静岡県の主要大名


   静岡県は古く、伊豆・珠流河・廬原・素賀・久努・遠淡海の国造が支配していましたが、大化の改新で駿河・遠江の二国に統合され、681年に駿河国から伊豆国が分離しました。『延喜式』では伊豆が3郡、駿河は7郡、遠江は13郡(後代12郡)。平安朝期の荘園は伊勢神宮などの寺社領や皇族領などが散在し、末期には伊豆の狩野家、駿河の岡部家、遠江の井伊家などの在庁官人の台頭が見られました。鎌倉期の守護は、伊豆・駿河が北条(得宗)家、遠江ははじめ安田家、中期以降は大仏家。南北朝期に伊豆は石塔・畠山・上杉家が守護を務め、駿河は今川家の任国となりましたが、遠江では井伊家が南朝の宗良親王を奉じて活動し、武家方の守護はしばしば交替しました。室町期には伊豆の上杉家、駿河の今川家、遠江の斯波家が守護に定着します。戦国期に入ると、堀越公方が伊豆へ下向しましたが、今川家の被官だった伊勢盛時(=北条早雲)がこれを滅ぼして一国を領有し、次の氏綱の代に今川家から独立します。今川家は斯波家を駆逐して遠江国の守護職を兼帯しました。今川義元が桶狭間の戦で織田信長に敗死すると同家は勢力後退し、戦国末になって武田晴信(=信玄)と徳川家康に分割され滅亡しました。1582年に武田家が信長に滅ぼされると、家康が遠江から駿河までを領有しました。豊臣秀吉は1590年、家康を関東-伊豆を含む-へ移封し、駿河・遠江を中小の織田・豊臣系大名に分割しました。家康が関ヶ原の戦に勝利すると、再び三国に徳川系大名を配置、将軍職を退任した家康が駿府を居城として、没するまで事実上政権を運営しました。江戸期には伊豆に下田奉行が置かれ、駿河・遠江は一時徳川頼宣領、ついで徳川忠長領、その後は中小の譜代大名や上級旗本の所領となりました。江戸中期以降、駿府に城代が置かれ、沼津藩・横須賀藩・掛川藩・浜松藩などの譜代諸藩が置かれ(藩主は江戸後期までしばしば交替)、幕領や旗本領が混在していました。1868年に諸藩は明治新政府によって房総半島へ移され、旧徳川将軍家が静岡藩として、駿河・遠江の大部分を領有しました。1871年の廃藩置県により静岡県と浜松県とが成立、伊豆は足柄県に編入されました。1876年に静岡県、浜松県、および足柄県の旧伊豆国の部分が統合されて静岡県となり、1878年に伊豆諸島が東京府へ編入されて、現在の県域が確定しました。

 遠江守護職   伊豆守護職   堀越公方足利家   今川家=駿河守護   堀越家(=遠江今川家)   蒲原家   富士大宮司   井伊家   奥山家   葛山家   岡部家   天野家   由比家   三浦家   浜名家   興津家   大沢家   飯尾家   加々爪家   朝比奈家   江川家   清水家   松井家   小笠原家   庵原家   久野領主   韮山城主   浜松藩   横須賀藩   掛川藩   駿河府中藩/静岡藩   田中藩   沼津藩   小島藩   相良藩 


遠江守護職(室町時代)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
今川 範国 五郎入道 心省 1336-38後
仁木 義長 右馬権助 1339前-43後
千葉 貞胤 千葉介 1346頃
仁木 義長 越後守 1351頃
今川 範氏 上総介 1352
今川 範国 五郎入道 心省 1352-65後、1379前-1384
今川 貞世 伊予守 了俊 1384-88、1395-99(半国)
今川 仲秋 右衛門佐 仲高 1388-99(1395-99半国)
今川 泰範 上総入道 法高 1400-1404後
(1405年以降は斯波家-愛知県-を参照)
(1508年以降は今川家を参照)


伊豆守護職(室町時代)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
石塔 義房 宮内少輔四郎入道 義慶 1334前-38後
上杉 重能 伊豆守 1346前-49
石塔 義房 宮内少輔四郎入道 義慶 1350?-51
上杉 能憲 兵部少輔 1351
畠山 国清 修理権大夫・阿波守 道誓 1352前-61
高坂 氏重 兵部大輔 1362前-68
上杉 能憲 兵部少輔入道 1368/9-78
(以後は上杉家-群馬県-を参照)


堀越公方 足利家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
足利 政知 従三位
左兵衛督
勝幢院
九山
清久
(せいきゅう)
左馬頭
足利義教四男
(実は二男)
1457-91 1491(57) 武者小路隆光女 1457関東公方
鎌倉へ入部できず
堀越(伊豆)に滞留
伊豆一国を統治
堀越公方
足利 茶々丸 願成就院
福山広徳
政知長男 1491-95 1498
1495伊勢盛時に
敗れて追放
1498失地回復に
失敗して自殺
堀越公方


今川家=駿河守護

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
今川 国氏 四郎 䎆英 吉良長氏二男 1282(40) 幡豆郡今川荘(三河)
今川 基氏 太郎 存英 竜王丸 国氏長男 1323(65)
今川 頼国 式部大輔 頼基
太郎
基氏長男 1335
今川 範国 従五位下
上総介
正光寺
悟庵心省
松丸
五郎
基氏五男 1384(90) 1336-38後
1352-65後
1379前-1384
遠江守護
1338-53
駿河守護
今川 範氏 従五位下
中務大輔
慶寿寺
雲峰信慶
五郎
左馬助
上総介
範国長男 1352頃-65 1365(50)
駿河国内
1352
遠江守護
1353-65
駿河守護
今川 氏家 中務大輔 範氏長男 1365-68? 1368? 駿河守護
今川 泰範 従四位下
上総介
長慶寺
大山法高
左馬助
宮内少輔
範氏二男 1368?-1409 1409 上杉朝顕女 駿河守護
1400-04後
遠江守護
今川 範政 従四位下
民部大輔
今林寺
慶堂道賀
五郎
上総介
泰範長男 1409-33 1433(70) 上杉氏定女 駿河守護
今川 範忠 従四位下
治部大輔
宝処寺
不二全公
彦五郎
上総介
民部大輔
範政二男 1433-61 1461(54) 駿河守護
今川 義忠 従五位下
上総介
長保寺
桂山昌公
彦五郎
治部大輔
範忠長男 1461-76 1476(41) 「北川殿」
(伊勢盛定女)
駿河守護
今川 氏親 従四位上
修理大夫
増善寺
喬山紹僖
竜王丸
五郎
上総介
治部大輔
義忠長男 1479-1526 1526(54) 寿桂
(中御門宣胤女)
駿河守護
1508-26
遠江守護
今川 氏輝 従五位下
上総介
臨済寺
用山玄公
竜王丸
五郎
氏親長男 1526-36 1536(24) 駿河・遠江守護
今川 義元 従四位下
治部大輔
天沢寺
秀峰哲公
栴岳承芳
芳菊丸 氏親五男 1536-60 1560(42) 武田信虎女 駿河・遠江守護
今川 氏真 従四位下
上総介
仙巌院
豊山泰永
宗誾
竜王丸
五郎
彦五郎
義元長男 1560-69
?-1614
1614(77) 北条氏康女
1569失領
後、野洲郡内(近江)
500石
1560-69
駿河・遠江守護
後、徳川家臣
今川 範以 左馬助 徳報院
秀山長英
五郎 氏真長男 (早世) 1607(38) 吉良義安女
今川 直房 従四位下
左少将
刑部大輔
浄峯院
松山青公
範英
五郎
主膳
主膳正
範以長男 1614-61 1661(68) 立花宗茂養女
1645加増
1,000石
高家
子孫は代々
幕府の高家と
して存続


