福岡県は古くは筑紫の国と呼ばれ、7世紀後期までに筑前・筑後の両国に分離、また664年に大宰府が置かれて九州諸国を管轄しました。『延喜式』では筑前が15郡、筑後が10郡。平安朝期には筑前の博多荘(安楽寺)・筑後の三潴荘(東寺)など多くの荘園がありました。鎌倉期には武藤(少弐)家が大宰少弐と兼帯して守護に任ぜられ、筑後は大友・武藤・北条一門などが守護となりました。南北朝期には少弐家が筑前守護を継承、一方筑後では五条家など南朝の征西府の勢力が優勢でしたが、室町幕府の九州探題今川貞世に制圧されました。室町期から戦国期にかけては中小豪族が割拠する情勢の中で、大内家が大宰府を掌握して筑前を支配し、大友家は豊前から筑後を制してこれに対抗しました。戦国後期には毛利家が筑前へ、竜造寺家が筑後へ進出し、さらに末期には島津家の北進があり、諸家の角逐の場となりました。豊臣秀吉は1587年に九州を平定すると、筑前を小早川隆景に、筑後を立花宗茂ほかに、豊前北部を毛利勝信に与えました。江戸初期には筑前は黒田家、筑後は田中家、豊前は細川家の所領となります。江戸中期以後は筑前福岡藩(黒田家)・筑後久留米藩(有馬家)・筑後柳川藩(立花家)・豊前小倉藩(小笠原家)の4藩、およびこれらの支藩が存在しました。1871年の廃藩置県により筑前は福岡県、筑後は三潴県となり(1876年に佐賀県を合併)、福岡県は1876年に小倉県(旧豊前国)を合併し、この年に三潴県が廃止されると、その旧筑後国の部分を編入するとともに、旧豊前国の南部を大分県に移し、県域が確定しました。
筑前守護職 筑後守護職 宗像家 原田家 秋月家 田尻家 高橋家 麻生家 城井家 筑紫家 立花家→柳川藩 立花(高橋)家→三池藩 蒲池家 小早川家 毛利(勝信)家 豊前国主細川家 筑後国主田中家 福岡藩=黒田家 秋月藩=黒田家 東蓮寺藩/直方藩 三奈木邑主黒田家 久留米藩=有馬家 小倉藩/香春藩/豊津藩=小笠原家 小倉新田藩/千束藩=小笠原家 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
少弐 貞経 | 大宰少弐・筑後守 | 妙恵 | ?-1334 | |
少弐 頼尚 | 大宰少弐・筑後守 | 本通 | 1334-52 | 1351-52南朝方の守護 |
一色 直氏 | 右京権大夫 | 1352-55 | ||
菊池 武光 | 肥後守 | 1357前後 | 南朝方の守護 | |
少弐 頼尚 | 太宰少弐・筑後守 | 本通 | 1359-61 | |
少弐 冬資 | 大宰少弐・筑後守 | 存覚 | 1361-75 | |
今川 貞世 | 伊予守 | 了俊 | 1375-87 | |
少弐 頼澄 | 大宰少弐 | 本富 | 1375 | 南朝方の守護 |
少弐 貞頼 | 大宰少弐・筑後守 | 本恵 | 1387-1404 | |
少弐 満貞 | 大宰少弐・筑後守 | 本勝 | 1404-? | |
大内 持世 | 刑部少輔・修理大夫 | 道岩 | ?-1441 | |
大内 教弘 | 周防権守・大膳大夫 | 教弘 | 1441-65 | |
大内 政弘 | 周防権守・左京大夫 | 真正 | 1465-95 | |
大内 義興 | 周防権介・左京大夫 | 義秀 | 1496-1528 | |
大内 義隆 | 周防介・大宰大弐・左京大夫 | 珠天 | 1528-51 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
宇都宮 冬綱 | 常陸介 | 1333-54 | ||
詫磨 宗直 | 別当太郎 | 1349 | 足利直冬方の守護 | |
大友 氏時 | 刑部大輔 | 大祐 | 1363-64 | |
大友 氏継 | 孫三郎 | 1364-? | ||
島津 氏久 | 越後守 | 齢岳 | 1375 | |
今川 貞世 | 伊予守 | 了俊 | 1375-95 | |
大友 親世 | 修理権大夫 | 祐高 | 1399-? | |
大友 親著 | 式部大夫 | 道瑛 | 1401-26 | |
大友 親繁 | 豊後守 | 1469-82 | ||
大友 政親 | 豊前守 | 如意 | 1482-84 | |
大友 親豊 | 中務大輔・修理大夫 | 1484 | ||
大友 親治 | 備前守 | 1499 | ||
大友 義親 | 修理大夫 | 1501-16 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
胸形 清氏 | 神主 | 胸形徳善の裔 | 10C初期 | 宗像大社(筑前) | |||||||
胸形 氏男 | 神主 | 筑前守? | 清氏男 | ↓ | |||||||
胸形 氏世 | 宮司 | 氏男の男 | ↓ | ||||||||
宗像 氏能 | 大宮司 | 氏男の男 | 979頃 | ↓ | |||||||
宗像 宗時 | 大宮司 | 氏能男 | ↓ | ||||||||
宗像 妙忠 | 因幡守 大宮司 |
宗時男 | ↓ | ||||||||
宗像 氏高 | 筑前守 大宮司 |
宗像為忠 (宗時男)の男 |
11C後半 | ↓ | |||||||
宗像 氏助 | 肥前守 大宮司 |
氏資 | 氏高二男 | ↓ | |||||||
宗像 氏季 | 筑前守 大宮司 |
氏高長男 | ↓ | ||||||||
宗像 氏道 | 大宮司 | 氏助長男 | ↓ | ||||||||
宗像 氏房 | 大宮司 | 宗像氏職 (氏高三男)男 |
?-1133? | (氏平と対立) | |||||||
宗像 氏平 | 大宮司 | 氏道長男 | ?-1144? | (氏信と対立) | |||||||
宗像 氏信 | 筑前守 大宮司 |
氏延 | 宗像氏尚 (氏季長男)男 |
1144前-50後 | ↓ | (内訌を克服し て嫡統となる) |
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宗像 氏実 | 筑前守 大宮司 |
氏信長男 | 1160前-89 | 1189 | ↓ | ||||||
宗像 氏国 | 摂津守 大宮司 |
氏実二男 | 1189-1231 | ↓ | (鎌倉御家人) | ||||||
宗像 氏業 | 大宮司 | 氏有 | 宗像氏経 (氏実三男)長男 氏国養子 |
1231-51 | ↓ | ||||||
宗像 長氏 | 右少将 掃部頭 大宮司 |
氏業長男 | 1251-64? | ↓ | |||||||
