石川県(加能)の主要大名


   石川県は古くは、能登・羽咋・賀我・江沼の各国造が支配していましたが、大化の改新のとき越前国に属し、718年に北部が能登国として分立、741年には越中国に合併、757年に再び能登国が成立し、823年に南部が加賀国として越前から分立しました。『延喜式』では、能登は4郡、加賀は4郡。平安朝期の荘園は上賀茂社などの寺社領や摂家(九条家)領、皇室領などが存在しました。鎌倉期の守護ははじめ比企一族系、のち北条一門であり、加賀では在庁官人・冨樫家の台頭が見られました。南北朝期には能登の吉見家、加賀の冨樫家が守護に任じられて、南朝方と戦っています。室町期には畠山家が能登守護、斯波家が加賀守護となりますが、加賀では冨樫家が守護に復帰、能登では能登畠山家が宗家から分かれて守護家となりました。戦国期に入ると、1488年に加賀本願寺門徒(「一向一揆」)が冨樫家を圧倒して国の支配権を掌握、能登では畠山家の実力が低下して遊佐家・温井家・長家などの国人勢力が分立しました。1577年に上杉輝虎(謙信)が能登を攻略して加賀へ進出しましたが、1580年には織田信長が加賀の門徒を制圧して能登をも平定、加賀には佐久間盛政、能登には前田利家を配置しました。豊臣秀吉は賤ヶ岳の戦後、利家に加賀北二郡を与え、南二郡には中小大名を配置しました。その後、前田家は利家の子・利長が加賀北二郡および能登半国(および旧領の越中一国)、利政が能登半国を領知しますが、関ヶ原の戦で利政は徳川家康に与しなかったため所領を没収され、加賀・能登の大部分は利長に加封されました。江戸期を通じて前田家が加賀藩として存続し、能登・加賀の一部は幕領でした。1871年の廃藩置県により七尾県・金沢県が成立、翌年、金沢県は石川県と改称、七尾県は石川・新川の二県に分属しました。1876年に石川県として統合されましたが、1883年に再び富山県が分立したことで、現在の県域が確定しました。

  加賀守護職   能登守護職   冨樫家   畠山(能登)家   長家   遊佐家   温井家   佐久間家   加賀藩=前田家   大聖寺藩   小松藩   七尾藩   加賀藩年寄・本多家   野々市藩 


加賀守護職(室町時代。1418年以前)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
冨樫 高家 冨樫介 1335-37後
冨樫 氏春 冨樫介 1355前-57後
冨樫 昌家 竹童丸・冨樫介 1364前-87
斯波 義種 修理大夫 1387-90後
斯波 義教(義重) 治部大輔 1391-?
斯波 義種 修理大夫 道守 1393前-1408
斯波 満種 左衛門佐 1408-14
冨樫 満春 冨樫介 1414-27 1418までは半国守護
冨樫 満成 兵部大輔 1414-18 半国守護
(以後は冨樫家を参照)   


能登守護職(室町時代。1406年以前)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
吉見 頼為 宗寂 ?-1336
吉見 頼顕 右馬頭 1336-?
吉見 頼隆 大蔵大輔 1337前-46後
吉見 氏頼 掃部助 ?-1348後
桃井 兵部大輔 1349前-51後
吉見 氏頼 三河守・右馬頭 1352前-79後
畠山 基国 右衛門佐 徳元 1391前-1406
(以後は畠山-能登-家を参照)


