広島県は古くは、西部は阿岐国造、東部は吉備国の一部として吉備品治・吉備穴などの国造が支配していましたが、大化の改新により阿岐は安芸国となり、天武天皇のとき吉備国の西境が分割されて備後国となりました。『延喜式』では、安芸は8郡、備後は14郡。平安朝期の荘園としては、大田荘(高野山)・安摩荘(厳島神社)・三入荘(新熊神社)など。平清盛は厳島神主佐伯氏と結び、安芸はその知行国となりました。鎌倉期の守護は安芸は武田家、備後は土肥家、のち長井家。南北朝期から室町期には、安芸では武田・渋川・山名の諸家、備後では朝山・高・細川・山名などの諸家が守護職に任じられる一方、両国内では鎌倉御家人の系譜を引く国人領主たちが基盤を固めました。戦国期の芸備両国では武田家・山名家が衰退、大内家と尼子家との抗争の場となりましたが、毛利元就が1554年頃までに両国を勢力下に収めました。毛利家は輝元に至り、豊臣政権下に入って安芸・備後の支配者として承認されましたが、関ヶ原の敗戦で周防・長門へ移され、福島正則が広島を居城として芸備両国を統治しました。江戸期に入り、正則が改易された後は、安芸一国および備後半国が広島藩(浅野家)、備後東部5郡(はじめ7郡内)が福山藩(水野→松平→阿部家)の所領でした。1871年の廃藩置県により、広島藩領などの地域は広島県、福山藩領は備中国と合併して深津県となり、翌年小田県と改称しました。1875年に小田県は岡山県に合併、翌年、旧備後国の部分が広島県に編入され、県域が確定しました。
安芸守護職 備後守護職 武田家 毛利家 吉川家 小早川(嫡流)家 小早川(竹原)家 山内家 熊谷家 宍戸家 平賀家 天野家 村上(因島)家 安芸国主 福島家 広島藩=浅野家 三次藩 広島新田藩=浅野家 三原城主浅野家 小方邑主上田家 東城邑主浅野家 福山藩 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
武田 信武 | 陸奥守 | 1336-59? | ||
武田 氏信 | 伊豆守 | 光誠 | 1359?-68 | |
今川 貞世 | 伊予守 | 了俊 | 1373-90 | |
細川 頼元 | 右京大夫 | 1392-93 | ||
渋川 満頼 | 右兵衛佐 | 1393-1403 | ||
山名 時煕 | 右衛門督 | 常煕 | 1403-33 | |
山名 持豊 | 右衛門督 | 宗全 | 1433-54 | |
山名 教豊 | 弾正少弼 | 1454-? | ||
山名 是豊 | 弾正忠 | 1463-76 | ||
山名 政豊 | 弾正少弼 | 1476-? |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
朝山 景連 | 二郎左衛門尉 | 1336-38 | ||
仁木 義長 | 右馬権助 | 1338 | ||
石橋 和義 | 左衛門佐 | 1339-40 | ||
細川 頼春 | 刑部大輔 | 1340-49 | ||
足利 直冬 | 左兵衛佐 | 1349-? | のち自立、一時南朝方 | |
大平 義尚 | 出羽権守 | 1349-? | ||
高 師泰 | 越後守 | 1350 | ||
上杉 顕能 | 修理亮 | ?-1351? | ||
岩松 頼有 | 禅師 | 1351-56 | ||
細川 頼有 | 宮内少輔 | 1356-65 | ||
渋川 義行 | 武蔵守 | 道祐 | 1365-71 | |
今川 貞世 | 伊予守 | 了俊 | 1371-79 | |
山名 時義 | 伊予守 | 1379-89 | ||
山名 義煕 | 伊豆守 | 1389-90 | ||
細川 頼之 | 武蔵守 | 常久 | 1390-92 | |
細川 頼長 | 刑部大輔 | 1392-1400 | ||
細川 基之 | 兵部大輔 | 1392-1400 | ||
山名 時煕 | 右衛門督 | 常煕 | 1401-33 | |
山名 持豊 | 右衛門督 | 宗全 | 1433-54 | |
山名 教豊 | 弾正少弼 | 1454-62? | ||
山名 是豊 | 弾正忠 | 1462?-76 | ||
山名 政豊 | 右衛門督 | 1476-87? | ||
山名 俊豊 | 弾正少弼 | 1489?-97 | ||
山名 致豊 | 弾正少弼 | 1499-1512 | ||
山名 誠豊 | 右衛門督 | 光威 | 1512-28 | |
尼子 晴久 | 修理大夫 | 1552-? |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
武田 氏信 | 伊豆守 | 慈善寺 明中光誠 |
兵庫助 | 武田信武二男 | ?-1380? | 1380? | 佐東郡内(安芸) | 1359?-68 安芸守護 |
|||
武田 信在 | 伊豆守 | 昊化寺 見外乗光 |
治部少輔 | 氏信長男 | ? | ? | ↓ | 1379以後- 安芸佐東郡守護 |
|||
武田 信守 | 伊豆守 | 光明寺 輝渓祐光 |
治部少輔 | 氏信男 (一説に信在男) |
? | ? | ↓ | 安芸佐東郡守護 1412以前- 安芸山県郡守護 |
|||
武田 信繁 | 従五位下 伊豆守 |
宝泉院 日山長光 |
治部少輔 | 信守長男 | ? | 1465(76) | ↓ | 安芸佐東郡・ 山県郡守護 1430以前- 安芸安南郡守護 |
|||
武田 信栄 | 治部少輔 | 長福寺 天游光芸 |
伊豆守 | 信繁長男 | ?-1440 | 1440(28) | ↓ | 安芸佐東・山県・ 安南三郡守護 1440若狭守護 |
