埼玉県は古く、知々夫国造が支配していましたが、大化の改新で武蔵国に統合されました。平安朝期には帰化人・渡来人の移住により開発され、児玉荘・秩父牧などが存在、武蔵七党や秩父一族など武士団の活動の場となりました。鎌倉期にははじめ比企一族が勢力を持ちましたが、その滅亡後は北条一門が国司・守護を兼帯しました。南北朝期から室町期にかけては、鎌倉公方、のち上杉家の勢力下に置かれ、山内・扇谷両上杉家の勢力争いが展開されました。戦国期に入ると北条氏綱が武蔵へ進出し、氏政の代までに武蔵北部を制圧しました。豊臣秀吉が1590年に北条家を滅ぼすと、武蔵北部は徳川家康の所領となって諸将が配置されます。家康の江戸幕府開設に伴い、ここは引き続き譜代中小大名や旗本の所領が混在する地域となり、江戸後期には忍藩(松平=奥平家)、川越藩(松平=結城家、幕末には松井家)、岩槻藩(大岡家)などが配置されました。1871年の廃藩置県により、武蔵北部は埼玉県と入間県とに編成され、1873年に入間県は群馬県と合併して熊谷県となりましたが、1876年に旧入間県の地域が群馬県から埼玉県へ移管され、現在の県域が確定しました。
河越家 上杉(扇谷)家 太田家 成田家 藤田家 岩槻藩 騎西藩 深谷藩 松山藩 川越藩 本庄藩 忍藩 小室藩 原市藩 岡部藩 野本藩 久喜藩 赤沼藩 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
河越 重隆 | 二郎大夫 | 秩父重綱二男 | 1155 | 河越荘(武蔵) | |||||||
河越 能隆 | 葛貫別当 | 重隆男 | ↓ | ||||||||
河越 重頼 | 太郎 | 能隆男 | ?-1185 | 1185 | ↓ | ||||||
比企 某女 | 後家尼 | 比企掃部允女 重頼妻 |
1187-? | ↓ | |||||||
河越 重時 | 掃部助 | 二郎 | 重頼二男 | 1205前-28後 | ↓ | ||||||
河越 泰重 | 掃部助 | 重時男 | 1235前-46後 | ↓ | |||||||
河越 経重 | 従五位下 安芸守 |
次郎 遠江守 |
泰重男 | 1256前-66後 | ↓ | ||||||
河越 宗重 | 出羽守 | 経重男 | ↓ | ||||||||
河越 貞重 | 遠江守 | 三河守 | 宗重男 | 1333 | ↓ | ||||||
河越 直重 | 弾正少弼 | 系譜未詳 | 1352前-63後 | ↓ | 1353-63 相模守護 |
||||||
河越 治部少輔 | 系譜未詳 | ?-1368? | ↓ 1368失領 |
後裔は未詳 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
上杉 重顕 | 修理大夫 | 左近将監 伏見院蔵人 |
上杉頼重長男 | 八田・漢部両郷 (丹波) |
||||||||
上杉 朝定 | 正五位下 弾正少弼 |
道禅 | 左近将監 | 重顕二男 | 1352(32) | 足利氏の女 | ↓ | |||||
上杉 顕定 | 式部大夫 | 霊岩院 心伝希顕 |
定成 伊予守 |
上杉藤成男 | ?-1380 | 1380 | ↓ 鎌倉扇谷(相模)ほか |
1337-38 丹後守護 |
||||
上杉 氏定 | 弾正少弼 | 普恩院 常継仙厳 |
鶴寿丸 | 上杉頼顕男 | 1380-1416 | 1416 | ↓ | |||||
上杉 持定 | 治部少輔 | 長慶院 定江 |
氏定長男 | 1416-19 | 1419(18) | ↓ | ||||||
上杉 持朝 | 修理大夫 | 広感院 道朝 |
竹寿丸 弾正少弼 |
氏定男 (持定男?) |
1419-49 | ↓ | ||||||
上杉 顕房 | 修理大夫 | 長源院 道光 |
弾正少弼 | 持朝長男 | 1449-55 | 1455(21) | ↓ | |||||
上杉 持朝 (再承) |
修理大夫 | 1455-67 | 1467(52?) | ↓ 1457河越城(武蔵)ほか |
||||||||
上杉 政真 | 修理大夫 | 満松院 | 顕房長男 | 1467-73 | 1473(22) | ↓ | ||||||
上杉 定正 | 修理大夫 | 護国院 範了大通 鷹釣斎 |
持朝三男 | 1473-94 | 1494(52) | ↓ | ||||||
上杉 朝良 | 治部少輔 | 建芳 | 五郎 | 上杉朝昌 (持朝五男) の男 |
1494-1504 | 1518 | ↓ | |||||
上杉 朝興 | 従四位下 修理大夫 |
道興 | 五郎 | 上杉朝寧 (朝昌男)の男 |
1504-37 | 1537(50) | ↓ | |||||
上杉 朝定 | 五郎 | 正栄 | 朝興長男 | 1537-46 | 1546(22) | ↓ 1537失領 1546奪回ならず 河越にて戦死、絶家 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
源 広綱 | 従五位下 駿河守 |
左衛門尉 | 源仲綱男 | ?-1190 | |||||||
