
松平 乗邑 | 従五位下 左近将監 |
乗益 源次郎 和泉守 |
松平乗春長男 | 1717-23 | 1746(61) | 土屋政直女 | 1710亀山城(伊勢) 60,000石 1717淀城 1723佐倉城(下総)転封 |
老中 | ||||
〔稲葉家〕 |
||||||||||||
稲葉 正知 | 従四位下 丹後守 |
万祥院 瑞山紹運 |
宇右衛門 美濃守 長門守 |
稲葉正往二男 | 1723-29 | 1729(45) | 須免 (小笠原忠雄女) 今村某の女 |
1707佐倉城(下総)襲封 102,000石 1723淀城 |
||||
稲葉 正任 | 従五位下 美濃守 |
瑞信院 天祥自沢 |
惣兵衛 | 正知三男 | 1729-30 | 1730(17) | − | ↓ | ||||
稲葉 正恒 | 玄蕃 | 剛節院 俊山浄松 |
平左衛門 | 稲葉正倚 (正往弟) 三男 |
1730 | 1730(25) | 喜久子 (毛利元次女) |
↓ | ||||
稲葉 正親 | 従四位下 佐渡守 |
大義院 徹山道機 |
正命 式部 越中守 |
大田原晴川男 | 1730-34 | 1734(43) | 稲葉正直養女 | ↓ | 大坂城代 | |||
稲葉 正益 | 従四位下 丹後守 |
温良院 恭道義倹 |
正甫 大学 内匠頭 |
正親長男 | 1734-71 | 1771(54) | 琨子 (伊達吉村女) 丹羽高寛女 |
↓ | 寺社奉行 | |||
稲葉 正弘 | 従五位下 美濃守 |
純正院 厚岳道裕 |
大学 宇右衛門 佐渡守 |
正益長男 | 1771-73 | 1773(27) | 員 (松平容貞女) |
↓ | ||||
稲葉 正諶 | 従四位下 侍従 丹後守 |
寛量院 仁翁義勇 |
幸之助 図書 兵部 |
正益二男 | 1773-1806 | 1806(58) | 五百 (松平宗衍女) |
↓ | 京都所司代 | |||
稲葉 正備 | 従四位下 丹後守 |
葆光院 天瑞紹祐 |
定之助 長門守 |
正諶二男 | 1806-15 | 1815(37) | 嘉代 (阿部正倫女) |
↓ | ||||
稲葉 正発 | 従五位下 対馬守 |
麟松院 孝岳仁穎 |
定之助 | 正備長男 | 1815-23 | 1823(23) | 厚 (山内豊策女) |
↓ | ||||
稲葉 正守 | 従四位下 丹後守 |
鉄弥 大学 |
正諶七男 | 1823-42 | ? | 藤堂高崧女 | ↓ | 寺社奉行 | ||||
稲葉 正誼 | 従五位下 丹後守 |
盛徳院 黄雲宗軒 |
栄之進 | 榊原政令七男 | 1842-48 | 1848(22) | − | ↓ | ||||
稲葉 正邦 | 淀藩知事 | 長之助 長門守 美濃守 民部大輔 |
丹羽長富七男 | 1848-71 | 1898(65) | 鏗子 (酒井忠発女) |
↓ 1871廃藩置県 |
老中 子爵 |
氏名 | 官位 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 所司代在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
奥平 信昌 | 従五位下 美作守 |
1600-03 | 加納城(美濃) | |||||||||
板倉 勝重 | 従四位下 侍従 伊賀守 |
長円寺 傑山源英 |
甚平 四郎右衛門 香誉宗哲 |
板倉好重二男 板倉定重 (弟)継嗣 |
1603-20 | 1624(80) | 粟生永勝女 | 1590新封 武蔵国内 1,000石 1601加増 7,610石 1609山城等四国内 16,610石 |
||||
板倉 重宗 | 従四位上 右少将 周防守 |
重統 十三郎 五郎八 又右衛門 |
勝重長男 | 1620-54 | 1656(71) | 成瀬正成女 戸田氏銕女 |
1615新封 6,000石 1620加増 27,000石 1624父の継嗣 前封と合わせ 38,000石 1633加増 50,000石 1656関宿城(下総)転封 |
|||||
牧野 親成 | 従四位下 侍従 佐渡守 |
半右衛門 | 牧野信成二男 | 1654-68 | 1677(71) | 酒井忠勝養女 | 1647関宿城(下総)襲封 17,000石 1654加増 27,000石 1656摂津・河内二国内 32,600石 1668田辺城(丹後)転封 |
