京都府の主要大名


   京都府は古く、東南部は山代、西北部は丹波・丹後の国造が支配していましたが、大化の改新で山背(城)国・丹波国となり、713年に丹波から丹後国が分置されました。794年には山城に平安京が造営され、以後1868年まで日本(朝廷)の国都となりました。『延喜式』では山城は8郡、丹波は6郡、丹後は5郡。平安朝期には各地に荘園が混在していました。鎌倉初期には京都に京都守護、のち六波羅探題が置かれ、丹波(守護は北条一門)・丹後(守護は長井家)をも管轄しました南北朝期には足利家が京都に幕府を開き、丹波・丹後は仁木家や山名家などが守護に任じられました。足利義満は室町邸を造営して幕府の政庁とし、山城守護は侍所の管轄となり、南北朝合一後、丹波は細川家、丹後は一色家が守護を世襲しました。戦国期には細川家が管領として京都で足利将軍を補佐しましたが、内紛により被官三好家、さらに松永久秀に実権を掌握され、丹波では波多野家が勢力を拡大しました。織田信長が入京すると三好・松永勢を制圧し、1573年には室町幕府を廃し、丹波を明智光秀、丹後を細川藤孝に与えました。豊臣秀吉は山崎合戦で光秀を滅ぼすと、山城・丹波に中小大名を配置しました。江戸期には幕府の京都所司代・伏見奉行が置かれ、中期以降、山城には淀藩(稲葉家)、丹波(東・中5郡)には亀山藩(形原松平家)など5藩、丹後には宮津藩(本荘松平家)など3藩が配置されました。1871年の廃藩置県により、山城と丹波東4郡とは京都府、丹後と丹波西3郡とは但馬と合併して豊岡県となりましたが、1876年に豊岡県が廃止され、旧丹後および丹波天田郡が京都府に合併され、現在の府域が確定しました。

 山城守護職   丹波守護職   丹後守護職   高家   一色家=丹後守護   伊勢家=政所執事   小笠原(備前守)家   革島家   丹波国主・亀山藩   丹後国主・宮津藩   福知山藩   山家藩=谷家   淀潘   京都所司代   園部藩=小出家   田辺藩/舞鶴藩   峯山藩=京極家   綾部藩=九鬼家 


山城守護職(室町時代)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
(侍所が兼務) 1352-84
山名 氏清 陸奥守 1385-86後
赤松 義則 上総介 -1389
山名 氏清 陸奥守 1389-90
赤松 義則 上総介 1390-91
山名 氏清 陸奥守 1391
畠山 基国 右衛門佐 1392-94
結城 満藤 勘解由左衛門尉・越後守 善仏 1394-96
1396-99
佐々木(京極)高詮 治部少輔入道 浄高 1399
結城 満藤 越後入道 善仏 1399-1402
畠山 基国 右衛門佐入道 徳元 1402-03
高 師英 土佐入道 祥全 1404-16後
一色 義貫(義範) 兵部少輔・兵部大輔・左京大夫 1418前-21
佐々木(京極)高数 加賀守 1421-23後
佐々木(京極)持光 三郎・治部少輔 1424前-28
畠山 満家 左衛門督入道 道端 1428-33
畠山 持国 尾張守 1433-34
一色 義貫 修理大夫 1434-36
赤松 満祐 大膳大夫入道 性具 1436-39後
山名 持豊 右衛門佐 1440前-41
佐々木(京極)持清 中務少輔・大膳大夫 1441-47
一色 教親 左京大夫 1447-49後
畠山 持国 右衛門督入道 徳本 1450前-55
畠山 義就(義夏) 右衛門佐 1455-60
畠山 政長 弥次郎・尾張次郎・尾張守 1460-64
山名 是豊 弾正忠 1464-68後 1468よりは東幕府
山名 政豊 弾正少弼・右衛門督 1474-78 東幕府
畠山 義就 右衛門佐 1468-77 西幕府
大内 政弘 新介・左京大夫 1470-77 西幕府・南三郡
畠山 政長 左衛門督 1478-83
畠山 義就 右衛門佐 1482-85 南三郡を実力支配
山城国一揆 1485-93 南三郡
伊勢 貞陸 兵庫助・備中守 1486-97後 1493以前は北五郡
細川 政元 右京大夫・武蔵守 ?-1507
大内 義興 左京大夫 1508-18
細川 高国 右京大夫・武蔵守 道永(常桓) 1509-17
1518-27
1509-17乙訓・愛宕二郡
細川 晴元 六郎・右京大夫 1527-49


丹波守護職(室町時代)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
仁木 頼章 伊賀守・兵部大輔 1336-43
上杉 朝定 弾正少弼 1336-43 天田郡・何鹿郡
山名 時氏 前伊豆守 1343-51
仁木 頼章 兵部大輔・左京大夫 1351-59
仁木 頼夏 中務少輔 1359-60
仁木 義尹 三郎・兵部大輔 1361-63
山名 時氏 左京大夫 道静 1364-71
山名 氏清 民部少輔・陸奥守 1371-91
細川 頼元 右京大夫 梵栄 1392-97
細川 満元 右馬助・右京大夫 道歓 1397-1426
細川 持元 右馬助・右京大夫 常秀 1426-29
細川 持之 中務少輔・右京大夫 常喜 1429-42
細川 勝元 右京大夫 1442-73
細川 政元 聡明丸・九郎・右京大夫 1473-1506
細川 澄之 九郎 1506-07
細川 澄元 六郎・右京大夫 1507-08
細川 高国 右京大夫 1508-20
細川 澄元 右京大夫 1520
細川 高国 右京大夫 1520-25
細川 稙国 六郎 1525
細川 高国 右京大夫 道永・常桓 1525-31
細川 晴元 右京大夫 1532-52
細川 氏綱 右京大夫 1552-?


