山梨県は古く、甲斐国造が支配していましたが、大化の改新で甲斐国となりました。『延喜式』では4郡。平安朝期には皇室領や摂家領の荘園が置かれましたが、平安末期にはそれらを基盤に甲斐源氏=武田一族が勃興しました。鎌倉期の守護は明らかではありませんが、末期には石和家(武田一族)が任じられました。南北朝期には武田(惣領)家が足利将軍家に密着して守護職を確保し、南朝方の一族・国人らと抗争、室町期にも武田家の守護領国は不安定でした。戦国期に入ると甲斐はしばしば内乱状態に陥りましたが、武田信虎が穴山家などの同族や郡内の小山田家を抑えて領国支配を達成、晴信のとき周辺諸国へ勢力を拡大して甲斐を安定期に導きましたが、勝頼に至って1582年、武田家は織田信長に滅ぼされました。信長は甲斐に川尻秀隆を封じましたが、同年中に織田家が崩壊、徳川家康が甲斐攻略に成功しました。豊臣秀吉は家康を関東へ移封して、甲斐には加藤光泰、のち浅野長政・幸長を配置しました。江戸期には甲府に徳川一門や柳沢家(武田一族)が封じられ、他に谷村藩・徳美藩が置かれましたが、1724年に甲斐一国が幕府直轄領となり、甲府勤番支配が置かれました。1868年に甲斐府、翌年に甲府県となり、1871年の廃藩置県の後に山梨県と改称されました。
武田家=甲斐守護 大井家 穴山家 小山田家 甲斐府中(=甲府)藩 谷村藩 徳美藩 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
武田 信義 | 従五位下 大膳大夫 |
願成寺 峻照国公 |
太郎 | 源清光二男 | 1186(59) | 巨摩郡武田荘(甲斐) | 1180-84 駿河守護 |
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武田 信光 | 従四位下 大膳大夫 |
光蓮 | 石和五郎 伊豆守 伊予守 |
信義五男 | 1248(87) | 宇都宮某の女 | 石和荘・武田荘 ほか |
1221後-31後 安芸守護 |
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武田 信政 | 治部少輔 | 眼阿弥陀仏 | 小五郎 伊豆守 伊予守 若狭守 |
信光三男 | 1265 | ↓ | 安芸守護? | |||||
武田 信時 | 治部少輔 | 賢信院 | 信明 五郎次郎 伊豆守 伊予守 |
信政長男 | 1289? | ↓ | 1270前-76後 安芸守護 |
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武田 時綱 | 弾正少弼 | 馨阿 | 六郎 伊豆守 伊予守 安芸守 |
信時長男 | ↓ | |||||||
武田 信宗 | 彦六郎 | 弥七 孫六 伊豆守? |
時綱男 | 1332 | ↓ | |||||||
武田 信武 | 従四位下 兵庫頭 |
清浄心院 雪山照公 |
三郎 伊豆守 陸奥守 甲斐守 |
信宗男 | ?-1358 | 1359 | 足利尊氏姪 | ↓ | 1336-58 安芸守護 1351前-59 甲斐守護 |
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武田 信成 | 刑部大輔 | 継統院 雪窓光公 法光 |
次郎 安芸守 |
信武三男 (長男?) |
1358-? | 1394 | 小笠原貞宗女 | ↓ | 1359-1368後 甲斐守護 |
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武田 信春 | 陸奥守 | 護国院 花峯春公 |
三郎 修理亮 伊豆守 |
信春長男 | 1368後-1413 | 1413 | ↓ | 1368後-85後 甲斐守護 |
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武田 信満 | 安芸守 | 長松寺 棲雲寺 明庵光公 |
満信 次郎 右衛門佐 |
信春長男 | 1413-17 | 1417 | 小山田信澄女 | ↓ 1417中絶 |
1385後-1417 甲斐守護 |
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武田 信元 | 陸奥守 | 浄国院 空山 |
満春 信濃守 |
信春二男 | 1417後-21? | 1421? | 1417再興 1421?没後 甥・伊豆千代丸 が家督代行 |
甲斐守護 | ||||
武田 信重 | 刑部少輔 | 成就院 功岳道成 |
三郎 | 信満長男 | 1423前-50 | 1450 | 1423前家督 1438甲斐入国 復領 |
甲斐守護 | ||||
武田 信守 | 刑部大輔 | 能成寺 勇山健公 |
信森 弥三郎 |
