岡山県は古くは吉備国と呼ばれましたが、7世紀後半に備前(上道・三野・大伯・美作国造)・備中(中道・加夜・笠・下道国造)・備後に分割され、713年に備前国の北部6郡を割いて美作国が設置されました。『延喜式』では美作は7郡、備前は6郡(のち5郡)・備中は9郡(のち11郡)。平安朝期の荘園では、東寺・石清水八幡宮・興福寺など寺社領をはじめ、皇室領・摂関家領などが存在しました。鎌倉期の守護は、当初は美作が梶原家・和田家、備前・備中が土肥家、のちには備前は佐々木家・長井家など、美作・備中は北条一門。南北朝期は高(こう)家・赤松家などの動向を反映し、守護は三国ともしばしば交替しました。室町期には赤松家が美作・備前の守護でしたが、1441年の嘉吉の乱以後は山名家に替わられ、備中は細川家(満之流)が守護を務めていました。戦国期には赤松家が美作・備前の守護に復活しましたが、1521年に浦上家が実権を掌握し、さらに1577年には宇喜多家が浦上家を追放して両国を制圧しました。一方、備中では細川家が衰退して在地豪族が台頭し、尼子家も介入しましたが、のちに毛利家が拡大するとその勢力が及びました。宇喜多秀家は豊臣秀吉の保護を受けて領国を支配し、1582年には備前・美作両国と備中東半国を領有(備中の西半は毛利領)しましたが、関ヶ原の敗戦により改易されました。江戸期に入り備前・美作に小早川家、のち美作に森家、備前に池田家が封じられ、備中は代官支配から中小の大名・旗本領に分割されました。江戸中期以後は美作に津山藩(松平家)・勝山藩(三浦家)など、備前に岡山藩(池田家)、備中に松山藩(板倉家)など、合わせて12藩が存在しました。1871年の廃藩置県により美作は北条県、備前は岡山県に改称、備中は備後の一部と統合して深津県となり、翌年小田県と改称しました。1875年に小田県を岡山県に合併、翌年北条県も廃止して合併しましたが、このとき旧備後国6郡を広島県に編入し、県域が確定しました。
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
富田 秀貞 | 美作前司・判官 | 1344-45 1352 |
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赤松 貞範 | 筑前守 | 世貞 | 1356-64 | |
山名 義理 | 弾正少弼・修理権大夫 | 1364-91 | ||
赤松 義則 | 上総介・大膳大夫 | 性松 | 1392-1427 | |
赤松 持貞 | 越後守 | 1427 | ||
赤松 満祐 | 左京大夫・大膳大夫 | 性具 | 1427-41 | |
山名 教清 | 修理大夫 | 常勝 | 1441-47 | |
山名 政清 | 兵部少輔 | 1459-67 | ||
赤松 政則 | 次郎法師丸・兵部少輔 | 1467-84 | ||
有馬 澄則 | 慶寿丸 | 1484 | ||
赤松 政則 | 兵部少輔・左京大夫 | 1484-96 | ||
赤松 義村 | 兵部少輔 | 1496-1521 | ||
赤松 政村 | 才松丸・上総介・左京大夫 | 1521-? | ||
尼子 晴久 | 民部少輔・修理大夫 | 1552-? |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
松田 盛朝 | 十郎・備前権守 | 1336?-43? | ||
細川 顕氏 | 陸奥守 | |||
松田 信重 | 備前守 | 1350頃-63? | ||
赤松 則祐 | 帥律師・律師・権律師 | 1365-71 | ||
赤松 義則 | 左近将監・蔵人左近将監・兵部少輔・上総介・大膳大夫 | 性松 | 1371-1427 | |
赤松 持貞 | 越後守 | 1427 | ||
赤松 満祐 | 左京大夫・大膳大夫 | 性具 | 1427-41 | |
山名 教之 | 兵部少輔・相模守 | 1441-67 | ||
赤松 政則 | 次郎法師丸・兵部少輔 | 1467-84 | ||
有馬 澄則 | 慶寿丸 | 1484 | ||
赤松 政則 | 兵部少輔・左京大夫 | 1484-96 | ||
赤松 義村 | 兵部少輔 | 1496-1521 | ||
赤松 政村 | 才松丸・上総介・左京大夫 | 1521-? | ||
尼子 晴久 | 民部少輔・修理大夫 | 1552-? |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
南 宗継 | 遠江守 | 1343-51 | ||
秋庭 備中守 | 1351-52 | |||
秋庭 肥後守 | 新左衛門尉 | 1353-55 | ||
細川 頼之 | 右馬頭 | 1356-62 | ||
宮 兼信 | 下野守 | 道山 | 1364-65 | |
渋川 義行 | 右兵衛佐・武蔵守 | 道祐 | 1366-75 | |
渋川 満頼 | 長寿王・左近大夫将監 | 1375-93 | ||
細川 満之 | 兵部大輔・阿波守 | 道春 | 1393-1405 | |
(以後は細川=備中守護=家を参照) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
細川 満之 | 従五位下 阿波守 |
心鏡院 陽中道春 |
兵部少輔 兵部大輔 |
細川頼春男 | ?-1405 | 1405 | 備中・讃岐・ 伊予三国内 |
1388- 伊予新居郡守護 1393-1405 備中守護 |
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細川 頼重 | 上総介 | 常琳 | 満重 五郎 兵部少輔 |
満之二男 | 1405-30 | ? | ↓ | 伊予新居郡・ 備中守護 |
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細川 氏久 | 上総介 | 治部少輔 | 頼重長男 | 1430-60 | 1460 | ↓ | 伊予新居郡・ 備中守護 |
