茨城県は古く、高・久目・仲・茨城・新治・筑波の各国造が支配し、大化の改新で常陸国となりました。『延喜式』では11郡。下総国豊田郡に興った平将門は、931年から同族と争闘しながら常陸へ勢力を拡大し、939年に常陸国府を占領して独立政権を樹立しましたが、翌年討滅されました。平安朝期の常陸の荘園は信太荘(八条院領)などが存在しましたが、後期には南部に常陸平氏、北部に佐竹家が勢力を張りました。鎌倉期には小田(八田・宍戸)家が守護に任じられて常陸は三勢力に分割され、下総北部では結城家が有力でした。南北朝期に小田家は北畠親房と結んで南朝方となり(のち幕府方に転じる)、佐竹家は室町幕府から常陸守護に任じられました。室町期には佐竹家とその庶流山入家(小田家・大掾家などが肩入れ)とが守護の座をめぐり争い、一方下総の結城家は鎌倉公方足利持氏に与党して討たれ、中絶しました。戦国期には佐竹・江戸連合、大掾・真壁・島崎一族、結城・山川・多賀谷・水谷諸家連合などの諸勢力が離合集散、内部抗争を繰り返して情勢は複雑化しましたが、佐竹義宣が常陸の大部分を勢力下に収め、結城晴朝と同盟して北上する北条家に対峙しました。豊臣秀吉が関東を平定すると、結城家・佐竹家など諸大名の所領を安堵しましたが、関ヶ原の戦後、結城秀康が徳川一門として越前へ栄転した一方で、佐竹義宣は出羽秋田へ左遷され、常陸には水戸徳川家をはじめ家門・譜代の大名が入封しました。江戸中期以降は、常陸に水戸藩(徳川家)・土浦藩(土屋家)・笠間藩(井上家→牧野家)など12藩、下総北部に古河藩(本多家→松井家→土井家)・結城藩(水野家)が配置されていました。1871年の廃藩置県により茨城県と新治県とが成立、1875年に新治県の旧常陸六郡と、千葉県の下総・猿島・北相馬地方とを茨城県に編入し、県域が確定しました。
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
佐竹 昌義 | 下野守 佐竹冠者 |
蓮舜 籌岩 |
太郎 | 源義業長男 | 平快幹女 藤原清衡女 |
久慈郡佐竹郷 (常陸) |
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佐竹 隆義 | 五位 常陸介 |
蓮真 穹月 |
詮義 四郎 |
昌義四男 | ?-1183 | 1183(66) | 戸村能通女 | ↓ 太田に築城 |
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佐竹 秀義 | 従五位下 常陸介 |
秀山蓮実 | 太郎 別当 |
隆義長男 | 1183-? | 1225(75) | 宇都宮朝綱女 佐竹義宗女 |
↓ | ||||
佐竹 義重 | 従五位下 常陸介 |
勝山蓮義 | 義繁 次郎 別当 右兵衛尉 左兵衛尉 |
秀義長男 | 1252(67) | 河井忠遠女 太田為高女 足利義氏女 |
↓ | |||||
佐竹 長義 | 常陸介 | 大山道義 | 次郎 | 義重長男 | 1272(66) | 宍戸家周女 二階堂行義女 |
↓ | |||||
佐竹 義胤 | 従五位上 常陸介 |
道山覚義 | 孫次郎 | 長義長男 | 1278(52) | 岩箇崎某の女 | ↓ | |||||
佐竹 行義 | 左衛門尉 (常陸介) |
正法院 正山行義 |
彦次郎 | 義胤長男 | ?-1305 | 1305(43) | 二階堂頼綱女 | ↓ | ||||
佐竹 貞義 | 上総介 | 興禅寺 昆山道源 |
次郎 駿河守 遠江守 常陸介 |
行義長男 | 1305-52 | 1352(66) | 海上胤泰女 二階堂某の女 |
↓ | 1335-52 常陸守護 |
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佐竹 義篤 | 右馬権頭 | 清音寺 春山浄喜 |
義厚 次郎 左兵衛尉 常陸介 刑部大輔 駿河守 遠江守 |
貞義二男 | 1352-62 | 1362(52) | 小田知貞女 | ↓ | 1352-62 常陸守護 |
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佐竹 義宣 | 伊予守 | 守源寺 海浦聖義 |
義香 義信 左馬頭 左近将監 |
義篤二男 | 1362-89 | 1389 | 河越某の女 | ↓ | 1362-89 常陸守護 |
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佐竹 義盛 | 右馬頭 | 多福寺 大淳常盛 |
左馬助 右馬助 左馬頭 |
義宣長男 | 1389-1407 | 1407(43) | 江戸某の女 | ↓ | 1389-1407 常陸守護 |
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佐竹 義人 | 右京大夫 | 耕山寺 竹道本晃 |
義憲 義仁 竜保丸 七郎 右馬助 左馬助 左衛門佐 |
上杉憲定二男 | 1408-38 | 1467(68) | 甚乃(義盛女) | ↓ | 1408-38 常陸守護 |
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佐竹 義俊 | 右京大夫 | 実相院 曜岳建晃 |
義従 五郎 伊予守 |
義人長男 (義盛孫) |
1438-77 | 1477(58) | 小山大膳大夫女 | ↓ 1452太田退去 1467復帰 |
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佐竹 義治 | 右馬頭 | 竜雲院 一峯道錦 |
左衛門佐 右京大夫 |
義俊長男 | 1477-90 | 1490(48) | 大山義長女 | ↓ | ||||
佐竹 義舜 | 四位 少将 右京大夫 |
晴峰寺 還慶道補 |
義治二男 | 1490-1517 | 1517(48) | 岩城常隆女 | ↓ 1490太田退去 1504復帰 |
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佐竹 義篤 | 従四位下 大膳大夫 |
大臨寺 月光渓心 |
徳寿丸 右馬権頭 |
義舜二男 | 1517-45 | 1545(39) | 小田成治女 | ↓ | ||||
佐竹 義昭 | 右京大夫 | 浄安寺 常安源真 |
義従 徳寿丸 次郎 |
義篤長男 | 1545-65 | 1565(35) | 岩城重隆女 | ↓ | ||||
佐竹 義重 | 従五位下 常陸介 |
知足院 通庵闐信 |
徳寿丸 次郎 |
義昭長男 | 1565-86 | 1612(66) | 伊達晴宗女 | ↓ | ||||
佐竹 義宣 | 従四位上 左中将 右京大夫 |
浄光院 傑堂天英 |
徳寿丸 次郎 |
義重長男 | 1586-1633 | 1633(64) | 那須資胤女 多賀谷重経女 |
↓ 1590本領安堵 1591水戸城(常陸)に転居 545,800石 1602久保田城(出羽)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
山入 師義 | 刑部大輔 | 信中 | 七郎 掃部助 |
佐竹貞義七男 | ?-1359後 | 国安(常陸)近傍 | |||||
山入 与義 | 上総介 | 常元 | 師義男 | 1359後-1422 | 1422 | ↓ | |||||
山入 祐義 | 刑部大輔 | 与義男 | 1422-41後 | ↓ | 1423-35後 常陸守護 |
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山入 義知 | 上総介 | 祐義男 | 1441後-78後 | ↓ | |||||||
山入 義藤 | 刑部大輔 | 大雲聖興 | 山入義真 (祐義男)の男 |
1478後-92 | 1492 | ↓ | |||||
山入 氏義 | 左京大夫 | 義藤男 | 1492-1504 | 1504 | ↓ 1504滅亡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
平 維幹 | 常陸大掾 | 水守大夫 | 平繁盛男 | 10C後半 | 筑波郡水守館(常陸) | ||||||
平 為幹 | 常陸大掾 | 維幹男 | ↓ | ||||||||
平 繁幹 | 上総介 | 重幹 | 為幹男 | ↓ | |||||||
多気 致幹 | 多気権守 | 薩摩守 | 繁幹長男 | ↓ | |||||||
多気 直幹 | 太郎 | 致幹長男 | ↓ | ||||||||
多気 義幹 | 太郎 | 直幹長男 | ?-1193 | ↓ 1193配流 |
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馬場 資幹 | 常陸大掾 | 小二郎 | 石川家幹 (繁幹曽孫)の男 |
1193-? | 1193嫡流家に替わり 大掾職を継承 常陸府中に居住 |
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馬場 朝幹 | 常陸大掾 | 横倉太郎 | 資幹男 | ↓ | |||||||
大掾 教幹 | 常陸大掾 | 朝幹男 | 1289(68) | ↓ | |||||||
大掾 光幹 | 常陸大掾 | 教幹男 | ↓ | ||||||||
大掾 時幹 | 常陸大掾 | 月巌常喜 | 光幹男 | ↓ | |||||||
大掾 盛幹 | 常陸大掾 | 浄寿 | 時幹男 | ↓ | |||||||
大掾 高幹 | 常陸大掾 | 浄永 | 盛幹男 | ↓ | |||||||
大掾 詮国 | 常陸大掾 | 花峯布香 | 文幹 | 高幹男 | 1386 | ↓ | |||||
大掾 満幹 | 常陸大掾 | 詮国男 | 1429 | ↓ | |||||||
大掾 頼幹 | 常陸大掾 | 明翁法常 | 大掾秀幹 (詮国男)の男 |
↓ | |||||||
大掾 持幹 | 常陸大掾 | 頼幹男 | ↓ | ||||||||
大掾 清幹 | 常陸大掾 | 一叟慶常 | 持幹男 | ↓ | |||||||
大掾 高幹 | 常陸大掾 | 亀山永鶴 | 忠幹 | 清幹男 | ↓ | ||||||
大掾 常幹 | 常陸大掾 | 涼峯浄清 | 高幹男 | ↓ | |||||||
大掾 慶幹 | 常陸大掾 | 先考院 慶山 |
常幹男 | ?-1551 | 1551 | ↓ | |||||
大掾 貞国 | 常陸大掾 | 久昌院 喜叟浄慶 |
三郎 | 慶幹男 | 1551-77 | 1577 | ↓ | ||||
大掾 清幹 | 常陸大掾 | 宗真 | 松久丸 | 貞国男 | 1577-90 | 1590(18) | ↓ 1590自殺、滅亡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
島崎 高幹 | 島崎二郎左衛門尉 | 長幹 | 行方景幹 (平繁幹曽孫) 二男 |
1221 | 行方郡島崎村(常陸) | ||||||
島崎 政幹 | 小太郎左衛門尉 | 高幹男 | 1246 | ↓ | |||||||
島崎 長幹 | 次郎左衛門尉 | 政幹男 | 1264 | ↓ | |||||||
島崎 忠宗 | 平四郎左衛門尉 | 長幹男 | 1291 | ↓ | |||||||
島崎 時幹 | 伊勢守 | 忠宗男 | 1306 | ↓ | |||||||
島崎 頼幹 | 太郎左衛門尉 | 時幹男 | 1332 | ↓ | |||||||
