宮城県は古くは蝦夷の居住地でしたが、7世紀後半〜8世紀には日本の支配が及び、9世紀には多賀城に陸奥国府が置かれ、陸奥の軍事・行政の中心となりました。『延喜式』では(陸前地方は)17郡。平安朝期には摂家などの荘園も存在しましたが、後期には奥州藤原氏の勢力圏となりました。源頼朝が藤原氏を滅ぼした後、伊沢(留守)家景と葛西清重とを奥州惣奉行に任じ、陸奥の軍事・行政を担当させましたが、鎌倉後期には有名無実になりました。南北朝期には室町幕府の四探題が並立して混乱を招き、南朝方では葛西家が活動しましたが、斯波(大崎)家が幕府方の内紛を収めて奥州探題の地位を確立すると、葛西家も幕府方に転じました。室町期には大崎家が探題職を世襲、葛西家は北方からその勢力を牽制していましたが、戦国期に入ると伊達家が北上して陸前地方に影響力を及ぼし、大崎・葛西両家ともその勢力のもとで領国を維持しました。豊臣秀吉は大崎・葛西領家を改易し、陸前地方ははじめ木村吉清、のち伊達政宗に与えられました。政宗は徳川家康から所領を安堵されて陸前全域を領有し、伊達家は江戸期を通じて仙台藩として領域を統治しました。1868年の戊辰戦争により藩領の過半が新政府直轄地となります。1871年の廃藩置県により仙台県が成立し、翌年には宮城県と改称、1876年に磐井県のうち旧陸前5郡、磐前県のうち旧岩城北部3郡を合併し、県域が確定しました。
大崎家=奥州探題 白石家→登米要害 伊達家 留守家 葛西家 亘理家=涌谷要害 伊達家 国分家 黒川家 木村家 伊達家→仙台藩 岩沼藩 角田要害 石川家 亘理要害 伊達家 岩出山要害 伊達家 白石城 片倉家 松山所 茂庭家 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
斯波 家兼 | 正五位下 左京権大夫 |
長国寺 円承 |
時家 千代鶴丸 彦三郎 式部丞 伊予守 |
斯波宗氏二男 | 1337-56 | 1356(49) | 大崎地方(陸奥) | 1354-56 奥州探題 |
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斯波 直持 | 従四位上 左京大夫 |
大興寺 | 直時 彦二郎 刑部大輔 治部大輔 |
家兼長男 | 1356-72前 | 1383(57) | 大崎師山城 | 奥州探題 | ||||
大崎 詮持 | 従四位上 左京大夫 |
金竜寺 法英 |
詮時 彦三郎 左衛門佐 |
直持長男 | 1372前-1400 | 1400 | 葛西詮清女 | ↓ | 奥州探題 | |||
大崎 満持 | 従四位上 左京大夫 |
続灯寺 | 刑部大輔 | 詮持長男 | 1400-07後 | ↓ 名生城を拠点 |
奥州探題 | |||||
大崎 満詮 | 左京大夫 | 向上寺 | 定詮 | 満持長男 | 1413頃-? | ↓ | 奥州探題 | |||||
大崎 持詮 | 従四位上 左京大夫 |
修心院 昌朔 |
持兼 左衛門佐 |
満詮長男 | 1423頃-35後 | ↓ | 奥州探題 | |||||
大崎 教兼 | 従四位上 左衛門佐 |
竜谷寺 | 彦三郎 陸奥守 |
持兼長男 | 1450前-77後 | ↓ | 奥州探題 | |||||
大崎 政兼 | 従五位上 陸奥守 |
長松寺 同岳 |
源三郎 | 教兼長男 | 1477後-88前 | ↓ | 奥州探題 | |||||
大崎 義兼 | 従五位上 左京大夫 |
寿松院 玉岩 |
彦三郎 | 政兼長男 | 1488前-? | ↓ | 奥州探題 | |||||
大崎 高兼 | 彦三郎 | 義兼長男 | ? | 1530? | ↓ 中新田城に移転 |
奥州探題 | ||||||
大崎 義直 | 従五位上 左京大夫 |
蟠松院 竜山洞雲 天伊時公 |
彦三郎 | 義兼二男 | 1514前-77 | 1577 | 四釜直光女 | ↓ | ||||
大崎 義隆 | 左衛門督 | 融峰広祝 | 義隆長男 | 1577-90 | 1603(56) | 葛西常時女 | ↓ 1590失領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