丹後守護職(室町時代)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
今川 頼貞 駿河守 1336
荒川 詮頼 三河守 ?-1337
上杉 朝定 弾正少弼 1337-38
今川 頼貞 駿河守 1339
山名 時氏 伊豆前司 1341-50
上野 頼兼 左馬助 1350-51
仁木 頼章 兵部大輔 1351-?
高 師詮 武蔵左近大夫将監 1352-53
仁木 頼勝 弾正少弼 1353-60
渋川 義行 右兵衛佐 1363
山名 師義 右衛門佐 道興 1364-70
山名 義幸 五郎・民部少輔・讃岐守 1374-81
山名 満幸 弾正少弼 1385
山名 義幸 讃岐守 1387
山名 満幸 播磨守 1389-91
一色 満範 右馬頭 道範 1392-1409
一色 義範(義貫) 五郎・兵部少輔・左京大夫・修理大夫 1409-40
一色 教親 五郎・左京大夫 1440-51
一色 義直 千徳丸・左京大夫 1451-67
摂津 之親 修理大夫 1468-? 与謝郡
細川 政国 右馬頭 1469-74 与謝郡
武田 信賢 大膳大夫 宗武 1469-71
武田 国信 治部少輔・大膳大夫 1471-74
(以後は一色家の欄を参照)


高(こう)家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
大高 惟頼 大高大夫 高階惟章男 11C後半 足利荘内(下野)
高 惟真 新五郎 惟貞? 惟頼男
高 惟範 滝口 惟章 惟真男
高 惟長 刑部丞 惟範長男 1183?
高 惟重 刑部丞 次郎 惟長長男 1221
高 義定 刑部左衛門尉
1221近江国内にも所領
高 重氏 刑部次郎左衛門尉 重円 松本入道 惟重二男 1247後-?
高 師氏 右衛門尉 心仏 重氏長男 ?-1324 1324
額田郡(三河)内にも所領
高 師行 太郎左衛門尉 太田原 師氏長男
高 師秋 土佐守 太郎左衛門尉
美作守
師行長男 ?-1351後
1351以降未詳
1338-42
伊勢守護
高 師有 陸奥守 師秋五男 ?-1364 1364 未詳 1362前-63
関東管領
高 師英 土佐守 祥全 師有男 1364-1418後 足利荘内 1404-16後
山城守護
(途中未詳)
高 師長 師英曽孫 1459前後 (諸国守護により
所領が被奪?)

   【師重流高家】
高 師重 右衛門尉 貞忍 師継
豊前権守
師氏二男 1343 未詳
高 師直 武蔵守 真如寺
道常
五郎
右衛門尉
三河権守
師重三男 ?-1351 1351 1335前-49
1349-51
執事
高 師冬 播磨守 四郎左衛門尉
三河守
師行五男
師直猶子
1351 1339前-44後
1350前-51
関東管領
高 師詮 左近大夫将監 播磨守 師直長男 1351-53 1353 未詳
1353滅亡

   【師泰流高家】
高 師泰 越後守 道昭 四郎
刑部丞
尾張守
師重四男 ?-1351 1351 未詳 1337前-38後
越後守護
1339前-40後
尾張守護
1347-49
河内・和泉守護
1350備後守護
高 師世 左近大夫将監 師泰二男 1351
高 師秀 尾張守 次郎
刑部丞
師泰三男 1351-? 1352前-53後
河内守護
(途中の
事績未詳)
高 師為 尾張守 二郎 師秀玄孫 (備前国内?)
高 師繁 越後守 弥二郎
刑部大輔
師為男 (↓)
高 師宣 刑部大輔 孫三郎
越後守
和泉守
師繁男 1531 (↓)
(以後未詳)


一色家=丹後守護

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
一色 公深 宮内卿法印 宝持寺 一色阿闍利 足利泰氏七男 14C初頭 今川国氏女 幡豆郡一色(三河)
一色 範氏 宮内少輔 大興寺
古峯道猷
太郎 公深長男 1369? 1336-46
鎮西管領
一色 直氏 右京大夫 智光寺 宮内少輔
左京大夫
範氏長男 ?-1358後 1346-61前
鎮西管領
一色 範光 修理大夫 慈雲寺
徳翁信伝
範宗
五郎
右馬権頭
兵部少輔
範氏二男 1358後-88 1388 1366-88
若狭守護
1379-88
三河守護
一色 詮範 従四位下
左京大夫
長慶寺
大勇信将
兵部少輔
右馬頭
範光長男 1388-1406 1406 侍所頭人
若狭・三河守護
一色 満範 従四位下
修理大夫
慈光院
古天道範
兵部少輔
右馬頭
詮範長男 1406-09 1409 若狭・三河守護
1392-1406
丹後守護
一色 義貫 修理大夫 安養寺
泰雲
義範
直信
五郎
兵部少輔
左京大夫
満範二男 1409-40 1440(41) 侍所頭人
若狭・三河・
丹後守護
一色 教親 左京大夫 成就院 義季
五郎
一色持信
(満範三男)
長男
1440-51 1451(33) 丹後国内に
本拠を移す
侍所頭人
丹後・伊勢北
半国守護
一色 義直 従四位下
修理大夫
義長
千徳丸
左京大夫
義貫長男 1451-74後
1468失領
1451-67
丹後・伊勢北
半国守護
一色 義春 左京大夫 五郎 義直長男 1474後-84 1484(19) 山名教豊女
1474回復
八田城(丹後)
1474-84
丹後守護
1479-84
伊勢北半国守護
一色 義秀 五郎 西禅寺 周儀侍者 義直二男 1484-98 1498 丹後守護
一色 義有 左京大夫 義季 一色義遠
(義貫二男)
の男
1498-1514後 丹後守護
一色 義幸 左京大夫? 義有男
(一説には
教親男)
1514後-58
一色 義道 式部大夫 左京大夫? 義幸男 1558-79 1579
1579失領
一色 義定 五郎 義俊
義信?
義道男 1579-82 1582 細川藤孝女 1579弓木城(丹後)
一色 義清 越前守 義幸男 1582 1582
1582滅亡


伊勢家=政所執事

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
伊勢 俊継 従五位上
伊勢守
豊前守 平俊経男 13C前半 上総国内
伊勢 盛継 四品
左衛門尉
禅勝 俊継男
伊勢 貞継 従五位上
伊勢守
広禅寺
友峯昭禅
十郎
勘解由左衛門尉
盛継三男 1333?-91 1391(83)
後、山城国内
に本拠を置く
1379-91
政所執事
伊勢 貞信 従五位上
伊勢守
知光院
松淵常貞
七郎
左衛門尉
伊勢頼継
(盛継二男)
の男
1391-1401 1401(60) 蜷川親心女 政所執事
伊勢 貞行 従五位上
侍従
伊勢守
思恩院
心巌常誠
十郎
兵庫助
尾張守
貞信長男 1401-10 1410(53) 木曽某の女 政所執事
大和吉野郡守護
伊勢 貞経 従四位下
侍従
伊勢守
勢元 十郎
勘解由左衛門尉
兵庫頭
貞行長男 1410-31 1432 政所執事
大和吉野郡守護
伊勢 貞国 従四位上
伊勢守
深心院
真蓮
貞慶?
備中守
兵庫助
貞行二男 1431-54 1454 蜷川親俊女 大和吉野郡守護
1431-49
政所執事
伊勢 貞親 従四位上
伊勢守
聴松院
悦堂常慶
兵庫助
備中守
貞国長男 1454-66 1473(57) 大和吉野郡守護
1460-66
政所執事
伊勢 貞宗 従四位上
伊勢守
金仙寺
常安全宝
七郎
兵庫助
備中守
貞親長男 1466-1509 1509(66) 蜷川親吉女 大和吉野郡守護
1466-90
政所執事
伊勢 貞陸 従四位上
伊勢守
勝蓮院
常照光岳
貞綱
七郎
兵庫助
備中守
汲古斎
貞宗長男 1509-21 1521(59) 大和吉野郡守護
1490-1521
政所執事
1493-1507前
山城守護
伊勢 貞忠 従四位上
伊勢守
宝蓮院
常隆大盛
貞霽
七郎
兵庫助
備中守
貞陸長男 1521-35 1535(53) 政所執事
大和吉野郡守護
伊勢 貞孝 従四位上
伊勢守
梅竹院
宗友松岳
又三郎
兵庫助
備中守
伊勢貞辰
(貞国曽孫)
二男
1535-62 1562
1562攻殺
政所執事
伊勢 貞良 兵庫頭 建光院
紹良賢叟
小法師
十郎
貞孝長男 1562 1562攻殺
中絶
伊勢 貞為 兵庫頭 瑞芳院
天悦空西
貞安
貞景
虎福丸
空斎
貞良長男 1573前-81? 1609(51) 岸章憲女 再興
1573織田信長に
降伏、所領(京都
近傍)安堵
伊勢 貞興 三郎 即心院
夢岳常幻
熊千代
与三郎
貞良二男 1581?-82 1582(21) 明智光秀女
1582滅亡
伊勢貞衡(貞為の男)が1637年に江戸幕臣となり、子孫は旗本として1,000石を知行。

