山形県は古くは蝦夷の居住地でしたが、7世紀後半〜8世紀前半にかけて日本の支配が及び、708年に越後国出羽郡、712年には出羽国が成立しました。『延喜式』では(後の羽前国の地域は)5郡。平安朝期には一部の地域で皇室・摂家などの荘園も見られましたが、奥州清原氏や藤原氏も影響力を及ぼしており、鎌倉期には中小の地頭が割拠していました。南北朝期には斯波(最上)家が羽州探題として入部して諸豪族を幕府方に帰服させ、室町期にも引き続き探題職にありました。戦国期に入ると置賜地方へ伊達家の勢力が浸透し、村山・最上地方では最上家が勢力を維持、庄内(飽海郡・田川郡)では大宝寺家の支配が及んでいました。戦国末期には置賜郡は伊達政宗、村山・最上郡は最上義光、庄内は上杉景勝が領有に成功しました。豊臣秀吉は大崎・葛西旧臣の一揆を平定すると、置賜郡を会津の蒲生氏郷、のちに上杉景勝に加封し、徳川家康は関が原の戦後、庄内を景勝から没収して義光に加封しました(置賜郡は引き続き上杉領)。江戸前期に最上家が改易になると、庄内には酒井家、最上・村山には鳥居家、のち中小大名が入封します。江戸中期以後は、庄内藩(酒井家)・新庄藩(戸沢家)・山形藩(秋元家→水野家)・上山藩(藤井松平家)・米沢藩(上杉家)など8藩が存在しました。1871年の廃藩置県により、山形県・置賜県・酒田藩(羽後国飽海郡を含む)が成立、1875年に酒田県を鶴岡県と改称、翌年には置賜県と酒田県とが山形県に合併し、県域が確定しました。
最上家=羽州探題 寒河江家 長井家 大宝寺家 天童家 鮭延家 米沢藩=上杉家 米沢新田藩=上杉家 山形藩 上山藩 新庄藩=戸沢家 庄内藩=酒井家 松山藩/松嶺藩=酒井家 村山郡内本多領 高畠藩→天童藩=織田家 長瀞藩 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
斯波 兼頼 | 従五位下 修理大夫 |
光明寺 成覚就公 |
式部丞 | 斯波家兼二男 | 1356-75 | 1379(60) | 1356山形城 (出羽)を築く |
羽州探題 | ||||
最上 直家 | 右京大夫 | 生勝寺 日潭光公 |
兼頼長男 | 1375-1410 | 1410 | ↓ | 1394-1410 出羽(最上)屋形号 |
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最上 満直 | 修理大夫 | 法禅寺 念叟親公 |
直家長男 | 1410-13 | 1413 | ↓ | 最上屋形 (以後同じ) |
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最上 満家 | 修理大夫 | 禅会寺 虎山威公 |
満直長男 | 1413-43 | 1443 | 寒河江某の女 | ↓ | |||||
最上 頼宗 | 式部大輔 | 雲竜寺 一浮守公 |
満家長男 | 1441 | ↓ | |||||||
最上 義春 | 修理大夫 | 竜門寺 天直源公 |
左馬助 右京大夫 |
満家二男 | 1443-74 | 1474 | ↓ | |||||
最上 義秋 | 修理大夫 | 隣江院 松巌芳公 |
右馬助 右京大夫 |
義春長男 | 1474-80 | 1480 | ↓ | |||||
最上 満氏 | 治部大輔 | 国盛寺 月心峯光 |
九郎五郎 | 中野満基 (満直二男) の男 |
1480-94 | 1494 | ↓ | |||||
最上 義淳 | 左衛門佐 | 竜壮寺 天鑑春公 |
四郎五郎 | 満氏長男 | 1494-1504 | 1504 | ↓ | |||||
最上 義定 | 修理大夫 | 雲陽寺 惟翁勝公 |
出羽太郎 | 義淳長男 | 1504-20 | 1520 | 伊達尚宗女 | ↓ | ||||
最上 義守 | 修理大夫 | 竜門寺 羽典栄林 義公 |
修理助 右京大夫 民部大夫 |
中野義清 (満基孫)二男 |
1522-74 | 1590(70) | 大崎某の女 | ↓ | ||||
最上 義光 | 従四位上 右少将 出羽守 |
光禅寺 玉山白公 |
源五郎 右京大夫 |
義守長男 | 1574-1614 | 1614(69) | 大崎義直女 | ↓ 1590本領安堵 240,000石 1601加増 570,000石 |
||||
最上 家親 | 従四位下 侍従 駿河守 |
盛光院 安景長公 |
義親 太郎四郎 左馬助 |
義光二男 | 1614-17 | 1617(36) | ↓ | |||||
最上 義俊 | 源五郎 | 月照院 華岳英心 |
家信 | 家親長男 | 1617-22 | 1631(26) | 南部利直女 | ↓ 1622内訌減封 大森(近江) 10,000石 1631没後 継嗣幼少減封 |
||||
最上義智(従五位下・侍従・駿河守。義俊長男)が高家となり、息子・義雅以後、交替寄合として近江大森5,000石を知行。 | ||||||||||||
