福井県の主要大名


   福井県は古くは、三国・高志・角鹿・若狭の各国造が支配していましたが、大化の改新のとき北東部は越国の一部、西南部は若狭国となり、7世紀後半には北東部に越前国が成立、718年に能登、823年に加賀が分離しました。『延喜式』では、越前は6郡(後代8郡)、若狭は3郡。平安朝期には東大寺・興福寺など寺社領をはじめ多くの荘園が分立しました。鎌倉期の守護は、はじめ比企一族系、のち越前は後藤家、若狭は北条一門。南北朝期には足利方が新田一族と抗争の末、両国を制圧し、斯波家などが守護に任じられました。室町期には越前守護を斯波家、若狭守護を一色家が世襲、一色家が没落すると武田家が代わって若狭守護職を獲得しました。応仁の乱を契機に、朝倉家が斯波家に代わって越前国主となり、戦国時代にもその地位を保ち、1568年には武田家を傘下に屈服させました。織田信長は1573年に朝倉家を滅ぼし、越前に柴田勝家、若狭に丹羽長秀を封じ、豊臣秀吉は1583年に勝家を滅ぼして長秀に越前を加封しましたが、翌々年に長秀が没すると丹羽家を解体し、両国に豊臣系の中小大名を配しました。徳川家康は関が原の戦後、越前に結城秀康、若狭に京極高次を封じました。江戸中期以降は、越前に福井藩(松平家)、丸岡藩(有馬家)、勝山藩(小笠原家)、大野藩(土井家)、鯖江藩(間部家)、若狭に小浜藩(酒井家)党が配置されていました。1871年の廃藩置県により、足羽県(はじめ福井県)と敦賀県とが成立、1873年に敦賀県が足羽県を合併しましたが、1876年に廃止されて石川県と敦賀県とに分割され、1881年に福井県として再設置されました。

 越前守護職   若狭守護職   武田家   朝倉家   前波(桂田)家   山崎家   越前国主・北庄城主   若狭国主・小浜藩   敦賀/鞠山藩   東郷領   丸岡藩   大野藩   福井藩=松平家   松岡藩   越前府中領/武生藩=本多家   勝山藩   高森藩   鯖江藩=間部家 


越前守護職(室町時代。1471年以前)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
斯波 高経 尾張守・右馬頭・修理権大夫・修理大夫 道朝 1336-50?
1351-54
1356-66
1354-56南朝方
斯波 氏経 民部少輔 1355頃
畠山 義深 尾張守・尾張入道 1366-79
畠山 基国 右衛門佐 1379
斯波 義将 左衛門佐・右衛門督入道 道将 1379-96後
斯波 義教(義重) 左衛門佐・右兵衛督・右兵衛督入道 道孝 1398前-1418
斯波 義淳 治部大輔・左兵衛佐 1418-33
斯波 義郷 治部大輔 1433-36
斯波 義健 千代徳丸・治部大輔 1436-52
斯波 義敏 左兵衛佐 1452-59
斯波 義寛(義良) 松王丸 1459-61
斯波 義廉 治部大輔 1461-66
斯波 義敏 左兵衛佐 1466
斯波 義廉 治部大輔・左兵衛佐 1466-67
1467-72(西幕府)
斯波 義寛(義良) 松王丸・治部大輔・左兵衛佐 1467-71(東幕府)
1471-?
(以後は朝倉家を参照)   


若狭守護職(室町時代。1440年以前)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
斯波 家兼(時家) 尾張式部大夫・伊予守 1336
京極 高氏 佐渡大夫判官入道 導誉 1336-37?
斯波 家兼 伊予守 1337-38
桃井 直常 駿河守 1338
大高 重成 伊予権守 1338-?
斯波 氏頼 左近大夫将監 1339-40
斯波 高経 右馬頭 1340-41
大高 重成 伊予権守 1342-?
1344-48
山名 時氏 伊豆守 道静 1348-51
大高 重成 伊予権守 1351-52
斯波 家兼 右京権大夫 1352-54
山名 時氏 伊豆守 1353 南朝方
細川 清氏 相模守 1354-61
石橋 和義 尾張左衛門佐入道 心勝 1361-63
斯波 義種 民部少輔 1363-66
一色 範光 修理大夫入道 信伝 1366-88
一色 詮範 左京大夫 信将 1388-1406
一色 満範 修理大夫 道範 1406-09
一色 義貫(義範) 兵部少輔・修理大夫 1409-40
(以後は武田家を参照)