   【貞長流伊勢家】
伊勢 貞長 因幡守 照心 左衛門尉 貞信二男 1434 宇治近傍?(山城) 申次衆
伊勢 貞道 駿河守 照安 貞高
五郎
貞長四男 申次衆
伊勢 盛時 新九郎 (早雲寺) 伊勢盛定
(盛継曽孫)
の男
1519(88)
1487興国寺城
(駿河)へ移転
(→後北条家
申次衆


小笠原(備前守)家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
小笠原 貞長 彦次郎 小笠原宗長二男 14C前半 (京都近傍?)
小笠原 長高 美濃守 六郎二郎 貞長男
小笠原 氏長 備前守 又六
弓太郎
長高男
小笠原 満長 民部少輔 興元 又六 氏永男
小笠原 持長 又六 心源 満長男
小笠原 持清 備前守 大中 又六 持長男
小笠原 政清 備前守 宗住 持清男
小笠原 尚清 民部少輔 政清男
小笠原 稙盛 従五位下
備前守
尚清男 ?-1565 1565
1565失領
小笠原 秀清 備前守 隆心院
功岩道忠
少斎
又六
庄右衛門
民部少輔
稙盛男 1580前-1600 1600 1580前 丹後国内
500石
細川家客分
小笠原 長光 備前 慈雲院
信嶺宗芭
長貞
又六
民部
秀清長男 1600-60 1660 1600豊前国内 累増
5,000石に至る
1632肥後国内 加増
6,000石
細川家臣
小笠原長之(長光長男)以降、細川家重臣(備頭級)として、代々6,000石を知行。


革島家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
革島 仲安 次郎左衛門尉 亀鶴丸
政次郎
佐竹一族 1312前後 革島南荘(山城)
革島 憲安 阿闍梨 幸円 仲安男
革島 幸政 三郎左衛門尉 憲安男 1326-38後
革島 景安 次郎三郎 幸政男 1350頃
革島 光安 左衛門尉 壱宝 景安男
革島 秀安 中務大輔 光安男 1385-1417後
革島 貞安 弥七郎 秀安男 1427前-?
革島 政安 新五郎 宗心 肥前守 貞安男
革島 親宣 勘解由左衛門尉 政安男
革島 泰宣 従五位下
肥前守
鏡晴道宗 勘解由左衛門尉 親宣男 1487後-1534 1535(80)
革島 就宣 又次郎 花岳玄徳 泰宣男 (未相続) 1520
革島 一宣 越前守 陽岑宗和 新五郎
左衛門尉
就宣男 1534-81 1581
1565失領
1570復帰
革島 秀存 市之助 花徳宗空 一宣男 1581-82 1582 1582没後失領
弟・忠宣が郷士となり家名存続
600石で鷹司家奉仕


丹波国主・亀山藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔明智家(丹波国主)〕
明智 光秀 日向守 咲庵
明窓玄智
十兵衛 明智光隆男 1579-82 1582(55?) 妻木某の女 1571坂本城(近江)
1579亀山城
(丹波一国)
1582滅亡

   〔羽柴(秀勝)家(丹波国主)〕
羽柴 秀勝 従三位
権中納言
瑞林院
賢岩才公
於次 織田信長四男
羽柴(豊臣)秀吉
の養子
1582-85 1585(18) 1582新封
亀山城(丹波一国)
1585無嗣
羽柴 秀勝 従四位下
少将
小吉 三好吉房二男
豊臣秀吉養子
1585-87 1592(24)
(浅井長政女)
1585新封、亀山城
1587違令除封
1589越前国内復封
1591岐阜城(美濃)

   〔前田家〕
前田 玄以 民部卿法印 徳善院
天涼以公
基勝
半夢斎
出自未詳 1587?-1602 1602(64) 村井貞勝女 1587?新封、亀山城
50,000石
(豊臣家)
奉行
前田 茂勝 従五位下
主膳正
コンスタンチン
(霊名)
彦四郎 玄以二男 1602 1621(40) 1602八上城
(丹波)転封

   〔岡部家〕
岡部 長盛 従五位下
内膳正
半弥
弥次郎
岡部正綱長男 1609-21 1632(65) 松平清宗女
松平康元女
1584駿河・甲斐
二国内
所領襲封
1590山崎(下総)
12,000石
1609亀山城
32,000石
後、加増
34,000石
1621福知山城
(丹波)転封

   〔松平(大給)家〕
松平 成重 従五位下
右近将監
見樹院
覚誉円徹
松千代
五左衛門
松平一生長男 1621-33 1633(40) 安藤重信女
松平康元女
1617西尾城(三河)
20,000石
1621亀山城
22,200石
松平 忠昭 主税之助 太郎左衛門 成重二男 1633-34 1693(77)
1634亀川
(豊後)転封

   〔菅沼家〕
菅沼 定芳 従五位下
織部正
大虚院
無参円徹
定好
向丸
左近
菅沼定盈六男
定仍(兄)継嗣
1634-43 1643(57) 松平康元女
三好一任養女
1606襲封
1621膳所城(近江)
31,100石
1634亀山城
41,100石
菅沼 定昭 従五位下
左近将監
浄寂院
傑叢全英
左近 定芳長男 1643-47 1647(23) 1643分知
38,000石
1647無嗣
弟・定実が継嗣
新城(三河)
7,000石

