群馬県(上野)の主要大名


   群馬県は古く毛野国の西半部を構成し、上毛野国造が支配していましたが、大化の改新以後上野国となりました。『延喜式』では14郡。平安朝期の荘園は利根荘(安楽寿院領)・新田荘(花山院家領)などがありました。鎌倉期には比企家・安達家・北条(得宗)家が守護になりましたが、南部では新田一族が大きな勢力を持ち、新田義貞は鎌倉幕府打倒の中心人物となりました。南北朝期には新田一族が分裂し、上杉家が足利方(室町幕府)の守護として入部、上野を制圧し、室町期に入っても上杉(山内)家が守護職を継承しました。戦国期には上杉家が衰退、北から長尾家、南から北条家が進出し、中小豪族が割拠する中で、1560年代以降は北条、上杉(=越後長尾)、武田の三大勢力の接点として変動した後、1582年に北条家が上野の大部分を領有しました。1590年に豊臣秀吉が北条家を滅ぼすと、真田領を除く上野は徳川家康の所領となり、江戸幕府開設後も家門・譜代中小大名の封地となりました。江戸後期には沼田藩(土岐家)・前橋藩(結城松平家)・高崎藩(大河内松平家)・安中藩(板倉家)・館林藩(松平→井上→秋元家)など9藩が配置されていました。1871年の廃藩置県により上野の大部分は群馬県となり、東南部三郡は栃木県に編入され、さらに1873年には群馬県が入間県と合併して熊谷県となりましたが、1876年に旧入間県の地域を埼玉県に移管し、栃木県から旧上野三郡を編入したことで、現在の県域が確定しました。

 上杉(山内)家=上野守護   長尾家   岩松家→新田家   由良(横瀬)家   長野家   沼田藩   高崎藩   館林藩   前橋藩   小幡藩   白井藩   吉井藩   大胡藩   阿保藩   総社藩   伊勢崎藩   安中藩   七日市藩=前田家


上杉(山内)家
=上野守護

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
上杉 重房 修理大夫 式乾門院蔵人
左衛門尉
藤原清房男 1252前後 何鹿郡八田郷・漢部郷
(丹波)
上杉 頼重 大膳大夫 性尊 三郎
掃部頭
承安門院蔵人
重房男
上杉 憲房 兵庫頭 瑞光寺
道勤雪渓
(道欽)
上西門院蔵人 頼重三男 ?-1336 1336 1335-36上野守護
上杉 憲顕 従五位下
民部大輔
国清寺
桂山道昌
越後守
安房守
憲房長男 1336-68 1368(63) 木戸某の女
1337上野国内
鳥屋郷・長野郷・
八幡荘など
1336-51,62-68
上野守護
1341前-51,62-68
越後守護
関東管領
上杉 能憲 兵部少輔 報恩寺
道諲敬堂
三郎左衛門尉
修理亮
憲顕二男
上杉重能
(憲房甥)
の養子となる
も憲顕の後継
1368-78 1378(47) 1368-78
上野・武蔵・
伊豆守護
関東管領
上杉 憲春 刑部大輔 大沢院
道弥高源
左近将監 憲顕三男 1378-79 1379 上野・武蔵守護
関東管領
上杉 憲方 安房守 明月院
道合天樹
左京亮 憲顕四男 1379-94 1394(70) 上野・武蔵・
伊豆守護
関東管領
上杉 憲孝 兵庫助 大梁敬公 憲方長男
能憲養子
1391(26) 関東管領
(伊豆守護?)
上杉 憲定 安房守 光照寺
長基大全
右京亮
佐々入道
憲方三男 1395-1412 1412(38) 上野・伊豆守護
1405頃武蔵守護
1405-11関東管領
上杉 憲基 安房守 宗徳院
心元海印
右京亮
佐介殿
憲定長男 1412-18 1418(27) 上野・伊豆守護
1415-18関東管領
上杉 憲実 安房守 雲洞院
長棟高巌
孔雀丸
四郎
上杉房方
(憲方二男)
長男
1419-47? 1466(57) 一色某の女
(上田局)
1419-39上野・
武蔵・伊豆守護・
関東管領
上杉 憲忠 右京亮 興運院
道洪大鈞
竜若丸 憲実長男 1447?-54 1454(22) 上野・武蔵・
伊豆守護
関東管領
上杉 房顕 兵部少輔 大光院
道純清岳
竜春丸
八郎
憲実二男 1455-66 1466(32) 上野・武蔵・
伊豆守護
関東管領
上杉 顕定 右馬頭 海竜寺
可諄皓峰
四郎
民部大輔
相模守
上杉房定
(房方孫)
二男
1467-1510 1510(57)
平井城(上野)
を本拠とする
上野・武蔵・
伊豆守護
関東管領
上杉 顕実 四郎 足利成氏二男 1510-12 1515 関東管領
上杉 憲房 民部大輔 竜洞院
道憲大成
五郎
兵庫頭
上杉周清
(憲実四男)
の男
1510-25 1525(59) 関東管領
(1512までは
顕実と対立)
上杉 憲寛 四郎 憲広
憲宗
賢寿王丸
足利高基男 1525-31 1551 関東管領
(後、帰実家)
上杉 憲政 修理大夫 慶雲院
臨川院
成怡立山
光徹
憲当
五郎
憲房長男 1531-61 1579(57)
1551失領
1561越後国主
長尾景虎に家名を譲る
関東管領


長尾家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
長尾 景能 新五郎 長尾景茂男?
長尾景煕養子?
1252後- 相模国内 (上杉家執事)
長尾 景為 新五郎 景能男 (上杉家執事)
長尾 景忠 左衛門尉 教阿弥
宝林崇敬
新五郎 景為男 ?-1363後 上野守護代