刈田 経元 | 従六位下 左兵衛尉 |
次郎 | 藤原氏庶流 | 1110(62) | 刈田郡内(陸奥) | ||||||
刈田 元兼 | 従六位下 右馬助 |
次郎九郎 | 経元男 | 1146(74) | ↓ | ||||||
刈田 元継 | 藤九郎 | 元兼男 | 1159(54) | ↓ | |||||||
刈田 秀継 | 右馬允 | 孫九郎 | 元継男 | 1185(58) | ↓ | ||||||
刈田 秀信 | 右兵衛尉 | 藤次 | 秀継男 | 1189(31) | ↓ | ||||||
白石 秀長 | 三郎 | 秀継男 | 1244(70) | ↓ 白石を拠点とする |
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白石 長政 | 従六位 民部少輔 |
太郎 | 秀長男 | 1269(67) | ↓ | ||||||
白石 長俊 | 従六位下 左衛門尉 |
民部次郎 | 長政男 | 1276(46) | ↓ | ||||||
白石 宗弘 | 従六位下 近江守 |
常林寺 天波清雲 |
彦五郎 | 伊達政依二男 | 1339(74) | ↓ | 伊達家に服属 (以下同) |
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白石 宗嗣 | 右衛門佐 | 常賢寺 起山宗雲 |
近江五郎 | 宗弘男 | 1361(69) | ↓ | |||||
白石 宗慶 | 式部少輔 | 養雲寺 竜顔雲清 |
彦五郎 | 宗嗣男 | 1377(58) | ↓ | |||||
白石 宗親 | 近江守 | 常清寺 心安常情 |
虎之助 式部少輔 |
宗慶男 | 1414(73) | ↓ | |||||
白石 宗信 | 豊前守 | 雲光寺 孤月常信 |
彦五郎 右京亮 |
宗親男 | 1425(59) | ↓ | |||||
白石 宗ヤス 〔「滕」の右半〕 |
右衛門佐 | 円照寺 紅輪西信 |
彦次郎 | 宗信男 | 1437(47) | ↓ | |||||
白石 宗徳 | 右衛門佐 | 円同寺 実参宗智 |
彦四郎 | 宗信男 | 1479(85) | ↓ | |||||
白石 宗長 | 近江守 | 常法寺 通巌宗円 |
四郎 | 宗徳男 | 1495(71) | ↓ | 伊達家被官 | ||||
白石 宗清 | 伊予守 | 大洋寺 鉄舟円乗 |
藤四郎 右衛門大夫 |
宗長男 | 1517(67) | ↓ | 伊達家臣 | ||||
白石 実綱 | 近江守 | 清流寺 亀閑英寺 |
宗綱 藤四郎 右衛門佐 月宗斎 |
白石宗康 (宗長男)長男 |
1535(73) | ↓ | 伊達家臣 | ||||
白石 宗利 | 大和守 | 普照院 見児良真 |
宗量 藤四郎 右衛門佐 |
実綱長男 | 1553(47) | ↓ | 伊達家臣 | ||||
白石 宗実 | 若狭守 | 仏徳寺 西意性密 |
老後丸 右衛門佐 |
宗利長男 | 1599(55) | ↓ 1591水沢城(陸奥) 15,000石 |
伊達家臣 | ||||
伊達 宗直 | 相模 | 桐林寺 瑞鳳常徳 |
天之助 右衛門佐 備前 碩斎 |
伊達宗清長男 | 1629(53) | ↓ 1601登米寺池城 (陸奥) |
伊達家臣 | ||||
伊達宗貞(宗直男。登米13,570石)⇒五郎吉(10,570石)⇒宗倫⇒村直(20,000石)⇒村永⇒村倫⇒村勝⇒村良−村幸⇒宗充−邦寧 (早世)−邦教(1869失領) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
伊沢 家景 | 左近将監 | 瑞山雲公 | 四郎 | 藤原兼信男 | 1215? | 多賀城近傍 (陸奥) |
1190以後 陸奥留守職 |
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留守 家元 | 民部少輔 | 家景男 | 1234 | ↓ | ||||||||