   〔松平(藤井)家〕
松平 忠晴 従五位下
伊賀守
善得院
良光忠山
与吉郎 松平信吉二男 1648-67 1669(72) 杉原長房女 1644掛川城(遠江)
30,000石
1648亀山城
38,000石
大番頭
松平 忠昭 従五位下
伊賀守
普光院
勇哲存秀
千太郎
内蔵允
権佐
玄蕃頭
忠晴二男 1667-83 1683(40) 松平忠国女
松平 忠周 従五位下
伊賀守
忠易
忠徳
忠栄
与十郎
阿波守
忠晴三男 1683-86 1728(68) 松平定時養女
米倉昌明養女

1686岩槻城
(武蔵)転封
若年寄

   〔久世家〕
久世 重之 従五位下
出雲守
勝之助 久世広之三男 1686-97 1720(61) 土井利房女 1683庭瀬(備中)
50,000石
1686亀山城
1697吉田城
(三河)転封
奏者番

   〔井上家〕
井上 正岑 従五位下
大和守
正通
巳之助
民部
井上正任二男 1697-1702 1722(70) 松平頼純女 1693郡上城
(美濃)襲封
47,000石
1697亀山城
1702下館城
(常陸)転封
若年寄

   〔青山家〕
青山 忠重 従五位下
因幡守
真正院
清休義泉
冬松
喜大夫
下野守
青山宗俊三男
青山忠雄養子
1702-22 1725(69) 青山幸道女
青山幸実女
1685浜松城
(遠江)襲封
50,000石
1702亀山城
青山 俊春 従五位下
因幡守
玉雲院
栄岳紹適
宗忠
俊重
冬之助
下野守
忠重四男 1722-30 1730(31)
青山 忠朝 従五位下
因幡守
幸堅
忠知
七三郎
刑部
伯耆守
青山幸督二男 1730-48 1760(53) 榊原政邦女
1748篠山城
(丹波)転封
奏者番

   〔松平(形原)家〕
松平 信岑 従四位下
紀伊守
宏源院
周誉道慧
得雄
九十郎
又七郎
佐渡守
松平信庸長男 1748-63 1763(68) 内藤義孝女
内藤義英女
内藤清枚女
1717篠山城
(丹波)襲封
50,000石
1748亀山城
寺社奉行
松平 信直 従五位下
紀伊守
霊徳院
寛誉興仁
双峰
豊五郎
又七郎
佐渡守
(致仕後)
主計頭
松平庸倫
(信庸二男)
長男
1753-81 1786(55) 松平光雄女
松平 信道 従五位下
紀伊守
誠敬院
天誉性山
寂円
又七郎
采女正
若狭守
信直長男 1781-91 1791(30) 松平定静女 寺社奉行
松平 信彰 従五位下
紀伊守
俊徳院
高誉賢勝
勇哲
道宜
信賢
金次郎
又七郎
信道長男 1791-1802 1802(21) 美和
(松平忠告女)
松平 信志 従五位下
紀伊守
浄徳院
麗誉殊持
無称
庸行
喜内
又七郎
松平庸孝
(庸倫二男)
二男
1802-16 1816(32)
(松平定信養女)
松平 信豪 従五位下
紀伊守
敬徳院
泰誉濬哲
淡亭
英之助
(致仕後)
図書頭
信志長男 1816-43 1865(52) 賢亮
(酒井忠実女)
松平 信義 従四位下
侍従
豊前守
庸謹
信篤
但馬守
紀伊守
松平庸煕長男 1843-66 1866(43) 太田資煕女 老中
松平 信正 亀岡藩知事 又七郎
図書頭
信豪七男 1866-71 1909(58) 植子
(宗義和女)

1869亀岡藩と改称
1871廃藩置県
子爵
貴族院議員


丹後国主・宮津藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔細川家(丹後国主)〕
長岡 藤孝 従四位下
侍従
兵部大輔
二位法印
泰勝院
徹宗玄旨
幽斎
万吉
与一郎
三渕晴員二男
(細川元常養子)
1580-82 1610(77) 麝香
(沼田光兼女)
1568勝竜寺城(山城)安堵
1580宮津城(丹後一国)
141,400石
細川 忠興 従四位下
侍従
越中守
熊千代
与一郎
藤孝長男
(細川輝経養子)
1582-1600 1645(83)
(明智光秀女)

1600中津城(豊前)転封

   〔京極家〕
京極 高知 従四位下
侍従
丹後守
瑞泰院
真巌道可
長寿
修理亮
修理大夫
京極高慶二男 1600-22 1622(51) 織田信澄女
毛利秀頼女
1593飯田城(信濃)
1595加増
100,000石
1600宮津城
123,175石
京極 高広 従四位下
侍従
丹後守
安智院
天真一道
高政
采女
采女正
(致仕後)
道愚
高知二男 1622-54 1677(79) 茶々
(池田輝政女)

1622分知
78,175石
京極 高国 従四位下
侍従
丹後守
淵竜寺
静山宗光
高照
高好
仙千代
山城守
高広長男 1654-66 1675(60) 千菊
(伊達政宗女)

1666内訌改易

   〔永井家〕
永井 尚征 従五位下
右近大夫
竜谷院
雲山宗関
大膳 永井尚政長男 1669-73 1673(60) 長菊
(毛利秀元女)
1658淀城(山城)襲封
73,600石
1669宮津城
永井 尚長 従五位下
信濃守
霄空院
天永尚長
伝三郎
土佐守
尚征三男 1674-80 1680(27) 青山宗俊女
1680被殺改易
弟・直円が継嗣、
新庄領内(大和)

   〔阿部家〕
阿部 正邦 従五位下
対馬守
正盛
作十郎
阿部定高二男 1681-97 1715(58)
(山内豊昌女)
1671岩槻城(武蔵)襲封
99,000石
1681宮津城
1697宇都宮城(下野)転封

   〔奥平家〕
奥平 昌成 従五位下
大膳大夫
昌春
熊太郎
奥平昌章二男 1697-1717 1746(53) 阿部正喬女 1695宇都宮城(下野)襲封
90,000石
1697宮津城
1717中津城(豊前)転封

   〔青山家〕
青山 幸秀 従五位下
大膳亮
覚樹院
了雄忠山
幸侶
成英
藤次郎
青山幸督長男 1717-44 1744(49) 本多康慶女 1711飯山城(信濃)
48,000石
1717宮津城
青山 幸道 従五位下
大膳亮
鎌次郎
主計
幸秀三男 1744-58 1779(55) 松平光慈女
1758郡上城(美濃)転封