|||
武田 信賢 | 大膳大夫 | 大通寺 大人宗武 |
治部少輔 武蔵守 |
信繁二男 | 1440-71 | 1471(52) | ↓ 若狭国内へ 拠点を移す |
安芸佐東・山県・ 安南三郡守護 若狭守護 |
|||
武田 国信 | 従四位上 大膳大夫 |
玉華院 功林宗勲 |
治部少輔 | 信繁三男 | 1471-90 | 1490(49) | ↓ (以後は若狭武田家 を参照) |
安芸佐東・山県・ 安南三郡守護 若狭守護 |
|||
【安芸武田家】 |
|||||||||||
武田 元綱 | 安芸守 | 信繁五男 | ?-1499前 | ? | 銀山城(安芸) | 1481宗家の 代官的地位 |
|||||
武田 元繁 | 刑部少輔 | 元綱男 | 1499前-1517 | 1517 | ↓ | 1508独立 | |||||
武田 光和 | 刑部少輔 | 元繁男 | 1517-34 | 1534 | ↓ | ||||||
武田 信実 | 刑部少輔 | 伴繁清男 | 1534-41 | ? | ↓ 1541失領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
毛利 季光 | 従五位下 左近将監 蔵人 |
浄阿 西阿 |
四郎 豊後守 |
大江広元四男 | ?-1247 | 1247(46) | 三浦義村女 | 毛利荘(相模)・ 佐橋荘(越後)・ 吉田荘(安芸) など |
||||
毛利 経光 | 従五位下 右近将監 |
寂仏 | 蔵人 | 季光四男 | 1247-86 | ? | 佐橋荘・吉田荘 | |||||
毛利 時親 | 従五位下 刑部少輔 |
了禅 | 四郎 修理亮 |
経光四男 | 1286-1333 | 1341 | 亀谷局 (長崎泰綱女) |
吉田荘 | (庶子家) | |||
毛利 貞親 | 従五位下 右近将監 |
朗乗 | 次郎 | 時親長男 | − | 1351 | ↓ | (南朝方) | ||||
毛利 親衡 | 従五位下 陸奥守 |
宝乗 | 親茂 孫太郎 備中守 |
貞親長男 | − | 1375 | 三田某の女 | ↓ (一時、元春と対立) |
(南朝方) | |||
毛利 元春 | 従五位下 右馬頭 |
元阿 | 師親 少輔太郎 左近将監 権大丞 |
親衡長男 | 1333-81 | ? | ↓ | |||||
毛利 広房 | 治部大輔 | 亀若丸 | 元春長男 | 1381-85 | 1385 | ↓ | ||||||
毛利 光房 | 右馬頭 | 浄済 | 之房 備中守 |
広房長男 | 1386-1436 | 1436(51) | ↓ | |||||
毛利 煕元 | 備中守 | 大通院 大樹光茂 |
煕房 少輔太郎 治部少輔 |
光房長男 | 1436-64 | 1464 | ↓ | |||||
毛利 豊元 | 治部少輔 | 広修寺 月江常澄 |
松寿丸 少輔太郎 |
煕元長男 | 1464-76 | 1476(33) | ↓ | |||||
毛利 弘元 | 備中守 | 悦叟常喜 | 千代寿丸 少輔太郎 治部少輔 |
豊元長男 | 1476-1506 | 1506(39) | 福原広俊女 | ↓ | ||||
毛利 興元 | 治部少輔 | 秀岳院 常松 |
幸千代丸 少輔太郎 |
弘元長男 | 1506-16 | 1516(24) | 高橋某の女 | ↓ | ||||
毛利 幸松丸 | 明巌紹光 | 興元二男 | 1516-23 | 1523(9) | ↓ | |||||||
毛利 元就 | 従四位上 陸奥守 贈従三位 |
洞春寺 日頼洞春 |
少輔次郎 治部少輔 右馬頭 |
弘元三男 | 1523-46 | 1571(75) | 妙玖 (吉川国経女) 三吉某の女 乃美弘平女 小幡某の女 |
↓ (1541安芸国衆 を傘下に) |
||||
毛利 隆元 | 従四位下 大膳大夫 |
常栄寺 華渓常栄 |
少輔太郎 備中守 |
元就長男 | 1546-63 | 1563(41) | 大内義隆養女 (内藤興盛女) |
↓ (1554までに 安芸・備後 一円制圧 1557周防・長門・ 石見三国を領有) |
1560安芸守護 1562備後・ 長門守護 |
|||
毛利 輝元 | 従三位 権中納言 |
天樹院 雲巌宗瑞 幻庵 |
幸鶴丸 少輔太郎 右衛門督 右馬頭 |
隆元長男 | 1563-1600 | 1625(73) | 宍戸隆家女 | ↓ (1566出雲・隠岐を 征服、七国支配) 1585本領安堵 1591広島(安芸)に居城 1,120,000石 1600失脚 |
1597-1600 大老(豊臣家) |
|||
毛利 秀就 | 従四位下 右少将 長門守 |
大照院 月礀紹澄 |
松寿丸 藤七郎 |
輝元長男 | 1600-51 | 1651(57) | 喜佐 (結城秀康女) |
1600周防・長門 二国に減封 萩(長門)に居城 369,411石 |
1608 公称松平姓 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
吉川 経義 | 従四位下 左衛門尉 |
安養本無 | 三郎 | 入江景義男 | 1193(62) | 佐竹昌義女 | 入江荘吉河(駿河) | |||||
吉川 友兼 | 左衛門尉 | 道哲 | 小次郎 | 経義男 | 1200(42) | 二階堂行盛女 | ↓ | |||||
吉川 朝経 | 左衛門尉 | 常全 | 経兼 | 友兼男 | 1240(59) | 船越三郎女 | 吉河・福井荘(播磨) | |||||