宗像 氏盛 | 大宮司 | 長氏長男 | 1264?-1313後 | ↓ | |||||||
宗像 氏範 | 筑前守 大宮司 |
氏長 松法師丸 左衛門尉 |
氏盛長男 | 1313後-36後 | ↓ | ||||||
宗像 氏正 | 摂津守 大宮司 |
民部大輔 | 氏範長男 | 1336後-51後 | ↓ | ||||||
宗像 氏俊 | 左衛門尉 大宮司 |
三郎 | 氏範二男 | 1361前-71後 | ↓ | 1365-71 壱岐守護 |
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宗像 氏頼 | 大宮司 | 弥松丸 | 氏俊長男 | 1348-91 | 1391 | ↓ | 1371-? 壱岐守護 |
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宗像 氏重 | 大宮司 | 氏俊二男 | 1391-96 | 1396 | ↓ | ||||||
宗像 氏経 | 摂津守 大宮司 |
千代松丸 | 氏重長男 | 1396-1403 | ↓ | ||||||
宗像 氏忠 | 大宮司 | 仁海 | 氏俊三男 | 1403 | (対立当主) | ||||||
宗像 氏経 (再承) |
1403-10 | ↓ | |||||||||
宗像 氏信 | 左衛門尉 大宮司 |
氏顕 | 氏重二男 | 1410-21 | ↓ | ||||||
宗像 氏俊 | 三河守 大宮司 |
祝松丸 | 氏経長男 | 1421-31 | ↓ | ||||||
宗像 氏継 | 大宮司 | 氏忠男 | 1431-33 | (対立当主) | |||||||
宗像 氏俊 (再承) |
1433-46 | ↓ | |||||||||
宗像 氏正 | 大宮司 | 宗琢 | 氏経二男 | 1446-58 | 1458 | (番代?) | |||||
宗像 氏郷 | 左衛門尉 大宮司 |
氏信長男 氏俊養子 |
1458-78 | 1478 | ↓ | ||||||
宗像 氏定 | 摂津守 大宮司 |
氏郷長男 | 1478-87 | 1487 | ↓ | ||||||
宗像 氏佐 | 左衛門尉 大宮司 |
氏国 | 氏郷二男 | ?-1504 | (対立当主) | ||||||
宗像 興氏 | 掃部助 大宮司 |
鶴千代丸 | 氏定長男 | 1487-1511 | 1511 | ↓ | |||||
宗像 正氏 | 刑部少輔 大宮司 |
隆尚 | 氏佐長男 | 1511-27 | ↓ | ||||||
宗像 氏続 | 左衛門尉 大宮司 |
氏佐二男 | 1527-28 | ↓ | |||||||
宗像 正氏 (再承) |
1528-47 | 1547 | ↓ | ||||||||
宗像 氏男 | 近江権守 大宮司 |
隆像 | 氏続男 | 1547-51 | 1551 | ↓ | |||||
宗像 氏貞 | 掃部助 大宮司 |
即心院 一以鼎恕 |
四郎 鍋寿丸 |
正氏男 | 1551-86 | 1586 | ↓ 1586無嗣、絶家 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
大蔵 春実 | 従五位下 対馬守兼大宰大監 征西将軍 |
大蔵一族だが 系統に諸説あり |
939前-960後 | 御笠郡原田(筑前) | |||||||
大蔵 種光 | 大宰大貫主 | 春実男 | ↓ | ||||||||
大蔵 種材 | 従五位下 壱岐守・大宰大監 |
種光男 | 1019頃 | ↓ | (この後、種政 までの系譜に 異同が多い) |
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大蔵 光弘 | 従五位下 太宰少監 |
種材男 | |||||||||
大蔵 種弘 | 従五位下 長門権守・大宰権大監 |
光弘男 | ↓ | ||||||||
大蔵 種資 | 筑後守・大宰権大監 | 種輔 長門権守 |
種弘男 | ↓ | |||||||
大蔵 種生 | 大宰大監 | 種平 | 種資男 | ↓ | |||||||
原田 種成 | 大宰大監 | 種雄? | 種生男 | ↓ | |||||||
原田 種直 | 従五位下 大宰少弐 |
嵩山常栄 | 種成男 | 1213 | ↓ 1185所領没収 1190怡土荘(筑前) |
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原田 種栄 | 長門守 | 種秀 | 種直男 | ↓ | |||||||
原田 種政 | 大宰大監 | 種秀男 | ↓ | ||||||||
原田 種次 | 従五位下 壱岐守 |
惇宗全心 | 種継 太郎 |
種政男 | ↓ 1249高祖山城(筑前) |
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原田 種頼 | 山城守 | 種次男 | ↓ | ||||||||
原田 種照 | 大和守 | 種頼長男 | ↓ | ||||||||
原田 種之 | 権頭 | 種頼二男 | ↓ | ||||||||
原田 種房 | 大宰大監 | 種頼三男 | ↓ | ||||||||
原田 種遠 | 左京亮 | 種房男 | ↓ | ||||||||
原田 種勝 | 越前守 | 種遠男 | 1338 | ↓ | |||||||
原田 種時 | 紀伊守 | 種勝男 | ↓ | ||||||||
原田 種貞 | 伊勢守 | 種時男 | ↓ | ||||||||
原田 種資 | 大宰大監 | 波多江種家二男 | ↓ | ||||||||
原田 種久 | 権頭 | 種資男 | ↓ | ||||||||
原田 種義 | 大学正 | 菊池某の男 | ↓ | 大内家被官 | |||||||
原田 種泰 | 中務大夫 | 種義男 | 1431頃 | ↓ | 大内家被官 | ||||||
原田 種親 | 弾正少弼 | 種泰男 | ↓ | 大内家被官 | |||||||
原田 弘種 | 弾正少弼 | 種親男 | ?-1496 | 1496? | ↓ | 大内家被官 | |||||
原田 興種 | 弾正少弼 | 隠岐守 | 弘種男 | 1496-1530 | 1530? | ↓ | 大内家被官 筑前守護代 |
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原田 隆種 | 従五位下 弾正少弼 |
武徳院 大倫了栄 |
五郎 越前守 |