武田(若狭)家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
武田 信栄 治部少輔 長福寺
天游光芸
伊豆守 武田信繁長男 ?-1440 1440(28) 佐東郡内(安芸)
代々継承
安芸佐東・山県・
安南三郡守護
1440若狭守護
武田 信賢 大膳大夫 大通寺
大人宗武
治部少輔
武蔵守
信繁二男 1440-71 1471(52)
若狭国内へ
拠点を移す
安芸佐東・山県・
安南三郡守護
若狭守護
武田 国信 従四位上
大膳大夫
玉華院
功林宗勲
治部少輔 信繁三男 1471-90 1490(49) 安芸佐東・山県・
安南三郡守護
若狭守護
武田 元信 従三位
大膳大夫
仏国寺
大雄紹壮
彦次郎
伊豆守
国信二男 1490-1519 1521(67) 伊勢貞祐女 若狭守護
武田 元光 大膳大夫
贈従三位
発心院
天源宗勝
伊豆守 元信二男 1519-39 1551(58) 細川澄元女 若狭守護
武田 信豊 従五位下
伊豆守
霊雲寺
大仙紹真
治部少輔 元光長男 1539-58? 六角定頼女 若狭守護
武田 義統 大膳大夫 桂林寺
聖寂宗清
彦次郎
治部少輔
伊豆守
信豊長男 1558?-67 1567(42) 足利義晴女 若狭守護
武田 元明 孫八郎 法雲寺
文甫紹昌
元次
孫犬丸
義統長男 1567-82 1582(32) 竜子
(京極高佳女)

1568朝倉家に抑留
1573神宮寺(若狭)
1581石山城(若狭)
1582滅亡


朝倉家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
朝倉 広景 美作守 空海覚性 孫右衛門尉 朝倉広信男
(朝倉宗直男?)
1352(98) 足羽北庄(越前)
朝倉 高景 弾正左衛門尉 徳岩宗祐 正景
鶴千代
孫次郎
彦三郎
孫右衛門尉
遠江守
広景長男 1372(59)
黒丸城を拠点
後代、一乗谷城
を本拠とする
朝倉 氏景 美作守 大切勝勲
(宗勲)
孫次郎
孫右衛門尉
高景長男 1405(66)
朝倉 為景 下野守 大心宗忠 又太郎
孫右衛門尉
氏景長男 1436(77)
朝倉 教景 美作守 大円院
心月宗覚
小太郎
孫右衛門尉
為景長男 ?-1458前 1463(84)
朝倉 家景 下野守 固山良堅 為景
教景
孫次郎
孫右衛門尉
教景(心月)長男 (早世) 1450(49)
朝倉 孝景 弾正左衛門尉 一乗寺
英林宗雄
敏景
教景
小太郎
孫右衛門尉
家景長男 1458前-81 1481(54) 朝倉将景女
逸見某の養女

1471越前国主
事実上の
越前守護権
(以下同)
朝倉 氏景 孫右衛門尉 安国寺
子春宗孝
阿君
孫次郎
孝景長男 1481-86 1486(38) 織田孫左衛門尉女
朝倉 貞景 弾正左衛門尉 長陽院
天沢宗清
孫次郎 氏景(宗孝)長男 1486-1512 1512(40) 斎藤利国女
朝倉 孝景 弾正左衛門尉 性安寺
大岫宗淳
孫次郎 貞景長男 1512-48 1548(56) 武田元信女
朝倉 義景 左衛門督 松雲院
太球宗光
延景
孫次郎
孝景(宗淳)長男 1548-73 1573(41) 細川晴元女
細川義種女

1573滅亡


前波(桂田)家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
前波 吉煕 藤右衛門尉 1479前-89後 足羽郡前波村(越前) 朝倉家被官
前波 豊前守 吉煕男 1490前-97後 朝倉家被官
前波 藤右衛門尉 吉当? 吉煕男(孫?) 1506前-22後 朝倉家被官
前波 景定 藤右衛門尉 藤右衛門尉の男 1546前-62後 朝倉家被官
前波 景当 藤右衛門尉 左衛門五郎 景定男 1565前-70 1570 朝倉家被官
桂田 長俊 播磨守 吉継
九郎兵衛尉
景定男 1570-74 1574
1574滅亡
1573-74
越前守護代
(織田家被官)


