島根県の主要大名


   島根県は古くは、東部は出雲臣、のち出雲国造が統治。西部は石見国造、隠岐島には意岐国造が置かれました。大化の改新以後は出雲・石見・隠岐国となります。『延喜式』では、出雲は10郡、石見は6郡、隠岐は4郡。平安朝期の荘園は出雲の福田荘・石見の益田荘などがありました。鎌倉期の守護は出雲・隠岐が佐々木一族、石見ははじめ佐々木家など、中期以後は不詳。南北朝期から室町期にかけ、出雲・隠岐で山名・京極両家が守護職を争い、石見では大内家の進出が見られました。戦国期に入ると尼子家が出雲を領有、隠岐にも支配を及ぼし、一方石見では大内家のもとに益田家・吉見家などの諸豪族が台頭しました。毛利元就は1557年に益田家・吉見家を降して石見を版図に入れ、1566年には出雲・隠岐を制圧して吉川家を山陰に配置、豊臣時代まで続きました。関が原の戦後、出雲・隠岐には堀尾家、のち京極家が入り、石見は中小大名に分割されました。江戸中期以後は出雲に松江藩(松平家)が置かれて隠岐を預り地とし、石見には津和野藩(亀井家)・浜田藩(本多→松井→松平家)などが存立しました。1871年の廃藩置県により出雲・隠岐は島根県、石見は浜田県となり、1876年に浜田県は島根県に統合されました。この年鳥取県を合併しましたが、1881年になって再び鳥取県を分置し、島根県の県域が確定しました。

 出雲・隠岐守護職   石見守護職   益田家   吉見家   三隅家   三沢家   尼子家   出雲国主 堀尾家・京極家   津和野藩   浜田藩   松江藩=松平(越前)家   広瀬藩=松平(越前)家   母里藩=松平(越前)家


出雲・隠岐守護職(室町時代)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
〔出雲守護職〕
佐々木(塩冶)高貞 隠岐大夫判官 1336-1341
山名 時氏 伊豆守 1341-1343
佐々木(京極)高氏 佐渡大夫判官 導誉 1343-1351?
山名 時氏 伊豆守 1351
佐々木(京極)高氏 佐渡大夫判官 導誉 1366-1368
京極 高秀 治部少輔・大膳大夫 1368-1379
山名 義幸 讃岐守 1379-1385
山名 満幸 弾正少弼・播磨守 1386-1391
〔隠岐守護職〕
佐々木(塩冶)高貞 隠岐大夫判官 1336-1341
山名 時氏 伊豆守 1341-1351
佐々木 直貞 弾正少弼 1365?
山名 時義 伊予守 ?-1389
山名(時煕または氏之) 1389-1390?
山名 満幸 播磨守 1390?-1391
〔出雲・隠岐両国守護職〕
京極 高詮 治部少輔 浄高 1392-1401
京極 高光 民部少輔・大膳大夫 道通 1401-1413
京極 持光(持高) 治部少輔 1413-1439
京極 高数 加賀守 道統 1439-1441
京極 持清 中務少輔・大膳大夫 生観 1441-1470
京極 孫童子丸 1470-1471
京極 政高(政経) 治部少輔・大膳大夫 1471-1508
京極 吉童子丸 1508?


石見守護職(室町時代)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
上野 頼兼 左馬助 1336-1349
高 師泰 越後守 1350-1351
沙弥(苗字未詳) 1352?
荒川 詮頼 遠江守・弾正少弼 1352-1365
大内 弘世 大内介 道階 1365?-1376
荒川 詮頼 道恵 1376-1379
大内 義弘 新介・左京権大夫 道実 1379-1399
京極 高詮 治部少輔 浄高 1399-1402前
山名 氏利 左京亮 1402-1405
山名 教清 左京大夫・修理大夫 常勝 1406-1429
山名 時煕 右衛門督 常煕 1432頃
山名 煕貴 中務大輔 1438前-1441
山名 教清 修理大夫 常勝 1441-1443
山名 成清 ?
山名 政清 兵部少輔 1461-1477
山名 紀伊守 ?-1517
大内 義興 周防権介・左京大夫 義秀 1517-1528
大内 義隆 周防介・左京大夫・大宰大弐 珠天 1528-1551
大内 義長(晴英) 周防介・左京大夫 1552-1557