冨樫(富樫)家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
冨樫 家国 冨樫介 藤原宗助男 12C前半 石川郡冨樫荘(加賀)
冨樫 信家 冨樫介 西仏 家国男
冨樫 家通 冨樫次郎 信家男
冨樫 家経 冨樫次郎 仏誓 家通男(弟?)
冨樫 家直 冨樫介 家経男
冨樫 泰家 冨樫介 家直男(弟?) ?-1290前
冨樫 家春 冨樫介 定照 泰家長男 ?-1314後
冨樫 泰明 冨樫次郎 家春長男 1320前-?
冨樫 高家 冨樫介 泰明長男 1335前-37後 加賀守護
1335-37後
冨樫 氏春 冨樫介 高家長男 1345前-57後 加賀守護
1355前-57後
冨樫 昌家 冨樫介 孚山浄祐 竹童丸 氏春長男 1361前-87 1387 加賀守護
1364前-87
冨樫 詮親 冨樫介 昌家男 1387-91 1391
冨樫 満春 冨樫介 勝蓮寺
常継
英田満家
(氏春二男)の男
?-1427 1427 加賀守護
1414-27
冨樫 持春 冨樫介 福厳寺
常永
満春長男 1427-33 1433(21) 加賀守護
冨樫 教家 冨樫介 禅興寺 次郎
刑部大輔
満春二男 1433-41 加賀守護
冨樫 泰高 冨樫介 瑞光院
真幸
慶千代丸 満春三男 1441-64
1447家督折半
加賀守護
1441-47
江沼・能美二郡守護
1447-64
冨樫 成春 冨樫介 大仙寺 亀幢丸
次郎
教家長男 1442-62 1462 1447家督折半 加賀守護(対立)
1442-47
石川・河北二郡守護
1447-58
冨樫 政親 冨樫介 大明寺
通明
亀童丸
次郎
成春長男 1462-88 1488(34)
1462家督統一
高尾城(加賀)
江沼・能美二郡守護
1464-68後
加賀守護
1468後-88
冨樫 泰高
(再承)
冨樫介 1488-1500後 加賀守護
本願寺門徒勢力下
冨樫 泰成 中務大輔 智識院
慈顕
泰高長男 (早世)
冨樫 稙泰 冨樫介 泰雲寺
通安
恒泰
次郎
泰成長男 1504前-31 1535 加賀守護
本願寺門徒勢力下
冨樫 晴貞 小次郎 慈光寺
明晴
泰縄
晴泰
晴時
稙泰二男 1531-70 1570
野々市城(加賀)
1570滅亡
本願寺門徒勢力下


畠山(能登)家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
畠山 満慶 修理大夫 勝禅寺
真源道祐
満則
左馬助
畠山基国二男 1408-32 1432(61) 鹿島郡府中
(能登)ほか
河内・紀伊・越中守護
1406-08
能登守護
1406-32
畠山 義忠 修理大夫 竜興寺
芳彦堅良
左馬助
阿波守
満慶長男 1432-55 1463 能登守護
畠山 義有 治部少輔 義忠長男 (早世)
畠山 義統 左衛門佐 大寧寺
大彦徳孫
義有長男 1455-97 1497
七尾城を築く
能登守護
畠山 義元 修理大夫 興徳寺
久峰徳昌
左馬助 義統長男 1497-1500 能登守護
畠山 慶致 左衛門佐 保寧院
徳宗
弥次郎 義統二男 1500-07 1525 能登守護
畠山 義元
(再承)
1507-15 1515 能登守護
畠山 義総 従四位下
修理大夫
興臨院
伝翁悳胤
次郎 慶致長男 1515-45 1545(55) 能登守護
畠山 義続 左衛門佐 興源院
霊岩悳祐
義総二男 1545-51 1590 能登守護
畠山 義綱 修理大夫 興禅院
華岳徳栄
次郎 義続長男 1551-66 1593 六角義賢女 能登守護
畠山 義慶 修理大夫 興性寺
桂岳徳林
次郎 義綱長男 1566-74 1574
畠山 義隆 伊賀守 幽徳院
宗栄
義綱二男 1574-76 1576 三条某の女
畠山 春王丸 義隆長男 1576-77 1577(5)
1577家名中絶
畠山 義春 民部少輔 興松院
入庵宗波
弥五郎
織部
義続二男 1587-? 1643(81) 長尾政景女 はじめ上条家養子
1587畠山に復し
高安郡内(河内)
500石
1593までに累増
1,500石
上杉家臣
後、豊臣家臣
畠山義真(従五位下・下総守。義春三男)が幕臣となり、3,120石を知行して高家として存続。