1613年頃の重臣配置は以下の通り。 本荘城主 本荘満茂 45,000石 酒田城主 志村光清 30,000石 清水城主 清水義親 27,300石 寒河江城主 寒河江肥前守 27,000石 大山城主 大山光隆 27,000石 上山城主 上野山義直 21,000石 延沢城主 延沢康満 20,000石 山野辺城主 山野辺義忠 19,300石 天童城主 氏家光氏 17,000石 楯岡城主 楯岡光直 16,000石(分限帳にはこうあるが実際には1618年入城) 長谷堂城主 坂光秀 13,000石 白岩城主 松根光広 13,000石 東根城主 東根景佐 12,000石 鮭延城主 鮭延秀綱 11,000石 滝沢城主 滝沢政道 10,000石 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
大江 広元 | 正四位下 陸奥守 |
覚阿 | 少外記 安芸権介 因幡守 明法博士 左衛門大尉 兵庫頭 掃部頭 |
大江維光四男 | 1225(78) | 政所別当 | |||||
大江 親広 | 正五位下 民部権少輔 |
蓮阿 | 蔵人 左近将監 遠江守 武蔵守 式部少輔 |
広元長男 | 1241 | 寒河江荘(出羽) | |||||
大江 広時 | 木工助 | 願阿 | 親広二男 | ↓ | |||||||
大江 政広 | 少輔助太郎 | 広時男 | ↓ | ||||||||
大江 元顕 | 従五位下 右京亮 |
上総介 | 政広男 | 1300頃 | ↓ | ||||||
大江 元政 | 従五位下 因幡守 |
少輔彦太郎 | 元顕男 | 1359? | ↓ | 南朝方 | |||||
大江 時茂 | 上総介 | 元政男 | 1373 | ↓ | 南朝方 | ||||||
寒河江 時氏 | 従五位下 大蔵少輔 |
式部大夫? | 時茂男 | ↓ 寒河江城を築く |
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寒河江 元時 | 修理亮 | 出羽守 | 時氏男 | ↓ | |||||||
寒河江 元高 | 兵部大輔 | 元時男 | ↓ | ||||||||
寒河江 高重 | 宮内少輔 | 元高男 | ↓ | ||||||||
寒河江 為広 | 従五位下 右兵衛佐 |
元高男 | ↓ | ||||||||
寒河江 知広 | 出羽守 | 澄江寺 | 太郎四郎 | 為広男 | 1503 | ↓ | |||||
寒河江 宗広 | 因幡守 | 法泉寺 | 太郎四郎 | 知広男 | 1504 | ↓ | |||||
寒河江 孝広 | 陽春院 | 宗広六男 | 1527 | ↓ | |||||||
寒河江 広種 | 兵部大輔 | 福泉寺 | 宗広男 | 1546 | ↓ | ||||||
寒河江 兼広 | 広種男 | ↓ | |||||||||
寒河江 高基 | 四郎 | 隆基 堯元 |
吉川基綱長男 | ?-1584 | 1584 | ↓ 1584滅亡 |
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寒河江 肥前守 | 真庭是正 | (高基との 関係未詳) |
?-1614 | 1614 | 寒河江城復封 27,000石 1614没。子孫未詳 |
最上家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
大江 広元 | 正四位下 陸奥守 |
覚阿 | 少外記 安芸権介 因幡守 明法博士 左衛門大尉 兵庫頭 掃部頭 |
大江維光四男 | 1225(78) | 政所別当 | |||||
長井 時広 | 従五位上 左衛門尉 |
斎阿 | 蔵人 | 広元二男 | 1241 | 長井荘(武蔵)・ 長井郷(出羽) |
備後守護 | ||||
長井 泰秀 | 正五位下 甲斐守 |
左衛門大夫 | 時広長男 | 1253(42) | ↓ | ||||||
長井 時秀 | 五位 備前守 |
西規 | 宮内権大輔 | 泰秀男 | ↓ | ||||||
長井 宗秀 | 正五位下 宮内権大輔 |
道雄 | 掃部頭 甲斐守 |
時秀男 | ↓ | ||||||
長井 貞秀 | 正五位下 中務少輔 |
兵庫頭 | 宗秀男 | ↓ | |||||||
長井 広秀 | 大膳権大夫 | 貞秀男 | ↓ | ||||||||
長井 時春 | 治部権大夫 | 長井時千 (宗秀男)の男 |
↓ | ||||||||
長井 広房 | 出羽守 | 道広 | 掃部頭 | 時春男 | ?-1385 | ↓ 1385失領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
武藤 氏平 | 左衛門尉 | 助平? | 武藤頼平男 | 1226後-? | 大泉荘(出羽) | ||||||
武藤 盛氏 | 播磨守 | 氏平男 | ↓ | ||||||||
武藤 氏景 | 出羽守 | 盛氏男 | ↓ | ||||||||
武藤 秋氏 | 播磨守 | 氏景男 | ↓ | ||||||||
大宝寺 長盛 | 出羽守 | 秋氏男 | ↓ 大宝寺に居住 |
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大宝寺 師氏 | 左京大夫 | 長盛男 | ↓ | ||||||||
大宝寺 親氏 | 播磨守 | 師氏男 | ↓ | ||||||||
大宝寺 持氏 | 出羽守 | 親氏男 | ↓ | ||||||||
大宝寺 教氏 | 播磨守 | 利氏 | 持氏男 | ↓ | |||||||
大宝寺 淳氏 | 出羽守 | 経氏 | 教氏男 | ↓ | |||||||