|||||
板倉 重矩 | 従四位下 侍従 内膳正 |
1668-70 | 中島(三河) | |||||||||
永井 尚庸 | 従四位下 侍従 伊賀守 |
正源院 覚応賢心 |
大学 | 永井尚政三男 | 1670-76 | 1677(47) | 稲葉正吉女 太田資宗女 |
1658兄・淀藩主 尚征より分家 河内四郡内 20,000石 1670山城等三国内 30,000石 1677没後 1687息子・直敬が 烏山城(下野)転封 |
||||
戸田 忠昌 | 従四位下 侍従 越前守 |
忠治 主膳 伊賀守 |
戸田忠次長男 戸田忠能養子 |
1676-81 | 1699(68) | 秋元富朝女 | 1664富岡城(肥後) 21,000石 1671相模等四国内 1676山城等五国内 31,000石 1681加増 41,000石 1682岩槻城(武蔵)転封 |
|||||
稲葉 正往 | 従四位下 侍従 丹後守 |
稲葉正則長男 | 1681-85 | 1681河内・摂津二国内 30,000石 1683小田原城 (父の継嗣) 先封は収公 |
||||||||
土屋 政直 | 従四位下 侍従 相模守 |
1685-87 | 田中城(駿河) | |||||||||
内藤 重頼 | 従四位下 侍従 大和守 |
無著院 然誉常光 |
弥三郎 若狭守 伊賀守 |
内藤正勝長男 | 1687-90 | 1690(63) | 久世広当女 | 1685大坂城代 摂津等五国内 33,000石 1690没後 1691息子・清枚が 高遠城(信濃)転封 |
||||
松平 信興 | 従四位下 侍従 因幡守 |
天桂院 香山無隠 |
治綱 基綱 信衡 興衡 采女 美濃守 |
松平信綱五男 | 1690-91 | 1691(62) | 青山幸利女 | 1687大坂城代 摂津等三国内 32,000石 1691没後 1692養子・輝貞が 壬生城(下野)転封 |
||||
小笠原 長重 | 従四位下 侍従 佐渡守 |
1691-97 | 吉田城(三河) | |||||||||
松平 信庸 | 従四位下 侍従 紀伊守 |
1697-1714 | 篠山城(丹波) | |||||||||
水野 忠之 | 従四位下 侍従 和泉守 |
1714-17 | 岡崎城(三河) | |||||||||
松平 忠周 | 従四位下 侍従 伊賀守 |
1717-24 | 上田城(信濃) | |||||||||
牧野 英成 | 従四位下 侍従 河内守 |
1724-34 | 田辺城(丹後) | |||||||||
土岐 頼稔 | 従四位下 侍従 丹後守 |
頼俊 内匠 兵部 |
土岐頼殷長男 | 1734-42 | 1744(50) | 松平忠雄女 | 1730大坂城代 摂津等三国内 35,000石 1734京都所司代 1742沼田城(上野)転封 |
|||||
牧野 貞通 | 備後守 (従四位下・ 侍従は以後 本多忠民まで 同じなので 記載省略) |
1742-49 | 延岡城(日向) | |||||||||
松平 資訓 | 豊後守 | 1749-52 | 浜松城(遠江) | |||||||||
酒井 忠用 | 讃岐守 | 1752-56 | 小浜城(若狭) | |||||||||
松平 輝高 | 右京大夫 | 1756-58 | 高崎城(上野) | |||||||||
井上 正経 | 河内守 | 1758-60 | 浜松城(遠江) | |||||||||
阿部 正右 | 伊予守 | 1760-64 | 福山城(備後) | |||||||||
阿部 正允 | 飛騨守 | 1764-69 | 忍城(武蔵) | |||||||||
土井 利里 | 大炊頭 | 1769-77 | 古河城(下総) | |||||||||
久世 広明 | 出雲守 | 1777-81 | 関宿城(下総) | |||||||||
牧野 貞長 | 越中守 | 1781-84 | 笠間城(常陸) | |||||||||
戸田 忠寛 | 因幡守 | 1784-87 | 宇都宮城(下野) | |||||||||
松平 乗完 | 和泉守 | 1787-89 | 西尾城(三河) | |||||||||
太田 資愛 | 備中守 | 1789-92 | 掛川城(遠江) | |||||||||
堀田 正順 | 大蔵大輔 | 1792-98 | 佐倉城(下総) | |||||||||