堀越家(=遠江今川家)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
今川 貞世 正四位下
伊予守
海蔵寺
徳翁了俊
六郎
左京大夫
今川範国二男 1418?(93?) 土岐頼雄女 未詳→
藤沢(相模)?→
堀越郷(遠江)
1366-67侍所頭人
1370-95九州探題
1371-95肥前守護
1371-90安芸守護
1371-79備後守護
1374-79豊前守護
1375-87筑前守護
1375-95筑後守護
1376-82薩摩守護
1376-84大隅守護
1378-95壱岐守護
1380-95肥後守護
1384-88,95-99
遠江守護
1385-?日向守護
1395-99
駿河半国守護
今川 仲秋 右衛門佐 仲高 国泰
頼泰
中務少輔
範国四男 千葉某の女 1368侍所頭人
後 肥前守護代
1388-99遠江守護
1393-98尾張守護
今川 貞臣 従五位下
伊予守
義範
孫松丸
左京大夫
貞世長男 1399後-?
今川 貞相 従五位下
治部大輔
安楽寺 伊予守 貞臣男
今川 範将 従五位下
陸奥守
安養寺 伊予守
治部少輔
貞相男 ?-1464 1464
堀越 貞延 陸奥守 海雲東公 六郎 範将男 1464-74 1474 今川家被官
堀越 貞基 治部少輔 源六郎 貞延二男 1474-1537 1537 今川家被官
堀越 氏延 左京大夫 貞直
六郎
貞基男 1537-63
1563失領
今川家被官

   【瀬名家】
瀬名 弌秀 陸奥守 義秀
源五郎
貞延長男 瀬名村(駿河) 今川家被官
瀬名 氏貞 陸奥守 松寿院
玉山
源五郎 弌秀長男 1538(42) 貞基女 今川家被官
瀬名 氏俊 右衛門佐 徳雲寺
別山
貞綱
源五郎
伊予守
氏貞長男 今川氏親女
(一時失領)
今川家被官
瀬名 信輝 伊予守 浄庵 氏詮
氏明
源五郎
左衛門佐
氏俊長男 ?-1569 葛山氏元女
1569失領
今川家被官
瀬名 政勝 十右衛門 玄紅 源五郎 氏明長男 1590前-1616 1616(51) 1590前 復家
300石
1590入間郡内(武蔵)
徳川家臣
瀬名清貞(政勝長男)が加増されて500石となり、旗本として代々存続。        


蒲原家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
今川 直世 弾正少弼 氏兼
九郎
修理亮
越後守
今川範国三男 ?-1374後 幡豆郡内(三河) 越後守護代
今川 頼春 直世二男
蒲原 氏頼 播磨守 頼春男 1432前-?
1432庵原郡蒲原荘(駿河)
蒲原城に居住
今川家被官
蒲原 氏慶 兵部丞 氏頼男 今川家被官
蒲原 貞氏 中務丞 氏慶男 1467頃 今川家被官
蒲原 満氏 左衛門尉 貞氏男 1489前-1536 1536 今川家被官
蒲原 氏徳 宮内少輔 氏政? 満氏男 1536-60 1560 今川家被官
蒲原 徳兼 三郎左衛門尉 氏徳男 1560-68
1568失領
今川家被官


富士(本宮浅間大社)大宮司

氏名 官位/仮名 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
富士 時棟 大宮司 和邇部信時男 1100頃 富士郡富士上方(駿河)
富士 直世 大宮司 時棟男
富士 直信 大宮司 直世男
富士 信親 大宮司 直信男
富士 信直 大宮司 信能 信親男
富士 直則 大宮司 国能 信直男
富士 則時 大宮司 直則男
富士 直時 従五位下
中務権大輔
大宮司
則時男 ?-1345
富士 資時 大宮司 弥一丸 直時男 1345-?
富士 成時 大宮司 資時男 今川家被官
富士 氏時 大宮司 成時男 今川家被官
富士 直氏 右馬介
大宮司
祐本 成時男 今川家被官
富士 政時 大宮司 直氏男 今川家被官
富士 忠時 能登守
大宮司
右馬助 直氏男 1462前-66 (一時、兄・政時と対立)
今川家被官
富士 親時 能登守
大宮司
宮若丸
又次郎
忠時男 1466-93後 今川家被官
富士 信盛 能登守
大宮司
親時男 1493後-? 今川家被官
富士 信忠 兵部少輔
大宮司
宮若
相模守
信盛男 ?-1571前 1583 今川家被官
富士 信通 蔵人
大宮司
中務丞
能登守
信忠男 1571前-? 今川家被官
後、武田家被官
富士 信家 右馬助
大宮司
信通男 武田家被官
後、徳川家被官
武家兼帯から
社家専任へ転換
富士信公(信家男)以降、幕府直属の社家(大宮司家)として、浅間神社と近傍一帯を代々支配。


井伊家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
井伊 共保 備中大夫 寂明 三国(?)共資男 1093? 引佐郡井伊谷(遠江)
井伊 共家 遠江介 良運 共政?
備中次郎
共保男 1165
井伊 共直 遠江権介 正篤院
機峯祐関
政保?
兼政?
九郎
共家男
井伊 惟直 新大夫 智良 政盛?
維政?
太郎
共直男
井伊 盛直 太郎 浄密 道親? 惟直男
井伊 良直 太郎 楞厳院
本心正道
道貞?
次郎?
盛直男
井伊 弥直 太郎左衛門尉 正受院
観空自練
道直? 良直男 1293
井伊 道永 太郎 弥直長男? 1323
井伊 道政 井伊介 太郎 道永長男 1354 (候南朝)
井伊 高顕 井伊介 太郎 道政男
失領?
(候南朝)
井伊 道三 井伊介 井伊道勝
(道政男)の男
後、没落(消息未詳) (候南朝)

   【泰直系井伊家】
井伊 泰直 左衛門尉 了等 次郎 弥直二男? 1331 井伊谷領内 庶家
井伊 行直 左衛門太郎 円定 泰直長男 1367
井伊 景直 彦太郎 元寿 行直長男
井伊 時直 遠江介 景直男
井伊谷城
高顕系没落の後
に宗家となる
井伊 顕直 時直男?
または兄弟?
井伊 諄直 顕直男?
または兄弟?
井伊 成直 遠江権介 諄直男?
または兄弟?
1439 (時直~成直の
続柄は未詳)
井伊 忠直 弥太郎 義穏 成直男 1485
井伊 直氏 弥太郎 常明院
寿岳道栄
次郎 忠直男 1508 (渋川井伊家=
泰直孫・直貞系
「井伊次郎」との
関係は未詳)
井伊 直平 信濃守 桂雲院
西月顕祖
修理亮
兵部少輔
直氏長男 1563(75) 井伊安直女 今川家被官
井伊 直宗 宮内少輔 華蔵院
心翁昌安
直平長男 ?-1542 1542 井平直郷女 今川家被官
井伊 直盛 信濃守 竜潭寺
天運道鑑
虎松
内匠助
直宗長男 1542-60 1560(35) 新野親種女 今川家被官
井伊 直親 肥後守 大藤寺
創峯宗慧
亀之丞 井伊直満
(直平二男)
の男
1560-63 1563(27) ひよ
(奥山朝利女)
今川家被官
井伊 直虎
(女性)
次郎法師 妙雲院
月船祐円
直盛女 1565-75 1582
1568失領
同年、復帰
1570再度失領
1573再度復帰
徳川家被官
井伊 直政 従五位下
侍従
兵部少輔
虎松
万千代
直親長男 1575-1602 1602(42)
(松平康親女)

1590箕輪城
(上野)転封
徳川家臣


奥山家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
奥山 朝清 左衛門太郎 蓮定 赤座共明
(井伊一族)男
1312 引佐郡奥山郷(遠江)
奥山 盛朝 六郎 朝清二男
奥山 朝良 六郎次郎 道円 盛朝男
奥山 直朝 越前守 朝良男 1375 (候南朝)
奥山 朝藤 修理亮 六郎次郎 直朝男 (候南朝)
奥山 朝実 六郎次郎 朝藤長男
奥山 助朝 中務少輔 朝実男?
奥山 朝次 左京亮 助朝男
奥山 親朝 因幡守 朝次男?
奥山 朝利 因幡守 親朝男 1562? 今川家被官
奥山 朝宗 因幡守 親秀 朝利男 ?-1560 1560 今川家被官
奥山 朝忠 六左衛門 奇峯道雲 朝宗男 1560-1629 1629
1590井伊家に随従して
箕輪(上野)領内へ移転
1600佐和山(近江)領内
井伊家臣
子孫は彦根藩
笹之間詰(重臣)
700石

   【久頭郷奥山家】
奥山 定則 金吾正 朝藤二男 1338久頭郷城(遠江) (候南朝)
(途中未詳)
奥山 良茂 大膳亮 定則の裔 今川家被官
奥山 定之 能登守 良茂男 1560 今川家被官
奥山 貞益 民部少輔 定之長男 1569 今川家被官
奥山 定吉 加賀守 定之三男 大洞若子城(遠江) 分立
奥山 吉兼 大膳亮 定吉男 はじめ分立
後に一家統合?
武田家被官
奥山 定友 兵部丞 定之四男 小川城(遠江) はじめ分立
後に吉兼跡式継承?
今川家被官
奥山 友久 左近将監 定友男
1590井伊家に従い
箕輪領へ移る。
徳川家被官
後、井伊家臣