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細川 勝久 | 上総介 | 九郎 兵部少輔 兵部大輔 |
氏久長男 | 1460-? | ? | ↓ | 伊予新居郡・ 備中守護 |
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細川 政春 | 安房守 | 道旦 | 民部少輔 | 細川教春男 | ?-1518 | 1518 | 備中国内 | 1515-18 備中守護 |
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細川 晴国 | 八郎 | 政春男 | 1518-36 | 1536 | ↓ | ||||||
細川 通政 | 政春男 | 1536-? | ? | ↓ | |||||||
細川 通重 | 下野守 | 通政男 | ?-1575 | ? | ↓ 1575失領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
浦上 宗隆 | 掃部助 | 揖西郡浦上荘(播磨) | 備前守護代? | ||||||||
浦上 宗安 | 四郎 | 宗隆男 | ?-1441 | 1441 | ↓ 1441中絶 |
備前守護代? | |||||
浦上 則宗 | 美作守 | 宗安男 | 1458-1502 | 1502(74) | 1458?再興、浦上荘 | 侍所所司代 | |||||
浦上 則景 | 掃部助 | 則宗男 | (早世) | 1485 | |||||||
浦上 村宗 | 美作守 | 掃部助 | 浦上宗助 (宗安孫)男 |
1502-31 | 1531 | 三石城(備前) 1521備前一国・ 美作東部を制圧 |
|||||
浦上 宗景 | 帯刀左衛門 | 村宗二男 | 1531-77 | ? | ↓ 1531天神山城(備前) 1577失領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
荘 資房 | 左衛門四郎 | 俊充 | ?-1333 | 1333 | 備中下道郡周辺 | 子孫は備中守護代 | |||||
(途中未詳) | |||||||||||
荘 元資 | 伊豆守 | 駿河守 | ?-1492以後 | ? | 猿掛城(備中) | ||||||
荘 為資 | 備中守 | 北庄兼資男 | ? | ↓ 1533松山城(備中) |
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荘 高資 | 備中守 | 為資男 | ?-1570 | 1570 | ↓ 1570滅亡 |
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穂田 元清 | 治部大輔 | 毛利元就四男 | 1575-84 | 1597(47) | 1570以前 桜尾城(安芸) 1575猿掛城(備中) 1584家名消滅 |
毛利姓に復し、 長門府中藩へ |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
三浦 貞宗 | 下野守 | 化生寺 長林道祐 |
真島郡高田荘(美作) 高田城を築く |
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三浦 行連 | 遠江守 | 徳叟覚清 | 貞宗男 | ↓ | |||||||
三浦 範連 | 遠江守 | 永源寺 博愛良仁 |
行連男 | ↓ | |||||||
三浦 政盛 | 下野守 | 玉峰宗秀 | 範連男 | ↓ | |||||||
三浦 持理 | 遠江守 | 宝泉寺 泰岳顕崇 |
政盛男 | ↓ | |||||||
三浦 貞明 | 遠江守 | 聴松寺 戦岳宗勝 |
持理長男 | ↓ | |||||||
三浦 貞連 | 駿河守 | 宝幢寺 徳岩良賢 |
貞明長男 | 1509 | ↓ | ||||||
三浦 貞国 | 駿河守 | 慈光寺 伯良良聖 |
貞連長男 | 1532 | ↓ | ||||||
三浦 貞久 | 上野介 | 正法院 月江良円 |
下野守 | 貞国長男 | ?-1548 | 1548 | ↓ 1548没後、尼子家の支配 |
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三浦 貞勝 | 遠江守 | 称名院 真月宗金 |
貞久二男 | 1559-65 | 1565 | 1559復興 高田城 |
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三浦 貞広 | 三浦貞盛 (貞国四男)の男 |
1565-76 | 1576 | ↓ 1576滅亡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
後藤 義季 | 下野守 | 1350-? | ? | 勝北郡塩湯郷(美作) | |||||||
後藤 康季 | 右衛門尉 | 義季男? | ? | ? | ↓ | ||||||
(途中未詳) | |||||||||||
後藤 勝国 | ?-1498 | 1498 | 三星城(美作) | ||||||||
後藤 勝政 | 勝国男 | ? | ? | ↓ | |||||||
後藤 勝基 | 左衛門尉 | 勝政男 | ? | 1579 | ↓ | ||||||
後藤 元正 | 与四郎 | 勝基男 | ?-1579 | ? | ↓ 1579失領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
三村 信濃守 | 15C前半 | 川上郡成羽荘(備中) | |||||||||
(途中未詳) | |||||||||||
三村 宗親 | 備中守 | 成羽城 | |||||||||
三村 家親 | 紀伊守 | 修理亮 | 宗親男 | ?-1566 | 1566 | ↓ | |||||