源 隆綱 | 右衛門尉 | 加世丸 | 広綱男 | 1200五箇荘(丹波) | |||||||
源 国綱 | 左衛門尉 | 隆綱男 | ↓ | ||||||||
太田 資国 | 摂津守 | 道清 聴雪 |
左衛門尉 | 国綱男 | 1312(81) | ↓ 太田郷(丹波)移住 |
|||||
太田 資治 | 伊豆守 | 道穏 | 資国男 | ↓ | |||||||
太田 資兼 | 大和守 | 道仙 | 資治男 | ↓ | |||||||
太田 資益 | 大和守 | 資兼一族? | 1378(64) | 武蔵国内 | (系図に一部混乱か) | ||||||
太田 資通 | 備中守? | 道暉? | 資益男 | ?-1428前 | ↓ | 上杉(扇谷)家被官 | |||||
太田 資房 | 左衛門大夫 | 道哲 | 備中守? | 資通男? | 1428前-38前 | ↓ | 上杉(扇谷)家被官 | ||||
太田 資清 | 従五位下 備中守 |
自得院 実慶道真 |
源六郎 左衛門大夫 |
資房男 | 1438前-55 | 1492(82) | ↓ | 上杉(扇谷)家被官 | |||
太田 資長 | 従五位下 備中守 |
香月院 春苑道灌 |
持資 鶴千代丸 源六郎 左衛門大夫 |
資清長男 | 1455-86 | 1486(55) | ↓ 1457江戸・岩付 両城(武蔵)を築く |
上杉(扇谷)家被官 | |||
太田 資家 | 信濃守 | 養竹院 義芳道永 |
源五郎? 美濃守? |
太田資忠 (資清男?)の男 |
?-1522 | 1522 | 岩付城 | 上杉(扇谷)家被官 | |||
太田 資頼 | 美濃守 | 寿仙院 知楽道可 |
彦六 | 資家男 | 1522-33 | 1541 | ↓ 1525失領 1531回復 |
上杉(扇谷)家被官 | |||
太田 資時 | 信濃守 | 月岭全鑑 | 資顕 左京亮 |
資頼長男 | 1533-46 | 1546 | ↓ | 北条家被官 | |||
太田 資正 | 従五位下 民部大輔 |
智正院 岳雲道瑞 三楽斎 道誉 |
源五郎 美濃守 |
資頼二男 | 1546-64 | 1591(70) | ↓ | 北条家被官 (岩付追放後、 佐竹家被官 常陸片野城主) |
|||
太田 氏資 | 従五位下 大膳大夫 |
大崇院 昌安道也 |
資房 源五郎 |
資正長男 | 1564-67 | 1567(26) | ↓ 1567戦死、中絶 |
北条家被官 | |||
太田 源五郎 | 広徳院 功林宗勲 |
国増丸 | 北条氏政三男 | 1575-82 | 1582(20?) | 1575相続 | 北条家臣 | ||||
太田(北条?) 氏房 |
十郎 | 梅雲院 玉翁昌蓮 |
菊王丸 | 北条氏政四男 | 1582-90 | 1592(28) | ↓ 1590北条家と ともに所領没収 |
北条家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
成田 助隆 | 成田大夫 | 横山党一族? | 12C前半 | 埼西郡成田郷(武蔵) | |||||||
成田 助広 | 太郎左衛門尉 | 助隆男 | ↓ | ||||||||
成田 助綱 | 四郎 | 助広男 | 1189前-1221後 | ↓ | |||||||
成田 資泰 | 太郎兵衛尉 | 助綱男 | 1221 | ↓ | |||||||
成田 忠綱 | 新兵衛尉 | 資泰男 | ↓ | ||||||||
成田 家綱 | 五郎左衛門尉 | 忠綱男 | ↓ | ||||||||
成田 泰員 | 下総守 | 家綱男? | ↓ | ||||||||
成田 泰直 | 下総守 | 泰員男? | ↓ | ||||||||
成田 家時 | 武蔵守 | 功山宗勇 | 五郎 | 家綱裔? | 1420(53) | 上城(武蔵) | 泰直との関係未詳 | ||||
成田 資員 | 五郎左衛門尉 | 忠山宗節 | 家時二男 | ?-1430 | 1430(32) | ↓ | |||||
成田 顕泰 | 下総守 | 清岳成安 | 資員長男 | 1430-80 | 1484(62) | ↓ | 上杉(山内)家被官 | ||||
成田 親泰 | 下総守 | 貞岡宗蓮 | 左衛門大夫 中務大輔 |
顕泰長男 | 1480-1524 | 1524(60) | ↓ 1490忍城(武蔵) |
上杉(山内)家被官 | |||
成田 長泰 | 下総守 | 蘆伯斎 宗湖 |
親泰長男 | 1524-66? | 1571 | ↓ | 上杉(山内)家被官 後、北条家被官 |
||||
成田 氏長 | 下総守 | 左衛門次郎 左馬助 |
長泰長男 | 1566?-95 | 1595 | ↓ 1590失領 1591烏山城(下野)再封 |
上杉(春日山)家被官 後、北条家被官 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
藤田 政行 | 五郎 | 猪俣政家男 | 12C後半 | 榛沢郡藤田郷(武蔵) | |||||||
藤田 行保 | 三郎大夫 | 行康 | 政行男 | 1184 | ↓ | ||||||