葛山家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
鮎沢 惟兼 従五位上
四郎大夫
高橋惟康男 12C中葉 駿東郡葛山(駿河)
葛山 惟忠 二郎 惟兼男
葛山 惟重 六郎 惟忠男 1180前-?
葛山 広重 左衛門尉 惟重男
葛山 惟時 次郎兵衛尉 広重男
葛山 惟行 六郎 惟時男
葛山 惟宗 次郎左衛門尉 惟行男
(途中未詳)
葛山 駿河守 惟宗の裔? 1434頃 葛山城
葛山 氏広 駿河守との
関係未詳
1479頃
葛山 惟貞 備中守 氏広との
関係未詳
今川家被官
葛山 氏時 左馬助 新六郎 伊勢盛時二男 (後、別に玉縄
北条家
を創設)
今川家被官
葛山 氏堯 氏時男 今川家被官
葛山 氏広 中務大輔 竜光院
大円登雲
氏貞 氏時男 1524前-38/9 1538/9 今川家被官
葛山 氏元 備中守 元氏 氏広
(中務大輔)男
1538/9-72? 1573? 今川家被官
後、武田家被官
葛山 信貞 十郎 義久
六郎
武田晴信六男 1572?-82 1582
1582滅亡
武田家被官


岡部家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
岡辺 清綱 駿河権守 藤原維綱男 志太郡岡部(辺)郷(駿河)
岡部 泰綱 駿河権守 清綱男 13C前半
岡部 忠綱 八郎 泰綱男
岡部 長綱 小次郎 忠綱男 (以後、時綱までの
継承は確認できず)
岡部 家綱 左京大夫 長綱男
岡部 康綱 権守 太郎 家綱男
岡部 照綱 次郎 康綱男
岡部 時綱 左兵衛尉 明綱 照綱男
岡部 永綱 和泉守 時綱男 1423頃 今川家被官
岡部 春綱 石見守 良喜 永綱男 今川家被官
岡部 良綱 石見守 春綱男 今川家被官
岡部 仲綱 次郎 良綱男 今川家被官
岡部 信綱 美濃守 常慶 久綱 仲綱男 1547
高田(駿河)
今川家被官
岡部 正綱 次郎右衛門尉 吸江院
好雪道龐
信綱長男 ?-1583 1583(42)
1568清水城(駿河)
1582駿河・甲斐二国内
今川家被官
後、武田家臣
後、徳川家臣
岡部 長盛 従五位下
内膳正
半弥
弥次郎
正綱長男 1584-1632 1632(65)
1590山崎(下総)
1609亀山城(丹波)転封
徳川家臣

   【岡部和泉守家】
岡部 和泉守 春綱男? 未詳 今川家被官
岡部 左京進 和泉守男? 今川家被官
岡部 親綱 左京進 玄忠 二郎 左京進男 1562 今川家被官
岡部 元信 丹波守 宗心 長教
真幸
元綱
五郎兵衛尉
親綱男 ?-1581 1581 今川家被官
後、武田家臣


天野家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
天野 遠景 民部丞 蓮景 藤原景光男 ?-1207後 田方郡天野荘
(伊豆)
天野 政景 和泉守 覚正仏円 六郎 遠景長男 1219前-39後
安芸国などにも所領
長門守護
天野 景氏 次郎左衛門尉 政景二男
天野 景茂 新左衛門尉 景氏男
(以後未詳)

   【犬居天野家】
天野 景経 安芸守 真阿心義 七郎左衛門尉 政景七男 1252(63) 周智郡山香荘(遠江)
天野 遠時 周防守 経景? 景経長男
天野 経顕 周防七郎左衛門尉 遠時男 1336
天野 経政 三郎 経顕男
天野 景隆 下野守 近江守 経政男 1375前-82後
天野 秀政 安芸守 修理亮 景隆男 1400頃
天野 景政 左京亮 秀政男
犬居城を築く
天野 景顕 安芸守 景政男
(途中未詳)
天野 安芸守 景政の裔 今川家被官
天野 景泰 安芸守 安芸守の男 ?-1563
1563今川家に離反
今川家被官
天野 藤秀 宮内右衛門尉 犬房
小四郎
天野虎景男 1563-? 秋葉城主
1563犬居の跡式を継ぐ
今川家被官
天野 景貫 安芸守 小四郎
宮内右衛門尉
藤秀男 ?-1573
1573失領
今川家被官
後、徳川家被官
後、武田家被官

   【天野三郎兵衛家】        
天野 遠房 縫殿助 景政の裔 16C前半 (三河国内) 松平家臣
天野 景隆 甚右衛門 正欣 遠房男 1580(78) 松平家臣
天野 康景 三郎兵衛 興圀寺
報誉宗恩
景能
又五郎
景隆男 ?-1607 1613(77) 1586采地知行
1590大須賀(下総)
3,000石
1601興国寺城(駿河)
10,000石
1613争論退去、改易
徳川家臣
天野康宗(従五位下・対馬守。康景長男)が1628復家、1,000石の旗本として代々存続。


由比家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
由比 光高 大五郎 大宅光延男 13C中葉 庵原郡由比郷(駿河)
由比 為光 大次郎 光高男
由比 光朝 左衛門尉 為光男
由比 光時 大四郎 浄円 光朝男 1380頃 今川家被官
由比 光茂 西山季茂男
光時外孫
今川家被官
(途中未詳)
由比 光規 豊前守 光茂の裔 ?-1523後 今川家被官
由比 光澄 寅寿丸 光規男 今川家被官
由比 光資 助太郎 光澄男 ?-1568
1568失領
今川家被官

   【川入由比家】
由比 光行 弥五郎 光茂の裔 15C後半 川入城(駿河) 今川家被官
由比 直任 孫二郎 光行男 今川家被官
由比 光家 五郎二郎 直任男 今川家被官
由比 光張 光家男 今川家被官
由比 光教 助四郎 光張男 今川家被官
由比 正信 美作守 由比安忠(直任孫)男 ?-1560 1560 今川家被官
由比 正純 出羽守 正信男 1560-69 1569
1569滅亡
今川家被官


三浦家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
三浦 朝信 三浦朝村男? 13C後半 未詳
三浦 朝久 四郎左衛門尉 朝信男
三浦 宗久 太郎左衛門尉 朝久男 1352頃 安倍郡安東荘(駿河)
三浦 高久 遠江守 宗久男 今川家被官
三浦 範永 隠岐守 高久男 今川家被官
(同時代の「三浦安芸守」
との関係は未詳)
三浦 範高 次郎左衛門尉 範永男 1476頃 今川家被官
三浦 氏員 上野介 範時? 範高男 今川家被官
(代数に欠落あるか?)
三浦 氏満 次郎左衛門尉 三休
喜春
氏俊 氏員男 1630(83)
1568失領
後、徳川家内で扶持
後代350石で存続
今川家被官
後、武田家臣
後、北条家臣
後、徳川家臣

   【三浦備後守家】
三浦 正俊 備後守 内匠助 朝信の裔 1565 未詳 今川家被官
三浦 真俊 与次 正俊男 1568没落 今川家被官


浜名家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
浜名 頼氏 源頼政の裔 13C後半 浜名郡浜名(遠江)
浜名 清政 左近大夫 鵺代二郎 頼氏男
1348佐久城を築く
浜名 詮政 備中守 清政男 1375前-81後
浜名 満政 備中守 詮政男
浜名 持政 兵庫助 満政男
浜名 政義 隼人正 持政男 今川家被官
浜名 政明 備中守 三郎
兵庫助
政義男 1487前-1522後 今川家被官
浜名 頼親 政明男 今川家被官
浜名 正国 三郎 頼親男 ?-1560後 今川家被官
浜名 頼広 肥前守 重政?
三郎
兵庫助
正国男 1560後-68
1568失領
今川家被官


興津家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
興津 美作守 入江(興津)
維道の裔
1356頃 1356後
庵原郡横山城(駿河)
(途中未詳)
興津 盛綱 左衛門尉 覚阿 彦九郎 美作守の裔 1528 今川家被官
興津 彦九郎 宗鉄 盛綱男? 今川家被官
興津 清房 左衛門尉 彦九郎 宗鉄男? ?-1561後
1561後 廃絶?
今川家被官

