佐賀県の主要大名


   佐賀県は古くは火の国の一部であり、7世紀末に肥前国として分立しました。『延喜式』では11郡。平安朝期の荘園としては神崎庄(院)・藤津庄(仁和寺)・松浦庄(東寺)など。鎌倉期には武藤(=少弐)家、のち北条一門が守護となりました。南北朝期から室町期には、一色・今川・渋川家が守護に任じられ、少弐家がこれに対抗する情勢となりました。戦国期には佐嘉地方の竜造寺家、小城地方の千葉家、上松浦地方の波多家が有力となり、戦国末には竜造寺家が肥前の大部分を制覇しました。豊臣秀吉は1587年に九州を平定すると、竜造寺家に佐嘉を中心とする諸郡支配を認め、上松浦地方は波多家に安堵しましたが、のち前者は鍋島家に事実上交替し、後者は寺沢家に更迭しました。江戸期には鍋島家が佐賀藩として存続し、支藩三家を創出、上松浦は唐津藩となって諸家が交替し、江戸後期以降は小笠原家が藩主でした。1871年の廃藩置県により伊万里県が成立し、翌年に佐賀県と改称。1876年に三潴県に合併され、その年のうちに長崎県の管轄となりましたが、1883年に佐賀県が再置されました。

 肥前守護職   渋川家   少弐(武藤)家   横岳家   竜造寺家   村田家=久保田邑主   後藤家→武雄邑主・鍋島家   波多家   多久家→多久邑主   千葉家   神代家→川久保邑主   鍋島家→佐賀藩   小城藩=鍋島家   蓮池藩=鍋島家   鹿島藩=鍋島家   白石邑主・鍋島家   唐津藩 


肥前守護職(室町時代)

氏名 官位/仮名 法名/号 在任期間 備考
大友 氏泰 式部丞 清巍 1334-42
一色 直氏 宮内少輔 1350-52
河尻 幸俊 肥後権守 1351 足利直冬方
一色 範光 右馬権頭 1353
少弐 頼尚 筑後守 本通 1359-61 東部を実効支配
菊池 武光 肥後守 聖巌 1361-67後 南朝方
少弐 冬資 大宰少弐 1369?-71?
今川 貞世 伊予守 了俊 1371後-95前
相良 前頼 近江守 1385-? 南朝方
吉見 詮頼 弾正少弼 1398?
渋川 満頼 左近将監 道鎮 1415?-19
渋川 義俊 左近将監 1419-27
渋川 満直 中務大輔・武蔵守 宗源 1428-34
大内 教弘 左京大夫 教弘 1455頃
渋川 教直 右衛門佐 宗寿 1459-61
少弐 政資 大宰少弐 本光 1470-93
渋川 尹繁 右兵衛佐 1496-1506
少弐 資元 大宰少弐 本了 1534?


渋川家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
渋川 義顕 少輔次郎 兼氏 足利泰氏二男 1245前-56後 北条為時女 群馬郡渋川(上野)
渋川 義春 次郎三郎 義顕男 北条時広女
渋川 貞頼 丹波守 彦三郎 義春男
渋川 義季 従五位下
刑部権大輔
又三郎
式部丞
貞頼男 ?-1337 1337(23) 佐介朝房女
渋川 直頼 中務大輔 幸王丸
太郎
義季長男 1337-53後 高師直女
渋川 義行 従五位上
武蔵守
道祐 右兵衛佐 直頼長男 1365前-75 1375(28) 1365-70九州探題
1365-71備後守護
1366-75備中守護
渋川 満頼 従五位下
右兵衛佐
瑞祥院
秀岳道鎮
長寿王
左近大夫将監
義行二男 1375-1419 1446(75) 斯波義将女
1396筑前国内
1415頃 肥前国内に
拠点構築
1375-93備中守護
1379-82摂津守護
1393-1403安芸守護
1396-1419九州探題
1415頃-19肥前守護
渋川 義俊 左近大夫将監 次郎 満頼二男 1419-27 1434(35) 九州探題・肥前守護
渋川 満直 武蔵守 竜華院
正幢宗源
御調三郎
中務大輔
渋川満行
(義行三男)
長男
1428-34 1434(45) 綾部城
(肥前東三郡のみ)
九州探題・肥前守護
渋川 教直 右衛門佐 鎮興寺
大仙宗寿
万寿丸 満直三男 1434-79 1479(58) 九州探題
1459-61肥前守護
渋川 万寿丸 光照寺
義英宗雄
教直二男 1479-87 1487(20) 九州探題
渋川 尹繁 右兵衛佐 刀禰王丸 教直三男 1487-?
1489一時失領
後、復帰
九州探題
1496-1506肥前守護
渋川 義長 弥五郎 稙直 尹繁男
(尹繁の弟・和是
の男ともいう)
?-1534 1534
1534滅亡
九州探題?