   【足利長尾家】
長尾 景直 新五郎 直山存忠 景忠男 相模国内
長尾 景英 新五郎 勤翁崇忠 景直男 1408前-? 上野守護代
長尾 房景 新五郎 貞翁円忠 景英男 1425?
長尾 実景 但馬守 雲谷全慶 新五郎 長尾満景
(景直男)の男
?-1454 1454
長尾 景人 但馬守 積翁常善 新五郎 実景男 1454-72 1472 1465足利荘勧農郷(下野) 上野守護代
長尾 定景 但馬守 総岳道統 新五郎 景人男 1472-86? 1486?
長尾 景長 但馬守 亭泉斎
笑岩禅香
新五郎 景人男 1488?-1517後 1528(60)
長尾 憲長 但馬守 嶺叟禅東 新五郎 景長男 1524前-? 1550(48)
長尾 景長 但馬守 心通禅空 当長
新五郎
憲長男 ?-1569 1569(43)
長尾 顕長 但馬守 徳聖院
関英宗鉄
新五郎 由良成繁男 1569-90 1621
1590失領

   【白井長尾家】
長尾 清景 左衛門尉 孫四郎 景忠男 14C後半 白井(上野)
長尾 景守 彦四郎 清景男 上野守護代
長尾 景仲 左衛門尉 月澄院
俊叟昌賢
景重
孫四郎
長尾房景男
(一説に長尾
伯耆守の男)
?-1447 1463(76)
白井に築城
上野・武蔵守護代
長尾 景信 左衛門尉 法性院
玉泉宗徳
孫四郎 景仲男 1447-73 1473(61) 上野・武蔵守護代
長尾 景春 四郎左衛門尉 凉峰院
大雄伊玄
孫四郎
其有斎
景信男 1473-1514 1514(72) (一時失領 後回復)
長尾 景英 四郎左衛門尉 洞然院
明岩窓哲
孫四郎 景春男 1514-27 1527(49)
長尾 景誠 孫四郎 輝雲院
明室正光
景英男 1527-28 1528(22)
長尾 憲景 四郎左衛門尉 雲林院
梁雄玄棟
景房
孫六
孫四郎
一井斎
長尾顕景男 1528-83 1583(73) (一時失領 後回復)
長尾 輝景 左衛門尉 玄勢丸 憲景二男 1583-89
長尾 景広 権四郎 政景
烏坊丸
憲景三男 1589-1626 1628(58)
1590失領
1601出羽国内2,000石
上杉家臣
長尾景泰(景広養子)以後、米沢上杉侍組分領(重臣)として、江戸中期からは1,000石を知行。

   【総社長尾家】
長尾 忠房 尾張守 大宅是棟 孫三郎 景忠男 1368 総社(上野)
長尾 忠綱 孫六 忠房男 1395
長尾 忠政 尾張守 芳伝 孫太郎
修理亮
忠綱男 1417前-43後 1450 武蔵守護代
長尾 景棟 尾張守 修理亮 忠政男 1478
長尾 忠景 尾張守 敬叟皎忠 修理亮 長尾景仲男 1473前-1501 1501
長尾 顕忠 尾張守 康安聖空 孫五郎
修理亮
忠景男 1501-09 1509
長尾 顕方 尾張守 長徹 孫五郎 長尾景致
(忠景男)の男
1509-25頃 (1525頃没落)
長尾 顕景 左衛門大夫 知竜斎
元昶
長尾定明
(忠綱六世孫)
の男
1525頃-? (高津長尾家
から入り奪嫡)
長尾 景孝 左衛門佐 仁英金恵 平五郎 顕景男
長尾 景総 能登守 長建 孫五郎
尾張守
顕景男 ?-1563
1563失領


岩松家 → 新田家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
岩松 時兼 太郎 覚智 蔵人太郎 畠山義純男 1215-? 新田荘岩松郷(上野)
岩松 経兼 五郎 道受 遠江五郎 時兼五男
岩松 政経 太郎 青蓮寺
道空頼賢
亀王丸
下野太郎
経兼長男 1278-?
岩松 経家 従五位下
兵部大輔
三郎 政経三男 1322後-1335 1335 1333-35?
飛騨守護
岩松 直国 正四位下
治部大輔
金剛寺
法松
頼宥
土用王丸
三郎
政経男? ?-1392後
新田荘(上野)
1338-41伊予守護
1356-65備後守護
岩松 満国 左馬助 法泉竜淵 土用若丸
太郎
兵庫頭
直国男 1395前-1411前
岩松 満純 治部大輔 法竜天用 容辻王丸 新田義宗二男
(直国外孫)
1411前-1417 1417
岩松 持国 右京大夫 土用安丸
三郎
左京亮
岩松満春
(直国孫)
の男
1419-40 1461 (1461まで
新田荘領有)
岩松 家純 治部大輔 源慶院
大幢道建
長純
土用松丸
二郎
三河守
満純長男 1440-94 1494(86)
1469金山城(上野)
(1469までは武蔵
五十子を拠点)
岩松 明純 兵庫頭 近江院
輝曇道隣
土用松丸
太郎
家純長男 (廃嫡)
岩松 尚純 治部大輔 貞松院
梅核浄喜
土用松丸
次郎
明純二男 1494-1504前
岩松 昌純 治部少輔 圭竹院
虚叟道中
夜叉王丸
源次郎
兵庫頭
尚純長男 ?-1530? 1530? (実質的に横瀬=
由良家が実権掌握)
岩松 氏純 治部大輔 隆徳院
勝岳道英
卍丸
次郎
満次郎
尚純二男 ?-1548? 1548?
岩松 守純 治部大輔 大空院
乾泰元亨
満次郎
破瓢斎
氏純長男 ?-1616 1616(85)
事実上没落(年不明)
1611以降
世良田(上野)
20石
岩松豊純(守純の男、世良田に居所)−秀純(120石、交替寄合)−富純−孝純−義寄−徳純−道純−俊純(1868年、新田に
改姓し、のち男爵)