   【興津美濃守家】
興津 久信 美濃守 美作守の裔
または同族
1514頃 横山領内? 今川家被官
(美作守系との
宗支関係未詳)
興津 正信 藤兵衛尉 久信男? 今川家被官
興津 信綱 美濃守 弥四郎 正信男? ?-1568 1561以降惣領家?
横山城主?
1568失領
今川家被官


大沢家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
持明院 基秀 左中将 持明院家藤
(公家)男
1362頃 1362後
敷智郡堀江城(遠江)
大沢 基久 従四位下
侍従
左衛門佐
基秀男
大沢 基武 治部大輔 基久男 (以後、基相までの
世系の正確性は未詳)
大沢 基利 右兵衛佐 基武男
大沢 基景 左衛門佐 基利男
大沢 基輝 治部大輔 基景男 このころ今川家被官
大沢 基房 左衛門佐 基輝男 今川家被官
大沢 基相 治部大輔 基房男 今川家被官
大沢 基胤 左衛門佐 月江院
雪天長盛
基相男 1605(80) 今川家被官
後、徳川家被官
大沢 基宿 正四位下
左中将
兵部大輔
真休斎 民部 基胤長男 1588前-1632 1640(76)
1590小滝(上総)
1600堀江
1,550石
高家
大沢基重(従四位下・侍従・右京亮。基宿長男)以後、代々高家として存続、後代5,562石。
大沢基寿が1868年、明治政府に10,006石と申告、「堀江藩」を自称するも、廃藩置県後に虚偽が発覚して取り消される。


飯尾家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
飯尾 長連 善左衛門尉 飯尾親実男? 1476 駿河国内 今川家被官
飯尾 賢連 善左衛門尉 長連男
1516引間城(遠江)
今川家被官
飯尾 乗連 豊前守 善四郎 賢連男 ?-1560 1560 今川家被官
飯尾 連竜 豊前守 致実
善四郎
乗連男 1560-65 1565
1565誅殺、滅亡
今川家被官


加々爪家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
加々爪 政定 修理亮 太郎 上杉(八条)満定男
(今川範政猶子)
15C中葉 未詳 今川家被官
加々爪 忠定 右京亮 政定男 山名郡山名新池郷
(遠江)
今川家被官
加々爪 政泰 右京亮 忠定男 今川家被官
加々爪 泰定 右京亮 藤八 政泰男 1547 今川家被官
加々爪 政豊 備前守 松月 千増 泰定男 ?-1592? 1621
1568徳川家に降伏
本領安堵
1590高座郡内(相模)
今川家被官
後、徳川家臣
加々爪 政尚 従五位下
隼人正
東雲院
雪岡宗渓
甚十郎
民部
備後守
政豊二男 1592?-96 1596(35) 1592高坂(武蔵)
3,000石
徳川家臣
加々爪 忠澄 従五位下
民部少輔
宗黒 甚十郎 政尚長男 1596-1641 1641(56)
後、累増
1632加増
9,500石
大目付
加々爪 直澄 従五位下
甲斐守
名月庵鑑 藤八郎
次郎右衛門
甚十郎
忠澄長男 1641-79 1685(76)
1641前封を加え
10,000石
掛塚(遠江)近傍
1668加増
13,000石
寺社奉行
加々爪 直清 従五位下
土佐守
図書 石川総長二男 1679-81 1685(43)
1681落度改易


朝比奈家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
朝比奈 泰永 丹後守 吉俊 朝比奈泰智男? 15C後半 益津郡内(駿河)? 今川家被官
朝比奈 泰煕 備中守 丹波守 泰永男 ?-1512 1512 1469後 掛川城(遠江) 今川家被官
朝比奈 泰能 備中守 泰就
又太郎
弥次郎
泰煕男 1512-57 1557 今川家被官
朝比奈 泰朝 備中守 左京亮 泰能男 1557-69
1569退去、失領
今川家被官


江川家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
江川 英住 左馬亮 正慶 江川英房
(久朝?)男
15C末 1515 田方郡内(伊豆) 北条家被官
江川 英盛 肥前守 日了 久盛
彦五郎
英住長男 1520 北条家被官
江川 英景 彦左衛門尉 日祐 吉久 英盛長男 1532 北条家被官
江川 英元 太郎右衛門尉 日立 吉直
吉茂
孫太郎
兵衛大夫
肥前守
英景長男 1532-61 1561(49) 北条家被官
江川 英吉 肥前守 善祐日運 孫太郎
太郎左衛門
英元長男 1561-90 1625(80)
1590没落
北条家被官
江川 英長 太郎左衛門 荷年日啓 英吉長男 1590-1615後 1632(72) 1590徳川家より所領安堵
物成十分の一付与
1601後 韮山(伊豆)代官
同地周辺一帯を管理
徳川家臣
江川英政(英長三男)以降、韮山代官を世襲。後代、英暉のとき蔵米150俵に変更、代々存続。


清水家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
清水 某 盛吉? 未詳 15C末 賀茂郡加納(伊豆) 北条家被官
清水 綱吉 上野介 太郎左衛門尉 某の男 1523前-41後 北条家被官
清水 康英 上野介 常楽寺
茂林祖繁
太郎左衛門尉 綱吉男 1541後-86前 1591(60)
(致仕後、1590年
下田城将となる)
北条家被官
清水 政勝 太郎左衛門 本政院
玉巌意笑
正花
新七郎 康英二男 1586前-90 1616
1590失領
1600結城秀康に
仕え、後に越前国内
1,025石
北条家被官
後、結城家臣


松井家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
松井 宗能 山城守 松井山城守男 16C初頭? 城東郡平川郷(遠江)
堤城に居住
今川家被官
松井 貞宗 兵庫助 八郎 宗能男 1563前 今川家被官
松井 信薫 左衛門尉 心応正前 義行?
兵庫助
山城守
貞宗長男 ?-1529 1529
1514二股城(遠江)
今川家被官
松井 宗信 左衛門佐 寂応自空 五郎八郎
兵部少輔
貞宗二男 1529-60 1560(46) 今川家被官
松井 宗恒 山城守 八郎 宗信男 1560-68後
1568家臣団が
徳川家に降伏
宗恒は武田家へ
今川家被官


小笠原家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
小笠原 長高 信濃守 浄願 豊若丸
彦五郎
右馬助
左京大夫
小笠原貞朝長男 1544(57) 知多郡名和(尾張)
後 幡豆郡内(三河)
後 浅羽荘(遠江)
馬伏塚城に居住
織田家被官
後、吉良家被官
後、今川家被官
小笠原 春義 左京進 春義 長氏
豊千代
彦太郎
与八郎
左京大夫
長高長男 1572
1521高天神城(遠江)
今川家被官
小笠原 氏清 美作守 泰翁 氏興
豊若
彦五郎
与八郎
左京進
春義長男 ?-1569 1569 今川家被官
後、徳川家被官
小笠原 信興 弾正忠 氏義
氏助
長忠?
与八郎
氏清長男 1569-82 1590?
1582失領
後、誅殺
徳川家被官
後、武田家被官
小笠原 義頼 右京進 道鉄 茂頼
豊松
彦五郎
弥八郎
春義四男 1582-? 1613(79) 1582復家
馬伏塚城
後、横須賀領附属
3,300石
徳川家臣
長男・義信以降は
紀伊徳川家臣
小笠原胤次(従五位下・肥前守。義信曽孫)が1716旗本となり、4,500石で代々存続。      


庵原家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
庵原 政盛 左衛門尉 近江蒲生一族の裔? 16C前半 庵原郡庵原
庵原城(駿河)に居住
今川家被官
庵原 忠職 忠次? 政盛男 今川家被官
庵原 忠胤 安房守 由比忠任男 ?-1568
1568失領
今川家被官


久野領主

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 領主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考

   〔久野家(前期)〕
久野 宗隆 佐渡守 遠江久野一族 16C前半 山名郡久野(遠江)
久野城を築く
今川家被官
久野 忠宗 三郎左衛門尉 宗隆男? 今川家被官
久野 元宗 三郎四郎 宗忠 忠宗長男 ?-1560 1560 今川家被官
久野 宗能 (下段参照) (下段参照) 1560-90
1590佐倉(下総)近傍?
13,000石
(まもなく致仕。
以後は下段参照)
今川家被官
後、徳川家臣