藤田 好国 | 右衛門尉 | 能国 | 行保男 | ↓ | |||||||
藤田 好兼 | 左衛門尉 | 能兼 | 好国男 | ↓ | |||||||
藤田 氏兼 | 三郎左衛門尉 | 好兼男 | 藤田郷近傍 | (庶子家?) | |||||||
藤田 氏員 | 三郎左衛門尉 | 氏兼男 | ↓ | ||||||||
藤田 盛員 | 小三郎 | 氏員男 | ↓ | ||||||||
藤田 能尚 | 三郎左衛門尉 | 能孝 | 盛員男 | 14C中葉 | ↓ | ||||||
藤田 能員 | 越中守 | 覚能 | 能尚男 | ↓ | |||||||
藤田 能邦 | 三河守 | 能員男 | ↓ | ||||||||
藤田 宗員 | 能登守 | 能邦男? | 1434頃 | ↓ | 上杉(山内)家被官 | ||||||
藤田 重員 | 左近大夫 | 宗員男 | ↓ | 上杉(山内)家被官 | |||||||
藤田 重頼 | 六郎左衛門 | 虎寿丸 | 重員男 | 1509頃 | ↓ | 上杉(山内)家被官 | |||||
藤田 康邦 | 右衛門佐 | 祖繁 | 虎寿丸 重利 |
重頼男? | 1524前-46後 | 1555 | 天神山城(武蔵) | 上杉(山内)家被官 後、北条家被官 |
|||
藤田 氏邦 | 安房守 | 昌竜寺 天室宗清 |
重氏 乙千代丸 新太郎 |
北条氏康三男 | 1546後-90 | 1597(57) | 鉢形城(武蔵) 1590失領 |
北条家被官 | |||
藤田 信吉 | 従五位下 能登守 |
一叟源心 | 弥六郎 重信 |
康邦二男 | 1579-98 1600-15 |
1616(57) | 1579武田領内にて 藤田家を再興 1582上杉(春日山)家臣 1598津川城(越後) 11,000石 同年、上杉家退去 1600西方(下野) 15,000石 1615落度、改易 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔高力家〕 |
||||||||||||
高力 清長 | 従五位下 河内守 |
快光院 廓誉道鎮 |
新三 与左衛門 |
高力安長長男 | 1590-? | 1608(79) | 阿部道金女 | 1582田中城(駿河) 1590岩槻城(武蔵) 20,000石 |
||||
高力 正長 | 従五位下 土佐守 |
浄林院 道貴 |
与次郎 権左衛門 |
清長長男 | ?-1599 | 1599(42) | 本多忠俊女 | ↓ | ||||
高力 忠房 | 従五位下 左近大夫 |
忠長 左近 |
正長長男 | 1599-1619 | 1655(72) | まん (真田信之女) |
↓ 1619浜松城(遠江)転封 |
奏者番 | ||||
〔青山家〕 |
||||||||||||
青山 忠俊 | 従五位下 伯耆守 |
伊勢千代 藤蔵 藤五郎 |
青山忠成二男 | 1620-23 | 1643(66) | 大久保忠佐女 | 1613 相模等六国内 35,000石 1620岩槻城 45,000石 1623忤旨減封 大多喜城(上総)転封 |
老中 | ||||
〔阿部家〕 |
||||||||||||
阿部 正次 | 従四位下 備中守 |
英隆院 運誉豪翁 覚了 |
正成 徳千代 善九郎 |
阿部正勝長男 | 1623-38 | 1647(79) | 佐原義成女 | 1619小田原城(相模) 50,000石 1623岩槻城 55,000石 1626加増 86,000石 1638城地のうち 46,000石を重次に譲り 摂津国内に移転 30,000石 |
大坂城代 | |||
阿部 重次 | 従四位下 対馬守 |
芳松院 全巌浄心 |
作十郎 山城守 |
正次二男 | 1638-51 | 1651(54) | 三浦重成女 松平定勝女 |
1615妻の実家 三浦家より分封 3,000石 1635加増 13,000石 1638岩槻城襲封 前封と合わせ 59,000石 1647加増 69,000石 1648父の遺領相続 99,000石 |
老中 | |||
阿部 定高 | 従五位下 備中守 |
普広院 孝誉寂照 閑清 |
正貞 貞勝 成利 千勝 |
重次長男 | 1651-59 | 1659(25) | 松平定頼女 | ↓ | ||||
阿部 正春 (番代) |
従五位下 伊予守 |
利重 正長 長松 吉兵衛 因幡守 |
重次二男 | 1659-71 | 1716(80) | 烏丸資吉女 | 1651分家 大多喜(上総)領内 16,000石 1659岩槻城相続 115,000石 1671正邦に宗家を譲る 大多喜城転封 |
|||||
阿部 正邦 | 従五位下 対馬守 |
正盛 作十郎 |
定高二男 | 1671-81 | 1715(58) | 菊 (山内豊昌女) |
1671襲封 99,000石 1681宮津城(丹後)転封 |
|||||
〔板倉家〕 |
||||||||||||
板倉 重種 | 従四位下 内膳正 |
重道 弁之助 六左衛門 兵庫頭 石見守 |
板倉重矩三男 | 1681-82 | 1705(65) | 加藤直泰養女 | 1673烏山城(下野)襲封 50,000石 1681岩槻城 60,000石 1682落度減封 坂木(信濃)転封 |