少弐(武藤)家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
武藤 資頼 筑後守
大宰少弐
覚仏 小次郎 藤原頼平男 1195前-1228 1228(69) 原田荘(筑前)ほか 1195以降
筑前・肥前・豊前守護
武藤 資能 豊前守
大宰少弐
覚恵 資頼長男 1228-75 1281(84) 筑前・肥前・豊前・
対馬守護
1273前-75壱岐守護
武藤 経資 筑後守
大宰少弐
浄恵 豊前守 資能長男 1275-84 1291 筑前・対馬守護
1275-81肥前守護
1275-79豊前守護
武藤 盛経 筑後守
大宰少弐
崇恕 経資長男 1284-? 筑前・対馬守護
少弐 貞経 筑後守
大宰少弐
高鑑妙恵 盛経長男 ?-1336 1336(64)
(本拠は大宰府。
以下、冬資までは
南朝方としばしば
交戦して失領→
復帰を繰り返す)
?-1334筑前・対馬守護
1333-34豊前守護
少弐 頼尚 筑後守
大宰少弐
梅渓本通 貞経長男 1336-61 1371(78) 1334-52,59-61筑前守護
1334-61対馬守護
1334-57豊前守護
1335-48肥後守護
少弐 冬資 大宰少弐 天岸存覚 孫二郎 頼尚二男 1361-75 1375(43) 大内弘世女 筑前・対馬守護
1369?-71?肥前守護
少弐 頼澄 大宰少弐 土峯本富 頼尚三男 1375-77 1378(41) (南朝方)
少弐 貞頼 大宰少弐 怡雲本恵 頼澄長男 1377-1404 1404(33) (1392まで南朝方)
1387-1404筑前守護
少弐 満貞 大宰少弐 千里本勝 貞頼長男 1404-33 1433(40) 大内義弘女
1433失領、自殺
1404-29筑前守護
少弐 嘉頼 大宰少弐 大雄本覚 初法師丸 満貞三男 1433-41 1441(21) (対馬に寓居)
少弐 教頼 大宰少弐 国藩浄鎮 松法師丸 満貞四男 1441-68 1468(46) 宗貞盛女 1445以降
旧領回復を期し
筑前・肥前に転戦
少弐 政資 大宰少弐 明哲本光 頼忠
政尚
次郎
教頼長男 1468-97 1497(57) 1469大宰府回復
1482肥前に本拠地
を移す
1470-93肥前守護
少弐 資元 大宰少弐 心月本了 松法師丸 政資二男 1497-1528 1535(46) 大友親治女 1498勢福寺城(肥前) 1534?肥前守護
少弐 冬尚 大宰少弐 安心本海 興経
時尚
松法師丸
資元長男 1528-59 1559
1559滅亡


横岳家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
横岳 頼房 孫二郎 本孝 少弐貞頼二男 1444後 三根西島城(肥前) 少弐家被官
横岳 資貞 讃岐守 本知 頼房男 1530 少弐家被官
横岳 資誠 讃岐守 実屋本珍 彦四郎 資貞男 1569 少弐家被官
横岳 資栄 兵庫頭 隆剛本興 孫二郎 資誠男 1553 少弐家被官
横岳 家実 兵庫頭 鎮恒
頼貞
弥十郎
中務少輔
資栄男 1553-?
佐賀領内移転
大友家被官
後、竜造寺家臣
子孫は小城鍋島家臣