   〔松下家〕
松下 之綱 従五位下
石見守
正寿院
真誉長参
熊太郎
加兵衛
肥前守
松下長則長男 1590-98 1598(62) 碧海郡松下郷(三河)
父の所領継承
後、頭陀寺城(遠江)
1574後 失領
1583羽柴家臣として
丹波等二国内に所領
2,000石(累増6,000石)
1590久野城
16,000石
今川家被官
後、豊臣家臣
松下 重綱 従五位下
石見守
左助
右兵衛尉
之綱二男 1598-1603
1603小張(常陸)転封
1616烏山城(下野)転封

   〔久野家(後期)〕
久野 宗能
(再封)
三郎左衛門 大得院
宗安
忠宗三男 1603-09 1609(83) 下総国内にて致仕後、
長男・宗朝(従五位下・
民部少輔)が継ぐが、
1596殺人の後に自殺
宗能が旧領のうち
1,000石で再封
1603久野城に復帰
8,500石
久野 宗成 従五位下
丹波守
金五郎 久野宗朝二男
(父の罪により
祖父・宗能の
養子となる)
1609-19 1625(44)
1611徳川頼宣に附属
1619田丸城(伊勢)転封

   〔北条家〕 
北条 氏重 従五位下
出羽守
久太郎 保科正直四男
北条氏勝養子
1619-40 1658(64) 1611岩富(下総)襲封
10,000石
1613富田(下野)
1619久野城
1640関宿城(下総)転封
大番頭


韮山城主

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 城主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考

   〔北条家〕
北条 氏規 美濃守 助五郎
左馬助
北条氏康四男 1569-?
1579-82
1588-90
1600(56) 1567三崎(相模)城主として
韮山城将(伊豆)を三度兼任
1590失領
1591丹南郡内(河内)復封
北条家臣

   〔内藤家〕
内藤 信成 三左衛門 嶋田景信二男
内藤清長養子
1590-1601 1612(68) 1565中島(三河)新封
1589常光寺城(甲斐)
6,000石
1590韮山城
10,000石
1601駿河府中城転封
徳川家臣


浜松藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔徳川家〕        
徳川 家康 (在城1570-86。江戸幕府徳川家を参照)

   〔土岐家(徳川家の城代)〕
菅沼(明智)
定政
藤蔵 愛菊 明智定明長男 1586-90
(城代)
1597(47) 鳥居元忠女 1582切石(甲斐)知行
1586浜松城代となり
徳川世子・秀忠を補佐
1590守谷(下総)転封
徳川家臣

   〔堀尾家〕
堀尾 吉晴 従四位下
帯刀
法雲院
松庭世栢
可晴
吉定
吉直
二王丸
小太郎
毛介
堀尾泰晴男 1590-99 1611(69) 津田某の女 1582氷上郡内(丹波)
1583高浜城(若狭)
17,000石
1584坂本城(近江)
20,000石
1585佐和山城(近江)
40,000石
1590浜松城(遠江)
120,000石
中老
(豊臣政権)
堀尾 忠氏 正五位下
信濃守
弥介 吉晴二男 1599-1600 1604(28) 前田玄以女
1600富田城
(出雲)転封

   〔松平(桜井)家〕
松平 忠頼 従五位下
左馬允
円通院
観翁浄喜
松平忠吉二男
松平家広養子
1601-09 1609(28) 織田長益女 1601松山城
(武蔵)襲封
25,000石
同年、浜松城
50,000石
1609横死、改易
1610長男・忠重が
深谷(武蔵)領内に
再封、復家
1622佐貫城(上総)

   〔水野(重央系)家〕
水野 重央 従五位下
出雲守
重信
重仲
藤四郎
藤次郎
対馬守
水野忠分三男 1609-19 1621(52) 安部信盛養妹 徳川領内にて知行
5,500石
1592武蔵・上総二国内
7,000石
1608徳川頼宣に附属
水戸(常陸)領内
10,000石
1609浜松城
25,000石
1617加増
35,000石
1619新宮城
(紀伊)転封
大番頭

   〔高力家〕
高力 忠房 従五位下
摂津守
忠長
左近
左近大夫
高力正長長男 1619-38 1655(72) まん
(真田信之女)
1599岩槻城
(武蔵)襲封
20,000石
1619浜松城
31,500石
1634加増
36,500石
1638島原城
(肥前)転封
奏者番

   〔松平(大給)家〕
松平 乗寿 従五位下
和泉守
乗勝
源次郎
松平家乗長男 1638-44 1654(55) 松平康長女 1614岩村城
(美濃)襲封
20,000石
1638浜松城
35,000石
1644館林城
(上野)転封
奏者番

   〔太田家〕
太田 資宗 従五位下
備中守
瑞華院
道顕日応
康資
新六郎
摂津守
采女正
太田重正二男
太田勝=梶
(重正の妹、
または姪。
徳川家康妾)
の養子
1644-71 1680(81) 板倉重宗女 1638西尾城(三河)
35,000石
1644浜松城
六人衆
(=若年寄)
太田 資次 従五位下
摂津守
資世
左馬助
資宗二男 1671-78 1684(56) 本多忠利女
長(宗義成女)

1671分知
32,037石
1678摂津等五国内
転封(大坂城代)
寺社奉行

   〔青山家〕
青山 宗俊 従四位下
因幡守
蟠竜院
義辺寸忠
光俊
伊勢千代
藤五郎
青山忠俊長男 1678-79 1679(76) 1662摂津等六国内
50,000石(大坂城代)
1678浜松城
青山 忠雄 従五位下
和泉守
凌松院
広巌紹闊
忠親
伊勢千代
宗俊二男 1679-85 1685(35) 真田信政女
青山 忠重 従五位下
下野守
冬松
喜大夫
宗俊三男 1685-1702 1722(69) 青山幸通女
青山幸実女

1702亀山城
(丹波)転封

   〔松平(本庄)家(第一期)〕
松平 資俊 従四位下
侍従
伯耆守
源徳院
静誉善澄
義海
宗俊
辰之助
太郎三郎
太郎兵衛
安芸守
豊後守
本庄宗資二男 1702-23 1723(64) 佐野勝由女 1699笠間城
(常陸)襲封
50,000石
1702浜松城
70,000石
1705称松平
松平 資訓 1723-29 (下段参照)

   〔松平(大河内)家〕
松平 信祝 従四位下
侍従
伊豆守
万松院
泰叟道雲
信高
亀千代
甲斐守
松平信輝長男 1729-44 1744(62) 種=稲子
(酒井忠挙養女)
1712吉田城(三河)
70,000石
1729浜松城
老中
松平 信復 従五位下
伊豆守
泉四郎
左衛門佐
信祝長男 1744-49 1768(50)
1749吉田城転封

   〔松平(本庄)家(第二期)〕
松平 資訓 従四位下
侍従
豊後守
大隆院
興誉仁岳
寂然
宗惇
資惇
捨五郎
主膳
図書頭
佐野勝由二男
(本庄宗資の
姉の孫)
1749-52 1752(53) 有馬頼元女
浅野綱長女
松平輝貞養女
1723浜松城襲封
70,000石
1723吉田城
(三河)転封
1749浜松城
京都所司代
松平 資昌 富之助 豊之助 資訓四男 1752-58 1762(19)
1752宮津城
(丹後)転封

   〔井上家(第一期)〕
井上 正経 従四位下
侍従
大和守
保光院
善徳登竜
日門
正賢
利容
正燕
民部
河内守
井上正之長男 1758-66 1766(42) 町子
(仙石政房女)
1756摂津等四国内
60,000石(大坂城代)
1758浜松城
老中
井上 正定 従五位下
河内守
善隆院
義勇日詠
岑有
銕之進
正経二男 1766-86 1786(33) 松平乗佑女
土岐定経女
寺社奉行
井上 正甫 従五位下
河内守
武三郎
直之助
正定長男 1786-1817 1858(80)
(真田幸弘女)
松平武寛女

(織田信浮女)

1817棚倉城
(陸奥)転封
奏者番

   〔水野(忠元系)家〕        
水野 忠邦 従四位下
侍従
越前守
英烈院
忠亮孝友
於菟五郎
式部少輔
和泉守
左近将監
松軒
菊園
水野忠光二男 1817-45 1851(58)
(酒井忠進女)
1812唐津城
(肥前)襲封
60,000石
1817浜松城
70,000石
1845蟄居
老中
水野 忠精 金五郎 忠邦長男 1845 1884(53) 1845父の失政により
減封2万石の上、
山形城(出羽)転封