老中 | ||||
〔戸田家〕 |
||||||||||||
戸田 忠昌 | 従四位下 侍従 山城守 |
忠治 主膳 伊賀守 越前守 |
戸田忠次長男 戸田忠能養子 |
1682-86 | 1699(68) | 秋元富朝女 | 1676山城等五国内 31,000石 1681加増 41,000石 1682岩槻城 51,000石 1686佐倉城(下総)転封 |
老中 | ||||
〔松平(藤井)家〕 |
||||||||||||
松平 忠周 | 従五位下 伊賀守 |
忠易 忠徳 忠栄 与十郎 阿波守 |
松平忠晴三男 松平忠昭養子 |
1686-97 | 1728(68) | 松平定時養女 米倉昌明養女 |
1683亀山城(丹波)襲封 38,000石 1686岩槻城 48,000石 1697出石城(但馬)転封 |
|||||
〔小笠原家〕 |
||||||||||||
小笠原 長重 | 従四位下 侍従 佐渡守 |
竺仙院 英岳崇雄 峯雲 |
長好 兵助 采女 (致仕後) 長亮 |
小笠原長矩二男 小笠原長祐養子 |
1697-1710 | 1732(83) | 細川興隆女 | 1690吉田城(三河)襲封 40,000石 1697岩槻城 50,000石 1705加増 60,000石 |
老中 | |||
小笠原 長煕 | 従五位下 山城守 |
長信 長寛 津八郎 |
長重二男 | 1710-11 | 1752(63) | 染 (松平頼貞女) |
↓ 1711掛川城(遠江)転封 |
|||||
〔永井家〕 |
||||||||||||
永井 直敬 | 従五位下 伊豆守 |
正功院 傑真寛英 |
尚富 大学 伊賀守 |
永井尚庸長男 | 1711 | 1711(48) | 松平典信女 永井直右女 |
1706飯山城(信濃) 33,000石 1711岩槻城 |
若年寄 | |||
永井 尚平 | 従五位下 伊賀守 |
享徳院 元英自性 |
左衛門 大学 |
直敬二男 | 1711-14 | 1714(18) | - | ↓ 1711分知 32,000石 |
||||
永井 直陳 | 従五位下 伊賀守 |
尚英 直信 主馬 伊豆守 |
直敬三男 | 1714-56 | 1762(65) | 松平信庸女 加藤嘉矩女 |
↓ 1756加納城(美濃)転封 |
奏者番 | ||||
〔大岡家〕 |
||||||||||||
大岡 忠光 | 従四位下 出雲守 |
得詳院 義山天忠 |
兵庫 主膳 |
大岡忠利長男 | 1756-60 | 1760(49) | おく (大井政長女) |
1754勝浦(上総) 15,000石 1756岩槻城 20,000石 |
側用人 | |||
大岡 忠喜 | 従五位下 兵庫頭 |
興徳院 義天光月 |
忠善 兵庫 |
忠光長男 | 1760-82 | 1806(69) | 井上正経養女 田沼意次養女 |
↓ | 奏者番 | |||
大岡 忠要 | 従五位下 式部少輔 |
忠性院 仁岳超儀 |
式部 | 忠喜長男 | 1782-86 | 1786(21) | - | ↓ | 奏者番 | |||
大岡 忠烈 | 従五位下 丹後守 |
高安院 実翁静忠 |
鶴次郎 | 忠喜二男 | 1786-97 | 1844(78) | - | ↓ | ||||
大岡 忠正 | 従五位下 主膳正 |
浄徳院 義岳全忠 |
久敦 久成 弃三郎 |
加納久周 (忠光二男) 三男 |
1797-1816 | 1816(36) | 栄 (水野忠鼎女) |
↓ | ||||
大岡 忠固 | 従五位下 主膳正 |
捨五郎 大学 |
加納久周五男 | 1816-52 | 1852(60) | 稲葉正諶女 | ↓ | 若年寄 | ||||
大岡 忠恕 | 兵庫頭 | 忠行 銈次郎 邦之丞 |
忠固三男 | 1852-66 | 1880(59) | 横田春松女 | ↓ | |||||
大岡 忠貫 | 岩槻藩知事 | 正太郎 主膳正 |
忠恕長男 | 1866-71 | 1920(74) | 寿 (土井利則女) 照 (戸田忠至女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔松平(松井)家〕 |
||||||||||||
松平 康重 | 従五位下 周防守 |
康次 次郎 左近丞 |
松平康親長男 | 1590-1601 | 1640(73) | 石川康通女 徳永寿昌女 |
1583三枚橋城(駿河)襲封 1590騎西(武蔵) 20,000石 1601笠間城(常陸)転封 |
|||||
〔大久保家〕 |
||||||||||||
大久保 忠常 | 従五位下 加賀守 |
如法院 日性 |
新十郎 | 大久保忠隣長男 | 1601-11 | 1611(32) | 奥平信昌女 | 1601小田原藩主 の父とは別に 騎西に新封 20,000石 |
||||
大久保 忠職 | 従五位下 加賀守 |
季任 忠任 忠能 忠陟 忠季 仙丸 新十郎 |
忠常長男 | 1611-32 | 1670(67) | 松平忠明女 | ↓ 1632加納城 (美濃)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔松平(長沢)家〕 |