三村 元親 | 備中守 | 修理亮 | 家親二男 | 1566-75 | 1575 | ↓ 1575滅亡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
宇喜多 宗家 | 修理進 | 邑久郡豊原荘(備前) | ||||||||||
宇喜多 久家 | 三河守 | 蔵人佐 | 宗家男? | 1492前後 | ↓ | |||||||
宇喜多 能家 | 和泉守 | 玄仲常玖 | 平左衛門尉 | 久家男? | ?-1524 | 1534 | ↓ 砥石山城(備前) |
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宇喜多 興家 | 露月光珍 | 能家長男 | 1524-34 | 1536? | 阿部善定女 | ↓ 1534失領 |
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宇喜多 直家 | 和泉守 | 涼雲星友 | 八郎 三郎左衛門尉 |
興家長男 | 1543頃-81 | 1581(53) | 中山信正女 後藤勝基女 福(出自未詳) |
1543頃復家 乙子城(備前) 1549奈良部城(備前) 1559沼城(備前) 1570岡山城(備前) 1578頃本領安堵 |
織田家被官 | |||
宇喜多 秀家 | 従三位 権中納言 |
尊光院 秀月久福 |
家氏 成元 八郎 河内守 |
直家長男 | 1581-1600 | 1655(83) | 豪 (前田利家女) |
↓ 1582加増 (備前・美作二国と 播磨・備中の一部) 574,000石 1600改易 1606配流 |
1597-1600 大老(豊臣家) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
小早川 秀秋 | 従三位 権中納言 |
瑞雲院 秀巌日詮 |
秀俊 秀詮 辰之助 左衛門督 |
木下家定五男 | 1600-02 | 1602(21) | 宍戸元秀女 | 1587名島城(筑前) 373,300石襲封 1598北庄城(越前) 1598名島城 1600岡山城(備前・美作二国) 510,000石 1602無嗣廃絶 |
明治に入り、 長州藩主 毛利家から 小早川三郎が、 分家、再興して 男爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
蒔田 広定 | 従五位下 左衛門権佐 |
隆栄院 覚真日見 |
蒔田広光二男 | 1600-36 | 1636(66) | 1595?父・広光の 旧領のうち(分知?) 10,000余石 1600関が原の戦で 石田方、改易 同年、備中等四国内 10,016石 |
|||||
蒔田 定正 | 従五位下 玄蕃頭 |
隆光院 宗真日照 |
成定 久太郎 |
広定長男 | 1636-40 | 1640(50) | ↓ 1636分知 8,316石 |
因幡国目付 | |||
蒔田 定行 | 権佐 | 了心 | 広則 権太郎 久太郎 |
定正長男 | 1641-90 | 1690(71) | ↓ 1641分知 7,016石 1682加増 7,716石 |
百人組頭 | |||
蒔田 定矩 | 従五位下 備中守 |
宗悟 | 助三郎 権佐 |
戸田忠辰二男 | 1690-1710 | 1710(34) | ↓ | 中奥小姓 | |||
蒔田 定英 | 権佐 | 滴永 | 助三郎 | 定矩長男 | 1710-40 | 1740(35) | ↓ | ||||
蒔田 定安 | 従五位下 伊勢守 |
元祥 | 定徳 助三郎 権佐 河内守 |
定英二男 | 1740-71 | 1771(42) | ↓ | 小姓組番頭 | |||
蒔田 定静 | 従五位下 玄蕃頭 |
連三郎 備中守 摂津守 |
松平宗衍三男 | 1771-97 | 1801(43) | ↓ | 中奥小姓 | ||||
蒔田 定祥 | 従五位下 備中守 |
近平 慶次郎 主税 権佐 |
松平近形二男 | 1797-1812 | 1812(44) | ↓ | |||||
蒔田 定邦 | 権佐 | 伊達村寿二男 | 1812-24 | 1824(32) | ↓ | ||||||
蒔田 定庸 | 栄之助 | 蒔田広通男 | 1824-31 | 1831(14) | ↓ | ||||||
蒔田 広運 | 左衛門 | 定詢 権佐 |
松平直寛四男 | 1831-58 | 1858(45) | ↓ | |||||
蒔田 広孝 | 浅尾藩知事 (廃藩後) 総社町長 |
鏻太郎 相模守 |
蒔田広胖長男 | 1858-71 | 1918(70) | ↓ 1863高直し 10,000石 浅尾(備中)に陣屋 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
〔戸川家〕 |
|||||||||||
戸川 逵安 | 従五位下 肥後守 |
不変院 覚如 |
助七郎 | 戸川秀安長男 | 1600-27 | 1627(61) | 1575児島常山城(備前) 1599失領 1600庭瀬(備中) 29,200石 |
1599まで 宇喜多家臣 1600大名 |
|||
戸川 正安 | 従五位下 土佐守 |
正安 | 市蔵 | 逵安長男 | 1628-69 | 1669(64) | ↓ 1628分知 22,500石 |
||||
戸川 安宣 | 従五位下 土佐守 |
清性院 覚庭円意 |
土肥丞 玄蕃 |
正安二男 | 1669-74 | 1674(27) | ↓ 1669分知 21,000石 |
||||
戸川 安風 | 縫殿助 | 天心院 恵性玄通 |
安宣長男 | 1675-79 | 1679(9) | ↓ 1675分知 20,000石 1679無嗣 |
|||||
戸川 逵富 | 玄蕃 | 主賢 | 正滋 槌千代 主計 |
安宣二男 | 1679-83 | 1729(58) | 1679継嗣、庭瀬 5,000石 1683撫川(備中)転封 |
1679以後 交替寄合 代々同じ |