興種長男 | 1530-57 | 1588 | ↓ | 大内家被官 後、大友家被官 |
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原田 親種 | 従五位下 弾正少弼 |
五郎左衛門 下総守 |
隆種四男 | 1557-74 | 1574(31) | ↓ | 竜造寺家被官 | ||||
原田 信種 | 従五位下 下野守 |
昭烈院 月叟隆心 |
五郎 下総守 弾正少弼 |
草野鎮永男 隆種外孫 |
1574-87 | ? | ↓ 1587所領没収 加藤家に仕える 長男・嘉種以降は 会津松平家臣 |
竜造寺家被官 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
秋月 種雄 | 三郎 | 顕徳院 関雲道機 |
原田種成二男? | 12世紀末 | 夜須郡秋月荘(筑前) | (大蔵一族だが 出自に異同あり) |
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秋月 種幸 | 太郎 | 慧光院 仁岳良信 |
種雄男 | ↓ | ||||||||
秋月 種家 | 三郎 | 無外院 廓堂了然 |
種幸男 | ↓ | ||||||||
秋月 種頼 | 左衛門尉 | 安養院 方誉直心 |
種家男 | 1302 | ↓ | |||||||
秋月 種資 | 太郎 | 浄満院 円翁宗全 |
種頼男 | ↓ | ||||||||
秋月 種貞 | 小太郎 | 普明院 等観元周 |
種資男 | ↓ | ||||||||
秋月 種高 | 左衛門尉 | 観照院 心国道安 |
種貞男 | ↓ | ||||||||
秋月 種顕 | 左衛門尉 | 麟閣院 瑞林元祥 |
種高男 | ↓ | ||||||||
秋月 種道 | 筑前権守 | 銅光院 鑑海常照 |
種顕男 | ↓ | ||||||||
秋月 種忠 | 長門守 | 禅種院 貞岳宗利 |
種道男 | ↓ | ||||||||
秋月 種氏 | 左衛門尉 | 広種院 寂潭自円 |
種忠男 | ↓ | ||||||||
秋月 種照 | 中務少輔 | 竜雲院 淵室即深 |
種氏男 | ↓ | ||||||||
秋月 種朝 | 中務大輔 | 大竜院 古潭浄瑩 |
種照男 | ↓ | 大内家被官 | |||||||
秋月 種時 | 中務大輔 | 秀外院 竜允挺種 |
種朝男 | 1531 | ↓ | 大内家被官 | ||||||
秋月 種方 | 中務大輔 | 竜国院 竜淵文種 |
文種 | 種時男 | ?-1557 | 1557 | ↓ | |||||
秋月 種実 | 筑前守 | 西林院 笑翁宗ァ |
黒帽子 修理大夫 |
種方二男 | 1559-87 | 1596 | 田原親広女 | ↓ 1587本領安堵 |
大友家被官 一時、島津家被官 |
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秋月 種長 | 長門守 | 三郎 | 種実長男 | 1587-1614 | 1614(48) | 彦山舜有女 | ↓ 1587高鍋城(日向)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
田尻 種実 | 又三郎 | 原田種成三男? | 12C末 | 三池郡三池荘田尻(筑後) | (大蔵一族だが 出自に異同あり) |
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(途中未詳) | |||||||||||
田尻 種範 | 三郎 | 種実の裔 | ↓ | (伝系図では種実の十 世孫だが、年数から 見て信憑性が無い) |
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田尻 種重 | 三郎 | 種範男 | 1281 | ↓ | |||||||
田尻 種長 | 三郎二郎 | 種重男 | ↓ | ||||||||
田尻 種秀 | 四郎 | 種長男 | ↓ | ||||||||
田尻 種顕 | 弥三郎 | 種秀男 | ↓ | ||||||||
田尻 種茂 | 四郎兵衛尉 | 種顕男 | ↓ | ||||||||
田尻 冬種 | 又三郎 | 種茂男 | ↓ | ||||||||
田尻 恒種 | 左衛門大夫 | 冬種長男 | 15C後半 | ↓ | 大友家被官 | ||||||
田尻 種久 | 中務大輔 | 恒種長男 | ↓ | 大友家被官 | |||||||
田尻 治種 | 遠江守 | 種久長男 | ↓ | 大友家被官 | |||||||
田尻 親種 | 伯耆守 | 治種長男 | ?-1570 | 1570 | ↓ 鷹尾城(筑後) |
大友家被官 | |||||
田尻 鑑種 | 丹後守 | 親種長男 | 1570-93 | 1593 | ↓ 1587所領喪失 竜造寺領内に移転 |
竜造寺家被官 | |||||
田尻 春種 | 監物 | 鑑種二男 | 1593-1640 | 1640 | 山代(肥前)領知 小城鍋島家に仕える |
鍋島家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
高橋 泰種 | 太郎 | 原田種成五男? | 12C末 | 御原郡高橋(筑後) | (大蔵一族だが 出自に異同あり) |
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高橋 俊種 | 筑後守 | 時種 太郎 |
泰種男 | ↓ | |||||||
高橋 直種 | 筑後守 | 宗典 | 経種 | 直種男 | ↓ | ||||||
高橋 祐種 | 太郎 | 直種男 | ↓ | ||||||||
高橋 光種 | 筑後守 | 祐種男 | 1336頃 | ↓ | |||||||
高橋 義種 | 筑後守 | 光種男 | ↓ | ||||||||
高橋 持種 | 筑後守 | 義種男 | ↓ | 大友家被官 | |||||||
高橋 教種 | 筑後守 | 持種男 | 宝満城(筑前)を築く | 大友家被官 | |||||||
高橋 政種 | 左近将監 | 教種男 | ↓ | 大友家被官 | |||||||
高橋 統種 | 三河守 | 政種男 | ↓ | 大友家被官 | |||||||
高橋 高種 | 左近将監 | 青雲日雄 | 武種 竜千代丸 |
統種長男 | ?-1484 | 1535(66) | ↓ | 大友家被官 | |||
