大阪府は古く、北部は津の国と呼ばれ、7世紀後半から摂津職が置かれ、難波宮の廃止により国司の統治となりました。東部・南部は凡河内国造が存在しましたが、大化の改新で河内国となりました。716年、河内に和泉監が成立、740年に廃止されましたが、757年には和泉国として分立しました。『延喜式』では摂津は13郡(後代12郡)、河内は14郡(後代16郡)、和泉は3郡(後代4郡)。平安朝期には数多くの荘園が混在していました。鎌倉期の守護は中期以降、三国とも北条一門が占めました。南北朝期には南朝方の楠木家に対して北朝方の高・畠山・細川・赤松などの諸勢力が対峙し、室町幕府の安定化に伴い、摂津・和泉は細川一門、河内は畠山家が守護職を世襲します。戦国期には阿波の三好家の勢力が三国に浸透し、また浄土真宗の石山本願寺や、自由貿易都市堺も独自の地位を保ちました。織田信長が畿内に進出すると本願寺や堺をも制圧し、豊臣秀吉は大坂を居城として三国の大部分を直轄支配しました。1615年に豊臣家が滅亡すると、江戸幕府の大坂城代・堺奉行が置かれ、中期以降、摂津東部には3藩、河内には2藩、和泉に2藩が存在、他の大名領・旗本領も混在しました。1871年の廃藩置県により、摂津7県は大阪府、河内・和泉は堺県となり、1876年に堺県が奈良県を合併、1881年に大阪府が堺県を合併しましたが、1887年に旧大和国が奈良県として分置されたので、現在の府域が確定しました。
河内守護職 和泉守護職 摂津守護職 畠山(尾州)家=河内守護 細川(惣領)家=摂津守護 細川(刑部)家=和泉半国守護 細川(阿波守)家=和泉半国守護 細川(典厩)家=西成郡守護 能勢家 遊佐家 池田家 中川家 高山家 石山本願寺 岸和田藩 麻田藩=青木家 味舌藩 陶器藩 狭山藩=北条家 高槻藩 大坂城代 丹南藩=高木家 伯太藩=渡辺家 西代藩 吉見藩=遠藤家 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
細川 顕氏 | 兵部少輔・陸奥守 | 1336-47 | ||
高 師泰 | 越後守 | 1347-49 | ||
高 師直 | 武蔵守 | 1349/50-51 | ||
高 師秀 | 越後刑部丞 | 1352前-53後 | ||
畠山 国清 | 修理権大夫・阿波守・阿波入道 | 道誓 | 1359前-61 | |
楠木 正儀 | 左兵衛督・中務大輔 | 1369-82 | ||
(以後は畠山家を参照) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
畠山 国清 | 左近大夫将監 | 1336-37 | ||
細川 顕氏 | 兵部少輔・陸奥守 | 1337-47 | ||
高 師泰 | 越後守 | 1347-49 | ||
畠山 国清 | 左近大夫将監 | 道誓 | 1349-51 | |
細川 顕氏 | 兵部少輔・陸奥守 | 1351-52 | ||
細川 業氏 | 陸奥八郎四郎・兵部大輔 | 1352-60後 | ||
楠木 正儀 | 左兵衛督・中務大輔 | 1369-78 | ||
山名 氏清 | 陸奥守 | 1378-91 | ||
大内 義弘 | 左京権大夫 | 1392-99 | ||
仁木 義員 | 兵部少輔 | 1400-03後 | ||
奥 御賀丸 | (後、帥法印) | 1407-08 | ||
(以後は細川=刑部家、および細川=兵部家を参照) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
赤松 範資 | 美作権守 | 世範 | 1336?-39 | |
仁木 義有 | 弥太郎 | 1339-? | 国大将 | |
赤松 範資 | 美作権守 | 世範 | 1339/40-51 | |
赤松 光範 | 信濃二郎左衛門尉 | 1352前後 | ||
赤松 則祐 | 帥律師 | 則祐 | 1353-55後 | 西半国守護 |
細川 繁氏 | 式部大夫 | 1353-54 | 東半国守護 | |
赤松 光範 | 信濃二郎左衛門尉・信濃大夫判官・左衛門少尉 | 1354前-60 | 西半国守護 | |
京極 高氏 | 佐渡大夫判官入道 | 導誉 | 1360-62 | |
赤松 則祐 | 帥律師 | 1362-? | ||
赤松 光範 | 信濃大夫判官 | 1363-66 1366-73後 |
||
細川 頼元 | 右馬助・右京大夫 | 1373/4-79 | ||
渋川 満頼 | 長寿王丸・武蔵次郎 | 1379-82 | ||
(以後は細川=京兆家の欄を参照) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
畠山 貞国 | 従五位下 阿波守 |
次郎 式部大夫 民部丞 |
畠山国氏男 | 男衾郡畠山 (武蔵)周辺? |
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畠山 家国 | 従五位下 尾張守 |
西蓮 | 治部大夫 式部丞 |
貞国男 | 1335 | ↓ | ||||||
畠山 国清 | 正五位下 阿波守 |
道誓 | 次郎 左京大夫 左近大夫将監 修理権大夫 |
家国長男 | 1363? | 未詳 | 1336-37,1349-51 和泉・紀伊守護 1359前-61 河内・伊豆・武蔵守護 |
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畠山 義深 | 従五位下 尾張守 |
増福寺 | 三郎 | 家国二男 | ?-1379 | 1379 | 未詳 | 1366-79 越前守護 |
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畠山 基国 | 右衛門督 | 長禅寺 春岩徳元 |
三郎 右衛門権佐 |
義深長男 | 1379-1406 | 1406(54) | 河内国内ほか | 管領 侍所頭人 1379越前守護 1379-1406 越中守護 1382-1406 河内守護 1391前-1406 能登守護 1399-1406 紀伊守護 |
||||
畠山 満慶 | 修理大夫 | 勝禅寺 真源道祐 |
満則 左馬助 |
基国二男 | 1406-08 | 1432(61) | ↓ | 1406-08 河内・越中・紀伊守護 1408家督を兄・ 満家に譲る 1406-32 能登守護 |
||||
畠山 満家 | 従三位 左衛門督 |
真観寺 道端 |
尾張守 | 基国長男 | 1408-33 | 1433(62) | ↓ | 管領 河内・越中・紀伊守護 |
||||
畠山 持国 | 従三位 左衛門督 |
光孝寺 立源徳本 |
尾張守 | 満家長男 | 1433-41 | ↓ | 河内・越中・紀伊守護 | |||||
畠山 持永 | 左馬助 | 満家二男 | 1441 | 1441 | ↓ | 河内・越中・紀伊守護 | ||||||
畠山 持国 (再承) |
1441-55 | 1455(59) | ↓ | 管領 河内・越中・紀伊守護 |
||||||||
畠山 義就 | 伊予守 | 宝泉寺 | 次郎 義夏 右衛門佐 |
持国長男 | 1455-60 | ↓ | 河内・越中・紀伊守護 | |||||
畠山 政長 | 従四位下 左衛門督 |
実隆寺 | 次郎 尾張守 弾正少弼 |
畠山持富 (満家三男) 二男 |
1460-67 | ↓ | 河内・越中・紀伊守護 | |||||
畠山 義就 (再承) |
1467 | ↓ | 河内・越中・紀伊守護 | |||||||||
畠山 政長 | 1467-93 | 1493(52) | 京極持清女 | ↓ | 管領 河内・越中・紀伊守護 |
|||||||
畠山 義就 (対立) |
1477-90 | 1490 | ↓ 高屋城(河内) |
1477以降 河内を実力で支配 |
||||||||
畠山 義豊 | 弾正少弼 | 善応寺 | 基家 次郎 上総介 |
義就二男 | 1490-99 | 1499 | ↓ | 河内を実力で支配 1493-99 河内・紀伊守護 |
||||
畠山 義英 | 上総介 | 善音寺 | 次郎 | 義豊長男 | 1499-1506 | 1522? | ↓ | 1499-1506 河内・紀伊守護 |
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畠山 尚順 | 従五位下 尾張守 |