益田家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
御神本 国兼 御神本権大夫 定通 藤原有隆男 石見国内
御神本 兼真 按察使大夫 国兼男
御神本 兼栄 越中権守 兼真男
御神本(益田)
兼高
石見権介 兼恒
兼経
兼栄男 益田荘=
七尾城(石見)
益田 兼季 右衛門尉 兼高長男
益田 兼時 太郎左衛門尉 兼季長男
益田 兼久 左衛門大夫 次郎 兼時二男
益田 兼弼 左近将監 兼胤
兼衡
三郎
弥五郎
兼久長男 益田兼長女
益田 兼弘 左衛門尉 道忍 孫太郎
弥三郎
兼弼長男
益田 兼方 太郎 得生院
即阿
兼弘長男
益田 兼見 越中守 万福寺
祥兼
兼躬
孫次郎
兼方長男 ?-1383 1391
益田 兼世 越中守 道兼 兼顕
次郎
左近将監
兼見長男 1407
益田 秀兼 越中守 周兼 兼家
長寿丸
次郎
左近将監
兼世長男 1419
益田 兼理 左近将監 正覚院
身光久兼
赤一丸 秀兼長男 ?-1431 1431
益田 兼堯 越中守 大雄院
全国瑞兼
兼広
益一丸
松寿
孫次郎
左馬助
兼理二男 1431-62 1485
益田 貞兼 越中守 利勝斎
全田
又次郎
治部少輔
兼堯長男 1462-83 1526
益田 宗兼 越中守 医光寺
全久
熊童丸
孫次郎
治部少輔
不屋軒
貞兼長男 1483-? 1544 陶某の女
益田 尹兼 越中守 桂香院
全屋
熊童
又次郎
宗兼長男 ? 1565
益田 藤兼 従四位下
侍従
右衛門佐
大薀全鼎 次郎
治部少輔
越中入道
尹兼長男 1551前-82 1596(68) 杉興重女
石津経頼女
内藤隆春女

益田七尾城
12,501石
1555-
毛利家被官
益田 元祥 従五位下
玄蕃頭
桃林院
全牛紹カ
(囗+カ)
次郎
又兵衛
右衛門佐
牛菴
藤兼長男 1582-1620 1640(83) 吉川元春女
1600須佐
(長門)移転
10,893石
毛利家臣


吉見家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
吉見 頼業 三河守 頼円 九郎 吉見為頼男? 武蔵国内
吉見 為忠 式部大輔 三河守 頼業男
吉見 頼忠 従五位下
能登守
三郎
式部大輔
三河守
検非違使
為忠男
吉見 頼行 三河守 厚楽義全 式部四郎 頼忠長男 1309 西目広在女
津和野城(石見)
吉見 頼直 大蔵大輔 宝山 七郎
右兵衛権佐
頼行長男
吉見 直頼 出羽守 英朝 三郎
大蔵大輔
頼直長男
吉見 弘信 能登守 曹山 二郎
兵庫頭
直頼長男 上杉頼英女
吉見 頼弘 三河守 大年道椿 二郎
兵庫頭
弘信長男 1446 高橋師光女
(吉賀郡
一円支配)
吉見 成頼 三河守 大定院
功岳
義宗
三郎
頼弘長男 1455 周布兼宗女
吉見 信頼 能登守 徹山 三郎 成頼長男 ?-1482 1482
吉見 頼興 三河守 伝法寺
一来徳陽
頼利
彦三郎
式部少輔
成頼二男 1482-1532 1532 内藤弘矩女
吉見 隆頼 三河守 栄林源春 三郎 頼興二男 1532-39 1539
吉見 正頼 出羽守 月佐周鷹 式部四郎
三河守
大蔵大輔
頼興四男 1540-82 1588(76) 大宮姫
(大内義興女)
1555-
毛利家被官
吉見 広頼 三河守 秀巌舸テツ
(足+育+攵)
亀王丸
次郎
大蔵大輔
正頼長男 1582-89? 1613(72) 毛利隆元女
内藤隆春女