高橋 長種 | 兵庫頭 | 三河守 | 統種二男 | 1484-1549 | 1549 | ↓ 1549中絶 |
大友家被官 | ||||
高橋 鑑種 | 三河守 | 宗仙 | 親宗 右馬助 左衛門大夫 左衛門尉 |
一万田親敦男 | 1559-70 | 1579(53) | 1559再興 岩屋・宝満二城(筑前) 1566大友家に反乱 1570追放 小倉城(豊前)領有 |
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高橋 元種 | 従五位下 右近将監 |
種直 忠光 長行 九郎 |
秋月種方五男 | 1570-1613 | 1614(44) | ↓ 1587県城(日向)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
山鹿 家政 | 右衛門尉 | 高階某の男 宇都宮朝綱猶子 |
13C初頭 | 遠賀郡山鹿荘(筑前) | |||||||
山鹿 時家 | 近江守 | 家政男 | 1248 | ↓ | |||||||
麻生 資時 | 兵衛尉 | 小次郎 | 時家男 | 1312 | ↓ 麻生荘を領する |
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麻生 資氏 | 近江守 | 資時男 | 1303 | ↓ | |||||||
麻生 政氏 | 筑前守 | 資氏男 | 1320 | ↓ | |||||||
麻生 家宗 | 近江守 | 政氏男 | 1364 | ↓ | |||||||
麻生 家長 | 上総介 | 家宗長男 | 1369 | ↓ | |||||||
麻生 義助 | 遠江守 | 上総介 | 家長三男 | ↓ | |||||||
麻生 家見 | 上総介 | 義助二男 | ↓ | ||||||||
麻生 家春 | 治部大輔 | 上総介 | 義助三男 | ↓ | |||||||
麻生 弘家 | 近江守 | 上総介 | 義助四男 | 1438-? | ↓ | 大内家被官 | |||||
麻生 弘国 | 次郎左衛門尉 | 弘家長男 | 1455-? | ↓ 花尾城を拠点 |
大内家被官 | ||||||
麻生 興春 | 近江守 | 上総介 | 弘国長男 | 1530 | ↓ | 大内家被官 | |||||
麻生 家重 | 与二郎 | 興春男 | ↓ | 大内家被官 | |||||||
麻生 興益 | 兵部大輔 | 家重男 | ↓ | 大内家被官 | |||||||
麻生 隆実 | 摂津守 | 近江守 | 興益男 | ↓ | 大友家被官 | ||||||
麻生 家氏 | 山城守 | 次郎左衛門尉 筑前守 |
隆実男 | ↓ 1585小早川家与力 御井・生葉二郡内 4,600石 1599退去 後、黒田家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
城井 信房 | 正四位上 大和守 |
宇都宮宗房長男 | 13世紀初頭 | 1234 | 仲津郡城井郷(豊前) | ||||||
城井 景房 | 従五位下 壱岐守 |
信房男 | 1228(76) | ↓ | |||||||
城井 信景 | 従五位下 左衛門佐 |
景房男 | 1248(76) | ↓ | |||||||
城井 通房 | 正四位下 薩摩守 |
信景男 | 1275(63) | ↓ | |||||||
城井 頼房 | 従四位下 大和守 |
通房男 | 1333 | ↓ | |||||||
城井 冬綱 | 正四位下 右中将 常陸介 |
宗閑 | 高房 守綱 |
宇都宮貞綱長男 | 1336前-59後 | 1366(78) | ↓ | 1333-54 筑後守護 1354-? 豊前守護 |
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城井 家綱 | 従四位下 常陸介 |
宇都宮公綱男 | 1368(60) | ↓ | |||||||
城井 直綱 | 従四位下 播磨守 |
常陸介 | 家綱男 | 1381(56) | ↓ | ||||||
城井 盛綱 | 従四位下 出羽守 |
直綱男 | 1396(53) | ↓ | |||||||
城井 家尚 | 従五位下 民部少輔 |
弥三郎 | 盛綱男 | 1429(69) | ↓ | ||||||
城井 尚直 | 従四位下 侍従 右馬助 |
盛綱男 | 1408(40) | ↓ | |||||||
城井 盛直 | 正四位下 侍従 播磨守 |
弥三郎 常陸介 |
尚直男 | 1468(83) | ↓ | ||||||
城井 秀房 | 従四位下 常陸介 |
秀直 左衛門佐 |
盛直男 | 1509(88) | ↓ | ||||||
城井 興房 | 従四位下 常陸介 |
弘堯 左馬助 |
秀房男 | 1542(81) | ↓ | ||||||
城井 正房 | 正四位下 常陸介 |
豊後守 | 興房男 | 1561 | ↓ | ||||||
城井 長房 | 従四位下 侍従 常陸介 |
霊岸院 徳全長甫 |
正房男 | 1589(82) | ↓ | ||||||
城井 鎮房 | 従五位下 常陸介 |
天徳寺 久岸宗永 |
民部少輔 | 長房男 | ?-1587 | 1589(54) | ↓ 1587所領没収 1589黒田家により滅亡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
筑紫 経重 | 蔵人大夫 | 良喜 | 朝日経稔男? | 15世紀前半 | 勝尾城(城地は 肥前・筑前の境界) |
少弐家被官 | |||||
筑紫 尚重 | 刑部少輔 | 元喜 | 経重男 | ↓ | 少弐家被官 | ||||||
筑紫 尚門 | 下野守 | 尚重男 | ↓ | 少弐家被官 | |||||||
筑紫 秀門 | 下野守 | 尚門男 | ↓ | 少弐家被官 | |||||||
筑紫 満門 | 筑後守 | 秀門男 | ?-1521 | 1521 | ↓ | 少弐家被官 後、大内家被官 |
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筑紫 尚門 | 下野守 | 正門 | 満門男 | 1521-29 | 1529 | ↓ | 大内家被官 | ||||
筑紫 惟門 | 下野守 | 虎岑良竜 | 尚門男 | 1531?-67 | 1567(37?) | ↓ | 一時、毛利家被官 一時、大友家被官 |