牧野 忠精 | 備前守 | 1798-1801 | 長岡城(越後) | |||||||||
土井 利厚 | 大炊頭 | 1801-02 | 古河城(下総) | |||||||||
青山 忠裕 | 下野守 | 1802-04 | 篠山城(丹波) | |||||||||
稲葉 正ェ | 丹後守 | 1804-06 | 淀城(山城) | |||||||||
阿部 正由 | 播磨守 | 1806-08 | 忍城(武蔵) | |||||||||
酒井 忠進 | 讃岐守 | 1808-15 | 小浜城(若狭) | |||||||||
大久保 忠真 | 加賀守 | 1815-18 | 小田原城(相模) | |||||||||
松平 乗寛 | 和泉守 | 1818-22 | 西尾城(三河) | |||||||||
内藤 信敦 | 紀伊守 | 1822-25 | 村上城(越後) | |||||||||
松平 康任 | 周防守 | 1825-26 | 浜田城(石見) | |||||||||
水野 忠邦 | 越前守 | 1826-28 | 浜松城(遠江) | |||||||||
松平 宗発 | 伯耆守 | 1828-31 | 宮津城(丹後) | |||||||||
太田 資始 | 備中守 | 1831-34 | 掛川城(遠江) | |||||||||
松平 信順 | 伊豆守 | 1834-37 | 吉田城(三河) | |||||||||
土井 利位 | 大炊頭 | 1837-38 | 古河城(下総) | |||||||||
間部 詮勝 | 下総守 | 1838-40 | 鯖江陣屋(越前) | |||||||||
牧野 忠雅 | 備前守 | 1840-43 | 長岡城(越後) | |||||||||
酒井 忠義 | 若狭守 | 1843-50 | 小浜城(若狭) | |||||||||
内藤 信思 | 紀伊守 | 1850-51 | 村上城(越後) | |||||||||
脇坂 安宅 | 淡路守 | 1851-57 | 竜野城(播磨) | |||||||||
本多 忠民 | 美濃守 | 1857-58 | 岡崎城(三河) | |||||||||
酒井 忠義 (再任) |
従四位上 左少将 若狭守 |
1858-62 | 小浜城(若狭) | |||||||||
松平 宗秀 | 従四位下 侍従 伯耆守 |
1862 | 宮津城(丹後) | |||||||||
牧野 忠恭 | 従四位下 侍従 備前守 |
1862-63 | 長岡城(越後) | |||||||||
稲葉 正邦 | 従四位下 侍従 長門守 |
1863-64 | 淀城(山城) | |||||||||
松平 定敬 | 従四位上 左中将 越中守 |
1864-67 | 桑名城(伊勢) |
(所領に固有の居城を持つ者については、官位と在任年のみ記載したので、詳しくはリンク先を参照されたい)
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
小出 英親 | 従五位下 伊勢守 |
福源院 松渓玄秀 |
助九郎 加賀守 信濃守 対馬守 (致仕後) 意閑 |
小出吉政二男 | 1619-67 | 1668(79) | 1613新封 出石城(但馬) 29,711石 1619園部(丹波) |
||||
小出 英知 | 従五位下 信濃守 |
青春院 快山常慶 |
吉久 宇兵衛 勘兵衛 |
英親長男 | 1667-73 | 1695(78) | ↓ 1667分知 27,711石 |
||||
小出 英利 | 従五位下 伊勢守 |
霊応院 瑞峯義光 |
吉尚 英法 大学 |
英知長男 | 1673-1705 | 1713(55) | ↓ | ||||
小出 英貞 | 従五位下 信濃守 |
泰雲院 一叟紹貫 |
主税 大学 |
英利二男 | 1705-44 | 1744(61) | ↓ 1705分知 26,711石 |
西丸若年寄 | |||
小出 英持 | 従五位下 信濃守 |
青霄院 透嶺義関 |
英重 英長 英智 幾千代 主税 伊勢守 |
英貞長男 | 1744-67 | 1767(62) | ↓ | 若年寄 | |||
小出 英常 | 従五位下 伊勢守 |
霊源院 猷峯紹機 |
英勝 真三郎 |
英持二男 | 1767-75 | 1775(33) | ↓ | 奏者番 | |||
小出 英筠 | 従五位下 信濃守 |
泰盛院 雄道栄岳 |