山崎家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
山崎 吉家 長門守 長時?
肥前守?
新左衛門尉
1479前-? 越前府中近傍? 朝倉家被官
山崎 長吉 肥前守 祖桂 小次郎 吉家男 1506頃 朝倉家被官
山崎 吉家 長門守 新左衛門尉 長吉男 1531前-73 1573
1573滅亡
朝倉家被官
山崎 長徳 長門守 閑斎 長鏡
小七郎
庄兵衛
山崎吉延
(長吉男)
の男
1583-1604 1620(69) 明智家→柴田家に滞留
1583前田家中で家再興
1585放生津(越中)城代
一時退去、後帰参
1600までに加増され
15,000石
前田家臣
山崎長郷(長徳男)が家禄相続。後代に減知、子孫は加賀前田家人持組として5,500石を知行。


越前国主・北庄城主

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔柴田家(越前国主)〕         
柴田 勝家 修理亮 幡岳寺
籌山勝公
権六
左京進
柴田土佐守男 1575-83 1583 先妻
(出自未詳)

(織田信秀女)

1570長光寺城(近江)
1575北庄城(越前)
1583滅亡

   〔堀家〕 
堀 秀政 従四位下
侍従
左衛門督
東樹院
高岳道哲
菊千代
久太郎
堀秀重長男 1585-88 1588(38) 喜多島和泉守女 1581坂田郡内(近江)
1582佐和山城(近江)
1585北庄城(越前)
180,800石
堀 秀治 従五位下
侍従
左衛門督
久太郎 秀政長男 1588-98 1606(31) 長谷川秀一女
1598春日山城(越後)転封

   〔青木家〕
青木 秀以 従五位下
侍従
紀伊守
西江院
傑山長英
一矩
重治
重吉
勘兵衛
勘七
青木重矩男 1598-1600 1600 豊臣秀長家臣
1585入山城(紀伊)
1587豊臣秀吉直臣
立石城(播磨)
後、大野城(越前)
80,000石
1592越前府中城
100,000石
1598北庄城
200,000石
1600関が原の戦で
石田方、病死
没後改易

   〔松平(結城・越前)家(越前国主)〕
結城 秀康 正三位
権中納言
三河守
浄光院
森巌道愍
浄正
秀朝
於義丸
徳川家康二男 1600-07 1607(34)
(結城晴朝養女)
1584豊臣秀吉養子
新封、河内国内
20,000石
1590結城晴朝養子
結城城(下総)
101,000石
1600北庄城(越前一国)
680,000石
松平 忠直 従三位
参議
三河守
西岸院
相誉連友
一白
長吉丸
国若丸
秀康長男 1607-23 1650(56)
(徳川秀忠女)

1623不行跡により改易
長男・光長が高田城
(越後)転封


若狭国主・小浜藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔丹羽家(若狭国主)〕
丹羽 長秀 越前守 総光寺
大憐宗徳
万千代
五郎左衛門尉
丹羽長政男 1573-85 1585(51) 織田信広女 1571佐和山城(近江)
1573小浜城(若狭)
後、若狭一国支配
1583越前府中城
(越前半国・加賀の
一部を加増)
丹羽 長重 従四位下
侍従
五郎左衛門
鍋(幼名) 長秀長男 1585-87 1637(67) 織田信長女
1585違令減封
小浜城(若狭のみ)
150,000石
1587再度違令減封
松任城(加賀)転封

   〔浅野家〕
浅野 長政 従五位下
弾正少弼
長吉
与兵衛
安井重継長男
浅野長勝養子
1587-93 1611(65) 浅野長勝女 1581大津・坂本両城(近江)
20,300石
1587小浜城
60,000石
1593甲斐府中城転封

   〔木下家〕
木下 勝俊 従四位下
少将
大蔵
木下家定長男 1593-1600 1649(81) うめ
(森可成女)
1593新封、小浜城
62,000石
1600関ヶ原の戦で
石田方、改易
1608父家定継嗣
足守(備中)再封
木下 利房 従五位下
宮内大輔
勝義 木下家定二男 (高浜城主) 1637(65) 織田信包女
進藤正次女
1594新封、高浜城(若狭)
20,000石
1596加増
30,000石
1600関ヶ原の戦で
石田方、改易
1615父家定継嗣
足守(備中)襲封

   〔京極家(若狭国主)〕
京極 高次 従三位
参議
若狭守
泰雲寺
徹宗道閑
小法師
小兵衛
京極高慶長男 1600-09 1609(47)
(浅井長政女)
1595大津城(近江)
60,000石
1600小浜城
85,000石
1601加増
92,100石
京極 忠高 従四位下
左少将
若狭守
熊麿 高次長男 1609-34 1637(45)
(徳川秀忠女)

