鳥取県は古くは、東部は稲葉国造、西部は伯岐国造が支配していましたが、大化の改新により因幡国・伯耆国となりました。『延喜式』では、因幡は7郡、のち8郡、伯耆は6郡。平安朝期の荘園は高庭荘(東大寺領)・東郷荘(松尾社)など。鎌倉期の守護は、因幡が海老名家など。伯耆ははじめ金持家、のち六波羅探題南方(北条一門)が兼補。南北朝期に山名家が北朝方の伯耆守護となり、次第に名和家らの南朝方を圧倒、のち因幡守護職も獲得し、室町期にも因伯両国の支配権を保持しました。戦国期に入ると山名家が衰退し、国人勢力が台頭、また尼子家、のち毛利家が因伯へ進出しました。戦国末には豊臣秀吉が毛利家を破って、因幡と伯耆東部を制圧し、南条家など中小大名5家を置きました。関が原の戦・大坂の陣を経て、池田(嫡流)家が因伯二国(伯耆大山領を除く)を与えられ、1632年に備前と入れ替わって池田(相模守)家が入封し、鳥取藩として二国を支配しました。1871年の廃藩置県により鳥取県が成立、1876年に島根県へ統合されましたが、1881年に至って再び鳥取県が分置されました。
因幡守護職 伯耆守護職 山名(氏冬系)家 草苅家 南条家 鳥取藩 鹿野藩 若桜藩 米子藩 黒坂藩 倉吉領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
吉良 貞家 | 修理権大夫 | 1336-46 | ||
上総 左馬助 | 1346-? | |||
今川 頼貞 | 駿河守 | 1350-? | ||
高 師秀 | 越後刑部允 | 1352 | ||
山名 時氏 | 左京大夫 | 1363-64 | ||
(以後は氏冬系山名家を参照) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 |
石橋 和義 | 左衛門佐 | 1336-37 | ||
山名 時氏 | 伊豆守・左京大夫 | 道静 | 1337前-51 1363 |
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山名 時羲 | 弾正少弼・伊予守 | 1363-89 | ||
山名 氏幸(氏之) | 右馬頭 | 源賛 | 1389-90 | |
山名 満幸 | 播磨守 | 1390-91 | ||
山名 氏幸(氏之) | 右馬頭 | 源賛 | 1392-1424 | |
山名 教之 | 鶴房丸・兵部少輔・相模守 | 1427-73 | ||
山名 政之 | 六郎・相模守 | 1481-92 | ||
山名 尚之 | 1494? | |||
山名 澄之 | 1521-24 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
山名 氏冬 | 中務大輔 | 鎮国静光 | 山名時氏三男 | ?-1370 | 1370 | 因幡国内 | 1365-70 因幡守護 |
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山名 氏家 | 中務権大輔 | 氏冬男 | 1370後-1400後 | ↓ | 1391-1400 因幡守護 |
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山名 煕貴 | 中務大輔 | 煕高 上総介 |
氏家男 | 1400後-41 | 1441 | ↓ | 1412-41 因幡守護 |
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山名 勝豊 | 左衛門佐 | 治部少輔 | 山名持豊三男 | 1441後-67後 | ↓ 1466天神山城を築く |
1458-? 因幡守護? |
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山名 豊時 | 伊予守 | 七郎 治部少輔 左衛門佐 |
勝豊男 | 1467後-1502? | ↓ | 1459-88 1491-1502 因幡守護 |
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山名 豊重 | 治部少輔 | 豊時長男 | 1502?-12 | 1512 | ↓ | 1504-08 因幡守護 |
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山名 豊頼 | 左馬助 | 豊時二男 | 1512-15 | ↓ | 1513-14 因幡守護 |
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山名 豊治 | 治部少輔 | 豊重男 | 1515-22後 | ↓ | 1515-22 因幡守護 |
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山名 誠通 | 従五位下 左馬助 |
久通 治部少輔 |
豊頼男 | 1527前-46 | 1546 | ↓ 1546滅亡 |
1527-48 因幡守護 |
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(これ以降の「因幡山名家」は、豊定系山名家を参照) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
草苅 貞継 | 備前守 | 三郎左衛門尉 右馬頭 |