島崎 高直 | 太郎左衛門尉 | 頼幹男 | 1362 | ↓ | |||||||
島崎 氏幹 | 小次郎左衛門尉 | 高直男 | 1384 | ↓ | |||||||
島崎 満幹 | 太郎左衛門尉 | 氏幹男 | 1404 | ↓ | |||||||
島崎 重幹 | 大炊介 | 満幹男 | 1440 | ↓ | |||||||
島崎 成幹 | 駿河守 | 重幹男 | 1450 | ↓ | |||||||
島崎 国幹 | 駿河守 | 成幹男 | 1478 | ↓ | |||||||
島崎 長国 | 播磨守 | 国幹男 | 1515 | ↓ | |||||||
島崎 忠幹 | 二郎左衛門尉 | 日精 | 安国 兵庫頭 |
長国男 | 1524 | ↓ | |||||
島崎 安幹 | 太郎左衛門尉 | 利幹 | 忠幹男 | 1557 | ↓ | ||||||
島崎 氏幹 | 太郎左衛門尉 | 安利 | 安幹男 | 1585 | ↓ | ||||||
島崎 儀幹 | 太郎左衛門尉 | 桂林果白 | 安重 治定 安定 |
氏幹男 | ?-1591 | 1591 | ↓ 1591殺害、滅亡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
真壁 長幹 | 真壁六郎 | 多気直幹六男 | 1223(65) | 真壁郡真壁郷(常陸) | |||||||
真壁 友幹 | 右京亮 | 長幹男 | 1236(59) | ↓ | |||||||
真壁 時幹 | 右京亮 | 友幹男 | 1269(57) | ↓ | |||||||
真壁 盛幹 | 刑部大輔 | 盛時 | 時幹男 | 1299(66) | ↓ | ||||||
真壁 行幹 | 安芸守 | 盛幹男 | 1283(32) | ↓ | |||||||
真壁 幹重 | 右衛門 | 法超 | 行幹男 | 1329(49) | ↓ | ||||||
真壁 高幹 | 河内守 | 幹重男 | 1354(56) | ↓ | |||||||
真壁 政幹 | 河内守 | 高幹男 | 1353(37) | ↓ | |||||||
真壁 広幹 | 庫内 | 政幹男 | 1377(46) | ↓ | |||||||
真壁 顕幹 | 刑部大夫 | 孫次郎 | 広幹男 | 1415(60) | ↓ | ||||||
真壁 秀幹 | 小二郎 | 顕幹男 | 1424(45) | ↓ | |||||||
真壁 慶幹 | 二郎 | 秀幹男 | 1435(24) | ↓ | |||||||
真壁 朝幹 | 安芸守 | 民部丞 | 慶幹男 | 1480(77) | ↓ 真壁に築城 |
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真壁 尚幹 | 掃部介 | 朝幹男 | 1507(72) | ↓ | |||||||
真壁 治幹 | 安芸守 | 梁山道棟 | 小次郎 右衛門佐 |
尚幹男 | 1539(74) | ↓ | |||||
真壁 宗幹 | 安芸守 | 樗蒲軒 傑山道俊 |
小次郎 右衛門佐 |
治幹男 | 1565(70) | ↓ | |||||
真壁 久幹 | 安芸守 | 闇礫軒 性山道無 |
小次郎 右衛門佐 |
宗幹男 | 1589(62) | ↓ | |||||
真壁 氏幹 | 安芸守 | 暗夜軒 翁山道永 |
小次郎 右衛門大夫 |
久幹男 | ?-1596 | 1622(73) | ↓ | 1592後 佐竹家被官 |
|||
真壁 房幹 | 右衛門佐 | 善九郎 | 真壁義幹 (久幹二男)の男 |
1596-1612 | 1612(44) | ↓ 1602角館近傍(出羽)転封 |
佐竹家臣 | ||||
真壁重幹(氏幹の男)以後、秋田佐竹家引渡(重臣)として、江戸中期より1,000石前後を知行。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
八田 知家 | 従五位下 筑後守 |
摂衆院 本道尊念知仏 |
四郎 右衛門尉 |
宇都宮宗綱男 | 1218(76) | 葛西清重女 | 新治郡八田 (常陸) |
1189前-1203後 常陸守護 |
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八田 知重 | 従五位下 紀伊守 |
大光院 蓮定道義 |
朝重 太郎 左衛門尉 常陸介 |
知家長男 | 1228(65) | 中条時泰女 | ↓ | 1228前後 常陸守護 |
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八田 泰朝 | 従五位下 常陸介 |
無量寿院 安養清岸 |
泰知 七郎 奥太郎 左衛門尉 |
知重七男 | 1245(24) | 庄司昭宣女 | ↓ | |||||
小田 時知 | 従五位下 常陸介 |
清冷院 寂性玄朝 |
金剛丸 四郎 左衛門尉 |
泰朝長男 | 1293(56) | 関政泰女 | 筑波郡小田 (常陸) |
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小田 宗知 | 従五位下 常陸介 |
松樹院 観慶尊覚 |
太郎 左衛門尉 筑後守 |
時知長男 | 1306(48) | 上曽盛治女 | ↓ | 1301前後 常陸守護 |
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小田 貞宗 | 従五位下 常陸介 |
福寿院 覚雄妙朝 |
公朝 貞朝 貞知 太郎 左衛門尉 |
宗知二男 | 1349(67) | 谷田部広重女 | ↓ | |||||
小田 治久 | 正三位 左中将 宮内権少輔 |
妙光院 覚翁素准 |
高知 太郎 |
貞宗長男 | ?-1352 | 1352(52) | ↓ | |||||
小田 孝朝 | 従四位上 近江守 |
宝昌寺 覚山恵尊 |
東太郎 民部少輔 讃岐守 |
治久長男 | 1352-1414? | 1414(78) | 佐竹義篤女 | ↓ | ||||
小田 治朝 | 従四位下 右少将 常陸介 |
海蔵寺 義山尊玄 |
太郎 讃岐守 |
孝朝長男 | (未詳) | 1403(41) | 山入師義女 | ↓ | ||||
小田 持家 | 従五位下 左少将 讃岐守 |
金栗院 永昌桂琳 |
金寿丸 治部少輔 宮内少輔 伊賀守 |
治朝長男 | 1414?-87 | 1487(86) | ↓ | |||||
小田 朝久 | 従四位下 讃岐守 |
永興院 開運道昌 |
知久 太郎 中務少輔 大和守 |
持家長男 | (早世) | 1455(39) | 上曽義治女 | |||||
小田 成治 | 従四位上 左中将 安房守 |
松岳寺 永翁道傑 |
亀房丸 孫太郎 左衛門督 |
朝久長男 | 1487-? | 1514(66) | 菅谷貞次女 | ↓ | ||||
小田 治孝 | 従五位上 讃岐守 |
徳林庵 日東道舜 |
太郎 | 成治長男 | ?-1496 | 1496(25) | ↓ | |||||
小田 政治 | 従四位上 左中将 左京大夫 |
巣月院 州山長伊 |
亀若丸 | 足利政知男 | 1496-1548 | 1548(56) | ↓ | |||||
小田 氏治 | 従四位上 讃岐守 |
小田院 南江道薫天庵 |
小太郎 | 政治二男 | 1548-90 | 1601(71) | 江戸忠通女 | ↓ 1569土浦城・ 木田余城(常陸) 1590失領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
結城 朝光 | 従五位下 上野介 |
称名寺 日阿弥陀仏 |
宗朝 七郎 左衛門尉 |
小山政光三男 | 1254(87) | 伊賀朝光女 | 結城郡(下総) | |||||
結城 朝広 | 正五位下 大蔵権少輔 |
妙蔵院 信阿弥陀仏 |
七郎 左衛門尉 |
朝光二男 | 安保実光女 | ↓ | ||||||
結城 広綱 | 従五位下 上野大夫判官 |
新福寺 教阿弥 鉄山大牛 |
三郎 兵衛尉 |
朝広二男 | 1278(52) | 二階堂行忠女 | ↓ | |||||
結城 時広 | 従五位下 七郎左衛門尉 |
法蔵寺 証阿弥 華厳良祐 |
広綱三男 | ?-1290 | 1290(24) | 小山時村女 | ↓ | |||||
結城 貞広 | 従五位下 七郎左衛門尉 |
正仲寺 眼叟英清 |
犬次郎丸 | 時広長男 | 1290-1309 | 1309(21) | ↓ | |||||
結城 朝祐 | 従五位下 中務大輔 |
松源寺 月堂寂円 |
朝高 七郎左衛門尉 |
貞広長男 | 1309-36 | 1336(29) | ↓ | |||||
結城 直朝 | 七郎左衛門尉 | 大竜庵 固翁了堅 |
犬鶴丸 | 朝祐長男 | 1336-43 | 1343(19) | ↓ | |||||
結城 直光 | 従五位下 中務大輔 |
華蔵寺 天海聖朝 |
小塙八郎太郎 八郎左衛門尉 |
朝祐二男 | 1343-95 | 1395(67) | ↓ | 1369-85? 安房守護 |
||||
結城 基光 | 従五位下 弾正少弼 |
広智寺 高岳禅貴 |
七郎 | 直光長男 | 1395-1430 | 1430(82) | 小山氏政女 | ↓ | 1387?-1428? 下野守護 |
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結城 満広 | 従五位下 中務大輔 |
瑞光院 雲叟聖竜 |
七郎左衛門尉 | 基光長男 | (早世) | 1416(37) | ||||||
結城 氏朝 | 従五位下 中務大輔 |
円通院 藤山妙永 |
七郎 | 小山泰朝 (基光二男)の男 |
1430-41 | 1441(40) | ↓ | |||||
結城 持朝 | 従五位下 七郎 |
福厳寺 天英聖雄 |
光久 | 氏朝長男 | 1441 | 1441(21) | 好田有輔女 | ↓ 1441絶家 |
||||
結城 成朝 | 従五位下 中務大輔 |
岩舟院 天江永城 |
四郎 七郎 |
氏朝四男 | 1450-62 | 1462(24) | 1450再興 結城城(下総) |
|||||
結城 氏広 | 左衛門督 | 乗国寺 日峯宗光 |
五郎 七郎 |
結城長朝 (氏朝三男)の男 |
1462-81 | 1481(31) | 小田持家女 | ↓ | ||||
結城 政朝 | 左衛門督 | 永正寺 宗明孝顕 |
七郎 | 氏広長男 | 1481-1527 | 1547(69) | 宇都宮成綱女 | ↓ | ||||
結城 政勝 | 左衛門督 | 安穏寺 大雲藤長 |
三郎 | 政朝男 | 1527?-59 | 1559(56) | 水谷勝吉女 | ↓ | ||||
結城 晴朝 | 左衛門督 | 泰陽院 宗静孝善 |
七郎 | 小山高朝 (政朝男)二男 |
1559-90 | 1614(81) | 水谷正村女 | ↓ 1590本領安堵 101,000石 |
||||
結城 秀康 | 正三位 権中納言 三河守 |
於義丸 | 徳川家康二男 | 1590-1607 | 1607(34) | 鶴(晴朝養女) | ↓ 1600北庄城 (越前一国)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
多賀谷 家政 | 左衛門尉 | 金子家忠二男 多賀谷重光 (野与党)養子 |
13C前半 | 騎西荘多賀谷郷(武蔵) | |||||||