   〔井上家(第二期)〕
井上 正春 従四位下
侍従
河内守
亀丸 正甫長男 1845-47 1847(42) 阿部正精女
於昌
(松平忠学養女)
1836館林城(上野)
60,000石
1845浜松城
井上 正直 侍従
河内守
英之助 正春四男 1847-68 1904(68) 芳(松平忠固女)
行(板倉勝殷女)

1868上総国内へ転封
老中


横須賀藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔松平(大須賀)家(第一期)〕
大須賀 康高 五郎左衛門尉 大須賀正綱男 1581-89 1589(63) 1580横須賀城(遠江)
大須賀 忠政 (下段参照) (下段参照) 榊原康政長男
(康高外孫)
1589-90 (下段参照)

   〔渡瀬家〕
渡瀬 繁詮 左衛門佐 氏繁
繁勝
重詮
小次郎
由良成繁二男 1590-95 1595 有馬則頼女 1585前 豊臣家臣
1590横須賀城
30,000石
1595豊臣秀次に
連座して改易、賜死

   〔有馬家〕
有馬 豊氏 従五位下
玄蕃頭
万助 有馬則頼二男 1595-1600 1642(74)
(松平康直女・
徳川家康養女)
1595新封、横須賀城
30,000石
1600福知山城
(丹波)転封

   〔松平(大須賀)家(第二期)〕
松平 忠政 従五位下
出羽守
華馨院
泰誉叟安
国千代
五郎左衛門
榊原康政長男
(康高外孫)
1601-07 1607(27) 松平康元女
=徳川家康養女
1589横須賀城襲封
1590久留里城(上総)
30,000石
1601横須賀城復帰
60,000石
1602称松平
松平 忠次 五郎左衛門 国千代 忠政長男 1607-15 1665(61)
1615館林城(上野)
榊原康勝の継嗣と
なり、当家は廃絶

   〔松平(能見)家〕
松平 重勝 従五位下
大隅守
松岳院
雄誉助白
伝三郎
次郎右衛門
越前守
松平重吉四男 1619-20 1620(72) 鳥居忠吉女 1617関宿城(下総)
26,000石
1619横須賀城
駿府城代
松平 重忠 従五位下
丹後守
重政
伝三郎
重勝長男 1620-22 1626(57) 毛利高政女
1622上山城
(出羽)転封
駿府城代

   〔井上家〕
井上 正就 従五位下
主計頭
忠源院
隆昌日操
半九郎 井上清秀三男 1622-28 1628(52) 市川孫左衛門女 徳川領内で知行
150石、後累増
1615加増(地未詳)
10,000石
1622横須賀城
52,500石
加判
井上 正利 従五位下
河内守
大学助 正就長男 1628-45 1675(70) 鳥居成次女 1628分知
47,500石
1645笠間城
(常陸)転封
奏者番

   〔本多家〕
本多 利長 従五位下
越前守
石見 本多忠利六男 1645-82 1692(58) 松平正綱女 1645岡崎城
(三河)襲封
50,000石
同年、横須賀城
1682不行跡減知
村山郡内(出羽)転封

   〔西尾家〕
西尾 忠成 従五位下
隠岐守
東麟院
元彩祥鳳
勝之助
右京
西尾忠昭長男 1682-1713 1713(61) 丹羽光重女 1679小諸城(信濃)
25,000石
1682横須賀城
西尾 忠尚 従四位下
侍従
隠岐守
高鳳院
徳巌道樹
忠直
千次郎
播磨守
忠成四男 1713-60 1760(72) 辨子
(京極高豊女)

1745加増
30,000石
1749加増
35,000石
老中
西尾 忠需 従四位下
主水正
寿量院
覚翁乗蓮
安三郎
主水
京極高或二男 1760-72 1789(74) 奏者番
西尾 忠移 従五位下
隠岐守
慈徳院
覚体天光
尚親
金三郎
兵部
山城守
忠需二男 1772-1801 1801(56) 千賀
(田沼意次女)
寺社奉行
西尾 忠善 従五位下
隠岐守
高徳院
傑山道寿
栄次郎
右衛門佐
右京亮
(致仕後)
豊後守
牧野貞長四男 1801-29 1830(63) 年(忠移女) 奏者番
西尾 忠固 従五位下
隠岐守
戒珠院
粛堂瑞光
剛之丞
右京亮
(致仕後)
豊後守
忠善四男 1829-43 1857(47)
(松平宗発女)
西尾 忠受 従五位下
隠岐守
高俊院
仙峰道安
華渓
式部少輔 酒井忠実三男 1843-61 1861(41)
(土岐頼布女)
奏者番
西尾 忠篤 隠岐守 鎰之助 忠受長男 1861-68 1910(61) 瑟子
(松平親良女)
明子
(堀越角次郎女)

1868花房(安房)転封


掛川藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔山内家〕
山内 一豊 従五位下
対馬守
辰之助
猪右衛門
山内盛豊三男 1590-1600 1605(61) 若宮友興女 1585長浜城(近江)
20,000石
1590掛川城(遠江)
50,000石
1595まで累増
68,000石
1600高知城
(土佐)転封

   〔松平(久松)家(隠岐守)〕
松平 定勝 従五位下
隠岐守
長福
三郎四郎
久松俊勝四男 1601-07 1624(65) 奥平貞友女 1590新封
小南(下総)
3,000石
1601掛川城
30,000石
1607伏見(山城)城代
1617桑名城
(伊勢)転封
松平 定行 従五位下
河内守
定重
千松
刑部
定勝二男 1607-24 1668(82) 島津家久養女 1607掛川城
30,000石
1624父の継嗣と
なり所領収公

   〔安藤家〕
安藤 直次 従五位下
帯刀
千福丸
彦四郎
彦兵衛
安藤基能長男 1617-19 1635(82) 中根助右衛門女
本多信俊女
1591新封、武蔵国内
1,000石
1607まで累増
13,030石
1610駿府藩主(当時)
徳川頼宣に附属
1615分知
10,000石
1617掛川城(遠江)
20,000石
1619田辺城
(紀伊)転封
加判

   〔松平(久松)家(越中守)〕
松平 定綱 従五位下
越中守
定信
亀松
三郎四郎
定勝三男 1618-25 1651(60) 浅野長政女 1616下妻(常陸)
30,000石
1618掛川城
1623加増
35,000石
1625淀城
(山城)転封

   〔朝倉家〕
朝倉 宣正 従五位下
筑後守
宣政
藤十郎
朝倉在重長男 1625-32 1637(65)
(土井利昌女)
1590関東にて采地
200石、後累増
1621甲斐国内
10,000石
徳川忠長に附属
1622加増
16,000石
1625掛川城
26,000石
1632忠長に連座
改易、配流

   〔青山家〕
青山 幸成 従五位下
大蔵少輔
石之助
藤蔵
雅楽助
青山忠成四男 1633-35 1643(58) 小笠原信之女 1619新封 常陸国内
1623加増
16,000石
1633掛川城
26,000石
1634加増
33,000石
1635尼崎城
(摂津)転封
書院番頭

   〔松平(桜井)家〕
松平 忠重 従五位下
大膳亮
正覚院
観誉春翁
道喜
松平忠頼長男 1635-39 1639(39) 木下延俊女 1633田中城(駿河)
1634加増
30,000石
1635掛川城
40,000石
奏者番
松平 忠倶 万助 忠重長男 1639 1696(63) 松平定行養女
1639飯山城
(信濃)転封

   〔本多家〕
本多 忠義 従五位下
能登守
忠光
唐之助
右兵衛
幸千代
本多忠政三男 1639-44 1676(75)
(森忠政女)
1626姫路本多家
より分家新封
姫路領内(播磨)
40,000石
1631加増
50,000石
1639掛川城
70,000石
1644村上城
(越後)転封

   〔松平(藤井)家〕
松平 忠晴 従五位下
伊賀守
与吉郎 松平信吉二男 1644-48 1669(72) 杉原長房女 1642田中城(駿河)
25,000石
1644掛川城
30,000石
1648亀山城
(丹波)転封

   〔北条家〕
北条 氏重 従五位下
出羽守
久太郎 保科正直四男
北条氏勝養子
1648-58 1658(64) 杉原長房女 1644田中城(駿河)
25,000石
1648掛川城
30,000石
1658無嗣、絶家