草苅基継男 | 1336前-45後 | 紫波郡草苅郷(陸奥) 後、智頭郡内(因幡) 1338淀山城を築く |
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草苅 氏継 | 従五位下 備前守 |
次郎 対馬守 |
貞継男 | ↓ | |||||||
草苅 満継 | 従五位下 越後守 |
佐渡守 | 氏継男 | ↓ | |||||||
草苅 秀継 | 隼人正 | 太郎左衛門尉 | 満継男 | ↓ | |||||||
草苅 盛継 | 佐渡守 | 規景 | 助次郎 三郎左衛門尉 |
秀継男 | ↓ | ||||||
草苅 景継 | 伊賀守 | 秀巌 | 景次 三郎左衛門尉 |
盛継長男 | ?-1529 | 1529 | ↓ | ||||
草苅 衡継 | 従五位下 加賀守 |
機用院 随応知巌 |
平継 三郎左衛門尉 |
景継長男 | 1529-66前 | 1569 | ↓ 1532高山城(美作) |
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草苅 景継 | 三郎左衛門尉 | 衡継長男 | 1566前-75 | 1575 | ↓ | ||||||
福岡 重継 | 対馬守 | 次郎 太郎左衛門尉 |
衡継二男 | 1575-1616 | 1616(59) | ↓ 1583高山退去 1584備後国内 2,000石 1600失領 後、長門国内 200余石 |
小早川家臣 後、毛利家臣 |
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草苅就継(重継長男、草苅に復称)以降、長州毛利家臣として269石を知行。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
南条 宗貞 | 但馬守 | 宗賢? | 南条景宗裔? | 1514(91) | 羽衣石城(伯耆) | ||||||
南条 宗皓 | 越前守 | 宗貞男 | ↓ | ||||||||
南条 宗元 | 豊後守 | 決叟宗勝 | 国清 元清 宗勝 |
宗皓男 | ?-1570 | 1575 | ↓ 1540失領 1562復帰 |
毛利家被官 | |||
南条 元続 | 従五位下 伯耆守 |
南光院 伯翁全邦 |
又四郎 勘兵衛 |
宗元男 | 1570-91 | 1591(43) | ↓ 1580本領安堵 60,000石 |
織田家臣 | |||
南条 元忠 | 中務大輔 | 南星院 意安元宅 |
忠成 政忠 虎熊 |
元続男 | 1591-1600 | 1614(36) | ↓ 1600関が原の 戦で改易 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔宮部家〕 |
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宮部 継潤 | 中務卿法印 | 善祥坊 | 孫八 | 土肥真舜男 | 1581-96 | 1599(72) | 1577豊岡城(但馬) 1581鳥取城(因幡) 50,000石 |
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宮部 長煕 | 従五位下 兵部少輔 |
長令 | 長房 定行 |
継潤男(甥?) | 1596-1600 | 1634(54) | ↓ 1600関が原の戦で改易 |
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〔池田(長吉系)家〕 |
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池田 長吉 | 従五位下 備中守 |
隣松院 茂林宗綱 |
藤三郎 | 池田恒興三男 | 1606?-14 | 1614(45) | 伊木忠次女 | 1585蓮華寺(近江) 10,000石 後、加増 30,000石 1606?鳥取城 60,000石 |
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池田 長幸 | 従五位下 備中守 |
次兵衛 | 長吉長男 | 1614-17 | 1632(46) | 松子 (森忠政女) |
↓ 1617松山城(備中)転封 |
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〔池田(嫡流)家〕 |
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池田 光政 | 従四位下 左少将 新太郎 |
幸隆 | 池田利隆長男 | 1617-32 | 1682(74) | 勝 (本多忠刻女) |
1616姫路城(播磨)襲封 420,000石 1617幼少に より減転封、 鳥取城 320,000石 1632岡山城(備前)転封 |
公称松平 | ||||
〔池田(忠継系)家〕 |
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池田 光仲 | 従四位下 左少将 相模守 |
興禅院 俊翁羲剛 |
勝五郎 | 池田忠雄長男 | 1632-85 | 1693(64) | 茶々 (徳川頼宣女) |
1632岡山城(備前)襲封 320,000石 1632鳥取城 (因幡一国および、大山 領を除く伯耆一国) 325,000石 |
公称松平 | |||