1624加増
113,600石
1634松江城(出雲)転封

   〔酒井家〕
酒井 忠勝 従四位上
左少将
讃岐守
空印寺
傑伝長英
鍋之助
与七郎
酒井忠利長男 1634-56 1662(76) 松平親能女 1627川越城(武蔵)
1632加増
100,000石
1634小浜城
113,558石
1636加増
123,558石
大老
酒井 忠直 従四位下
侍従
修理大夫
勇厳院
独立空山
靫負 忠勝四男 1656-82 1682(53) 松平定頼女
1668分知
113,558石
酒井 忠隆 従四位下
遠江守
高台院
指厳道徽
千熊丸
靫負佐
忠直長男 1682-86 1686(36) 島津綱久女
1682分知
103,558石
奏者番
酒井 忠囿 従四位下
靫負佐
宝光院
崑山道琳
千熊
与七郎
忠隆長男 1686-1706 1706(37) 土井利益女
酒井 忠音 従四位下
侍従
讃岐守
霊苗院
曇華道瑞
助次郎
一学
修理大夫
酒井忠稠
(忠直二男)
二男
1706-35 1735(46) 有馬頼元女 老中
酒井 忠存 従五位下
讃岐守
実相院
諦覚円成
初三郎
与七郎
忠音三男 1735-40 1740(21)
酒井 忠用 従四位下
侍従
讃岐守
霊岳院
大機道乗
幸之助
一学
修理大夫
忠音四男 1740-57 1775(54) 松平定儀女 京都所司代
酒井 忠与 従五位下
遠江守
樹徳院
康山成功
元之助
竹之助
左膳
宮内
忠音五男 1757-62 1762(42)
酒井 忠貫 従四位下
修理大夫
本覚院
寂応道寛
藤太郎
数太郎
忠与長男 1762-1806 1806(55) 敬子
(伊達宗村女)
久我通兄女

(久我信通養女)
酒井 忠進 従四位下
侍従
若狭守
寛隆院
仁峯良義
八之助
与七郎
靫負佐
酒井忠香六男 1806-28 1828(59) 高子
(奥平昌鹿女)
老中
酒井 忠順 従四位下
修理大夫
天性院
霊雄道智
亀太郎 忠貫二男 1828-34 1853(63)
(松平定国女)
酒井 忠義 若狭守 悠之助
与七郎
靫負佐
修理大夫
(致仕後)
右京大夫
忠進六男 1834-62
1862加増
113,558石
京都所司代
酒井 忠氏 若狭守 晴蔵
修理
修理大夫
酒井忠欽三男 1862-68 1876(42) 稜子
(忠義女)

1862不行届減封
103,558石
酒井 忠禄
(忠義再承)
小浜藩知事 1868-70 1873(61) 盈子
(大河内輝延女)

1870鞠山藩と合併
長男・忠道
のとき伯爵


敦賀/鞠山藩
(1682年より小浜支藩)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考

   〔蜂屋家〕
蜂屋 頼隆 侍従
出羽守
正受院
雲岳宗閞
兵庫頭 出自未詳 1583-89 1589(56?) 1574?肥田城(近江)
1580岸和田城(和泉)
1585敦賀城(越前)
40,000石
1589無嗣、絶家

   〔大谷家〕 
大谷 吉継 従五位下
刑部少輔
渓広院
心月白頭
吉隆
紀之介
大谷吉房男 1589-1600 1600(42?) 1589敦賀城
20,000余石
1590加増
50,000石
1600関が原の戦で
石田方、戦死。改易

   〔酒井家〕
酒井 忠稠 従五位下
右京亮
胆徳院
節級祖巌
忠登
仙千代
右京
酒井忠直二男 1682-1706 1706(54) 1682兄・小浜藩主
忠隆より分家
敦賀鞠山(越前)
10,000石
大番頭
酒井 忠菊 従五位下
飛騨守
徳雲院
海晏浄清
縫殿 忠稠長男 1706-22 1722(44) 大番頭
酒井 忠武 従五位下
佐渡守
天梁院
一運元利
富之助
右京
忠菊三男 1722-31 1731(24)
酒井 忠香 従五位下
飛騨守
寛国院
水翁仁海
松之丞
播磨守
忠菊八男 1731-88 1791(77) 若年寄
酒井 忠言 従五位下
相模守
鶴寿院
南岡天游
豊之助 忠香四男 1788-97 1799(44) 大番頭
酒井 忠藎 従五位下
飛騨守
臨海院
帰山去道
忠明
豊之助
右京
右京亮
忠言長男 1797-1833 1833(53) 大坂定番
酒井 忠毗 飛騨守 右京亮 忠藎四男 1833-67 1876(62)
1852城主格
若年寄
酒井 忠経 小浜藩知事 右京亮
鞠山藩知事
忠毗四男 1867-70 1884(37)
1869敦賀藩と称す
1870鞠山藩に復称
同年、小浜藩と合併
同藩知事に就任
1871廃藩置県
長男・忠亮
のとき子爵