留守 家広 | 左兵衛尉 | 行妙 | 留守介 | 留守家業男 (家景甥) |
1285後 | 乙 (家元女) |
↓ | |||||
留守 恒家 | 左兵衛尉 | 家広長男 | ↓ | |||||||||
留守 家信 | 出羽守 | 恒家男 | ↓ | |||||||||
留守 家助 | 遠江守 | 家信男 | 1350頃 | ↓ | ||||||||
留守 家高 | 美作守 | 三郎左衛門尉 | 家助男 | 1333前-? | ↓ | |||||||
留守 家次 | 但馬守 | 家冬 美作二郎 |
家高男 | ?-1351 | 1351 | 新田城(陸奥) | ||||||
留守 淡路守 | 家任? | 家次男 | 高森城(陸奥) | |||||||||
留守 弾正少弼 | 家政? | 淡路守男 | ↓ | |||||||||
留守 家明 | 駿河守 | 弾正少弼男 | ?-1372後 | 山内某の女 | ↓ | |||||||
留守 詮家 | 四郎 | 家明男 | ↓ | |||||||||
留守 持家 | 美作守 | 重家 | 家明男 | ↓ | ||||||||
留守 郡宗 | 出羽守 | 長谷五郎 | 伊達持宗五男 | ?-1495 | 1495 | ↓ | 伊達家に服属 | |||||
留守 藤王丸 | 郡宗長男 | 1495-1500 | 1500(10) | ↓ | ||||||||
留守 景宗 | 相模守 | 光巌威公 | 四郎 安房守 |
伊達尚宗二男 | 1500-54 | 1554 | 郡宗女 | ↓ | 伊達家被官 | |||
留守 顕宗 | 相模守 | 光明院 浄天清公 |
藤五郎 | 景宗長男 | 1554-71 | 1586(68) | 黒川氏直女 | ↓ | 伊達家被官 | |||
留守 政景 | 従五位下 上野介 |
大安寺 高岳玄登 |
六郎 雪斎 |
伊達晴宗三男 | 1571-1607 | 1607(59) | 黒川晴氏女 | ↓ 利府城(陸奥) 1591黄海城(陸奥) 1593清水城(陸奥) 1604一関城(陸奥) 20,000石 |
伊達家臣 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
葛西 清重 | 従五位下 壱岐守 |
定蓮 清真 |
三郎 右兵衛尉 |
豊島清光三男 | 1221(74) | 葛飾郡葛西荘 (下総) 陸奥六郡内 |
1190以後 陸奥国御家人奉行 |
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【石巻葛西家】 |
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葛西 朝清 | 左衛門尉 | 壱岐守? | 清重二男 | 1216陸奥下向 登米寺池(陸奥) |
(庶子家?) | |||||||
(途中未詳) | (系譜が寺池系との 混同や付会により 錯綜しているため 継承の実態未詳) |
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葛西 宗清 | 三郎左衛門尉 | 清宗 伊豆守 |
清経男? | 1336? | ↓ | |||||||
葛西 清定 | 武蔵守 | 蓮阿 | 清貞 武蔵守 |
清信長男 | 1343 | ↓ 1333?石巻日和山城 (陸奥)を拠点 |
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葛西 親家 | 左近将監 | 高清二男 | ↓ | (寺池葛西家の庶家 として存続) |
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葛西 清澄 | 親家男 | ↓ | ||||||||||
葛西 重勝 | 清澄男 | ↓ | ||||||||||
葛西 春重 | 従五位下 壱岐守 |
道栄 | 信勝 政信 左近大夫 |
持信三男 | 1506(74) | ↓ | (寺池系をも継承) | |||||