15,450石
毛利家臣
吉見 元頼 次郎兵衛 巨柏舜庭 次郎 広頼長男 1589?-94 1594(20) 吉川元春女 毛利家臣
吉見 広長 大蔵大輔 月庭清秋 広行
長次郎
広頼二男 1594-1618 1618(38) 児玉景唯女
1600大井浦
(長門)移転
10,000余石
1604出奔
1613帰参
蔵米200人扶持
1618自殺
毛利家臣
毛利就頼(広頼養子)が再興、長州毛利家臣として江戸中期以降は大野(周防)8,618石を知行。


三隅家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
三隅 兼信 左衛門尉 益田兼高二男 那賀郡三隅荘(石見)
三隅 兼村 左衛門太郎 兼信男
三隅 兼盛 孫太郎 信時 兼村男
三隅 兼連 石見守 信性 二郎 兼盛男 1355
三隅 兼知 石見守 兼春 兼連男 1352
三隅 直連 石見判官 兼知男
三隅 信世 越中守 三隅兼雄男
三隅 氏世 筑前守 信世男
三隅 信兼 能登守 氏世男
三隅 豊信 能登守 信兼男
三隅 貞信 中務少輔 豊信男
三隅 興兼 石見守 貞信男
三隅 兼隆 備前守 興兼男
三隅 隆繁 備前守 兼隆男 ?-1570 1570
1570自殺、滅亡


三沢家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
三沢 為長 三沢六郎 片切家の族 14C初頭? 仁多郡三沢郷(出雲)
(中代未詳)
三沢 為忠 尾張守 ?-1391 1391
三沢 為時 三河守 為忠男
三沢 為忠 遠江守 為時男 15C後半
1509藤ヶ瀬城(出雲)
三沢 為国 左衛門尉 為忠
(遠江守)男
三沢 為幸 備前守 越中守 為忠
(遠江守)男
1540
三沢 為清 下野守 文壮院
忠峰義寛
才童子丸
左京亮
宗程
為幸男 1540-74 1588(53)
三沢 為虎 摂津守 覚天院
雲叟覚天
少輔八郎 為清男 1574-?
藤ヶ瀬城10,000石
1600長門国内へ移転


尼子家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
尼子 持久 上野介 正雲寺 尼子高久
(京極高秀三男)
の男
出雲国内 出雲守護代
尼子 清定 刑部少輔 洞光寺
華山常金
持久男 ?-1477? 馬木上野介女 月山富田城
(出雲)
出雲守護代
尼子 経久 伊予守 興国院
月叟省心
又四郎
民部少輔
清定長男 1477?-1537 1541(84) 吉川経基女
出雲・隠岐・
石見・伯耆・
安芸・備後
6か国支配
出雲守護代
1508自立
尼子 政久 民部少輔 不白院
花屋常栄
又四郎 経久長男 (早世) 1518(26) 山名兵庫頭女
尼子 晴久 修理大夫 月光院
愚渓宗見
天威心勢
詮久
三郎四郎
民部少輔
政久長男 1537-60 1560(47) 尼子国久女
美作・備中へ
進出支配
1540以後
版図縮小
1552-60
出雲・隠岐等
8国守護
尼子 義久 右衛門督 大円心覚 三郎四郎
友林
晴久長男 1560-66 1610(71)
1566失領
1588-
毛利家臣
1,000余石
(新宮尼子家)
尼子 国久 紀伊守 松巌良吟 孫四郎
刑部少輔
経久二男 ?-1554 1554(63) 新宮谷(出雲)
1554滅亡
尼子 誠久 式部少輔 孫四郎 国久長男 (父ととも
死す)
1554
尼子 勝久 孫四郎 天雲宗清 誠久五男 1569-78 1578(26) 1569再興
1578上月城
(播磨)
同年滅亡


