和歌山県は古くは紀国造が支配していましたが、大化の改新で紀伊国となりました。『延喜式』では7郡。平安朝期の荘園は南部荘(高野山領)など。鎌倉期の守護ははじめ三浦一族などが務め、のち北条一門が任じられました。南北朝期には守護が頻繁に交替し、南部は南朝方の勢力圏でした。室町期になると守護が畠山家に定着しましたが、戦国期に畠山家が衰退すると、高野山・根来寺・雑賀党などが軍事集団を形成し、のちにこれらは織田信長の進出に抵抗しました。1585年に豊臣秀吉が紀州を攻略して高野山をも制圧し、羽柴秀長領を経て、中小大名領などに分割されました。関が原の戦後は浅野幸長が入封、のち徳川頼宣が和歌山を居城とし、江戸期を通じて代々徳川家が紀州一国(高野山領を除く)を領有しました。1871年の廃藩置県で和歌山県が成立、南牟婁郡・北牟婁郡は三重県に編入されました。
紀伊守護職 湯川家 玉置家 堀内家 鈴木(雑賀)家 和歌山藩(1619年以前) 紀伊藩=徳川家 田辺藩=安藤家 新宮藩=水野家 貴志邑主三浦家 |
紀伊守護職(室町時代)
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 在任期間 | 備考 | |||
畠山 国清 | 左近大夫将監 | 1336-51 | |||||
畠山 義深 | 尾張守 | 1360-61 | |||||
細川 氏春 | 左衛門佐 | 1373-? | |||||
細川 業秀 | 兵部大輔 | ?-1378 | |||||
山名 義理 | 修理権大夫 | 1378-91 | |||||
大内 義弘 | 左京権大夫 | 道実 | 1392-99 | ||||
畠山 基国 | 右衛門佐 | 徳元 | 1399-1406 | ||||
畠山 満則 | 修理大夫 | 1406-08 | |||||
畠山 満家 | 尾張守・左衛門督 | 道端 | 1408-33 | ||||
畠山 持国 | 尾張守 | 1433-41 | |||||
畠山 持永 | 左馬助 | 1441 | |||||
畠山 持国 | 尾張守・左衛門督 | 徳本 | 1441-55 | ||||
畠山 義就 | 伊予守・右衛門佐 | 1455-60 | |||||
畠山 政長 | 次郎・弾正少弼・尾張守 | 1460-66 | |||||
畠山 義就 | 右衛門佐 | 1467 | |||||
畠山 政長 | 尾張守・左衛門督 | 1467-93 | |||||
畠山 基家(義国) | 次郎・弾正少弼 | 1493-99 | |||||
畠山 義英 | 次郎・上総介 | 1499-1504 | |||||
畠山 尚順 | 尾張守 | 卜山 | 1507-17 | ||||
畠山 稙長 | 尾張守 | 1517-45 | |||||
畠山 政国 | 尾張守 | 1545-50 | |||||
畠山 晴煕 | 播磨守 | 1550-52 | |||||
畠山 高政 | 次郎四郎・尾張守 | 1552-? |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
湯川 忠長 | 三郎 | 武田範長男 | 1301頃 | 湯川荘(紀伊) | |||||||
湯川 光長 | 九郎 | 忠長男 | ↓ | ||||||||
湯川 光春 | 弥太郎 | 孫三郎? | 光長男 | 13C中葉 | ↓ | ||||||
(途中未詳 =異説多し) |
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湯川 政春 | 宮内少輔 | 安房守? | 光春後裔 | 亀山城(紀伊) | |||||||
湯川 直光 | 民部少輔 | 宮内大輔? | 政春男 | ?-1562 | 1562 | ↓ | |||||
湯川 直春 | 中務少輔 | 直光男 | 1562-86 | 1586 | ↓ 1586滅亡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
玉置 盛高 | 庄司 | 1331頃 | 河上荘(紀伊) | ||||||||
玉置 直光 | 左衛門尉 | ↓ | |||||||||
(途中未詳) | |||||||||||
玉置 盛辰 | 兵部大輔 | 和佐手取城(紀伊) | |||||||||
(途中未詳) | |||||||||||
玉置 直和 | 大膳亮 | 千光院 | 1568後-85 | ↓ | |||||||