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〔久世家〕 |
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久世 重之 | 従五位下 出雲守 |
勝之助 | 久世広之三男 | 1683-86 | 1720(61) | 1679関宿城(下総)襲封 50,000石 1683庭瀬 1686亀山城(丹波)転封 |
奏者番 | ||||
〔藤井松平家〕 |
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松平 信通 | 従五位下 中務少輔 |
次郎四郎 斎宮 |
松平信之二男 | 1693-97 | 1722(47) | 1686新封、興留(大和) 10,000石 1693古河(下総)藩主の 兄忠之疾病、改易後 継嗣、庭瀬 30,000石 1697上山城(出羽)転封 |
|||||
〔板倉家〕 |
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板倉 重高 | 従五位下 越中守 |
浄泰院 徳岩源芳 |
英清 重清 熊之丞 頼母 |
小出英知三男 | 1699-1713 | 1713(48) | 1684高滝(上総)襲封 20,000石 1699庭瀬 |
||||
板倉 昌信 | 従五位下 因幡守 |
永霄院 鶴山源夢 |
重宇 豊次郎 右近 讃岐守 右衛門佐 |
重高二男 | 1713-30 | 1730(31) | ↓ | ||||
板倉 勝興 | 従五位下 摂津守 |
永寿院 鶴峰源亀 |
右近 | 昌信長男 | 1730-84 | 1796(75) | ↓ | ||||
板倉 勝志 | 従五位下 主水正 |
永光院 一山源珪 |
鶴吉 主水 |
勝興長男 | 1784-85 | 1785(41) | ↓ | ||||
板倉 勝喜 | 従五位下 主水佑 |
心月院 廓天源喜 |
利次郎 | 勝興四男 | 1785-1803 | 1842(78) | ↓ | ||||
板倉 勝氐 | 従五位下 主水佑 |
永崇院 南山源寿 |
輝之進 織部佑 |
勝喜三男 | 1803-04 | 1804(18) | ↓ | ||||
板倉 勝資 | 従五位下 越中守 |
督応院 麒鳳源麟 |
右近 (致仕後) 左京亮 愚山 |
勝喜四男 | 1805-32 | 1848(60) | ↓ | ||||
板倉 勝貞 | 従五位下 摂津守 |
芳俊院 功山源運 |
利之丞 | 勝喜男 | 1832-48 | 1849(49) | ↓ | ||||
板倉 勝成 | 脩次郎 | 天徳院 峰山源照 |
安藤信由二男 | 1848 | 1848(28) | ↓ | |||||
板倉 勝全 | 従五位下 越中守 |
明覚院 義山源礼 |
銘之進 | 酒井忠恒三男 | 1848-58 | 1858(29) | ↓ | ||||
板倉 勝弘 | 庭瀬藩知事 | 鉄五郎 | 板倉勝俊八男 | 1858-71 | 1909(73) | ↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
木下 家定 | 従五位下 肥後守 二位法印 |
常光院 浄英茂叔 |
孫兵衛 | 杉原定利長男 | 1601-08 | 1608(66) | 杉原家次女 | 1595姫路城(播磨) 25,000石 1601足守(備中) |
||||
木下 勝俊 | 従四位下 少将 大蔵 |
大成院 天哉長嘯 |
挙白 長嘯子 |
家定長男 | 1608-09 | 1649(81) | うめ (森可成女) |
1593小浜城(若狭) 62,000石 1600改易 1608父家定 継嗣、足守 25,000石 1609改易 |
||||
浅野 長晟 | 従五位下 但馬守 |
岩松 右兵衛佐 |
浅野長政二男 家定の従妹の子 |
1610-13 | 1632(47) | 振 (徳川家康女) |
1610新封 足守24,000石 1613兄・和歌山 (紀伊)藩主 浅野幸長を継ぎ、 旧封は収公 |
(木下家の 代数には 入らず) |
||||
木下 利房 | 従五位下 宮内少輔 |
円徳院 半湖休鴎 |
勝義 | 家定二男 | 1615-37 | 1637(65) | 織田信包女 進藤正次女 |
1596以前 高浜城(若狭) 20,000石 1600改易 1615家定の継嗣 となり足守復封 25,000石 |
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木下 利当 | 従五位下 淡路守 |
大光院 剣峯宗利 |
熊之助 | 利房長男 | 1637-61 | 1661(59) | 木下延俊女 | ↓ | ||||
木下 利貞 | 従五位下 淡路守 |
慈光院 乾徳利貞 |
熊之助 民部 |
利当長男 | 1662-79 | 1679(53) | 金森重頼女 | ↓ | ||||
木下 㒶定 | 従五位下 肥後守 |
敬文院 観翁慧定 |
利春 義利 利庸 国定 熊之助 宮内 葵峯 |
利貞長男 | 1679-1729 | 1739(78) | 木下俊長女 | ↓ | ||||
木下 利潔 | 従五位下 美濃守 |
観光院 性峯高潔 |
公常 種恭 文次郎 兵部 兵部少輔 |
金森藤栄 (利貞二男) 三男 |
1729-40 | 1740(30) | キン定の養女 | ↓ | ||||
木下 利忠 | 従五位下 肥後守 |
翠光院 同時長及 |
定太郎 宮内少輔 |
利潔長男 | 1740-84 | 1809(72) | 松浦誠信女 | ↓ | ||||
木下 利彪 | 従五位下 淡路守 |
寛綽院 慧僩有匪 |
富五郎 | 利忠二男 | 1784-99 | 1801(36) | 松平親盈女 | ↓ | ||||
木下 利徽 | 定太郎 | 瑞麟院 利岳元徽 |
利彪長男 | 1799-1805 | 1851(66) | - | ↓ | |||||