池田 綱清 | 従四位下 左少将 伯耆守 |
清源寺 良宗常温 |
新五郎 | 光仲長男 | 1685-1700 | 1711(65) | 式 (南部重信女) |
↓ | ||||
池田 吉泰 | 従四位下 左少将 相模守 |
天祥院 機運衍応 |
輝清 吉明 長吉 勝五郎 右衛門督 |
池田仲澄 (光仲二男) 長男 |
1700-39 | 1739(53) | 敬 (前田綱紀女) |
↓ | ||||
池田 宗泰 | 従四位下 侍従 相模守 |
大広院 義山衍隆 |
泰輝 長吉 勝五郎 出羽守 |
吉泰長男 | 1739-47 | 1747(31) | 久 (徳川宗直女) |
↓ | ||||
池田 重寛 | 従四位下 左少将 相模守 |
岱岳院 祥雲洪沢 |
仲穋 重穋 勝五郎 |
宗泰長男 | 1747-83 | 1783(38) | 律 (松平忠刻女) 仲 (徳川宗武女) |
↓ | ||||
池田 治道 | 従四位下 侍従 相模守 |
大機院 賢翁紹雄 |
岩五郎 秀三郎 |
重寛二男 | 1783-98 | 1798(31) | 暾子 (伊達重村女) 丞 (徳川重倫女) |
↓ | ||||
池田 斉邦 | 従四位下 侍従 相模守 |
真証院 徳応義栄 |
昭邦 秀三郎 銀之進 |
治道長男 | 1798-1807 | 1807(21) | − | ↓ | ||||
池田 斉稷 | 従四位上 左中将 因幡守 |
耀国院 峻徳光隆 |
澄一 道彜 永之進 |
治道二男 | 1807-30 | 1830(43) | 演子 (上杉治広女) |
↓ | ||||
池田 斉訓 | 従四位上 左少将 因幡守 |
瑞徳院 智覚良温 |
誠之進 | 斉稷二男 | 1830-41 | 1841(22) | 益子(=泰。 徳川家斉女) |
↓ | ||||
池田 慶行 | 従四位下 左少将 因幡守 |
正国院 純徳玄明 |
茂高 亀丸 |
池田仲律長男 | 1841-48 | 1848(17) | − | ↓ | ||||
池田 慶栄 | 従四位上 侍従 因幡守 |
栄岳院 穆雲光沢 |
亀丸 喬松丸 |
前田斉泰二男 | 1848-50 | 1850(17) | 整子 (池田仲律女 =慶行養女) |
↓ | ||||
池田 慶徳 | 議定 権中納言 (廃藩後) 麝香間祗候 |
省山 | 昭徳 五郎麿 |
徳川斉昭五男 | 1850-71 | 1877(41) | 寛子 (池田清直養女) |
↓ 1871廃藩置県 |
復池田姓 息子・輝知の とき侯爵 |
鹿野(鹿奴)藩 (1685以降、鳥取支藩)
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | ||||
〔亀井家〕 |
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亀井 茲矩 | 従五位下 武蔵守 |
中山道月 | 新十郎 琉球守 |
湯永綱五男 亀井秀綱養子 |
1581-1612 | 1612(56) | 1581鹿野城(因幡) 13,800石 1600加増 38,000石 |
|||||
亀井 政矩 | 従五位下 豊前守 |
大昌丸 新十郎 |
茲矩二男 | 1612-17 | 1619(30) | ↓ 1617津和野城(石見)転封 |
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〔池田(輝澄系)家〕 |
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池田 輝澄 | 従四位下 侍従 石見守 |
大雲院 一関徹心 |
松千代 左近 石入 |
池田輝政四男 | 1640-62 | 1662(59) | 1615山崎城(播磨)、累増 63,000石 1640内訌により 鹿野(因幡)で堪忍分 10,000石給付 |
公称松平 | ||||
池田 政直 | 従五位下 能登守 |
采女 | 輝澄四男 | 1662-63 | 1665(32) | ↓ 1662福本(播磨)転封 |
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〔日置家〕→池田(嫡流家)家臣。1617-32鹿野に在所、1632備前金川へ転じる。 |
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〔池田(東館新田藩)家〕 |
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池田仲澄(従五位下・壱岐守。池田光仲二男。1685分家、蔵米25,000石。1702加増30,000石)−仲央(従五位下・摂津守)−仲庸 (従五位下・摂津守)−澄延(従五位下・摂津守)⇒延俊(従五位下・修理亮)⇒澄時⇒仲雅(従五位下・摂津守)−仲律 (従五位下・壱岐守)−仲立(従五位下・伊勢守)⇒徳澄(摂津守。1868鹿奴藩を称する。1870廃藩。養子・源のとき子爵) |
若桜藩 (1700以降、鳥取支藩)
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | ||||
〔木下家〕 |
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木下 重堅 | 従五位下 備中守 |
宝勝院 有山道無 |
助兵衛 平大夫 |
荒木勝元男 | 1581-1600 | 1600 | 1581若桜城(因幡) 20,000石 1600関が原の戦後自殺 |
