熊本県(肥後)の主要大名


   熊本県は古くは火の国と呼ばれましたが、7世紀末には肥後国となりました。『延喜式』では14郡。平安朝の荘園としては阿蘇神社領や東寺領(鹿子木荘)など。鎌倉中期以後は北条一族が守護に任じられました。南北朝期には菊池家を中心とした南朝方が優勢であり、室町期には今川家、ついで菊池家が守護となりました。戦国期には東部の阿蘇家や南部の相良家などが勢力を伸張、また豊後の大友家の介入を招きます。戦国末には竜造寺家や島津家も肥後に進出しました。豊臣秀吉は1587年に島津家を降伏させると、肥後には佐々成政、ついで加藤清正・小西行長を封じました。江戸期に入り、加藤家の改易後は、細川家が熊本を居城として肥後の大部分を領有、球磨郡は人吉藩(相良家領)、天草郡は江戸中期以降幕領となりました。1871年の廃藩置県により熊本県と八代県とが成立、1873年には白川県として統合され、1876年に熊本県と改称しました。

 肥後守護職   菊池家   阿蘇家   志岐家   相良家→人吉藩   隈部家   佐々家   小西家   肥後国主加藤家   富岡藩   熊本藩=細川家   宇土藩=細川家   熊本新田藩/高瀬藩=細川家   八代城代松井家


肥後守護職
(室町時代)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
大友 氏泰 千代松丸 清巍 1335
少弐 頼尚 大宰少弐 本通 1335-1348
一色 直氏 宮内少輔・右京権大夫 1348-1353
菊池 武光 肥後守 聖厳 1357-1369 南朝方の守護
大友 氏時 刑部大輔 大祐 1359-1361
阿蘇 惟澄 筑後権守 1361
阿蘇 惟村 大宮司 1362
1379
1404
今川 貞世 伊予守 了俊 1373-1379
1380-1395
(以後は菊池家を参照)


菊池家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
藤原 則隆 大宰将監 藤原蔵規男 11世紀 菊池郡内(肥後)
藤原 経隆 兵藤警固太郎 則隆男
藤原 経頼 兵藤四郎 経隆男
菊池 経宗 太郎
鳥羽院武者所
経頼男
菊池 経直 七郎
鳥羽院武者所
経宗男
菊池 隆直 肥後権守 経直男 12世紀後半
菊池 隆定 太郎 隆直男
菊池 隆継 次郎 隆定男 (早世)
菊池 能隆 弥次郎 隆継男 1221前後 大友能直女
菊池 隆泰 太郎 能隆長男 詫磨能秀女
菊池 武房 次郎 隆泰二男 1265前-81後
西郷 隆盛 弥次郎 武房長男 (早世)
菊池 時隆 太郎 隆盛長男
菊池 武時 次郎 広福寺
真空寂阿
隆盛二男 ?-1333 1333(42)
菊池 武重 従五位下
肥後守
歓喜院 次郎 武時長男 1333-38/9 1338/9 南朝方
菊池 武士 肥後守 寂照祖禅 又次郎 武時十一男 1338/9-1344 1401? 南朝方
菊池 武光 肥後守 正観寺
聖厳
豊田十郎 武時九男 1345?-72/3 1372/3 南朝方
菊池 武政 肥後守 悟真寺
志行
次郎 武光長男 1372/3-1374 1374 隈府(肥後)
菊池 武朝 右京権大夫
肥後守
神徳寺
玄徹常朝
加賀丸
武興
武政長男 1374-1407 1407(45) ↓(一時失領
、回復)
肥後守護代
菊池 兼朝 従四位下
肥後守
旭山元朝 武朝長男 1407-31 1444(62) 肥後守護
菊池 持朝 従四位下
肥後守
光善寺
阿山蘇光
筑後守 兼朝長男 1431-46 1446(38) 肥後・筑後守護
菊池 為邦 従五位下
肥後守
碧巌寺
尖活仍勢
犬丸
筑後守
持朝長男 1446-66 1488(59) 肥後・筑後守護
菊池 重朝 従五位下
肥後守
智顕院
梅屋祥英
藤菊丸
十郎
為邦長男 1466-93 1493(45) 肥後・筑後守護
菊池 能運 従五位下
肥後守
儀天英忠
明綱
宮菊丸
武運
重朝長男 1493-1504 1504(23) 肥後守護
菊池 政隆 肥後守 浄智 政朝 菊池重安
(持朝孫)の男
1504-05 1509(19) 肥後守護
菊池 武経 従四位下
肥後守
惟長 阿蘇惟憲男 1505-11 1537(58) 肥後守護
菊池 武包 肥後守 詫磨武安男 1511-20 1532
菊池 義武 十郎 重治
義宗
国武
大友義長二男 1520-54 1554
1554滅亡
菊池嫡流である能運の男・重為は、日向米良谷に居住して無高の交替寄合となり、明治に入って菊池武臣のとき男爵。