多賀谷 重茂 | 弥五郎 | 家政男 | ↓ | (鎌倉期の実際の 継承は不明瞭) |
|||||||
多賀谷 景茂 | 五郎 | 重茂男 | ↓ | ||||||||
多賀谷 家経 | 彦太郎 | 景茂男 | ↓ | ||||||||
多賀谷 政忠 | 正五郎 | 家経男 | ↓ | ||||||||
多賀谷 家茂 | 彦太郎 | 政忠男 | ↓ | ||||||||
多賀谷 政朝 | 弥五郎 | 家茂男 | 1417(59) | ↓ | |||||||
多賀谷 満義 | 原三郎 | 結城満広男 | ↓ | ||||||||
多賀谷 氏家 | 彦四郎 | 天翁祥賀 | 彦次郎? | 満義男 | 1465(50) | ↓ 下妻城(常陸) |
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多賀谷 朝経 | 下総守 | 傑叟祥英 | 高経 | 満義男 | 1484 | ↓ | |||||
多賀谷 基泰 | 下総守 | 多宝院 竜山祥泉 |
家植 左近大夫 |
朝経男 | 1527(68) | ↓ | |||||
多賀谷 光経 | 下総守 | 雲霄院 道庵祥徽 |
家重 | 基泰男 | 1554(69) | ↓ | |||||
多賀谷 重政 | 修理大夫 | 普光院 天英祥春 |
朝経 | 光経男 | 1566 | ↓ | |||||
多賀谷 政経 | 下総守 | 大広院 綿室祥聯 |
重政男 | 1576 | ↓ | ||||||
多賀谷 重経 | 彦太郎 | 安養院 覚心祥円 |
大二郎 修理大夫 |
政経男 | 1576-1600 | 1619(61) | ↓ 1590本領安堵 60,000石 1600改易 |
||||
多賀谷宣家(重経養子)以後、秋田佐竹家引渡(重臣)として、江戸中期より檜山(出羽)3,300石余を知行。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
山川 重光 | 従五位下 五郎左衛門尉 |
覚日 | 上野大夫判官 | 結城朝光三男 | 1295(84) | 結城郡山川荘 (下総) |
|||||
山川 重義 | 従五位下 下総守 |
三郎左衛門尉 | 重光男 | ↓ | |||||||
山川 貞義 | 三郎左衛門尉 | 暁尊 | 三郎左衛門尉 | 寒河時光男 | ↓ | ||||||
山川 光義 | 五郎 | 道教 | 重義男 | ↓ | |||||||
山川 景重 | 三郎判官 | 道勝 | 光義男 | ↓ | |||||||
山川 朝景 | 下総守 | 妙景 | 駒鶴丸 | 景重男 | ↓ | ||||||
山川 政景 | 下総三郎 | 朝景男 | ↓ | ||||||||
山川 基貞 | 下総三郎 | 道護 | 政景男 | ↓ | |||||||
山川 基義 | 下総三郎 | 天桂聖藤 | 氏義 彦王丸 |
小山泰朝男 | ↓ | ||||||
山川 景貞 | 讃岐守 | 心田院 長安真道 |
三郎 | 基義男 | 1499(58) | ↓ | |||||
山川 基景 | 兵部少輔 | 海翁 | 景貞男 | ↓ | |||||||
山川 朝貞 | 兵部少輔 | 宗繁興雲 | 基景男 | 1522 | ↓ | ||||||
山川 政貞 | 讃岐守 | 雲海永徳 | 朝貞男 | 1554(66) | ↓ | ||||||
山川 直貞 | 讃岐守 | 心叟芳伝 | 政貞男 | ?-1560 | 1560(48) | ↓ | |||||
山川 氏重 | 中務大輔 | 興山藤繁 | 直貞男 | 1560-67 | 1567(29) | ↓ 1565綾戸城(下総) |
|||||
山川 晴重 | 讃岐守 | 茂林秀繁 | 三郎 松外 |
氏重男 | 1567-93 | 1593(28) | ↓ 1590結城家中にて 本領安堵 20,000石? |
結城家臣 | |||
山川 朝貞 | 讃岐守 | 栄賢 | 朝定 菊松丸 民部少輔 |
晴重男 | 1593-1624 | 1624(30) | ↓ 1601結城家に伴い 花谷(越前)転封 17,000石 |
結城(秀康)家臣 子孫は微禄ながら 福井藩の高家と して代々存続 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
水谷 氏盛 | 左近将監 | 氏俊? | 藤原姓近藤一族 | 14C前半 | 結城郡内(下総) | ||||||
水谷 氏信 | 氏盛男 | ↓ | |||||||||
水谷 時氏 | 伊勢守 | 氏信男 | ↓ | ||||||||
水谷 勝氏 | 伊勢守 | 了円 | 時氏男 | 1487下館城(常陸) | |||||||
水谷 勝国 | 兵部大輔 | 道通 | 勝氏男 | ↓ | |||||||
水谷 勝之 | 伊勢守 | 玉叟 | 勝国男 | ↓ | |||||||
水谷 勝吉 | 兵部大輔 | 乗全岩仲 | 勝之男 | ↓ | |||||||
水谷 治持 | 伊勢守 | 続翁全芳 | 勝吉男 | ↓ | |||||||
水谷 正村 | 兵部大輔 | 月照院 玉叟全珍 |
勝村 治村 蟠竜斎 |
治持長男 | ?-1543 | 1596(76) | ↓ | ||||
水谷 勝俊 | 従五位下 右京大夫 |
後定林寺 靠山全虎 |
治持二男 | 1543-1606 | 1606(65) | ↓ 1590本領安堵 31,000石 |
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水谷 勝隆 | 従五位下 伊勢守 |
勝俊長男 | 1606-64 | 1664(68) | ↓ 1630高直し 47,000石 1639成羽(備中)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
那珂 通泰 | 那珂通辰男? | 1350-? | 那珂郡江戸郷(常陸) | ||||||||
江戸 通高 | 新兵衛尉 | 通総 | 通泰男 | ?-1388 | 1388 | ↓ | |||||
江戸 通景 | 弥太郎 | 実山 | 通実 | 通高男 | 1388-1411 | 1411 | ↓ 1411河和田城(常陸) |
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江戸 通房 | 但馬守 | 道勝 | 新太郎 彦五郎 |
通景男 | 1411-? | 1465 | ↓ 1427水戸城(常陸) |
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江戸 通秀 | 修理亮 | 洞勝 | 通房男 | (早世?) | ↓ | ||||||
江戸 通長 | 但馬守 | 阜山道鶴 | 通秀男 (通房男?) |
?-1494 | 1494 | ↓ | |||||
江戸 通雅 | 但馬守 | 通義道徹 | 通俊 藤五郎 |
通長男 (通秀男?) |
1494-1510 | 1510(49) | ↓ | ||||
江戸 通泰 | 但馬守 | 梁山道棟 | 彦五郎 | 通雅男 | 1510-35 | 1535(50) | ↓ | ||||
江戸 忠通 | 但馬守 | 東照院 月山道含 |
弥太郎 彦五郎 |
通泰男 | 1535-64 | 1564(57) | ↓ | ||||
江戸 通政 | 但馬守 | 慶山道賀 | 忠房 愛千代 藤五郎 |
忠通男 | 1564-67 | 1567(30) | ↓ | (病弱のため 番代との説も) |
|||
江戸 重通 | 従五位下 但馬守 |
心巌唱安 | 宮房丸 彦五郎 |
通政男 | 1567-90 | 1598(43) | ↓ 1590失領 |
息子・宣通が 結城(秀康)家臣 子孫は微禄ながら 福井藩の高家と して代々存続 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
足利 成氏 | 従四位下 左馬頭 |
乾亨院 久山道昌 |
永寿王丸 | 足利持氏四男 | 1447-97 | 1497(64?) | 1448鎌倉公方(相模) 1455古河城(下総) |
関東公方 | ||||
足利 政氏 | 従四位下 左馬頭 |
甘棠院 吉山道長 |
亀王丸 | 成氏長男 | 1497-1516 | 1531 | ↓ | 古河公方 | ||||
足利 高基 | 従四位下 左兵衛佐 |
千光院 高山貴公 |
高氏 亀王丸 |
政氏長男 | 1516-35 | 1535 | 宇都宮成綱女 | ↓ | 古河公方 | |||
足利 晴氏 | 従四位下 左兵衛督 |
永仙院 系山道統 |
亀若丸 | 高基長男 | 1535-52 | 1560(53) | 北条氏綱女 | ↓ | 古河公方 | |||
足利 義氏 | 従四位下 右兵衛佐 |
香雲院 長山周善 |
梅千代王丸 左馬頭 |
晴氏二男 | 1552-82 | 1582(42) | 北条氏康女 | ↓ | 古河公方 | |||
足利 氏女 | 徳源院 慈峯晃公 |
鴻巣御所 | 義氏長女 | 1582-91 | 1620(46) | 喜連川国朝 喜連川頼氏 |
↓ 1590鴻巣館(武蔵) 1591家督を 喜連川家に譲る 1620没 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
蘆名 盛重 | 主計頭 | 大暹院 性翁天公 |
義広 義勝 |
佐竹義重二男 蘆名亀王丸養子 |
1590-1600 | 1631(57) | 1586会津城(陸奥)継承 1589失領 1590江戸崎(常陸) 45,000石 1600所領没収 秋田佐竹家臣 1602角館(出羽) 15,000石 |
||||
蘆名盛俊(盛重男)が角館領を継承したが、その男・千鶴丸が1653没して無嗣絶家。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔小笠原家〕 |
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小笠原 秀政 | 従五位下 兵部大輔 |
貞政 幸松丸 信濃守 上野介 |
小笠原貞慶長男 | 1590-1601 | 1615(47) | 福 (岡崎信康女) |
1589松本城(信濃)襲封 1590古河城(下総) 30,000石 1601飯田城(信濃)転封 |
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〔松平(戸田)家〕 |
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松平 康長 | 丹波守 | 虎千代 孫六郎 |
戸田忠重長男 | 1602-12 | 1632(71) | 松 (久松俊勝女= 徳川家康養妹) |
1601白井城(上野) 20,000石 1602古河城 1612笠間城(常陸)転封 |
|||||
〔小笠原(松尾系)家〕 |
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小笠原 信之 | 従五位下 左衛門佐 |
龐巌了温 | 小平次郎 | 酒井忠次三男 小笠原信嶺養子 |
1612-14 | 1614(45) | 小笠原信嶺女 | 1598本庄城(武蔵)襲封 10,000石 1612古河城 20,000石 |
||||
小笠原 政信 | 若狭 | 忠貴 伊勢次郎 |
信之長男 (信嶺孫) |
1614-19 | 1640(34) | 板倉重昌女 | ↓ 1619関宿城(下総)転封 |