玉置 小平太 | 永直? | 1585-1600 | 1585日高・有田二郡内(紀伊) 3,500石 1600関が原の戦で失領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
堀内 氏光 | 宮内少輔 | 堀内氏定男? | 新宮城(紀伊) | ||||||||
堀内 氏虎 | 安房守 | 氏光男 | 1560頃 | ↓ | |||||||
堀内 氏善 | 安房守 | 氏吉 | 氏虎男 | ?-1600 | 1609(67?) | ↓ 1585本領安堵 27,000石(60,000石?) 1600関が原の戦で失領 |
|||||
堀内氏久(氏善男)が1615以後、幕府から下総国内で500石を与えられ復家、旗本として存続。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
鈴木 重秀 | 雑賀孫市 | 佐大夫? | 鈴木重意男? | ?-1585後 | 雑賀郷(紀伊) 1585後失領 |
||||||
鈴木 重朝 | 孫三郎 | 孫市 | 重秀男? | 1585後-1600 | 平井?(紀伊) 10,000石 1600没落 後、水戸徳川家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔桑山家〕 |
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桑山 重晴 | 従五位下 修理大夫 治部卿法印 |
果法院 春谷宗栄 |
重勝 彦次郎 |
桑山以則男 | 1585-1600 | 1606(83) | 1583新封 竹田城(但馬) 10,000石 1585豊臣秀長家臣 和歌山(紀伊)城代 30,000石 後 城主、加増 40,000石 |
|||||
桑山 一重 | 九郎五郎 | 浄久 | 重晴長男 | (早世) | 1582(26) | |||||||
桑山 一晴 | 従五位下 修理大夫 |
小藤太 | 一重長男 | 1600 | 1604(30) | 1600分知 20,000石 1600布施(大和)転封 |
||||||
〔浅野家〕 |
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浅野 幸長 | 従四位下 紀伊守 |
清光院 春翁宗雲 |
長継 長慶 長満 左京大夫 |
浅野長政長男 | 1600-13 | 1613(38) | 池田恒興女 | 1593甲斐国内 160,000石 1600和歌山城 376,560石 |
||||
浅野 長晟 | 従四位下 但馬守 |
岩松 右兵衛佐 |
長政二男 | 1613-19 | 1632(47) | 振 (徳川家康女) |
↓ 1619広島城(安芸)転封 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
徳川 頼宣 | 従二位 権大納言 常陸介 |
南竜院 顗永天晃 |
頼信 頼将 長福丸 |
徳川家康十男 | 1619-67 | 1671(70) | あま (加藤清正女) |
1610駿河府中城 500,000石 1619和歌山城(紀伊) 555,000石 |
||||
徳川 光貞 | 従二位 権大納言 |
清渓院 源泉対山 |
長福丸 常陸介 |
頼宣長男 | 1667-98 | 1705(80) | 照子=安宮(伏見宮 貞清親王王女) |
↓ | ||||
徳川 綱教 | 従三位 権中納言 |
高林院 雪峯浄空 |
長光丸 長福丸 |
光貞長男 | 1698-1705 | 1705(41) | 鶴(徳川綱吉女) | ↓ | ||||
徳川 頼職 | 従四位下 左少将 内蔵頭 贈従三位 ・参議 |
深覚院 円巌真常 |
長七 | 光貞三男 | 1705 | 1705(26) | − | ↓ | ||||
徳川 吉宗 | 従三位 権中納言 |
頼方 源六 新之助 主税頭 |
光貞四男 | 1705-16 (将軍位継承) |
1751(68) | 理子=真宮(伏見宮 貞致親王王女) |
↓ | |||||
徳川 宗直 | 従二位 権大納言 |
大慧院 普観徹性 |
頼致 義大夫 玄蕃頭 左京大夫 |
松平頼純 (頼宣三男) 四男 |
1716-57 | 1757(76) | − | ↓ | ||||
徳川 宗将 | 従三位 権中納言 |
菩提心院 和願愍生 |
直松 常陸介 |
宗直長男 | 1757-65 | 1765(46) | 徳子=富宮 (今出川公詮女 ・伏見宮 貞建親王養女) 高子=愛 (一条兼香女) |
↓ | ||||
徳川 重倫 | 従三位 権中納言 |