信重長男 | 1450-55 | 1455 | 1450八代館(甲斐) | 甲斐守護 | ||||
武田 信昌 | 従五位下 刑部大輔 |
永昌院 傑山勝公 |
五郎 | 信守長男 | 1455-92前 | 1505(59) | ↓ 1487前 石和館 |
甲斐守護 | ||||
武田 信縄 | 従四位下 左京大夫 |
長興院 孚山建邦 |
五郎 陸奥守 |
信昌長男 | 1492前-1507 | 1507(37?) | 岩下某の女 | ↓ | 甲斐守護 | |||
武田 信虎 | 従五位上 陸奥守 |
大泉寺 泰雲存康 道因 |
信直 五郎 左京大夫 |
信縄長男 | 1507-41 | 1574(81) | 大井信達女 | ↓ 1517甲斐一国 1519躑躅ヶ崎館 に居館を築く |
甲斐守護 | |||
武田 晴信 | 従四位下 信濃守 |
恵林寺 機山信玄 徳栄軒 |
太郎 勝千代 大膳大夫 |
信虎長男 | 1541-73 | 1573(53) | 上杉朝興女 三条公頼女 |
↓ | 甲斐守護 1559-73 信濃守護 |
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武田 勝頼 | 四郎 | 景徳院 泰山常公 |
晴信四男 | 1573-79? | 1582(37) | 織田信長養女 北条氏康女 |
↓ | |||||
武田 信勝 | 太郎 | 法雲院 甲巌勝信 |
武王丸 | 勝頼長男 | 1579?-82 | 1582(16) | ↓ 1581新府城 1582滅亡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
大井 信明 | 陸奥守 | 深耕院 祖庭相公 |
三郎 安芸守 修理大夫 |
武田信武男 | 14C後半 | 巨摩郡大井荘(甲斐) | |||||
大井 春明 | 弾正少弼 | 南明寺 親岩浄睦 |
泰明 | 信明男 | ↓ | ||||||
大井 信家 | 弾正少弼 | 宗源寺 陽岩名日 |
次郎 | 春明男 | ↓ 甲斐西郡一帯を支配 |
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大井 信房 | 左馬助 | 信家男 | ↓ | ||||||||
大井 信包 | 式部大輔 | 新豊院 徹翁顕秀 |
信房男 | ↓ | |||||||
大井 信達 | 次郎 | 双日院 能岳宗芸 無銕斎 |
上野介 | 信包男 | ?-1517後 | ↓ | 武田家被官 | ||||
大井 信業 | 次郎左衛門 | 鶏天宗快 | 信達男 | 1517後-31 | 1531 | ↓ 1531滅亡 |
武田家被官 | ||||
大井昌次(信業の甥)が徳川家康の家臣として300石を知行、代々旗本として存続。 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
穴山 義武 | 信濃守 | 四郎 | 武田信武男 | 14C後半 | 巨摩郡逸見郷穴山(甲斐) | ||||||
穴山 信元 | 信濃守 | 浄国院 空山 |
満春 | 武田信春二男 | 1421? | ↓ | 1417後 武田宗家継承 |
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穴山 信介 | 刑部大輔 | 天輪寺 英中 |
信俊 | 武田信重二男 | ?-1450後 | ↓ | |||||
穴山 信懸 | 刑部大輔 | 忠翁道義 | 弥九郎 | 信介男 | 1484前-? | 1513 | ↓ | ||||
穴山 信綱 | 甲斐守 | 義貞 | 信風 信堯? 刑部大輔 |
信懸男 | ?-1531 | 1531 | ↓ 河内地方を一円支配 |
武田家被官 | |||
穴山 信友 | 伊豆守 | 蟠竜斎 剣江義鉄 |
彦六郎 | 信綱男 | 1531-60 | 1560(55) | ↓ 下山城(甲斐) |
武田家被官 | |||
穴山 信君 | 陸奥守 | 梅雪斎 不白 |
左衛門大夫 | 信友長男 | 1560-82 | 1582(42) | ↓ 1582被殺・失領 |
織田家被官 | |||
武田 信治 | 勝千代 | 松源院 勝岳守公 |
信君長男 | 1582-87 | 1587(16) | 1582再興 1587中絶 |
徳川家被官 | ||||
武田 信吉 | 七郎 | 信義 万千代 |
徳川家康五男 | 1592-1603 | 1603(21) | 1587復家 1590小金(下総) 30,000石 1592佐倉城(下総)転封 |
徳川家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
小山田 弥二郎 | 秩父氏の裔 | ?-1417 | 1417 | 都留郡内(甲斐) | |||||||