東郷領

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考

   〔長谷川家〕 
長谷川 秀一 従四位下
侍従
藤五郎
貞長
竹丸
長谷川丹波守男? 1585-94 1594 1583?肥田城(近江)
1585東郷城(越前)
110,000石
1594無嗣、絶家

   〔丹羽家〕
丹羽 長正 従五位下
備中守
長昌
宮松
丹羽長秀二男 1595-1600 1620? 1587藤枝城(越前)
50,000石
1595東郷城
1600関ヶ原の戦で
石田方、改易


丸岡藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔青山家〕
青山 宗勝 従五位下
修理亮
助兵衛 出自未詳 1585-? 1585越前国内
20,000石
1598丸岡城(越前)
46,000石
青山 忠元 伊賀守 宗勝男 ?-1600
1600関ヶ原の戦で
石田方、改易

   〔今村家〕 -松平(越前)家臣        
今村 盛次 掃部助 今村掃部助
(浅井家臣)
の男?
1601-12 1601丸岡城
25,500石
1612越前騒動に
より改易、配流
 

   〔本多家〕 
本多 成重 従五位下
飛騨守
本光院
銕哉土菴
仙千代
丹下
次郎大夫
本多重次長男 1613-45 1647(76) 直子
(土岐定政女)
1596井野(下総)襲封
3,000石
1602加増
5,000石
1613丸岡城
40,000石
松平忠直に付属
1624独立大名
46,300石
1626分知
43,300石
本多 重能 従五位下
淡路守
常然院
光巌在心
勘五郎
作左衛門
信濃
淡路
成重長男 1645-51 1651(62) 大久保忠常女
本多 重昭 従五位下
飛騨守
重昭院
智光真海
大吉
作左衛門
重能長男 1652-76 1676(43)
(松平忠昌女)
甘露寺嗣長女
本多 重益 従五位下
飛騨守
無量院
寂照宜休
成宗
成邦
成伸
成秦
作左衛門
重昭長男 1676-95 1733(71)
(松平頼元女)

1695内訌、改易
1708赦免
1709相馬郡内(下総)
2,000石

   〔有馬家〕
有馬 清純 従五位下
左衛門佐
華岳院
清山宗純
永純
大吉
周防守
有馬康純長男 1695-1702 1702(59)
(岡部行隆女)
世伊
(脇坂安政女)
1691糸魚川(越後)
50,000石
1695丸岡城
有馬 一準 従五位下
左衛門佐
常泰院
性山宗住
真純
純寿
寿純
大吉
(致仕後)
左兵衛佐
清純長男 1703-33 1757(61) 秀子
(毛利吉広養女)
有馬 孝純 従五位下
日向守
体顕院
真巌宗修
純長
吉太郎
一準長男 1733-57 1757(41) 稲葉正知女
有馬 允純 従五位下
左衛門佐
正達院
天岳宗真
外吉
遠江守
孝純八男 1757-72 1772(26) 富子
(松平定温女)
有馬 誉純 従五位下
左兵衛佐
無暦菴
玄空誉純
大之進 允純長男 1772-1830 1836(68) 鶴子
(稲葉正弘女)
若年寄
有馬 徳純 従五位下
左兵衛佐
悠禅院
咸説宗教
政裕
格次郎
蔵人
榊原政敦四男 1830-37 1837(33) 稵子
(誉純女)
有馬 温純 従五位下
日向守
欽崇院
建中宗祐
其太郎 戸田純佑
(誉純二男)
長男
1838-55 1855(27) 善子
(松平定芝女)
冨子
(榊原政養女)
作子
(戸田氏正女)
有馬 道純 丸岡藩知事 知四郎
左兵衛佐
遠江守
本多忠鄰
(孝純曽孫)
二男
1855-71 1903(67) 冨子
(戸田忠温女)
敬子
(戸田忠温女)