勝仙院 竜源徳陽 |
尚慶 尚長 卜山 |
政長長男 | 1506-17 | 1522(48) | ↓ | 1493-1522 越中守護 1507-17 河内・紀伊守護 |
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畠山 稙長 | 尾張守 | 大和寺 覚源悟公 |
稙家 次郎 右衛門佐 |
尚順長男 | 1517-34 | ↓ | 1517-45 紀伊守護 1521前-34 河内守護 |
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畠山 長経 | 左京大夫 | 尚順二男 | 1534-? | ↓ | 1534-? 河内守護 |
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畠山 晴煕 | 伊予守 | 四郎 | 尚順五男 | ? | ↓ | |||||||
畠山 弥九郎 | 出自未詳 | 1538-41 | ↓ | 河内守護 | ||||||||
畠山 稙長 (再承) |
1541-45 | 1545 | ↓ | 河内守護 | ||||||||
畠山 政国 | 尾張守 | 浚昌院 花国宗貞 |
三郎 | 尚順三男 | 1545-50 | 1550? | ↓ | |||||
畠山 高政 | 尾張守 | 多宝寺 高旭空林 |
二郎 修理亮 紀伊守 播磨守 |
政国長男 | 1550?-65 | 1576(50) | ↓ | |||||
畠山 秋高 | 右衛門督 | 釈迦寺 高源道看 |
政頼 昭高 小二郎 左衛門尉 |
政国三男 | 1565-73 | 1573(40?) | 織田信長養女 | ↓ 1573滅亡 |
織田家被官 | |||
畠山政信(秋高の甥・貞政の長男)が1624年、江戸幕府から摂津国内300石を知行、後代5,000石に加増され高家として存続。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
細川 義季 | 二郎 | 広沢義実二男 | 13C前半 | 額田郡細川邑 (三河) |
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細川 俊氏 | 八郎 | 頼西 | 義季六男 (実は孫) |
↓ | ||||||||
細川 公頼 | 八郎太郎 | 景徳院 頼仏 |
俊氏長男 | ↓ | ||||||||
細川 和氏 | 阿波守 | 補陀寺 道倫竹渓 |
弥八 | 公頼長男 | ?-1342 | 1342(47) | ↓ | 侍所頭人 1340頃 阿波守護 |
||||
細川 清氏 | 従四位下 相模守 |
元氏 弥八 左近将監 阿波守 |
和氏長男 | 1342-62 | 1362 | ↓ 1362南朝方に 属して戦死 |
1352頃 伊賀守護 1354-61 若狭守護 |
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【頼春系→細川京兆家】 |
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細川 頼春 | 刑部大輔 | 光勝院 宝洲祐繁 |
源九郎 讃岐守 |
公頼二男 | - | 1352(54) | 阿波国内 | 侍所頭人 1335-36 日向守護 1340-49 備後守護 1341-52 阿波・伊予守護 |
||||
細川 頼之 | 従四位下 武蔵守 |
永泰院 桂岩常久 |
弥九郎 右馬助 右馬頭 |
頼春長男 | 1362-92 | 1392(64) | ↓ 1362従兄・清氏 を破り、惣領家 となる |
管領 1352-72 阿波守護 1354-79 伊予守護 1356-62 備中守護 1359-92 讃岐・土佐守護 1390-92 備後守護 |
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細川 頼元 | 従四位下 右京大夫 |
妙観院 春林梵栄 |
頼基 聡明丸 五郎 右馬助 |
頼春四男 | 1392-97 | 1397(55) | 赤松則祐女 | ↓ 阿波・摂津国内 |
管領 1374前-79,83?-97 摂津守護 1392-97 讃岐・土佐・丹波守護 1392-94 安芸守護 |
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細川 満元 | 従四位下 右京大夫 |
岩栖院 悦道道歓 |
満基 聡明丸 五郎 右馬助 |
頼元長男 | 1397-1426 | 1426(49) | ↓ | 管領 摂津・丹波・讃岐・ 土佐守護 |
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細川 持元 | 右京大夫 | 性智院 玉峰常秀 |
聡明丸 五郎 右馬助 武蔵守 |
満元長男 | 1426-29 | 1429(31) | ↓ | 摂津・丹波・讃岐・ 土佐守護 |
||||
細川 持之 | 従四位下 右京大夫 |
弘源寺 春岳常喜 |
九郎 中務少輔 |
満元二男 | 1429-42 | 1442(43) | ↓ | 管領 摂津・丹波・讃岐・ 土佐守護 |
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細川 勝元 | 従四位下 右京大夫 |
竜安寺 宗宝仁栄 |
聡明丸 六郎 武蔵守 |
持之長男 | 1442-73 | 1473(44) | 山名持豊女 | ↓ | 管領 摂津・丹波・讃岐・ 土佐守護 |
|||
細川 政元 | 従四位下 右京大夫 |
大心院 雲関宗興 |
聡明丸 九郎 武蔵守 |
勝元長男 | 1473-1507 | 1507(42) | ↓ | 管領 摂津・丹波・讃岐・ 土佐守護 |
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細川 澄之 | 九郎 | 聡明丸 | 九条政基男 | 1507 | 1507(19) | ↓ | 管領 摂津・丹波・讃岐・ 土佐守護 |
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細川 澄元 | 右京大夫 | 真乗院 安栄道泰 |
六郎 | 細川義春男 | 1507-08 | ↓ | 管領 摂津・丹波・讃岐・ 土佐守護 |
|||||
細川 高国 | 従四位下 武蔵守 |
三友院 松岳常桓 道永 |
六郎 右京大夫 |
細川政春男 | 1508-20 | ↓ 芥川城(摂津) ほか複数拠点 |
管領 摂津・丹波・讃岐・ 土佐守護 |
|||||
細川 澄元 (再承) |
1520 | 1520(32) | ↓ | 摂津・丹波守護 | ||||||||
細川 高国 (再承) |
1520-25 | ↓ | 管領 摂津・丹波守護 |
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細川 稙国 | 六郎 | 清源院 了然宗廓 |
高国長男 | 1525 | 1525(18?) | ↓ | 摂津・丹波守護 | |||||
細川 高国 (再承) |
1525-31 | 1531(48) | ↓ | 管領 摂津・丹波守護 |
||||||||
細川 晴元 | 従四位下 右京大夫 |
竜昇院 一清心月 |
六郎 | 澄元長男 | 1520-49 (1531まで は対立) |
1563(50) | 三条公頼女 六角定頼女 |
↓ | 管領 摂津・丹波守護 |
|||
細川 氏綱 | 右京大夫 | 見桃院 悟峯勤公 |
二郎 | 細川尹賢男 高国養子 |
1552-63 | 1563 | ↓ 1563事実上 大名として終焉 |
管領 摂津・丹波守護 |
||||
細川 昭元 | 正五位上 右京大夫 |
大竜院 英豪清雄 |
信元 信良 聡明丸 六郎 |
晴元長男 | (1563-92) | 1592 | 犬 (織田信秀女) |
家督のみで 実質的な領地 を支配せず |
織田家被官 | |||
細川 元勝 | 従四位下 侍従 讃岐守 |
旭照院 高慰顕宗 |
頼範 六郎 讃岐守 |
昭元長男 | (1592-1628) | 1628 | 知行5,000石 1600改易 |