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筑紫 広門 | 従五位下 上野介 |
金福寺 卓山夢庵 |
惟門男 | 1567-1623 | 1623(68) | ↓ 1586失領 1587山下城(筑後) 18,015石 1587本領安堵 1600改易 |
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筑紫広門(上記・初代広門の弟)が1627年に幕府より3,000石を与えられ、旗本として存続。 |
代 | 氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
1 | 立花 貞載 | 左近将監 | 阿多々丸 三郎 |
大友貞宗二男 | ?-1336 | 1336 | 宗像郡立花山城 (筑前) |
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2 | 立花 宗匡 | 三河守 | 紹心 | 彦子丸 山城守 |
大友貞宗三男 | 1336-? | ↓ | ||||||
3 | 立花 親直 | 山城守 | 宗徳 | 彦徳丸 左近将監 |
宗匡男 | ↓ | |||||||
4 | 立花 親政 | 丹後守 | 道運 | 千代寿丸 左近将監 |
親直男 | ↓ | 大友家被官 | ||||||
5 | 立花 宗勝 | 因幡守 | 宗玉 | 宮徳丸 左近将監 |
親政男 | ↓ | 大友家被官 | ||||||
6 | 立花 鑑光 | 兵庫頭 | 宗三 | 立竜丸 左近将監 |
宗勝男 | ↓ | 大友家被官 | ||||||
7 | 立花 鑑俊 | 但馬守 | 了禅 | 鑑載 義載 千亀丸 弥十郎 左近将監 |
鑑光男 | ?-1568 | 1568 | ↓ 1568滅亡 |
大友家被官 | ||||
8 | 立花 親善 | 山城守 | 一如 | 鶴千代丸 | 鑑俊男? | ? | (未詳) | 大友家被官 | |||||
9 | 立花 鑑連 | 丹後守 | 梅岳寺 福巌道雪 麟伯軒 |
八幡丸 左衛門大夫 伯耆守 |
戸次親家長男 | 1571-75 | 1585(73) | 1571再興 立花山城 |
大友家被官 | ||||
10 | 立花 ァ千代 | 光照院 泉誉良清 |
鑑連長女 | 1575-82 | 1602(34) | 宗茂 | ↓ | ||||||
11 | 立花 宗茂 | 従四位下 侍従 飛騨守 |
大円院 松陰宗茂 立斎 |
宗虎 統虎 鎮虎 正成 親成 尚政 俊正 信正 経正 千熊丸 弥十郎 左近将監 |
高橋鎮種長男 | 1582-1600 1604-37 |
1642(74) | ァ千代(鑑連女) 八千子 (矢島秀行女) 菊子 (葉室頼宣女) |
↓ 1587柳河城(筑後) 132,200石 1600関が原戦で改易 1604復家 旗本 5,000石 1606棚倉城(陸奥) 10,000石 後30,000石 1620柳河(=柳川)城 109,647石 |
||||
12 | 立花 忠茂 | 従四位下 侍従 飛騨守 |
別峯院 忠巌好雪 |
貞之 忠貞 忠之 千熊丸 大助 左近将監 |
立花直次四男 | 1637-64 | 1675(64) | 長子 (永井尚政女) 鍋子 (伊達忠宗女) |
↓ | ||||
13 | 立花 鑑虎 | 従四位下 侍従 飛騨守 |
雪峯院 英山性俊 |
直茂 広茂 鑑茂 勝千代 大助 左近将監 |
忠茂四男 | 1664-96 | 1702(58) | 吉子 (本多康長女) |
↓ | ||||
14 | 立花 鑑任 | 従四位下 飛騨守 |
霊明院 常心法鑑 |
宗尚 宗昌 宗政 鑑春 鑑常 大助 勝千代 |
鑑虎二男 | 1696-1721 | 1721(39) | 春子 (池田綱政女) |
↓ | ||||
15 | 立花 貞俶 | 従四位下 飛騨守 |
興源院 慈雲紹蔭 |
茂易 清直 友之丞 右京 弾正 |
立花茂高 (忠茂孫)の男 |
1721-44 | 1744(47) | 松子 (立花貞晨女) |
↓ | ||||
16 | 立花 貞則 | 従四位下 飛騨守 |
等覚院 廓融性瑩 |
虎吉 虎之進 丹後守 伯耆守 |
貞俶二男 | 1744-46 | 1746(22) | − | ↓ | ||||
17 | 立花 鑑通 | 従四位下 侍従 左近将監 |
大応院 馨徳孔昭 |
俶香 鑑致 駒之丞 左近 |
貞俶三男 | 1746-97 | 1797(69) | 清子 (黒田継高女) |
↓ | ||||
18 | 立花 鑑寿 | 従四位下 侍従 左近将監 |
陽徳院 元剛紹和 |
通尹 常之進 図書 伯耆守 |
鑑通五男 | 1797-1820 | 1820(52) | 美勢子 (立花致真女) |
↓ | ||||
19 | 立花 鑑賢 | 従四位下 左近将監 |
体慈院 博愛元長 |
亀寿 友之丞 伯耆守 |
立花鑑一 (鑑通四男) 長男 |
1820-30 | 1830(42) | 登勢子(鑑寿女) | ↓ | ||||
20 | 立花 鑑広 | 万寿丸 | 含章院 玉英鑑広 |
− | 鑑賢長男 | 1830-33 | 1833(11) | − | ↓ | (夭折のため 内密に鑑備が すり替わる) |
|||
21 | 立花 鑑備 | 従四位下 左近将監 |
常明院 叡智紹監 |
竹千代 俣次郎 万寿丸 |
鑑賢二男 | 1833-46 | 1846(20) | 加代子 (浅野重晟女) |
↓ | (表向きは 鑑広と同一 人物) |
|||
22 | 立花 鑑寛 | 柳川藩知事 | 淳次郎 次郎 左近将監 侍従 飛騨守 |
立花寿俶 (鑑寿男)長男 |
1846-71 | 1909(81) | 純 (徳川斉匡女) |
↓ 公称119,647石 1871廃藩置県 |
息子・寛治 のとき伯爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
高橋 鎮種 | 兵衛尉 | 天叟院 性海紹運 |
鎮理 千寿丸 弥七郎 民部 主膳正 |
吉弘鑑理男 | 1570-86 | 1586(39) | 1570高橋鑑種追放後 大友家の命により 高橋長種の名跡となる 岩屋・宝満二城(筑前) 1586自殺、失領 |
大友家被官 | |||
立花 直次 | 従五位下 主膳正 |
大通院 玉峯道白 宗卜 |
統増 宗一 千若丸 弥七郎 民部少輔 |
鎮種二男 | 1587-1600 1614-17 |