   〔井伊家〕
井伊 直好 従五位下
兵部少輔
大勝院
日頼春杲
直之
大膳
万千代
井伊直勝長男 1659-72 1672(55) 酒井忠勝女
松平家信女
1645西尾城(三河)
35,000石
1659掛川城
井伊 直武 従五位下
伯耆守
原忠院
高節元義
菊千代
万千代
直好長男 1672-94 1697(48)
(安藤重之養女)
井伊 直朝 従五位下
兵部少輔
温良院
恭徳宜謙
直旧
菊千代
万千代
兵部
(致仕後)
伯耆守
直武長男 1694-1705 1715(36) 井伊直該女
1705精神疾患に
より改易
井伊 直矩 万千代 弁之丞 井伊直該四男 1705 1742(50) 阿部正邦女 1705継嗣直後に
与板(越後)転封

   〔松平(桜井)家〕
松平 忠喬 従五位下
遠江守
倶武
勝千代
与七郎
松平忠継二男
松平忠倶
(祖父)継嗣
1706-11 1756(75) 戸田忠真女 1696飯山城
(信濃)襲封
40,000石
1706掛川城
1711尼崎城
(摂津)転封

   〔小笠原家〕
小笠原 長煕 従五位下
壱岐守
乾亨院
貞山崇元
長信
長寛
津八郎
小笠原長重二男 1711-39 1752(63)
(松平頼貞女)
1710岩槻城
(武蔵)襲封
60,000石
1711掛川城
小笠原 長庸 従五位下
山城守
祥雲院
竜山崇吟
久次郎
数馬
小笠原長丘二男 1739-44 1744(23) 長煕女
小笠原 長恭 内膳 長明
土丸
長庸長男 1744-46 1776(37)
1746棚倉城
(陸奥)転封

   〔太田家〕
太田 資俊 従五位下
摂津守
慈徳院
道俊日潤
資元
新六郎
太田資晴長男 1746-63 1763(44) 板倉重治養女 1740館林城(上野)
50,037石
1746掛川城
寺社奉行
太田 資愛 従四位下
侍従
備中守
大隆院
道一日敬
多門
備後守
資俊二男 1763-1805 1805(67)
(牧野忠利女)
老中
太田 資順 従五位下
摂津守
大悟院
道栄日感
愛親
正之助
資愛二男 1805-08 1808(45) 幹(丹羽高庸女)
於八満
(本多忠可女)
奏者番
太田 資言 従五位下
備後守
見了院
道円日成
資敬
洋之進
資愛四男 1808-10 1810(29) 於満
(牧野忠精女)
太田 資始 従四位下
侍従
備中守
道醇 正寛
友三郎
多門
摂津守
(致仕後)
備後守
堀田正穀三男 1810-41 1867(69) 条(資言女) 老中
太田 資功 従五位下
備中守
新六郎
摂津守
資始長男 1841-62 1862(36)
(青山忠良女)
寺社奉行
太田 資美 備中守 総次郎 資功四男 1862-68 1913(60) 於晉
(間部詮勝女)

1868柴山(上総)転封


駿河府中藩/静岡藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔中村家〕
中村 一氏 従五位下
式部少輔
大竜院
一源心公
孫平次 中村一政男 1590-1600 1600 せん
(池田恒興女)
1583岸和田城(和泉)
30,000石
1585水口城(近江)
60,000石
1590駿河府中城
145,000石
中老
(豊臣政権)
中村 忠一 一学 一氏長男 1600 1609(20)
1600米子城
(伯耆)転封

   〔内藤家〕
内藤 信成 従五位下
豊前守
三左衛門 嶋田景信二男
内藤清長養子
1601-06 1612(68) 粟生長勝女 1590韮山城(伊豆)
10,000石
1601駿河府中城
40,000石
1606長浜城
(近江)転封

   〔徳川(紀伊)家〕
徳川 頼宣 従三位
権中納言
常陸介
頼信
頼将
長福丸
徳川家康十男 1610-19 1671(70) あま
(加藤清正女)
1603水戸城(常陸)
200,000石
1610駿河府中城
500,000石
1619和歌山城
(紀伊)転封

   〔徳川(駿河)家〕
徳川 忠長 従二位
権大納言
峰巌院
晴徹暁雲
国松 徳川秀忠三男 1624-32 1633(28) 昌子
(織田信良女)
1616甲斐府中城
1622加増
250,000石
1624駿河府中城
1632驕暴により
改易、配流
1633自殺

   〔徳川家(宗家)〕
徳川 家達 静岡藩知事
(廃藩後)
貴族院議長
静岳 亀之助
左中将
徳川慶頼三男 1868-71 1940(78) 泰子
(近衛忠房女)
1868江戸城(旧幕府領)
を収公された後、復家
駿河府中城
700,000石
1869静岡藩と改称
1871廃藩置県
公爵


田中藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔酒井(備後守)家〕
酒井 忠利 従五位下
備後守
与七郎
備後
酒井正親三男 1601-09 1627(69) 鈴木重直女 1590新封
川越領内(武蔵)
3,000石
1601田中城(駿河)
10,000石
1609川越城転封

   〔松平(桜井)家〕
松平 忠重 従五位下
大膳亮
松平忠頼長男 1633-35 1639(39) 木下延俊女 1622佐貫城(上総)
15,000石
1633田中城
1634加増
30,000石
1635掛川城
(遠江)転封

   〔水野家〕
水野 忠善 従五位下
大監物
左近 水野忠元長男 1635-42 1676(65) 阿久利
(井上正就女)
1620山川(下総)襲封
35,000石
1635田中城
45,000石
1642吉田城
(三河)転封

   〔松平(藤井)家〕
松平 忠晴 従五位下
伊賀守
与吉郎 松平信吉二男 1642-44 1669(72) 杉原長房女 1619新封
新治郡内(常陸)
2,000石
1633加増
5,000石
1642田中城
25,000石
1644掛川城
(遠江)転封

   〔北条家〕
北条 氏重 従五位下
出羽守
久太郎 保科正直四男
北条氏勝養子
1644-48 1658(64) 杉原長房女 1640関宿城(下総)
20,000石
1644田中城(駿河)
25,000石
1648掛川城
30,000石

   〔西尾家〕
西尾 忠昭 従五位下
丹後守
円明院
如翁良忠
忠照?
右京
右京亮
西尾忠永長男 1649-54 1654(42) 竹中重義女
松平伊昌女
1620土浦城
(常陸)襲封
20,000石
1649田中城
25,000石
西尾 忠成 従五位下
隠岐守
勝之助
右京
忠昭長男 1654-79 1713(61) 丹羽光重女
1654分知
20,000石
1675分領返還
25,000石
1679小諸城
(信濃)転封

   〔酒井(日向守)家〕
酒井 忠能 従五位下
日向守
円浄院
鏡岳高照
万千代 酒井忠行二男 1679-81 1705(78) 稲葉正勝女 1662小諸城(信濃)
30,000石
1679田中城
40,000石
1681不行跡により改易
1690赦免、復家
蔵米2,000俵
1697采地に変更
1702加増
5,000石
代々旗本として存続

   〔土屋家〕
土屋 政直 従五位下
相模守
左門
能登守
土屋数直長男 1682-87 1722(82) 幾久子
(松平康信女)
六条有知女
1679土浦城
(常陸)襲封
45,000石
1682田中城
1684加増
65,000石
1687土浦城転封
京都所司代

   〔太田家〕
太田 資直 従五位下
摂津守
高徳院
道祐日運
左近
備後守
備中守
太田資次二男 1684-1705 1705(48) 板倉重常女 1684大坂城代の父・
資次の所領を継ぎ
分知分を差し引き
50,037石
同年、田中城
若年寄
太田 資晴 熊次郎 資直五男 1705 1740(46)
1705棚倉城
(陸奥)転封

   〔内藤家〕
内藤 弌信 従五位下
紀伊守
信勝
市之助
内藤信光二男
内藤信良養子
1705-12 1730(73) 太田資次女

(毛利綱広女)
1674棚倉城
(陸奥)襲封
50,090石
1705田中城
1712摂津等三国内
転封、大坂城代

   〔土岐家〕
土岐 頼殷 従四位下
伊予守
官成院
俊巌紹英
頼隆
兵部
土岐頼行二男 1712-13 1722(82) 西郷延員女
牧野親成女
1692摂津等三国内
35,000石
1712田中城
土岐 頼稔 従五位下
丹後守
頼俊
内匠
兵部
頼殷長男 1713-30 1744(50) 松平忠雄女
1730摂津等三国内
転封、大坂城代
寺社奉行