由良(横瀬)家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
横瀬 貞氏 新六郎 良道 横瀬時清養子
(新田義宗男?)
1416?-? 新田荘内(上野)
横瀬 貞治 信濃守 良斎 貞俊
新六郎
貞氏男 1445
横瀬 貞国 信濃守 良順 新六郎 貞治男 1455
横瀬 国繁 信濃守 宗悦 新六郎
雅楽介
貞国男 1488
横瀬 成繁 信濃守 霊雲寺
義山宗忠
業繁
新六郎
雅楽介
国繁男 1511
横瀬 景繁 左衛門佐 白豪寺
大栄宗功
国経
新六郎
雅楽介
成繁長男 ?-1523 1523
横瀬 泰繁 信濃守 竜得寺
感岳宗虎
新六郎
雅楽介
景繁長男 1523-45 1545(49)
由良 成繁 刑部大輔 鳳仙寺
中山宗得
熊寿丸
新六郎
雅楽介
信濃守
泰繁長男 1545-78 1578(73)
1548実質的に
金山城(上野)支配
由良 国繁 式部大輔 瑞源寺
奇山良太
国寿丸
新六郎
雅楽介
信濃守
成繁(刑部大輔)
長男
1578-1611 1611(31)
1584桐生(上野)
1590牛久(常陸)
5,400石
1600加増
7,000石
由良 貞繁 従五位下
信濃守
源清院
心岳良印
新六郎
出羽守
国繁(式部大輔)
長男
1611-21 1621(48)
1621無嗣
由良貞長(国繁二男)が1623年、牛久領内1,000石を相続、高家として代々存続。


長野家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
長野 乙業 新左衛門尉? 15C中葉 長野郷浜川館(上野)
長野 尚業 飛騨守 伊予守 乙業男 1492頃
長野 憲業 伊予守 兼業
信業
尚業男 1512前-26後 1534?
箕輪城を築く
長野 業政 信濃守 実相院
一清長純
業正 憲業二男 1526後-61 1561
長野 業盛 左衛門大夫 心莫長鉄 氏業
新五郎
弾正忠
左京亮
業政男 1561-66 1566
1566滅亡
長野業実(業政孫。ただし異説あり)が井伊直政の家臣となり、子孫は彦根井伊家笹之間詰(重臣)として4,000石を知行。


沼田藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔真田家〕
真田 信之 従五位下
伊豆守
大鋒院
鉄巌一当
信幸
源三郎
真田昌幸長男 1590-1616 1658(93) 小松(本多忠勝女
=徳川家康養女)
1590信濃上田城主の
父・昌幸より分封、
沼田城(上野)
27,000石
1600上田城を兼領
95,000石
1616上田城へ移転
真田 信吉 従五位下
河内守
天桂院
月岫浄珊
孫六郎
蔵人
信之長男 1616-34 1634(42) 酒井忠世女 1616沼田城を分封
30,000石
真田 熊之助 一陽院
梅心玄香
信吉長男 1634-38 1638(7)
1638無嗣絶家
真田 信政 従五位下
内記
仙千代 信之二男 1638-56 1658(62) 稲垣重綱女 1638遺領のうち
25,000石を領知
1656宗家松代藩継承
真田 信利 従五位下
伊賀守
春林院 信澄
信直
兵吉
信吉二男 1657-81 1688(54) 松(山内忠豊女) 1639熊之助の後嗣
利根郡内(上野)
5,000石
1657沼田城
30,000石
1681不行跡改易

   〔本多家〕
本多 正永 従四位下
侍従
伯耆守
信行院
光山
武兵衛
三弥
豊前守
紀伊守
本多正直長男 1703-11 1711(67) 堀田一輝女 1688舟戸(下総)
1701までに15,000石
1703沼田城
20,000石
1704加増
30,000石
1705加増
40,000石
老中
本多 正武 従五位下
遠江守
勇猛院
英山日雄
久寧
次郎右衛門
三弥
榊原久政二男
(正直外孫)
1711-21 1721(57) イヨ(正永女)
本多 正矩 従五位下
豊前守
右京
左門
宮内
本多正方
(正直二男)
長男
1721-30 1735(55) 安(松野助義女)
1730田中城(駿河)転封
奏者番

   〔黒田家〕
黒田 直邦 従四位下
侍従
豊前守
万松院
関鉄直邦
直重
三五郎
琴鶴
瓊山
中山直張三男 1732-35 1735(70) 黒田用綱女 1703下館城(常陸)
1707加増
20,000石
1732沼田城
30,000石
西丸老中
黒田 直純 従五位下
大和守
三五郎 本多正矩四男 1735-42 1775(71) 三千子(直邦女)
1742久留里城
(上総)転封

   〔土岐家〕
土岐 頼稔 従四位下
侍従
丹後守
乾光院
真岩道如
頼俊
内匠
兵部
土岐頼殷三男 1742-44 1744(50) 松平忠雄女 1730摂津等三国内
35,000石
1742沼田城
老中
土岐 頼煕 従五位下
伊予守
瑞厳院
煕候義純
頼直
儀八郎
兵部
頼稔長男 1744-55 1755(37) 松平近貞女
堀直恒女
奏者番
土岐 定経 従四位下
美濃守
乾隆院
元徳道亨
千之助
頼母
頼稔五男 1755-82 1782(55) 大坂城代
土岐 頼寛 従五位下
伊予守
景雲院
竜門義登
千之助 定経二男 1782 1782(19)
土岐 定吉 従五位下
美濃守
霊徳院
心岳宗印
正吉 定経三男 1782-86 1786(20)
土岐 定富 老之助 大知院
良質宗温
三之丞 定経五男 1786-90 1790(17)
土岐 頼布 従五位下
美濃守
観国院
神道義設
定峯
英之助
山城守
定経七男 1790-1813 1837(63) 橘(松平忠祗女)
土岐 頼潤 従五位下
山城守
献良院
玉鉉宗鼎
正直
竜五郎
兵部
阿部正倫五男 1813-26 1826(39) 錘(有馬頼貴女) 奏者番
土岐 頼功 従五位下
山城守
観光院
寂潭定止
英之助 堀親長九男 1826-40 1843(41) 鍼(頼潤女) 奏者番
土岐 頼寧 従五位下
伊予守
瑟順院 英之助 頼潤五男 1840-47 1847(22) 於鉁(堀親寚養女) 奏者番
土岐 頼之 和泉守 定之
徳之助
美濃守
山城守
松平定永十男 1847-67 1873(47) 益子(頼功女
=頼寧養女)
若年寄
土岐 頼知 沼田藩知事 銓三郎
英之助
隼人正
頼功三男 1867-71 1911(64) 万千子(松平信義女)
八重(白石五郎八女)