豊臣家臣 宍戸藩秋田家の 客分となり 子孫は三春藩士 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
細川 頼有 | 右馬頭 | 勝妙院 無敵通勝 |
十郎 掃部助 宮内少輔 |
細川頼春二男 | 1352-91 | 1391(60) | 阿波・讃岐・伊予国内 | |||||
細川 頼長 | 刑部大輔 | 薦福院 徳巌常全 |
松法師 九郎 |
頼有二男 | 1391-1411 | 1411(37) | ↓ 和泉国内に拠点保有 |
1392-1400 備後半国守護 1400-02 土佐半国守護 1408-11 和泉半国守護 |
||||
細川 持有 | 刑部少輔 | 最勝院 心伝常紹 |
九郎 | 頼長長男 | 1411-38 | 1438(44) | ↓ | 和泉半国守護 | ||||
細川 教春 | 刑部大輔 | 等観寺 誓翁道弘 |
九郎 | 持有長男 | 1438-50 | 1450(28) | ↓ | 和泉半国守護 | ||||
細川 常有 | 播磨守 | 瑞高寺 春岳通泰 |
弥九郎 刑部少輔 |
持有二男 | 1450-80 | 1480(57) | ↓ | 和泉半国守護 | ||||
細川 政有 | 刑部少輔 | 慈勝院 大隆通賢 |
頼次 五郎 |
常有二男 | 1480-81 | 1481(33) | ↓ | 和泉半国守護 | ||||
細川 元有 | 刑部少輔 | 善法寺 雪渓源猷 |
五郎 | 政有長男 | 1481-1500 | 1500(42) | 三淵晴貞女 | ↓ | 和泉半国守護 | |||
細川 元常 | 播磨守 | 仏恩院 実翁通真 |
十郎 五郎 右馬助 刑部大輔 右馬頭 |
元有長男 | 1500-27前 | ↓ | 和泉半国守護 | |||||
細川 晴貞 | 五郎 | 元常二男 | 1527前-50後 | ↓ | 和泉半国守護 | |||||||
細川 元常 (再承) |
1550後-54 | 1554(73) | ↓ 和泉支配終焉 |
和泉半国守護 | ||||||||
長岡 藤孝 | 従四位下 侍従 兵部大輔 二位法印 |
万吉 与一郎 |
三淵晴員 (元有二男) 二男 |
1554-82 | 1610(77) | 麝香 (沼田光兼女) |
幕臣 1568勝竜寺城 (山城)安堵 1580宮津城(丹後)転封 |
1573称長岡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
細川 基之 | 阿波守 | 弥九郎 兵部大輔 |
細川満之男 細川頼之猶子 |
1448 | 阿波国内等? | 1392-1400 備後半国守護 1400-02 土佐半国守護 1408-48 和泉半国守護 |
|||||
細川 頼久 | 阿波守 | 兵部少輔 | 基之男 | ↓ | 和泉半国守護? | ||||||
細川 持久 | 阿波守 | 民部大輔 | 頼久男 | 1448後-83後 | ↓ | 和泉半国守護 | |||||
細川 勝信 | 阿波守 | 民部大輔 | 持久男 | 1487前-95後 | ↓ | 和泉半国守護 | |||||
細川 政久 | 民部大輔 | 弥九郎 | 勝信男 | 1500前-08後 | ↓ | 和泉半国守護 | |||||
細川 高基 | 九郎 | 細川春倶男 | 1523頃 | (阿波守家を 継がず?) |
和泉半国守護 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
細川 持賢 | 従四位下 右馬頭 |
崇禅寺 芳門道賢 |
弥九郎 | 細川満元三男 | ?-1468 | 1468 | 西成郡内(摂津)? | 1441-68 西成郡守護 |
|||
細川 政国 | 右馬頭 | 禅昌院 大幢道勝 |
元国 六郎 中務少輔 |
細川持春男 | 1468-95 | 1495(68) | ↓ | 1468-82,86-95 西成郡守護 |
|||
細川 政賢 | 右馬助 | 長慶院 天輝照公 |
細川和泉守 (?)の男 |
1495-1511 | 1511 | ↓ | 1495-1508 西成郡守護 |
||||
細川 尹賢 | 右馬頭 | 桂芳院 江月光雲 |
尹元 | 細川春倶男 | 1511-31 | 1531 | ↓ | ||||
細川 藤賢 | 右馬頭 | 春光院 清月宗円 |
四郎 | 尹賢男 | ? | 1590(74) | ↓ 所領未詳 |
織田家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
能勢 国基 | 従五位下 右兵衛尉 |
国光 | 源国直二男 | 1185前-? | 田尻荘(摂津) | ||||||
能勢 国能 | 判官代 | 国基男 | ↓ | ||||||||
能勢 保頼 | 蔵人 | 康頼 | 国能男 | ↓ | |||||||
能勢 頼定 | 従四位下 皇太后宮大進 |
上西門院蔵人 | 保頼男 | ↓ | |||||||
能勢 頼仲 | 上西門院判官代 | 定善 | 頼定男 | 1231-68 | ↓ | ||||||
能勢 長頼 | 判官代太郎 | 頼仲男 | ↓ | ||||||||
能勢 頼任 | 判官代 | 長頼男 | ↓ | ||||||||
能勢 頼連 | 判官代 | 蓮阿弥 | 頼任男 | 1327-? | ↓ 能勢丸山城(摂津) |
||||||
能勢 頼澄 | 下野守 | 常存 | 頼連男 | 1352頃 | ↓ | ||||||
能勢 頼時 | 下野守 | 太郎 | 頼澄男 | 1408-? | ↓ | ||||||
能勢 之頼 | 下野守 | 太郎 | 頼時長男 | ↓ | |||||||
能勢 元頼 | 弥太郎 | 之頼男 | 1471-? | ↓ | |||||||
能勢 頼勝 | 因幡守 | 頼則 頼豊 十郎 源次郎 源左衛門尉 |
能勢頼弘 (頼時二男)二男 |
1511前-16 | 1516 | ↓ | |||||
能勢 頼明 | 従五位下 因幡守 |
閑笑斎 日東 |
源五郎 源左衛門尉 |
頼勝二男 | 1516-? | 1567(84) | ↓ | ||||
能勢 頼幸 | 源太郎 | 日順 | 左近 | 頼明長男 | ?-1572 | 1572(42) | ↓ | ||||
能勢 頼道 | 十郎兵衛 | 宗清 | 頼幸長男 | 1572-80 | 1580 | ↓ | |||||
能勢 頼次 | 従五位下 摂津守 |
日輝 | 竹童丸 助十郎 惣右衛門 伊予守 |
頼幸三男 | 1580-1621 | 1626(65) | ↓ 能勢郡内安堵 1600加増 3,000石 1615加増 5,300石 |
||||
能勢頼重(頼次長男)以後3,000石、後代4,000石の旗本として存続。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
遊佐 長護 | 河内守 | 出羽飽海郡国人 | 1382頃 | 河内国内? | 河内守護代 | ||||||
(途中未詳) | |||||||||||
遊佐 国助 | 長護孫? | 1460頃 | ↓ | 山城守護代 | |||||||
遊佐 長直 | 河内守 | 長護裔 | ↓(対立?) | 河内守護代 | |||||||
遊佐 順盛 | 河内守 | 印叟 | 国助男? | 1491前-1511 | 1511 | 若江城(河内) | |||||
遊佐 長教 | 河内守 | 順盛男 | 1511-50 | 1550 | ↓ | 河内守護代 | |||||
遊佐 信教 | 河内守 | 新次郎 | 長教男 | 1550-73 | ↓ 1573失領 消息未詳 |
河内守護代 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
池田 親政 | 弾正蔵人 | 出自未詳 | 1363頃 | 豊島郡池田荘(摂津) | |||||||
(途中未詳) | |||||||||||
池田 充政 | 筑後守 | 親政裔 | 1443前-82 | 1482 | ↓ 池田城 |
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池田 貞正 | 筑後守 | 民部丞 | 充政男 | 1482-1508 | 1508 | ↓ 1508落城、中絶 |