   〔本多家〕
本多 正矩 従五位下
伯耆守
興隆院
泰禅
右京
左門
宮内
本多正方長男
本多正武養子
1730-35 1735(55)
(松野助義女)
1721沼田城
(上野)襲封
40,000石
1730田中城
奏者番
本多 正珍 従四位下
侍従
伯耆守
覚亨院
受明
当五郎
三弥
紀伊守
(致仕後)
伯翁
正矩三男 1735-73 1786(77) 老中
本多 正供 従五位下
紀伊守
普現院
皆遵
孝吉
三弥
正珍二男 1773-77 1777(32)
本多 正温 従五位下
伯耆守
寂静院
西岳
葵泉
正徳
孝之助
三弥
(致仕後)
紀伊守
正供長男 1777-1800 1838(73)
(永井直珍女)
本多 正意 従五位下
遠江守
乗満院
勝尊
葵園
栄松
三弥
遠江守
正温長男 1800-29 1829(46)
(戸田忠翰女)
若年寄
本多 正寛 従五位下
豊前守
敬得院
雪渓
亀城
邦太郎
三弥
正意長男 1829-60 1860(53)
(松平斉孝女)
奏者番
本多 正訥 紀伊守 鈼五郎
伯耆守
正意七男 1860-68 1885(59) 文子
(松平信発女)

(稲垣長剛女)

1868長尾(安房)転封
駿府城代


沼津藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔大久保家〕
大久保 忠佐 治右衛門 源喜院
日諦
弥八郎 大久保忠員二男 1601-13 1613(77) 1590茂原(上総)
5,000石
1601沼津城(駿河)
20,000石
1613無嗣、絶家

   〔水野家〕
水野 忠友 従四位下
侍従
出羽守
修徳院
譲誉興仁
懿翁
卯之助
惣兵衛
豊後守
水野忠穀長男 1777-1802 1802(72) 八重子
(牧野康周女)
1742佐久郡内
(信濃)襲封
1768までに累増
13,000石
1777沼津城
20,000石
1781加増
25,000石
1785加増
30,000石
老中
水野 忠成 従四位下
侍従
出羽守
巍徳院
夬誉成栄
融鑑
午之助
友五郎
吉太郎
大和守
岡野知暁二男 1802-34 1834(73) 水野忠隣養女
八重(忠友女)

1821加増
40,000石
1829加増
50,000石
老中
水野 忠義 従四位下
出羽守
共徳院
寛誉泰安
義山
惣兵衛
大和守
忠成三男 1834-42 1842(51) 松平乗寛女
水野 忠武 従五位下
出羽守
恒徳院
道誉赫然
曜武
啓次郎
惣兵衛
大和守
忠義二男 1842-44 1844(21) 美代子=安喜
(毛利斉煕女)
水野 忠良 従五位下
出羽守
常徳院
泰誉安然
義道
益之助
惣兵衛
忠義五男 1844-58 1858(25)
水野 忠寛 出羽守 健次郎
右京亮
河内守
(致仕後)
左京大夫
水野忠紹
(忠成二男)長男
1858-62 1874(68) 牧野忠救女 側用人
水野 忠誠 従四位下
出羽守
原恭院
照誉幹誠
聡哲
欽之助
惣兵衛
豊後守
本多忠考四男 1862-66 1866(33) 忠寛養女 老中
水野 忠敬 出羽守 吉太郎 水野忠明二男 1866-68 1907(57) 鍈子
(大河内正和女)

1868菊間
(上総)転封


小島藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
松平 重信 従五位下
丹後守
源保院
雲誉了白
勝信
助十郎
松平家信二男
松平正勝養子
1656-73 1673(74) 1639前 新封
上総・常陸二国内
1,200石
1652加増
3,200石
1656庵原・安倍・有渡
三郡内(駿河)
5,000石
駿府城代
松平 信孝 従五位下
安房守
源松院
尊誉一法
樹廓
大蔵
助十郎
但馬守
松平典信
(家信孫)長男
1673-90 1690(36)
1682加増
6,000石
1689加増
10,000石
若年寄
松平 信治 従五位下
下野守
円明院
証誉元清
浄体
重秀
宮内
助十郎
戸田重恒二男
(典信外孫)
1690-1724 1724(52)
1704小島(駿河)に
陣屋を築く
大番頭
松平 信嵩 従五位下
安房守
昭真院
皎誉義卓
暁山
己之助
箕之助
助十郎
松平信庸
(典信三男)
六男
1724-31 1731(22)
松平 昌信 従五位下
安房守
楞伽院
静誉円入
止観
信清
信之
箕之助
源之助
助十郎
内匠頭
信嵩長男 1731-71 1771(44)
松平 信義 従五位下
丹後守
源隆院
寂誉湛然
了義
左近
助十郎
豊後守
堀直堯二男 1771-1800 1801(60)
松平 信圭 従五位下
丹後守
信敏
寛之進
信義長男
(昌信外孫)
1800-15 1820(45)
松平 信友 従五位下
丹後守
源之助
助十郎
信圭長男 1815-36 1848(52)
松平 信賢 丹後守 信徳
助十郎
松平信志
(信庸曽孫)
六男
1836-51 1873(66)
松平 信進 従五位下
丹後守
敬次郎
助十郎
松平斉恒二男 1851-63 1863(51)
松平 信書 従五位下
丹後守
為吉
助十郎
信友二男 1863-64 1864(19)
滝脇 信敏 丹後守 保吉
助十郎
内藤頼寧四男 1864-68 1887(37)
1868金ヶ崎(上総)転封
1868改称滝脇


相良藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔本多(弾正)家〕       
本多 忠晴 従五位下
弾正少弼
清源院
道麟祥岳
吉左衛門 本多忠義四男
本多忠以養子
1710-15 1715(75) 1662宗家・忠平
より分家
白河郡内(陸奥)
2,500石
1664兄・忠以継嗣
浅川(陸奥)
10,000石
1681伊保(三河)
1705加増
15,000石
1710相良(遠江)
寺社奉行
本多 忠直 従五位下
信濃守
大蔵
越中守
忠晴長男 (宗家・忠常の
養子となり
継承せず)
1717(48)
本多 忠通 従五位下
弾正少弼
桂光院
月嶠浄昌
勝之助 忠直二男 1715-21 1721(17)
本多 忠如 従五位下
越中守
時之助
讃岐守
忠直五男 1721-46 1773(62) 吉子
(松浦篤信女)

1721(陸奥)転封

   〔板倉家〕       
板倉 勝清 従五位下
佐渡守
重清
百助
伊予守
板倉重同長男 1746-49 1780(75) 板倉重冬女 1717(陸奥)襲封
15,000石
1746相良(遠江)
1748城主、加増
20,000石
1749安中城
(上野)転封
若年寄

   〔本多(長門守)家〕       
本多 忠央 従五位下
長門守
本誠院
義山忠央
忠就
兵庫
兵庫頭
(失脚後)
紫翁
本多忠次長男 1749-58 1802(95) 本多忠統女 1711挙母
(三河)襲封
10,000石
1749相良
1758不正、改易
若年寄

   〔田沼家〕       
田沼 意次 従四位下
侍従
主殿頭
隆興院
耆山良英
竜助 田沼意行長男 1767-87 1788(70) 伊丹直賢女 1735襲封、相模国内
600石
後、累増
1758遠江・相模・
下総の三国内
10,000石
1762加増
15,000石
1767相良城
20,000石
1785までに累増
57,000石
1786失脚、減封
37,000石
1787蟄居
老中
田沼 意知 従五位下
山城守
仁良院
孝岳元忠
竜助
大和守
播磨守
意次長男 (暗殺され
父に先立つ)
1784(36) 松平康福女 若年寄
田沼 意明 従五位下
淡路守
竜助 意知長男 1787 1796(24)
(織田信浮女)

1787祖父が断罪され
下村(陸奥)転封
田沼 意壱

田沼 意定
下村藩-福島県-を参照)       
田沼 意正 従四位下
玄蕃頭
麟徳院
祥山紹禎
忠徳
金弥
中務少輔
玄蕃
意次四男
田沼意定養子
1823-36 1836(78) 八重
(水野忠友女)
1804下村襲封
10,000石
1823相良
側用人
田沼 意留 従五位下
備前守
齢源院
鶴翁宗寿
楽山
金弥
(致仕後)
楽山
意正長男 1836-40 1861 堀直教女

(分部光実女)
田沼 意尊 従五位下
玄蕃頭
金弥 意留長男 1840-68 1869(52)
(久留島通嘉女)

1868小久保
(上総)転封
若年寄



(2019.12.31up)


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