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〔奥平家〕 |
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奥平 忠昌 | 従五位下 美作守 |
千福 九八郎 |
奥平家昌長男 | 1619-22 | 1668(61) | 鳥居忠政女 | 1614宇都宮城 (下野)襲封 100,000石 1619古河城 110,000石 1622宇都宮城転封 |
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〔永井家〕 |
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永井 直勝 | 従五位下 右近大夫 |
大雄院 永井月丹 |
伝八郎 | 長田重元長男 | 1622-25 | 1625(63) | 阿部正勝女 | 1616新封 小幡(上野) 10,000石 1617笠間城(常陸) 32,000石 1619加増 52,000石 1622古河城 72,000石 |
||||
永井 尚政 | 従五位下 信濃守 |
伝八郎 | 直勝長男 | 1626-33 | 1668(82) | 内藤清成女 | 1619新封 潤井戸(上総) 15,000石 1623加増 24,100石 1626父の遺領継承 古河城 89,100石 1633淀城(山城)転封 |
老中 | ||||
〔土井家(前期)〕 |
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土井 利勝 | 従四位下 侍従 大炊頭 |
宝地院 穏誉泰翁 覚玄 |
松千代 甚三郎 大炊助 |
土井利昌長男 | 1633-44 | 1644(72) | 松平近清女 | 1602新封 小見川(下総) 10,000石 1610佐倉城 32,400石 1612-25累増 142,000石 1633古河城 160,000石 |
大老 | |||
土井 利隆 | 従五位下 遠江守 |
覚照院 憲誉直到 浄感 |
松丸 (致仕後) 遠斎 |
利勝長男 | 1644-58 | 1685(67) | 亀 (松平信綱女) |
↓ 1644分知 135,000石 |
六人衆 =若年寄 |
|||
土井 利重 | 従五位下 大炊頭 |
浄運院 願誉清岸 彶心 |
甚三郎 | 利隆長男 | 1658-73 | 1673(27) | 千 (鍋島光茂女) |
↓ 1658分知 100,000石 |
||||
土井 利久 | 帯刀 | 瑞本院 光岳日登 |
竹右衛門 | 利隆三男 | 1673-75 | 1675(10) | − | ↓ 1675無嗣 |
||||
土井 利益 | 従五位下 周防守 |
小左衛門 | 利隆二男 | 1675-81 | 1713(64) | 太田資宗女 | 1658分家 常陸・下総二国内 10,000石 1675利久継嗣 古河城 70,000石 1681鳥羽城(志摩)転封 |
|||||
〔堀田家〕 |
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堀田 正俊 | 従四位下 左少将 筑前守 |
不矜院 又新叢翁 |
久太郎 備中守 |
堀田正盛三男 斎藤福 (=春日局)養子 |
1681-84 | 1684(51) | 稲葉正則女 | 1667安中城(上野) 1679までに累増 40,000石 1681古河城 90,000石 1682加増 130,000石 |
大老 | |||
堀田 正仲 | 従四位下 下総守 |
左京 | 正俊長男 | 1684-85 | 1694(33) | 松 (池田綱政女) |
↓ 1684分知 100,000石 1685山形城(出羽)転封 |
|||||
〔松平(藤井)家〕 |
||||||||||||
松平 信之 | 従四位下 日向守 |
万昌院 窓誉江月 円栄 |
次郎四郎 | 松平忠国二男 | 1685-86 | 1686(56) | 小出吉英女 | 1679郡山城(大和)襲封 80,000石 1685古河城 90,000石 |
老中 | |||
松平 忠之 | 従五位下 日向守 |
道高 | 彦四郎 | 信之長男 | 1686-93 | 1695(22) | 酒井忠義女 | ↓ 1686分知 80,000石 1693精神疾患に より改易 |
||||
〔松平(大河内)家〕 |
||||||||||||
松平 信輝 | 従五位下 伊豆守 |
神竜院 天遊宗見 |
晴綱 亀千代 斎宮助 |
松平輝綱四男 | 1693-1709 | 1725(66) | 井上正任女 | 1672川越城(武蔵)襲封 70,000石 1693古河城 |
||||
松平 信祝 | 従五位下 伊豆守 |
信高 亀千代 甲斐守 |
信輝長男 | 1709-12 | 1744(62) | 種 (酒井忠挙養女) |
↓ 1712吉田城(三河)転封 |
|||||
〔本多家〕 |
||||||||||||
本多 忠良 | 従四位下 侍従 中務大輔 |
自学院 満誉了海 全性 |
忠隆 権次郎 監物 |
本多忠英長男 本多忠孝養子 |
1712-51 | 1751(62) | 本多政利女 | 1710刈谷城(三河) 50,000石 1712古河城 |
老中 | |||
本多 忠敞 | 従五位下 中務大輔 |
従之助 美濃守 |
忠良二男 | 1751-59 | 1759(33) | 牧野貞通女 | ↓ 1759浜田城(石見)転封 |
|||||
〔松平(松井)家〕 |
||||||||||||
松平 康福 | 従四位下 周防守 |
弥三郎 団之助 |
松平康豊長男 | 1759-62 | 1789(71) | 土岐頼稔女 | 1736浜田城(石見)襲封 50,422石 1759古河城 1762岡崎城(三河)転封 |
寺社奉行 | ||||
〔土井家(後期)〕 |
||||||||||||
土井 利里 | 従四位下 侍従 大炊頭 |
広智院 勇誉仁翁 理玄 |
幾之助 左門 |
土井利清二男 土井利延養子 |
1762-77 | 1777(56) | 土井利知女 | 1744唐津城(肥前)襲封 70,000石 1762古河城 |
京都所司代 | |||
土井 利見 | 従五位下 美濃守 |
善了院 聡誉諦学 義山 |
乗常 才百 甚三郎 |
松平乗佑十男 | 1777 | 1777(20) | − | ↓ | ||||
土井 利厚 | 従四位下 侍従 大炊頭 |
寛敬院 仁誉履信 慶翁 |
利和 亀丸 主膳 |
松平忠名四男 | 1777-1822 | 1822(64) | 板倉勝清女 | ↓ 1822加増 80,000石 |
老中 | |||
土井 利位 | 従四位下 侍従 大炊頭 |
簡廉院 敬誉剛義 温翁 |
六郎 主膳正 |
土井利徳四男 | 1822-48 | 1848(60) | 利厚養女 (松平忠告女) |
↓ | 老中 | |||
土井 利亨 | 従五位下 大炊頭 |
至徳院 精誉致広 峻儀 |
主膳正 | 酒井忠藎二男 | 1848 | 1848(37) | 利位養女 (土井利広女) |
↓ | ||||
土井 利則 | 大炊頭 | 鋤抵若 内膳 (致仕後) 織部正 |
藤堂高秭四男 | 1848-67 | 1891(61) | 利亨養女 (利位女) |
↓ | |||||
土井 利与 | 古河藩知事 (廃藩後) 主猟官 |
基若 内膳正 大炊頭 淡路守 |
利則長男 (利位孫) |
1867-71 | 1929(79) | 千嘉子 (青山忠良女) 銑子 (大関増式女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
土岐 定政 | 従五位下 山城守 |
増円寺 真庵源空 |
愛菊 藤蔵 |
明智定明長男 | 1590-97 | 1597(47) | 1586浜松(遠江)城代 1590守谷(下総) 10,000石 |
はじめ明智または 菅沼を称する |
|||
土岐 定義 | 従五位下 山城守 |
与五郎 | 定政二男 | 1597-1617 | 1619(40) | ↓ 1617高槻城(摂津)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔松平(松井)家〕 |
||||||||||||
松平 康重 | 従五位下 周防守 |
康次 次郎 左近丞 |
松平康親長男 | 1601-08 | 1640(73) | 石川康通女 徳永寿昌女 |
1590騎西(武蔵) 20,000石 1601笠間城(常陸) 30,000石 1608篠山城(丹波)転封 |
|||||
〔小笠原家〕 |
||||||||||||
小笠原 吉次 | 従五位下 和泉守 |
宗忠 | 小笠原長隆男 | 1608-09 | 1616(69) | 加々爪政豊女 | 1607佐倉城(下総) 28,000石 1608笠間城 30,000石 1609改易 |
|||||
〔松平(戸田)家〕 |
||||||||||||
松平 康長 | 従五位下 丹波守 |
虎千代 孫六郎 |
戸田忠重長男 | 1612-16 | 1632(71) | 松 (久松俊勝女= 徳川家康養妹) |
1602古河城(下総) 20,000石 1612笠間城 30,000石 1616高崎城(上野)転封 |
|||||
〔永井家〕 |
||||||||||||
永井 直勝 | 従五位下 右近大夫 |
伝八郎 | 長田重元二男 | 1617-22 | 1625(63) | 阿部正勝女 | 1616小幡(上野) 17,000石 1617笠間城 32,000石 1619加増 52,000石 1622古河城(下総)転封 |
|||||
〔浅野家〕 |
||||||||||||
浅野 長重 | 従五位下 采女正 |
華岳院 銕山道牛 |
又一郎 長兵衛 |
浅野長政三男 | 1623-32 | 1632(45) | 松平家清女 | 1611真壁(常陸)襲封 50,000石 1623笠間城 53,500石 |
||||
浅野 長直 | 従五位下 内匠頭 |
長綱 又一郎 |
長重長男 | 1632-45 | 1672(63) | 丹羽長重女 | ↓ 1645赤穂城(播磨)転封 |
|||||
〔井上家(前期)〕 |
||||||||||||
井上 正利 | 従五位下 河内守 |
正善院 智源日利 |
大学助 | 井上正就長男 | 1645-69 | 1675(70) | 鳥居成次女 | 1628横須賀城 (遠江)襲封 47,500石 1645笠間城 50,000石 |
寺社奉行 | |||
井上 正任 | 従五位下 中務少輔 |
大学助 相模守 |
正利長男 | 1669-92 | 1700(71) | 本多忠義女 | ↓ 1692郡上城(美濃)転封 |
奏者番 | ||||
〔松平(本庄)家〕 |
||||||||||||
本庄 宗資 | 従四位下 侍従 因幡守 |
安養寺 本誉貞実円心 |
平四郎 次郎左衛門 |
本庄宗正二男 | 1692-99 | 1699(71) | 隠俊実女 | 1688足利(下野) 1689加増 20,000石 1692笠間城 40,000石 1694加増 50,000石 |
||||
本庄 資俊 | 従四位下 侍従 安芸守 |
宗俊 辰之助 太郎三郎 太郎兵衛 |
宗資二男 | 1699-1702 | 1723(64) | 佐野勝由女 | ↓ 1702浜松城(遠江)転封 |
|||||