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池田 信正 | 筑後守 | 久宗 三郎五郎 |
貞正男 | 1508-48 | 1548 | 1519所領回復 一時喪失、復旧 池田城 |
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池田 長正 | 筑後守 | 弥太郎 兵衛尉 |
信正男 | 1548-63 | 1563 | ↓ | |||||
池田 勝正 | 筑後守 | 八郎三郎 民部大輔 |
長正長男 | 1563-70 | ↓ | ||||||
池田 知正 | 備後守 | 重成 久左衛門 民部丞 |
長正二男 | 1570-1603 | 1603 | ↓ 1579?失領 後、豊島郡内 5,000石 |
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池田 三九郎 | 池田重信男 | 1604-05 | 1605(17) | ↓ | |||||||
池田 重信 | 従五位下 備後守 |
光重 弥右衛門 |
長正三男 三九郎父 |
1605-14 | 1628 | ↓ 1614家中不取締 のため改易 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
中川 清村 | 左衛門尉 | 多田源氏後裔? | 豊島郡中川(摂津) | |||||||||
中川 重清 | 佐渡守 | 高山重利二男 | 清村女 | ↓ | ||||||||
中川 清秀 | 瀬兵衛 | 浄光院 行誉荘岳 |
虎之助 | 重清長男 | ?-1583 | 1583(42) | 熊田宗白女 | 1572茨木城(摂津) 60,000石 |
||||
中川 秀政 | 従五位下 右衛門大夫 |
藤兵衛 | 清秀長男 | 1583-93 | 1593(25) | 鶴 (織田信長女) |
↓ 1585三木城(播磨) 70,000石 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
高山 重利 | 石見守 | 常陸高山一族? | 島下郡高山(摂津) | |||||||||
高山 友照 | 飛騨守 | ダリヨ(霊名) | 図書 | 重利長男 | ?-1573後 | 1595 | マリア (出自未詳) |
↓ 1573高槻城(摂津) 20,000石 |
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高山 重友 | 右近大夫 | ジュスト(霊名) | 長房 友祥 彦五郎 大蔵少輔 |
友照長男 | 1573後-87 | 1615(64) | ジュスタ (余野城主某の女) |
↓ 1579加増 40,000石 1585明石城 (播磨)転封 1587追放 |
法名 | 僧官 | 号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
覚如 宗昭 | 豪摂 | 光仙 | 覚恵(親鸞孫) の長男 |
1321-51 | 1351(82) | 1321本願寺設立 (山城国京都 大谷廟堂を寺院化) |
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善如 俊玄 | 光養丸 宗康 |
宗昭孫 | 1351-89 | 1389(57) | ↓ | |||||||
綽如 時芸 | 権大僧都 | 周円上人 | 光徳丸 堯雲 |
俊玄長男 | 1390-93 | 1393(44) | ↓ | |||||
巧如 玄康 | 権大僧都 | 証定閣 | 光多賀麿 | 時芸二男 | 1394-1436 | 1440(65) | ↓ | |||||
存如 円兼 | 権大僧都 | 玄康長男 | 1436-57 | 1457(68) | ↓ | |||||||
蓮如 兼寿 | 権大僧都 | 慧灯大師 信証院 |
布袋丸 | 円兼長男 | 1457-89 | 1499(85) | 如了(伊勢貞房女) 蓮祐(伊勢貞房女) 如勝(出自未詳) 宗如(姉小路昌家女) 蓮能(畠山政栄女) |
↓ 1465退去、転居 1471吉崎御坊 (越前)居住 1475退去、転居 1481山科本願寺 (山城)居住 後、石山御坊 (摂津)も建立 |
||||
実如 光兼 | 権大僧都 | 教恩院 | 光養 | 兼寿五男 | 1489-1525 | 1525(68) | 如祐(高倉永継女) | ↓ | ||||
円如 光融 | 権少僧都 | 遍増院 | 光兼二男 | (早世) | 1521(31) | 鎮永(願証寺蓮淳女) | ||||||
証如 光教 | 権僧正 | 信受院 | 光仙丸 | 光融長男 | 1525-54 | 1554(39) | 顕能(庭田重親女) | ↓ 1532山科寺院焼亡 石山本願寺を拠点 |
||||
顕如 光佐 | 大僧正 | 信紫院 | 茶々 | 光教長男 | 1554-92 | 1592(50) | 如春(三条公頼女) | ↓ 1580退去 鷺森別院(紀伊) 1585天満本願寺 (摂津)居住 1591七条堀川= 本願寺(山城)設立 |
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准如 光昭 | 大僧正 | 信行院 | 阿茶丸 | 光佐三男 | 1592-1630 | 1630(54) | 准勝(宝光院某女) | ↓ 1602二派に分かれ 西本願寺と通称 |
子孫・大谷光尊 に至り伯爵 |
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教如 光寿 | 大僧正 | 信乗院 | 茶々麿 | 光佐長男 | 1602-17 | 1617(57) | 教寿 妙玄 |
1602徳川家により 烏丸(山城)に分立 東本願寺と通称 |
子孫・大谷光瑩 に至り伯爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔小出家〕 |
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小出 秀政 | 従五位下 播磨守 |
本光院 陽雲日政 |
甚左衛門 | 小出正重長男 | 1585-1604 | 1604(65) | 仲(大政所)の妹 | 1585岸和田城(和泉) 3,900石 1594までに累増 10,000石 1595加増 30,000石 |
||||
小出 吉政 | 従五位下 播磨守 |
雲竜院 乾堂元公 |
小才次 信濃守 大和守 |
秀政長男 | 1604-13 | 1613(49) | 伊東治明女 | ↓ | ||||
小出 吉英 | 従五位下 大和守 |
右京 右京大夫 |
吉政長男 | 1613-19 | 1666(82) | 保科正直女 | ↓ 先封の一部を加え 50,000石 1619出石城(但馬)転封 |
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〔松平(松井)家〕 |
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松平 康重 | 従四位下 周防守 |
長安院 竜誉浄和 |
康次 次郎 左近丞 |
松平康親長男 | 1619-40 | 1640(73) | 石川康通女 徳永寿昌女 |
1608篠山城(丹波) 50,000石 1619岸和田城 1631高直し 60,422石 |
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松平 康映 | 従五位下 淡路守 |
松千代丸 | 康重二男 | 1640 | 1674(60) | 岡部宣勝女 | ↓ 1640分知 50,422石 同年、山崎(播磨)転封 |
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〔岡部家〕 |
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岡部 宣勝 | 従五位下 美濃守 |
泉光院 鉄外可堅 |