阿蘇家

氏名 官位/仮名 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
阿蘇 惟宣 大宮司 阿蘇惟俊男 12世紀前半 阿蘇荘周辺(肥後)
阿蘇 資長 大宮司 惟宣男
阿蘇 惟泰 大宮司 資長男
阿蘇 惟次 大宮司 太郎 惟泰男 12世紀末
阿蘇 惟義 従三位
大宮司
惟次男
阿蘇 惟景 大宮司 亀熊丸 惟義男
阿蘇 惟国 大宮司 八郎 惟景男
阿蘇 惟時 大宮司 惟国男 1353
阿蘇 惟直 大宮司 八郎 惟時男 ?-1336 1336 没後、庶流の坂梨孫熊丸が
北朝方の大宮司に補任
阿蘇 惟澄 大宮司
筑後守
恵良某の男 1361-64 1364 南朝方
阿蘇 惟村 従三位
大宮司
丞丸 惟澄男
惟時外孫
1364-1406 1406 はじめ北朝方
阿蘇 惟郷 従三位
中務大輔
大宮司
惟村男 1406-31
阿蘇 惟忠 正三位
大宮司
惟郷男 1431-51 1585
阿蘇 惟歳 大宮司 加賀丞丸 阿蘇惟兼男 1451-83
阿蘇 惟家 大宮司 惟歳男 1483-85
阿蘇 惟憲 大宮司 惟乗 惟忠男 1485-?
阿蘇 惟長 従四位
大宮司
肥後守 惟憲男 ?-1507 1537(58) 一時、菊池武経となる
阿蘇 惟豊 従二位
大宮司
惟憲男 1507-13
1517-59
1559(67) 1513敗退、17復権
阿蘇 惟前 従四位上
大宮司
惟長男 1513-17 1517追放、以後は
堅志田城(肥後)に居住
阿蘇 惟将 大宮司 惟豊男 1559-1583 1583 1582島津家に服属
阿蘇 惟光 大宮司 惟将男 1583-93 1593
1593滅亡
阿蘇惟善(惟将男)が大宮司の神職のみを継承、子孫は明治に至り、惟敦のとき男爵。


志岐家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
山鹿 経政 山鹿大夫 藤原経隆男 山鹿郡内(肥後)
山鹿 政弘 出羽守 経政男
山鹿 弘宗 兵藤武者 政弘男
志岐 弘家 出羽守 弘宗男 12世紀後半
天草郡志岐(肥後)
志岐 良弘 兵藤九郎 弘家男
志岐 光弘 兵藤左衛門 良弘男 1205頃 天草六ヶ浦(肥後)
志岐 家弘 兵藤左衛門尉 信阿 光弘男
志岐 景光 兵藤左衛門尉 専阿 家弘男
志岐 景弘 兵藤左衛門尉 弘円 景光男 1293頃
志岐 光弘 兵藤次 弘喜 景弘男
志岐 光景 光弘男
志岐 隆弘 兵藤太郎 高弘 光景男 1353頃
志岐 経弘 隆弘男
志岐 知遠 山城守 経弘男
志岐 忠遠 治部少輔 知遠男
志岐 高遠 山城守 忠遠男
志岐 安遠 出羽守 高遠男
志岐 遠治 治部少輔 又次郎
次郎右衛門尉
安遠男
志岐 重遠 治部少輔 次郎右衛門尉 遠治男
志岐 重弘 肥前守 又次郎
弾正少弼
重遠男
志岐 鎮経 豊前守 麟泉 又次郎
兵部少輔
兵部大夫
重弘男 ?-1589
1589逃亡
志岐 親重 藤右衛門尉 宗安 諸経
親家
兵部大夫
有馬晴純五男 1589-1607 1607 1589再興
肥後国内に知行
加藤家臣
志岐 親昌 小左衛門 傑心宗英 親重男 1607-32 1647(45)
1532失領
加藤家臣(後に
薩摩にて島津家臣)