主税 対馬守 |
英常長男 | 1775-1821 | 1821(48) | ↓ | ||||
小出 英発 | 従五位下 播磨守 |
青峯院 | 主税 信濃守 伊勢守 大和守 |
英筠長男 | 1821-43 | 1862(53) | ↓ | ||||
小出 英教 | 従五位下 信濃守 |
霊教院 | 明之助 加賀守 |
大村純昌二男 | 1843-55 | 1855(27) | ↓ | ||||
小出 英尚 | 園部藩知事 | 主税 伊勢守 |
英教長男 | 1856-71 | 1905(57) | ↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔京極家〕 |
||||||||||||
京極 高三 | 従五位下 修理大夫 |
惣泰院 雲山道徹 |
六丸 | 京極高知三男 | 1622-36 | 1636(30) | 水野忠清女 | 1622宮津藩より分家 田辺(丹後) 35,000石 |
||||
京極 高直 | 従五位下 飛騨守 |
法性院 真廓道保 |
高沖 六丸 |
高三長男 | 1636-63 | 1663(32) | 水野忠善女 | ↓ | ||||
京極 高盛 | 従五位下 伊勢守 |
六丸 | 高直長男 | 1663-68 | 1709(60) | − | ↓ 1663分知 33,000石 1668豊岡(但馬)転封 |
|||||
〔牧野家〕 |
||||||||||||
牧野 親成 | 従四位下 侍従 佐渡守 |
良園院 方誉善朗 哲山 |
半右衛門 | 牧野信成二男 | 1668-73 | 1677(71) | 酒井忠勝養女 | 1656河内・摂津二国内 32,600石 1668田辺城(丹後) 35,000石 |
京都所司代 | |||
牧野 富成 | 従五位下 因幡守 |
覚樹院 心誉清涼 方山 |
教成 大吉 主殿 |
信成八男 | 1673-93 | 1693(66) | 京極高三女 藤波徳忠女 |
↓ | 奏者番 | |||
牧野 英成 | 従四位下 侍従 河内守 |
徳樹院 一誉暁覚 宗山 |
長太郎 佐渡守 讃岐守 因幡守 |
村越直成 (信成十男) 長男 |
1693-1737 | 1741(71) | シゲ (南部行信女) |
↓ | 京都所司代 | |||
牧野 明成 | 従五位下 因幡守 |
浄照院 光誉郭然 達道 |
治成 直次郎 兵部 豊前守 |
英成二男 | 1737-50 | 1750(46) | ヒサ (松平乗邑女) |
↓ | 奏者番 | |||
牧野 惟成 | 従五位下 豊前守 |
嶺松院 信誉操貞 忠山 |
直三郎 | 明成長男 | 1750-83 | 1783(56) | アイ (南部利視女) |
↓ | 寺社奉行 | |||
牧野 宣成 | 従五位下 佐渡守 |
松樹院 仙誉貞幹 宗如忠翁 |
虎次郎 | 惟成五男 | 1783-1804 | 1811(47) | タキ (酒井忠恭女) |
↓ | ||||
牧野 以成 | 従五位下 豊前守 |
崇樹院 徳誉興英 端雄仁山 |
直太郎 (致仕後) 益斎 |
宣成長男 | 1804-25 | 1833(46) | 愛 (内藤政韶女) 鑑 (戸田忠翰女) |
↓ | ||||
牧野 節成 | 従五位下 河内守 |
寛樹院 顕誉泰道 源真清山 |
欽次郎 内匠頭 山城守 |
牧野允成 (宣成二男) 長男 |
1825-52 | 1861(52) | サダ (青山忠裕養女) |
↓ | ||||
牧野 誠成 | 従五位下 豊前守 |
寧斎 | 讃岐守 河内守 |
節成長男 | 1852-69 | 1869(38) | 繁 (九鬼隆徳女) |
↓ | ||||
牧野 弼成 | 舞鶴藩知事 | 錂太郎 内匠頭 |
誠成長男 | 1869-71 | 1924(71) | 弥栄子 (正親町公董女) |
↓ 1869舞鶴藩と改称 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
京極 高通 | 従五位下 主膳正 |
安泰院 定誉雪峯 道山 |
主膳 | 朽木宣綱二男 京極高知養子 |
1622-65 | 1665(63) | 1616新封、武蔵等三国内 3,000石 1622宮津藩より分家 峯山(丹後) 10,000石 計13,000石 |
||||
京極 高供 | 従五位下 主膳正 |