左京 | 岡部長盛長男 | 1640-61 | 1668(72) | 桑山元晴女 | 1636高槻城(摂津) 50,000石 1640岸和田城 60,000石 |
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岡部 行隆 | 従四位下 内膳正 |
寂乗院 仁叟紹慶 |
竜千代 帯刀 |
宣勝長男 | 1661-86 | 1687(71) | 堀直竒女 | ↓ 1661分知 53,000石 |
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岡部 長泰 | 従四位下 美濃守 |
雲祥院 霊巌瑞応 |
宣就 竜千代 帯刀 備後守 |
行隆長男 | 1686-1721 | 1724(75) | 内藤頼長女 | ↓ | ||||
岡部 長敬 | 従五位下 内膳正 |
俊徳院 義山崇信 |
致清 宣隆 大助 |
長泰二男 | 1721-24 | 1724(46) | 土屋政直女 | ↓ | 奏者番 | |||
岡部 長著 | 従五位下 美濃守 |
十輪院 鉄関道玄 |
長富 豊次郎 |
長敬二男 | 1724-56 | 1756(49) | 松平乗邑女 | ↓ | ||||
岡部 長住 | 従五位下 内膳正 |
円覚院 了山道義 |
長茂 満弥 |
長著長男 | 1756-72 | 1809(70) | 鍋島宗茂女 | ↓ | ||||
岡部 長修 | 従五位下 美濃守 |
大慈院 仁渓智譲 |
長佶 長恭 鍋吉 大弐 監物 (致仕後) 駿河守 |
長著四男 | 1772-76 | 1795(50) | - | ↓ | ||||
岡部 長備 | 従五位下 美濃守 |
泰心院 徳叟全祐 |
富三郎 | 長修長男 | 1776-1803 | 1803(40) | 於繁 (青山忠高女) |
↓ | ||||
岡部 長慎 | 従五位下 美濃守 |
葆光院 南山道寿 |
弟次郎 千弥 |
長備二男 | 1803-33 | 1858(72) | 丈(松平忠済女) 於九二 (青山忠裕養女) |
↓ | ||||
岡部 長和 | 従五位下 内膳正 |
源量院 寛道宗恩 |
直吉 弥次郎 |
長慎長男 | 1833-50 | 1850(44) | 貴(中川久貴女) | ↓ | 奏者番 | |||
岡部 長発 | 従五位下 美濃守 |
要玄院 諦道宗観 |
武吉 武之丞 弥次郎 |
長慎六男 | 1850-55 | 1855(22) | 冬青 (鳥居忠挙女) |
↓ | ||||
岡部 長寛 | 筑前守 | 弟次郎 | 長慎二男 | 1855-68 | 1887(79) | 於熊 (岡部長貞女) |
↓ | |||||
岡部 長職 | 岸和田藩知事 (廃藩後) 司法大臣 枢密顧問官 |
弥次郎 美濃守 |
長発長男 | 1868-71 | 1925(72) | 錫子 (青山幸哉女) 坻子 (前田斉泰女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 貴族院議員 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
青木 一重 | 従五位下 民部少輔 |
梅隣院 華屋令曇 宗佐 |
重通 忠助 所右衛門 |
青木重直長男 | 1585-1615 | 1628(78) | 1585摂津等三国内 10,000余石 1615退身、再出仕 麻田(摂津) 12,019石 後、分知 10,019石 |
||||
青木 重兼 | 従五位下 甲斐守 |
竹岩院 端山性正 |
重寿 源五 |
青木可直 (一重四弟) 長男 |
1615-72 | 1682(77) | ↓ | ||||
青木 重成 | 従五位下 甲斐守 |
陽徳院 徹山道剛 |
重正 内膳 民部 |
朝倉宣親長男 | 1672-93 | 1693(69) | ↓ | 側衆 | |||
青木 重矩 | 従五位下 甲斐守 |
了心院 雄山元英 |
重吉 重安 重基 源五郎 民部 |
重成二男 (重兼外孫) |
1693-1713 | 1729(65) | ↓ | ||||
青木 一典 | 従五位下 甲斐守 |
春徳院 瑞海元潤 |
重行 正盈 寅之助 民部 出羽守 |
重矩長男 | 1713-36 | 1736(40) | ↓ | ||||
青木 一都 | 従五位下 甲斐守 |
覚翁院 大徹浄真 |
源五郎 出羽守 |
一典長男 | 1736-49 | 1749(29) | ↓ | ||||
青木 見典 | 従五位下 内膳正 |
清涼院 秋岳浄暎 |
内膳 | 一典二男 | 1750-54 | 1754(32) | ↓ | ||||
青木 一新 | 従五位下 美濃守 |
善応院 心珠衍明 |
兼稠 主税 |
一典三男 | 1754-70 | 1781(54) | ↓ | ||||
青木 一貫 | 従五位下 甲斐守 |
養源院 慈眼衍瑞 |
村銘 一載 伊織 |
伊達村年三男 | 1770-86 | 1786(54) | ↓ | 大番頭 | |||
青木 一貞 | 従五位下 甲斐守 |
正法院 一乗義貞 |
源五郎 出羽守 (致仕後) 不老斎 |
一貫四男 (一新外孫) |
1786-1821 | 1831(56) | ↓ | ||||
青木 重竜 | 従五位下 駿河守 |
竜光院 天性本瑞 |
源五郎 民部少輔 内膳正 美作守 |
一貞長男 | 1821-47 | 1858(59) | ↓ | ||||
青木 一興 | 従五位下 美濃守 |
玄了院 俊徳義勇 |
甲之助 | 一貞六男 | 1847-49 | 1849(28) | ↓ | ||||
青木 一咸 | 従五位下 甲斐守 |
泰雲院 一峰清咸 |
釚二郎 | 奥平昌高八男 | 1849-56 | 1856(29) | ↓ | ||||
青木 重義 | 麻田藩知事 | 源五郎 民部少輔 |
重竜五男 | 1856-71 | 1884(32) | ↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
織田 長益 | 従四位下 侍従 源五郎 |
正伝院 如庵 有楽斎 |
出雲守 武蔵守 |
織田信秀十一男 | 1583後-1621 | 1621(75) | 1583後 味舌(摂津) 2,000石(後15,000石) 1600加増 30,000石 1615分知 10,000石 長男・長孝はすでに 野村(美濃)に別封 1621没後、所領収公 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
小出 秀家 | 従五位下 遠江守 |
了俊 | 吉辰 庄兵衛 孫十郎 |
小出秀政二男 | 1591前-1603 | 1603(37) | 1591前 新封 大鳥郡内(和泉) 1,000石 1600加増 2,000石 |
||||
小出 三尹 | 従五位下 大隅守 |
青雲院 梅隠宗周 |
万助 五郎助 |
小出秀政四男 | 1603-42 | 1642(54) | ↓ 1604岸和田藩主の 甥・吉英より分封 陶器(和泉) 10,000石 (旧封は収公) |
郡奉行 | |||
小出 有棟 | 従五位下 大隅守 |
大雲院 乾江宗元 |
万吉 与平次 |
三尹長男 | 1642-68 | 1668(61) | ↓ | ||||
小出 有重 | 従五位下 大隅守 |
真空院 雪巌宗松 |
万助 三左衛門 |
有棟長男 | 1668-93 | 1693(54) | ↓ | ||||
小出 重興 | 玄蕃 | 真相院 英仲宗俊 |
五郎助 | 有重長男 | 1693-96 | 1696(34) | ↓ 1696無嗣絶家 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
北条 氏規 | 美濃守 | 一睡院 勝誉宗円 |
助五郎 左馬助 |
北条氏康四男 | 1591-1600 | 1600(56) | 1588北条家臣として 韮山城将(伊豆) 1590失領 1591復家 丹南郡内(河内) 2,000石 1594加増 6,988石 |
||||
北条 氏盛 | 従五位下 美濃守 |
松林院 浄誉心徹 |
助五郎 | 氏規長男 | 1600-08 | 1608(32) | 1591宗家・氏直の 養子となり 足利領内(下野) 4,000石継承 1600氏規の継嗣 先封を合わせ 11,000石 |
||||