竜造寺家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
高木 季喜 左衛門尉 高木季清
(佐嘉郡土豪)
五男
12C中葉 佐嘉郡内(肥前)
高木 季家 南二郎 宿阿 高木季経二男 1186頃
竜造寺地頭職
長瀬 季益 南三郎 性円 末益 季家長男
竜造寺 季時 小三郎左衛門尉  季益長男  1282頃  (嫡庶数家
が並立?)
竜造寺 季友 三郎兵衛尉 空智 季益二男
竜造寺 家清 又四郎 寂智 季友長男
竜造寺 家益 六郎左衛門尉 持善 季益三男
竜造寺 家親 左衛門尉 修善 家季
又六郎
家益二男 (惣領家と
なる?)
竜造寺 家種 孫六郎 実善 家親長男 1334?-52後
竜造寺 家政 又七郎 極善 家昌
宗政?
孫二郎
家親二男
竜造寺 家経 民部大輔 家平
孫六郎
左近将監
家政男 1360前-72後
竜造寺 家是 式部丞 熊竜丸 家経男 1376前-?
竜造寺 家治 若狭守 家俊
熊竜丸
主計允
家是男 1391頃
竜造寺 康秀 若狭六郎 安秀 家治男
竜造寺 家秀 又六郎 栄秀 家次 康秀男
竜造寺 家氏 隠岐守 瑞応寺
定誉幸公
刑部大輔 家秀男 1448前-67後
竜造寺 康家 隠岐守 慶雲寺
定翁正公
浄心
家光
忠俊
次郎
家氏男 1467後-98 1510 小鳥井信元女
竜造寺 家和 隠岐守 麟広貞誉 家員
家定
家正
康家二男 1498-1528 1528 佐嘉(=村中)城
を拠点とする
竜造寺 胤和 刑部大輔 胤員 家和長男 1528-?
竜造寺 胤久 大和守 泰長院
長雲久公
民部大輔 家和二男 ?-1539 1539
竜造寺 胤栄 豊前守 賢誉道徳 胤光
宮内大輔
胤久長男 1539-48 1548(25) 家門女
1548水ケ江家の
隆信が統合

   【水ケ江竜造寺家】 
竜造寺 家兼 山城守 剛忠浄金 孫九郎
左衛門佐
兵庫頭
康家五男 1505後-? 片田江家定女 水ケ江城(肥前)
竜造寺 家純 豊後守 鑑翁浄昭 家重
周純
兵庫助
左衛門大夫
家兼長男 1545 蒲原家秀女
竜造寺 家門 和泉守 春雲道香 三郎兵衛
左衛門佐
家兼二男 1545
竜造寺 周家 六郎二郎 鼎伯日周 家純長男 ?-1545 1545 慶誾
(胤和女)

1545中絶
竜造寺 家兼
(再承)
1545-46 1546(93) 1545復興   
竜造寺 隆信 山城守 法雲院
泰巌宗竜
胤信
隆胤
長法師丸
円月
民部大輔
周家長男 1546-80 1584(56) 家門女=
元・胤栄妻

1548両家統合
佐嘉城
1550失領
1553復帰
1578までに
肥前一国領有
竜造寺 政家 従四位下
侍従
肥前守
竜洞院
大雲宗長
鎮賢
久家
長法師丸
太郎四郎
民部大輔
隆信長男 1580-90 1607(52) 有馬義直女
後藤貴明女

1587佐嘉等七郡
本領安堵
竜造寺 高房 従五位下
駿河守
大竜院
天祐宗春
長法師丸
藤八郎
政家三男 1590-1607 1607(22) 鍋島直茂養女 1590家督のみ継承
実権喪失
1607絶家
鍋島家が名実
ともに継承


村田家=久保田邑主 (佐賀藩領内)

村田安良(竜造寺政家四男。1607肥前久保田10,700余石)-氏久⇒政辰⇒政盛⇒政順(早世)-政義-政致⇒政敏⇒政恒⇒政矩
(1873没)