観自在院 太真 |
久米之丞 岩千代 常陸介 |
宗将二男 | 1765-75 | 1829(84) | − | ↓ | ||||
徳川 治貞 | 従三位 権中納言 |
香厳院 心斉円通 |
頼淳 春千代 修理大夫 玄蕃頭 左京大夫 |
宗直二男 | 1775-89 | 1789(62) | 定子=千穂 (今出川誠季女) |
↓ | ||||
徳川 治宝 | 従一位 権大納言 |
舜恭院 大光正受 |
岩千代 常陸介 |
重倫二男 | 1789-1824 | 1853(83) | 聴子=種 (徳川宗武女・ 徳川家斉養女) |
↓ | ||||
徳川 斉順 | 正二位 権大納言 |
顕竜院 恭譲円輝 |
菊千代 式部卿 |
徳川家斉七男 | 1824-46 | 1846(46) | 豊(治宝女) | ↓ | ||||
徳川 斉彊 | 従二位 権大納言 |
憲章院 至徳道光 |
恒之丞 宮内卿 |
徳川家斉二十一男 | 1846-49 | 1849(30) | 豊子 (近衛忠煕女) |
↓ | ||||
徳川 慶福 | 従三位 参議 |
菊千代 | 斉順長男 | 1849-58 (将軍位継承 =徳川家茂) |
1866(21) | − | ↓ | |||||
徳川 茂承 | 和歌山藩知事 | 頼久 孝吉 賢吉 権中納言 |
松平頼学 (宗将曽孫) 七男 |
1858-71 | 1906(63) | 則子(伏見宮 邦家親王王女) 広子 (溝口直溥養女) |
↓ 1871廃藩置県 |
侯爵 貴族院議員 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
安藤 直次 | 従五位下 帯刀 |
藤巌院 崇賢 |
千福丸 彦四郎 彦兵衛 |
安藤基能長男 | 1619-35 | 1635(82) | 1617掛川城(遠江) 20,000石 徳川頼宣に附属 1619田辺城(紀伊) 38,800石 |
加判 | |||
安藤 直治 | 従五位下 飛騨守 |
嶺藤院 棨弇 |
長次郎 彦兵衛 |
直次二男 | 1635-36 | 1636(30) | ↓ | ||||
安藤 義門 | 従五位下 帯刀 |
亮藤院 穹賢 |
直栄 千福丸 |
直治長男 | 1636-54 | 1654(19) | ↓ | ||||
安藤 直清 | 従五位下 帯刀 |
藤瓔院 崇仁 |
半兵衛 彦兵衛 |
安藤直政 (直次外孫) 長男 |
1654-92 | 1692(55) | ↓ | ||||
安藤 直名 | 采女 | 宝藤院 遠覚 |
申之助 | 直清三男 | 1692-99 | 1708(29) | ↓ | ||||
安藤 陳武 | 従五位下 帯刀 |
浄缶院 崇厳 |
直武 新蔵 内膳 |
直清四男 | 1699-1717 | 1717(30) | ↓ | ||||
安藤 陳定 | 式部 | 暁応院 善覚 |
求馬 | 陳武長男 | 1717-24 | 1724(8) | ↓ | ||||
安藤 雄能 | 彦兵衛 | 大悟院 自廓 |
彦五郎 | 安藤直利 (直政男) 二男 |
1725-30 | 1730(16) | ↓ | ||||
安藤 次由 | 従五位下 帯刀 |
興仁院 徳穏 |
伊織 | 安藤信秀二男 | 1730-65 | 1765(50) | ↓ | ||||
安藤 寛長 | 従五位下 帯刀 |
誠瑞院 現教 |
次因 吉之助 |
永井直期五男 | 1765-71 | 1771(25) | ↓ | ||||
安藤 次猷 | 従五位下 帯刀 |
藤覚院 崇淳 |
信祥 勝之助 (致仕後) 直時 |
安藤信尹三男 | 1771-1801 | 1827(78) | ↓ | ||||
安藤 道紀 | 勘解由 | 観紗院 玄々 |
頼融 順輔 直矢 益之助 (致仕後) 一得軒 |
徳川宗将十男 | 1801-08 | 1824(64) | ↓ | ||||
安藤 直与 | 信濃介 | 了義院 実相 |
駒五郎 | 安藤直之五男 | 1808-09 | 1809(20) | ↓ | ||||
安藤 直則 | 従五位下 帯刀 |
藤缶院 崇穏 |
直利 岩三郎 |
安藤直之三男 | 1810-23 | 1823(44) | ↓ | ||||
安藤 直馨 | 従五位下 帯刀 |
俊了院 耀誉浄皎 慈仁 |
正三郎 賢三郎 |
松平資承五男 | 1824-26 | 1826(41) | ↓ | ||||
安藤 直裕 | 田辺藩知事 | 錦城 | 直承 裕之進 飛騨守 竹堂 墨堂 |
直則二男 | 1826-71 | 1885(65) | ↓ 1868大名に列す 1871廃藩置県 |