〔井上家(後期)〕 |
||||||||||||
井上 正岑 | 従四位下 侍従 河内守 |
泰量院 良覚知方日成 |
正通 巳之助 民部 大和守 |
井上正任二男 | 1702-22 | 1722(70) | 清 (松平頼純女) |
1702下館城(常陸) 50,000石 1702笠間城 1718加増 60,000石 |
老中 | |||
井上 正之 | 従五位下 河内守 |
耕雲院 顕明日耀 |
正仲 正如 繁之助 民部 摂津守 |
酒井重英 (正任五男) 長男 |
1722-37 | 1737(42) | 本多忠次女 | ↓ | 寺社奉行 | |||
井上 正経 | 従五位下 河内守 |
正賢 利容 正燕 民部 |
正之長男 | 1737-47 | 1766(42) | 仙石正房女 | ↓ 1747磐城平城 (陸奥)転封 |
|||||
〔牧野家〕 |
||||||||||||
牧野 貞通 | 従四位下 侍従 備後守 |
乾徳院 大元全機 |
貞倶 幸之助 越中守 |
牧野成貞三男 牧野成央養子 |
1747-49 | 1749(40) | 松浦篤信女 | 1719延岡城(日向)襲封 80,000石 1747笠間城 |
京都所司代 | |||
牧野 貞長 | 従四位下 侍従 備後守 |
泰竜院 潭月紹輝 |
道五郎 越中守 (致仕後) 沢翁 |
貞通三男 | 1749-92 | 1796(66) | 嘉代 (松平乗佑女) |
↓ | 老中 | |||
牧野 貞喜 | 従五位下 越中守 |
寛信院 広道義隠 |
幸之助 兵部少輔 備中守 日向守 (致仕後) 春山 |
貞長長男 | 1792-1817 | 1822(65) | 寛 (伊達村候女) |
↓ | 奏者番 | |||
牧野 貞幹 | 従五位下 越中守 |
靖徳院 泰雲紹敬 |
駒吉 外之助 兵部少輔 左京亮 |
貞喜二男 | 1817-28 | 1828(42) | 浜 (松平光行女) 昭子 (松平治道女) |
↓ | ||||
牧野 貞一 | 従五位下 越中守 |
恭明院 賢俊道哲 |
知与丸 | 貞幹長男 | 1828-40 | 1840(26) | 美 (有馬頼徳女) |
↓ | ||||
牧野 貞勝 | 角五郎 | 良温院 得陰譲栄 |
貞幹八男 | 1840-41 | 1841(18) | − | ↓ | |||||
牧野 貞久 | 従五位下 越中守 |
俊徳院 仁山崇義 |
礼之進 兵部 |
貞一長男 | 1841-50 | 1850(16) | − | ↓ | ||||
牧野 貞直 | 越中守 | 貞利 鋪三郎 左京 (致仕後) 竹杖 松旭 |
布施重正 (貞喜四男) 二男 |
1851-68 | 1887(58) | 宝=雅 (貞久養女 =貞勝女) |
↓ | 大坂城代 | ||||
牧野 貞寧 | 笠間藩知事 | 貞邦 金丸 |
貞直長男 | 1868-71 | 1916(60) | 美子 (牧野忠恭女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 貴族院議員 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔松平(藤井)家〕 |
||||||||||||
松平 信一 | 従四位下 伊豆守 |
浄真院 弁誉道雄専求 |
勘四郎 | 松平利長長男 | 1601-03 | 1624(86) | 先妻(出自未詳) 松平好景女 |
1590新封 布川城(下総) 5,000石 1601土浦城(常陸) 35,000石 |
||||
松平 信吉 | 従五位下 安房守 |
勘四郎 | 松平忠吉長男 | 1604-17 | 1620(46) | 信一女 | ↓ 1604前封を併せ 40,000石 1617高崎城(上野)転封 |
|||||
〔西尾家〕 |
||||||||||||
西尾 忠永 | 従五位下 丹後守 |
清光院 月海岫雲 |
忠康 主水 |
酒井重忠三男 西尾吉次養子 |
1618-20 | 1620(37) | 西尾吉次女 | 1616白井(上野) 20,000石 1618土浦城 |
||||
西尾 忠昭 | 従五位下 丹後守 |
忠照 右京 右京亮 |
忠永長男 (吉次孫) |
1620-49 | 1654(42) | 竹中重義女 松平伊昌女 |
↓ 1649田中城(駿河)転封 |
|||||
〔朽木家〕 |
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朽木 稙綱 | 従五位下 民部少輔 |
豪徳院 雄山良英 |
弥五郎 | 朽木元綱三男 | 1649-60 | 1660(56) | 稲葉正成女 安藤重長養女 |
1647鹿沼(下野) 25,000石 1649土浦城 30,000石 |
奏者番 | |||
朽木 稙昌 | 従五位下 伊予守 |
季綱 弥五郎 縫殿助 |
稙綱長男 | 1661-69 | 1714(72) | 岡部宣勝女 | ↓ 1661分知 27,000石 1669福知山城 (丹波)転封 |
奏者番 | ||||
〔土屋家(前期)〕 |
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土屋 数直 | 従四位下 侍従 但馬守 |
融相院 寛翁道智 |
定直 辰之助 大和守 |
土屋忠直二男 | 1669-79 | 1679(72) | 水野忠貞女 | 1657新封 宍戸(常陸)領内 5,000石 1662加増 10,000石 1664-66累増 35,000石 1669土浦城 45,000石 |
老中 | |||
土屋 政直 | 1679-82 | (下段参照) | ||||||||||
〔松平(大河内)家〕 |
||||||||||||
松平 信興 | 従五位下 因幡守 |
治綱 基綱 信衡 興衡 采女 美濃守 |
松平信綱五男 | 1682-87 | 1691(62) | 青山幸利女 | 1662分家、先封を併せ 7,000石 1679下総・武蔵二国内 12,000石 1681常陸・下総二国内 17,000石 1682土浦城 22,000石 1687摂津等三国内転封 |
若年寄 | ||||
〔土屋家(後期)〕 |
||||||||||||
土屋 政直 | 従四位下 侍従 相模守 |
徳相院 俊翁道耆 |
左門 能登守 |
土屋数直長男 | 1687-1719 | 1722(82) | 幾久子 (松平康信女) 六条有知女 |
1679土浦城襲封 45,000石 1682田中城(駿河) 1684加増 65,000石 1687土浦城 1694-1718累増 95,000石 |
老中 | |||
土屋 陳直 | 従五位下 但馬守 |
霊鷲院 顕翁瑞英 |
矩直 啓直 左門 左京 左京亮 |
政直四男 | 1719-34 | 1734(40) | 水野忠周長女 水野忠周二女 |
↓ | 奏者番 | |||
土屋 篤直 | 従五位下 能登守 |
本覚院 巌性遵義 |
左門 | 陳直二男 | 1734-76 | 1776(45) | 奥平昌成女 | ↓ | 寺社奉行 | |||
土屋 寿直 | 従五位下 相模守 |
俊良院 彰善惟顕 |
辰之助 左京 |
篤直長男 | 1776-77 | 1777(17) | − | ↓ | ||||
土屋 泰直 | 従五位下 能登守 |
純徳院 善応義信 |
健次郎 | 篤直二男 | 1777-90 | 1790(23) | 正子 (太田資愛女) |
↓ | 奏者番 | |||
土屋 英直 | 従五位下 但馬守 |
英哲院 山義功 |
保三郎 主税 |
篤直三男 | 1790-1803 | 1803(35) | 定子 (阿部正倫女) 呈子 (伊達重村女) |
↓ | 奏者番 | |||
土屋 寛直 | 左門 | 祥善院 徳倫元良 |
保三郎 | 英直長男 | 1803-10 | 1810(16) | − | ↓ | ||||
土屋 彦直 | 従五位下 相模守 |
賢相院 道誉洽山松翁 |
洽三郎 | 徳川治保三男 | 1811-38 | 1847(50) | 充子(英直女) | ↓ | 寺社奉行 | |||
土屋 寅直 | 采女正 | 多仁丸 采女 |
彦直長男 (英直孫) |
1838-68 | 1895(76) | 竹子 (有馬頼徳女) |
↓ | 大坂城代 | ||||
土屋 挙直 | 土浦藩知事 | 余七麿 昭邦 |
徳川斉昭十七男 | 1868-71 | 1892(41) | 光子 (大河内輝聴女) |
↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
山口 重政 | 従五位下 修理亮 |
瑞巌院 大安全勇 |
竹丸 長次郎 半兵衛 但馬守 深慶 |
山口盛政長男 山口重勝養子 |
1601-13 1629-35 |
1635(72) | 1601新封 常陸・武蔵・上総三国内 10,000石 1611加増 15,000石 1613私婚改易 1629復封 常陸・遠江二国内 15,017石 |
奏者番 | |||
山口 弘隆 | 従五位下 修理亮 |
弘隆院 一灯見性 |
国丸 清十郎 半兵衛 但馬守 |
重政四男 | 1635-77 | 1677(75) | ↓ 1635分知 10,017石 |
||||
山口 重定 | 従五位下 修理亮 |
重貞院 一応即円 |
重貞 長次郎 |
弘隆長男 | 1677-98 | 1698(58) | ↓ | ||||
山口 弘豊 | 従五位下 但馬守 |
弘豊院 真竜定淵 |
重明 勝三郎 求馬 修理 伊豆守 |
山口重治 (弘隆三男) 長男 |
1698-1731 | 1755(72) | ↓ | 大番頭 | |||
山口 弘長 | 従五位下 修理亮 |
弘長院 仁海崇雲 |
右近 修理 |
渡辺基綱三男 | 1731-68 | 1768(62) | ↓ | 大番頭 | |||
山口 弘道 | 従五位下 修理亮 |
弘道院 長水玄瀾 |
政之進 中務 但馬守 |
弘豊六男 | 1768-83 | 1783(44) | ↓ | ||||
山口 弘務 | 従五位下 伊豆守 |
弘務院 剣外逸竜 |
勝之進 | 溝口直温七男 | 1783-87 | 1787(25) | ↓ | ||||
山口 弘致 | 従五位下 但馬守 |
弘致院 白瀾長遠 |
仲之進 周防守 |
弘道二男 | 1787-1829 | 1829(49) | ↓ | 大坂定番 | |||
山口 弘封 | 従五位下 但馬守 |
弘封院 閑山道寿 |
長次郎 伊豆守 (致仕後) 閑寿斎 |
弘致二男 | 1829-39 | 1869(62) | ↓ | 大坂加番 | |||
山口 弘毅 | 従五位下 周防守 |
弘毅院 仁道宗義 |
忠三郎 | 弘致三男 | 1839-49 | 1849(40) | ↓ | 大坂加番 | |||
山口 弘敞 | 従五位下 筑前守 |
弘敞院 大道義雄 |
孝之助 監物 |
弘致四男 | 1849-62 | 1862(51) | ↓ | ||||
山口 弘達 | 牛久藩知事 | 長次郎 君道 |
弘敞長男 | 1862-71 | 1932(73) | ↓ 1871廃藩置県 |
子爵 貴族院議員 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔武田家〕 |
||||||||||||
武田 信吉 | 七郎 | 浄鑑院 英誉善香 崇巌 |
信義 万千代 |
徳川家康五男 穴山信君養子 |
1602-03 | 1603(21) | 羽柴勝俊女 | 1592 佐倉城(下総) 50,000石 1602水戸城(常陸) 150,000石 1603無嗣絶家 |