北条 氏信 | 従五位下 美濃守 |
竜興院 梅澗宗雪 |
氏勝 太郎助 |
氏盛長男 | 1608-25 | 1625(25) | ↓ 1616狭山(河内) に陣屋を築く |
||||
北条 氏宗 | 久太郎 | 普応院 雄岳紹英 |
氏信長男 | 1625-70 | 1685(67) | ↓ 1661替地により 10,000石となる 1670家系停止 |
|||||
北条 氏治 | 従五位下 美濃守 |
浄覚院 俊甫宗秀 |
八平 左京 伊勢守 |
北条氏利 (氏盛二男) 二男 |
1670-96 | 1696(58) | 1670相続許可 | 側衆 | |||
北条 氏朝 | 従五位下 遠江守 |
円成院 即証元領 |
氏副 亀之助 左京 |
北条氏利五男 | 1696-1735 | 1735(67) | ↓ | 寺社奉行 | |||
北条 氏貞 | 従五位下 美濃守 |
広覚院 信叟義監 |
亀之助 左京 相模守 |
氏朝長男 | 1735-58 | 1758(56) | ↓ | ||||
北条 氏彦 | 従五位下 遠江守 |
琰光院 鉄叟紹心 |
亀太郎 左京 |
氏貞長男 | 1758-69 | 1769(28) | ↓ | ||||
北条 氏昉 | 従五位下 相模守 |
頤真院 養叟宗安 |
豊吉 (致仕後) 修理亮 |
氏彦長男 | 1769-1801 | 1811(52) | ↓ | ||||
北条 氏喬 | 従五位下 遠江守 |
敬雲院 恭厳義良 |
左京 相模守 |
氏昉長男 | 1801-42 | 1846(62) | ↓ | ||||
北条 氏久 | 従五位下 相模守 |
顕光院 仁峯義賢 |
彦之丞 | 戸田氏庸四男 | 1842-52 | 1852(30) | ↓ | ||||
北条 氏燕 | 遠江守 | 悦次郎 美濃守 (致仕後) 貫中 |
北条氏迪 (氏昉三男) 二男 |
1852-61 | 1891(62) | ↓ | |||||
北条 氏恭 | 狭山藩知事 (廃藩後) 侍従 宮中顧問官 |
智七郎 相模守 |
堀田正衡七男 | 1861-69 | 1919(75) | ↓ 1869廃藩 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔新庄家〕 |
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新庄 直頼 | 従五位下 駿河守 |
新三郎 | 新庄直昌長男 | 1595-1600 | 1612(75) | 佐久間盛重女 | 1582/3 山崎城(摂津) 1584大津城(近江) 1594宇多城(大和) 1595高槻城(摂津) 30,000石 1600改易 1604麻生(常陸)に復封 |
|||||
〔内藤家〕 |
||||||||||||
内藤 信正 | 従五位下 紀伊守 |
弥七郎 | 内藤信成長男 | 1615-17 | 1626(59) | 石川康通女 | 1612長浜城(近江)襲封 40,000石 1615高槻城 1617伏見城代 50,000石 1619大坂城代 |
|||||
〔土岐家〕 |
||||||||||||
土岐 定義 | 従五位下 山城守 |
悟心院 潔山正白 |
与五郎 | 土岐定政二男 | 1617-19 | 1619(40) | 諏訪頼水女 | 1597守谷(下総)襲封 10,000石 1617高槻城 20,000石 |
大番頭 | |||
土岐 頼行 | 内膳 | 定義長男 | 1619 | 1684(77) | 1619幼少のため 減知、相馬郡内 (下総)転封 1628上山城(出羽)転封 |
|||||||
〔松平(形原)家(前期)〕 |
||||||||||||
松平 家信 | 従四位下 紀伊守 |
家副 紀太郎 又七 |
松平家忠長男 | 1619-35 | 1638(74) | 松平康忠女 太田輝資女 |
1582形原(三河) 1590五井(上総) 5,000石 1601形原 1618加増 10,000石 1619高槻城 20,000石 1635佐倉城(下総)転封 |
|||||
〔岡部家〕 |
||||||||||||
岡部 宣勝 | 従五位下 美濃守 |
左京 | 岡部長盛長男 | 1636-40 | 1668(72) | 桑山元晴女 | 1633竜野城(播磨) 50,000石 1636高槻城 1640岸和田城(和泉)転封 |
|||||
〔松平(形原)家(後期)〕 |
||||||||||||
松平 康信 | 従五位下 若狭守 |
又七郎 | 家信二男 | 1640-49 | 1682(83) | 水野重仲女 酒井忠勝女 |
1638佐倉城(下総)襲封 36,000石 1640高槻城 1649篠山城(丹波)転封 |
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〔永井家〕 |
||||||||||||
永井 直清 | 従五位下 日向守 |
宗明院 月峯空閑 |
伝十郎 | 永井直勝二男 | 1649-71 | 1671(81) | 高木正次女 | 1615新封 上総・下総二国内 530石 1626父より分知 4,030石 1632加増 8,000石 1633長岡(山城) 20,000石 1649高槻城 36,000石 |
書院番頭 | |||
永井 直吉 | 左門 | 妙解院 関山了無 |
直清長男 | (廃嫡) | 1669(53) | 高木正綱女 | ||||||
永井 直時 | 従五位下 市正 |
本光院 心渓宗安 |
兵部 伝吉 |
直吉長男 | 1671-80 | 1680(43) | 永井尚征女 宗義真養女 |
↓ | ||||
永井 直種 | 従五位下 近江守 |
真浄院 月渓宗印 |
尚仍 直只 直賢 亀之助 民部 日向守 |
永井尚征四男 | 1680-95 | 1695(38) | 田村宗良女 | ↓ | ||||
永井 直達 | 従五位下 日向守 |
高松院 節渓宗貞 |
直泰 豊熊 |
永井直円長男 | 1695-1706 | 1706(18) | 直種女 | ↓ | ||||
永井 直英 | 従五位下 備後守 |
天真院 月江宗閑 |
伝之助 | 直種二男 | 1706-15 | 1715(21) | 多喜 (間部詮房養女) |
↓ | ||||
永井 直期 | 従五位下 飛騨守 |
三経院 菊隠宗芳 |
文九郎 (致仕後) 左京亮 |
永井直円五男 | 1715-48 | 1765(63) | 南部信恩女 | ↓ | ||||
永井 直行 | 従五位下 近江守 |
本真院 月洞宗郭 |
流之助 | 直期長男 | 1748-58 | 1758(29) | 九鬼隆寛女 | ↓ | ||||
永井 直珍 | 従五位下 飛騨守 |
円乗院 諦空宗賢 |
虎之助 数馬 |
直期三男 | 1758-70 | 1770(29) | 豊 (本多康桓女) |
↓ | ||||
永井 直進 | 従五位下 日向守 |
法心院 瑞林宗雲 |
虎之助 右京亮 |
直珍長男 | 1771-1809 | 1815(55) | 喜鶴 (松平信礼女) |
↓ | ||||
永井 直与 | 従五位下 飛騨守 |
瑞鳳院 徳翁宗寿 |
虎之助 左京亮 |
直進長男 | 1809-42 | 1846(62) | 伯(松浦清女) | ↓ | ||||
永井 直輝 | 飛騨守 | 常二郎 遠江守 (致仕後) 左京亮 |
直与二男 | 1842-61 | 1874(48) | 銈 (前田利之女) |
↓ | |||||
永井 直矢 | 従五位上 飛騨守 |
真諦院 本空宗継 |
伝十郎 | 松平親良二男 | 1861-65 | 1865(24) | - | ↓ | ||||
永井 直諒 | 高槻藩知事 | 鉄之丞 直介 日向守 |
永井直次三男 | 1865-71 | 1919(71) | 房子 (本多助実養女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 城代在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
松平 忠明 | 従五位下 下総守 |
清匡 鶴松丸 |
奥平信昌四男 徳川家康養子 |
1615-19 | 1644(62) | 織田信包女 小出吉政女 |
1610亀山城(伊勢) 50,000石 1615大坂城(摂津) 100,000石 1619郡山城(大和)転封 |