相良家 → 人吉藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
 1 相良 頼景 相良四郎 蓮寂 相良頼繁男 12世紀後半 多良木(肥後)
 2 相良 長頼 三郎 蓮仏 頼景長男 1207-51 1254 人吉(肥後)
 3 相良 頼俊 六郎 迎蓮 長頼三男 1251-? 1308/11 庶子家
 4 相良 長氏 六郎三郎 蓮道 頼俊長男 1352/6
 5 相良 頼広 弥三郎 蓮嘉 長氏長男
 6 相良 定頼 兵庫允 無量寿院
契阿
八郎
貞頼
頼広長男 1333前-72 1372
 7 相良 前頼 近江守 立阿 定頼長男 1372-94 1394
 8 相良 実長 兵庫允 実阿 頼茂 前頼長男 1394-1417 1417
 9 相良 前続 近江守 竺芳永徳 実長長男 1417-43 1443 島津久豊女
10 相良 堯頼 三郎 悦山大喜 前続長男 1443-48 1448(16)
11 相良 長続 左近将監 宝山道珍 藤五郎 永留実重長男 1448-68 1468(58) 犬童兼長女 庶流より
簒奪?
12 相良 為続 左衛門尉 玉井院
西華蓮船
頼元
四郎三郎
長続三男 1468-1500 1500(54)
13 相良 長毎 近江守 竜成寺
大池蓮心
長輔
太郎
宮内少輔
休也斎
為続長男 1500-15 1518(50) 伊東祐国女
14 相良 長祗 太郎 大谷蓮世 長聖
満乗丸
左衛門尉
長毎三男 1515-25 1525(25) 伊東尹祐女
15 相良 長定 民部大輔 西池蓮秀 相良頼金
(長続男)長男
1525-26 1531
16 相良 義滋 従五位下
宮内少輔
蓮乗院
了徳永幸
長唯
六郎丸
左衛門尉
近江守
長毎長男 1526-46 1546(58) 豊永某の女
17 相良 晴広 従五位下
右兵衛佐
林泉院
兆山蓮慶
頼重
長為
為清
藤五郎
上村頼興
(為続孫)の男
1546-55 1555(43) 上田織部丞女
18 相良 義陽 従四位下
修理大夫
玉泉院
越江蓮芳
頼房
義頼
四郎太郎
遠江守
晴広長男 1555-81 1581(38) 千代菊
(義滋女)
豊永下総女
1581
島津家被官
19 相良 忠房 四郎太郎 天膺了清 義陽長男 1581-85 1585(14) 島津家被官
20 相良 長毎 従五位下
左兵衛佐
瑞祥院
天叟玄高
頼房
四郎次郎
義陽二男 1585-1636 1636(63) 秋月種実女
島津以久女
1587本領安堵
人吉=
球磨郡一円22,100石
(肥後)
21 相良 頼寛 従五位下
壱岐守
天真院
本源雄性
頼尚
長次郎
長毎長男 1636-64 1667(68) 片岡正秀女
亀鶴
(相良頼兄女)
鷲尾隆尚女
22 相良 頼喬 従五位下
遠江守
天霊院
浚翁含英
長武
頼房
長次郎
頼寛長男 1664-1703 1703(63) 於亀
(相良長秀女)
鷲尾隆量女
23 相良 頼福 従五位下
志摩守
広厳院
梁聖大廓
梁誠
長房
万満
采女
左兵衛
相良長秀
(長毎男)の男
1703-12 1720(70) 於豊
(板倉重種養女)
24 相良 長興 従五位下
近江守
随流院
実山玄幽
頼以
金之助
頼福長男 1712-21 1734(42) 木下俊量女
25 相良 長在 従五位下
遠江守
雲霄院
泰嶺実岫
長敞
求馬
頼福五男 1721-38 1738(36) 祢為
(秋月種弘女)
26 相良 頼峯 従五位下
志摩守
秀徳院
雄山玄英
政太郎 長在長男 1738-58 1758(24)
27 相良 頼央 従五位下
遠江守
祥麟院
華嶽仁封
滋氏
頼母
相良頼直男 1758-59 1759(23)
28 相良 晃長 民部 柳性院
天光直栄
長次郎 秋月種美三男 1759-62 1762(10) (夭折のため
内密に頼完が
すり替わる)
29 相良 頼完 従五位下
近江守
高岳院
英巌亮俊
鷲尾隆煕男 1762-67 1767(19) (表向きは晃長
と同一人物)
30 相良 福将 従五位下
越前守
泰雲院
玄岳道樹
友充
源次郎
遠山友明三男 1767-69 1769(20)
31 相良 長寛 従五位下
壱岐守
興国院
仁山義雄
政長
長泰
護之進
池田宗政二男 1769-1802 1813(63) 五百
(松平忠名女)
32 相良 頼徳 従五位下
志摩守
寂淳院
繊月雅遊
英次郎
武之進
島人
繊月
長寛二男 1802-18 1856(83)
(松平頼謙女)
33 相良 頼之 従五位下
壱岐守
泰清院
温際慧淳
護之
頼重
英次郎
頼徳長男 1818-39 1850(53)
(亀井矩賢女)
34 相良 長福 従五位下
志摩守
賢隆院
天界常真
英次郎
武之進
頼之長男 1839-55 1855(32) 大村純高女