1617(46) | 1587再興 江浦城(筑後) 18,000石 1595内山城(筑後) 1600改易 1614柿岡(常陸) 5,000石 |
1614 立花に改姓 |
|||
立花 種次 | 従五位下 主膳正 |
金剛院 一叟全心 |
弥七郎 | 直次長男 | 1617-30 | 1630(27) | ↓ 1621三池(筑後) 10,000石 |
||||
立花 種長 | 従五位下 和泉守 |
寿徳院 泰叟道運 |
仙千代 弥七郎 民部 |
種次長男 | 1630-82 | 1711(87) | ↓ | ||||
立花 種明 | 従五位下 主膳正 |
天徳院 傑叟浄英 |
弥七郎 主膳 |
種長長男 | 1682-99 | 1699(56) | ↓ | ||||
立花 貫長 | 従五位下 出雲守 |
霊通院 仁翁紹寛 |
孫千代 民部 長当 種甄 |
種明長男 | 1699-1747 | 1747(61) | ↓ | ||||
立花 長煕 | 従五位下 和泉守 |
明徹院 実相紹真 |
弥七郎 民部 |
貫長長男 | 1747-62 | 1778(59) | ↓ | ||||
立花 種周 | 従五位下 出雲守 |
竜潭院 寒月紹清 |
勝之助 民部 主膳 |
長煕二男 | 1762-1805 | 1809(66) | ↓ | 若年寄 | |||
立花 種善 | 順之助 | 種周四男 | 1805-06 | 1832(39) | ↓ 1806下手渡(陸奥)転封 |
||||||
立花 種温 | (下手渡藩−福島県−を参照) | ||||||||||
立花 種恭 | 三池藩知事 (廃藩後) 宮内庁御用掛 |
鐘之助 出雲守 |
立花種道 (種周二男) 長男 |
1849-71 | 1905(70) | 1849下手渡襲封 1868三池復封 1871廃藩置県 |
子爵 貴族院議員 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
蒲池 久憲 | 三河守 | 久則 | 宇都宮一族? | 1400前後 | 蒲池(筑後) | ||||||
蒲池 義久 | 壱岐守 | 久憲男 | ↓ | ||||||||
蒲池 繁久 | 左馬大夫 | 義久男 | ↓ | ||||||||
蒲池 親久 | 兵庫頭 | 繁久男 | ↓ | ||||||||
蒲池 治久 | 筑後守 | 親久男 | ↓ 柳河城(筑後) |
||||||||
蒲池 鑑久 | 武蔵守 | 治久男 | ↓ | ||||||||
蒲池 鑑盛 | 近江守 | 松梅院 長国覚久宗雪 |
鑑久男 | ?-1576 | 1576 | ↓ | |||||
蒲池 鎮漣 | 式部大輔 | 本源院 哲心覚英 |
鎮並 | 鑑盛男 | 1576-81 | 1581 | ↓ 1581滅亡 |
||||
【山下蒲池家】 |
|||||||||||
蒲池 親広 | 和泉守 | 治久男 | 山下城(筑後) | ||||||||
蒲池 鑑広 | 志摩守 | 親広男 | ?-1587 | ↓ 1587失領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
小早川 隆景 | 従三位 権中納言 |
黄梅院 泰雲紹閑 |
徳寿丸 又四郎 中務大輔 左衛門佐 |
毛利元就三男 | 1550-95 | 1597(65) | 小早川正平女 | 1582三原城(備後) 1585伊予国一円 1587名島城(筑前一円 および肥前・筑後国内) 373,300石 1595三原城へ退隠 |
大老 (豊臣政権) |
|||
小早川 秀秋 | 従三位 権中納言 |
瑞雲院 秀巌日詮 |
秀俊 秀詮 辰之助 左衛門督 |
木下家定五男 | 1595-1602 | 1602(21) | 宍戸元秀女 | 1595名島城襲封 1598北庄城(越前) 1598名島城 1600岡山城(備前)転封 |
||||
【小早川別家=後、吉敷毛利家】 |
||||||||||||
小早川 秀包 | 従四位下 侍従 筑後守 |
瑞光院 玄済道叱 |
元総 秀兼 才菊丸 市正 藤四郎 大内記 シメオン |
毛利元就九男 隆景養子 |
1585-1600 | 1601(35) | 大友義鎮女 | 1585宇和郡内(伊予) 35,000石 1587久留米城(筑後) 75,000石 1592加増 130,000石 1594秀秋入嗣のため 隆景から別家創立 1600関が原の戦で 石田方、改易 長男・元鎮が毛利家 領内にて復家 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
毛利 勝信 | 従五位下 壱岐守 |
一斎 | 吉成 | 森某の男 | 1587-1600 | 1611 | 1587小倉城(豊前) 60,000石 1600関が原の戦で石田方、改易 |
長崎奉行 (豊臣政権) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
細川 忠興 | 従三位 参議 越中守 |
松向寺 三斎宗立 |
熊千代 与一郎 |
細川藤孝長男 細川輝経養子 |
1600-21 | 1645(83) | 玉=ガラシャ (明智光秀女) |
1582実父藤孝の所領 宮津城(丹後)継承 1600加増 200,000石 同年中津城(豊前 一円・豊後の一部) 399,000石 1602小倉城に転居 |
||||
細川 忠利 | 従四位下 左少将 越中守 |
光千代 内記 |
忠興二男 | 1621-32 | 1641(56) | 千代(小笠原秀政女 ・徳川秀忠養女) |
↓ 1632熊本城(肥後) 540,000石 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
田中 吉政 | 従四位下 侍従 筑後守 |
円光院 崇巌道越 |
長政 竹 久次 久兵衛 兵部大輔 |
田中重政男 | 1600-09 | 1609(62) | 国友与左衛門女 | 1590岡崎城(三河) 1596までに 100,000石 1600柳河城(筑後一国) 325,000石 |
||||
田中 忠政 | 従四位下 侍従 筑後守 |
陽岳院 傑岫玄英 |
隼人 隼人正 |
吉政四男 | 1609-20 | 1620(36) | 徳川家康養女 (松平康元女) |
↓ 1620無嗣廃絶 |
||||
1613年頃の重臣配置としては、赤司城主の田中清政13,000石、松延城主の松野主馬12,000石が挙げられる。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