長家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
長 信連 従六位下
左兵衛尉
長谷部為連男 1218 珠洲郡大屋荘(能登)
長 朝連 従六位下
左衛門尉
信連男
長 政連 左衛門尉 朝連男
長 有連 左衛門尉 政連男
長 盛連 九郎左衛門尉 有連男
長 国連 九郎左衛門尉 盛連男
長 宗連 九郎左衛門尉 盛連男 1360
長 正連 従四位下
遠江守
九郎左衛門尉
左近将監
国連男
この頃、穴水城
(能登)を築く
長 頼連 九郎左衛門尉 正連男
長 連重 左衛門尉 頼連男
長 藤連 九郎左衛門尉 連重男 1421前-?
長 泰連 九郎左衛門尉 藤連男
長 政連 九郎左衛門尉 泰連男 1468
長 光連 九郎左衛門尉 泰連男
長 秀連 九郎左衛門尉 政連(15C)男
長 氏連 左衛門尉 秀連男 ?-1487前
長 教連 左衛門尉 光連男 1487前-88 1488
長 英連 従五位下
対馬守
九郎左衛門尉 教連男 1488-?
長 続連 従五位下
対馬守
怡岩院
大雲良悦
勝光
新九郎
九郎左衛門尉
平信光
(教連男)二男
?-1567後 1577 畠山家被官
長 綱連 九郎左衛門尉 瑞松院
悦叟良喜
重連
大九郎
左兵衛
続連長男 1567後-77 1577(38)
1577中絶
畠山家被官
長 連竜 九郎左衛門 東嶺寺
如庵
好連
万松
宗顒
続連三男 1580-1606 1580再興
福水城(能登)
鹿島半郡領知
後、田鶴浜に居所
32,000石
織田家臣
後、前田家臣
長 好連 十左衛門 南涌院 熊松
安芸守
連竜長男 1606-11 1611(30)
1606前封を加え
33,000石
前田家臣
長 連竜
(再承)
1611-19 1619(74) 前田家臣
長 連頼 九郎左衛門 譲徳院
鉄山良剛
長松丸
左衛門二郎
左兵衛
安芸守
連竜二男 1619-71 1671(68) 前田家臣
長 元連 左兵衛 清雲院
一玄
石千代 連頼長男 (廃嫡) 1697(70)
長 尚連 従五位下
大隅守
天尚院 時連
千松
九郎左衛門
元連長男 1671-1703 1703(42)
1671加賀・越中・能登
三国内に知行分散
前田家臣
長高連(従五位下・甲斐守。元連孫、尚連養子)-善連⇒連起(従五位下・大隅守)-連愛(従五位下・甲斐守)⇒連弘
(従五位下・大隅守)-連恭(従五位下・大隅守)⇒成連(息子・克連のとき男爵)


遊佐家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
遊佐 祐信 美作守 河内遊佐一族 15C前半 珠洲郡内(能登) 能登守護代
遊佐 忠光 孫右衛門尉 祐信男? 能登守護代
遊佐 統秀 美作守 忠光男 能登守護代
遊佐 秀盛 孫右衛門尉 統秀男? 16C前半 能登守護代
遊佐 秀頼 豊後守 秀盛男 ?-1554後 能登守護代
遊佐 続光 美作守 遊佐総光男 ?-1570前 1581 畠山家被官
秀頼の継嗣
かは未詳
遊佐 盛光 四郎左衛門尉 綱光
孫太郎
続光男 1570前-81 1581
1581滅亡
畠山家被官
後、上杉家被官


温井家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
温井 俊宗 備中守 能登国人領主 ?-1476後 鳳至郡輪島(能登) 畠山家被官
温井 孝宗 兵庫助 俊宗男 1479前-1531 1531 畠山家被官
温井 総貞 備中守 紹春 兵庫助 孝宗男 1531-55 1555 畠山家被官
温井 続宗 兵庫助 総貞男 1555 1555
1555中絶
畠山家被官
温井 景隆 備中守 兵庫助 続宗男 1566-82 1582 1566再興
1581越後へ退去
1582滅亡
畠山家被官
後、上杉家被官


佐久間家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
佐久間 盛政 玄蕃允 英伯善俊 理助 盛次長男 ?-1583 1583 御器所近傍(尾張)
1575越前国内
1581尾山城(加賀)
1583滅亡


加賀藩=前田家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
前田 利家 従二位
権大納言
贈従一位
高徳院
桃雲浄見
犬千代
孫四郎
又左衛門
筑前守
前田利昌四男
前田利久継嗣
1569-98 1599(62)
(篠原主計女)
海東郡荒子城
(尾張)襲封
1575越前府中
33,300石
1581七尾城
(能登一円)
210,000石?
1582小丸山城に移転
1583金沢城(加賀)
730,000石?
1597分知
515,000石
大老
(豊臣家)
前田 利長 従三位
権中納言
贈正二位
権大納言
瑞竜院
聖山英賢
利勝
犬千代
孫四郎
肥前守
利家長男 1598-1605 1614(53)
(織田信長女)
1583松任城(加賀)
40,000石
1585富山城(越中)
320,000石
1598家督
前封を併せ
835,000石
1601加増
1,192,700石
大老
(豊臣家)
前田 利常 従三位
権中納言
肥前守
微妙院
一峯充乾
利光
猿千代
犬千代丸
筑前守
利家四男 1605-39 1658(66)
(徳川秀忠女)
1605
公称松平
前田 光高 正四位下
左少将
筑前守
陽広院
将巌天良
利高
犬千代丸
筑前守
利常長男 1639-45 1645(31) 阿智=大姫
(徳川頼房女
=徳川家光養女)