出雲国主 堀尾家・京極家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
〔堀尾家〕
堀尾 吉晴 従四位下
帯刀
法雲院
松庭世栢
吉定
吉直
可晴
二王丸
小太郎
茂介
堀尾泰晴男 (1604-11) 1611(69) 津田某の女 1583高浜城(若狭)
17,000石
1584坂本城(近江)
20,000石
1585佐和山城(近江)
40,000石
1590浜松城(遠江)
120,000石
1599致仕
1604孫忠晴の
後見/家政総覧
中老
(豊臣政権)
堀尾 忠氏 従四位下
出雲守
忠光院
天岫世球
弥介
信濃守
吉晴二男 1600-04 1604(28) 前田玄以女 1599浜松城襲封
1600富田城
(出雲・隠岐
二国一円)
240,000石
堀尾 忠晴 従四位下
侍従
山城守
円成院
高堅世肖
三之介 忠氏長男 1604-33 1633(35) 奥平家昌女
1608松江城へ移転
1633無嗣廃絶
〔京極家〕
京極 忠高 従四位下
左少将
若狭守
玄要寺
天慶道長
熊麿 京極高次長男 1634-37 1637(45)
(徳川秀忠二女)
1609小浜城(若狭)
襲封92,000石
1624加増
113,500石
1634松江城(出雲・
隠岐二国一円)
264,200石
1637無嗣
(甥・高和が播磨
竜野城60,000石)


津和野藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
〔坂崎家〕
坂崎 直盛 従五位
出羽守
一峰玄秀 知家
直行
重長
信顕
詮家
正親
正勝
貞盛
成政
左京亮
宇喜多忠家長男 1601-16 1616 戸川秀安女 1592富山城
(備前)
24,079石
1599退去
1601津和野城
(石見)
30,000石
1616被殺廃絶
〔亀井家〕
亀井 政矩 従五位下
豊前守
悟叟浄頓 幸高
新十郎
大小丸
右兵衛佐
亀井茲矩二男 1617-19 1619(30)
(松平康重女)
1612鹿野城
(因幡)襲封
38,000石
1617津和野城
43,000石
亀井 茲政 従五位下
豊前守
聖諦院
廓山義然
大力
能登守
政矩二男 1619-80 1680(64) 金森重頼女
亀井 茲親 従五位下
隠岐守
竺仙院
法山祖応
松之助
能登守
茲政三男 1681-1731 1731(63) 於六
(宗義真女)
亀井 茲満 従五位下
因幡守
養寿院
崇月源光
松之丞 茲親六男 1731-36 1736(24) 板倉重泰女
亀井 茲延 従五位下
豊前守
寛量院
仁岳道智
八十郎
真昌
満高
亀井茲長
(茲親長男)
長男
1736-43 1756(35) 有馬則維女
亀井 茲胤 従五位下
信濃守
陽昇院
徳巌賢昶
徳蔵
隠岐守
松平頼明五男 1743-52 1752(27) 富子
(茲延従妹
=養女)
亀井 矩貞 従五位下
能登守
徳祥院
浄雲了海
吉三郎
三松斎
千山老人
綾松軒
磐山
菅沼定好
(茲親二男)
二男
1752-83 1814(76) 伊東祐隆女
亀井 矩賢 従五位下
隠岐守
賢体院
崇隆泰翁
吉三郎 矩貞長男 1783-1819 1821(56) 千恵
(松平忠啓女)
亀井 茲尚 従五位下
大隅守
荘敬院
義質道順
謙次郎
敬次郎
珪次郎
矩貞五男 1819-30 1830(45) 明子=潔
(阿部正由養女)
亀井 茲方 従五位下
能登守
豊鶴院
翺翔玄空
桂次郎 茲尚三男 1831-39 1846(30)
(松平康任女)
亀井 茲監 神祇副知事
津和野藩知事
格助
勤斎
有馬頼徳二男 1839-71 1885(61)
(松平頼恕女)