大宝寺 建氏 | 右京亮 | 淳氏男 | ↓ | ||||||||
大宝寺 政氏 | 従五位下 右京大夫 |
淳氏男 | ↓ | ||||||||
大宝寺 澄氏 | 四郎次郎 | 政氏男 | ↓ | ||||||||
大宝寺 氏説 | 四郎 | 氏時 | 政氏男 | ↓ | |||||||
大宝寺 晴時 | 従五位下 左京大夫 |
時氏 | 氏説男 | 1541 | ↓ 尾浦城へ移転 |
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大宝寺 義増 | 親九郎 | 証江庵 浄昌 |
明氏 晴親 新九郎 |
晴時男 (従弟?) |
?-1569 | 1569後 | ↓ | ||||
大宝寺 義氏 | 出羽守 | 浄影桃翁 | 満千代 四郎 左京大夫 |
義増男 | 1569-83 | 1583(33) | ↓ | ||||
大宝寺 義興 | 兵庫頭 | 氏高 | 義増男 | 1583-87 | 1587(34) | ↓ | |||||
大宝寺 義勝 | 出羽守 | 千勝丸 | 本庄繁長二男 | 1588-91 | 1623(51) | ↓ 1591改易 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
里見 為宗 | 蔵人 | 新田一族 | 1300頃 | 成生荘(出羽) | |||||||
里見 義景 | 摂津守 | 十郎 | 為宗男 | ↓ | |||||||
里見 義宗 | 民部少輔 | 新蔵人 | 斯波家兼五男 | ↓ | |||||||
里見 頼直 | 右京大夫 | 保国寺 桃林源公 |
最上直家二男 | 1375前後 | ↓ 天童城を築く |
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天童 頼勝 | 修理大夫 | 頼直長男 | ↓ | ||||||||
天童 頼泰 | 治部大輔 | 頼直二男 | ↓ | ||||||||
天童 頼基 | 式部少輔 | 頼泰男 | ↓ | ||||||||
天童 頼氏 | 駿河守 | 頼基男 | ↓ | ||||||||
天童 頼繁 | 式部大輔 | 頼氏男 | ↓ | ||||||||
天童 頼尚 | 治部少輔 | 頼氏男 | ↓ | ||||||||
天童 頼堯 | 中務少輔 | 頼道 | 頼尚男 | ↓ | |||||||
天童 頼長 | 式部少輔 | 頼堯男 | ↓ | ||||||||
天童 頼貞 | 右京進 | 和泉守 治部少輔 |
頼堯男 | ↓ | |||||||
天童 頼澄 | 甲斐守 | 頼久 | 頼貞男 | ↓ 1584失領 後、伊達家臣 1,000石 |
|||||||
天童重頼(頼澄養子)以後、仙台伊達家臣として、後代陸奥八幡1,347石を知行。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
佐々木 綱村 | 新太郎 | 佐々木康重男 | 1512(43) | 1512前 関口城(出羽) | 小野寺家被官 | ||||||
佐々木 綱常 | 弥一郎 | 綱村男 | 1521 | ↓ | 小野寺家被官 | ||||||
佐々木 常孝 | 新太郎 | 綱常男 | 1535(23) | ↓ | 小野寺家被官 | ||||||
鮭延 貞綱 | 典膳正 | 常孝男 | 1565(65) | ↓ 真室鮭延城(出羽) |
|||||||
鮭延 氏孝 | 修理之佐 | 貞綱男 | 1569 | ↓ | |||||||
鮭延 秀綱 | 越前守 | 愛綱 重綱 典膳 |
貞綱男 | ?-1622 | 1646(84) | ↓ 1601までに加増 11,000石 1615後 金山城(出羽) 15,000石 1622改易 後、古河土井家臣 5,000石 1646無嗣絶家 |
最上家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
上杉 景勝 | 従三位 権中納言 |
覚上院 空山宗心 |
顕景 卯松 喜平次 弾正少弼 |
長尾政景二男 上杉輝虎養子 |
1601-23 | 1623(69) | 菊 (武田晴信女) 四辻公遠女 |
1578春日山城(越後) 1598会津若松城(陸奥) 1,200,000石 1601関ヶ原の戦後減封 米沢城(出羽) 300,000石 |
||||
上杉 定勝 | 従四位下 左少将 弾正少弼 |
大上院 隆心 |
玉丸 千徳 喜平次 |
景勝長男 | 1623-45 | 1645(42) | 市 (鍋島勝茂女) |
↓ | ||||
上杉 綱勝 | 従四位下 侍従 播磨守 |
上生院 蓮心 |
実勝 卯松 喜平次 |
定勝二男 | 1645-64 | 1664(27) | 媛(保科正之女) 富(四辻公理女) |
↓ 1664無嗣 |
||||
上杉 綱憲 | 従四位下 侍従 弾正大弼 |
法林院 映心 |
景倫 三郎 喜平次 |
吉良義央長男 (定勝外孫) |
1664-1703 | 1704(42) | 栄 (徳川光貞女) |
1664継嗣 150,000石 |
||||
上杉 吉憲 | 従四位下 侍従 民部大輔 |
樹徳院 泰心 |
氏勝 勝千代 喜平次 |
綱憲長男 | 1703-22 | 1722(39) | − | ↓ | ||||