   〔松平(本庄)家〕
松平 資昌 富之助 真岳院
春誉大廓
覚然
豊之助 松平資訓四男 1758-61 1762(19) 1752浜松城(遠江)襲封
70,000石
1758宮津城
松平 資尹 従五位下
大隅守
俊徳院
乾誉慈秀
和順
定八郎 酒井忠寄七男 1761-65 1765(20)
松平 資承 従五位下
伯耆守
最勝院
顕誉義性
本然
富次郎
豊後守
(致仕後)
因幡守
松平正温三男 1765-96 1800(52)
(浅野宗恒女)
寺社奉行
松平 宗允 従五位下
大隅守
昇安院
常誉寂照
怛然
資貞
資允
富次郎
本蔵
伯耆守
松平資承二男 1796-1808 1816(35) 季民
(松平輝和女)
松平 宗発 従四位下
侍従
伯耆守
宏道院
粛誉明感
義方
資恭
富次郎
松平資承三男 1808-40 1840(59) 牧野康儔女 老中
松平 宗秀 神宮大宮司
中教正
秀次郎
図書頭
伯耆守
丹後守
宗允三男 1840-66 1873(65) 松平乗全女
偶子
(大久保忠真女)
盈子
(松平輝延女)
老中
本荘 宗武 宮津藩知事
(廃藩後)
籠神社宮司
武通麿
伊予守
弾正忠
伯耆守
宗秀五男 1866-71 1893(48) 波子
(牧野誠成女)

1871廃藩置県
子爵


福知山藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔小野木家〕
小野木 重勝 従五位下
縫殿助
松樹院
慮宗貞岳
重次
公郷
清次郎
出自未詳 1587?-1600 1600 島清興女 1587?新封
福知山城(丹波)
31,000石
1600関が原の
戦後、廃絶

   〔有馬家〕
有馬 豊氏 従五位下
玄蕃頭
万助 有馬則頼二男 1600-20 1642(74)
(松平康直女・
徳川家康養女)
1595新封
横須賀城(遠江)
30,000石
1600福知山城
60,000石
1602三田領加増
80,000石
1620久留米城
(筑後)転封

   〔岡部家〕
岡部 長盛 従五位下
内膳正
半弥
弥次郎
岡部正綱長男 1621-24 1632(65) 松平康元女 1609亀山城
(丹波)
34,000石
1621福知山城
50,000石
1624大垣城
(美濃)転封

   〔稲葉家〕
稲葉 紀通 従五位下
淡路守
顕竜院
陶雲祚晴
通吉
大夫
稲葉道通二男 1624-48 1648(46) 松平忠明女 1607田丸城
(伊勢)襲封
45,700石
1616中島(摂津)
1624福知山城
1648被疑自殺
改易

   〔松平(深溝)家〕
松平 忠房 従五位下
主殿頭
五郎八 松平忠利長男 1649-69 1700(82) 鍋島勝茂女 1632吉田城
(三河)襲封
30,000石
同年、刈谷城
(三河)
1649福知山城
45,900石
1669島原城
(肥前)転封

   〔朽木家〕
朽木 稙昌 従五位下
伊予守
隆徳院
馨隠自香
季綱
弥五郎
縫殿助
朽木稙綱長男 1669-1708 1714(72)
(岡部宣勝女)
1661土浦城
(常陸)襲封
27,000石
1669福知山城
32,000石
奏者番
朽木 稙元 従五位下
民部少輔
鏡心院
清源湛水
左近
帯刀
稙昌長男 1708-21 1721(58) 秋元喬知女 奏者番
朽木 稙綱 従五位下
伊予守
玄興院
健巌良性
稙富
吉三郎
大膳
稙元長男 1721-26 1726(17)
朽木 稙治 従五位下
土佐守
常智院
孤峯無住
万吉
采女
(致仕後)
英山
稙昌二男 1726-28 1741(77) 小姓組番頭
朽木 玄綱 従五位下
土佐守
徳温院
俊山良哲
岩之助
舎人
出羽守
松平乗紀五男
(稙昌外孫)
1728-70 1770(62) 内藤清枚女 寺社奉行
朽木 綱貞 従五位下
大炊頭
寂了院
文英兼光
万五郎
内記
出羽守
(致仕後)
星橋
朽木廸綱
(稙昌六男)
長男
1770-80 1788(76)
朽木 舗綱 従五位下
伊予守
徳寿院
本覚桃源
了泰
千之助
舎人
玄綱二男 1780-87 1787(58)
朽木 昌綱 従五位下
近江守
不見院
相外直了
宗非
斧次郎
左門
隠岐守
(致仕後)
竜橋
綱貞二男 1787-1800 1802(53) 幾万
(松平宗衍女)
本多助盈女
伊東長詮女
朽木 倫綱 従五位下
土佐守
義運院
忠山成功
周三郎
千之助
舎人
舗綱二男 1800-02 1802(33)
(松平直紹女)
奏者番
朽木 綱方 従五位下
土佐守
泰運院
寿山椿齢
肥児太郎
(致仕後)
和竜
昌綱二男 1803-20 1838(53) 松平資承女
朽木 綱条 従五位下
隠岐守
宝鑑院
格心全忠
鉄五郎 倫綱長男 1820-36 1836(36)
(松平輝延女)

(松平定信養女)
奏者番
朽木 綱張 従五位下
近江守
錦光院
成徳惟馨
忠共
彦次郎
河内守
本多康禎二男 1836-67 1867(52) 健(綱方女)
伸子
(本多助賢女)
奏者番
朽木 為綱 福知山藩知事 釾吉
伊予守
近江守
綱張長男 1867-71 1883(39) 恒子
(米倉昌寿女)
郁子
(青山忠良女)

1871廃藩置県
子・綱貞の
とき子爵


山家藩=谷家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
谷 衛友 従五位下
出羽守
常照院
心翁荒鉄
甚太郎 谷衛好三男 ?-1627 1627(65) 1588前、何鹿郡内(丹波)襲封
1600山家に居所
16,000石
谷 衛政 従五位下
大学頭
祥鳳寺
乾徳道輝
牛之助
大学助
衛友四男 1628-62 1662(65)
1628分知
10,082石
谷 衛利 甚九郎 智長院
了然宗廓
衛政長男 (早世) 1652(39)
谷 衛広 従五位下
出羽守
日新寺
節岩源忠
助十郎 衛利長男 1663-89 1689(46)
谷 照憑 従五位下
播磨守
偃蓋院
鶴仙至白
広頼
鶴千代
右京
大学
衛広二男 1690-1717 1754(81)
谷 衛ミチ
〔「行」の真
中に「童」〕
従五位下
出羽守
天性院
廓公了無
勝千代
右京
照憑長男 1717-62 1763(64)
谷 衛将 大学 本覚院
泰雲元明
勝千代 衛ミチ長男 1762-64 1764(37)
谷 衛秀 従五位下
播磨守
天柱院
庸学万中
鶴次郎
図書
衛ミチ二男 1764-80 1780(52)
谷 衛量 従五位下
播磨守
恭温院
徳峯道馨
鶴太郎
大学頭
出羽守
衛秀三男 1780-1801 1801(37)
谷 衛万 従五位下
大学頭
大慈院
泰巌紹猷
房之助 衛量長男 1801-16 1816(21)
谷 衛弥 従五位下
右京亮
凌霄院
玉鳳浄瑛
慱作 衛量二男 1816-20 1820(24)
谷 衛昉 出羽守 義翁 鷹之助 青木一貞二男 1820-45 1884(74)
谷 衛弼 従五位下
播磨守
良鑑院
義峯宗賢
弘三郎 本多康禎三男 1845-55 1855(34)
谷 衛滋 山家藩知事 誠三郎 松平頼説五男 1855-71 1875(59)
1871廃藩置県
子・寿衛のとき子爵