(奥平昌高女)
35 相良 頼基 人吉藩知事 為知
元三郎
頼之四男 1855-71 1885(45)
(上杉斉憲女)

(徳大寺公純女)

1871廃藩置県
息子・頼紹
のとき子爵


隈部家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所
隈部 持直 右衛門尉 浄貞 源次郎 源詮治男 1270 水野米山城(肥後)
隈部 隆忠 式部大輔 源四郎 持直男
隈部 隆朝 式部大輔 浄智 千代丸 隆忠男
隈部 朝直 上総介 又次郎 隆朝男
隈部 長治 式部大輔 又三郎 朝直男
隈部 朝豊 紀伊守 潭月延竜 長治男 1443
隈部 忠直 兵部大輔 義雲慈孝 常若丸
上総介
朝豊男 1494(69)
隈部 元成 民部少輔 但馬守 忠直男
隈部 親朝 式部大輔 素覚 上総介 元成男
隈部 武治 式部少輔 祐厳 親朝男
隈部 貞明 豊前守 喜竹道悦 幸若丸 武治男 1537(48)
隈部 親家 式部大輔 高峰順天 上総介 貞明男 1550
隈部 親永 但馬守 仙空 刑部丞
筑後守
親家男 ?-1588 1588
1578隈府城(肥後)
1588滅亡


佐々家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年 所領/居所
佐々 成政 侍従
陸奥守
成政寺
庭月道閑
内蔵助 佐々盛政(成宗?)男 1575-88 1588 1585新川郡(越中)
1587隈本城(肥後)
1588改易、切腹


小西家

氏名 官位/仮名 霊名 他の名 続柄 藩主在任 没年 所領/居所
小西 行長 摂津守 アゴスチノ 弥九郎
内匠頭
小西隆佐(寿徳)男 1588-1600 1600 1588宇土城(肥後)
140,000石
後240,000石
1600関ヶ原の戦で
敗れ、改易、斬首