後藤家→武雄邑主 鍋島家 (佐賀藩領内)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
後藤 資茂 後藤太 政明 後藤章明男 1120頃 杵島郡塚崎
御船山(肥前)
後藤 助明 五郎 浄雲 資茂男
後藤 宗明 五郎 助明男 1172前-86後
後藤 清明 次郎 宗明男
後藤 常明 太郎 清明男
後藤 政明 後藤助 常明男
後藤 直明 次郎 政明男 ?-1247
後藤 氏明 三郎 浄明 直明二男 1247-? 1311
後藤 幸明 八郎 浄日 氏明長男
後藤 光明 兵庫允 又次郎 幸明二男 1337前-52後
後藤 朝明 六郎 浄慶 駒鶴丸 後藤五郎
(幸明長男)男
後藤 俊明 次郎三郎 後藤継明
(氏明曽孫)男
後藤 資明 治部少輔 三郎 俊明男
(五郎外孫)
後藤 英明 備前守 秀明
治部少輔
資明男
後藤 正明 伯耆守 春林浄富 治部少輔
左衛門大夫
英明男 1428-?
後藤 職明 伯耆守 盛岩浄憲 兵部大輔 正明男 1483頃
後藤 純明 伯耆守 月湖浄円 澄明
千代童丸
兵庫頭
渋江公勢男
(職明外孫)
1519前-53 1553
武雄=塚崎城を築く
後藤 貴明 伯耆守 貴明寺
天皤自運
佐純
又八郎
大村純前二男 1553-83 1583(50) 竜造寺家被官
後藤 家信 伯耆守 家続
鶴仁王丸
善次郎
十左衛門尉
竜造寺隆信三男 1583-? 1622(60)
1590知行安堵
佐賀藩領内にて
43,245石
竜造寺家被官
→鍋島家臣
鍋島茂綱(家信長男。武雄領継承。1610減知30,270石、1621減知21,572石)-茂和-茂紀-茂正⇒茂昭-茂明-茂順-茂義-茂昌
(男爵)


波多家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
波多 持 従五位下
源二郎大夫
松浦久二男 12C後半 東松浦郡岸岳
(肥前)
波多 親 駿河権守 持の男
波多 勇 下野守 親の男
(途中未詳) (諸流系譜が錯綜
して整理困難)
波多 重 五位
下野守
勇の後裔 14C末 岸岳城
波多 永 下野守 重の男
波多 泰 下野守 永の男
1472壱岐を支配
波多 知 下野守 泰の男 1508頃
波多 興 下野守 知長男 1534前-?
波多 盛 壱岐守 興長男 ?-1547 1547 真芳
(出自未詳)
波多 親 三河守 大翁了徹
信時
藤童丸
下野守
有馬義貞二男? 1547-93 1598 青山采女正女

(竜造寺隆信養女)

1564一時失領
1569復帰
(上松浦のみ)
1587本領安堵
1593違令、追放


多久家→多久邑主 (佐賀藩領内)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考

   【前・多久家】
多久 宗直 太郎 出自未詳 1191-? 高来郡多久(肥前)
(途中未詳)
多久 宗広 弥太郎 宗直の裔? 1299頃
多久 宗経 太郎 1304前-10後
多久 宗種 孫太郎 1322頃
多久 宗国 小太郎 1339前-71後
(途中未詳)
多久 宗伝 豊前守 1468頃
多久 弘宗 小太郎 1478頃
多久 宗時 藤兵衛尉 1497頃
多久 宗利 上野守 宗時男 ?-1562
1562失領

   【後・多久家】
多久 長信 和泉守 慶法師丸
兵庫頭
竜造寺周家三男 1563-? 1613(76) 1563多久城
1587知行安堵
佐賀藩領内にて
41,000石
多久安順(長信長男。多久領。1621減知21,734石)⇒茂辰-茂矩⇒茂文⇒茂村⇒茂明-茂堯-茂孝→茂鄰-茂澄-茂族(息子・
乾一郎のとき男爵)


千葉家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
千葉 宗胤 大隅守
千葉新介
太郎 千葉頼胤長男 ?-1294 1294(30) 小城晴気城(肥前)
千葉 胤貞 大隅守 太郎 宗胤長男 1294-1338 1338(49)
千葉 胤泰 刑部大輔 次郎 胤貞長男 1338-? 1377(84)
千葉 胤基 右京大夫 胤泰長男
千葉 胤鎮 千葉介 弥次郎 胤基二男 ?-1437
千葉 胤紹 右京大夫 胤基三男 1437-45 1445
千葉 胤鎮
(再承)
1445-55 1455
千葉 元胤 千葉介 胤鎮二男 1455-64 1464
千葉 教胤 千葉介 胤鎮三男 1464-69 1469
千葉 胤朝 千葉介 胤紹二男 1469-86 1486