吉川 経光 | 弥次郎 | 慈願 | 朝経男 | 1267(76) | 吉河・福井荘・ 大朝荘(安芸) |
|||||||
吉川 経高 | 伊豆守 | 一心 | 手子熊丸 次郎 |
経光長男 | 1319 | 大朝荘を本拠とする | ||||||
吉川 経盛 | 五郎次郎 | 如空 | 益熊丸 | 経高長男 | 1358(69) | 吉川経茂女 | ↓ | |||||
吉川 経秋 | 駿河守 | 道心 | 五郎次郎 | 経盛長男 | ?-1368 | 1383 | 庄駿河守女 | ↓ | ||||
吉川 経見 | 駿河守 | 法秀 | 左兵衛尉 | 吉川経兼長男 | 1368-1416 | 1435 | 弥徳(経秋女) | ↓ | ||||
吉川 経信 | 駿河守 | 円明院 月山浄心 |
次郎三郎 治部少輔 |
経見三男 | 1416-56 | 1456(61) | 小笠原長徳女 | ↓ | ||||
吉川 之経 | 伊豆守 | 大智院 正観中公 |
経幸 左衛門大夫 |
経信長男 | 1456-63 | 1477(63) | ↓ | |||||
吉川 経基 | 駿河守 | 玉台院 瑞芳慶本 |
元経 千松 次郎三郎 掃部助 |
之経長男 | 1463-1509 | 1520(93) | 佐波秀連女 | ↓ | ||||
吉川 国経 | 伊豆守 | 正受院 一株慶守 |
次郎三郎 治部少輔 |
経基長男 | 1509-21前 | 1531(89) | 高橋直信女 小笠原越前守女 |
↓ | ||||
吉川 元経 | 伊予守 | 雄猛院 義仲全勇 |
次郎三郎 治部少輔 |
国経長男 | 1521前-22 | 1522(64) | 毛利弘元女 | ↓ | ||||
吉川 興経 | 治部少輔 | 桃源院 安叟常仙 |
千法師 次郎三郎 |
元経長男 | 1522-47 | 1550(43) | 宍戸元源女 武田元繁女 |
↓ | ||||
吉川 元春 | 従四位下 侍従 駿河守 |
随浪院 海翁正恵 |
少輔次郎 治部少輔 |
毛利元就二男 (国経外孫) |
1547-82 | 1586(57) | 熊谷信直女 | ↓ 1550日の山城 (安芸)を築く |
毛利家臣 | |||
吉川 元長 | 正五位下 治部少輔 |
万徳院 中翁空三 |
元資 鶴寿丸 少輔次郎 |
元春長男 | 1582-87 | 1587(40) | 春木 (宍戸隆家女) |
↓ | 毛利家臣 | |||
吉川 広家 | 従四位下 侍従 民部少輔 |
全光院 中巌如兼 |
経言 才寿丸 次郎五郎 又次郎 蔵人頭 |
元春三男 | 1587-1614 | 1625(65) | 豊臣秀吉養女 (=宇喜多直家女) |
↓ 1591富田城(出雲) 142,000石 1600岩国城(周防) 37,129石 |
毛利家臣 (毛利家の 左遷に伴い 減知転封) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
土肥 実平 | 次郎 | 通玄院 仁山義公 |
万寿冠者 | 中村宗平男 | 1191 | 土肥郷(相模) 沼田荘(安芸) |
備前・備中・ 備後守護 |
|||||
土肥 遠平 | 筑後守 | 天祥院 広山寛公 |
万寿冠者 弥太郎 |
実平男 | 1237 | 伊東祐親女 | 早河荘(相模)・沼田荘 | |||||
小早川 景平 | 次郎 | 常誉院 清山浄公 |
平賀義信男 | 1244 | 沼田荘 | |||||||
小早川 茂平 | 美作守 | 随応院 本仏祖元 |
弥太郎 左衛門大夫 兵衛尉 |
景平長男 | 1264 | ↓ 高山城を築く |
||||||
小早川 雅平 | 三郎 | 流源院 覚本浄公 |
政平 | 茂平三男 | 1298 | ↓ | ||||||
小早川 朝平 | 美作民部大夫 | 円通院 観嶺禅公 |
太郎 左衛門尉 美作民部丞 |
雅平長男 | 1347 | ↓ | ||||||
小早川 宣平 | 安芸守 | 随泉院 円山照公 |
備後守 | 朝平長男 | ? | ↓ | ||||||
小早川 貞平 | 従五位下 備後守 |
成就寺 仏心本明 |
道祖鶴丸 四郎左衛門尉 |
宣平四男 | 1375(59) | ↓ | ||||||
小早川 春平 | 美作守 | 仏通寺 天心宗順 |
貞平長男 | 1402 | ↓ | |||||||
小早川 則平 | 美作守 | 肯心院 大言常建 |
常嘉 | 春平長男 | ?-1433 | 1433(61) | ↓ | |||||
小早川 煕平 | 備後守 | 宝光院 本源常立 |
又太郎 掃部助 |
則平二男 | 1440-572 | 1472(57) | ↓ | 1433-40 兄持平と 相続争い |
||||
小早川 敬平 | 美作守 | 長松院 笑翁慧観 |
元平 又鶴丸 又太郎 掃部助 |
煕平長男 | 1472-99 | 1499(47) | ↓ | |||||
小早川 扶平 | 掃部頭 | 正法院 惟三常因 |
又鶴丸 又太郎 兵部少輔 |
敬平長男 | 1499-1508 | 1508(24) | ↓ | |||||
小早川 興平 | 掃部頭 | 香積寺 実巌宗真 |
小法師丸 又太郎 |
扶平長男 | 1508-26 | 1526(22) | ↓ | |||||
小早川 正平 | 備後守 | 成就寺 天秀祖祐 |
詮平 又太郎 掃部頭 |
興平長男 | 1526-43 | 1543(21) | ↓ | |||||
小早川 繁平 | 采女正 | 一珠院 文室玄緒 |
元緒 元平 又鶴丸 又太郎 |
正平長男 | 1543-50 | 1574 | ↓ | |||||