葛西 宗清 | 従四位上 武蔵守 |
誠蓮 | 三郎 七郎 |
伊達成宗二男 | 1498後-1522前 | ↓ 寺池葛西家を支配 家領全体を統括 |
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【関東→寺池葛西家】 |
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葛西 清親 | 従五位下 壱岐左衛門尉 |
清蓮 | 四郎 伯耆守 |
清重長男 | 1247(67) | 葛西荘 | (嫡流?) | |||||
葛西 清時 | 従五位下 伯耆守 |
行蓮 貞性 |
時清? 四郎 壱岐小三郎 伯耆左衛門尉 |
清親長男 | 1270(56) | ↓ | ||||||
葛西 清経 | 従五位下 伯耆新左衛門尉 |
経蓮 涼西 |
遠江守? | 清親五男 | (別家?) | 1287(53) | ↓ | |||||
葛西 清信 | 従五位下 遠江守 |
円西 | 伊豆守 | 千葉頼胤三男 | 1317(56) | ↓ 陸奥にも拠点 |
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葛西 貞清 | 従五位下 左衛門尉 |
道西 | 清信長男 | 1346? | ↓ | |||||||
葛西 高清 | 従五位下 因幡守 |
道祐 | 良清? 備前守 |
貞清長男 | 1365(54) | ↓ 下総の所領喪失 1333以降は 登米寺池城を拠点 |
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葛西 詮清 | 伯耆守 | 念祐 | 為清 重信 |
高清三男 | 1388(44) | 南部家の女 | ↓ | |||||
葛西 満信 | 陸奥守 | 覚祐 | 貞信 左衛門尉 壱岐守 |
詮清三男 | 1420(51) | 薄衣清常女 | ↓ | |||||
葛西 持信 | 伯耆守 | 定照 | 播磨守 | 満信長男 | ?-1469 | 1469(72) | ↓ | |||||
葛西 朝信 | 従五位下 壱岐守 |
蓮仏 | 信重? 孫三郎 |
持信長男 | 1469-80 | 1480(54) | 大崎持詮女 | ↓ | ||||
葛西 尚信 | 兵庫頭 | 蓮喜 | 重千代 | 朝信長男 | 1480-83 | 1483(33) | ↓ | |||||
葛西 政信 | 従五位下 壱岐守 |
道栄 | 信勝 春重 左近大夫 |
持信三男 | 1483-1506 | 1506(74) | ↓ 没後、石巻系の 宗清が家領統括 |
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葛西 晴重 | 従五位下 陸奥守 |
祝蓮 道貞 |
重信 稙信 壱岐守 |
政信三男 | 1522前-33 | 1533(65) | 宗清没後、石巻・ 寺池を併せ家領 全体を統括 |
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葛西 晴胤 | 従五位下 左京大夫 |
律蓮 道誉 |
高信 | 晴重二男 | 1533-55 | 1555(59) | 黒川景氏女 | ↓ 1536寺池を主城 |
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葛西 親信 | 従五位下 石見守 |
金蓮 道円 |
義重 | 晴胤長男 | 1555-60 | 1560(48) | ↓ | |||||
葛西 晴信 | 従五位下 左京大夫 |
知山宗彗 通山道融 |
信清 晴清 壱岐守 相模守 |
晴胤三男 | 1560-90 | 1597(64) | ↓ 1590失領 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
武石 胤盛 | 従六位下 左兵衛尉 |
三郎 | 千葉常胤三男 | 1215(61) | 武石郷(下総) 陸奥三郡内 |