(途中未詳) | |||||||||||
小山田 信光 | 弥太郎 | 弥二郎の裔? | 郡内を一円支配 | 武田家被官 | |||||||
小山田 信長 | 孫三郎 | 耕雲 | 信光男 | 15C後半 | ↓ | 武田家被官 | |||||
小山田 信隆 | 弥太郎 | 義山 | 信長男 | 1489前-1508 | 1508 | ↓ | 武田家被官 | ||||
小山田 信有 | 越中守 | 契山存心 | 信長男 | 1508-41 | 1541 | 1527中津森に館を築く 1532谷村城 |
武田家被官 | ||||
小山田 信有 | 出羽守 | 越中守信有男 | 1541-52 | 1552 | ↓ | 武田家被官 | |||||
小山田 信有 | 弥三郎 | 出羽守信有長男 | 1552-61後 | ↓ | 武田家被官 | ||||||
小山田 信茂 | 左兵衛尉 | 青雲院 武山長久 |
出羽守信有二男 | 1561後-82 | 1582(43) | ↓ 1582滅亡 |
武田家被官 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
〔加藤家〕 |
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加藤 光泰 | 従五位下 遠江守 |
曹渓院 剛園宗勝 |
作内 | 加藤景泰長男 | 1590-93 | 1593(57) | 一柳藤兵衛女 | 1582周山城(丹波) 17,000石 貝津城→高島城(近江) 20,000石 1585大垣城(美濃) 40,000石 1587秋山城(大和) 26,000石に降格 1588佐和山城(近江) 46,000石 1590甲斐府中城 240,000石 |
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加藤 貞泰 | 作十郎 | 光長 | 光泰長男 | 1593 | 1623(44) | 小出吉政女 | ↓ 1593幼少減封 1595黒野城(美濃)転封 1610米子城(伯耆)転封 |
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〔浅野家〕 |
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浅野 長政 | 従五位下 弾正少弼 |
長吉 弥兵衛 |
安井重継長男 浅野長勝養子 |
1593-1600 | 1611(65) | 浅野長勝女 | 1587小浜城(若狭) 60,000石 1593甲斐府中城 55,000石 1600引退 1606真壁(常陸)=隠棲料 |
奉行 (豊臣政権) |
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浅野 幸長 | 従五位下 左京大夫 |
長継 長慶 長満 |
長政長男 | 1593-1600 | 1613(38) | 池田恒興女 | 1593父とともに甲斐一国 160,000石 1600和歌山城(紀伊)転封 |
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〔平岩家〕 |
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平岩 親吉 | 従五位下 主計頭 |
七之助 | 平岩親重長男 | 1601-07 (1603-07 は城代) |
1611(70) | 石川正信女 | 1590厩橋=前橋城(上野) 33,000石 1601甲斐府中城 63,000石 1603徳川義直に附属 国政を沙汰 1607犬山城(尾張)転封 |
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〔徳川(尾張)家〕 |
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徳川 義直 | 従四位下 右兵衛督 |
義知 義利 五郎太 |
徳川家康九男 | 1603-07 | 1650(51) | 春 (浅野幸長女) |
1603新封、甲斐府中城 250,000石 1607名古屋城(尾張)転封 |
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〔徳川(駿河)家〕 |
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徳川 忠長 | 従四位上 参議 |
国松 | 徳川秀忠三男 | 1616-24 | 1633(28) | 昌子 (織田信良女) |
1616新封、甲斐府中城 180,000石 1622加増 250,000石 1624駿河府中城転封 |