1639分知
800,000石
前田 綱紀 従三位
参議
加賀守
松雲院
徳翁一斎
敬義
顧軒
香雪
綱利
犬千代丸
(致仕後)
肥前守
光高長男 1645-1723 1724(82) 摩須
(保科正之女)

1658利常の隠居料
を返還される
1,025,000石
前田 吉徳 正四位下
参議
加賀守
護国院
仏鑑法性
利興
吉治
勝次郎
勝丸
犬千代丸
又左衛門
若狭守
綱紀三男 1723-45 1745(56)
(徳川綱誠女
=徳川綱吉養女)
前田 宗辰 正四位下
左中将
加賀守
大応院
梅観雪峯
皓然斎
利雄
利勝
勝丸
犬千代丸
又左衛門
佐渡守
吉徳長男 1745-46 1746(22)
(松平正容女)
前田 重煕 正四位下
左中将
加賀守
謙徳院
緝甫尚古
利安
亀次郎
但馬守
吉徳二男 1747-53 1753(25)
前田 重靖 正四位下
左少将
加賀守
天珠院
嘯月仁勇
擒藻斎
利見
嘉三郎
上総介
吉徳五男 1753 1753(19)
前田 重教 正四位下
左中将
加賀守
泰雲院
仁山彭寿
以寛斎
利篤
重基
健次郎
(致仕後)
肥前守
吉徳七男 1754-71 1786(46) 千間
(徳川宗将女)
前田 治脩 正四位下
参議
加賀守
太梁院
俊山徳英
郁郁斎
慎甫
利有
時次郎
闡真
(致仕後)
肥前守
吉徳十男 1771-1802 1810(66)
(前田利道女)
前田 斉広 正四位下
左中将
加賀守
金竜院
文古雲遊
世功
利厚
亀万千
勝丸
犬千代
又左衛門
筑前守
(致仕後)
肥前守
重教二男 1802-22 1824(43)
(徳川宗睦養女)
隆子
(鷹司政煕女)
前田 斉泰 権中納言
加賀守
温敬公 利候
勝千代
勝丸
犬千代
又左衛門
若狭守
(致仕後)
肥前守
斉広長男 1822-66 1884(74) 偕子=溶
(徳川家斉女)
前田 慶寧 金沢藩知事 恭敏公 利住
犬千代
筑前守
加賀守
斉泰長男 1866-71 1874(45) 崇子
(有馬頼徳女)
通子
(鷹司政通養女)

1871廃藩置県
1868前田
姓に復す


大聖寺藩 
(1639より加賀支藩)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
〔溝口家〕
溝口 秀勝 従五位下
伯耆守
定勝

金右衛門尉
溝口勝政男 1583-98 1610(63) 長井源七郎女 1581高浜城(若狭)
5,000石
(丹羽家与力)
1583大聖寺城(加賀)
44,000石
1585大名に列す
1598新発田城
(越後)転封
〔山口家〕
山口 正弘 従五位下
玄蕃頭
宗永
左馬助
山口光広男 1598-1600 1600(56?) 1597名島(筑前)城主
小早川秀秋家老
1598大聖寺城
60,000石
1600関ヶ原の戦で
石田方、自殺・改易
〔前田家〕
前田 利治 従四位下
侍従
飛騨守
実性院
機雲宗用
宮松丸 前田利常三男 1639-60 1660(43)
(上杉定勝女)
1639加賀藩主
前田家より分家
大聖寺城(実は陣屋)
70,000石
公称松平
前田 利明 従四位下
飛騨守
大機院
賢翁紹英
利成
万吉
美濃
大蔵
大蔵少輔
前田利常五男 1660-92 1692(56)
(上杉定勝女)
勢幾
(本多忠義女)
前田 利直 従四位下
飛騨守
円通院
悟性義聞
大学
内記
利明長男 1692-1710 1710(39)
(酒井忠義女)
前田 利章 従四位下
備後守
正智院
廓巌泰然
富五郎
造酒丞
前田綱紀五男 1711-37 1737(47)
前田 利道 従四位下
備後守
顕照院
徹巌義心
造酒丞
壱岐守
(致仕後)
遠江守
利章長男 1737-78 1781(49)
(前田利隆女)
前田 利精 従五位下
備後守
高源院
天然良池
華山
勇之助
造酒丞
美作守
利道二男 1778-82 1791(34)
前田 利物 従五位下
美濃守
覚成院
通峯紹玄
虎次郎
主水
利道三男 1782-88 1788(29)
(前田利幸女)
前田 利考 従四位下
飛騨守
峻徳院
倹岳明恭
勇之助 利精長男 1788-1805 1805(27)
(溝口直信女)
前田 利之 従四位下
侍従
備後守
篤含院
温山良潤
済民
主水
虎次郎
利物三男 1806-36 1836(52)
(酒井忠徳女)