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内藤 信正 | 従五位下 紀伊守 |
光徳院 本誉善寿 宗学 |
弥七郎 | 内藤信成長男 | 1619-26 | 1626(59) | 石川康通女 | 1615高槻城(摂津) 40,000石 1617伏見城代 50,000石 1619大坂城代 1625近江・山城二国内 1626没後 1627息子・信照が 棚倉城(陸奥)転封 |
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阿部 正次 | 従四位下 備中守 |
1626-47 | 岩槻城(武蔵) | |||||||||
稲垣 重綱 | 従五位下 摂津守 |
1648-49 | 三条城(越後) | |||||||||
永井 直清 | 従五位下 日向守 |
1649-50 | 高槻城(摂津) | |||||||||
内藤 信照 | 従五位下 豊前守 |
1650-52 | 棚倉城(陸奥) | |||||||||
水野 忠職 | 従五位下 出羽守 |
1652-54 1658-59 1661-62 |
松本城(信濃) | 三名輪番制 | ||||||||
内藤 忠興 | 従五位下 帯刀 |
1654-56 1659-60 |
磐城平城(陸奥) | 三名輪番制 | ||||||||
松平 光重 | 従五位下 丹波守 |
1656-58 1660-61 |
加納城(美濃) | 三名輪番制 | ||||||||
青山 宗俊 | 従四位下 因幡守 |
光俊 伊勢千代 藤五郎 |
青山忠俊長男 | 1662-78 | 1679(76) | - | 1648小諸城(信濃) 30,000石 1662摂津等六国内 50,000石 1678浜松城(遠江)転封 |
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太田 資次 | 従四位下 摂津守 |
見性院 道雄日健 |
資世 左馬助 |
太田資宗二男 | 1678-84 | 1684(56) | 本多忠利女 長(宗義成女) 能勢頼次養女 |
1671浜松城(遠江) 32,037石 1678摂津等五国内 52,037石 1684没後 同年、息子・資直が 田中城(駿河)転封 |
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水野 忠春 | 従五位下 右衛門大夫 |
1684 | 岡崎城(三河) | |||||||||
土屋 政直 | 従五位下 相模守 |
土屋数直長男 | 1684-85 | 田中城(駿河) | ||||||||
内藤 重頼 | 従五位下 大和守 |
弥三郎 若狭守 伊賀守 |
内藤正勝長男 | 1685-87 | 1690(63) | 久世広当女 | 1677下野・常陸二国内 5,000石 後、累増 13,000石 1685摂津等五国内 33,000石 1687京都所司代 |
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松平 信興 | 従五位下 因幡守 |
治綱 基綱 信衡 興衡 采女 美濃守 |
松平信綱五男 | 1687-90 | 1691(62) | 青山幸利女 | 1682土浦城(常陸) 22,200石 1687摂津等三国内 32,000石 1690京都所司代 |
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土岐 頼殷 | 従四位下 伊予守 |
頼隆 兵部 |
土岐頼行二男 | 1691-1712 | 1722(82) | 西郷延員女 牧野親成女 |
1678上山城(出羽)襲封 25,000石 1692摂津等三国内 35,000石 1712田中城(駿河)転封 |
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内藤 弌信 | 従四位下 豊前守 |
信勝 市之助 紀伊守 |
内藤信光二男 内藤信良養子 |
1712-18 | 1730(73) | 太田資次女 品 (毛利綱広女) |
1705田中城(駿河) 50,090石 1712摂津等三国内 1720村上城(越後)転封 |
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安藤 信友 | 従四位下 対馬守 |
1718-22 | 加納城(美濃) | |||||||||
松平 乗邑 | 従五位下 左近将監 |
1722-23 | 淀城(山城) | |||||||||
酒井 忠音 | 従四位下 讃岐守 |
1723-28 | 小浜城(若狭) | |||||||||
堀田 正虎 | 従四位下 伊豆守 |
1728-29 | 山形城(出羽) | |||||||||
松平 信祝 | 従四位下 伊豆守 |
1729-30 | 浜松城(遠江) | |||||||||
土岐 頼稔 | 従四位下 丹後守 |
頼俊 内匠 兵部 |
土岐頼殷長男 | 1730-34 | 1744(50) | 松平忠雄女 | 1712田中城(駿河)襲封 35,000石 1730摂津等三国内 1734京都所司代 |
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稲葉 正親 | 従四位下 佐渡守 |
1734 | 淀城(山城) | |||||||||
太田 資晴 | 従四位下 備中守 |
瑞光院 道精日現 |
資重 資在 熊次郎 |
太田資直五男 | 1734-40 | 1740(46) | 戸田氏定女 | 1728館林城(上野) 50,037石 1734摂津等五国内 1740没後 同年、息子・資俊が 館林城転封 |
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酒井 忠恭 | 従四位下 雅楽頭 |
1740-44 | 前橋城(上野) | |||||||||
堀田 正亮 | 従四位下 相模守 |
1744-45 | 山形城(出羽) | |||||||||
阿部 正福 | 従四位下 伊勢守 |
1745-47 | 福山城(備後) | |||||||||
酒井 忠用 | 従四位下 讃岐守 |
1747-52 | 小浜城(若狭) | |||||||||
松平 輝高 | 従四位下 右京大夫 |
1752-56 | 高崎城(上野) | |||||||||
井上 正経 | 従四位下 河内守 |
正賢 利容 正燕 民部 |
井上正之長男 | 1756-58 | 1766(42) | 町子 (仙石政房女) |
1747磐城平城(陸奥) 60,000石 1756摂津等四国内 1758浜松城(遠江)転封 |
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青山 忠朝 | 因幡守 (従四位下は 以後同じなの で記載省略) |
1758-60 | 篠山城(丹波) | |||||||||
松平 康福 | 周防守 | 1760-62 | 岡崎城(三河) | |||||||||
阿部 正允 | 飛騨守 | 1762-64 | 忍城(武蔵) | |||||||||
松平 乗佑 | 和泉守 | 1764-69 | 西尾城(三河) | |||||||||
久世 広明 | 出雲守 | 1769-77 | 関宿城(下総) | |||||||||
牧野 貞長 | 越中守 | 1777-81 | 笠間城(常陸) | |||||||||
土岐 定経 | 美濃守 | 1781-82 | 沼田城(上野) | |||||||||
戸田 忠寛 | 因幡守 | 1782-84 | 宇都宮城(下野) | |||||||||
阿部 正敏 | 能登守 | 1784-87 | 忍城(武蔵) | |||||||||
堀田 正順 | 相模守 | 1787-92 | 佐倉城(下総) | |||||||||
牧野 忠精 | 備前守 | 1792-98 | 長岡城(越後) | |||||||||
松平 輝和 | 右京亮 | 1798-1800 | 高崎城(上野) | |||||||||
青山 忠裕 | 下野守 | 1800-02 | 篠山城(丹波) | |||||||||