   【西千葉家】
千葉 胤資 肥前守 少弐教頼二男 1486-97 1497 晴気城
1497戦死、失領
千葉 胤繁 千葉介 胤資長男 1497-? 小城高田城
千葉 胤勝 千葉介 横岳資貞男
1545失領
1546復帰
千葉 胤連 千葉介 天継秀胤 胤勝男 1593
後、所領を鍋島家
に譲り引退
竜造寺家被官
鍋島 胤信 忠右衛門 作兵衛 胤連男 佐賀藩領内で立家
1,600石
(子孫は3,000石)
鍋島家臣

   【東千葉家】
千葉 興常 千葉介 本光寺
日慶
胤棟 千葉胤盛
(胤紹三男)男
1491-1540 1540 1491牛頭城
(肥前)に拠る
千葉 喜胤 千葉介 丹波守 興常二男 1540-42 1542
千葉 胤頼 千葉介 日頼 少弐資元三男 1542-59 1559
1559戦死、滅亡


神代家→川久保邑主
 (佐賀藩領内)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
神代 道元 (筑後豪族) 御井郡神代村(筑後)
神代 勝元 大和守 道元男
神代 利久 兵部少輔 宗元 種元?
対馬守?
勝元男
千布村(肥前)
神代 勝利 大和守 覚誉賢利 新次郎 利久男 1545前-64 1565(55) 三瀬城を築く
神代 長良 刑部大輔 梁山宗異 勝良 勝利男 1564-81 1581(45)
1579川久保(肥前)
竜造寺家被官
神代 家良 大炊頭 小川信俊三男 1581-1612 1612(40)
1587佐賀藩領内
にて知行安堵
8,000余石
鍋島家臣
神代常親(家良男。川久保10,000石)⇒常利-常宜⇒直長⇒直利(佐賀藩主・鍋島吉茂)-直致⇒乗直(佐賀藩主・鍋島宗茂)⇒
直方-直恭-直贇-直興⇒直珍⇒賢在-直宝


鍋島家
→佐賀藩

代  氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
 1 鍋島 経房 左近将監 良本 清直 鍋島経直孫? 15C後半 佐嘉郡鍋島(肥前) 竜造寺家臣
 2 鍋島 清久 右京亮 利叟
道済
茂久
茂尚
経房男 1530頃 1551(75) 野田清忠女 竜造寺家臣
 3 鍋島 清房 駿河守 剛意 孫四郎
刑部少輔
清久二男 1546前-56後 1585(74) 華渓
(竜造寺家純女)
慶誾
(竜造寺胤和女)
竜造寺家臣
 4 鍋島 直茂 従五位下
加賀守
高伝寺
日峯宗智
信安
信真
信昌
信生
彦法師丸
孫四郎
左衛門大夫
飛騨守
清房二男 1556後-1607 1618(81) 慶円
(高木胤秀女)
彦鶴=藤
(石井常延女)

1590佐賀領内にて
竜造寺国政を沙汰
竜造寺
家政代行
 5 鍋島 勝茂 従四位下
侍従
信濃守
泰盛院
沢円良厚
信茂
清茂
伊平太
直茂長男 1607-57 1657(78) 戸田勝隆女
菊(徳川家康養女
=岡部長盛女)
1607佐賀城
(正式に領主)
357,036石
鍋島 忠直 従五位下
肥前守
興国院
敬英賢崇
翁助 勝茂四男 (早世) 1635(23) ムリ
(松平忠明女)
1622公称松平
 6 鍋島 光茂 従四位下
侍従
丹後守
乗輪院
全機良運
翁助 忠直長男 1657-95 1700(69)
(上杉定勝女)