1871廃藩置県
子爵


高崎藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔井伊家〕
井伊 直政 従五位下
侍従
兵部少輔
虎松
万千代
井伊直親長男
井伊直虎継嗣
1590-1600 1602(42) 松平清親女 1575養母・直虎
の家を継承
井伊谷(遠江)
1582までに累増
40,000石
1590箕輪城(上野)
120,000石
1598高崎城に移転
1600佐和山城
(近江)転封

   〔酒井家〕
酒井 家次 従五位下
左衛門尉
小五郎
宮内大輔
酒井忠次長男 1604-16 1618(55) 榊原政吉女 1590臼井城(下総)
30,000石
1604高崎城
50,000石
1616高田城(越後)転封

   〔松平(戸田)家〕
松平 康長 従五位下
丹波守
虎千代
孫六郎
戸田忠重長男 1616-17 1632(71)
(徳川家康養妹
=久松俊勝女)
1612笠間城(常陸)
30,000石
1616高崎城
50,000石
1617松本城(信濃)転封

   〔松平(藤井)家〕
松平 信吉 従五位下
安房守
勘四郎 松平忠吉長男
松平信一養子
1617-19 1620(46) 信一女 1604土浦城(常陸)襲封
40,000石
1617高崎城
50,000石
1619篠山城(丹波)転封

   〔安藤家〕
安藤 重信 従五位下
対馬守
栖岸院
大誉良善
彦十郎
五左衛門
安藤基能二男 1619-21 1621(65) 大久保忠豊女 1612小見川(下総)
1615加増
36,600石
1619高崎城
56,600石
加判
安藤 重長 従五位下
右京進
良峯院
天誉泰翁
重貞
勝蔵
式部
伊勢守
本多政盛長男
(重信外孫)
1621-57 1657(58) 志水忠宗女
1623加増
66,600石
寺社奉行
安藤 重之 従五位下
式部少輔
浄本院
清誉理覚
重信
伊勢千代
式部
重長長男 (早世) 1641(19)
(藤堂高次女)
安藤 重博 従五位下
対馬守
重貞
重治
重孝
伊勢千代
主税
重之長男 1657-95 1698(59) 松平光重女
1657分知
60,000石
1695松山城(備中)転封
奏者番

   〔松平(大河内)家(前期)〕
松平 輝貞 1695-1710 (下段参照)

   〔間部家〕
間部 詮房 従四位下
侍従
越前守
右京
宮内
西田清貞長男 1710-17 1720(55) 小花和成武女 1706相模四郡内
10,000石新封
1708伊豆等三国内
30,000石
1710高崎城
50,000石
1717村上城(越後)転封
老中格
側用人

   〔松平(大河内)家(後期)〕
松平 輝貞 従四位下
侍従
右京大夫
天休院
節翁道義
武綱
万千代
酒之丞
右京亮
松平輝綱六男
松平信興養子
1717-45 1747(83) 市子
(柳沢吉保養女)
1692壬生城(下野)
42,000石まで加増
1695高崎城
52,000石
1701加増
62,000石
1704加増
72,000石
1710村上城(越後)転封
1717高崎城
老中格
松平 輝規 従四位下
右京大夫
成善院
慎独妙観
政直
政長
政方
老之助
大学

摂津守
因幡守
休慎
松平信定
(輝綱弟)
十男
1745-49 1756(75)
松平 輝高 従四位下
侍従
右京大夫
霊台院
仁翁宗智
長十郎
佐渡守
因幡守
右京亮
輝規長男 1749-81 1781(57)
(松平信祝女)

(松平信祝女)

1779加増
82,000石
老中
松平 輝和 従四位下
右京亮
大円院
徹鑑紹瑩
長三郎
酒之丞
美濃守
輝高二男 1781-1800 1800(51) 大坂城代
松平 輝延 従四位下
侍従
右京大夫
霊護院
春沢慈潤

美濃守
輝高三男 1800-25 1825(51)
(松平信明養女)
幸子
(南部利正女)
大坂城代
松平 輝承 従五位下
右京亮
青雲院
月巌紹心
輝延六男 1825-39 1839(23) 松子
(酒井忠器養女
=黒田直候女)
松平 輝徳 従五位下
右京亮
文孝院
義山道勇
信民
勇五郎
松平信弥二男 1839-40 1840(21)
松平 輝充 従五位下
右京亮
大心院
文叟方丘
道教
英五郎
健吉
方丘
本庄道昌五男 1840-46 1862(41)
松平 輝聴 従五位下
右京亮
興禅院
俊屋義運
恭三郎 松平正敬五男 1846-60 1860(34) 万(堀田正睦女)
大河内 輝声 高崎藩知事 輝照
恭三郎
右京亮
輝聴長男 1860-71 1882(34) 鉚子
(酒井忠発女)

1871廃藩置県
1868復姓大河内
息子・輝耕の
とき子爵


館林藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔榊原家〕
榊原 康政 従五位下
式部大輔
養林院
上誉見向

小平太
榊原長政二男 1590-1606 1606(59) 松平康高女 1585までに所領
千貫文
1590館林城(上野)
100,000石
加判
榊原 康勝 従五位下
遠江守
心光院
長誉了英
政直
小十郎
康政三男 1606-15 1615(26) 加藤清正女
松平 忠次 従四位下
式部大輔
国千代
五郎左衛門
松平忠政
(康政長男)
長男
1615-43 1665(61)
(黒田長政女)
寺沢広高女