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〔徳川(甲府)家〕 |
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徳川 綱重 | 従三位 参議 左馬頭 (贈正一位 太政大臣) |
清揚院 円誉天安 永和 |
長松 | 徳川家光三男 | 1651-78 | 1678(35) | 九条兼晴養女 (=二条光平女) 山科言行女 |
1651新封、甲斐等六国内 150,000石 1661甲斐府中城 250,000石 |
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徳川 綱豊 | 正三位 権中納言 |
虎松 左近 左近将監 |
綱重長男 | 1678-1704 (将軍位継承 =徳川家宣) |
1712(51) | 煕子 (近衛基煕女) |
↓ 1680加増 350,000石 1704将軍徳川綱吉世子 所領収公 |
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〔柳沢家〕 |
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柳沢 吉保 | 従四位下 左少将 美濃守 |
永慶寺 保山元養 |
房安 保明 主税 弥太郎 出羽守 |
柳沢安忠長男 | 1704-09 | 1714(57) | 定子 (曽雌定盛女) |
1694川越城(武蔵) 72,030石 1702までに累増 112,030石 1704甲斐府中城 151,288石 |
大老格 公称松平 |
|||
柳沢 吉里 | 従四位下 侍従 甲斐守 |
安暉 安貞 兵部 越前守 伊勢守 |
吉保長男 | 1709-24 | 1745(59) | 頼子 (酒井忠挙女) |
↓ 1724郡山城(大和)転封 |
公称松平 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
〔鳥居家〕 |
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鳥居 成次 | 従五位下 土佐守 |
林伯趙英 | 久五郎 | 鳥居元忠三男 | 1601-31 | 1631(62) | 1601谷村城(甲斐) 18,000石 1616徳川忠長に附属 1624加増 35,000石 |
||||
鳥居 忠房 | 従五位下 淡路守 |
宗忠 | 成信 太郎八 |
成次長男 | 1631-32 | 1637(32) | ↓ 1632忠長に連座 改易、配流 |
||||
〔秋元家〕 |
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秋元 泰朝 | 従五位下 但馬守 |
照尊院 道哲泰安 |
牛坊 孫七郎 茂兵衛 |
秋元長朝長男 | 1633-42 | 1642(63) | 1622総社城(上野) 15,000石 1633谷村城(甲斐) 18,000石 |
||||
秋元 富朝 | 従五位下 越中守 |
清巌院 雲山元白 |
長丸 掃部 |
泰朝長男 | 1642-57 | 1657(48) | ↓ | ||||
秋元 喬知 | 従四位下 侍従 但馬守 |
喬朝 甚九郎 摂津守 |
戸田忠昌長男 (富朝外孫) |
1657-1704 | 1714(66) | ↓ 1691加増 23,000石 1694加増 30,000石 1700加増 40,000石 1704川越城(武蔵)転封 |
老中 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
伊丹 康勝 | 従五位下 播磨守 |
長仙院 蓮誉順斎 道哲 |
喜之助 | 伊丹康直三男 | 1633-53 | 1653(79) | 1590?新封 相模・武蔵国内500石 後、累増 1628相馬郡内(下総) 9,000石 1633徳美(甲斐) 12,000石 後、加増 12,620石 |
留守居 | |||
伊丹 勝長 | 従五位下 播磨守 |
幻泡院 仙誉一夢 |
作十郎 蔵人 |
康勝長男 | 1653-62 | 1662(60) | ↓ 1653分知 12,000石 |
勘定奉行 | |||
伊丹 勝政 | 従五位下 大隅守 |
涼安院 円誉心月 覚仙 |
五左衛門 | 勝長長男 | 1662-91 | 1691(67) | ↓ | ||||
伊丹 勝守 | 左京 | 覚雲院 本誉一泡 月潤 |
竹之助 | 勝政長男 | 1691-98 | 1698(26) | ↓ 1698自殺、絶家 |
(2013.05.28up)
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