||||
〔徳川(紀伊)家〕 |
||||||||||||
徳川 頼宣 | 従四位下 常陸介 |
頼将 長福 |
徳川家康十男 | 1603-09 | 1671(70) | − | 1603新封 水戸城(常陸) 200,000石 1604加増 250,000石 1609駿河府中城転封 |
|||||
〔徳川(水戸)家〕 |
||||||||||||
徳川 頼房 | 正三位 権中納言 左衛門督 |
威公 | 鶴千代 | 徳川家康十一男 | 1609-61 | 1661(59) | − | 1606新封 下妻城(常陸) 100,000石 1609水戸城 250,000石 |
||||
徳川 光圀 | 従三位 権中納言 贈従一位・ 権大納言 |
義公 西山 梅里 日新斎 |
光国 千代松 左衛門督 徳亮 |
頼房三男 | 1661-90 | 1700(73) | 尋子=泰 (近衛信尋女) |
↓ | ||||
徳川 綱条 | 従三位 権中納言 |
粛公 鳳山 |
采女 采女正 九成 |
松平頼重 (頼房長男) 二男 |
1690-1718 | 1718(63) | 季 (今出川公規女) |
↓ 1701高直し 350,000石 |
||||
徳川 宗堯 | 従三位 参議 |
成公 観山 |
軽麻呂 鶴千代 子勲 |
松平頼豊 (頼重孫)長男 |
1718-30 | 1730(26) | 美代 (徳川吉孚= 綱条長男=の女) |
↓ | ||||
徳川 宗翰 | 従三位 参議 |
良公 奎山 |
鶴千代 左衛門督 子邦 |
宗堯長男 | 1730-66 | 1766(39) | 郁子=絢 (一条兼香女) |
↓ | ||||
徳川 治保 | 従三位 参議 |
文公 舜山 |
英之允 鶴千代 左衛門督 子安 |
宗翰長男 | 1766-1805 | 1805(55) | 溢子=八代 (一条道香女) |
↓ | ||||
徳川 治紀 | 従三位 右中将 左衛門督 |
武公 | 鶴千代 左衛門督 徳民 |
治保長男 | 1805-16 | 1816(44) | 達子=方 (徳川治貞養女 =徳川重倫女) |
↓ | ||||
徳川 斉脩 | 従三位 権中納言 |
哀公 鼎山 信天翁 瓢亭 |
栄之允 鶴千代 左衛門督 子誠 |
治紀長男 | 1816-29 | 1829(33) | 美子=峰 (徳川家斉七女) |
↓ | ||||
徳川 斉昭 | 従三位 権中納言 贈従一位・ 権大納言 |
烈公 景山 潜竜閣 |
紀教 敬三郎 叔寛 子信 |
治紀三男 | 1829-44 | 1860(61) | 吉子=登美宮 (有栖川宮 織仁親王王女) |
↓ | ||||
徳川 慶篤 | 従三位 権中納言 |
順公 南山 |
親敬 鶴千代 子有 |
斉昭長男 | 1844-68 | 1868(37) | 幟子 (徳川家慶養女 =有栖川宮 幟仁親王王女) 経子 (広幡基豊女) |
↓ | ||||
徳川 昭武 | 水戸藩知事 (廃藩後) 陸軍少尉 麝香間祗候 |
昭徳 余八麿 鑾山 |
斉昭十八男 | 1868-71 | 1910(58) | 盛子 (中院通富女) |
↓ 1871廃藩置県 |
甥・篤敬の とき侯爵 その子・圀順 のとき公爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
松平 頼元 | 従四位下 侍従 刑部大輔 |
恭侯 | 児麻呂 中務 丹波 |
徳川頼房四男 | 1661-93 | 1693(65) | 1661水戸徳川家より分家 額田(常陸) 20,000石 |
||||
松平 頼貞 | 従四位下 左少将 大学頭 |
大学 | 頼元長男 | 1693-1700 | 1744(80) | ↓ 1700守山 (陸奥)転封 |
|||||
松平 頼寛 | 松平 頼升 |
(守山藩−福島県−を参照) | ||||||||||
松平 頼之 | 松川藩知事 | 昭鄰 二十二麿 |
徳川斉昭二十二男 | 1869-71 | 1873(16) | 1869守山藩知事襲職 1870松川(常陸)へ 藩庁を移転 1871廃藩置県 |
兄(養子)喜徳の とき子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
〔六郷家〕 |
|||||||||||
六郷 政乗 | 従五位下 兵庫頭 |
六郷道行長男 | 1602-23 | 1634(68) | 1590以前 六郷(出羽)襲封 4,518石 1602常陸府中 10,000石 1623本荘城(出羽)転封 |
||||||
〔皆川家〕 |
|||||||||||
皆川 広照 | 従四位下 山城守 |
三清院 善翁慶勝 |
又三郎 (致仕後) 老圃斎 |
皆川俊宗二男 | 1623-25 | 1627(80) | 1603飯山城(信濃) 75,000石 1609改易 1623復封 常陸府中 10,000石 |
||||
皆川 隆庸 | 従五位下 山城守 |
一陽院 春厳紹智 |
重宣 又四郎 志摩守 |
広照長男 | 1625-45 | 1645(65) | ↓ 1625分知 10,000石 |
大坂城番 | |||
皆川 成郷 | 又三郎 | 迎涼院 南室紹清 |
隆庸長男 | 1645 | 1645(22) | ↓ 1645無嗣絶家 |
|||||
〔松平(水戸)家〕 |
|||||||||||
松平 頼隆 | 従四位下 侍従 播磨守 |
元侯 長徳院 梅峯無極 |
頼安 右近 |
徳川頼房五男 | 1661-1705 | 1707(79) | 1661水戸徳川家より分家 保内(常陸) 20,000石 1700常陸府中 |
||||
松平 頼如 | 従四位下 侍従 能登守 |
悼侯 一円院 道修日感 |
頼之 七丸 内膳 |
頼隆三男 | 1705-07 | 1707(35) | ↓ | ||||
松平 頼明 | 従四位下 侍従 播磨守 |
定侯 常安院 梵誉海音空徴 蒙山 |
源五郎 掃部 |
松平頼福 (頼房孫) 長男 |
1708-33 | 1733(43) | ↓ | ||||
松平 頼永 | 従四位下 侍従 播磨守 |
懐侯 哀侯 不退院 正誉定岳聚禅 君山 |
織部 掃部頭 |
頼明長男 | 1733-35 | 1735(23) | ↓ | ||||
松平 頼幸 | 従四位下 侍従 播磨守 |
恵侯 空洞院 担誉仙巌道照 養山 |
頼時 源吉 季淑 |
頼明四男 | 1735-42 | 1742(24) | ↓ | ||||
松平 頼済 | 従四位下 侍従 播磨守 |
安侯 寂照院 撫誉風航玄津 衡山 |
貞五郎 頼守 子世 |
松平頼貞四男 | 1742-84 | 1784(65) | ↓ | ||||
松平 頼前 | 従四位下 侍従 播磨守 |
貞侯 観浄院 真誉貞延 理応斎 蘭叢 |
勇丸 頼勇 雅楽頭 子哲 (致仕後) 右京大夫 |
頼済長男 | 1784-95 | 1824(82) | ↓ | ||||
松平 頼説 | 従四位下 侍従 播磨守 |
靖侯 厳徳院 敬誉俊亮順説 潜竜 |
弁次郎 兼太郎 右近 兵部大輔 子彊 |
太田頼陽 (頼済二男) 長男 |
1795-1833 | 1833(56) | ↓ | ||||
松平 頼縄 | 侍従 播磨守 |
南山 | 弁之助 掃部頭 子正 (致仕後) 右京大夫 |
頼説長男 | 1833-68 | 1884(39) | ↓ | ||||
松平 頼策 | 石岡藩知事 | 勇次郎 雅楽頭 |
頼縄三男 | 1868-71 | 1886(39) | ↓ 1869石岡藩と改称 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
〔秋田家〕 |
|||||||||||
秋田 実季 | 従五位下 秋田城介 |
高乾院 隆巌梁空 |
下国安東太郎 | 秋田愛季二男 | 1602-30 | 1659(84) | 1590秋田城(出羽) 本領安堵 52,440石 1602宍戸城(常陸) 50,000石 |
||||
秋田 俊季 | 従五位下 河内守 |
安東太郎 伊豆守 |
実季長男 | 1631-45 | 1649(52) | ↓ 1645三春城(陸奥)転封 |
|||||
〔松平(水戸)家〕 |
|||||||||||
松平 頼雄 | 従五位下 大炊頭 |
一法院 融山円公 以直 |
藤吉郎 門之允 豊後 一学 集義 |
徳川頼房七男 | 1682-97 | 1697(68) | 1682水戸徳川家より分家 宍戸(常陸) 10,000石 |
||||
松平 頼道 | 従五位下 筑後守 |
住禅院 定誉諦真道意 |
千之助 靱負 子善 |
松平頼利 (徳川頼房六男) の男 |
1697-1719 | 1721(65) | ↓ | ||||
松平 頼慶 | 従五位下 靱負佐 |
登竜院 勁誉松山寿栄 |
友之介 将監 幽谷 |
頼道長男 | 1719-42 | 1742(64) | ↓ | ||||
松平 頼多 | 従五位下 大炊頭 |
慧高院 通誉快安智洞 春山 |
千之介 喜八郎 有恒 淡路守 |
頼慶長男 | 1742-66 | 1766(45) | ↓ | ||||
松平 頼救 | 従五位下 大炊頭 |
広正院 円誉至徳 謙山 |
熊十郎 子徳 (致仕後) 大翁 太玄斎 |
徳川宗翰六男 | 1766-1802 | 1830(75) | ↓ | ||||
松平 頼敬 | 従五位下 靱負佐 |
円暁院 覚誉法然浄性 関山 |
信之助 一学 子義 |
頼救長男 | 1802-07 | 1807(30) | ↓ | ||||
松平 頼筠 | 従五位下 主税頭 |
又玄院 道誉上徳先天 鸞山 |
詮之允 彝若 子貫 |
徳川治紀四男 | 1807-39 | 1839(39) | ↓ | ||||
松平 頼位 | 従五位下 主税頭 |
豊四郎 将監 子有 |
頼救四男 | 1839-46 | ↓ | ||||||
松平 頼徳 | 従五位下 大炊頭 |
粛山 | 豊太郎 彝若 伯生 |
頼位長男 | 1846-64 | 1864(34) | ↓ 1864有罪賜死、改易 |
||||
松平 頼位 (再承) |
宍戸藩知事 (廃藩後) 権少教正 |
豊山 | 1868-71 | 1886(77) | 1868復封 10,000石 1871廃藩置県 |
息子・頼安 のとき子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔戸沢家〕 |
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戸沢 政盛 | 従五位下 右京亮 |
九郎五郎 | 戸沢盛安長男 戸沢光盛養子 |
1602-22 | 1648(64) | 鳥居元忠女 | 1592角館城(出羽)襲封 44,300石 1602松岡城(常陸) 40,000石 1622新庄城(出羽)転封 |
|||||
〔中山家(松岡入封前を含む)〕 |
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中山 信吉 | 従五位下 備前守 |
心円 | 左助 菊太郎 雅楽助 |
中山家範二男 | 1608-42 | 1648(65) | 久下下総守女 塩谷義上女 |
1608新封 真壁郡内(常陸) 10,000石 徳川頼房附属 1609・21累増 20,000石 |
||||
中山 信政 | 従五位下 東市正 |
宝山風軒 | 内記 | 信吉長男 | 1642-51 | 1677(84) | 向井正綱女 | ↓ 1646松岡(常陸) |