淀藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔木村家〕
木村 重茲 常陸介 常照院
重高
隼人正
定光
重高
木村定重男 1592-95 1595 青木氏
(「宮内卿局」)
1585越前府中城
120,000石
1592淀城
(=淀古城。山城)
180,000石
1595豊臣秀次に
連座して賜死

   〔松平(久松)家〕
松平 定綱 従五位下
越中守
定信
亀松
三郎四郎
松平定勝三男 1625-33 1651(60) 浅野長政女 1619掛川城(遠江)
35,000石
1625淀城(山城)
1633大垣城(美濃)転封

   〔永井家〕
永井 尚政 従四位下
信濃守
宝林寺
崑山
伝八郎
(致仕後)
信斎
永井直勝長男 1633-58 1668(82) 内藤清成女 1626古河城(下総)襲封
89,100石
1633淀城
100,000石
老中
永井 尚征 従五位下
右近大夫
大膳 尚政長男 1658-69 1673(60) 長菊
(毛利秀元女)

1658分知
73,600石
1669宮津城(丹後)転封

   〔石川家〕
石川 憲之 従四位下
主殿頭
方円院
泰恵日周
昌勝
千勝
宗十郎
石川廉勝長男
石川総慶
(祖父)継嗣
1669-1706 1707(74) 梅園実清女 1651亀山城(伊勢)
50,000石
1669淀城
60,000石
石川 義孝 従五位下
主殿頭
義孝院
日意
昌信
主税
越前守
憲之二男 1706-10 1710(52) 北条氏治女
石川 総慶 宗十郎 石之助 石川勝之
(憲之孫)
長男
1710-11 1764(61) 久世重之女
1711松山城(備中)転封

   〔松平(戸田)家〕
松平 光煕 従五位下
丹波守
宝雲院
徳翁良泰
千虎
孫四郎
河内守
松平光永長男 1711-17 1717(44) 阿部正武女 1705加納城(美濃)襲封
60,000石
1711淀城
松平 光慈 孫四郎 三之助 光煕三男 1717 1732(21)
1717鳥羽城(志摩)転封

   〔松平(大給)家〕
松平 乗邑 従五位下
左近将監
乗益
源次郎
和泉守
松平乗春長男 1717-23 1746(61) 土屋政直女 1710亀山城(伊勢)
60,000石
1717淀城
1723佐倉城(下総)転封
老中

   〔稲葉家〕
稲葉 正知 従四位下
丹後守
万祥院
瑞山紹運
宇右衛門
美濃守
長門守
稲葉正往二男 1723-29 1729(45) 須免
(小笠原忠雄女)
今村某の女
1707佐倉城(下総)襲封
102,000石
1723淀城
稲葉 正任 従五位下
美濃守
瑞信院
天祥自沢
惣兵衛 正知三男 1729-30 1730(17)
稲葉 正恒 玄蕃 剛節院
俊山浄松
平左衛門 稲葉正倚
(正往弟)
三男
1730 1730(25) 喜久子
(毛利元次女)
稲葉 正親 従四位下
佐渡守
大義院
徹山道機
正命
式部
越中守
大田原晴川男 1730-34 1734(43) 稲葉正直養女 大坂城代
稲葉 正益 従四位下
丹後守
温良院
恭道義倹
正甫
大学
内匠頭
正親長男 1734-71 1771(54) 琨子
(伊達吉村女)
丹羽高寛女
寺社奉行
稲葉 正弘 従五位下
美濃守
純正院
厚岳道裕
大学
宇右衛門
佐渡守
正益長男 1771-73 1773(27)
(松平容貞女)
稲葉 正諶 従四位下
侍従
丹後守
寛量院
仁翁義勇
幸之助
図書
兵部
正益二男 1773-1806 1806(58) 五百
(松平宗衍女)
京都所司代
稲葉 正備 従四位下
丹後守
葆光院
天瑞紹祐
定之助
長門守
正諶二男 1806-15 1815(37) 嘉代
(阿部正倫女)
稲葉 正発 従五位下
対馬守
麟松院
孝岳仁穎
定之助 正備長男 1815-23 1823(23)
(山内豊策女)
稲葉 正守 従四位下
丹後守
鉄弥
大学
正諶七男 1823-42 藤堂高崧女 寺社奉行
稲葉 正誼 従五位下
丹後守
盛徳院
黄雲宗軒
栄之進 榊原政令七男 1842-48 1848(22)
稲葉 正邦 淀藩知事 長之助
長門守
美濃守
民部大輔
丹羽長富七男 1848-71 1898(65) 鏗子
(酒井忠発女)

1871廃藩置県
老中
子爵


京都所司代 (江戸時代)