1871廃藩置県
老中
子爵


大野藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔織田家〕
織田 秀雄 従三位
参議
月松院
天巌玄高
三法師 織田信雄長男 1592-1600 1610(28) 1592新封 大野城(越前)
50,000石
1600関ヶ原の戦で
石田方、改易
1602蔵米3,000俵

   〔松平(越前・結城)家〕
松平 直政 従四位下
侍従
出羽守
河内麿
国麿
出羽介
結城秀康三男 1624-33 1666(66)
(松平忠良女)
1616新封
木本(越前)
10,000石
1619姉崎(上総)
1624大野城(越前)
50,000石
1633松本城(信濃)転封
松平 直基 従四位下
大和守
五郎八
七郎
結城秀康五男 1635-44 1648(45) 布連
(本多富正女)
1624勝山城(越前)
30,000石
1635大野城
50,000石
1644山形城(出羽)転封
松平 直良 従四位下
侍従
但馬守
松巌院
光山徹源
直久
直輝
直之
成政
直富
長光丸
土佐守
結城秀康六男 1644-78 1678(75)
(本多成重女)
1635勝山城(越前)
35,000石
1644大野城
50,000石
松平 直明 従四位下
若狭守
富明
左門
直良三男 1678-82 1721(66)
(松平定頼養女)

1682明石城(播磨)転封

   〔土井家〕
土井 利房 従四位下
侍従
能登守
隆興院
真誉凉山
道空
七助 土井利勝四男 1682-83 1683(53)
(津軽信義女)
1644古河藩主(兄)
利隆より分家
足利郡内(下野)
10,000石
1679までに累増
40,000石
1682大野城
老中
土井 利知 従五位下
甲斐守
宝岸院
賢誉道慶
耀山
利治
内記
利房長男 1683-1743 1745(73) 稲葉正往養女 奏者番
土井 利寛 従五位下
伊賀守
全性院
法誉義海
徳潤
巳之助 利知長男 1743-46 1746(29)
(仙石政房女)
土井 利貞 従五位下
能登守
大信院
為誉道元
利貞
岩之助
千之助
利寛長男 1746-1805 1807(67)
(酒井忠恭女)
土井 利義 従五位下
造酒正
対松院
信誉法風
漣漪
直軌
銀之助
左京亮
中務少輔
甲斐守
(致仕後)
笙州
井伊直幸十男 1805-10 1818(42)
(岡部長備女)
土井 利器 従五位下
甲斐守
道樹院
祥誉感徹
顕瑞
広侶
秀五郎
雄之丞
久世広明十一男 1810-18 1818(36) トシ
(利義女)
土井 利忠 従五位下
能登守
憲章院
法誉体仁
利忠
錦橘
(致仕後)
柳涯
欽斉
利義長男 1818-62 1868(58)
(戸沢正胤女)

(戸田氏庸女)
土井 利恒 大野藩知事 捨次郎
能登守
利忠三男 1862-71 1893(46) 福子
(土井利則女)

1871廃藩置県
子爵


福井藩=松平家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
松平 忠昌 正四位下
参議
伊予守
竜芳院
廓翁貞真
虎松
虎之助
結城秀康二男 1624-45 1645(49)
(浅野幸長女)

(広幡兼賢女)
1619高田城(越後)
250,000石
1624北庄城(越前)
505,280石
福井城と改称
1637加増
525,280石
松平 光通 従四位下
左少将
越前守
大安院
堅誉徳詔
万休
万千代 忠昌二男 1645-74 1674(39)
(松平光長女)

1645分知
450,280石
松平 昌親 従四位下
左少将
兵部大輔
探源院
順誉和祥
竜山
昌明
福松
辰之助
忠昌五男 1674-76
1674先封を合せ
475,280石
松平 綱昌 従四位下
左少将
越前守
清浄院
明誉光巌
照哲
千菊 松平昌勝
(忠昌長男)
長男
1676-86 1699(39)
(飛鳥井雅直女)

1686精神疾患に
より蟄居
松平 吉品
(昌親再承)
1686-1710 1711(72)
(森長継女)
1686再相続
250,000石
松平 吉邦 従四位下
左少将
伊予守
昇安院
住誉智真
本栄
昌尚
昌邦
勝千代
大炊頭
松平昌勝六男 1710-21 1721(41)
(日野西国豊女)
松平 宗昌 従四位下
侍従
中務大輔
豊仙院
円誉照元
安住
仙鉄
昌興
昌平
松平昌勝三男 1721-24 1724(50)
(松平頼元女)