||||
中山 信治 | 従五位下 備前守 |
性海道軒 | 左助 大膳 |
信吉四男 | 1651-81 | 1689(62) | 向井正勝女 | ↓ | ||||
中山 信行 | 従五位下 市正 |
市令信行 | 大膳 | 信治長男 | 1881-82 | 1882(35) | 中山吉勝女 板倉重郷養女 |
↓ | ||||
中山 信成 | 従五位下 備前守 |
善養院 牛山良心 |
内記 監物 |
信治三男 | 1883-1703 | 1703(49) | − | ↓ | ||||
中山 信敏 | 従五位下 備前守 |
亭松院 梁山一雲 |
内記 主殿 備中守 |
信治七男 | 1703-11 | 1711(33) | 鍋島直能養女 | ↓ 1707太田(常陸)に 居所を移転 1708高直し 25,000石 |
||||
中山 信順 | 従五位下 市正 |
到岸 | 主殿 | 信成二男 | 1711-12 | 1712(16) | − | ↓ | ||||
中山 信昌 | 従五位下 備前守 |
忠英 | 三五郎 内記 |
堀田一幸四男 (家範六世孫) |
1712-43 | 1743(40) | 信順養女 (信敏女) |
↓ | ||||
中山 政信 | 従五位下 備前守 |
中幸 | 虎次郎 大膳 |
信昌三男 | 1743-71 | 1771(38) | 松平信岑女 | ↓ | ||||
中山 信敬 | 従五位下 備前守 |
常光院 俊山叡智 |
信徳 大膳 備中守 (致仕後) 一貫斎 |
徳川宗翰九男 | 1771-1819 | 1820(57) | 光 (政信女) |
↓ 1803松岡城へ 居所を移転 |
||||
中山 信情 | 従五位下 備中守 |
常明院 智山英哲 |
備後守 備前守 |
信敬二男 | 1819-28 | 1828(34) | 丞 (松平頼慎養女) |
↓ | ||||
中山 信守 | 従五位下 備後守 |
転信院 克明俊徳 |
頼容 与次郎 備前守 |
松平頼説二男 | 1828-57 | 1857(51) | 色(信情女) 予 (加藤明允女) |
↓ | ||||
中山 信宝 | 従五位下 備前守 |
照泰院 篤敬明哲 |
竜吉 | 信守長男 | 1858-61 | 1861(18) | − | ↓ | ||||
中山 信徴 | 手綱藩知事 | 弓次郎 備前守 備中守 |
信守四男 | 1861-71 | 1917(72) | 鶴子 (内藤政成女) |
↓ 1868大名に列す 同年、手綱藩と改称 1871廃藩置県 |
息子・信実 のとき男爵 |
山野辺義忠(従五位下・右衛門大夫。山形藩主最上義光四男。はじめ出羽山野辺城19,300石。1622最上家改易後配流。1633徳川頼房 附属、常陸国内10,000石)−義堅(従五位下・土佐守)⇒義清(従五位下・伊豆守)−義達(従五位下・主水正)−義胤 (従五位下・兵庫頭)⇒義風(従五位下・土佐守)⇒義質(従五位下・主水正)−義観(従五位下・兵庫頭。1836 助川海防城主)−義正−義芸(主水正。1864有罪改易、廃城。1868復家) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
滝川 雄利 | 従五位下 下総守 |
桂徳院 三英周傑 一路 |
雅利 雄親 兵部大輔 三郎兵衛 刑部卿法印 |
木造某の男 | 1603-10 | 1610(68) | 1590新封 神戸城(伊勢) 20,000石 1600改易 1603復封 片野(常陸) 20,000石 |
||||
滝川 正利 | 従五位下 壱岐守 |
周桃 | 帯刀 勘右衛門 |
雄利長男 | 1610-25 | 1625(36) | ↓ 1625所領返上 新治郡内(常陸) 2,000石 (子孫は旗本として 代々存続) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
〔松平(久松)家〕 |
|||||||||||
松平 定綱 | 従五位下 越中守 |
定信 亀松 三郎四郎 |
松平定勝三男 | 1609-16 | 1651(60) | 1609新封 山川(下総) 15,000石 1616下妻(常陸)転封 |
書院番頭 | ||||
〔水野家〕 |
|||||||||||
水野 忠元 | 従五位下 監物 |
万松寺 休翁宗罷 |
水野忠守三男 | 1616-20 | 1620(45) | 1616新封 山川 30,000石 1617加増 35,000石 |
西丸書院番頭 | ||||
水野 忠善 | 従五位下 監物 |
左近 | 忠元長男 | 1620-35 | 1676(65) | ↓ 1635田中城(駿河)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
新庄 直頼 | 従五位下 駿河守 |
総寧寺 月海晟珊 |
新三郎 宮内卿法印 |
新庄直昌長男 | 1604-12 | 1612(75) | 1595高槻城(摂津) 30,000石 1600改易 1604復封 麻生(常陸) 30,317石 |
||||
新庄 直定 | 従五位下 越前守 |
総寧寺 節岩了忠 |
新三郎 | 直頼長男 | 1613-18 | 1618(57) | ↓ 1613分知 27,317石 |
奏者番 | |||
新庄 直好 | 従五位下 越前守 |
海了寺 津峰寿玄 |
新三郎 駿河守 |
直定長男 | 1618-62 | 1662(64) | ↓ | ||||
新庄 直時 | 従五位下 隠岐守 |
大意院 機外了性 |
八十郎 伊織 市大夫 |
新庄直房 (直頼四男) 二男 |
1662-74 | ↓ | |||||
新庄 直矩 | 民部 | 総寧寺 界岩永刹 |
直好三男 | 1674-76 | 1676(17) | ↓ 1674分知 20,317石 1676無嗣絶家 |
|||||
新庄 直時 (再承) |
従五位下 隠岐守 |
1676-77 | 1677(52) | 1674家を直矩に 譲り分家 鹿島郡内(常陸) 7,000石 1676麻生を加増 宗家再承 10,000石 |
大坂城番 | ||||||
新庄 直詮 | 主殿 | 慈徳院 春岩道翠 |
直智 | 直時長男 | 1677-1708 | 1708(44) | ↓ | ||||
新庄 直祐 | 従五位下 駿河守 |
正享院 雄山直翁 |
助十郎 監物 |
直詮五男 | 1708-35 | 1746(55) | ↓ | ||||
新庄 直隆 | 従五位下 越中守 |
高嶺院 天真隆松 |
銕太郎 監物 (致仕後) 備中守 |
直祐長男 | 1735-55 | 1792(77) | ↓ | ||||
新庄 直侯 | 従五位下 越前守 |
頓悟院 円山維鏡 |
助三郎 主計 |
直祐二男 | 1755-72 | 1772(46) | ↓ | ||||
新庄 直規 | 従五位下 駿河守 |
高節院 徳翁道隣 |
亀次郎 | 直隆二男 | 1772-1803 | 1808(58) | ↓ | 大番頭 | |||
新庄 直計 | 従五位下 主殿頭 |
霊照院 徳厳儀鳳 |
亀丸 越前守 |
直規長男 | 1803-45 | 1845(59) | ↓ | 奏者番 | |||
新庄 直彪 | 従五位下 駿河守 |
紹慶院 徳栄宗隆 |
亀次郎 | 直計五男 | 1845-65 | 1865(27) | ↓ | ||||
新庄 直モチ(爻+頁) |
容丸 | 俊苗院 秀瑞玉英 |
直彪長男 | 1865-67 | 1867(3) | ↓ | |||||
新庄 直敬 | 麻生藩知事 | 下野守 | 新庄直孝長男 (直規外孫) |
1867-71 | 1872(55) | ↓ 1871廃藩置県 |
義孫・直陳の とき子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
〔徳川(水戸)家〕 |
|||||||||||
徳川 頼房 | 従五位下 左衛門督 |
鶴千代 | 徳川家康十一男 | 1606-09 | 1661(59) | 1606新封 下妻城(常陸) 100,000石 1609水戸城 250,000石 |
|||||
〔松平(越前)家〕 |
|||||||||||
松平 忠昌 | 従四位下 侍従 伊予守 |
虎松 虎之助 |
結城秀康二男 | 1615-16 | 1645(49) | 1607新封 姉崎(上総) 10,000石 1615下妻 30,000石 1616松代城(信濃)転封 |
|||||
〔松平(久松)家〕 |
|||||||||||
松平 定綱 | 従五位下 越中守 |
定信 亀松 三郎四郎 |
松平定勝三男 | 1616-18 | 1651(60) | 1609山川(下総) 15,000石 1616下妻 30,000石 1618掛川城(遠江)転封 |
|||||
〔井上家〕 |
|||||||||||
井上 正長 | 従五位下 遠江守 |
本義院 正長日休 |
正方 主税 内記 |
井上正任三男 | 1712-20 | 1720(67) | 1712新封 下妻 10,000石 |
寺社奉行 | |||
井上 正敦 | 従五位下 遠江守 |
円寿院 義天一相日如 |
久之丞 内記 |
井上政式二男 | 1720-53 | 1753(47) | ↓ | 奏者番 | |||
井上 正辰 | 従五位下 遠江守 |
義応院 勧学日了 |
頼真 蔵人 |
金森頼錦二男 | 1753-60 | 1760(25) | ↓ | ||||
井上 正意 | 従五位下 遠江守 |
義雲院 彰山日輝 |
主税 | 正辰長男 | 1760-84 | 1784(26) | ↓ | ||||
井上 正棠 | 従五位下 遠江守 |
宝珠院 瑞珞月蓮 |
正房 正峯 橘之助 (致仕後) 石見守 |
井上正経四男 | 1784-89 | 1800(48) | ↓ | ||||
井上 正広 | 従五位下 遠江守 |
義徳院 顕理日覚 |
一三郎 | 正棠長男 | 1789-1800 | 1800(29) | ↓ | ||||
井上 正建 | 従五位下 左近将監 |
義賢院 映徳日進 |
正皐 菊弥 内膳 内膳正 |
正棠二男 | 1800-16 | 1817(42) | ↓ | ||||
井上 正盧 | 従五位下 内膳正 |
高照院 峯山日登 |
政之助 | 松平忠馮二男 | 1816-19 | 1819(28) | ↓ | ||||
井上 正民 | 従五位下 遠江守 |
威光院 徳勇日明 |
栄五郎 | 井上正甫二男 | 1820-28 | 1828(22) | ↓ | ||||
井上 正健 | 従五位下 遠江守 |
善正院 玄学日雄 |
力三郎 | 大久保忠隆長男 | 1828-45 | 1845(29) | ↓ | ||||
井上 正誠 | 従五位下 遠江守 |
徳成院 昇竜日洞 |
鏸之助 | 青山忠良四男 | 1845-52 | 1852(19) | ↓ | ||||
井上 正信 | 従五位下 遠江守 |
光義院 正信日竜 |
良之助 | 井上正春二男 | 1852-56 | 1856(17) | ↓ | ||||
井上 正兼 | 伊予守 | 門次郎 | 井上正甫八男 | 1856-66 | 1878(56) | ↓ | |||||
井上 正巳 | 下妻藩知事 | 辰次郎 辰若丸 |
正兼二男 | 1866-71 | 1921(66) | ↓ 1871廃藩置県 |
子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