1625加増
110,000石
1643白河城(陸奥)転封

   〔松平(大給)家〕
松平 乗寿 従四位下
侍従
和泉守
源高院
深誉道徹
乗勝
源次郎
松平家乗長男 1644-54 1654(55) 松平康長女 1638浜松城(遠江)
35,000石
1644館林城
60,000石
老中
松平 乗久 従五位下
和泉守
源次郎
宮内少輔
乗寿長男 1654-61 1686(54) 水野忠善女
1654分知
55,000石
1661佐倉城(下総)転封

   〔徳川(館林)家〕
徳川 綱吉 正三位
参議
徳松
右馬頭
徳川家光四男 1661-80
(将軍位継承)
1709(64) 信子
(鷹司房輔女)
1651新封
近江等五国内
150,000石
1661館林城
250,000石
1680将軍位継承
徳川 徳松 浄徳院
霊岳崇心
綱吉長男 1680-83 1683(5) 1680館林城継承
1683没後無嗣、廃藩

   〔松平(越智)家(前期)〕
松平 清武 従四位下
侍従
右近将監
本賢院
養意日学
吉忠
清宣
熊之助
平四郎
玄蕃
民部
下総守
出羽守
兵部大輔
徳川綱重二男 1707-24 1724(61) 牧野某の女 1702新封 中郡(甲斐)
2,000石
1706までに累増
14,000石
1707館林城
24,000石
1710加増
34,000石
1712加増
54,000石
松平 武雅 従五位下
肥前守
顕徳院
恭斎
行高
新之助
多宮
内記
松平義行二男 1724-28 1728(27)
松平 武元 1728 (下段参照)

   〔太田家〕
太田 資晴 従四位下
備中守
瑞光院
道精日現
資重
資在
熊次郎
太田資直五男 1728-34 1740(46) 戸田氏定女 1705棚倉城(陸奥)
50,037石
1728館林城
50,037石
1734摂津等四国内
転封
大坂城代
太田 資俊 従五位下
摂津守
資元
新六郎
資晴長男 1740-46 1763(44) 板倉勝澄養妹
1740館林城
1746掛川城(遠江)転封
奏者番

   〔松平(越智)家(後期)〕
松平 武元 従四位下
侍従
右近将監
大超院
勇山
丹下
源之進
主計頭
松平頼明三男
松平武雅養子
1746-79 1779(67) 松平忠雅女 1728館林城
同年、棚倉城
(陸奥)転封
54,000石
1746館林城
1769加増
61,000石
老中
松平 武寛 従五位下
右近将監
大隆院
常山
久五郎
主計頭
武元四男 1779-84 1784(31) 松平頼恭女 奏者番
松平 斉厚 従四位上
左少将
右近将監
武厚
久五郎
武寛長男 1784-1836 1839(57) 仲(松浦清女)
1836浜田城(石見)転封
寺社奉行

   〔井上家〕
井上 正春 従四位下
河内守
武丸
亀丸
井上正甫長男 1836-45 1847(42) 阿部正精女
於昌
(松平忠学養女)
1820棚倉城(陸奥)襲封
60,000石
1836館林城
1845浜松城(遠江)転封
老中

   〔秋元家〕
秋元 志朝 但馬守
(致仕後)
山陵副官
譔佐
左衛門佐
刑部大輔
毛利広鎮八男 1845-64 1876(57) 良(上杉斉定女)
秀(本多忠考女)
1839山形城(出羽)襲封
60,000石
1845館林城
秋元 礼朝 館林藩知事 五十橘
但馬守
太田資始五男 1864-71 1883(36) 操(戸田忠温女)
1871廃藩置県
奏者番
養子・興朝
のとき子爵


前橋藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔平岩家〕
平岩 親吉 従五位下
主計頭
七之助 平岩親重長男 1590-1601 1611(70) 石川正信女 1590厩橋=前橋城(上野)
33,000石
1601甲斐府中城転封

   〔酒井家〕
酒井 重忠 従五位下
河内守
竜海院
源英傑叟
与四郎 酒井正親二男 1601-17 1617(69) 山田重辰女 1590川越城(武蔵)
10,000石
1601厩橋=前橋城
33,000石
酒井 忠世 従四位下
侍従
雅楽頭
隆興院
発向源真
万千代
与四郎
右兵衛大夫
重忠長男 1617-36 1636(65) 榊原康政女
1617前封を併せ
85,000石
1622までに累増
122,500石
大老
酒井 忠行 従四位下
阿波守
松巌院
雪窓玖伯
忠辰
万千代
忠世長男 1636 1636(38) 菊(松平定勝女)
1636前封を併せ
152,500石
奏者番
酒井 忠清 従四位下
左少将
雅楽頭
大昌院
長得源成
熊之助
与四郎
河内守
忠行長男 1637-81 1681(58) 鶴(松平定綱女)
姉小路公景女

1637分知
100,000石
1663加増
130,000石
1680加増
150,000石
大老
酒井 忠挙 従四位下
左少将
雅楽頭
咸休院
諄良源僖
忠明
与四郎
河内守
(致仕後)
勘解由
忠清長男 1681-1707 1720(73) 筑(黒田光之女)
1681分知
130,000石
1707新田を加え
150,000石
寺社奉行
酒井 忠相 従四位下
雅楽頭
永昌院
光運源穆
忠匡
忠貞
与四郎
内匠頭
忠挙長男 1707-08 1708(42)
(小笠原長章女)

(姉小路公量女)
酒井 親愛 従四位下
雅楽頭
大葉院
柏操源樹
忠良
熊之助
与四郎
(致仕後)
内匠頭
忠相長男 1708-20 1733(40)
酒井 親本 従四位下
侍従
雅楽頭
台雲院
明応源光
忠虎
忠丘
外記
与四郎
阿波守
酒井忠菊
(正親六世孫)
長男
1720-31 1731(27) 勝(秋田輝季女)
酒井 忠恭 従四位下
侍従
雅楽頭
忠知
直之助
刑部
酒井忠菊四男 1731-49 1772(63) 考(榊原政邦女)
1749姫路城(播磨)転封
老中