1871廃藩置県
養子・茲明の
とき伯爵


浜田藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
〔古田家〕
古田 重治 従五位下
大膳大夫
江雲院
古山道輝
古田重則二男
古田重勝
(兄)継嗣
1619-23 1625(48) 丹羽長秀女 1606松坂城
(伊勢)襲封
50,000石
1619浜田城(石見)
50,412石
古田 重恒 従五位下
兵部少輔
休岩寺
関雄宗三
希代丸 古田重勝長男 1623-48 1648(46) 重治女
1648無嗣廃絶
〔松平(松井)家(前期)〕
松平 康映 従五位下
周防守
雲峰院
照誉浄閑
松千代丸
淡路守
松平康重二男 1649-74 1674(60) 岡部宣勝女 1641山崎城(播磨)
50,422石
1649浜田城
松平 康官 従五位下
周防守
泰嶺院
相誉寂道至閑
優山
康長
康賛
康程
松千代丸
主計頭
(致仕後)
弾正少弼
康映三男 1675-1705 1727(71) 阿部正能女
松平 康員 従五位下
周防守
泰厳院
安誉智性春道
康博
康倫
仙次郎
源之助
采女正
和泉守
備中守
(致仕後)
伊勢守
康官長男 1705-09 1713(35) 久世重之女
松平 康豊 従五位下
周防守
盛徳院
愍誉興仁游和
伝十郎
式部
丹下
松平康郷
(康重孫)
長男
1709-35 1735(51) 亀井矩致養女
松平 康福 1736-59 (下段参照)
〔本多家〕
本多 忠敞 従五位下
中務大輔
禅竜院
涼誉智海義蟠
従之助
美濃守
本多忠良二男 1759 1759(33) 牧野貞通女 1751古河城
(下総)襲封
50,000石
1759浜田城
本多 忠盈 従五位下
中務大輔
元徳院
仁誉智興永崇
忠休
久米之助
平八郎
真田信弘六男 1759-67 1767(36) 忠敞女
本多 忠粛 従五位下
中務大輔
忠丘
幾久松
平八郎
忠敞二男 1767-69 1777(19) 牧野貞長女
1769岡崎城
(三河)転封
〔松平(松井)家(後期)〕
松平 康福 従四位下
侍従
周防守
自通院
霊誉冲寂妙閑
弥三郎
団之助
松平康豊長男 1769-89 1789(71) 土岐頼稔女 1736浜田城
襲封50,422石
1759古河城(下総)
1762岡崎城(三河)
1769浜田城
1785加増
60,422石
老中
松平 康定 従五位下
周防守
清崇院
順誉徳風民興
吉五郎
左京亮
前田房長三男 1789-1807 1807(61) 峯(康福女) 寺社奉行
松平 康任 従四位下
侍従
周防守
寛裕院
譲誉温良惟徳
軍次郎
岩吉郎
松平康道長男 1807-35 1841(62) 万喜(康定女) 老中
松平 康爵 従五位下
周防守
左近将監 康任長男 1835-36 1868(59)
(稲葉雍通女)

1836棚倉城
(陸奥)転封
〔松平(越智)家〕
松平 斉厚 従四位上
左少将
右近将監
大功院
昇山
武厚
久五郎
松平武寛長男 1836-39 1839(57)
(松浦清女)
1784館林城
(上野)襲封
61,000石
1836浜田城
寺社奉行
松平 武揚 従四位下
右近将監
大乗院
詣山
鋭之助 松平頼恕三男 1839-42 1842(16) 斉厚女
松平 武成 従五位下
右近将監
大憲院
鋭岳
寧四郎
鎖之丞
松平義建三男 1842-47 1847(23) 千重
(徳川斉匡女)
松平 武聡 従四位下
侍従
右近将監
十郎麿
昭音
徳川斉昭十男 1847-67 1882(41) 寿子
(堀田正睦女)