浅野 長政 | 従五位下 弾正少弼 |
伝正院 功山道忠 |
長吉 弥兵衛 |
安井重継長男 浅野長勝養子 |
1606-11 | 1611(65) | 1581大津・坂本両城(近江) 20,300石 1587小浜城(若狭) 60,000石 1593甲斐府中城 55,000石 1600引退 1606真壁(常陸) 50,000石=隠棲料 |
||||
浅野 長重 | 従五位下 采女正 |
又一郎 長兵衛 |
長政三男 | 1611-23 | 1632(45) | 1601新封 真岡(下野) 20,000石 1611真壁領継承 1623笠間城(常陸)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
細川 興昌 | 従五位下 玄蕃頭 |
伝宗院 紹津要岳 |
勝千代丸 | 細川興元長男 | 1619-43 | 1643(40) | 1619茂木(下野)襲封 16,260石 居所を谷田部 (常陸)に移転 (年代未詳) |
||||
細川 興隆 | 従五位下 豊前守 |
法雲院 徹心宗閑 |
兵千代 市正 |
興昌長男 | 1643-89 | 1690(59) | ↓ | ||||
細川 興栄 | 従五位下 長門守 |
鳳泉院 岫雲紹泰 |
興英 万千代 玄蕃 |
興隆長男 | 1689-1728 | 1737(80) | ↓ 1691高直し 16,319石 |
||||
細川 興誠 | 主馬 | 偃渓院 滴巌法水 |
姉小路公量二男 | (廃嫡) | 1728(42) | ||||||
細川 興虎 | 従五位下 長門守 |
松林院 乾徳全梁 |
武三郎 玄蕃 玄蕃頭 |
興誠長男 (興栄孫) |
1728-37 | 1737(28) | ↓ | ||||
細川 興晴 | 従五位下 玄蕃頭 |
功徳院 義山良勇 |
辰十郎 | 興虎長男 | 1738-88 | 1794(59) | ↓ | ||||
細川 興徳 | 従五位下 長門守 |
天性院 英逸脩道 |
喜十郎 | 興晴長男 | 1788-1837 | 1837(79) | ↓ | ||||
細川 興建 | 従五位下 長門守 |
興令院 建章智道 |
興寛 喜十郎 |
有馬頼瑞二男 | 1837-52 | 1855(58) | ↓ | ||||
細川 興貫 | 谷田部藩知事 | 辰十郎 | 興建長男 (興徳曽孫) |
1852-71 | 1907(76) | ↓ 1871藩庁を 茂木へ移転 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
堀 利重 | 従五位下 市正 |
立芳院 桂峯貞山 |
左馬助 伊賀守 |
堀秀重三男 | 1622-38 | 1638(58) | 1622新封 玉取(常陸) 10,000石 1633加増 14,000石 |
寺社奉行 | |||
堀 利長 | 従五位下 越中守 |
理証院 直心全性 |
利昌 左馬助 対馬守 |
利重長男 | 1638-58 | 1658(58) | ↓ 1638分知 12,000石 |
大番頭 | |||
堀 通周 | 従五位下 市正 |
専修院 生誉蓮翁 |
源太左衛門 弥太郎 |
天方倶通長男 | 1658-79 | 1694(45) | ↓ 1694精神疾病 により改易 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔松平(水戸)家〕 |
||||||||||||
松平 頼重 | 従四位下 侍従 右京大夫 |
竹丸 八十郎 右京 |
徳川頼房長男 | 1639-42 | 1695(74) | 土井利勝女 | 1639新封 下館城(常陸) 50,000石 1642高松城(讃岐)転封 |
|||||
〔増山家〕 |
||||||||||||
増山 正弥 | 従五位下 兵部少輔 |
利順 宗堯 政祗 正祗 仙福 兵部 |
那須資弥長男 増山正利養子 |
1663-1702 | 1704(52) | 長 (永井尚征女) |
1662西尾城(三河)襲封 20,000石 1663下館城 1702長島城(伊勢)転封 |
|||||
〔井上家〕 |
||||||||||||
井上 正岑 | 従五位下 大和守 |
正通 巳之助 民部 |
井上正任二男 | 1702 | 1722(70) | 清 (松平頼純女) |
1697亀山城(丹波) 47,000石 1702下館城 50,000石 1702笠間城(常陸)転封 |
若年寄 | ||||
〔黒田家〕 |
||||||||||||
黒田 直邦 | 従四位下 豊前守 |
直重 三五郎 |
中山直張三男 | 1703-32 | 1735(70) | 柳沢吉保養女 | 1700新封 武蔵三郡内 10,000石 1703下館城 15,000石 1707加増 20,000石 1732沼田城(上野)転封 |
寺社奉行 | ||||
〔石川家〕 |
||||||||||||
石川 総茂 | 従四位下 近江守 |
大機院 円厳玄応 |
主水 内膳 |
石川総良長男 | 1732-33 | 1733(63) | 石川昌能女 | 1685神戸城(伊勢)襲封 17,000石 1732下館城 20,000石 |
西丸側用人 | |||
石川 総陽 | 従五位下 播磨守 |
清徳院 浄誉円心 |
尹要 教賢 六五郎 図書 内膳 |
大久保忠増七男 | 1733-40 | 1744(52) | − | ↓ | ||||
石川 総候 | 従五位下 若狭守 |
正行院 玄名日題 |
寅之丞 内膳 内膳正 |
大久保総比三男 | 1740-70 | 1770(53) | 大久保忠方女 | ↓ | ||||
石川 総弾 | 従五位下 若狭守 |
放光院 総弾日遥 |
吉之丞 内膳 近江守 |
総候三男 | 1770-95 | 1795(41) | 石川総慶女 | ↓ | ||||
石川 総般 | 従五位下 中務少輔 |
統正院 総般日理 |
善之助 中務 |
総候五男 | 1795-1802 | 1802(46) | − | ↓ | ||||
石川 総親 | 従五位下 近江守 |
思成院 総親日悟 |
忠朝 銑蔵 内膳 |
牧野忠精二男 | 1802-08 | 1808(21) | 総般女 | ↓ | ||||
石川 総承 | 従五位下 中務少輔 |
清心院 日章総承 |
重之助 (致仕後) 播磨守 |
総般二男 | 1808-36 | 1865(70) | − | ↓ | ||||
石川 総貨 | 従五位下 近江守 |
林晃院 総貨日清 |
総承長男 | 1836-49 | 1849(31) | 加納久儔女 | ↓ | |||||
石川 総管 | 下館藩知事 | 若狭守 | 総貨長男 | 1849-71 | 1899(59) | − | ↓ 1871廃藩置県 |
息子・重之 のとき子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
堀田 正盛 | 従四位下 加賀守 |
三四郎 出羽守 |
堀田正吉長男 | 1651(44) | 栗 (酒井忠勝女) |
1623新封 十日市(相模) 700石 1625北条(常陸)・恩田(相模) 5,000石 1626加増 10,000石 1633加増 15,000石 1635川越城(武蔵)転封 |
老中 | ||||
堀田 正英 | 従五位下 対馬守 |
正英院 秋巌宗岳 |
虎之助 内膳 |
正盛四男 | 1682-88 | 1688(51) | 1651分家 常陸国内 5,000石 1680加増 8,000石 1682北条 13,000石 1688没後、相続不行届 嫡子正親は改易 |
奏者番 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
水野 勝長 | 従五位下 隠岐守 |
仁得院 智兼了勇 |
数馬 | 水野勝直長男 水野勝岑養子 |
1700-03 | 1703(25) | 内田正衆女 | 1698福山(備後)藩主 勝岑没後に継嗣 西谷(能登) 10,000石 1700結城(下総) 1701加増 13,000石 1703城主、加増 18,000石 |
||||
水野 勝政 | 従五位下 日向守 |
廓了院 諦然道聖 |
内膳 摂津守 |
水野勝直二男 | 1704-36 | 1745(61) | 風早公長女 | ↓ | ||||
水野 勝庸 | 従五位下 日向守 |
隆徳院 大雲慈忍 |
鍋三郎 六左衛門 下野守 |
勝政長男 | 1736-49 | 1749(32) | 榊原政邦女 風早実積女 |
↓ | ||||
水野 勝前 | 従五位下 日向守 |
円徳院 修斉智譲 |
市蔵 (致仕後) 摂津守 |
勝政三男 | 1749-63 | 1763(40) | 内藤信輝女 | ↓ | ||||
水野 勝起 | 従五位下 日向守 |
保徳院 仁勇英智 |
太郎次郎 鍋五郎 六左衛門 下野守 |
勝前長男 | 1763-83 | 1783(39) | 松平忠名女 小笠原長逵女 |
↓ | ||||
水野 勝剛 | 従五位下 日向守 |
賢章院 文隆英淳 |
久徴 鷹之丞 藤十郎 (致仕後) 摂津守 |
中川久貞三男 | 1783-1800 | 1834(75) | − | ↓ | ||||
水野 勝愛 | 従五位下 日向守 |
豪全院 昌巌常隆 |
鐸之助 六左衛門 下野守 (致仕後) 摂津守 |
勝起長男 | 1800-35 | 1837(58) | 蔵 (青山幸完女) |
↓ | ||||
水野 勝進 | 日向守 | 六平 藤十郎 左衛門尉 (致仕後) 摂津守 |
勝愛四男 | 1835-59 | 1873(57) | 彛 (堀親寚女) |
↓ | |||||
水野 勝任 | 従五位下 日向守 |
曽根次郎 下野守 |
水野忠央二男 | 1859-62 | 1862(23) | 窈子 (松平乗利女) |
↓ | 大坂加番 | ||||
水野 勝知 | 日向守 | 富以 将監 蔵人 |
丹羽長富八男 | 1862-68 | 1919(82) | 作 (内藤政恒養女) |
↓ | |||||
水野 勝寛 | 結城藩知事 | 膺次郎 禊之助 |
勝進長男 | 1869-71 | 1873(18) | − | ↓ 1869減封 17,000石 1871廃藩置県 |
養子・忠愛の とき子爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
本堂茂親(1599出羽本堂城襲封8,980石。1602常陸志筑8,500石)−栄親(分知により8,000石)−玄親−伊親⇒苗親−豊親⇒親房 (従五位下・大和守)−親庸−親道− |
|||||||||||
本堂 親久 | 志筑県知事 | 錦丸 式部少輔 |
親道長男 | 1868-71 | 1895(67) | 1852志筑襲封 8,000石 1868高直し 10,110石 大名に列す 1871廃藩置県 |
男爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
米津 政敏 | 竜ヶ崎藩知事 | 賢之助 伊勢守 長瀞藩知事 大網藩知事 |
米津政明長男 | 1871 | 1895(45) | 1865長瀞(出羽)襲封 11,000石 1869大網(上総)に藩庁を移転 1871竜ヶ崎(常陸)に藩庁を移転 1871廃藩置県 |
子爵 貴族院議員 |
(2007.07.23up)
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