   〔松平(結城)家〕
松平 朝矩 従四位下
侍従
大和守
霊鷲院
拈華微笑
直賢
久太郎
喜八郎
松平明矩長男 1749-67 1768(31) 峰(山内豊敷女)
土(藤井兼矩女)
1748姫路城(播磨)襲封
150,000石
1749前橋城
1767水害のため
川越城(武蔵)転封
前橋領も併有
松平 直恒

松平 直侯
川越藩−埼玉県−を参照)
松平 直克 前橋藩知事 頼敦
富之丞
大和守
有馬頼徳十三男
直侯養子
1866-69 1897(58)
(松平直侯養女)
1861川越城襲封
170,000石
1866前橋城帰還
政事総裁
松平 直方 前橋藩知事 利篤
栄之介
前田利声二男 1869-71 1907(50) 鎨子
(伊達宗孝女)

1871廃藩置県
養子・基則
のとき伯爵


小幡藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔奥平家〕
奥平 信昌 従五位下
美作守
定昌
九八郎
奥平貞能長男 1590-1606 1615(61) 亀(徳川家康女) 1576新城(三河)
1590小幡宮崎城
(上野)
30,000石
1601加納城(美濃)転封

   〔水野家〕
水野 忠清 従五位下
隼人正
惣兵衛
権十郎
水野忠重四男 1607-16 1647(66) 前田利家養女 1602新封
小幡近傍
10,000石
1616刈屋城(三河)転封
奏者番

   〔永井家〕
永井 直勝 従五位下
右近大夫
伝八郎 永井重元二男 1616-17 1625(63) 阿部正勝女 1590新封
相模・上総二国内
5,000石
1600加増
7,000石
1616小幡近傍
17,000石
1617笠間城(常陸)転封
加判

   〔織田家〕
織田 信良 従四位上
左少将
兵部大輔
心芳院
松岩浄青
勝法師
因幡守
織田信雄三男 1616前-26 1626(43) 下津捧庵女 1616以前
小幡陣屋
20,000石
准国持
(1617まで小幡
領内を水野・
永井家と分割?)
織田 信昌 従四位下
兵部大輔
宝泰院
節巌英忠
百介
因幡守
信良二男 1626-50 1650(26)
織田 信久 従四位下
侍従
越前守
凌雲院
嶮巌維峻
左門
内記
織田高長
(信良弟)四男
1650-1714 1714(72) 稲葉信通女
織田 信就 従四位下
侍従
美濃守
乾瑞院
亨巌元貞

伊織
帯刀
信久三男 1714-31 1731(71)
織田 信右 従四位下
兵部大輔
桃渓院
仙巌宗寿
左膳
若狭守
信就四男 1731-59 1762(50) 松平頼明女
織田 信富 従五位下
和泉守
南溟院
搏巌宗翼
長英
主膳
靱負
信就七男 1759-64 1764(42)
織田 信邦 従五位下
美濃守
浄翁院
黙巌了然
五百八 織田信栄四男 1764-67 1783(39) 信富養女
1767落度蟄居
養子・信浮が
高畠(出羽)転封

   〔松平(奥平)家〕
松平 忠恒 従五位下
摂津守
大謙院
徳翁義光
定太郎
大蔵少輔
宮内少輔
松平忠暁二男 1767-68 1768(49) 津軽信興女 1736桑折(陸奥)襲封
20,000石
1747篠塚(上野)
1748上里見(上野)
1767小幡
若年寄
松平 忠福 従五位下
玄蕃頭
即是空院
繊月幽間
幸太郎
采女正
忠恒長男 1768-99 1799(58)
(松平資訓養女)
若年寄
松平 忠房 従五位下
采女正
黄梅院
覚林衍果
定太郎 忠福長男 (早世) 1789(25) 政(間部詮方女)
松平 忠恵 従五位下
玄蕃頭
実相院
転心如幽
初之助
内膳
宮内少輔
忠房長男 1799-1856 1862(79)
(蜂須賀重喜女)
万千
(諏訪忠粛女)

1848城主格
若年寄
松平 忠恕 小幡藩知事
(廃藩後)
貴族院議員
忠慎
鏻三郎
大蔵少輔
摂津守
忠恵長男 1856-71 1902(78) 園子
(宮崎佐平女)

1871廃藩置県
寺社奉行
(廃藩後)
子爵


白井藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考

   〔本多家(前期)〕
本多 康重 従五位下
豊後守
彦次郎 本多広孝長男 1590-1601 1611(58) 1577田原城(三河)襲封
1590白井城(上野)
20,000石
1601岡崎城(三河)転封

   〔松平(戸田)家〕
松平 康長 丹波守 虎千代
孫六郎
戸田忠重長男 1601-02 1632(71) 1567二連木城(三河)襲封
1590東方(武蔵)
10,000石
1601白井城
20,000石
1602古河城(下総)転封

   〔井伊家〕       
井伊 直孝 従五位下
掃部頭
弁之介 井伊直政二男 1610-15 1659(70) 1608吾妻郡内(上野)
3,000石
1610白井領内
10,000石
1615彦根城(近江)転封
 

   〔西尾家〕
西尾 忠永 従五位下
丹後守
忠康 酒井重忠三男
西尾吉次養子
1616-18 1620(37) 1606原市(武蔵)襲封
12,000石
1616白井城
20,000石
1618土浦城(常陸)転封

   〔本多家(後期)〕
本多 紀貞 従五位下
備前守
源光院
然誉宗廓
次郎八
対馬守
康重三男 1618-23 1623(44) 1618新封、白井
10,000石
1623無嗣絶家
大番頭


吉井藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考

   〔菅沼家〕
菅沼 定利 従五位下
小大膳
隆興院
広山玄太
菅沼定忠長男 1590-1602 1602 1584伊那郡内(信濃)
家を再興
1590吉井城(上野)
20,000石
松平 忠政 従五位下
飛騨守
忠七郎 奥平信昌三男 1602 1614(35)
1602加納城(美濃)転封