木下 利徳 | 従五位下 肥後守 |
隆徳院 清閑元浄 |
東五郎 | 藤堂高嶷五男 | 1805-21 | 1821(33) | とよ(利忠女) | ↓ | ||||
木下 利愛 | 従五位下 肥後守 |
大信院 仁峯景徳 |
三之丞 | 利徽長男 | 1821-47 | 1859(56) | 孝 (山内豊策女) |
↓ | ||||
木下 利恭 | 足守藩知事 | 三之丞 | 利愛二男 | 1847-71 | 1890(59) | 琴 (丹羽長富女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔備中代官 小堀家〕 |
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小堀 正次 | 新助 | 長照院 信誉道喜 |
小堀正房男 | 1600-04 | 1604(65) | 磯野員正女 | 坂田郡小堀(近江) 1594大和・和泉二国内 5,000石 1600備中国内 14,460石 松山在城 |
備中国代官 | ||||
小堀 政一 | 従五位下 遠江守 |
作助 | 正次長男 | 1604-19 | 1647(69) | 藤堂高虎養女 | ↓ 1604分知 12,460石 1617まで松山在城 1619浅井郡内(近江)転封 |
備中国代官 | ||||
〔池田家〕 |
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池田 長幸 | 従五位下 備中守 |
承国院 蔭涼宗樹 |
次兵衛 | 池田長吉長男 | 1617-32 | 1632(46) | 森忠政女 | 1614鳥取城(因幡)襲封 60,000石 1617松山城 65,000石 |
||||
池田 長常 | 従五位下 出雲守 |
曹渓院 久安禅昌 |
猿 (幼名) |
長幸長男 | 1632-41 | 1641(33) | 堀直竒女 | ↓ 1641無嗣廃絶 |
||||
〔水谷家〕 |
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水谷 勝隆 | 従五位下 伊勢守 |
大竜寺 鉄山全性 |
弥太郎 | 水谷勝俊長男 | 1642-64 | 1664(68) | 酒井家次女 寺沢広高女 |
1639成羽(備中) 50,000石 1642松山城 |
||||
水谷 勝宗 | 従五位下 左京亮 |
栄興院 健岑全勇 |
弥太郎 | 勝隆長男 | 1664-89 | 1689(67) | 青山幸成女 | ↓ 1664分知 48,000石 1677高直し 50,000石 |
||||
水谷 勝美 | 従五位下 出羽守 |
隆昌寺 天山全長 |
勝明 勝賢 犬千代 |
勝宗二男 | 1689-93 | 1693(31) | 松平頼隆女 | ↓ 1693無嗣廃絶 |
||||
〔安藤家〕 |
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安藤 重博 | 従五位下 対馬守 |
定恵院 不漚覚海 |
重貞 重治 重孝 伊勢千代 主税 |
安藤重之長男 | 1695-98 | 1698(59) | 松平光重女 | 1657高崎城(上野)襲封 60,000石 1695松山城 65,000石 |
奏者番 | |||
安藤 信友 | 従五位下 右京進 |
重興 重行 信賢 政蔵 長門守 |
重博長男 | 1698-1711 | 1732(62) | 牧野忠成女 | ↓ 1711加納城(美濃)転封 |
寺社奉行 | ||||
〔石川家〕 |
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石川 総慶 | 従五位下 主殿頭 |
石之助 宗十郎 |
石川勝之長男 石川義孝養子 |
1711-44 | 1764(61) | 久世重之女 | 1710淀城(山城)襲封 60,000石 1711松山城 1744亀山城(伊勢)転封 |
|||||
〔板倉家〕 |
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板倉 勝澄 | 従五位下 周防守 |
円乗院 無山源承 |
重規 新平 新十郎 相模守 |
板倉重治長男 | 1744-51 | 1769(54) | 戸田忠余女 | 1724亀山城(伊勢)襲封 50,000石 1744松山城 |
||||
板倉 勝武 | 従五位下 美濃守 |
大光院 普照源海 |
勝久 左門 新十郎 |
勝澄長男 | 1751-69 | 1769(35) | 脇坂安興女 | ↓ | 奏者番 | |||
板倉 勝従 | 従五位下 日向守 |
康長院 英山源哲 |
勝満 利之丞 隼人 隠岐守 |
勝澄三男 | 1769-78 | 1778(29) | 奥平昌鹿養女 | ↓ | ||||
板倉 勝政 | 従五位下 周防守 |
義正院 天忠源然 |
銕次郎 左近 左近将監 (致仕後) 大炊頭 主膳正 |
勝澄七男 | 1778-1801 | 1821(63) | 光 (戸田氏英女) |
↓ | 寺社奉行 | |||
板倉 勝晙 | 従五位下 周防守 |
大洞院 雲山源竜 |
勝慶 新十郎 |
勝政長男 | 1801-04 | 1804(21) | 鎮 (大村純鎮女) |
↓ | ||||
板倉 勝職 | 従五位下 周防守 |
寛隆院 忠峰源義 |
充之進 阿波守 |
勝晙長男 | 1804-49 | 1849(47) | 錬 (戸田氏庸女) 夲 (津軽寧親女) クマ (本多正意養女) |
↓ | 奏者番 | |||
板倉 勝静 | 侍従 伊賀守 |
寧八郎 万之進 周防守 |
松平定永八男 | 1849-68 | 1889(66) | 銈(勝職女) | ↓ 1868除封 |
老中 | ||||
板倉 勝弼 | 高梁藩知事 | 栄次郎 | 板倉勝喬 (勝政男) 四男 |
1869-71 | 1896(51) | 清子 (太田資功女) |