上杉 宗憲 | 従四位下 侍従 弾正大弼 |
桂徳院 岳心 |
憲英 勝千代 喜平次 |
吉憲長男 | 1722-34 | 1734(21) | 整 (山内豊隆女) |
↓ | ||||
上杉 宗房 | 従四位下 侍従 民部大輔 |
英徳院 雄心 |
勝豊 豊房 政千代 民部 |
吉憲三男 | 1734-46 | 1746(29) | 近 (徳川宗春養女) |
↓ | ||||
上杉 重定 | 従四位下 侍従 大炊頭 |
東岳院 寛心 |
勝政 直千代 大炊 |
吉憲五男 | 1746-67 | 1798(79) | 豊 (徳川宗勝女) |
↓ | ||||
上杉 治憲 | 従四位下 侍従 弾正大弼 |
元徳院 文心 |
勝興 松三郎 直松 直丸 (致仕後) 越前守 鷹山 |
秋月種美二男 (綱憲外曽孫) |
1767-85 | 1822(72) | 幸(重定女) 豊(側室。 上杉勝延女) |
↓ | ||||
上杉 治広 | 従四位下 左少将 弾正大弼 |
享徳院 恭心 |
勝憲 増之助 保之助 喜平次 中務大輔 (致仕後) 兵庫頭 |
重定四男 | 1785-1812 | 1822(59) | 恵子=純 (徳川宗睦養女) |
↓ | ||||
上杉 斉定 | 従四位下 左少将 弾正大弼 |
俊徳院 誠心 |
定祥 宮松 喜平次 式部大輔 |
上杉勝煕 (重定二男) 二男 |
1812-39 | 1839(52) | 三(治広女) 存子=寿 (浅野斉賢女) |
↓ | ||||
上杉 斉憲 | 左中将 弾正大弼 |
曦山 | 広徳 鶴千代 篤千代 喜平次 式部大輔 |
斉定長男 | 1839-68 | 1889(70) | 貞 (山内豊資女) 郁 (松平頼恕女) |
↓ 1866加増 180,000石 1868列藩同盟を 主導、隠居謹慎 |
||||
上杉 茂憲 | 米沢藩知事 (廃藩後) 沖縄県令 元老院議官 |
楽山 | 憲章 竜千代 喜平次 式部大輔 侍従 |
斉憲長男 | 1868-71 | 1919(76) | 喜久 (細川斉護女) 幸(松平義建女) 猶 (竹股権平養女) 敏(松平乗喬女) 兼(伊藤清久女) |
1868減封 147,248石 1871廃藩置県 |
伯爵 |
上杉勝周(従五位下・駿河守。米沢藩主上杉綱憲四男。1719分家、米沢領内10,000石)−勝承(従五位下・駿河守)⇒勝定 (従五位下・駿河守)⇒勝義(従五位下・佐渡守)⇒勝道(駿河守。1869米沢藩に合併。甥・勝賢のとき子爵) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔鳥居家〕 |
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鳥居 忠政 | 従四位下 左京亮 |
俊岳院 峯山岳雄 |
新太郎 | 鳥居元忠二男 | 1622-28 | 1628(63) | 滝川雄利女 | 1602磐城平城(陸奥) 後、加増 120,000石 1622山形城(出羽) 200,000石 1626加増 220,000石 |
||||
鳥居 忠恒 | 従四位下 左京亮 |
孝徳寺 銕山玄心 |
新太郎 伊賀守 |
忠政長男 | 1628-36 | 1636(33) | 森忠政女 | ↓ 1636没後、継嗣の 不手際で廃絶 弟・忠春が高遠城(信濃) に転封され、復家 |
||||
〔松平(会津)家〕 |
||||||||||||
保科 正之 | 従四位下 侍従 肥後守 |
幸松 | 徳川秀忠四男 | 1636-43 | 1672(62) | 菊 (内藤政長女) 万 (藤木弘之女) |
1631養父・保科正直の 高遠城(信濃)襲封 30,000石 1636山形城 200,000石 1637保科家から離れ 一家を設立 1643会津若松城(陸奥)転封 |
|||||
〔松平(結城)家(前期)〕 |
||||||||||||
松平 直基 | 従四位下 侍従 大和守 |
五郎八 七郎 |
結城秀康五男 | 1644-48 | 1648(45) | 布連 (本多富正女) |
1635大野城(越前) 50,000石 1644山形城 150,000石 1648姫路城(播磨)転封 |
|||||
〔松平(奥平)家(前期)〕 |
||||||||||||
松平 忠弘 | 1648-68 | (下段参照) | ||||||||||
〔奥平家〕 |
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奥平 昌能 | 従五位下 大膳亮 |
徳雲院 奇峯道也 |
千福 九八郎 |
奥平忠昌長男 | 1668-72 | 1672(40) | − | 1668宇都宮城(下野)襲封 110,000石 同年越度減封 山形城 90,000石 |
||||
奥平 昌章 | 従五位下 美作守 |
小次郎 | 五島盛勝二男 (忠昌外孫) |
1672-85 | 1695(28) | 菊(昌能女) | ↓ 1685宇都宮城(下野)転封 |
|||||
〔堀田家(前期)〕 |
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堀田 正仲 | 従四位下 下総守 |
左京 | 堀田正俊長男 | 1685-86 | 1694(33) | 松 (池田綱政女) |