   〔堀田家〕 
堀田 正休 従五位下
豊前守
正清
正職
正昌
正国
帯刀
堀田正信長男 1682-98 1731(77) 1660父・佐倉藩主
正信改易後、復家
蔵米10,000俵
1682吉井
10,000石
1698宮川(近江)転封
奏者番

   〔松平(鷹司)家(1753までは矢田藩)〕
松平 信平 従四位下
左少将
左兵衛督
覚性院
円洞浄融
鷹司信房男 1689(54) 1650蔵米1,000俵
1654加増
5,000俵
1674上野・上総二国内
7,000石
松平 信正 従四位下
侍従
左兵衛督
温恭院
法嵓純真
福千代
近江守
信平長男 1691(31)
松平 信清 従四位下
侍従
越前守
玄徳院
性山道崇
仁十郎 信正長男 1709-24 1724(36)
1709矢田(上野)
10,000石
松平 信友 従四位下
侍従
式部大輔
瑞琳院
義山了空
亀丸
中務大輔
越前守
信清長男 1724-60 1760(49)
1753吉井へ居所移転
松平 信有 従四位下
侍従
左兵衛督
松岳院
泰得恵秀
豊松
勘解由
民部大輔
左兵衛佐
(致仕後)
兵部
徳川宗直四男 1760-71 1793(63)
松平 信明 従四位下
侍従
左兵衛督
広大院
智照慧歓
友之進
大炊頭
式部大輔
信友三男 1771-75 1775(31)
松平 信成 従四位下
侍従
左兵衛督
徳恩院
朝広恵惇
豊松
栄松
左兵衛佐
信有二男 1775-1800 1800(34)
松平 信充 従四位下
侍従
左兵衛督
大智院
広観慧性
千之進
大蔵大輔
信明二男 1800-03 1803(29)
松平 信敬 従四位下
侍従
弾正大弼
久遠院
鷲峰日諦
直之丞 信成三男 1803-41 1841(43)
松平 信任 従四位下
侍従
左兵衛督
浄行院
日曜諦明
意之丞 松平房府
(信成二男)
長男
1841-47 1847(22)
吉井 信発 侍従
左兵衛督
旭山 哲丸
和之助
信和
三猿
松平維賢三男 1847-65 1890(67)
吉井 信謹 吉井藩知事 鉄丸
左兵衛督
上杉斉憲五男 1865-71 1890(38)
1871廃藩置県
1868改姓吉井
息子・信宝の
とき子爵


大胡藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
牧野 康成 従五位下
右馬允
月照院
応誉栄感
貞成
新次郎
牧野成定長男 1590-1609 1609(55) 1566牛窪城(三河)襲封
1590大胡城(上野)
20,000石
牧野 忠成 従五位下
駿河守
新次郎 康成長男 1609-16 1654(74)
1616長峯城(越後)転封


阿保藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
菅沼 定盈 従五位下
織部正
勝徳院
長翁宗堅
竹千代
新八郎
菅沼定村長男 1590-? 1604(63) 1556野田城(三河)襲封
1590阿保(上野)
10,000石
菅沼 定仍 従五位下
志摩守
新八郎 定盈二男 ?-1601 1605(30)
1601長島城(伊勢)転封


総社藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考

   〔諏訪家〕
諏訪 頼水 小太郎 諏訪頼忠長男 1592-1601 1641(72) 1590諏訪(信濃)襲封
同年、奈良梨(武蔵)
12,000石
1592総社(上野)
1601諏訪復封

   〔秋元家〕
秋元 長朝 越中守 江月院
巨岳元誉
孫四郎
孫三郎
秋元景朝長男 1601-22 1628(83) 1592新封 碓氷郡内(上野)
1601総社城
10,000石
秋元 泰朝 従五位下
但馬守
牛坊
孫七郎
茂兵衛
長朝長男 1622-33 1642(63)
1622前封を加え
15,000石
1633谷村城(甲斐)転封


伊勢崎藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考

   〔稲垣家〕
稲垣 長茂 平右衛門 天増寺
快岩当慶
藤助 稲垣重宗長男 1601-12 1612(74) 1590新封
下野・上野二国内
3,000石
1601伊勢崎(上野)
10,000石
稲垣 重綱 平右衛門 重種
藤助
長茂長男 1612-16 1654(72)
1616藤井(越後)転封

   〔酒井家(第一期)〕
酒井 忠世 従五位下
雅楽頭
万千代
与四郎
酒井重忠長男 1616-17 1636(65) 1601那波郡内(上野)
10,000石
20,000石に累増
1616伊勢崎
52,000石
1617父・重忠の
前橋藩主襲封
伊勢崎領を併有
加判

   〔酒井家(第二期)〕
酒井 忠能 従五位下
日向守
万千代 酒井忠行
(忠世長男)
二男
1637-62 1705(78) 1637前橋酒井家より分家
伊勢崎
22,500石
1662小諸城(信濃)転封
奏者番

   〔酒井家(第三期)〕
酒井 忠寛 従五位下
下野守
顕崇院
雄安泰英
岩千代 酒井忠清
(忠行長男)
三男
1681-1703 1703(38) 1681前橋酒井家より分家
伊勢崎
20,000石
酒井 忠告 従五位下
下野守
天戒院
弥山観高
森之助
監物
信濃守
西尾忠成
(重忠曽孫)五男
1704-63 1767(79) 奏者番
酒井 忠温 従五位下
駿河守
嶌高院
放山宗魯
三郎助
牛眠
酒井忠恭四男 1763-87 1801(65)
酒井 忠哲 従五位下
下野守
天真院
自休玄性
春司
与八郎
忠温二男 1787-1805 1819(52)
酒井 忠寧 従五位下
信濃守
智勝院
劫外禅徹
与八郎 忠哲長男 1805-17 1817(29)
酒井 忠良 従五位下
伊賀守
雲昇院 与八郎 忠寧長男 1817-31 1834(27)
酒井 忠恒 従五位下
志摩守
墨水庵 謙次郎
培堂
寸舛
忠寧二男 1831-51 1868(58)
酒井 忠強 下野守 与八郎 忠恒長男 1851-68 1885(51)
酒井 忠彰 伊勢崎藩知事
(廃藩後)
貴族院議員
知三郎
下野守
忠強長男 1868-71 1896(45)
1871廃藩置県