稲葉 正諶 | 丹後守 | 1802-04 | 淀城(山城) | |||||||||
阿部 正由 | 播磨守 | 1804-06 | 忍城(武蔵) | |||||||||
松平 乗保 | 能登守 | 1806-10 | 岩村城(美濃) | |||||||||
大久保 忠真 | 加賀守 | 1810-15 | 小田原城(相模) | |||||||||
松平 輝延 | 右京大夫 | 1815-22 | 高崎城(上野) | |||||||||
松平 康任 | 周防守 | 1822-25 | 浜田城(石見) | |||||||||
水野 忠邦 | 左近将監 | 1825-26 | 浜松城(遠江) | |||||||||
松平 宗発 | 伯耆守 | 1826-28 | 宮津城(丹後) | |||||||||
太田 資始 | 備中守 | 1828-31 | 掛川城(遠江) | |||||||||
松平 信順 | 伊豆守 | 1831-34 | 吉田城(三河) | |||||||||
土井 利位 | 大炊頭 | 1834-37 | 古河城(下総) | |||||||||
堀田 正篤 | 備中守 | 1837 | 佐倉城(下総) | |||||||||
間部 詮勝 | 下総守 | 1837-38 | 鯖江陣屋(越前) | |||||||||
井上 正春 | 河内守 | 1838-40 | 館林城(上野) | |||||||||
青山 忠良 | 下野守 | 1840-44 | 篠山城(丹波) | |||||||||
松平 乗全 | 和泉守 | 1844-45 | 西尾城(三河) | |||||||||
松平 忠固 | 伊賀守 | 1845-48 | 上田城(信濃) | |||||||||
内藤 信思 | 紀伊守 | 1848-50 | 村上城(越後) | |||||||||
土屋 寅直 | 采女正 | 1850-58 | 土浦城(常陸) | |||||||||
松平 信義 | 豊前守 | 1858-60 | 亀山城(丹波) | |||||||||
松平 宗秀 | 図書頭 | 1860-62 | 宮津城(丹後) | |||||||||
松平 信古 | 伊豆守 | 1862-65 | 吉田城(三河) | |||||||||
牧野 貞直 | 越中守 | 1865-68 | 笠間城(常陸) |
(所領に固有の居城を持つ者については、官位と在任年のみ記載したので、詳しくはリンク先を参照されたい)
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
高木 正次 | 従五位下 主水正 |
智光院 豊誉浄照 |
善次郎 | 高木清秀三男 | 1623-30 | 1630(68) | 1594海老名(相模)襲封 5,000石 後、累増 9,000石 1623丹南(河内) 10,000石 |
大坂定番 | |||
高木 正成 | 従五位下 主水正 |
智徳院 清巌道向 |
善次郎 肥前守 |
正次長男 | 1631-35 | 1635(49) | ↓ 1633加増 13,000石 |
大番頭 | |||
高木 正弘 | 従五位下 主水正 |
大暁院 源誉月桂 久祖 |
善次郎 | 正成長男 | 1635-58 | 1658(46) | ↓ 1635分知 10,000石 |
大番頭 | |||
高木 正盛 | 従五位下 主水正 |
高巌院 光誉祖春 |
善大夫 善次郎 |
正弘長男 | 1658-70 | 1670(36) | ↓ | 大番頭 | |||
高木 正豊 | 従五位下 肥前守 |
峯穹院 堅誉意仙 |
正長 勘解由 |
正盛長男 | 1670-81 | 1681(20) | ↓ | ||||
高木 正陳 | 従五位下 主水正 |
元亨院 乾誉学黌 性久 |
大学 | 正盛二男 | 1681-1741 | 1741(77) | ↓ | 奏者番 | |||
高木 正恒 | 従五位下 若狭守 |
法源院 円誉智覚 道応 |
銕之助 | 板倉重行 (正盛三男) 二男 |
1741-43 | 1743(30) | ↓ | ||||
高木 正弼 | 従五位下 主水正 |
泰了院 賢誉自然 覚応 |
熊次郎 主水 |
正恒長男 | 1743-80 | 1780(40) | ↓ | 大番頭 | |||
高木 正直 | 従五位下 主水正 |
円浄院 英誉義光 亮純 |
元之助 | 酒井忠与四男 | 1780-81 | 1781(26) | ↓ | ||||
高木 正剛 | 従五位下 主水正 |
良広院 建誉秀道 常葉 |
福親 勇次郎 (致仕後) 右近将監 |
松平忠福二男 | 1781-1826 | 1834(62) | ↓ | 奏者番 | |||
高木 正明 | 従五位下 主水正 |
智覚院 見融通照 冰翁 |
主膳正 | 正剛長男 (正直外孫) |
1826-48 | 1869(67) | ↓ | ||||
高木 正坦 | 丹南藩知事 | 亨之助 主水正 |
松平維賢四男 | 1848-69 | 1891(63) | ↓ | 大番頭 | ||||
高木 正善 | 丹南藩知事 (廃藩後) 貴族院議員 |
肥前守 | 高木守庸二男 | 1869-71 | 1920(68) | ↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
渡辺 基綱 | 従五位下 備中守 |
基綱院 広宣 |
矩綱 半次郎 主殿 |
渡辺長綱長男 渡辺方綱養子 |
1698-1728 | 1728(64) | 1680野本(武蔵)襲封 13,520石 1698大庭寺(和泉) 1727伯太(和泉)に 居所を移転 |
大坂定番 | |||
渡辺 登綱 | 従五位下 越中守 |
登綱院 道台 |
源十郎 駿河守 丹後守 |
基綱長男 (方綱外孫) |
1728-67 | 1767(74) | ↓ | ||||
渡辺 信綱 | 従五位下 豊前守 |
信綱院 道現 |
源三郎 主殿 |
登綱二男 | 1767-72 | 1772(46) | ↓ | ||||
渡辺 伊綱 | 従五位下 丹後守 |
伊綱院 耀道 |
亀松 源一郎 (致仕後) 中務少輔 |
信綱二男 | 1772-83 | 1824(68) | ↓ | ||||
渡辺 豪綱 | 従五位下 駿河守 |
豪綱院 道玄 |
金弥 越中守 |
信綱三男 | 1783-93 | 1793(35) | ↓ | ||||
渡辺 春綱 | 従五位下 大学頭 |
春綱院 秀道 |
仲之進 | 豪綱長男 | 1793-1810 | 1810(33) | ↓ | ||||
渡辺 則綱 | 従五位下 越中守 |
則綱院 道徳 |
綾次郎 綾吉 虎吉 式部 (致仕後) 弄月斎 |
豪綱五男 | 1810-28 | 1832(45) | ↓ | ||||
渡辺 潔綱 | 丹後守 | 松月 | 半之丞 備中守 |
則綱二男 | 1828-47 | 1876(63) | ↓ | ||||
渡辺 章綱 | 伯太藩知事 | 半之丞 備中守 丹後守 |
潔綱長男 | 1847-71 | 1894(62) | ↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
本多 忠恒 | 従五位下 伊予守 |
松巌院 心誉寒月 浄円 |
団七郎 織部 |
本多康将二男 | 1679-1704 | 1704(48) | 1679従兄・膳所藩主 康慶より分家 河内・近江二国内 10,000石 |
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本多 忠統 | 従五位下 伊予守 |
忠良 恒弥 兵部 |
忠恒二男 | 1704-32 | 1657(67) | ↓ 1711西代(河内)に 陣屋を築く 1732神戸城(伊勢)転封 |
若年寄 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
遠藤 胤城 | 吉見藩知事 | 廸吉 美濃守 備前守 但馬守 三上藩知事 |
遠藤胤統二男 | 1870-71 | 1909(72) | 1863三上(近江)襲封 12,000石 1870藩庁を 吉見(和泉)に移転 1871廃藩置県 |
廃藩後、 東に改姓 子爵 |
(2016.11.30up)
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