||||||
武石 胤重 | 二郎 | 胤盛男 | ↓ | ||||||||
武石 胤氏 | 四郎 | 胤重男 | ↓ | ||||||||
武石 宗胤 | 従五位下 肥前守 |
弥太郎 左兵衛尉 |
胤氏男 | 1314(64) | 亘理(陸奥) | ||||||
武石 治胤 | 従五位下 右京亮 |
三郎 | 宗胤男 | 1331(67) | ↓ | ||||||
武石 高広 | 従五位下 石見守 |
四郎 | 治胤男 | 1339(43) | ↓ | ||||||
亘理 広胤 | 従五位下 因幡守 |
左兵衛尉 | 高広男 | 1381(63) | ↓ | ||||||
亘理 行胤 | 従六位下 肥前守 |
彦四郎 | 広胤男 | 1393(51) | ↓ | ||||||
亘理 重胤 | 刑部少輔 | 彦五郎 | 行胤男 | 1412(44) | ↓ | ||||||
亘理 胤茂 | 兵部大輔 | 重胤男 | 1441(58) | ↓ | |||||||
亘理 茂連 | 肥前守 | 彦四郎 | 胤茂男 | 1446(39) | ↓ | ||||||
亘理 宗清 | 兵部大輔 | 胤茂男 | 1463(48) | ↓ | |||||||
亘理 茂元 | 兵庫允 | 彦五郎 | 胤茂男 | 1481(61) | ↓ | ||||||
亘理 元胤 | 因幡守 | 彦五郎 | 茂元男 | 1504(59) | ↓ | ||||||
亘理 宗元 | 右近大夫 | 彦七郎 | 元胤二男 | 1531(60) | ↓ | 伊達家被官 | |||||
亘理 宗隆 | 兵庫允 | 元重 彦五郎 右近大夫 |
宗元長男 | 1556(64) | ↓ | 伊達家被官 | |||||
亘理 綱宗 | 彦四郎 | 浄因清亨 | 伊達稙宗十一男 | ?-1543 | 1543(18) | ↓ | 伊達家被官 | ||||
亘理 元宗 | 従五位下 兵庫頭 |
洛浦院 泰岳元安 |
乙松丸 | 伊達稙宗十二男 | 1543-? | 1594(65) | ↓ | 伊達家臣 | |||
亘理 重宗 | 美濃守 | 大運院 月津雪航 |
王天丸 源五郎 |
元宗長男 | ?-1604 | 1620(69) | ↓ 1591涌谷城(陸奥) 8,000石 |
伊達家臣 | |||
伊達定宗(重宗長男。20,000石)−宗重(22,640石)−宗元−村元−村定−村盛⇒村胤⇒村倫⇒村常−村清−義基−邦隆−胤元 (1869失領。復亘理姓) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
【平氏国分家】 |
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国分 胤通 | 従五位下 五郎左衛門尉 |
千葉常胤五男 | 1213(58) | 葛飾国分郷(下総) 宮城・名取二郡内(陸奥) |
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国分 胤茂 | 従五位下 美濃守 |
国寿丸 小太郎 |
胤通男 | 1242(46) | ↓ | ||||||
国分 胤重 | 従五位下 修理亮 |
次郎 | 胤茂男 | 1274(57) | ↓ | ||||||
国分 胤光 | 従五位下 左衛門尉 |
彦五郎 | 胤重男 | 1304(64) | ↓ | ||||||
国分 重胤 | 従五位下 美濃守 |
彦五郎 | 胤光男 | 1332(69) | ↓ | ||||||
国分 盛胤 | 従五位下 刑部大輔 |
彦次郎 修理亮 |
重胤男 | 1353(71) | ↓ | ||||||
国分 盛経 | 従五位下 右京亮 |
彦五郎 | 盛経男 | 1416(52) | ↓ 1416戦死? |
平姓国分家 は滅亡か? |
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【藤原氏国分家】 |