小早川 隆景 | 従三位 権中納言 |
黄梅院 泰雲紹閑 |
徳寿丸 又四郎 中務大輔 左衛門佐 |
毛利元就三男 | 1550-95 | 1597(65) | 正平女 | ↓ 1552新高山城(安芸) 1582三原城(備後) 1585伊予国一円 1587名島城(筑前) 373,300石 筑前国一円および 肥前・筑後の一部 1595三原城退隠 (養子・秀秋が名島襲封) |
大老 (豊臣政権) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
小早川 政景 | 四郎 | 定心 | 美作四郎 | 小早川茂平四男 | 都宇竹原荘(安芸) | ||||||
小早川 景宗 | 出雲権守 | 政宗 弥四郎 弥丞冠者 美作四郎 左衛門尉 |
政景長男 | ↓ | 1336-? 安芸国大将 |
||||||
小早川 祐景 | 又四郎 | 景宗長男 | (早世) | ||||||||
小早川 重景 | 出雲四郎左衛門尉 | 弥四郎 | 祐景長男 | 1363以後 | ↓ | ||||||
小早川 重宗 | 弥四郎 | 重景長男 | ↓ | ||||||||
小早川 実義 | 甲斐守 | 出雲又四郎 | 重宗長男 | ↓ | |||||||
小早川 義春 | 安芸守 | 又四郎 | 実義長男 | 1379以後 | ↓ | ||||||
小早川 仲義 | 安芸四郎 | 天門高公 | 仲好 太郎四郎 |
義春長男 | 1398以後 | ↓ | |||||
小早川 弘景 | 安芸守 | 徳岩陽満 | 又四郎 安芸又四郎 |
仲義長男 | 1443以後 | ↓ 木村城を築く |
|||||
小早川 盛景 | 安芸守 | 心宗元公 陽元 |
安芸太郎四郎 中務少輔 |
弘景長男 | 1450以後 | ↓ | |||||
小早川 弘景 | 中務少輔 | 又四郎 | 盛景長男 | 1477以後 | ↓ | ||||||
小早川 弘平 | 安芸守 | 道祖徳 又四郎 中務少輔 |
弘景 (中務少輔) 長男 |
↓ | |||||||
小早川 興景 | 中務少輔 | 法常寺 体岩全公 |
四郎 | 弘平長男 | ?-1543 | 1543 | ↓ | ||||
小早川 隆景 | 中務少輔 | 徳寿丸 又四郎 |
毛利元就三男 | 1543-50 | 1597(65) | ↓ 1550沼田小早川家を 継承して両家統合 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
山内首藤 俊通 | 滝口刑部丞 | 明月院 天樹合公 |
藤原通義男 | 1159 | 摩摩局 | 山内荘(相模) | ||||||
山内首藤 経俊 | 刑部大輔 | 頓宗永悟 | 滝口三郎 刑部丞 |
俊通長男 | 1225(89) | 山内荘・地毘荘(備後) | 1185-1204 伊勢・伊賀守護 |
|||||
山内 重俊 | 中務丞 | 法菴西妙 | 経俊長男 | 1242(85) | 土肥遠平女 | ↓ | ||||||
山内 宗俊 | 左兵衛尉 | 観叟深念 | 小二郎 | 重俊二男 | ↓ | |||||||
山内 時通 | 兵衛三郎 | 積窓慈善 | 時俊 | 宗俊四男 | ↓ | |||||||
山内 通綱 | 弥三郎 | 正山空覚 | 時通二男 | ↓ | ||||||||
山内 通資 | 三郎 | 宝持院 長快妙通 |
長寿丸 | 通綱長男 | ↓ 地毘蔀山城、 後、甲山城を築く |
|||||||
山内 通時 | 刑部丞 | 心翁浄仙 | 彦三郎 | 通資長男 | 1349(42) | ↓ | ||||||
山内 通継 | 肥前守 | 続宗昌継 | 通次 熊寿丸 刑部三郎 |
通時長男 | 1367(25) | ↓ | ||||||
山内 通忠 | 下野守 | 通源昌深 | 松若丸 刑部四郎 修理亮 |
通時二男 | ↓ | |||||||
山内 煕通 | 上野介 | 月漢浄光 | 牛子丸 馬子丸 四郎次郎 |
通忠二男 | 毛利光房女 | ↓ | ||||||
山内 時通 | 上野介 | 柏叟浄貞 | 馬子丸 次郎四郎 |
煕通二男 | 1456 | 毛利煕元女 | ↓ | |||||
山内 泰通 | 上野介 | 高山浄昇 | 次郎四郎 | 時通長男 | 1481 | ↓ | 備後守護代 | |||||
山内 豊成 | 大和守 | 千聖院 瑞翁勝慶 |
豊通 法師丸 幸松丸 新左衛門尉 |
泰通長男 | ↓ | 備後守護代 | ||||||
山内 直通 | 上野介 | 勝翁良貞 | 豊通 幸松丸 二郎四郎 新左衛門尉 |
豊成長男 | ?-1536 | 1553 | 毛利蔵人女 | ↓ | ||||
山内 豊通 | 次郎四郎 | 三渓良玄 | 直通長男 | (早世) | 毛利興元女 | |||||||
山内 隆通 | 新左衛門尉 | 帰雲玄鶴 | 聟法士 少輔四郎 |
多賀山通続長男 (直通外孫) |
1536-86 | 1586(57) | 豊通女 熊谷信直女 |
↓ | 1553- 毛利家被官 |
|||
山内 元通 | 刑部少輔 | 月嶺浄円 | 少輔四郎 | 隆通長男 | (早世) | − | ||||||
山内 広通 | 大隅守 | 月山道海 | 千松丸 鬼松 少輔四郎 九郎兵衛尉 肥前守 |
隆通二男 | 1586-1631 | 1631(58) | 口羽春良女 | ↓ 甲山城 6,746石 1600埴生(長門)移転 3,616石 |
毛利家臣 | |||
山内元資(広通男)以後、長州毛利家臣として埴生4,905石を知行。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