常立院 然誉春山 道栄 |
右近 | 高通長男 | 1666-74 | 1674(52) | ↓ 1666分知 11,644石 |
||||
京極 高明 | 従五位下 主膳正 |
智宏院 仁誉勇叟 道意 |
隼人 備後守 (致仕後) 隼人正 |
高供長男 | 1674-99 | 1726(67) | ↓ | ||||
京極 高之 | 従五位下 主膳正 |
隆源院 天誉碩含 道倫 |
鍋千代 主殿 |
高明長男 | 1699-1723 | 1723(46) | ↓ 1699分知 11,144石 |
||||
京極 高長 | 従五位下 備後守 |
源寥院 廓誉常光 道仙 |
内匠 右近 (致仕後) 主膳正 |
内藤弌信四男 | 1723-65 | 1769(75) | ↓ | ||||
京極 高久 | 従五位下 備中守 |
謙徳院 明誉高久 道徴 |
千之助 右近 主殿 備後守 備前守 |
京極高庭四男 | 1765-1808 | 1808(80) | ↓ | 若年寄 | |||
京極 高備 | 従五位下 上総介 |
広善院 紹誉英叟 道俊 |
千之助 主水 周防守 |
高久長男 | 1808-32 | 1835(79) | ↓ | 若年寄 | |||
京極 高倍 | 従五位下 備前守 |
徳彰院 興誉和順 道融 |
万蔵 主膳 |
高備五男 | 1832-33 | 1833(26) | ↓ | ||||
京極 高鎮 | 大膳 | 教善院 巍誉光赫 道樹 |
富五郎 篤吉 寅之助 |
高備七男 | 1834 | 1834(25) | ↓ | ||||
京極 高景 | 従五位下 右近将監 |
成徳院 行誉高景 道完 |
滝之進 将監 |
松平忠馮六男 | 1834-49 | 1863(53) | ↓ | ||||
京極 高富 | 主膳正 | 啓治郎 備中守 周防守 |
高景長男 | 1849-68 | 1889(55) | ↓ | 若年寄 子爵 |
||||
京極 高陳 | 峯山藩知事 | 采女 備中守 |
京極高紀二男 | 1868-71 | 1893(56) | ↓ 1871廃藩置県 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
九鬼 隆季 | 従五位下 式部少輔 |
太極院 空山了本 |
式部 | 九鬼守隆三男 | 1633-74 | 1678(71) | 1633父の鳥羽(志摩)藩主・ 守隆の遺領を分割、転封 綾部(丹波) 20,000石 1661分知 19,500石 |
||||
九鬼 隆常 | 従五位下 大隅守 |
乾徳院 仁岳了賢 |
杉千代 市正 内匠 |
隆季長男 | 1674-98 | 1698(53) | ↓ | ||||
九鬼 隆直 | 従五位下 豊前守 |
誠諦院 瑞翁了閑 |
政峯 万之助 式部 (致仕後) 長門守 |
松平信定十一男 | 1698-1713 | 1752(66) | ↓ | ||||
九鬼 隆寛 | 従五位下 備後守 |
泰岳院 休翁隆山 |
隆恢 弁之助 大隅守 河内守 |
建部政周三男 | 1713-66 | 1786(83) | ↓ | ||||
九鬼 隆貞 | 従五位下 式部少輔 |
高峯院 雲外隆松 |
猶之助 帯刀 |
隆寛四男 | 1766-80 | 1780(52) | ↓ | ||||
九鬼 隆祺 | 従五位下 大隅守 |
青雲院 花岳了芳 |
鉄吉 | 田沼意次七男 | 1781-87 | 1787(23) | ↓ | ||||
九鬼 隆郷 | 従五位下 式部少輔 |
大通院 智巌紹勝 |
定五郎 | 隆貞五男 | 1787-1808 | 1808(29) | ↓ | ||||
九鬼 隆度 | 従五位下 河内守 |
護国院 寿山宗量 |
定五郎 出雲守 |
隆郷長男 | 1808-22 | 1853(54) | ↓ | ||||
九鬼 隆都 | 式部少輔 | 仙之助 大隅守 |
隆郷二男 | 1822-61 | 1882(82) | ↓ | |||||
九鬼 隆備 | 綾部藩知事 | 延之助 大隅守 |
隆都長男 | 1861-71 | 1897(64) | ↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
(2014.04.30up)
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