氏名 官位 法名/号 他の名 続柄 所司代在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
奥平 信昌 従五位下
美作守
1600-03 加納城(美濃)
板倉 勝重 従四位下
侍従
伊賀守
長円寺
傑山源英
甚平
四郎右衛門
香誉宗哲
板倉好重二男
板倉定重
(弟)継嗣
1603-20 1624(80) 粟生永勝女 1590新封 武蔵国内
1,000石
1601加増
7,610石
1609山城等四国内
16,610石
板倉 重宗 従四位上
右少将
周防守
重統
十三郎
五郎八
又右衛門
勝重長男 1620-54 1656(71) 成瀬正成女
戸田氏銕女
1615新封
6,000石
1620加増
27,000石
1624父の継嗣
前封と合わせ
38,000石
1633加増
50,000石
1656関宿城(下総)転封
牧野 親成 従四位下
侍従
佐渡守
半右衛門 牧野信成二男 1654-68 1677(71) 酒井忠勝養女 1647関宿城(下総)襲封
17,000石
1654加増
27,000石
1656摂津・河内二国内
32,600石
1668田辺城(丹後)転封
板倉 重矩 従四位下
侍従
内膳正
1668-70 中島(三河)
永井 尚庸 従四位下
侍従
伊賀守
正源院
覚応賢心
大学 永井尚政三男 1670-76 1677(47) 稲葉正吉女
太田資宗女
1658兄・淀藩主
尚征より分家
河内四郡内
20,000石
1670山城等三国内
30,000石
1677没後
1687息子・直敬が
烏山城(下野)転封
戸田 忠昌 従四位下
侍従
越前守
忠治
主膳
伊賀守
戸田忠次長男
戸田忠能養子
1676-81 1699(68) 秋元富朝女 1664富岡城(肥後)
21,000石
1671相模等四国内
1676山城等五国内
31,000石
1681加増
41,000石
1682岩槻城(武蔵)転封
稲葉 正往 従四位下
侍従
丹後守
稲葉正則長男 1681-85 1681河内・摂津二国内
30,000石
1683小田原城
(父の継嗣)
先封は収公
土屋 政直 従四位下
侍従
相模守
1685-87 田中城(駿河)
内藤 重頼 従四位下
侍従
大和守
無著院
然誉常光
弥三郎
若狭守
伊賀守
内藤正勝長男 1687-90 1690(63) 久世広当女 1685大坂城代
摂津等五国内
33,000石
1690没後
1691息子・清枚が
高遠城(信濃)転封
松平 信興 従四位下
侍従
因幡守
天桂院
香山無隠
治綱
基綱
信衡
興衡
采女
美濃守
松平信綱五男 1690-91 1691(62) 青山幸利女 1687大坂城代
摂津等三国内
32,000石
1691没後
1692養子・輝貞が
壬生城(下野)転封
小笠原 長重 従四位下
侍従
佐渡守
1691-97 吉田城(三河)
松平 信庸 従四位下
侍従
紀伊守
1697-1714 篠山城(丹波)
水野 忠之 従四位下
侍従
和泉守
1714-17 岡崎城(三河)
松平 忠周 従四位下
侍従
伊賀守
1717-24 上田城(信濃)
牧野 英成 従四位下
侍従
河内守
1724-34 田辺城(丹後)
土岐 頼稔 従四位下
侍従
丹後守
頼俊
内匠
兵部
土岐頼殷長男 1734-42 1744(50) 松平忠雄女 1730大坂城代
摂津等三国内
35,000石
1734京都所司代
1742沼田城(上野)転封
牧野 貞通 備後守
(従四位下・
侍従は以後
本多忠民まで
同じなので
記載省略)
1742-49 延岡城(日向)
松平 資訓 豊後守 1749-52 浜松城(遠江)
酒井 忠用 讃岐守 1752-56 小浜城(若狭)
松平 輝高 右京大夫 1756-58 高崎城(上野)
井上 正経 河内守 1758-60 浜松城(遠江)
阿部 正右 伊予守 1760-64 福山城(備後)
阿部 正允 飛騨守 1764-69 忍城(武蔵)
土井 利里 大炊頭 1769-77 古河城(下総)
久世 広明 出雲守 1777-81 関宿城(下総)
牧野 貞長 越中守 1781-84 笠間城(常陸)
戸田 忠寛 因幡守 1784-87 宇都宮城(下野)
松平 乗完 和泉守 1787-89 西尾城(三河)
太田 資愛 備中守 1789-92 掛川城(遠江)
堀田 正順 大蔵大輔 1792-98 佐倉城(下総)
牧野 忠精 備前守 1798-1801 長岡城(越後)
土井 利厚 大炊頭 1801-02 古河城(下総)
青山 忠裕 下野守 1802-04 篠山城(丹波)
稲葉 正ェ 丹後守 1804-06 淀城(山城)
阿部 正由 播磨守 1806-08 忍城(武蔵)
酒井 忠進 讃岐守 1808-15 小浜城(若狭)
大久保 忠真 加賀守 1815-18 小田原城(相模)
松平 乗寛 和泉守 1818-22 西尾城(三河)
内藤 信敦 紀伊守 1822-25 村上城(越後)
松平 康任 周防守 1825-26 浜田城(石見)
水野 忠邦 越前守 1826-28 浜松城(遠江)
松平 宗発 伯耆守 1828-31 宮津城(丹後)
太田 資始 備中守 1831-34 掛川城(遠江)
松平 信順 伊豆守 1834-37 吉田城(三河)
土井 利位 大炊頭 1837-38 古河城(下総)
間部 詮勝 下総守 1838-40 鯖江陣屋(越前)
牧野 忠雅 備前守 1840-43 長岡城(越後)
酒井 忠義 若狭守 1843-50 小浜城(若狭)
内藤 信思 紀伊守 1850-51 村上城(越後)
脇坂 安宅 淡路守 1851-57 竜野城(播磨)
本多 忠民 美濃守 1857-58 岡崎城(三河)
酒井 忠義
(再任)
従四位上
左少将
若狭守
1858-62 小浜城(若狭)
松平 宗秀 従四位下
侍従
伯耆守
1862 宮津城(丹後)
牧野 忠恭 従四位下
侍従
備前守
1862-63 長岡城(越後)
稲葉 正邦 従四位下
侍従
長門守
1863-64 淀城(山城)
松平 定敬 従四位上
左中将
越中守
1864-67 桑名城(伊勢)

(所領に固有の居城を持つ者については、官位と在任年のみ記載したので、詳しくはリンク先を参照されたい)


園部藩=小出家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
小出 英親 従五位下
伊勢守
福源院
松渓玄秀
助九郎
加賀守
信濃守
対馬守
(致仕後)
意閑
小出吉政二男 1619-67 1668(79) 1613新封
出石城(但馬)
29,711石
1619園部(丹波)
小出 英知 従五位下
信濃守
青春院
快山常慶
吉久
宇兵衛
勘兵衛
英親長男 1667-73 1695(78)
1667分知
27,711石
小出 英利 従五位下
伊勢守
霊応院
瑞峯義光
吉尚
英法
大学
英知長男 1673-1705 1713(55)
小出 英貞 従五位下
信濃守
泰雲院
一叟紹貫
主税
大学
英利二男 1705-44 1744(61)
1705分知
26,711石
西丸若年寄
小出 英持 従五位下
信濃守
青霄院
透嶺義関
英重
英長
英智
幾千代
主税
伊勢守
英貞長男 1744-67 1767(62) 若年寄
小出 英常 従五位下
伊勢守
霊源院
猷峯紹機
英勝
真三郎
英持二男 1767-75 1775(33) 奏者番
小出 英筠 従五位下
信濃守
泰盛院
雄道栄岳
主税
対馬守
英常長男 1775-1821 1821(48)
小出 英発 従五位下
播磨守
青峯院 主税
信濃守
伊勢守
大和守
英筠長男 1821-43 1862(53)
小出 英教 従五位下
信濃守
霊教院 明之助
加賀守
大村純昌二男 1843-55 1855(27)
小出 英尚 園部藩知事 主税
伊勢守
英教長男 1856-71 1905(57)
1871廃藩置県
子爵