||||||||||||
松平 康直 | 源七郎 | 三光院 大翁浄安 |
松平康忠長男 | 1590-93 | 1593(25) | 本多広孝女 | 1588宝飯郡内(三河)襲封 1590深谷城 10000石 |
|||||
松平 松千代 | 松葉院 暁月浄幻 |
徳川家康七男 | 1594-99 | 1599(6) | - | ↓ | ||||||
松平 忠輝 | 辰千代 | 徳川家康六男 | 1599-1602 | 1683(92) | 五郎八 (伊達政宗女) |
↓ 1602佐倉城(下総)転封 |
||||||
〔酒井家〕 |
||||||||||||
酒井 忠勝 | 従五位下 讃岐守 |
鍋之助 与七郎 |
酒井忠利長男 | 1622-27 | 1662(76) | 松平親能女 | 1591新封、下総国内 3,000石 1622深谷城 10,000石 1624加増 30,000石 1626加増 50,000石 1627父の継嗣 川越城(武蔵)継承 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
松平 家広 | 内膳正 | 西照院 運誉林月 道曜 |
亀千代 | 松平忠正男 松平忠吉養子 |
1590-1601 | 1601(25) | - | 1582桜井(三河)襲封 1590松山城(武蔵) 10,000石 |
||||
松平 忠頼 | 左馬允 | 忠吉二男 | 1601 | 1609(28) | 織田長益女 | ↓ 1601加増 25,000石 同年、浜松城(遠江)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔酒井家〕 |
||||||||||||
酒井 重忠 | 従五位下 河内守 |
与四郎 | 酒井正親二男 | 1590-1601 | 1617(69) | 山田重辰女 | 1576西尾城(三河)襲封 1590川越城(武蔵) 10,000石 1601厩橋=前橋城 (上野)転封 |
|||||
酒井 忠利 | 従五位下 備後守 |
建康寺 泰雲 |
与七郎 備後 |
酒井正親三男 (別家) |
1609-27 | 1627(69) | 鈴木重直女 | 1601田中城(駿河) 10,000石 1609川越城 20,000石 1616加増 27,000石 1619加増 37,000石 |
大留守居 | |||
酒井 忠勝 | 従四位下 侍従 讃岐守 |
鍋之助 与七郎 |
忠利長男 | 1627-34 | 1662(76) | 松平親能女 | ↓ 1627分知 30,000石 前封(深谷領)を 加えて合計 80,000石 1632加増 100,000石 1634小浜城(若狭)転封 |
老中 | ||||
〔堀田家〕 |
||||||||||||
堀田 正盛 | 従四位下 加賀守 |
三四郎 出羽守 |
堀田正吉長男 | 1635-38 | 1651(44) | 栗 (酒井忠勝女) |
1625北条(常陸)等 5,000石 1633までに累増 15,000石 1635川越城(武蔵) 35,000石 1638松本城(信濃)転封 |
老中 | ||||
〔松平(大河内)家〕 |
||||||||||||
松平 信綱 | 従四位下 侍従 伊豆守 |
松林院 乾徳全梁 |
正永 長四郎 |
大河内久綱長男 松平正綱養子 |
1639-62 | 1662(67) | 井上正就女 | 1633忍城(武蔵) 30,000石 1639川越城 60,000石 1647加増 75,000石 |
老中 | |||
松平 輝綱 | 従五位下 甲斐守 |
智光院 仁叟玄勇 |
主殿 | 信綱長男 | 1662-71 | 1671(52) | 板倉重宗八女 板倉重宗十一女 |
↓ 1662分知 70,000石 |
||||
松平 信輝 | 従五位下 伊豆守 |
晴綱 亀千代 斎宮助 |
輝綱四男 | 1672-94 | 1725(66) | 井上正任女 | ↓ 1694古河城(下総)転封 |
|||||
〔柳沢家〕 |
||||||||||||
柳沢 吉保 | 従四位下 左少将 美濃守 |
房安 保明 主税 弥太郎 出羽守 |
柳沢安忠長男 | 1694-1704 | 1714(57) | 定子 (曽雌定盛女) |
1675山辺郡内(上総) 530石襲封 後、累増 1688上総等三国内 12,030石 1692までに累増 62,030石 1694川越城(武蔵) 72,030石 1697加増 92,030石 1702加増 112,030石 1704甲斐府中城転封 |
大老格 公称松平 |
||||
〔秋元家〕 |
||||||||||||
秋元 喬知 | 従四位下 侍従 但馬守 |
済川院 義舟喬知 |
喬朝 甚九郎 摂津守 |
戸田忠昌長男 秋元富朝 (外祖父)養子 |
1704-14 | 1714(66) | 秋元忠朝女 | 1657谷村城(甲斐)襲封 18,000石 1700までに累増 40,000石 1704川越城 50,000石 1711加増 60,000石 |