1869再興 高梁藩と改称 20,000石 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔池田(忠継系)家〕 |
||||||||||||
池田 忠継 | 従四位下 侍従 左衛門督 |
竜峯寺 雲台元祥 |
藤松 三郎 |
池田輝政二男 | 1603-15 | 1615(17) | - | 1603新封 岡山城(備前一国) 280,000石 1618加増 380,000石 |
公称松平 | |||
池田 忠雄 | 正四位下 参議 宮内少輔 |
清泰院 仁秀良勇 |
勝五郎 新次郎 |
池田輝政三男 | 1615-32 | 1632(31) | 三保 (蜂須賀至鎮女) |
1610新封 由良城(淡路) 63,000石 1615兄忠継継嗣 岡山城 315,200石 |
||||
池田 光仲 | 勝五郎 | 忠雄長男 | 1632 | 1693(64) | ↓ 1632鳥取城(因幡)転封 |
|||||||
〔池田(嫡系)家〕 |
||||||||||||
池田 光政 | 従四位下 左少将 新太郎 |
通源院 天質義晃 芳烈公 |
幸隆 | 池田利隆長男 | 1632-72 | 1682(74) | 勝 (本多忠刻女) |
1617鳥取城(因幡) 320,000石 1632岡山城(備前一国・ 備中四郡内) 315,200石 |
公称松平 | |||
池田 綱政 | 従四位下 左少将 伊予守 |
曹源寺 湛然徳峯 |
興輝 太郎 三左衛門 |
光政長男 | 1672-1714 | 1714(77) | 千 (丹羽光重女) |
↓ | ||||
池田 継政 | 従四位下 左少将 大炊頭 |
保国院 鉄叟空山 |
保教 峯千代 主税 茂十郎 |
綱政四男 | 1714-52 | 1776(75) | 和 (伊達吉村女) |
↓ | ||||
池田 宗政 | 従四位下 侍従 伊予守 |
寿国院 豊山延祥 |
尚政 峯千代 茂十郎 弾正大弼 |
継政長男 | 1752-64 | 1764(38) | 藤 (黒田継高女) |
↓ | ||||
池田 治政 | 従四位下 左少将 内蔵頭 |
顕国院 大徹一心 |
敏政 新十郎 一心斎 |
宗政長男 | 1764-86 | 1818(69) | 米 (酒井忠恭女) |
↓ | ||||
池田 斉政 | 従四位下 左少将 上総介 |
観国院 西岳宗周 |
政久 新十郎 本之丞 |
治政二男 | 1786-1829 | 1833(61) | 伊渡子 (池田重寛女) |
↓ | ||||
池田 斉敏 | 従四位下 左少将 伊予守 |
雄国院 威山常光 |
治五郎 丈之助 久寧 為政 |
島津斉興二男 | 1829-42 | 1842(32) | 金子(斉政女) | ↓ | ||||
池田 慶政 | 左少将 内蔵頭 |
七五郎 昌朝 道政 |
奥平昌高十男 | 1842-63 | 1893(72) | 宇多子(斉敏養女 =池田政善女) |
↓ | |||||
池田 茂政 | 左少将 弾正大弼 |
九郎麿 | 徳川斉昭九男 | 1863-68 | 1899(61) | 万寿子(慶政女) | ↓ | |||||
池田 章政 | 岡山藩知事 | 満次郎 政詮 |
相良頼之 (宗政曽孫) 二男 |
1868-71 | 1903(68) | 鑑子 (戸田氏正女) |
↓ 1871廃藩置県 |
1868池田 姓に復す 侯爵 貴族院議員 |
池田政信(播磨時代池田家の船上城代・池田利政の男。岡山池田家家老。1650没後中絶)⇒政言(従五位下・信濃守。岡山藩 主池田光政二男。岡山領内の新田を分与され再興。1672大名に列し25,000石)-政倚(従五位下・内匠頭)⇒政方(従五位下 ・信濃守)-政香(従五位下・内匠頭)⇒政直(従五位下・信濃守)-政養(従五位下・内匠頭)-政共(従五位下・信濃守) ⇒政広⇒政善(従五位下・信濃守)⇒政詮(岡山藩主池田章政)-政保(1869備中鴨方に藩庁を置く。1871廃藩。のち子爵) |
池田輝録(従五位下・丹波守。岡山藩主池田光政三男。1672分家、新田15,000石)⇒政晴(従五位下・丹波守)-政員(従五位下・ 中務少輔)⇒政弼(従五位下・丹波守)-政房⇒政恭(従五位下・山城守)-政範(従五位下・丹波守)⇒政和(従五位下・ 山城守)-政礼(1869生坂に藩庁を置く。1871廃藩。のち子爵) |
伊木忠貞(播磨時代池田家の三木城代伊木忠繁の男。1617伯耆倉吉37,000石、1632備前虫明)-忠親(1701改易)⇒忠義(1714 継嗣30,000石)-忠興⇒忠知⇒忠福⇒忠真⇒忠識⇒忠順⇒忠直⇒忠正⇒忠澄(岡山藩大参事。養孫・忠愛のとき男爵) |
池田由之(播磨国主池田輝政甥。1606播磨平福城22,000石。1609備前下津井城32,000石。1613播磨明石城。1617伯耆米子城)- 由成(1632下津井。同年備前天城に移る)-由孝(30,000石)-由勝⇒保教(岡山藩主池田継政)⇒政純⇒政喬-政孝⇒政徳- 政昭-政和(男爵) |
池田長政(播磨国主池田輝政弟=池田恒興四男。池田家臣片桐俊元養子。1606備前下津井城33,000石)-長明(1607播磨国内 22,000石。1617伯耆八橋。1632備前周匝)-長久-長喬-長処-長仍-長玄-長紀-長貞-長常-長恭(息子・長準のとき男爵) |
日置忠俊(池田家臣日置忠勝の男。1603備前金川城14,000石。1613播磨高砂城。1617因幡鹿野。1632金川17,000石)⇒忠治 (16,000石)-忠明-忠昌-忠盈⇒忠寿⇒忠芳-忠辰⇒忠英⇒忠章⇒忠弼⇒忠尚(養子・健太郎のとき男爵) |
池田長政(鳥取藩主池田長吉三男。池田家臣森寺長貞養子。1617伯耆黒坂。1632備前建部14,000石)⇒長泰-宗春(10,000石)- 太寅⇒俊清-清煕-博道-博教⇒方智⇒博忠-博文(岡山藩大参事)⇒博愛(男爵) |
土倉勝看(池田家家老土倉貞利養子。1632備前佐伯10,000石)-一成(10,000石)-一長⇒一涂⇒一貞-一信-一之-一静⇒一昌⇒ 一善-正彦(岡山藩大参事。養子・光三郎のとき男爵) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔森 家〕 |