黒田 長政 | 従四位下 筑前守 |
興雲院 古心道卜 |
松寿 吉兵衛 甲斐守 |
黒田孝高長男 | 1600-23 | 1623(56) | イト (蜂須賀正勝女) 栄 (徳川家康養女 ・保科正直女) |
1589中津城(豊前) 123,000石襲封 1600名島城 (筑前九郡一円 および他六郡の一部) 1602福岡城へ移転 502,416石 |
||||
黒田 忠之 | 従四位下 侍従 筑前守 |
高樹院 傑心宗英 |
忠長 忠政 万徳 右衛門佐 |
長政長男 | 1623-54 | 1654(53) | 久 (徳川秀忠養女 =松平忠良女) 坪坂十右衛門女 |
↓ 1623分知 412,416石 |
1613公称 松平姓 |
|||
黒田 光之 | 従四位下 侍従 右衛門佐 |
江竜院 淳山宗真 |
長之 搥万 吉兵衛 左京大夫 |
忠之長男 | 1654-88 | 1707(80) | 市松 (小笠原忠真女) |
↓ 高直し 433,100石 1677嫡子綱政の 先封を併せ 473,100石 |
||||
黒田 綱政 | 従四位下 侍従 右衛門佐 |
霊源院 回山紹光 |
長寛 宮内 宮内少輔 肥前守 |
光之三男 | 1688-1711 | 1711(53) | 呂久 (立花鑑虎養女) |
↓ | ||||
黒田 宣政 | 従四位下 侍従 肥前守 |
泰林院 義山道勇 |
政則 弁之助 和泉守 佐渡守 |
綱政二男 | 1711-19 | 1744(60) | 艶 (南部行信女) |
↓ | ||||
黒田 継高 | 従四位下 左少将 筑前守 |
功崇院 章山道善 |
長好 菊千代 官兵衛 (致仕後) 図書頭 |
黒田長清長男 | 1719-69 | 1775(73) | 幸子 (宣政養女 =黒田吉之女) |
↓ (公称523,100石) |
||||
黒田 治之 | 従四位下 侍従 筑前守 |
鳳陽院 典山紹靖 |
高満 隼之助 式部大輔 |
徳川宗尹五男 | 1769-81 | 1781(30) | 亀 (榊原政永女) |
↓ | ||||
黒田 治高 | 従四位下 侍従 筑前守 |
竜雲院 徳巌道俊 |
高幸 又八 |
京極高慶七男 | 1782 | 1782(29) | − | ↓ | ||||
黒田 斉隆 | 従四位下 侍従 筑前守 |
敬徳院 周山紹礼 |
長ロ 雅之助 |
徳川治済二男 | 1782-95 | 1795(19) | − | ↓ | ||||
黒田 斉清 | 従四位下 左少将 備前守 |
乾竜院 利山道見 楽善堂 |
長順 松次郎 官兵衛 |
斉隆男(実は 黒田長舒 三男?) |
1795-1834 | 1851(57) | 徳 (二条治孝女) |
↓ | ||||
黒田 長溥 | 参議 美濃守 |
竜風 | 斉溥 桃次郎 官兵衛 |
島津重豪九男 | 1834-69 | 1887(77) | 純子(斉清女) | ↓ | 1868黒田 姓に復帰 |
|||
黒田 長知 | 福岡藩知事 | 慶賛 建若 下野守 |
藤堂高猷三男 | 1869-71 | 1902(65) | 豊子 (松平定和女) |
↓ 1871藩知事罷免 |
息子・長成 のとき侯爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
黒田 長興 | 従五位下 甲斐守 |
東陽院 五峯宗印 |
孝政 犬万 勘解由 |
黒田長政三男 | 1623-65 | 1665(56) | 亀子 (佐竹義隆女) |
1623福岡藩 黒田家より分家 秋月(筑前) 50,000石 城主格 |
||||
黒田 長重 | 従五位下 甲斐守 |
英雲院 別叟宗伝 |
千之助 | 長興二男 | 1665-1710 | 1710(52) | 富貴 (黒田光之女) |
↓ | ||||
黒田 長軌 | 従五位下 隠岐守 |
興陽院 三峯宗玄 |
千之助 | 長重長男 | 1710-15 | 1715(30) | 久 (佐竹義処女) |
↓ | ||||
黒田 長貞 | 従五位下 甲斐守 |
興願院 耀誉祐歓 |
長治 市大夫 修理 |
野村祐春二男 (長興外曽孫) |
1715-54 | 1754(61) | 豊 (上杉綱憲女) |
↓ | ||||
黒田 長邦 | 従五位下 甲斐守 |
興徳院 一峯宗関 |
修理 河内守 |
長貞長男 | 1754-62 | 1762(41) | 正 (黒田継高女) |
↓ | ||||
黒田 長恵 | 従五位下 甲斐守 |
岱源院 高応宗淳 |
豊松 | 長邦長男 | 1762-74 | 1774(21) | − | ↓ | ||||
黒田 長堅 | 千之助 | 霊雲院 光岳道照 |
貞之助 | 山崎義俊二男 (長邦外孫) |
1774-85 | 1785(15) | − | ↓ | ||||
黒田 長舒 | 従五位下 甲斐守 |
朝陽院 大雄向水 |
幸三郎 修理 |
秋月種茂二男 (長邦外孫) |
1785-1807 | 1807(43) | 美須子 (松平忠啓女) 采子 (山内豊雍女) |
↓ | ||||
黒田 長韶 | 従五位下 甲斐守 |
竜徳院 楽斎文水 韶翁 |
長房 金十郎 壱岐守 |
長舒二男 | 1808-30 | 1840(52) | 兼子 (松平直恒女) |
↓ | ||||
黒田 長元 | 従五位下 甲斐守 |
安静院 文山松操 自笑庵 |
戌次郎 | 山内豊策五男 | 1830-60 | 1867(57) | 和歌子=慶子 (長韶女) |
↓ | ||||
黒田 長義 | 従五位下 甲斐守 |
太陽院 春窓宗華 |
長久 順丸 近江守 |
長元三男 (長韶外孫) |
1860-62 | 1862(18) | − | ↓ | ||||
黒田 長徳 | 秋月藩知事 | 岩虎 篤之允 甲斐守 |
長元八男 | 1862-71 | 1892(45) | 芬q (秋月種殷女) 鐸子 (新政信女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
黒田高政(従五位下・東市正。黒田長政四男。1623分家、筑前東蓮寺40,000石)⇒之勝(従五位下・市正)⇒長寛(従五位下・ 宮内少輔。1677福岡藩主黒田光之の嫡子=綱政となり中絶)⇒長清(従五位下・伊勢守。光之四男。1688東蓮寺を直方と改称し 分家、新田50,000石。1720無嗣中絶。明治に入り黒田長知四男・長和が再興して男爵) |