1684古河城(下総)襲封 100,000石 1685山形城 1686福島城(陸奥)転封 |
|||||
〔松平(結城)家(後期)〕 |
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松平 直矩 | 従四位下 侍従 大和守 |
鶴松 藤松 |
直基長男 | 1686-92 | 1695(54) | 駒 (松平直政女) 丁 (東園基賢女) |
1667姫路城 150,000石 1682落度減封 日田城(豊後) 70,000石 1686山形城 100,000石 1692白河城(陸奥)転封 |
|||||
〔松平(奥平)家(後期)〕 |
||||||||||||
松平 忠弘 | 従四位下 侍従 下総守 |
楞伽院 端翁道厳 |
清良 鶴松丸 (致仕後) 刑部大輔 |
松平忠明長男 | 1692 | 1700(70) | 細川忠利女 | 1639姫路城(播磨)襲封 150,000石 1648山形城 1668宇都宮城(下野) 1681白河城 1692内訌減封 山形城 100,000石 |
||||
松平 清照 | 主税 | 涼雲院 南峯道薫 |
鶴千代 | 忠弘長男 | (廃嫡) | 1686(35) | − | |||||
松平 忠雅 | 従五位下 下総守 |
斎宮 左膳 |
清照長男 | 1692-1700 | 1746(64) | 類 (毛利綱広女) |
↓ 1700福山城(備後)転封 |
|||||
〔堀田家(後期)〕 |
||||||||||||
堀田 正虎 | 従四位下 伊豆守 |
慈徳院 瑞山紹運 |
織部 | 堀田正俊二男 正仲養子 |
1700-29 | 1729(68) | 永井尚申女 | 1694福島城(陸奥)襲封 1700山形城 |
大坂城代 | |||
堀田 正直 | 従五位下 播磨守 |
正明院 頓与真円 |
林之助 内記 |
堀田正休五男 | (早世) | 1717(29) | − | |||||
堀田 正春 | 内記 | 青叢院 禅阿陽岳 定心 |
正春長男 | 1729-31 | 1731(17) | − | ↓ | |||||
堀田 正亮 | 従四位下 侍従 相模守 |
左源治 | 堀田正武 (正俊四男) 二男 |
1731-46 | 1761(50) | 千賀 (松平定儀女) |
↓ 1746佐倉城(下総)転封 |
老中 | ||||
〔松平(大給)家〕 |
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松平 乗佑 | 従五位下 和泉守 |
源次郎 主水正 |
松平乗邑二男 | 1746-64 | 1769(55) | ミヨ (土屋陳直女) |
1745佐倉城(下総)襲封 60,000石 1746山形城 1764西尾城(三河)転封 |
大坂城代 | ||||
〔秋元家〕 |
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秋元 凉朝 | 従四位下 侍従 但馬守 |
化城院 休弦凉朝 |
員朝 万四郎 右衛門 一学 図書 摂津守 (致仕後) 壱岐守 |
秋元貞朝三男 秋元喬求養子 |
1767-68 | 1775(59) | − | 1742川越城(武蔵)襲封 60,000石 1767山形城 |
||||
秋元 永朝 | 従四位下 但馬守 |
大隆院 慈寛永朝 |
岩五郎 玄蕃 摂津守 |
上田義当 (凉朝兄)四男 |
1768-1810 | 1810(73) | 八重 (井伊直幸養女) 美也 (牧野貞長女) |
↓ | 奏者番 | |||
秋元 久朝 | 従五位下 但馬守 |
享徳院 哲明久朝 |
臣三郎 左衛門佐 (致仕後) 若狭守 大膳亮 休翁 |
永朝五男 | 1810-39 | 1847(56) | 豊 (浅野斉賢女) |
↓ | ||||
秋元 志朝 | 従五位下 但馬守 |
譔佐 左衛門佐 |
毛利広鎮八男 (永朝外孫) |
1839-45 | 1876(57) | 良(上杉斉定女) 秀(本多忠考女) |
↓ 1845館林城(上野)転封 |
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〔水野家〕 |
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水野 忠精 | 侍従 和泉守 |
金五郎 大監物 左近将監 (致仕後) 越前守 |
水野忠邦長男 | 1845-66 | 1884(53) | 愛 (井上正春女) |
1845浜松城(遠江)襲封 50,000石 同年山形城 |
老中 | ||||
水野 忠弘 | 山形藩知事 | 忠篤 真次郎 和泉守 |
忠精長男 | 1866-70 | 1905(49) | 悦 (水野忠幹養女) 照(伊達宗城女) |
↓ 1870朝日山(近江)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔松平(能見)家〕 |
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松平 重忠 | 従五位下 丹後守 |
桐林院 英誉長安 |
重政 伝三郎 |