||||||||||||
森 忠政 | 従四位上 左中将 美作守 |
本源院 先翁宗進 |
千丸 右近大夫 |
森可成六男 森長可(兄) 養子 |
1603-34 | 1634(65) | 中川清秀女 岩 (豊臣秀長養女) |
1600川中島城(信濃) 137,500石 1603津山城 (美作一国) 186,500石 |
||||
森 長継 | 従四位下 侍従 内記 |
長継院 静林道岳 |
家継 兵助 |
関成次長男 (忠政外孫) |
1634-74 | 鶴 (池田長幸女) |
↓ | |||||
森 長武 | 従四位下 伯耆守 |
円明院 碧雲鉄山 |
兵蔵 | 長継三男 | 1674-86 | 1696(52) | 京極高直女 | ↓ | ||||
森 長成 | 従四位下 侍従 美作守 |
雄峯院 賢仲義英 |
兵三郎 万右衛門 |
森忠継 (長継長男) 三男 |
1686-97 | 1697(27) | 元子 (毛利綱元女) |
↓ 1697没後、 継嗣衆利が 疾病、無嗣 |
||||
森 長継 (再承) |
従四位下 侍従 内記 |
1697 | 1698(89) | 1697再承 西江原(備中) 20,000石 1698八男・ 長直が継嗣 赤穂(播磨)転封 |
||||||||
〔松平(越前)家〕 |
||||||||||||
松平 宣富 | 従四位下 左少将 越後守 |
源泉院 流誉慈海 |
矩栄 長矩 源之助 左衛門督 備前守 |
松平直矩三男 松平光長養子 |
1698-1721 | 1721(42) | 岩 (佐竹義処女) 桑 (櫛笥隆賀養女) |
1697高田(越後)藩主 光長の蔵米継承 30,000俵 1698津山城 100,000石 |
||||
松平 浅五郎 | 智円院 鏡誉了巌玉峯 |
宣富長男 | 1721-26 | 1726(11) | - | ↓ 1726無嗣 |
||||||
松平 長煕 | 従四位下 越後守 |
戒善院 忍誉巍晃精徹 |
又三郎 | 松平知清三男 | 1726-35 | 1735(16) | - | 1726継嗣 50,000石 |
||||
松平 長孝 | 従四位下 侍従 越後守 |
隆照院 莫誉恭岳悟心 |
幾三郎 庄次郎 |
松平近朝三男 | 1735-62 | 1762(38) | 岸 (藤堂高治女) |
↓ | ||||
松平 康哉 | 従四位下 侍従 越後守 |
顕徳院 性誉法山俊哲 |
康致 仙千代 光丸 |
長孝長男 | 1762-94 | 1794(43) | 勢与 (井伊直幸女) |
↓ | ||||
松平 康乂 | 従四位下 越後守 |
厳恭院 報誉無生浄真 |
徳丸 仙千代 |
康哉二男 | 1794-1805 | 1805(20) | 穀 (藤堂高嶷女) |
↓ | ||||
松平 斉孝 | 従四位上 左中将 越後守 |
成裕院 深誉達道入楽 |
克孝 康孝 怡丸 慎三郎 酔笑斎 |
康哉四男 | 1805-31 | 1838(51) | 箏 (松平治好女) |
↓ 1817加増 100,000石 |
||||
松平 斉民 | 左中将 越後守 |
確堂 | 銀之助 | 徳川家斉十四男 | 1831-55 | 1891(78) | 従(斉孝女) 美濃 (松平維賢女) |
↓ | ||||
松平 慶倫 | 津山藩知事 | 有倫 温之助 龖次良 淵之丞 三河守 |
斉孝三男 | 1855-71 | 1871(45) | 儀 (黒田長溥養女) |
↓ 1871廃藩置県 |
養孫・康民 のとき子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
伊東 長実 | 従五位下 丹後守 |
金竜寺 雲山宗徳 |
長次 甚太郎 |
伊東長久男 | 1615-29 | 1629(70) | 1615新封、岡田(備中) 10,343石 |
||||
伊東 長昌 | 従五位下 若狭守 |
宝光院 東山高天 |
長実長男 | 1629-40 | 1640(48) | ↓ | |||||
伊東 長治 | 甚太郎 | 興国院 一関要無 |
幸松 | 長昌長男 | 1640-58 | 1658(31) | ↓ | ||||
伊東 長貞 | 従五位下 信濃守 |
大僊院 竺厳賢心 |
幸松 主膳 民部 |
長治長男 | 1658-93 | 1693(51) | ↓ | ||||
伊東 長救 | 従五位下 播磨守 |
節翁院 義功浄山 |
長祐 幸松 民部 |
長貞長男 | 1693-1723 | 1745(84) | ↓ | ||||
伊東 長丘 | 従五位下 若狭守 |
実相院 悠岳浄久 |
長広 熊之助 内膳 主税 伊豆守 |
長救長男 | 1723-63 | 1782(86) | ↓ | ||||
伊東 長詮 | 従五位下 伊豆守 |
竜泉院 英岳長雄 |
政之助 主税 |
長丘三男 | 1763-78 | 1778(43) | ↓ | ||||
伊東 長寛 | 従五位下 播磨守 |
政之助 | 長詮長男 | 1778-1850 | 1850(87) | ↓ | |||||
伊東 長之 | 主税 | 貫斎 | 長寛十一男 | (廃嫡) | 1864(61) | ||||||
伊東 長裕 | 従五位下 若狭守 |
泰性院 万随義光 |
運之助 内蔵 |
伊東長禎 (長寛五男)長男 |
1850-60 | 1860(45) | ↓ | ||||
伊東 長トシ (卆+百+千) |
岡田藩知事 | 鋹治郎 | 伊東長生二男 | 1860-71 | 1900(57) | ↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
〔山崎家(前期)〕 |
|||||||||||
山崎 家治 | 従五位下 甲斐守 |
左近 | 山崎家盛長男 | 1617-29 | 1648(55) | 1614若桜城(因幡)襲封 30,000石 1617成羽(備中) 1629富岡城(肥後)転封 |