田辺藩/舞鶴藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔京極家〕
京極 高三 従五位下
修理大夫
惣泰院
雲山道徹
六丸 京極高知三男 1622-36 1636(30) 水野忠清女 1622宮津藩より分家
田辺(丹後)
35,000石
京極 高直 従五位下
飛騨守
法性院
真廓道保
高沖
六丸
高三長男 1636-63 1663(32) 水野忠善女
京極 高盛 従五位下
伊勢守
六丸 高直長男 1663-68 1709(60)
1663分知
33,000石
1668豊岡(但馬)転封

   〔牧野家〕
牧野 親成 従四位下
侍従
佐渡守
良園院
方誉善朗
哲山
半右衛門 牧野信成二男 1668-73 1677(71) 酒井忠勝養女 1656河内・摂津二国内
32,600石
1668田辺城(丹後)
35,000石
京都所司代
牧野 富成 従五位下
因幡守
覚樹院
心誉清涼
方山
教成
大吉
主殿
信成八男 1673-93 1693(66) 京極高三女
藤波徳忠女
奏者番
牧野 英成 従四位下
侍従
河内守
徳樹院
一誉暁覚
宗山
長太郎
佐渡守
讃岐守
因幡守
村越直成
(信成十男)
長男
1693-1737 1741(71) シゲ
(南部行信女)
京都所司代
牧野 明成 従五位下
因幡守
浄照院
光誉郭然
達道
治成
直次郎
兵部
豊前守
英成二男 1737-50 1750(46) ヒサ
(松平乗邑女)
奏者番
牧野 惟成 従五位下
豊前守
嶺松院
信誉操貞
忠山
直三郎 明成長男 1750-83 1783(56) アイ
(南部利視女)
寺社奉行
牧野 宣成 従五位下
佐渡守
松樹院
仙誉貞幹
宗如忠翁
虎次郎 惟成五男 1783-1804 1811(47) タキ
(酒井忠恭女)
牧野 以成 従五位下
豊前守
崇樹院
徳誉興英
端雄仁山
直太郎
(致仕後)
益斎
宣成長男 1804-25 1833(46)
(内藤政韶女)

(戸田忠翰女)
牧野 節成 従五位下
河内守
寛樹院
顕誉泰道
源真清山
欽次郎
内匠頭
山城守
牧野允成
(宣成二男)
長男
1825-52 1861(52) サダ
(青山忠裕養女)
牧野 誠成 従五位下
豊前守
寧斎 讃岐守
河内守
節成長男 1852-69 1869(38)
(九鬼隆徳女)
牧野 弼成 舞鶴藩知事 錂太郎
内匠頭
誠成長男 1869-71 1924(71) 弥栄子
(正親町公董女)

1869舞鶴藩と改称
1871廃藩置県
子爵


峯山藩=京極家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
京極 高通 従五位下
主膳正
安泰院
定誉雪峯
道山
主膳 朽木宣綱二男
京極高知養子
1622-65 1665(63) 1616新封、武蔵等三国内
3,000石
1622宮津藩より分家
峯山(丹後)
10,000石
計13,000石
京極 高供 従五位下
主膳正
常立院
然誉春山
道栄
右近 高通長男 1666-74 1674(52)
1666分知
11,644石
京極 高明 従五位下
主膳正
智宏院
仁誉勇叟
道意
隼人
備後守
(致仕後)
隼人正
高供長男 1674-99 1726(67)
京極 高之 従五位下
主膳正
隆源院
天誉碩含
道倫
鍋千代
主殿
高明長男 1699-1723 1723(46)
1699分知
11,144石
京極 高長 従五位下
備後守
源寥院
廓誉常光
道仙
内匠
右近
(致仕後)
主膳正
内藤弌信四男 1723-65 1769(75)
京極 高久 従五位下
備中守
謙徳院
明誉高久
道徴
千之助
右近
主殿
備後守
備前守
京極高庭四男 1765-1808 1808(80) 若年寄
京極 高備 従五位下
上総介
広善院
紹誉英叟
道俊
千之助
主水
周防守
高久長男 1808-32 1835(79) 若年寄
京極 高倍 従五位下
備前守
徳彰院
興誉和順
道融
万蔵
主膳
高備五男 1832-33 1833(26)
京極 高鎮 大膳 教善院
巍誉光赫
道樹
富五郎
篤吉
寅之助
高備七男 1834 1834(25)
京極 高景 従五位下
右近将監
成徳院
行誉高景
道完
滝之進
将監
松平忠馮六男 1834-49 1863(53)
京極 高富 主膳正 啓治郎
備中守
周防守
高景長男 1849-68 1889(55) 若年寄
子爵
京極 高陳 峯山藩知事 采女
備中守
京極高紀二男 1868-71 1893(56)
1871廃藩置県


綾部藩=九鬼家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
九鬼 隆季 従五位下
式部少輔
太極院
空山了本
式部 九鬼守隆三男 1633-74 1678(71) 1633父の鳥羽(志摩)藩主・
守隆の遺領を分割、転封
綾部(丹波)
20,000石
1661分知
19,500石
九鬼 隆常 従五位下
大隅守
乾徳院
仁岳了賢
杉千代
市正
内匠
隆季長男 1674-98 1698(53)
九鬼 隆直 従五位下
豊前守
誠諦院
瑞翁了閑
政峯
万之助
式部
(致仕後)
長門守
松平信定十一男 1698-1713 1752(66)
九鬼 隆寛 従五位下
備後守
泰岳院
休翁隆山
隆恢
弁之助
大隅守
河内守
建部政周三男 1713-66 1786(83)
九鬼 隆貞 従五位下
式部少輔
高峯院
雲外隆松
猶之助
帯刀
隆寛四男 1766-80 1780(52)
九鬼 隆祺 従五位下
大隅守
青雲院
花岳了芳
鉄吉 田沼意次七男 1781-87 1787(23)
九鬼 隆郷 従五位下
式部少輔
大通院
智巌紹勝
定五郎 隆貞五男 1787-1808 1808(29)
九鬼 隆度 従五位下
河内守
護国院
寿山宗量
定五郎
出雲守
隆郷長男 1808-22 1853(54)
九鬼 隆都 式部少輔 仙之助
大隅守
隆郷二男 1822-61 1882(82)
九鬼 隆備 綾部藩知事 延之助
大隅守
隆都長男 1861-71 1897(64)
1871廃藩置県
子爵



(2014.04.30up)


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