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国分 淡路守 | 出自未詳 | 1353前-63後 | 宮城郡国分寺郷(陸奥) | 平氏とは別系 | |||||||
(途中未詳) | |||||||||||
国分 広政 | 美濃守? | 常政? | 淡路守裔? | ↓ | |||||||
国分 宗政 | 正六位上 能登守 |
覚海宗公 | 盛光? 宗綱 五郎大夫 弾正少弼 |
広政男? | ?-1572 | ↓ 松森城(陸奥) |
伊達家被官 | ||||
国分 盛氏 | 能登守 | 九郎 弾正忠 |
宗政男 (養子?) |
1572?-77? (前後の継承 状況は未詳) |
小泉城(陸奥) | 伊達家被官 | |||||
国分 盛重 | 三河守 | 良雄道智 | 政重 彦九郎 能登守 |
伊達晴宗十男 | 1578-1615 | 1615(63) | ↓ 1599佐竹領内へ出奔 1602横手城(出羽) 1,000石 |
伊達家臣 後、佐竹家臣 (称伊達) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
黒川 氏直 | 左衛門尉 | 最上直家男 | 1419 | 黒川郡(陸奥) | |||||||
黒川 氏基 | 氏直男 | ↓ | |||||||||
黒川 顕氏 | 氏直男 | ↓ | |||||||||
黒川 氏房 | 顕氏男 | ↓ | |||||||||
黒川 氏矩 | 氏房男 | ↓ | 源姓黒川氏は断絶か? | ||||||||
黒川 景氏 | 下総守 | 飯坂清宗男 | 1552? | 鶴楯城(陸奥) | 藤原姓(別系?) | ||||||
黒川 稙国 | 右馬助 | 景氏男 | ↓ | ||||||||
黒川 晴氏 | 安芸守 | 月舟斎 | 稙国男 | ?-1590 | 1609(77) | ↓ 1590失領 |
息子・義康が伊達家臣 となり家存続 その子・季氏のとき 無嗣、絶家 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
木村 吉清 | 伊勢守 | 弥一右衛門 | 出自未詳 | 1590-91 (登米領) 1598 (豊後国内) |
1598 | 1590新封 登米城(陸奥) 300,000石 1591失政改易 1598豊後国内復封 14,000石 |
|||||
木村 秀望 | 弥一右衛門 | 清久 | 吉清男 | 1599-1600 (豊後国内) |
1615 | 1590父の領内 古川城(陸奥) 1591失政改易 1590豊後国内襲封 1600関が原の戦で 石田方、改易 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | ||||
1 | 伊達 朝宗 | 従五位下 高松院非蔵人 |
満勝寺 浄光念西 |
藤原光隆 (北家山蔭流) の男 |
1199(71) | 真壁郡伊佐(常陸)・ 伊達郡(陸奥) |
|||||||
2 | 伊達 宗村 | 従五位下 次郎 |
持国院 念山道正 |
為重? 常陸介? |
朝宗二男 | 伊達郡 | |||||||
3 | 伊達 義広 | 従五位下 蔵人大夫 |
観音寺 本明覚仏 |
資綱? 宗広? 粟野次郎 判官代 |
宗村二男 (弟?) |
1256(72) | ↓ | ||||||
4 | 伊達 政依 | 従五位下 蔵人大夫 |
東昌寺 覚印願西 |
政頼 二郎 |
義広長男 | 1301(75) | ↓ | ||||||
5 | 伊達 宗綱 | 従五位下 小太郎 |
金福寺 浄方真西 |
兵部少輔 | 政依長男 | 1317? | 信夫・伊達二郡 | ||||||
6 | 伊達 基宗 | 従五位下 孫太郎 |
満願寺 誠志堅貞 |
基実 小弾正 |
宗綱長男 | ↓ | |||||||
7 | 伊達 行宗 | 従四位下 宮内大輔 |
延命院 念海円如 |
朝村 行朝 |
基宗長男 | 1348(58) | 田村某の女 | ↓ | |||||
8 | 伊達 宗遠 | 従五位下 弾正少弼 |
喜見寺 寂庵定叟 |