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〔山崎家〕 |
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山崎 家盛 | 従五位下 左馬允 |
瑞光院 明光宗覚 |
与市 | 山崎片家長男 | 1600-14 | 1614(48) | 1591三田城(摂津) 23,000石 1600若桜城 30,000石 |
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山崎 家治 | 従五位下 甲斐守 |
左近 | 家盛長男 | 1614-17 | 1648(55) | ↓ 1617成羽城(備中)転封 |
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〔池田(西館新田藩)家〕 |
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池田清定(従五位下・河内守。池田光仲五男。1700分家、蔵米15,000石。1716加増20,000石)⇒定賢(従五位下・近江守)−定就 (従五位下・兵庫頭)−定得(従五位下・大隅守)⇒定常(従五位下・縫殿頭)−定興⇒定保(従五位下・長門守)⇒清直 (従五位下・淡路守)⇒清緝(従五位下・左衛門佐)⇒徳定(相模守。1868若桜藩を称する。1870廃藩。のち子爵) |
米子藩 (1617以降、鳥取藩領内)
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | ||||
〔中村家〕 |
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中村 忠一 | 従五位下 侍従 伯耆守 |
青竜院 一融源心 |
一忠 一学 |
中村一氏男 | 1600-09 | 1609(20) | 1600駿河府中城襲封 145,000石 1600米子城(伯耆) 175,000石 1609無嗣絶家 |
公称松平 | ||||
〔加藤家〕 |
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加藤 貞泰 | 従五位下 左近大夫 |
光長 作十郎 左衛門尉 |
加藤光泰長男 | 1610-17 | 1623(44) | 1593甲斐府中城襲封 240,000石 1595幼少減封 黒野城(美濃) 40,000石 1610米子城 60,000石 1617大洲城(伊予)転封 |
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〔池田(出羽)家〕→池田(嫡流家)家臣。1617-32米子に在城、1632備前下津井へ転じる。 |
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〔荒尾(但馬)家(鳥取藩領内)〕 |
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荒尾成利(岡山藩主池田忠継家老・荒尾成房の男。1625備前国内13,000石。1632伯耆米子城)−成直(15,000石)−成重−成倫− 成昭⇒成昌⇒成煕−成尚−成緒−成裕−成富−成文(義弟・之茂のとき男爵) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | ||||
関 一政 | 従五位下 長門守 |
永盛 四郎 右兵衛大夫 |
関盛信長男 | 1610-18 | 1625 | 1600亀山城(伊勢) 30,000石 1610黒坂城(伯耆) 50,000石 1618内訌改易 養子・氏盛が継嗣 蒲生郡内(近江) 5,000石 |
倉吉領 (1617以降、鳥取藩領内)
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | ||||
〔里見家〕 |
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里見 忠義 | 従四位下 侍従 安房守 |
高源院 華山放牛 |
梅鶴丸 | 里見義康長男 | 1614-17 | 1622(29) | 1603館山城(安房)襲封 123,000石 1614倉吉(伯耆)へ配流 30,000石給付 1617所領収公 100人扶持給付 1622絶家 |
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〔伊木家〕→池田(嫡流家)家臣。1617-32倉吉に在城、1632備前虫明へ転じる。 |
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〔荒尾(志摩)家〕 |
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荒尾嵩就(岡山藩主池田忠継家老・荒尾隆重の養子。1617備前国内8,000石。1632倉吉城)−宣就(10,000石)⇒秀就(11,000石) ⇒勝就⇒甫就⇒斯就−厚就−為就(12,000石)−世就⇒直就⇒光就(息子・嘉就のとき男爵) |
(2012.12.30up)
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