黒田一成(加藤重徳男。黒田孝高・長政家臣。1602筑前三奈木12,000石、後代16,205石)⇒一任−一貫−一春⇒一利−一誠−一興⇒ 隆庸⇒清定−一葦⇒一美(福岡藩大参事。息子・一義のとき男爵) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
有馬 豊氏 | 従四位下 侍従 玄蕃頭 |
春林院 如夢道長 |
万助 | 有馬則頼二男 | 1620-42 | 1642(74) | 連 (徳川家康養女・ 松平康直女) |
1600福知山城(丹波) 60,000石 1602三田領(摂津)加増 80,000石 1620久留米城(筑後八郡) 210,000石 |
||||
有馬 忠頼 | 従四位下 中務大輔 |
瓊林院 竜室道雄 |
忠郷 吉法師 中務少輔 兵部大輔 |
豊氏長男 | 1642-55 | 1655(53) | 酒井忠世養女 (西尾忠照女) |
↓ | ||||
有馬 頼利 | 従四位下 玄蕃頭 |
霊源院 賢峯道哲 |
松千代 | 忠頼長男 | 1655-68 | 1668(17) | 糸 (松平頼重女) |
↓ | ||||
有馬 頼元 | 従四位下 侍従 中務大輔 |
慈源院 忠巌道孝 |
源四郎 | 忠頼四男 | 1668-1705 | 1705(52) | 津与 (松平綱隆女) 定 (徳川光友養女 =広幡忠幸女) |
↓ | ||||
有馬 頼旨 | 従四位下 筑後守 |
昌林院 謙室道性 |
万吉 | 頼元長男 | 1705-06 | 1706(22) | − | ↓ | ||||
有馬 則維 | 従四位下 侍従 玄蕃頭 |
梅巌院 嗺翁道秀 |
虎之助 兵庫 |
石野則員 (則頼外孫) 二男 |
1706-29 | 1738(65) | 市 (谷衛広女) |
↓ | ||||
有馬 頼徸 | 従四位下 左少将 中務大輔 |
大慈院 円山道通 其映 |
左近 穐風閣 |
則維五男 | 1729-83 | 1783(72) | 豊子女王 (京極宮家仁 親王王女) |
↓ | ||||
有馬 頼貴 | 従四位下 左少将 中務大輔 |
大乗院 寂源道光 |
定五郎 上総介 |
頼徸長男 | 1784-1812 | 1812(67) | 勢代子 (毛利重就女) |
↓ | ||||
有馬 頼端 | 従四位下 上総介 |
寛明院 徳巌道祐 |
長作 | 頼貴三男 | (早世) | 1804(26) | 八十 (堀田正順女) |
|||||
有馬 頼徳 | 従四位下 左少将 玄蕃頭 |
大良院 譲渓道温 |
新太郎 華山 月船 水鴎 |
頼端長男 | 1812-44 | 1844(48) | 幹 (徳川斉敦女) |
↓ | ||||
有馬 頼永 | 従四位下 侍従 筑後守 |
義源院 仁峯道崇 |
弥作 雲船 良山 |
頼徳四男 | 1844-46 | 1846(25) | 晴子 (島津斉興養女) |
↓ | ||||
有馬 頼咸 | 久留米藩知事 | 慶頼 孝五郎 対鴎 |
頼徳七男 | 1846-71 | 1881(54) | 韶子 (徳川家慶養女・ 有栖川宮韶仁 親王王女) |
↓ 1871廃藩置県 |
息子・頼万 のとき伯爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
小笠原 忠真 | 従四位下 侍従 右近将監 |
福聚寺 徳叟紹勲 |
忠政 春松丸 大学頭 右近大夫 |
小笠原秀政二男 | 1632-67 | 1667(72) | 亀 (本多忠政女) |
1617明石城(播磨) 100,000石 1632小倉城(豊前) 150,000石 |
||||
小笠原 忠雄 | 従四位下 侍従 右近将監 |
静照院 暁山紹栄 |
長真 万松丸 弾正 遠江守 |
忠真三男 | 1667-1725 | 1725(79) | 久 (浅野光晟女) |
↓ | ||||
小笠原 忠基 | 従四位下 侍従 右近将監 |
洪済寺 良巌際仁 |
清貞 清遥 忠遥 忠晴 豊松丸 織部正 遠江守 |
忠雄長男 | 1725-52 | 1752(71) | 梅 (浅野綱長女) |
↓ | ||||
小笠原 忠総 | 従四位下 侍従 左京大夫 |
諦観院 真乗道円 |
長規 政之助 只次郎 伊予守 兵部大輔 |
忠基六男 | 1752-90 | 1790(64) | 能 (浅野吉長養女) |
↓ | ||||
小笠原 忠苗 | 従四位下 侍従 右近将監 |
浄国寺 寛叟維信 |
長浮 保三郎 伊予守 |
小笠原長逵 (忠基二男) 三男 |
1791-1804 | 1808(61) | 正 (山内豊敷女) |
↓ | ||||
小笠原 忠固 | 従四位下 左少将 大膳大夫 |
瑞巌院 仁沢宗臻 |
長之 忠徳 亀吉 彦五郎 伊予守 |
小笠原長為 (長逵二男) 長男 |
1804-43 | 1843(74) | 富 (忠苗養女・ 忠総女) |
↓ | ||||
小笠原 忠徴 | 従四位下 侍従 左京大夫 |
清寛寺 忠山道徴 |
儔次郎 伊予守 |
忠固二男 | 1843-56 | 1856(49) | 直 (前田斉広女) 寛 (前田斉広女) |
↓ | ||||
小笠原 忠嘉 | 従四位下 右近将監 |
義峯院 高鑑道隆 |
貞嘉 直之進 伊予守 |
小笠原貞哲四男 | 1856-60 | 1860(22) | − | ↓ | ||||
小笠原 忠幹 | 従四位下 侍従 大膳大夫 |
忠幹寺 泰巌義秀 |
貞幹 鋭吉 兵部少輔 信濃守 |
小笠原長武二男 | 1860-65 | 1865(39) | 茂代子 (忠固養女・ 忠徴女) |
↓ | ||||
小笠原 忠忱 | 豊津藩知事 | 豊千代丸 | 忠幹長男 | 1866-71 | 1897(36) | 純子 (上杉斉憲女) |
↓ 1866小倉を退去、 香春(豊前)に 藩庁新設 1870豊津(豊前) に藩庁移転 1871廃藩置県 |
伯爵 貴族院議員 |
小笠原真方(従五位下・備中守。小笠原忠真四男。1671分家、豊前小倉領内10,000石)⇒貞通(従五位下・近江守)−貞顕 (従五位下・弾正少弼)−貞温(従五位下・近江守)−貞哲(従五位下・近江守)−貞謙(従五位下・備後守)⇒貞嘉(=小倉藩主 小笠原忠嘉)⇒貞寧⇒貞正(1869豊前千束に藩庁設置、同年廃藩。養孫・寿長のとき子爵) |
(2004.02.08up)
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