浄高 | 行宗長男 | ?-1385 | 1385(62) | 白河宗広女 | 梁川城(陸奥。 奥羽九郡に進出) |
||||
9 | 伊達 政宗 | 従五位下 大膳大夫 |
東光寺 儀山円孝 |
五郎 兵部権少輔 |
宗遠長男 | 1385-1405 | 1405(53) | 紀通清女 | (奥羽13郡に進出) | ||||
10 | 伊達 氏宗 | 従五位下 兵部少輔 |
正光寺 東孝受天 |
政宗長男 | 1405-12 | 1412(42) | ↓ | ||||||
11 | 伊達 持宗 | 従五位下 大膳大夫 |
真常院 天海円宗 |
泰宗 松犬丸 次郎 兵部少輔 |
氏宗長男 | 1412-69 | 1469(77) | ↓ | |||||
12 | 伊達 成宗 | 従四位上 大膳大夫 |
栖竜院 瓊巌円玖 |
三郎 兵部少輔 |
持宗二男 | 1469-? | 1487?(53?) | 大崎教兼女 | ↓ | ||||
13 | 伊達 尚宗 | 五位下 大膳大夫 |
護国院 香山円桂 |
小三郎 | 成宗長男 | ?-1514 | 1514(62) | 上杉定実女 | ↓ | ||||
14 | 伊達 稙宗 | 従四位下 左京大夫 |
智松院 直山円入 |
次郎 | 尚宗長男 | 1514-48 | 1565(78) | 蘆名盛高女 | ↓ 1532西山城(陸奥) |
1522-48 陸奥守護 |
|||
15 | 伊達 晴宗 | 従四位下 左京大夫 |
乾徳院 保山道祐 |
次郎 | 稙宗長男 | 1548-63 | 1577(59) | 窪 (岩城重隆女) |
↓ 1548米沢城(出羽) |
1558前-63 奥州探題 |
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16 | 伊達 輝宗 | 従四位下 左京大夫 |
覚範寺 性山受心 |
彦太郎 総次郎 |
晴宗二男 | 1563-84 | 1585(42) | 義 (最上義守女) |
↓ | ||||
17 | 伊達 政宗 | 従三位 権中納言 陸奥守 |
瑞巌寺 貞山利公 |
梵天丸 藤次郎 美作守 左京大夫 越前守 |
輝宗長男 | 1584-1636 | 1636(70) | 愛 (田村清顕女) |
↓ 1589会津黒川城(陸奥) 1590米沢城 奥羽12郡安堵 1591岩出山城(陸奥) 580,000余石 1600以後累増 1603仙台城(陸奥)へ 居所移転 1634までに(陸奥21郡) 625,000石 |
公称松平 | |||
18 | 伊達 忠宗 | 従四位下 右少将 陸奥守 |
大慈院 義山崇仁 |
虎菊丸 総次郎 美作守 越前守 |
政宗二男 | 1636-58 | 1658(60) | 振 (池田輝政女・ 徳川秀忠養女) |
↓ | ||||
19 | 伊達 綱宗 | 従四位下 左少将 陸奥守 |
見性院 雄山全威 |
巳之助 藤次郎 美作守 (致仕後) 若狭守 嘉心 |
忠宗六男 | 1658-60 | 1711(72) | − | ↓ | ||||
20 | 伊達 綱村 | 従四位上 左中将 陸奥守 |
大年寺 肯山全提 |
綱基 亀千代丸 総次郎 瓶菴 |
綱宗長男 | 1660-1703 | 1719(61) | 仙 (稲葉正則女) |
↓ | ||||
21 | 伊達 吉村 | 従四位上 左中将 陸奥守 |
続灯院 獅山元活 |
村房 卯之助 助三郎 藤次郎 越前守 隣松軒 |
伊達宗房 (忠宗八男) 長男 |
1703-43 | 1751(72) | 貞子 (久我通誠養女) |
↓ | ||||
22 | 伊達 宗村 | 従四位上 左中将 陸奥守 |
政徳院 忠山浄信 |
久村 勝千代丸 総次郎 越前守 |
吉村四男 | 1743-56 | 1756(39) | 温子=利根 (徳川宗直女・ 徳川吉宗養女) |
↓ | ||||
23 | 伊達 重村 | 従四位上 左中将 陸奥守 |
叡明院 徹山玄機 |
国村 儀八郎 藤次郎 美作守 (致仕後) 左兵衛督 |