松平重勝長男 | 1622-26 | 1626(57) | 毛利高政女 | 1621横須賀城(遠江)襲封 26,000石 1622上山城(出羽) 40,000石 1626無嗣 養子重直が継嗣 三田(摂津) |
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〔蒲生家〕 |
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蒲生 忠知 | 従四位下 中務大輔 |
鶴松丸 | 蒲生秀行二男 | 1626-27 | 1634(30) | 内藤政長女 | 1626新封 上山城 40,000石 1627兄・会津藩主 忠郷継嗣 松山城(伊予)転封 |
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〔土岐家〕 |
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土岐 頼行 | 従五位下 山城守 |
恵照院 心庵宗是 |
内膳 | 土岐定義長男 | 1628-78 | 1684(77) | 伊丹康勝女 | 1619高槻城より 幼少のため減知 相馬郡内(下総) 10,000石 1628上山城 25,000石 |
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土岐 頼殷 | 従五位下 伊予守 |
頼隆 兵部 |
頼行二男 | 1678-92 | 1722(82) | 西郷延員女 牧野親成女 |
↓ 1692摂津等三国内転封 |
大坂城代 | ||||
〔金森家〕 |
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金森 頼峕 | 従五位下 出雲守 |
頼時 万助 |
金森頼業長男 | 1692-97 | 1736(68) | − | 1672高山城(飛騨)襲封 38,700石 1692上山城 1697郡上城(美濃)転封 |
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〔松平(藤井)家〕 |
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松平 信通 | 従五位下 越中守 |
涼応院 感誉道義 |
次郎四郎 斎宮 中務少輔 山城守 大隅守 |
松平信之二男 | 1697-1725 | 1725(47) | 板倉重常女 | 1686下総古河藩 松平家より分家 興留(大和) 10,000石 1693兄忠之継嗣 庭瀬(備中) 30,000石 1697上山城 |
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松平 長恒 | 勘九郎 | 瑞隆院 灌誉澄水 玉山 |
勝千代 | 信通二男 | 1725-35 | 1779(66) | − | ↓ | ||||
松平 信将 | 従五位下 山城守 |
清安院 順誉和光 鳳瑞 |
冬松 左門 安房守 |
松平忠隆長男 | 1735-61 | 1761(45) | 戸田氏長女 松平宣富女 |
↓ | ||||
松平 信亨 | 従五位下 山城守 |
華台心院 雪誉澄月 祐巌 |
冬松 勘四郎 (致仕後) 大蔵少輔 |
信将長男 | 1761-90 | 1796(51) | 好 (毛利匡敬女) |
↓ | ||||
松平 信古 | 従五位下 山城守 |
賞桜院 清誉桂山 白心 |
虎丸 籌丸 勘四郎 安房守 |
信亨長男 | 1790-96 | 1796(27) | 松平忠恕女 | ↓ | ||||
松平 信愛 | 従五位下 山城守 |
台岳院 雲誉昭月 義山 |
磐丸 三郎 |
信亨四男 | 1796-1805 | 1805(27) | 松平親貞女 | ↓ | ||||
松平 信行 | 山城守 | 仙山 | 信立 順丸 勘四郎 (致仕後) 安房守 |
松平康哉五男 | 1805-31 | 1873(84) | 青山忠講女 | ↓ | ||||
松平 信宝 | 山城守 | 鶴山 | 茂三郎 中務少輔 |
信行長男 | 1831-62 | 1872(56) | 秀 (戸沢正胤女) |
↓ | ||||
松平 信庸 | 伊豆守 | 菊太郎 安房守 山城守 |
信宝長男 | 1862-68 | 1918(76) | 直子 (小笠原長国女) |
↓ 1868列藩同盟に 参加、隠居謹慎 |
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松平 信安 | 上山藩知事 | 豊熊 | 信宝五男 | 1868-71 | 1918(54) | すず (津田某の女) |
1868減封 27,000石 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | ||||
戸沢 政盛 | 従五位下 右京亮 |
源勝院 庭山前公 |
九郎五郎 | 戸沢盛安長男 戸沢光盛養子 |
1622-48 | 1648(64) | 鳥居元忠女 | 1602松岡城(常陸) 40,000石 1622新庄城(出羽) 60,000石 1625高直し 68,200石 |
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戸沢 正誠 | 従五位下 上総介 |