安中藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔井伊家〕
井伊 直勝 従四位下
右近大夫
雲光院
月山了照
直継
万千代
兵部少輔
井伊直政長男 1615-32 1662(73) 鳥居忠政女 1602佐和山城
(近江)襲封
1604彦根城(近江)
180,000石
1615多病により
弟・直孝に譲り
安中城(上野)
30,000石にて分家
井伊 直好 従五位下
兵部少輔
直之
大膳
万千代
直勝長男 1632-45 1672(55) 酒井忠勝女
松平家信女

1645西尾城(三河)転封

   〔水野家〕 
水野 元綱 従五位下
備後守
自雲院
心源道要
勘四郎
大和守
水野分長長男 1645-64 1665(65) スケ
(中川秀成女)
1620新城(三河)襲封
10,000石
1645安中
20,000石
奏者番
水野 元知 従五位下
信濃守
三左衛門 元綱二男 1664-67 1680(37) 水野忠善女
1667精神疾患
のため改易

   〔堀田家〕
堀田 正俊 従四位下
侍従
備中守
久太郎 堀田正盛三男
稲葉福(春日局)
養子
1667-81 1684(51) 稲葉正則女 1643養母の遺領継承
高座郡内(相模)
3,000石
1651実父領分与
計13,000石
1667安中城
20,000石
1678-79累増
40,000石
1681古河城(下総)転封
老中

   〔板倉家(前期)〕
板倉 重形 従五位下
伊予守
大円院
機外源用
主馬助
次郎右衛門
板倉重宗二男 1681-86 1686(65) 高木正弘女 1661関宿(下総)
藩主・重郷より
分家、新封
下野・摂津等国内
10,000石
1681安中
15,000石
寺社奉行
板倉 重同 従五位下
伊予守
百助
靱負
神保元茂二男
(重形外孫)
1686-1702 1717(39) 細川興栄女
1702(陸奥)転封

   〔内藤家〕
内藤 政森 従五位下
丹波守
惣持院
大誉得法
向山
金一郎
右近
山城守
内藤政親三男 1702-33 1738(56) 柳沢吉保養女
柳沢吉保女
1696(陸奥)襲封
20,000石
1702安中
1705城主
奏者番
内藤 政里 従五位下
山城守
大信院
単誉候道
典山
政能
亀三郎
金一郎
政森二男 1733-46 1746(34) 脇坂安清女
内藤 政苗 金一郎 政里長男 1746-49 1802(62) 朽木玄綱女
1749挙母城(三河)転封

   〔板倉家(後期)〕
板倉 勝清 従四位下
侍従
佐渡守
泰円院
寿山源翁
重清
百助
伊予守
重同長男 1749-80 1780(75) 板倉重冬女 1746相良(遠江)
1748城主、加増
20,000石
1749安中城
1767加増
30,000石
老中
板倉 勝暁 従四位下
肥前守
瑞円院
寂厳源輝
百助
伊勢守
勝清長男 1780-92 1792(66) 戸沢政庸女
松平忠愛女
板倉 勝意 従五位下
主計頭
本光院
瑞翁源相
延次郎
百助
伊予守
勝清六男 1792-1805 1805(51)
(小笠原長恭女)
久(毛利就馴女)
板倉 勝尚 従五位下
伊予守
瑞光院
良学源文
鶴五郎
百助
板倉勝政二男 1805-20 1820 結(阿部正倫女)
板倉 勝明 従五位下
伊予守
智照院
英俊源雄
鶴五郎
百助
甘雨
節山
勝尚長男 1820-57 1857(49) 大久保教孝女
要(松平頼儀女)
奏者番
板倉 勝殷 安中藩知事 金之助
主計頭
勝尚三男 1857-71 1873(54)
(鈴木勘次郎女)

1871廃藩置県
養子・勝観
のとき子爵


七日市藩=前田家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
前田 利孝 従五位下
大和守
慈雲院
真翁宗智
孫八郎
大和守
前田利家五男 1616-37 1637(44) 1616新封
七日市(上野)
10,014石
前田 利意 従五位下
右近大夫
霊雲院
桃岳宗悟
利豊
孫八郎
右近
利孝長男 1637-85 1685(61)
前田 利広 宮内 観性院
然山宗廓
利意長男 1685-93 1693(49)
前田 利慶 右京 超玄院
楚雲万里
孫八郎 利広長男 1693-95 1695(26)
前田 利英 隼人 楞厳院
大空高月
長十郎 利広二男 1695-1708 1708(20)
前田 利理 従五位下
大和守
礼源院
仁宗良心
利方
利安
又五郎
丹後守
前田孝始
(利孝孫)
長男
1708-56 1756(57)
前田 利尚 従五位下
丹後守
本覚院
廓然玄性
豊平
宮内
大和守
利理四男 1756-82 1792(56)
前田 利見 従五位下
大和守
覚峯院
了円道照
豊平
右近
右近将監
利尚二男 1782-86 1786(23)
前田 利以 従五位下
大和守
閑松院
鶴心室寿
大学
(致仕後)
鶴心斎
宗啓
前田利道六男 1786-1808 1828(61)
前田 利和 従五位下
大和守
碧潭院
寒月霊照
孝恒
松之助
隼人
前田武宣
(利理六男)
三男
1808-39 1839(49)
前田 利豁 七日市藩知事 錞八郎
孫八郎
大和守
丹後守
前田利幹八男 1840-69 1877(55)
前田 利昭 七日市藩知事 孫八郎 利豁長男 1869-71 1896(47)
1871廃藩置県
子爵



(2010.12.15up)


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