1721先封を合せ
300,000石
松平 宗矩 従四位下
左少将
兵部大輔
徳正院
広誉明達
賢提
千次郎 松平知清
(結城秀康曽孫)
二男
1724-49 1749(37)
(吉邦二女)
松平 重昌 従四位上
左少将
越前守
源隆院
俊誉慈愍
哲雄
小五郎
於義丸
徳川宗尹長男 1749-58 1758(16)
松平 重富 正四位下
左中将
越前守
隆徳院
仁誉和順
道本
仙之助 徳川宗尹三男 1758-99 1809(42)
(徳川宗将女)
松平 治好 正四位下
左中将
越前守
威徳院
温誉恭道
光乗
於義丸
伊予守
重富長男 1799-1825 1825(58)
(徳川宗武女)

1818加増
320,000石
松平 斉承 従四位上
左少将
越前守
天梁院
乗誉玄通
明哲
仁之助
伊予守
治好二男 1826-35 1835(25) 㵾子=浅
(徳川家斉女)
松平 斉善 正四位下
左中将
越前守
諦観院
廓誉超勝
常然
民之助
千三郎
徳川家斉二十四男 1835-38 1838(19)
松平 慶永 左中将
越前守
(致仕後)
権中納言
大学別当
麝香間祗候
春嶽 錦之丞
(致仕後)
大蔵大輔
参議
議定
内国事務総督
民部卿
徳川斉匡八男 1838-58 1890(63)
(細川斉護女)
政事総裁職
京都守護職
松平 茂昭 福井藩知事
(廃藩後)
貴族院議員
巽嶽 直廉
鑜之助
日向守
越前守
松平直春四男 1858-71 1890(55) 幸子
(久我建通女)
幾子
(広瀬胤保女)

1871廃藩置県
侯爵


松岡藩 (福井支藩)

松平昌勝(松平忠昌長男。従四位下・中務大輔。1645分家、越前松岡50,000石)-昌平(従四位下・中務大輔。1721福井藩主継承、
封地は宗家へ返還)


越前府中領/武生藩=本多家
 (福井藩領内)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
本多 富正 従五位下
丹波守
普照院
元覚正円
源四郎
志摩
伊豆守
本多重富長男 1601-49 1649(78) 小栗重国女 1590結城秀康家臣
1601越前府中城
39,000石
1623福井藩主・
松平忠昌に附属
45,282石
本多 昌長 内蔵助 月心院
徳応正天
千菊
源四郎
富正四男 1649-69 1669(56) 松平直基養女
1649分知
40,000石
本多 長員 孫太郎 護法院
慈眼正慧
昌長五男 1669-1717 1717(49)
1686福井藩主・
松平綱昌に連座
20,000石
本多 長教 大蔵 真乗院
実山正道
朝次郎 松平綱昌長男 1717-28 1728(39) 葉室頼敦女
本多 副紹 内蔵助 玉関院
無漏為一
富紹
万之助
長教長男 1728-80 1780(62) 綾小路俊宗女
萩原兼武女
本多 副充 内蔵助 聖諦院
廓然不識
長之丞 副紹三男 1780-1821 1821(66) 誠照寺某の女
本多 副久 大蔵 韶音院
心空解脱
副文
謙太郎
大隅
本多副脩
(副紹長男)
長男
(廃嫡) 1825(63) 香音=五百
(本多副邵女)
本多 副昌 内蔵助 観光院
鉄山俊翁
久平
寛次郎
大蔵
(致仕後)
観翁
副久二男 1821-56 1864(71) 都和
(副久養女)
本多 富恭 丹波 慈徳院
孝岳良親
直喬
廉之丞
副昌三男 1856-62 1862(42)
(木下利愛女)
本多 副元 興之助
(廃藩後)
貴族院議員
三郎 松平頼功三男 1863-69 1910(66)
(分部光寧女)

1869福井藩家老
として版籍奉還
1879武生藩として
追認、華族に列す
男爵


勝山藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔松平(結城・越前)家〕
松平 直基 従四位下
大和守
五郎八
七郎
結城秀康五男 1624-35 1648(45) 布連
(本多富正女)
1614結城家督
越前国内
5,000石
1624勝山城(越前)
30,000石
1635大野城(越前)転封
松平 直良 従四位下
土佐守
直久
直輝
直之
成政
直富
長光丸
結城秀康六男 1635-44 1678(75)
(本多成重女)
1624新封
木本(越前)
25,000石
1635勝山城(越前)
35,000石
1644大野城(越前)転封