香雲寺 荘海慧巌 |
乗盛 勝盛 忠義 政晟 政条 政寔 政陟 政鍾 政応 正職 千代鶴 能登守 (致仕後) 中務大輔 |
政盛三男 | 1650-1710 | 1722(83) | 浅野光晟女 | ↓ | |||||
戸沢 正庸 | 従五位下 上総介 |
源徳院 龐山常隆 |
弥五郎 内記 下野守 (致仕後) 大和守 |
楢岡友清男 | 1710-37 | 1740(77) | − | ↓ | |||||
戸沢 正勝 | 従五位下 上総介 |
威箭院 重山両透 |
六三郎 下野守 |
正庸四男 | 1737-45 | 1745(24) | 大久保忠胤養女 | ↓ | |||||
戸沢 正諶 | 従五位下 上総介 |
智徳院 仁山宗勇 |
猪之七郎 内記 |
正庸五男 | 1745-65 | 1765(44) | 柳沢吉里女 | ↓ | |||||
戸沢 正産 | 従五位下 能登守 |
宿仙院 徳巌慈本 |
孝次郎 | 正諶長男 | 1765-80 | 1780(21) | 松平頼恭女 | ↓ | |||||
戸沢 正良 | 従五位下 主計頭 |
戒運院 勇山良将 |
豊三郎 左京 |
正諶二男 | 1780-86 | 1786(25) | 酒井忠仰女 | ↓ | |||||
戸沢 正親 | 従五位下 上総介 |
賢涼院 寛翁道清 |
城之進 | 戸沢正備 (正庸八男) 長男 |
1786-96 | 1796(40) | 浅野長喬女 井伊直幸女 |
↓ | |||||
戸沢 正胤 | 従五位下 右京亮 |
賢徳院 義翁仁道 |
正礼 冨寿 金太郎 大和守 |
正親長男 | 1796-1840 | 1858(67) | 伊与子 (蜂須賀治昭養女) |
↓ | |||||
戸沢 正令 | 従五位下 能登守 |
仁亮院 豪道善雄 |
千代鶴 風月 |
正胤長男 | 1840-43 | 1843(31) | 貢子 (島津重豪女) |
↓ | |||||
戸沢 正実 | 新庄藩知事 | 千代鶴 上総介 中務大輔 |
正令長男 | 1843-71 | 1896(65) | 茂代 (小笠原忠固養女) 章(松平忠固女) 銀(青山忠良女) 錦子(酒井忠発女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | ||||
酒井 忠勝 | 従四位下 宮内大輔 |
成覚院 真誉道保 達三 |
小五郎 | 酒井家次長男 | 1622-47 | 1647(54) | 鳥居忠政女 | 1619松代城(信濃) 100,000石 1622鶴岡城(出羽) 138,000石 1632一部領地替 140,000石 |
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酒井 忠当 | 従四位下 摂津守 |
大乗院 載誉勇哲 政運 |
忠尚 小五郎 |
忠勝長男 | 1647-60 | 1660(44) | 千万 (松平信綱女) |
↓ | |||||
酒井 忠義 | 従四位下 左衛門尉 |
長寿院 英誉法安 養世 |
忠治 小五郎 |
忠当長男 | 1660-81 | 1681(38) | 諏訪 (松平輝綱女) |
↓ | |||||
酒井 忠真 | 従四位下 侍従 左衛門尉 |
泥洹院 到誉泰仁 勇叟 |
小五郎 左衛門佐 |
忠義長男 | 1682-1731 | 1731(61) | 密 (細川綱利女) |
↓ | |||||
酒井 忠寄 | 従四位下 侍従 左衛門尉 |
霊光院 宝誉徳本 泰心 |
次郎吉 主計 摂津守 |
酒井忠予 (忠勝孫)二男 |
1731-66 | 1766(63) | 蝶 (前田綱紀養女 ・浅野吉長女) |
↓ | 老中 | ||||
酒井 忠温 | 従五位下 左衛門尉 |
清光院 安誉浄穏 瑩徹 |
健五郎 摂津守 |
忠寄二男 | 1766-67 | 1767(36) | 為 (黒田継高女) |
↓ | |||||
酒井 忠徳 | 従四位下 侍従 左衛門尉 |
珪徳院 義誉俊嵓 要暉 |
豊太郎 摂津守 凡兆 左瓢 |
忠温長男 | 1767-1805 | 1812(58) | 修 (徳川宗武女) |
↓ | |||||
酒井 忠器 | 従四位下 左少将 左衛門尉 |
歓喜院 心誉廓然 道悟 |
千次郎 新太郎 |
忠徳二男 | 1805-42 | 1854(65) | 雅 (松平信明女) |
↓ | |||||
酒井 忠発 | 侍従 左衛門尉 |
豊山 | 小五郎 摂津守 |
忠器長男 | 1842-61 | 1876(65) | 鐐 (徳川斉匡女) |
↓ | |||||
酒井 忠寛 | 従四位下 左衛門尉 |
泰雲院 仰誉俊徳 瑞光 |
富之進 摂津守 |
忠器九男 | 1861-62 | 1862(24) | − | ↓ | |||||
酒井 忠篤 | 左衛門尉 (廃藩後) 陸軍中尉 |
鳳堂 | 繁之丞 | 忠発五男 | 1862-68 | 1915(63) | 鎮 (徳川慶頼女) |
↓ 1864加増 167,000石 1868新政府より 追討、隠居謹慎 |
江戸市中取締 | ||||
酒井 忠宝 | 大泉藩知事 | 徳之助 平藩知事 |
忠発六男 | 1868-71 | 1921(66) | 鍈子 (東胤城女) |