(中院通純女)
 7 鍋島 綱茂 従四位下
侍従
信濃守
玄梁院
卓巌道印
至徳斎
左衛門 光茂長男 1695-1706 1706(55) 布与
(松平光通女)
 8 鍋島 吉茂 従四位下
侍従
丹後守
法性院
健巌良勇
矩茂
直利
弾正
左衛門佐
光茂二男 1707-30 1730(65)
(神代直長女)
 9 鍋島 宗茂 従四位下
侍従
信濃守
海量院
慈明活眼
直董
直堅
乗直
主膳
弾正
(致仕後)
飛騨守
光茂十五男 1730-38 1754(69)
(久世通夏女)
 10 鍋島 宗教 従四位下
侍従
丹後守
光徳院
瑞章良麟
教茂
万吉
宗茂長男 1738-60 1780(63)
(中院通躬女)
 11 鍋島 重茂 従四位下
侍従
信濃守
大弘院
道聡良廓
直亮
捨丸
右平太
上総介
宗茂七男 1760-70 1770(38) 源=惇子
(伊達宗村女)

(徳川宗武女)
 12 鍋島 治茂 従四位下
左少将
肥前守
泰国院
教岳良和
直煕
豊松
中務
和泉守
宗茂十男 1770-1805 1805(61)
(中院通枝女)

(井伊直幸女)

(松平乗薀女)
 13 鍋島 斉直 従四位下
侍従
肥前守
巍松院
桂翁道栄
直懿
祥太郎
左衛門佐
治茂長男 1805-30 1839(60) 姚=幸子
(池田治道女)
 14 鍋島 直正 従四位上
左中将
肥前守
(致仕後)
従二位
大納言
綱聖院
閑叟堯仁
忠宣公
直謀
斉正
貞丸
信濃守
斉直十七男 1830-61 1871(58) 盛=国子
(徳川家斉女)
筆=建子
(徳川斉匡女)
1868復鍋島姓
 15 鍋島 直大 佐賀藩知事
(廃藩後)
式部長官
宮中顧問官
鵬斎 直縄
茂実
淳一郎
信濃守
肥前守
直正長男 1861-71 1921(76) 胤子
(梅渓通善女)
栄子
(広橋胤保女)

1871廃藩置県
侯爵


小城藩=鍋島家
 (佐賀支藩)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
鍋島 元茂 従五位下
紀伊守
祥光院
月堂善珊
直元
彦法師丸
三平
鍋島勝茂長男 1617-54 1654(53) 仁王
(鍋島茂里女)
1617佐賀藩主・
勝茂より分家
小城(肥前)
20,000石
1642までに累増
73,252石
鍋島 直能 従五位下
加賀守
弘徳院
星巌元晃
直宗
飛騨
飛騨守
(致仕後)
伯養
元茂長男 1654-79 1689(68)
(多久茂辰女
=勝茂養女)
鍋島 元武 従五位下
紀伊守
善通院
金粟善明
直頼
久丸
式部
(致仕後)
黙笑
直能二男 1679-1713 1713(52)
(城島家永女)
鍋島 元延 従五位下
加賀守
見性院
真空浄眼
彦松
三平
飛騨守
元武二男 1713-14 1714(20)
鍋島 直英 従五位下
加賀守
円覚院
錦山浄高
万吉
出雲
元武三男 1714-44 1744(46) 千重
(多久茂文女)
鍋島 直員 従五位下
紀伊守
法眼院
点然浄一
三次郎 直英二男 1744-64 1780(55) 松子
(五条為範女
=鍋島宗教養女)
鍋島 直愈 従五位下
加賀守
檀香院
復聞通機
直喬
伊三郎
直員二男 1764-94 1801(46) 数子
(鍋島重茂女)
鍋島 直知 従五位下
紀伊守
義天院
彜徳英倫
麟太郎 直愈長男 1794-04 1804(21)
鍋島 直堯 紀伊守 諦観 万丸
捨若
直基
加賀守
直愈三男 1804-50 1873(74)
(多久茂鄰女)
鍋島 直亮 従五位下
加賀守
謙光院
恭岳良温
三平 直堯長男 1850-64 1864(35)
(鍋島直永女
=鍋島直正養女)
鍋島 直虎 小城藩知事
(廃藩後)
貴族院議員
欽八郎 鍋島直正七男 1864-71 1925(70) 春子
(直亮女)
貴子
(南部利剛女)