|||||
〔水谷家〕 |
|||||||||||
水谷 勝隆 | 従五位下 伊勢守 |
弥太郎 | 水谷勝俊長男 | 1639-42 | 1664(68) | 1606下館城(常陸)襲封 32,000石 1630高直し47,000石 1639成羽(備中) 50,000石 1642松山城(備中)転封 |
|||||
〔山崎家(後期)〕 |
|||||||||||
山崎豊治(家治二男。1652分家、讃岐仁保5,000石。1658備中成羽)-義方-堯治-信盛⇒義俊-義孝⇒義苗⇒義徳-義高⇒義柄⇒ | |||||||||||
山崎 治正 | 主税助 | 義厚 寿丸 竹翁 |
平野長興二男 山崎義柄養子 |
1868-69 | 1876(56) | 1839成羽(備中)襲封 5,000石 1868高直し12,746石 |
|||||
山崎 治祗 | 成羽藩知事 | 寿丸 | 治正長男 | 1869-71 | 1909(55) | ↓ | |||||
山崎 治敏 | 成羽藩知事 | 運之進 松翁 |
治正三男 | 1871 | 1939(82) | ↓ 1871廃藩置県 |
男爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
関 長政 | 従五位下 備前守 |
寿福院 梅巌性誠 |
次郎八 式部 但馬守 |
関成次二男 森長継弟 |
1659?-89 | 1698(87) | 1659頃津山藩主 森家から分家 宮川(美作)18,700石 |
||||
関 長治 | 従五位下 備前守 |
西来院 廓聖本然 |
千菊 大蔵 |
森長継六男 | 1689-1725 | 1738(82) | ↓ 1697新見(備中) 18,000石 |
||||
関 長広 | 従五位下 但馬守 |
良徳院 恭岳浄謙 |
熊次郎 民部 |
森長俊二男 | 1725-32 | 1732(39) | ↓ | ||||
関 政富 | 従五位下 播磨守 |
建徳院 鳳山元輝 |
三次郎 | 長広長男 | 1732-60 | 1760(38) | ↓ | ||||
関 政辰 | 小十郎 | 慈徳院 彼山本立 |
政富二男 | 1760-74 | 1774(18) | ↓ | |||||
関 長誠 | 従五位下 備前守 |
雲涛院 鶴翁子彬 |
陽之助 東鶴翁 |
政富長男 | 1774-95 | 1810(66) | ↓ | ||||
関 長輝 | 従五位下 但馬守 |
徳操院 撲巌惟馨 |
陽之助 備前守 (致仕後) 右京亮 主計頭 |
長誠長男 | 1795-1819 | 1826(50) | ↓ | ||||
関 成煥 | 従五位下 大蔵少輔 |
雄岳院 旭瑞東翁 |
長基 備前守 (致仕後) 東市正 海月楼磯人 |
長輝二男 | 1819-41 | 1855(58) | ↓ | ||||
関 長道 | 従五位下 但馬守 |
大憲院 惟徳壮臨 |
亀寿 主計 備前守 東市正 |
森長義四男 | 1841-58 | 1858(44) | ↓ | ||||
関 長克 | 新見藩知事 | 晟三郎 備前守 民部少輔 伊勢守 |
関長吉 (長輝三男) 長男 |
1858-71 | 1877(38) | ↓ 1871廃藩置県 |
養子・博直 のとき子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
三浦 明次 | 従五位下 志摩守 |
立信院 仁誉義興源道 |
政五郎 備後守 玄蕃頭 (致仕後) 其次 兵庫頭 |
三浦明喬三男 三浦義理養子 |
1764-72 | 1797(72) | 松平輝規女 内藤政樹女 |
1756西尾城(三河)襲封 23,000石 1764勝山城(美作) |
||||
三浦 矩次 | 従五位下 志摩守 |
竜徳院 深誉智海無底 |
鋼之助 備後守 孟規 |
三浦義理二男 | 1772-80 | 1780(34) | 松平乗佑女 | ↓ | ||||
三浦 前次 | 従五位下 志摩守 |
庸安院 楽誉宝岸徳水 |
文之助 備後守 |
明次二男 | 1780-1816 | 1817(61) | 稲垣昭央女 本多忠敞女 |
↓ | ||||
三浦 毗次 | 従五位下 主計頭 |
心華院 咲誉召雪梅府 |
剛之助 備後守 蘭卿 |
矩次二男 | 1816-30 | 1849(71) | 千恵 (森忠賛女) |
↓ | ||||
三浦 誠次 | 従五位下 志摩守 |
常楽院 実誉至真誠山 |
邳次 盈次 文之助 玄蕃 兵庫頭 虎丘 |
前次長男 | 1830-31 | 1831(50) | 登 (鍋島斉直養女) |
↓ | ||||
三浦 峻次 | 従五位下 壱岐守 |
峻徳院 瞻誉高山赫道 |
甚太郎 | 誠次長男 | 1831-39 | 1839(19) | - | ↓ | ||||
三浦 義次 | 備後守 | 順之助 | 誠次三男 | 1839-48 | 1883(55) | - | ↓ | |||||
三浦 朗次 | 従五位下 志摩守 |
清広院 徳誉皎潔即空 |
剛之助 | 有馬誉純三男 | 1848-60 | 1860(27) | 松田勝敬女 | ↓ | ||||
三浦 弘次 | 備後守 | 麟之助 | 誠次四男 | 1860-68 | 1886(65) | - | ↓ | |||||
三浦 顕次 | 真島藩知事 | 毘之助 | 弘次長男 | 1868-71 | 1895(49) | 守巣 (土井利則女) |
↓ 1869真島藩と改称 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
松平 武聡 | 鶴田藩知事 | 十郎麿 昭音 右近将監 |
徳川斉昭十男 | 1867-71 | 1882(41) | 1847浜田城(石見)襲封 61,000石 1866長州藩に敗れ放棄 1867飛地鶴田(美作)に移転 1871廃藩置県 |
(2004.12.31up)
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