熊谷 直貞 | 二郎大夫 | 平盛方男 | 熊谷荘(武蔵) | ||||||||
熊谷 直実 | 二郎 | 蓮生 | 直貞二男 | 1208(68) | ↓ | ||||||
熊谷 直家 | 兵衛尉 | 観蓮 | 小二郎 | 直実二男 | 1221(45) | ↓ | |||||
熊谷 直国 | 備中守 | 妙直 | 直輔 二郎 平内左衛門尉 |
直家二男 | 1221 | ↓ | |||||
熊谷 直時 | 図書助 | 西忍 | 時直 千虎丸 二郎三郎 平内左衛門二郎 行蓮 |
直国長男 | 1280(73) | 三入荘(安芸) | |||||
熊谷 直高 | 図書助 | 道忍 | 二郎 彦次郎 |
直時二男 | 1284(34) | ↓ | |||||
熊谷 直満 | 彦四郎 | 直忍 | 直光 彦次郎 直生 |
直高二男 | 1319 | ↓ | |||||
熊谷 直経 | 尾張守 | 直道 | 虎二郎 小四郎 |
直満二男 | ↓ | ||||||
熊谷 宗直 | 尾張守 | 雲外 | 直明 虎熊丸 小四郎 二郎左衛門尉 直会 |
直経長男 | ↓ | ||||||
熊谷 在直 | 尾張四郎 | 古伝一心 | 彦四郎 二郎左衛門尉 四郎左衛門尉 |
宗直長男 | ↓ | ||||||
熊谷 信直 | 美濃守 | 伝渓直性 | 二郎三郎 二郎左衛門尉 四郎左衛門 |
在直長男 | ↓ | ||||||
熊谷 堅直 | 美濃守 | 月谷光公 | 熊若丸 二郎三郎 二郎左衛門尉 電景 |
信直長男 | ↓ | ||||||
熊谷 宗直 | 但馬守 | 茂林 | 二郎三郎 二郎左衛門 |
堅直長男 | ↓ | ||||||
熊谷 膳直 | 民部大輔 | 観音寺 松巌秀公 |
善直 二郎三郎 民部少輔 |
宗直長男 | 1515(63) | ↓ | |||||
熊谷 元直 | 二郎三郎 | 蓮花院 花翁性運 |
膳直長男 | ?-1517 | 1517(28) | ↓ | |||||
熊谷 信直 | 伊豆守 | きさんせうきん | 二郎三郎 兵庫頭 |
元直長男 | 1517-93 | 1593(87) | ↓ 三入高松城を築く 16,000石 |
毛利家被官 | |||
熊谷 高直 | 兵庫頭 | 興岩寿盛 | 二郎三郎 | 信直長男 | (早世) | 1579(53) | |||||
熊谷 元直 | 従五位下 豊前守 |
メルシオル 聴玄庵 蓮西 |
元貞 二郎三郎 伊豆守 福者 (2008ローマ 教皇より列福) |
高直長男 | 1593-1605 | 1605(51) | ↓ 1600周防・長門二国内 8,000石 1605キリシタンとして殉教 絶家 |
毛利家臣 | |||
熊谷元貞(元直孫)が家名再興、江戸中期以後は長州毛利家臣として1,000石を知行。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
宍戸 家政 | 従五位下 筑後守 |
貞阿 | 四郎 左衛門尉 |
八田知家四男 | 1213(26) | 笠間郡宍戸荘(常陸) | |||||
宍戸 家周 | 従五位下 壱岐守 |
仏心 | 四郎 兵衛尉 |
家政長男 | 1268(62) | ↓ | |||||
宍戸 家宗 | 従五位下 出羽守 |
心仏? | 四郎 左衛門尉 |
家周長男 | 1284(51) | ↓ | |||||
宍戸 家時 | 従五位下 左衛門尉 |
道知 | 五郎 | 家宗長男 | 1292(35) | ↓ | |||||
宍戸 知時 | 従五位下 安芸守 |
性知 | 孫四郎 | 家時長男 | 1328(49) | ↓ | |||||
宍戸 朝家 | 従五位上 安芸守 |
理阿 | 朝重 | 知時長男 | 1363(58) | ↓ 甲立五竜城(安芸) |
|||||
宍戸 基家 | 従五位下 遠江守 |
一乗 | 朝家長男 | 1396(70) | ↓ | ||||||
宍戸 家秀 | 従五位下 安芸守 |
見性 | 基家長男 | 1429(79) | ↓ | ||||||
宍戸 持朝 | 従五位上 備前守 |
一空真覚 | 家忠 弥三郎 |
家秀長男 | 1459(78) | ↓ | |||||
宍戸 興家 | 従五位下 安芸守 |
道泰 | 持朝長男 | ↓ | |||||||
宍戸 元家 | 従五位下 安芸守 |
本光院 大空道蘊 |
悪四郎 左衛門尉 |
宍戸時宗 (朝家孫)二男 |
1509(76) | ↓ | |||||
宍戸 元源 | 従五位下 安芸守 |
一叟道清 | 雅楽頭 | 元家長男 | ?-1542 | 1542 | ↓ | ||||
宍戸 元家 | 従五位下 左衛門尉 |
嶺陽院 桃巌常源 |
弥三郎 | 元源長男 | (早世) | 1518(21) | |||||
宍戸 隆家 | 従五位下 安芸守 |
天叟覚隆 | 元家 弥三郎 左衛門尉 |
元家 (左衛門尉) 長男 |
1542-92 | 1592(75) | ↓ 甲立五竜城 25,124石 |
毛利家被官 | |||
宍戸 元秀 | 従五位下 左衛門尉 |
安養院 祖雲玄翁 |
元孝 弥三郎 雅楽頭 |
隆家長男 | (廃嫡) | 1597(51) | |||||
宍戸 元続 | 従五位下 備前守 |
巌叟道エ | 元次 弥三郎 九郎左衛門尉 |
元秀長男 | 1592-1615 | 1631(69) | ↓ 鬼身(備中)城督となる 1600長門国内へ移転 1603右田(周防) 9,766石 |