1871廃藩置県
子爵


蓮池藩=鍋島家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考
鍋島 直澄 従五位下
甲斐守
正献院
義峯宗眼
千熊丸 鍋島勝茂五男 1639-66 1669(55) 1639佐賀藩主・勝茂より分家
蓮池(肥前)
52,625石
鍋島 直之 従五位下
摂津守
要言院
了関宗勇
千熊丸
摂津
直澄二男 1666-1708 1725(83)
鍋島 直称 従五位下
甲斐守
大応院
哲通玄濬
之紀
熊之助
主税
直澄五男 1708-17 1736(70)
鍋島 直恒 従五位下
摂津守
竜華院
実巌玄成
称就
弁五郎
左京
主税
直称二男 1717-49 1749(49)
鍋島 直興 従五位下
甲斐守
大慈院
鉄昭広済
直賢
直之助
直恒長男 1750-57 1757(28)
鍋島 直寛 従五位下
摂津守
蟠竜院
海印道洪
虎八
万八
主税
直恒四男 1758-73 1773(28)
鍋島 直温 従五位下
甲斐守
成簡院
円妙浄智
常丸
直三郎
直寛長男 1774-1816 1825(60)
鍋島 直与 従五位下
摂津守
天賜院
雲庵宗樹
直珍
愛吉
弾正
(致仕後)
鵞翁
鍋島治茂七男 1816-45 1864(67)
鍋島 直紀 蓮池藩知事 統丸
統太郎
甲斐守
直与長男 1845-71 1891(66)
1871廃藩置県
子爵


鹿島藩=鍋島家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 所領/居所 備考

   〔鍋島(忠茂系)家〕 
鍋島 忠茂 従五位下
和泉守
得髄院
悟宗浄頓
直房
平七郎
半助
鍋島直茂二男 1601-24 1624(41) 1601新封 矢作(下総)
5,000石
1609佐賀藩主
勝茂より加増
鹿島(肥前)
25,000石
鍋島 正茂 孫平太 清鏡院
一円日光
(致仕後)
宗甫
忠茂長男 1624-42 1686(82)
1642宗家と争論
矢作領のみ
5,000石
1664致仕
長男・正恭が継承
代々旗本として存続

   〔鍋島(直朝系)家〕
鍋島 直朝 従五位下
和泉守
普明寺
高岳紹竜
茂継
仁王
刑部大輔
鍋島勝茂九男 1642-72 1709(88) 1642鹿島(肥前)
20,000石
鍋島 直条 従五位下
備前守
正統院
泰窩実春
蒙山
直隆
彦千代
右京
伊賀
直朝三男 1672-1705 1705(51)
鍋島 直堅 従五位下
刑部少輔
徳雲院
大年際雄
岩松
和泉守
直条五男 1705-27 1727(33)
鍋島 直郷 従五位下
備前守
天祥院
泰山際運
直告
鶴之助
織部
直堅長男 1728-63 1770(53)
鍋島 直煕 従五位下
和泉守
豊松
中務
鍋島宗茂十男 1763-70
(佐賀藩主継承
=鍋島治茂)
1805(61)
鍋島 直宜 従五位下
和泉守
瑞巌院
威徳良光
守三郎
備前守
鍋島直員四男 1771-1801 1819(57)
鍋島 直彜 従五位下
丹波守
彜徳院
仁勇英忠
総吉 鍋島治茂六男 1801-20 1826(34)
鍋島 直永 従五位下
丹波守
照徳院
良水沢水
学四郎
(致仕後)
上総介
鍋島斉直十三男 1820-39 1854(42)
鍋島 直晴 織部 俊英院
文山光輝
松丸
孫四郎
直彜長男 1839 1839(19)
鍋島 直賢 民部 賢徳院
宗巌雄威
安次郎 鍋島斉直二十八男 1842-48 1859(26)
鍋島 直彬 鹿島藩知事
(廃藩後)
貴族院議員
熊次郎
備前守
備中守
直永三男 1848-71 1915(73)
1871廃藩置県
子爵


白石邑主 鍋島家 (佐賀藩領内)

鍋島直弘(鍋島勝茂八男。1635肥前白石20,275石)-直富-直愈-直右-直賢-直章-直喬-直暠(養孫・直明のとき男爵)


唐津藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 藩主在任 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考