老中 | |||
秋元 喬房 | 従五位下 但馬守 |
泰元院 智山義勇 |
尚朝 源之助 伊賀守 |
喬知二男 | 1714-38 | 1738(56) | 奥平昌章女 | ↓ | 奏者番 | |||
秋元 喬求 | 従五位下 越中守 |
誠心院 義由知貫 |
彦七 | 戸田忠余 (富朝曽孫) 二男 |
1738-42 | 1744(29) | 喬房女 | ↓ | ||||
秋元 凉朝 | 従四位下 侍従 但馬守 |
員朝 万四郎 右衛門 一学 図書 摂津守 |
秋元貞朝三男 | 1742-67 | 1775(59) | - | ↓ 1767山形城(出羽)転封 |
老中 | ||||
〔松平(結城)家〕 |
||||||||||||
松平 朝矩 | 従四位下 侍従 大和守 |
霊鷲院 拈華微笑 |
直賢 久太郎 喜八郎 |
松平明矩長男 | 1767-68 | 1768(31) | 峰 (山内豊敷女) 土 (藤井兼矩女) |
1748姫路城(播磨)襲封 150,000石 1749前橋城(上野) 1767水害のため 川越城転封 前橋領も併有 |
||||
松平 直恒 | 従四位下 侍従 大和守 |
俊徳院 仁山了義 |
千太郎 | 朝矩二男 | 1768-1810 | 1810(49) | 悦 (桜井兼文女) 富 (伊達村候女) |
↓ | ||||
松平 直温 | 従四位下 侍従 大和守 |
馨徳院 大振声光 |
亀三郎 | 直恒二男 | 1810-16 | 1816(22) | 輝 (浅野斉賢女) |
↓ | ||||
松平 斉典 | 従四位上 左少将 大和守 |
興国院 懿徳協和 |
矩典 乙之助 徳之助 |
直恒三男 | 1816-50 | 1850(54) | 徳 (宗義功女) |
↓ 1841加増 170,000石 |
||||
松平 典則 | 誠丸 | 静寿斎 | 典術 | 斉典四男 | 1850-54 | 1883(48) | - | ↓ | ||||
松平 直侯 | 従四位下 侍従 大和守 |
建中院 義恩黎懐 |
昭融 八郎麿 |
徳川斉昭八男 | 1854-61 | 1861(23) | 貢=建子 (鍋島直正女) |
↓ | ||||
松平 直克 | 従四位上 左少将 大和守 |
頼敦 富之丞 |
有馬頼徳十三男 | 1861-66 | 1897(58) | 幸 (直侯養女) |
↓ 1866前橋へ帰城 |
政事総裁職 | ||||
〔松平(松井)家〕 |
||||||||||||
松井 康英 | 侍従 周防守 |
康直 万太郎 石見守 |
松平康済長男 松平康𣳾養子 |
1866-69 | 1904(75) | 鍵 (松平康正女) 直子 (鍋島直政女) |
1864棚倉城(陸奥)襲封 60,422石 1865加増 80,422石 1866川越城 |
老中 1868 復称松井 |
||||
松井 康載 | 川越藩知事 | 錦之進 周防守 |
戸田光庸九男 | 1869-71 | 1923(69) | - | ↓ 1871廃藩置県 |
義弟・康義 のとき子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
小笠原 信嶺 | 掃部大夫 | 開善寺 徹州道也 |
十郎三郎 | 小笠原信貴長男 | 1590-98 | 1598(52) | 武田信綱女 | 1579松尾(信濃)襲封 1590本庄城(武蔵) 10,000石 |
||||
小笠原 信之 | 従五位下 左衛門佐 |
小平次郎 | 酒井忠次三男 | 1598-1612 | 1614(45) | 信嶺女 | ↓ 1612古河城(下総)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔松平(深溝)家〕 |
||||||||||||
松平 家忠 | 主殿助 | 又八郎 | 松平伊忠長男 | 1590-92 (城代) |
1600(46) | 水野忠分女 | 1575深溝(三河)襲封 1590忍城代(武蔵) 10,000石 1592上代(下総)転封 |
|||||
〔松平(東条)家〕 |
||||||||||||
松平 忠吉 | 従五位下 下野守 |
忠康 福松丸 |
徳川家康四男 松平(東条) 家忠養子 |
1592-1600 | 1607(28) | 花 (井伊直政女) |
1592新封、忍城 100,000石 1600清洲城 (尾張一国)転封 |
|||||
〔松平(大河内)家〕 |
||||||||||||
松平 信綱 | 従四位下 伊豆守 |
正永 長四郎 |
大河内久綱長男 松平正綱養子 |
1662(67) | 井上正就女 | 1620新封 500石 1624までに累増 2,000石 1627相模国内等 10,000石 1630加増 15,000石 1633忍城(武蔵) 30,000石 1639川越城(武蔵)転封 |
老中 | |||||
〔阿部家〕 |
||||||||||||
阿部 忠秋 | 従四位下 侍従 豊後守 |
透玄院 隆誉天朗 空煙 |
小平次 | 阿部忠吉二男 | 1639-71 | 1675(74) | 稲葉道通女 松平康長女 |