肥後国主 加藤家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
加藤 清正 従四位下
侍従・肥後守
浄光院
日乗
夜叉丸
虎之助
主計頭
加藤清忠男 1588-1611 1611(50) 玉目丹波女 1588熊本城(肥後)
195,000石
1600加増
520,000石
加藤 忠広 従四位下
侍従・肥後守
常光院
誠覚日源
虎之助
虎勝
清正三男 1611-32 1653(53) 徳川秀忠養女
(蒲生秀行女)

1632改易、丸岡(出羽)へ
配流、宛行10,000石
1613年頃の重臣配置としては、八代城代の加藤正方66,000石が挙げられる。


富岡藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
〔山崎家〕
山崎 家治 従五位下
甲斐守
桂岩院
正渓遊覚
左近 山崎家盛長男 1638-41 1648(55) 1617成羽城(備中)
30,000石
1638富岡城(肥後)
40,000石
1641丸亀城(讃岐)転封
〔戸田家〕
戸田 忠昌 従五位下
伊賀守
忠治
主膳
越前守
山城守
戸田忠次長男
戸田忠能養子
1664-71 1699(68) 1647田原城(三河)襲封
10,000石
1664富岡城(肥後)
21,000石
1671相模等四国内
1676山城等五国内
転封
(1671富岡城は破却され、以後、天草は幕領となる)


熊本藩=細川家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
細川 忠利 従四位下
左少将
越中守
妙解院
台雲宗伍
光千代
内記
細川忠興二男 1632-41 1641(56) 千代
(小笠原秀政女
・徳川秀忠養女)
1620小倉城
(豊前)襲封
399,000石
1632熊本城
(肥後)
540,000石
細川 光尚 従四位下
侍従
肥後守
真源院
回岩宗夢
光利
光貞
六丸
忠利長男 1641-49 1649(31) 祢々
(烏丸光賢女)
細川 綱利 従四位下
左少将
越中守
妙応院
雲嶽宗竜
如嗟
六丸 光尚長男 1650-1712 1714(72)
(松平頼重養女)
細川 宣紀 従四位下
侍従
越中守
霊雲院
桃谷義幡
閑甫
利武
竹之助
主税頭
細川利重二男 1712-32 1732(57)
細川 宗孝 従四位下
侍従
越中守
隆徳院
廓然義周
紀逵
主税
六丸
宣紀四男 1732-47 1747(32) 当子=喜
(徳川宗直女)
細川 重賢 従四位下
左少将
越中守
霊感院
徹巌宗印
銀台
紀雄
六之助
民部
主馬
宣紀五男 1747-85 1785(68) 節子=由布
(久我通兄女)
細川 治年 従四位下
侍従
越中守
大詢院
禅月宗関
錦城
賢年
胤次
中務大輔
東岸
重賢長男 1785-87 1787(30)
(細川興文女)
細川 斉茲 従四位下
左少将
越中守
諦了院
覚海義広
鶴城
立礼
与松
和泉守
青田
細川興文三男 1787-1810 1835(81) 八千
(岩城隆泰女)
細川 斉樹 従四位下
左少将
越中守
諦観院
春谷宗湛
竜門
茲樹
六之助
芝田
楽山
斉茲二男 1810-26 1826(38)
(徳川治済女)
細川 斉護 従四位上
左中将
越中守
泰厳院
仁岳宗寛
松窓
与松
立政
細川立之長男 1826-60 1860(57)
(浅野斉賢女)
細川 韶邦 熊本藩知事 香稲 護順
慶順
六之助
斉護二男 1860-70 1876(42)
(一条忠香養女)
細川 護久 熊本藩知事
(廃藩後)
海軍少将
美之助
澄之助
斉護三男 1870-71 1893(55) 宏子
(鍋島直正女)