1868減封 120,000石 会津若松へ移転命令 1869磐城平(岩城)改封 同年 鶴岡に復帰 大泉藩と改称 1871廃藩置県 |
兄・忠篤が再び 相続して伯爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | ||||
酒井 忠恒 | 従五位下 大学頭 |
光顔院 学誉道専 受法 |
忠朋 老之助 大学 |
酒井忠勝三男 | 1647-75 | 1675(37) | 吉 (牧野忠成女) |
1647庄内酒井家より 新田にて分家 松山(出羽) 20,000石 |
|||||
酒井 忠予 | 従五位下 石見守 |
詠境院 勝誉超清 遊円 |
忠宗 大助 |
忠恒長男 | 1675-1732 | 1735(79) | きい (溝口重雄女) |
↓ | |||||
酒井 忠休 | 従五位下 石見守 |
光照院 泰誉豊刹 慧仁 |
主殿 織部 山城守 |
酒井直隆 (忠勝の弟の孫) の男 |
1732-87 | 1787(74) | − | ↓ 1779加増 25,000石 城主に昇格 |
若年寄 | ||||
酒井 忠崇 | 従五位下 石見守 |
定察院 戒誉光純 恵照 |
久米次郎 大学頭 |
忠休四男 | 1787-98 | 1824(74) | 紀井 (松平近形女) |
↓ | |||||
酒井 忠礼 | 従五位下 大学頭 |
常智院 光誉勇照 義仁 |
春之進 | 酒井忠順 (忠予曽孫) 長男 |
1798-1821 | 1821(43) | 忠崇養女 | ↓ | |||||
酒井 忠方 | 石見守 | 春之進 | 忠礼長男 | 1821-45 | 1887(80) | 鉄 (奥平昌高女) |
↓ | ||||||
酒井 忠良 | 紀伊守 | トウ(耳+艹+ 合)七郎 大学頭 |
忠方長男 | 1845-68 | 1884(54) | 晴 (大岡忠固女) |
↓ 1868列藩同盟に 参加、隠居謹慎 |
||||||
酒井 忠匡 | 松嶺藩知事 | 信三郎 | 忠良長男 | 1868-71 | 1911(56) | 陽 (稲田植乗女) 栄 (大木喬任女) うた(出自未詳) |
1868減封 22,500石 1869松嶺藩と改称 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | ||||
本多 利長 | 従五位下 越前守 |
広徳院 仁誉峯山 道勇 |
石見 | 本多忠利四男 | 1682-92 | 1692(58) | 1645横須賀城(遠江) 50,000石 1682不行跡減知 村山郡内(出羽) 10,000石 |
|||||
本多 助芳 | 靫負 | 利久 卯之助 新右衛門 |
本多助久 (忠利長男)二男 |
1693-99 | 1725(63) | ↓ 1699糸魚川(越後)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | ||||
織田 信浮 | 従五位下 左近将監 |
瑞岡院 徳巌俊峯 |
八百八 越前守 |
織田信栄五男 織田信邦養子 |
1767-1818 | 1818(69) | 1767養父上野小幡藩主 信邦の蟄居後継嗣、減封 高畠(出羽) 20,000石 |
|||||
織田 信美 | 従五位下 若狭守 |
恭徳院 清巌良義 |
百太郎 越前守 |
信浮三男 | 1818-36 | 1836(44) | ↓ 1828天童(出羽)に居所を移転 |
|||||
織田 信学 | 左近将監 | 八百八 兵部 伊勢守 兵部少輔 |
信美長男 | 1836-68 | 1891(72) | ↓ | ||||||
織田 信敏 | 兵部大輔 | 富久之助 | 信学長男 | 1868 | ↓ 1868列藩同盟に 参加、隠居謹慎 |
|||||||
織田 寿重丸 | 天童藩知事 | 瑤台院 真巌良詠 |
信学六男 | 1868-69 | 1871(6) | 1868減封 18,000石 |
||||||
織田 信敏 (再承) |
天童藩知事 | 1869-71 | 1901(48) | ↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | ||||
米津 通政 | 従五位下 播磨守 |
清徳院 恬誉無為 玄道 |
勘兵衛 出羽守 |
米津政崇長男 | 1798-99 | 1819(70) | 1767久喜(武蔵)襲封 11,000石 1798長瀞(出羽) |
|||||
米津 政懿 | 従五位下 越中守 |
三太郎 勘兵衛 伊勢守 |
通政長男 | 1799-1853 | 1853(66) | ↓ | ||||||
米津 政易 | 相模守 | 啓次郎 | 酒井忠器七男 | 1854-60 | 1873(45) | ↓ | ||||||
米津 政明 | 伊勢守 | 鎓助 | 酒井忠器八男 | 1860-65 | 1899(70) | ↓ | ||||||
米津 政敏 | 長瀞藩知事 | 賢之助 伊勢守 |
政明長男 | 1865-69 | 1895(45) | ↓ 1869大網(上総)に藩庁を移転 1871竜ヶ崎(常陸)に藩庁を移転 |
(2009.03.01up)
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