   〔寺沢家〕
寺沢 広高 従四位下
志摩守
休甫宗可 正成
広忠
忠次郎
寺沢広正長男 1587-1633 1633(71) 妻木貞徳女 1587新封 唐津城(肥前)
1598までに累増
83,000石
1601加増
123,000石
寺沢 堅高 従五位下
兵庫頭
孤峯院
白室宗不
晴(幼名) 広高二男 1633-47 1647(39) 岡部長盛女
相馬利胤女

1638島原の乱を
誘発し減封
83,000石
1647自殺、絶家

   〔大久保家〕
大久保 忠職 従四位下
加賀守
本源院
日禅
季任
忠任
忠能
忠陟
忠季
仙丸
新十郎
大久保忠常長男 1649-70 1670(67) 松平忠明女 1639明石城(播磨)
70,000石
1649唐津城
83,000石
大久保 忠朝 従四位下
加賀守
教広
木工
杢之助
出羽守
大久保教隆
(忠職叔父)
二男
1670-78 1712(81)
1678佐倉城(下総)転封
老中

   〔松平(大給)家〕
松平 乗久 従五位下
和泉守
源正院
円超英徳
源次郎
宮内少輔
松平乗寿長男 1678-86 1686(54) 水野忠善女 1661佐倉城(下総)
60,000石
1678唐津城
70,000石
松平 乗春 従五位下
和泉守
受晃院
廓月徹心
主水
主水正
乗久二男 1686-90 1690(37) くら
(奥平昌能女)

1686分知
68,000石
松平 乗邑 源次郎 乗益 乗春長男 1690-91 1746(61) 土屋政直女
1690分知
60,000石
1691鳥羽城(志摩)転封

   〔土井家〕
土井 利益 従四位下
周防守
諦玄院
廓誉高岸
徳雄
小左衛門 土井利隆二男
土井利久継嗣
1691-1713 1713(64) 太田資宗女 1681鳥羽城(志摩)
70,000石
1691唐津城
奏者番
土井 利実 従五位下
大炊頭
宝真院
明誉勇仁
崇和
宮内
出雲守
利益長男 1713-36 1736(51) 阿部正邦女
土井 利延 従五位下
大炊頭
諦了院
真誉寂照
湛然
弁之助 土井利清長男 1736-44 1744(22)
土井 利里 従五位下
大炊頭
幾之助
左門
土井利清二男 1744-62 1777(56) 土井利知女
1762古河城(下総)転封
奏者番

   〔水野家〕 
水野 忠任 従五位下
和泉守
寛齢院
賢質良穏
長十郎
織部正
(致仕後)
越前守
水野守満二男
水野忠辰養子
1762-75 1811(78) 留武
(忠辰女)
1752岡崎城(三河)襲封
60,000石
1762唐津城
水野 忠鼎 従五位下
左近将監
隆亀院
文明憲徳
長孝
式部
(致仕後)
監物
浅野宗恒二男 1775-1805 1818(75)
(忠辰女
=忠任養女)
水野 忠光 従五位下
和泉守
徳照院
叡岳宗俊
織之助
式部少輔
(致仕後)
織部正
忠鼎長男
(忠辰外孫)
1805-12 1814(44)
(浅野重晟女)
水野 忠邦 従五位下
左近将監
於菟五郎
式部少輔
和泉守
忠光二男 1812-17 1851(58)
(酒井忠進女)

1817浜松城(遠江)転封

   〔小笠原家〕
小笠原 長昌 従五位下
主殿頭
霊源院
廓巌崇徹
篤三郎
津八郎
小笠原長堯二男 1817-23 1823(28)
(水野忠光女)
1812棚倉城(陸奥)襲封
60,000石
1817唐津城
小笠原 長泰 従五位下
佐渡守
天休院
其寧崇倹
忠貞
鎌之助
壱岐守
(致仕後)
山城守
酒井忠徳六男 1823-33 1861(56)
小笠原 長会 従五位下
能登守
韜光院
華岳崇栄
岩五郎 小笠原長保二男 1833-36 1836(27)
小笠原 長和 従五位下
佐渡守
祥鳳院
瑞輝崇巌
元之助 柳沢保泰九男 1836-40 1840(20)
小笠原 長国 唐津藩知事 光遐
賢之進
佐渡守
中務大輔
松平光庸二男 1841-71 1877(66) 土屋彦直女
1871廃藩置県
養孫・長生
のとき子爵



(2017.09.05up)


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