1866長州藩に
敗れ浜田放棄
1867飛地鶴田
(美作)移転


松江藩=松平(越前)家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
松平 直政 従四位上
左少将
出羽守
高真院
一空歓誉
道喜
河内麿
国麿
出羽介
結城秀康三男 1638-66 1666(66) 久(松平忠良女) 1633松本城(信濃)
70,000石
1638松江城
(出雲一国)
186,000石
松平 綱隆 従四位下
侍従
出羽守
宝山院
高誉元真
道徹
久松丸
信濃守
直政長男 1666-75 1675(45) 亀(松平忠昌女)
松平 綱近 従四位下
侍従
出羽守
隆元院
光誉円真
道祐
綱周
万助
甲斐守
(致仕後)
外記
綱隆四男 1675-1704 1709(51) 松平良尚女
松平 吉透 従四位下
侍従
出羽守
源林院
真誉覚道
俊巌
近憲
幸松丸
頼母
民部少輔
綱隆五男 1704-05 1705(38) 菅(松平昌勝女)
松平 宣維 従四位下
左少将
出羽守
善隆院
大誉寛海
澄心
直郷
宣澄
荘五郎
吉透二男 1705-31 1731(34) 順(佐竹義処女)
光子
(伏見宮邦永親王王女)
松平 宗衍 従四位下
左少将
出羽守
天隆院
仁誉義蘊
幸千代
(致仕後)
主計頭
南海
宣維長男 1731-67 1782(54) 常(松平明矩女)
松平 治郷 従四位下
左少将
出羽守
大円院
不昧宗納
治好
鶴太郎
佐渡守
蘭室
笠沢
一々斎
宗衍二男 1767-1806 1818(68) 方子(伊達宗村女)
松平 斉恒 従四位下
侍従
出羽守
月潭院
露滴宗潔
鶴太郎
出雲守
瓢庵
治郷長男 1806-22 1822(32) 芳(細川斉茲女)
英(酒井忠道女)
松平 斉貴 従四位上
左少将
出羽守
直指庵
竹林瑶光
直貴
鶴太郎
(致仕後)
斉斎
斉恒長男 1822-53 1863(49) 光(鍋島斉直女)
松平 定安 松江藩知事 徳広
直利
済三郎
出羽守
出雲守
松平斉孝七男 1853-71 1882(48) 煕(斉貴女)
1871廃藩置県
息子・直亮
のとき伯爵


広瀬藩=松平(越前)家(松江支藩)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
松平 近栄 従五位下
上野介
法雲院
松蔭宗長
大助 松平直政二男 1666-1702 1717(86) 1666松江藩
松平家より分家
広瀬(出雲)30,000石
1682落度減封15,000石
1686加増20,000石
1694加増30,000石
松平 近時 従五位下
式部少輔
瑞岸院
覚誉正徹了道
大助 近栄長男 1702 1702(44)
松平 近朝 従五位下
飛騨守
円徳院
然誉宗閑廓翁
近信
安次郎
大助
兵庫
隼人正
近時長男 1702-28 1728(48)
松平 近明 従五位下
近江守
瑞雲院
峰誉猪寛了仁
近房
亀之助
玄蕃
大蔵
肥前守
式部少輔
近時四男 1728-49 1755(54)
松平 近輝 従五位下
式部少輔
成覚院
寛誉奇雲映岳
多一郎
式部
近明長男 1749-57 1757(28)
松平 近貞 従五位下
淡路守
本源院
体誉理門寿楽
近峰
麟三郎
大蔵
(致仕後)
大内記
近明三男 1757-73 1785(53)
松平 直義 従五位下
上野介
本覚院
真誉諦還浄空
長善
近義
久松
主税
淡路守
松平長孝二男 1773-1803 1803(50)
松平 直寛 従四位下
宮内大輔
徳寿院
仁誉義風冷然
麟三郎
掃部助
主税助
大蔵少輔
佐渡守
近貞長男 1803-50 1850(68)
1850城主格
松平 直諒 従五位下
佐渡守
成徳院
賢道文哲
大助
沾嶺
玉峯
浩斎
直寛長男 1850-61 1861(45)
松平 直巳 広瀬藩知事 盛吉
佐渡守
直寛十一男 1861-71 1917(86)
1871廃藩置県
養子・直平
のとき子爵


母里藩=松平(越前)家(松江支藩)

松平隆政(従五位下・右近大夫。松江藩主松平直政三男。1666分家、蔵米10,000石。1673無嗣)⇒直丘(従五位下・志摩守。
松江藩主松平直政四男。1673再興、蔵米10,000石、1684出雲母里)⇒直員(従五位下・志摩守)−直道(従五位下・大隅守)⇒
直行(従五位下・兵庫頭)⇒直ロ(従五位下・美作守)⇒直方(従五位下・志摩守)−直興(従五位下・志摩守)⇒直温
(従五位下・志摩守)−直哉(母里藩知事。1871廃藩。のち子爵)



(2007.12.10up)


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