毛利家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
平賀 惟長 | 三国(?)惟泰男 | 平鹿郡内(出羽) 賀茂郡高屋保(安芸) |
|||||||||
平賀 惟致 | 惟長の男 | ↓ | |||||||||
平賀 貞泰 | 惟致男 | ↓ | |||||||||
平賀 惟藤 | 貞泰男 | ↓ | |||||||||
きやうくわん (尼) |
貞泰妻 | ↓ | |||||||||
平賀 兼宗 | 遠江守 | 平賀惟兼 (惟長弟)の男 |
1338 | ↓ | |||||||
平賀 貞宗 | 出羽守 | 直宗 重宗 |
兼宗男 | 1391 | ↓ | ||||||
平賀 弘章 | 尾張守 | 妙章 | 貞宗男 | 1412(69) | 高屋に定住 | ||||||
平賀 共益 | 又四郎 | 弘章男 | 1403(29) | ↓ | |||||||
平賀 頼宗 | 尾張守 | 共益男 | 1466(75) | ↓ | |||||||
平賀 弘宗 | 尾張守 | 頼宗男 | 1472(51) | ↓ | |||||||
平賀 弘頼 | 蔵人大夫 | 新四郎 | 弘宗男 | 1492(37) | ↓ | ||||||
平賀 弘保 | 尾張守 | 真岳 | 弘頼男 | 1558(84) | ↓ 1523頭崎城を築く |
||||||
平賀 興貞 | 蔵人大夫 | 弘保男 | 1552(55) | ↓ (白山に拠り子の 隆宗と対立) |
|||||||
平賀 隆宗 | 太郎左衛門尉 | 天巌 | 興貞男 | ?-1549 | 1549(26) | ↓ (1549-51庶流の 平賀隆保が家督) |
|||||
平賀 広相 | 蔵人大夫 | 高岳常雲 | 新九郎 | 興貞男 | 1551-68 | 1568(40) | ↓ 高屋頭崎城 18,383石 |
毛利家被官 | |||
平賀 元相 | 従五位下 木工頭 |
心翁道安 | 小法師 新四郎 兵庫頭 四郎兵衛 茂庵 |
広相男 | 1568-1601 | 1645(99) | ↓ 1600長門国内へ移転 4000石に減知 1601退去 |
毛利家臣 | |||
平賀元忠(元相男)が長州毛利家に帰参して300石の家臣として存続。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
天野 遠顕 | 讃岐守 | 天野景経三男 | (13C末) | 志芳荘(安芸) | |||||||
天野 顕義 | 讃岐権守 | 満山了円 | 遠顕男 | 1338(52) | ↓ 米山城を築く |
||||||
天野 顕氏 | 讃岐守 | 泰翁智真 | 顕義男 | 1383(70) | ↓ | ||||||
天野 顕忠 | 蔵人 | 浄阿常清 | 昌儀入道 | 顕氏男 | 1398(66) | ↓ | |||||
天野 顕房 | 讃岐守 | 覚正峰高 | 六郎 | 顕忠男 | 1423(73) | ↓ | |||||
天野 顕勝 | 讃岐守 | 英山崇雄 | 義顕 | 顕房男 | 1431? | ↓ | |||||
天野 家氏 | 讃岐守 | 玄山紹機 | 六郎 | 顕勝長男 | 1463(74) | ↓ | |||||
天野 弘氏 | 讃岐守 | 永樹一照 | 四郎 兵衛大夫 |
家氏長男 | 1488(80) | ↓ | |||||
天野 興次 | 讃岐守 | 長徳院 天陽機心 |
自在丸 六郎 民部大輔 |
弘氏長男 | 1525(79) | ↓ | |||||
天野 興定 | 民部大輔 | 高玄院 月光英心 |
六郎 | 興次長男 | 1531(66) | ↓ | |||||
天野 隆綱 | 六郎 | 信翁道堅 | 米寿丸 | 興定長男 | 1555 | ↓ | 毛利家被官 | ||||
天野 元定 | 民部大輔 | 閑明寺 心月宗円 |
兼定 藤次郎 |
興定二男 | 1556-69 | 1569(79) | ↓ 志芳米山城 15,489石 |
毛利家被官 | |||
毛利 元政 | 従五位下 讃岐守 |
天徳性真 | 千虎丸 少輔次郎 掃部頭 六郎左衛門尉 宗休 |
毛利元就七男 | 1569-1609 | 1609(51) | ↓ 1600長門国内へ移転 1603三尾(周防) 11,322石 |
毛利家臣 | |||
【金明山天野家】 |
|||||||||||
天野 政光 | 民部大輔 | 天野景経二男 | (13C末) | 賀茂郡堀荘(安芸) | |||||||
天野 政貞 | 政光男 | ↓ 金明山城を築く |
(南朝方) | ||||||||
天野 政国 | 政貞男 | ↓ | (南朝方) | ||||||||
天野 顕政 | 民部大輔 | 新田義顕男 | ↓ | (南朝方) | |||||||
天野 顕元 | 民部大輔 | 顕政男 | ↓ | ||||||||
天野 元繁 | 顕元男 | ↓ | |||||||||
天野 元平 | 元繁男 | ↓ | |||||||||
天野 元氏 | 安芸守 | 民部大輔 | 元平男 | ↓ | |||||||
天野 元連 | 紀伊守 | 元貞 元行 |
天野弘氏男 | (16C前半) | ↓ | ||||||
天野 隆重 | 紀伊守 | 中務少輔 | 元連長男 | ?-1583 | 1584(82) | ↓ | 毛利家被官 | ||||
天野 元嘉 | 民部大輔 | 少輔五郎 新兵衛尉 |
隆重五男 | 1583-1612 | 1612(51) | ↓ 1600毛利家に従い 周防国内へ移転 長州藩大組 子孫は1,500石 |