1635壬生城 25,000石 1639忍城 50,000石 1647加増 60,000石 1663加増 80,000石 |
老中 | |||
阿部 正能 | 従四位下 播磨守 |
建徳院 超誉大安 養拙 |
正令 徳千代 市正 |
阿部政澄 (忠秋従兄)長男 |
1671-77 | 1685(59) | 牧野信成女 | 1671前封大多喜 (上総)のうち 10,000石加増 90,000石 |
老中 | |||
阿部 正武 | 従四位下 侍従 豊後守 |
徳巌院 性誉恵範 皓山 |
寅之助 善七郎 美作守 |
正能長男 | 1677-1704 | 1704(56) | 万 (井伊直澄養女) |
↓ 1677分知 80,000石 1686加増 90,000石 1694加増 100,000石 |
老中 | |||
阿部 正喬 | 従四位下 侍従 豊後守 |
俊徳院 桂誉鶴算 徹真 |
善七郎 出羽守 飛騨守 |
正武長男 | 1704-48 | 1750(79) | 栄 (井伊直興女) |
↓ | 老中 | |||
阿部 正允 | 従四位下 侍従 豊後守 |
宝国院 観誉得解 了脱 |
正尹 正因 帯刀 能登守 飛騨守 |
阿部正晴 (正武三男)長男 |
1748-80 | 1780(59) | 和佐 (井伊直定養女) |
↓ | 老中 | |||
阿部 正敏 | 従四位下 能登守 |
尚徳院 勲誉功海 輝山 |
満之進 織部 |
正喬六男 | 1780-87 | 1787(58) | 水野忠辰養女 | ↓ | 大坂城代 | |||
阿部 正識 | 従五位下 豊後守 |
浄観院 広誉慈門 慧岳 |
虎次郎 兵庫 美作守 鳳楼 |
正敏二男 | 1787-96 | 1803(40) | - | ↓ | ||||
阿部 正由 | 従四位下 侍従 播磨守 |
厚徳院 仁誉俊山 巍然 |
頼朴 久米之丞 |
徳川宗将十一男 | 1796-1808 | 1808(45) | 多喜 (正識養女 =正敏女) |
↓ | 京都所司代 | |||
阿部 正権 | 銕丸 | 正由二男 | 1808-23 | 1823(17) | - | ↓ 1823白河城(陸奥)転封 |
||||||
〔松平(奥平)家〕 |
||||||||||||
松平 忠堯 | 従四位下 侍従 下総守 |
大休院 仙翁道間 |
鶴松丸 上野介 民部大輔 (致仕後) 修理大夫 適翁 |
松平忠翼長男 | 1823-38 | 1864(63) | 韶子 (伏見宮貞敬親王女) |
1821桑名城(伊勢)襲封 100,000石 1823忍城 |
||||
松平 忠彦 | 従四位下 侍従 下総守 |
淳宗院 道岳功顕 |
釐三郎 式部大輔 |
忠翼三男 | 1838-41 | 1841(37) | 繍子 (池田斉訓養女) |
↓ | ||||
松平 忠国 | 従四位下 左少将 下総守 |
泰嶺院 忠峰道秀 |
清照 匡丸 匡一郎 駿河守 (致仕後) 織部正 |
忠翼五男 | 1841-63 | 1868(54) | 鑾子 (奥平昌猷女) |
↓ | ||||
松平 忠誠 | 従四位上 左少将 下総守 |
霊源院 潤渓了沢 |
八五郎 左膳 |
大久保忠声長男 | 1863-69 | 1869(30) | - | ↓ | ||||
松平 忠敬 | 忍藩知事 | 篤之助 | 上杉斉憲六男 | 1869-71 | 1919(64) | 貴子 (伏見宮邦家親王女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
伊奈 忠次 | 従五位下 備前守 |
勝林院 秀誉源長 久運 |
熊蔵 | 伊奈忠家長男 | 1590-1610 | 1610(61) | 1590新封 小室・鴻巣(武蔵) 10,000石 |
関東郡代 | |||
伊奈 忠政 | 従五位下 筑後守 |
安養院 万休一声 |
熊蔵 | 忠次長男 | 1610-18 | 1618(34) | ↓ | 関東郡代 | |||
伊奈 忠勝 | 熊蔵 | 廓然院 見性生蓮 |
忠政長男 | 1618-19 | 1619(9) | ↓ 1619無嗣、絶家 弟・忠隆が足立郡内(武蔵) 1,180石で復家 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
西尾 吉次 | 従五位下 隠岐守 |
浄徳院 天翁梵長 |
義次 小三郎 小左衛門 |
吉良一族 | 1590-1606 | 1606(77) | 1574織田家より 厚見郡内(美濃) 5,000石 1582徳川家臣 1590原市(武蔵) 5,000石 1602加増 12,000石 |
||||
西尾 忠永 | 従五位下 丹後守 |
忠康 主水 |
酒井重忠三男 | 1606-16 | 1620(37) | ↓ 1616白井(上野)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
安部 信盛 | 従五位下 摂津守 |
竜徳院 妙法性都 |
弥一郎 | 安部信勝長男 | 1649-62 | 1673(90) | 1600武蔵・下野二国内襲封 5,250石 1636加増 9,250石 1649加増 19,250石 |