息子・直行 のとき男爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
水野 重央 | 従五位下 出雲守 |
全竜院 日山常春 |
重信 重仲 藤四郎 藤次郎 対馬守 |
水野忠分三男 | 1619-21 | 1621(52) | 1608常陸国内 徳川頼宣に附属 1609浜松城(遠江) 25,000石 1619新宮城(紀伊) 35000石 |
||||
水野 重良 | 従五位下 淡路守 |
本広院 真休常栄 日輔 |
重種 忠吉 藤次郎 左近 |
重央長男 | 1623-58 | 1668(73) | ↓ | ||||
水野 重上 | 従五位下 土佐守 |
知徳院 常応日応 |
良安 重直 左門 対馬守 |
重良長男 | 1658-1707 | 1707(74) | ↓ | ||||
水野 重期 | 従五位下 淡路守 |
和泉院 静山日体 |
直泰 重矩 良逵 市三郎 主計 |
新庄直恒長男 | 1707-14 | 1740(46) | ↓ | ||||
水野 忠昭 | 従五位下 大炊頭 |
本徳院 良山日種 |
万之助 左膳 対馬守 |
水野重矩三男 | 1714-49 | 1749(50) | ↓ | ||||
水野 忠興 | 従五位下 筑後守 |
本立院 義道日成 |
大吉 | 忠昭長男 | 1749-63 | 1763(27) | ↓ | ||||
水野 忠竒 | 従五位下 飛騨守 |
法心院 永持日顕 |
忠寛 忠実 福次郎 土佐守 対馬守 |
水野守鑑二男 | 1763-1822 | 1822(74) | ↓ | ||||
水野 範明 | 従五位下 出雲守 |
本聖院 孝懿日徳 |
藤次郎 内匠助 |
忠竒長男 | (早世) | 1805(33) | |||||
水野 忠啓 | 従五位下 対馬守 |
徳洽院 日新至誠 |
藤四郎 | 範明長男 | 1822-35 | 1848(54) | ↓ | ||||
水野 忠央 | 従五位下 土佐守 |
鶴峯院 篤勤日精 |
健吉 | 忠啓長男 | 1835-60 | 1865(52) | ↓ | ||||
水野 忠幹 | 新宮藩知事 | 真竜麿 藤四郎 大炊頭 |
忠央四男 | 1860-71 | 1902(68) | ↓ 1868大名に列す 1871廃藩置県 |
男爵 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 邑主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
三浦 為春 | 従五位下 長門守 |
大雲院 日健定環 |
勝兵衛 | 正木頼忠 (上総勝浦 領主)二男 |
1619-24 | 1652(80) | 1608徳川頼宣に 付属、常陸国内 5,000石 1610浜名(遠江) 8,000石 1619貴志城(紀伊。 後代、城を廃止) |
||||
三浦 為時 | 従五位下 長門守 |
寿量院 永岳還休 |
満之助 左近将監 |
為春三男 | 1624-76 | 1676(68) | 前封を加え 10,000石 1652加増 15,000石 |
||||
三浦 為隆 | 従五位下 長門守 |
清浄心院 湛然無相 |
権五郎 玄蕃 |
為時二男 | 1676-1732 | 1732(74) | 加増(年代未詳) 16,300石 |
||||
三浦 為恭 | 従五位下 長門守 |
至徳行院 観山智洞 |
為親 虎太郎 左近将監 遠江守 |
中川元宜 (為時四男) の男 |
1732-75 | 1775(70) | ↓ | ||||
三浦 為脩 | 従五位下 長門守 |
厳浄土院 義岳慧了 |
久米之丞 丈之助 将監 |
徳川宗将八男 | 1775-89 | 1789(31) | ↓ | ||||
三浦 為積 | 従五位下 長門守 |
金剛台院 義厳恵雄 |
丈之助 | 為脩長男 | 1789-1823 | 1837(60) | ↓ | ||||
三浦 為章 | 従五位下 長門守 |
紫金光院 性覚円常 |
祥太郎 将監 |
為積長男 | 1823-41 | 1841(39) | ↓ | ||||
三浦 権五郎 | 和歌山藩権大参事 | 為質 正之助 長門守 |
為積四男 | 1841-69 | 1903(71) | ↓ 1869版籍奉還・領邑廃止 |
男爵 |
(2009.04.15up)
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