毛利家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
村上 顕長 | 越前守 | 吉豊 義光 又三郎 左衛門大夫 |
村上義胤二男 | 1427前-? | 因島(安芸) | ||||||
村上 吉資 | 備中守 | 顕長男 | 1462頃 | ↓ | |||||||
村上 吉充 | 新蔵人 | 義充 吉満 |
吉資男 | ↓ | |||||||
村上 吉直 | 備中守 | 吉充男 | ↓ | ||||||||
村上 尚吉 | 加賀守 | 新蔵人 | 吉直男 | ?-1544後 | ↓ | ||||||
村上 吉充 | 新蔵人 | 尚吉男 | 1544後-87後 | ↓ | 毛利家被官 | ||||||
村上 吉祐 | 新左衛門尉 | 吉亮 | 村上亮康 (尚吉男)の男 |
1587後-96 | 1596 | ↓ | 毛利家臣 | ||||
村上 元充 | 新左衛門尉 | 吉祐男 | 1596-1646 | 1646(55) | ↓ 1600毛利家に従い 周防国内へ移転 長州藩船手組 子孫は869石 |
毛利家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 |
福島 正則 | 従四位下 参議 左衛門大夫 |
高斎 | 市松 侍従 右少将 |
福島正信男 | 1600-19 | 1624(64) | 津田長義女 牧野康成女 |
1595清洲城(尾張) 240,000石 1600広島城 498,200石 1619高井野(信濃)左遷 |
|
1613年頃の重臣配置としては、神辺城代の福島丹波35,000石、三次城代の尾関石見20,000石、東城城代の長尾一勝10,000石、 鞆城代の大崎長行10,000石(居城はいずれも備後国内)らが挙げられる。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 |
浅野 長晟 | 従四位下 侍従 但馬守 |
自得院 洞雲宗仙 |
岩松 右兵衛佐 |
浅野長政二男 浅野幸長養子 |
1619-32 | 1632(47) | 振 (徳川家康女) |
1613和歌山城(紀伊)襲封 376,560石 1619広島城(安芸) 426,500石 |
|
浅野 光晟 | 従四位下 左少将 安芸守 |
玄徳院 仁岳良寛 |
岩松 (致仕後) 紀伊守 |
長晟二男 | 1632-72 | 1693(77) | 満 (前田利常女) |
↓ | 公称松平 |
浅野 綱晟 | 従四位下 侍従 弾正大弼 |
天心院 徹性日通 |
岩松 弾正少弼 |
光晟長男 | 1672-73 | 1673(37) | 愛 (九条道房女) 八代 (九条道房女) |
↓ | |
浅野 綱長 | 従四位下 侍従 安芸守 |
顕妙院 玄奥日統 |
岩松 | 綱晟長男 | 1673-1708 | 1708(50) | 貴 (徳川綱誠養女) |
↓ | |
浅野 吉長 | 従四位下 左少将 安芸守 |
体国院 桓巌崇隆 |
岩松 備後守 |
綱長長男 | 1708-52 | 1752(72) | 節 (前田綱紀女) |
↓ | |
浅野 宗恒 | 従四位下 侍従 安芸守 |
鶴皐院 天随道仙 |
仙次郎 岩松 刑部大輔 伊勢守 (致仕後) 但馬守 |
吉長長男 | 1752-63 | 1787(71) | 喜代 (前田吉徳女) |
↓ | |
浅野 重晟 | 従四位下 左少将 安芸守 |
恭昭院 鸞台種徳 |
善次郎 上総介 (致仕後) 備後守 |
宗恒長男 | 1763-99 | 1813(71) | 福子=邦 (徳川宗勝女) 順子=陽 (徳川宗勝女) |
↓ | |
浅野 斉賢 | 従四位下 左少将 安芸守 |
天祐院 徳順履信 |
時之丞 善次郎 右京大夫 |
重晟二男 | 1799-1830 | 1830(58) | 泰君 (徳大寺実祖女) 織子 (有栖川宮織仁 親王王女) |
↓ | |
浅野 斉粛 | 従四位上 左少将 安芸守 |
温徳院 寛洪日順 |
長粛 勝吉 (致仕後) 備後守 |
斉賢長男 | 1831-58 | 1868(52) | 貴子=末 (徳川家斉女) |
↓ | |
浅野 慶熾 | 従四位上 侍従 安芸守 |
大光院 晢文懿徳 |
長裕 定吉 定之丞 善次郎 上総介 |
斉粛長男 | 1858 | 1858(23) | 利子 (徳川斉彊養女) |
↓ | |
浅野 長訓 | 左少将 安芸守 |
茂長 千之進 為五郎 美作守 近江守 |
浅野長懋 (重晟四男) 九男 |
1858-68 | 1872(61) | 峻 (浅野長容女) |
↓ | 1868浅野 姓に復帰 |
|
浅野 長勲 | 議定 権中納言 (廃藩後) 元老院議官 |
長興 茂勲 喜代槌 為五郎 石見守 近江守 紀伊守 左少将 |
浅野懋昭 (長懋八男) 長男 |
1868-71 | 1937(96) | 綱子 (山内豊煕女) |
↓ 1871廃藩置県 |
侯爵 貴族院議員 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
浅野 長治 | 従五位下 因幡守 |
鳳源院 俊岳了英 |
又六郎 | 浅野長晟長男 | 1632-75 | 1675(62) | 1632広島藩 浅野家より分家 三次(備後)50,000石 |
||||
浅野 長照 | 従五位下 式部少輔 |
騰雲院 壁竜禅梭 |
長蔵 | 浅野光晟三男 | 1675-91 | 1705(54) | ↓ | ||||
浅野 長澄 | 従五位下 土佐守 |
天柱院 霖応熊山 |