大坂定番 | |||
安部 信之 | 従五位下 丹波守 |
智海院 性実元忠 |
弥一郎 | 信盛長男 | 1662-78 | 1683(80) | ↓ 1662分知 17,250石 1668加増 20,250石 |
大坂定番 | |||
安部 信友 | 従五位下 摂津守 |
乾徳院 徹応宗澄 |
弥一郎 | 信之長男 | 1678-1701 | 1701(64) | ↓ 1682加増 22,250石 |
大坂定番 | |||
安部 信峯 | 従五位下 丹波守 |
慈祥院 仁峰義寛 |
弥一郎 | 信友長男 | 1701-06 | 1706(48) | ↓ 1701分知 20,250石 1705岡部(武蔵)に陣屋を築く |
||||
安部 信賢 | 従五位下 摂津守 |
芳徳院 春嶺宗融 |
信明 信常 弥一郎 |
信峯二男 | 1706-23 | 1723(39) | ↓ | ||||
安部 信平 | 従五位下 摂津守 |
大僊院 竺巌良心 |
銕三郎 多宮 |
信賢長男 | 1723-50 | 1750(41) | ↓ | ||||
安部 信允 | 従五位下 摂津守 |
峻徳院 法雲義潤 |
安三郎 弥一郎 丹波守 |
安部信興 (信友孫)二男 |
1750-82 | 1798(71) | ↓ | 大坂定番 | |||
安部 信亨 | 従五位下 摂津守 |
来震院 灌渓道関 |
弥一郎 丹波守 采女正 |
信允長男 | 1782-1806 | 1822(65) | ↓ | 大坂定番 | |||
安部 信操 | 従五位下 摂津守 |
高徳院 義峯宗観 |
安三郎 | 信亨三男 | 1806-25 | 1825(36) | ↓ | ||||
安部 信任 | 従五位下 丹波守 |
祐泉院 彩雲蒼竜 |
安三郎 | 信操長男 | 1825-28 | 1828(20) | ↓ | ||||
安部 信古 | 従五位下 摂津守 |
義徳院 廓山魯道 |
虎之助 | 信操二男 | 1828-42 | 1842(28) | ↓ | ||||
安部 信宝 | 従五位下 摂津守 |
忠巌全孝 | 虎之助 河内守 |
信古長男 | 1842-63 | 1863(25) | ↓ | 二条定番 | |||
安部 信発 | 摂津守 | 錦吉 | 米倉昌寿九男 | 1863-68 | 1895(51) | ↓ 1868半原(三河)に 陣屋を移転 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
渡辺 吉綱 | 従五位下 丹後守 |
吉綱院 浄閑 |
大学 半丞 |
渡辺重綱五男 | 1661-68 | 1668(58) | 1624新封 比企郡内(武蔵) 3,000石 1625新田を併せ 3,520石 1661野本(武蔵) 13,520石 |
大坂定番 | |||
渡辺 方綱 | 従五位下 越中守 |
方綱院 道閑 |
正綱 半助 |
吉綱三男 | 1668-80 | 1680(41) | ↓ | ||||
渡辺 基綱 | 主殿 | 矩綱 半次郎 |
渡辺長綱 (重綱七男)長男 |
1680-98 | 1728(64) | ↓ 1698大庭寺(和泉)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
米津 政武 | 従五位下 出羽守 |
雲行院 雨施沢翁 |
政盛 大助 勘兵衛 伊勢守 |
米津田盛長男 | 1684-98 | 1708(71) | 1684武蔵等三国内襲封 15,000石 同年、分知 12,000石 同年、久喜(武蔵) |
寺社奉行 | |||
米津 政矩 | 小大夫 | 春光院 高岳源水 |
盛氏 | 政武長男 | 1698-1703 | 1703(29) | ↓ 1698分知 11,000石 |
||||
米津 政容 | 従五位下 出羽守 |
蟠竜院 感月澄潭 |
頼母 監物 |
政武二男 | 1703-39 | 1739(58) | ↓ | 大坂定番 | |||
米津 政崇 | 従五位下 越中守 |
真性院 遠室紹久 |
政丘 政基 勘兵衛 相模守 伯耆守 |
政容三男 | 1739-67 | 1784(61) | ↓ | 大坂定番 | |||
米津 通政 | 従五位下 播磨守 |
勘兵衛 出羽守 |
政崇長男 | 1767-98 | 1819(70) | ↓ 1798長瀞(出羽)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
内藤 正勝 | 従五位下 上野介 |
涼心院 円誉照応 |
平八郎 | 内藤政季長男 内藤政次養子 |
1693-94 | 1694(52) | 1670常陸等四国内襲封 5,000石 1682加増 6,000石 1693赤沼(武蔵) 16,000石 |
大坂定番 | |||
内藤 正友 | 従五位下 式部少輔 |
仁左衛門 式部 |
正勝長男 政次外孫 |
1694-1703 | 1711(49) | ↓ 1703岩村田(信濃)転封 |
(2017.03.25up)
史料好きの倉庫へ戻る