1871廃藩置県
侯爵
貴族院議員


宇土藩=細川家(熊本支藩)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
細川 行孝 従五位下
丹後守
泰源院
省石宗発
宮松
帯刀
細川立孝
(忠興四男)長男
1646-90 1690(54) 1646熊本藩
細川家より分家
宇土(肥後)
30,000石
細川 有孝 従五位下
和泉守
泰立院
通峯宗貫
熊次郎
治孝
紹貫
行孝三男 1690-1703 1733(58)
細川 興生 従五位下
山城守
泰寿院
英誉梅翁
有清
興寿
寿孝
乙次郎
熊次郎
伊豆守
有孝長男 1703-35 1737(39)
細川 興里 従五位下
大和守
泰嶽院
要寂紹玄
源次郎 興生長男 1735-45 1745(24)
細川 興文 従五位下
中務少輔
幽巌寺
心海月翁
興周
哲之助
亀之助
大之丞
豊前守
桂源山人
興生三男 1745-72 1785(63)
細川 立礼 従五位下
和泉守
与松 興文三男 1772-87
(熊本藩主継承
=細川斉茲)
1835(81)
細川 立之 従五位下
和泉守
泰崇院
心渓義安
与松 立礼長男 1787-1818 1818(35)
細川 立政 従五位下
中務少輔
与松 立之長男 1818-26
(熊本藩主継承
=細川斉護)
1860(57)
細川 行芬 豊前守 中務少輔 立之二男 1826-51 1876(67)
細川 立則 山城守 総丸 行芬二男 1851-62 1888(57)
細川 行真 豊前守 慎之助 行芬五男 1862-70 1902(61)
1870廃藩
子爵


熊本新田藩/高瀬藩=細川家(熊本支藩)

細川利重(従五位下・若狭守。熊本藩主細川光尚二男。1666分家、蔵米35,000石)−利昌(従五位下・采女正)−利恭(従五位下・備後守)⇒利寛(従五位下・若狭守)−利致(従五位下・若狭守)⇒利庸(従五位下・能登守)−利国⇒利愛(従五位下・采女正)⇒利用(従五位下・能登守)⇒利永(権中教正。1868肥後高瀬に藩庁を置く。1871廃藩。のち子爵)


八代城代 松井家(熊本藩領内)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 城代在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
松井 興長 佐渡守 智海院
松雲宗閑
吉松
新太郎
式部少輔
松井康之二男 1646-61 1661(81) 1612細川家の杵築城
(豊後)継承、および相楽・愛宕
二郡内(山城。幕府より拝領)
25,173石(うち山城国内173石)
1632熊本移転に伴い肥後国内
30,173石(山城2郡内を含む)
1646八代城代
公称長岡
松井 寄之 佐渡 要津院
英寄俊岩
岩千代
式部
細川忠興六男 1661-66 1666(50)
松井 直之 筑後 覚雲院
遠嶺元巍
長盛
氏之
吉松
新助
帯刀
佐渡
寄之長男 1667-92 1692(55)
松井 寿之 帯刀 邀月院
冬山静寿
亮之
吉松
式部
眺山
直之長男 1692-1714 1745(78)
松井 豊之 帯刀 凌雲院
大山霊嶆
成之
竜千代
右伝
寿之長男 1715-66 1771(68)
松井 営之 主水 英巌院
観水雄道
岩次郎
亀松
式部
豊之長男 1766-1804 1808(72)
松井 徴之 帯刀 顕功院
鉄巌良胆
慎之
岩次郎
亀松
式部
営之長男 1804-16 1826(61)
松井 督之 山城 広鑑院
天真円明
亀次郎
式部
松井賀之二男 1816-40 1840(45)
松井 章之 佐渡 豊松
式部
徴之二男 1840-63 1887(75) 1869復松井姓
松井 盈之 熊本藩大参事 胃助
新太郎
帯刀
章之長男 1863-69 1916(74)
1869版籍奉還・城代解任
1871廃藩置県
息子・敏之の
とき男爵



(2004.01.02 up/2008.10.05 enlarge)


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