1821高直し
100,000石
前田 利極 従四位下
駿河守
恭正院
仁応道義
静斎
鍛太郎 利之二男 1837-38 1838(27)
(前田斉広女)
前田 利平 従四位下
備後守
見竜院
存誠洗心
弘斎
鈺七郎
大蔵少輔
利之六男 1838-49 1849(27) 井上正春女
前田 利義 従四位下
備後守
諦岳院
賢道良哲
基五郎 前田斉泰四男 1849-55 1855(23)
(前田利保女)
前田 利行 豊之丞 懿香院
梅苑寿梢
前田斉泰五男 1855 1855(21)
前田 利鬯 大聖寺藩知事
(廃藩後)
掌典
貴族院議員
竹径 貞用
利益
桃之助
飛騨守
前田斉泰七男 1855-71 1920(80)
(伊東祐相女)

(前田利保女)

1871廃藩置県
1868復前田姓
子爵


小松 (1639より加賀藩領内)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
〔丹羽家〕
丹羽 長重 従四位下
侍従
五郎左衛門
鍋丸 丹羽長秀長男 1587-1600
(松任時代含む)
1637(67) 1585小浜城(若狭)
150,000石
1587松任城(加賀)
40,000石
1595小松城(加賀)
125,400石
1600関ヶ原の戦で
石田方、所領没収
1603古渡(常陸)復封
1622棚倉城(陸奥)転封
〔前田家〕
前田 利常 (加賀藩を参照) 前田利家四男 1639-58 1658(66) 1639加賀藩主を引退
隠居料を分割
小松城(加賀)
200,000石
1658没後、加賀藩に
所領返還


七尾藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
前田 利政 従四位下
侍従
能登守
福昌院
怡伯宗悦
又若丸
孫四郎
前田利家二男 1597-1600 1633(56) 1597加賀藩主
前田家より分家
七尾城(能登)
215,000石
1600関が原の戦で
違令、改易
前田直之(利政長男。1615加賀藩内にて復家、2,000石。後、累増、加賀・越中・能登三国内10,050石)-直作-直堅(従五位下・
近江守)-直躬(従五位下・土佐守)-直方(従五位下・土佐守)-直養-直時(従五位下・土佐守)-直良(従五位下・
近江守)⇒直会⇒直信(金沢藩大参事。息子・直行のとき男爵)


加賀藩年寄・本多家

本多政重(従五位下・安房守。相模玉縄藩主・本多正信二男。1602加賀前田家臣、1604米沢上杉家臣、1611前田家に帰参、
30,000石、1614加増、加賀・越中・能登三国内50,000石)-政長(従五位下・安房守)-政敏(従五位下・安房守)-政質
(従五位下・安房守)⇒政昌(従五位下・安房守)⇒政行(従五位下・遠江守)-政成(従五位下・安房守)-政礼(従五位下・
安房守)-政和(従五位下・播磨守)-政通(従五位下・周防守)⇒政均(従五位下・播磨守)-政以(男爵)


野々市藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
土方 雄久 従五位下
河内守
功運院
功運建忠
雄良
彦三郎
勘兵衛
土方信治長男 1600-08 1608(56) 1583菰野城(伊勢)
織田信雄領内
1584犬山城(尾張)
45,000石
1590信雄に連座、
改易、蟄居
1600野々市(加賀)
10,000石
1604加増
15,000石
土方 雄重 従五位下
掃部頭
雄久二男 1609-22 1628(37)
1622窪田(陸奥)転封



(2017.12.07up)


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