   〔小笠原家〕
小笠原 貞信 従五位下
土佐守
真光院
銕梁一玄
伊勢松
新五郎
主膳
高木貞勝長男
小笠原政信養子
(政信甥)
1691-1702 1714(84) 政信女
遠藤慶利女
1640高須(美濃)
22,777石
1691勝山
小笠原 信秀 大膳 高照院
秋覚月清
日法
半次郎 貞信二男 (早世) 1693(33) 井伊直武女
小笠原 信辰 従五位下
駿河守
法専院
一祐愚入
大学
(致仕後)
河内入道
信秀長男 1702-21 1736(51) 水野忠直女
1708城主
小笠原 信成 従五位下
能登守
承徳院
仁叟量寛
菊次郎
弾正
斎宮
酒井忠隆四男 1721-30 1730(26) 信辰女
小笠原 信胤 従五位下
左衛門佐
竜台院
賢巌義哲
源十郎 本多忠統二男 1730-45 1745(31)
(永井直陳女)
小笠原 信房 従五位下
飛騨守
清巌院
潔山玄皎
源弥 信辰二男 1745-80 1794(62) 伊達村候養女
小笠原 長教 従五位下
相模守
長教院
一恵愚伯
信愛
伊勢松
信房二男 1780-99 1799(40)
(中川久貞女)
小笠原 長貴 従五位下
相模守
瑞竜院
春沢宗仁
土用犬丸 長教長男 1799-1840 1840(48)
(酒井忠道女)
小笠原 長守 勝山藩知事 土用犬丸
左衛門佐
化堂
古菱
長貴六男 1840-71 1891(57) 今鶴
(出自未詳)

1871廃藩置県
長男・長育
のとき子爵


高森藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考

   〔松平(紀伊)家〕
松平 頼職 従四位下
左少将
内蔵頭
長七 徳川光貞三男 1697-1705 1705(26) 1697新封 高森(越前)
30,000石
1705紀伊藩主を
継承、封地収公

   〔松平(本庄)家〕
松平 宗長 従五位下
内膳正
円教院
実誉高岳
義天
宗春
豊五郎
兵庫
兵庫頭
松平資俊三男 1705-09 1709(23) 1705新封 高森
20,000石
松平 宗胡 三四郎 澄元院
性誉円水
覚泡
資俊六男 1709-11 1711(8)
1711無嗣、絶家


鯖江藩=間部家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
間部 詮言 従五位下
下総守
瑞昌院
極誉恵光
利道
主馬 西田清貞五男
間部詮房
(長兄)養子
1720-24 1724(35)
(阿部正喬女)
1720村上城
(越後)襲封
50,000石
同年、鯖江(越前)
間部 詮方 従五位下
若狭守
寛広院
還誉到岸
亮本
多門
(致仕後)
丹後守
間部詮貞
(詮言二兄)
長男
1724-61 1785(77) 見部
(詮言女)
有馬一準女
間部 詮央 従五位下
主膳正
究竟院
乗誉政昊
勇玄
多門 詮方二男 1761-71 1771(34)
(朽木玄綱女)
間部 詮茂 従五位下
下総守
栖蓮院
廓誉善禎
凉然
詮堅
八次郎
若狭守
詮方三男 1771-86 1786(48) 堀田正亮女

(丹羽高庸女)
間部 詮煕 従五位下
若狭守
真霊院
宝山慧鏡
内蔵
主膳
主膳正
詮茂長男 1786-1811 1811(42) 牧野貞長女
間部 詮允 従五位下
主膳正
馨光院
顕道懿勲
直之助 詮煕長男 1812-14 1814(25)
(亀井矩賢女)
間部 詮勝 侍従
下総守
常足斎 詮良
鉞之進
(致仕後)
松堂
詮煕三男 1814-62 1884(81) 簾子
(松平康任女)

1840城主
(実際には築城
に至らず)
1862謹慎
老中
間部 詮実 従五位下
安房守
修和院
恭温譲順
岩次郎 詮勝二男 1862-63 1863(37) 徽美子
(伊東祐相女)
1862父の失策
により減封
40,000石
間部 詮道 鯖江藩知事 卍治
下総守
詮勝八男 1864-71 1892(40) 貴子
(大河内正和女)

1871廃藩置県
長男・詮信
のとき子爵



(2017.08.01up)


史料好きの倉庫へ戻る