大助 | 浅野綱晟二男 | 1691-1718 | 1718(48) | ↓ | ||||
浅野 長経 | 又六郎 | 鳳章院 孝岳紹胤 |
撫三郎 | 長澄長男 | 1718-19 | 1719(11) | ↓ 1719無嗣中絶 |
||||
浅野 長寔 | 主鈴 | 瑞麟院 丹霄来雲 |
長澄二男 | 1719-20 | 1720(8) | 1719再興 1720無嗣絶家 |
浅野長賢(従五位下・宮内少輔。浅野綱長三男。1730分家、蔵米30,000石)−長喬(従五位下・兵部少輔)⇒長員(従五位下・ 近江守)−長容(従五位下・近江守)⇒長訓(広島藩主)⇒長興(広島藩主・長勲)⇒長厚(近江守。1869廃藩、宗家に合併) |
浅野忠吉(浅野長政の従弟。1600紀伊新宮城28,000石、1619備後三原城30,000石)⇒忠長−忠真−忠義−忠綏−忠晨⇒忠正⇒忠愛⇒ 忠順⇒忠敬⇒忠(少教正)⇒敬五(息子・忠純のとき男爵) |
上田重安(=宗箇。従五位下・主水正。上田重元の男。1585越前国内10,000石。1600所領没収。後に浅野幸長・長晟家臣。1619 安芸小方12,000石)−重政(17,000石)−重次−重羽−義行−義従−義敷⇒義珍−安虎−安世⇒安節⇒重美(養子・亀次郎の とき男爵) |
浅野高英(浅野高勝の男。浅野長晟家臣。1641備後東城6,000石)−高次(10,000石)−高尚−高方−俊峰−高明⇒道寧⇒高景− 高通⇒高平⇒道博⇒道興⇒守夫(貴族院議員・男爵) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 |
〔水野家〕 |
|||||||||
水野 勝成 | 従四位下 日向守 |
徳勝院 参康宗休 |
国松 藤十郎 六左衛門 |
水野忠重長男 | 1619-39 | 1651(88) | 登久 (三村家親養女) |
1615郡山城(大和) 60,000石 1619福山城(備後) 100,000石 |
|
水野 勝俊 | 従四位下 美作守 |
信解院 理円日証 |
勝重 長吉 |
勝成長男 | 1639-55 | 1655(58) | 九鬼守隆女 | ↓ | |
水野 勝貞 | 従五位下 日向守 |
源光院 傑山宗英 |
勝春 勝秀 藤十郎 伊織 備前守 |
勝俊二男 | 1655-62 | 1662(38) | 酒井忠勝養女 | ↓ | |
水野 勝種 | 従五位下 美作守 |
万輝院 忠岳全功 |
勝慶 民部 |
勝貞長男 | 1663-97 | 1697(37) | 長 (酒井忠清女) |
↓ | |
水野 勝岑 | 松之丞 | 庸徳院 天含了中 |
内蔵丞 | 勝種七男 | 1697-98 | 1698(2) | − | ↓ 1698無嗣絶家 継嗣・勝長が 1698西谷(能登) 1700結城城(下総)に 復封 |
|
〔松平(奥平)家〕 |
|||||||||
松平 忠雅 | 従四位下 下総守 |
斎宮 左膳 |
松平清照長男 松平忠弘嫡孫 |
1700-10 | 1746(64) | 類 (毛利綱広女) |
1692山形城(出羽)襲封 100,000石 1700福山城 1710桑名城(伊勢)転封 |
||
〔阿部家〕 |
|||||||||
阿部 正邦 | 従四位下 備中守 |
長生院 尋誉耀海踞岸 |
正盛 作十郎 対馬守 |
阿部定高二男 | 1710-15 | 1715(58) | 菊 (山内豊昌女) 堀江次重女 |
1697宇都宮城(下野) 100,000石 1710福山城 |
|
阿部 正福 | 従四位下 伊勢守 |
徳輪院 碩誉祐全寿山 |
正岑 正縁 正誉 正あきら 〔龍+火〕 正意 富之助 |
正邦四男 | 1715-48 | 1769(70) | 松平定直女 糸(島津吉貴養女) |
↓ | 大坂城代 |
阿部 正右 | 従四位下 侍従 伊予守 |
酉閣院 楼誉託方練契 |
正治 富之助 |
正福二男 | 1748-69 | 1769(46) | 丹羽高寛女 | ↓ | 老中 |
阿部 正倫 | 従四位下 伊勢守 |
煕徳院 勇誉晢心義山 |
運之助 主計 備中守 |
正右三男 | 1769-1803 | 1805(61) | 方 (柳沢信鴻女) 比佐 (津軽信寧女) |
↓ | 老中 |
阿部 正精 | 従四位下 侍従 対馬守 |
謙徳院 満誉清高良節 |
運之助 備中守 主計頭 |
正倫三男 | 1803-26 | 1826(53) | 鍬 (土屋寅直女) 詮子=鍠 (松平頼謙女) |
↓ | 老中 |
阿部 正寧 | 従五位下 伊予守 |
常徳院 寛誉主善元良 |
寛三郎 対馬守 (致仕後) 不争斎 |
正精三男 | 1826-36 | 1870(62) | 猶 (鍋島斉直女) |
↓ | 奏者番 |
阿部 正弘 | 従四位下 侍従 伊勢守 |
良徳院 高誉信義節道 |
剛造 主計 |
正精五男 | 1836-57 | 1857(39) | 謹子 (松平治好女) 謐子 (松平慶永養女) |
↓ 1853加増 110,000石 |
老中 |
阿部 正教 | 従五位下 伊予守 |
恭徳院 温誉覚了法性 |
賢之助 | 正寧長男 | 1857-61 | 1861(23) | − | ↓ | |
阿部 正方 | 従四位下 主計頭 |
隆徳院 円誉覚融松巌 |
燻沽Y | 正寧三男 | 1861-67 | 1867(20) | − | ↓ | |
阿部 正桓 | 福山藩知事 | 元次郎 主計頭 |
浅野懋昭三男 | 1868-71 | 1914(64) | 寿 (正弘女) 篤子 (鍋島直紀女) |
↓ 1871廃藩置県 |
伯爵 |
(2004.09.26up)
史料好きの倉庫へ戻る