宗村二男 | 1756-90 | 1796(55) | 年子=惇 (広幡長忠女・ 近衛内前養女) |
↓ | ||||
24 | 伊達 斉村 | 従四位下 左少将 陸奥守 |
永慶院 桂山蘭栄 |
祝村 式三郎 総次郎 美作守 |
重村二男 | 1790-96 | 1796(23) | 誠子=興 (鷹司輔平女) |
↓ | ||||
25 | 伊達 周宗 | 政千代 | 青竜院 紹山隆公 |
斉村長男 | 1796-1812 | 1812(17) | − | ↓ | |||||
26 | 伊達 斉宗 | 従四位下 左少将 陸奥守 |
広徳院 英山元高 |
徳純 宗純 徳三郎 総次郎 |
斉村二男 | 1812-19 | 1819(24) | 信子=鍇 (徳川治宝女) |
↓ | ||||
27 | 伊達 斉義 | 従四位下 左少将 陸奥守 |
曹源院 正山栄因 |
顕嘉 宗義 吉五郎 石見 藤次郎 |
田村村資 (吉村孫) 四男 |
1819-27 | 1827(30) | 蓁子=芝 (斉宗女) |
↓ | ||||
28 | 伊達 斉邦 | 従四位上 左中将 陸奥守 |
慈雲院 竜山真珠 |
宗礼 藤三郎 幸五郎 総次郎 |
伊達宗充 (吉村孫) 長男 |
1828-41 | 1841(25) | 徽子=綏 (斉義女) |
↓ | ||||
29 | 伊達 慶邦 | 左中将 陸奥守 |
楽山 | 寿村 慶寿 穣三郎 藤次郎 筑前守 |
斉義二男 | 1841-68 | 1874(50) | 備子 (鷹司政煕女・ 近衛忠煕養女) 孝子 (徳川斉昭女) |
↓ 1868列藩同盟を 主導、隠居謹慎 |
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30 | 伊達 宗基 | 仙台藩知事 | 榴岡 鶴城 |
宜三郎 亀三郎 建千代麿 |
慶邦二男 | 1868-70 | 1917(52) | 都子 (松浦詮女) |
1868復家 280,000石 1870藩知事辞任 |
1868 復伊達姓 伯爵 |
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伊達 宗敦 (番代) |
仙台藩知事 | 譲堂 | 経丸 総次郎 左京大夫 |
伊達宗城二男 | 1870-71 | 1911(60) | 万喜子 (松根三楽女) |
1870藩知事代任 1871廃藩置県 |
別家 男爵 貴族院議員 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
田村 宗良 | 従五位下 隠岐守 |
瑞雲院 乾外禅竜 |
亀千代 右京 右京亮 |
伊達忠宗 (田村清顕孫) 三男 |
1652-78 | 1678(42) | 糸(山口重如女) | 1652仙台藩領内にて内分、 岩ヶ崎(陸奥) 30,000石 田村家再興 1660分家、大名となる 岩沼(陸奥) |
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田村 建顕 | 従五位下 右京大夫 |
宗永 千勝 内膳 修理 |
宗良二男 | 1678-82 | 1708(53) | 繁(松平近栄女) | ↓ 1682一関(陸奥)転封 |
石川昭光(従五位下・大和守。伊達晴宗四男、陸奥石川領主石川晴光養子。1591陸奥松山城6,000石、1598陸奥角田城8,000石、 後12,000石)−義宗(早世)⇒宗敬(14,665石)−宗弘(21,380石)⇒宗恒⇒村弘−村満−村俊−村文−村任−光尚⇒宗光−義光− 邦光(1869失領。同年北海道室蘭郡を支配するも撤退) |
伊達成実(伊達実元=稙宗三男、陸奥大森城主=の男。1591陸奥角田城、後出奔、1600帰参、1603陸奥亘理20,000石)⇒宗実−宗成 −基実(23,853石)⇒宗氏−村成−村実−村純⇒村好⇒村氏−宗賀(24,353石)−宗恒−邦実⇒邦成(1869失領。同年北海道 有珠郡へ移転) |
伊達宗泰(従五位下・三河守。伊達政宗四男。1603新封、陸奥岩出山城10,670石)−宗敏(14,643石)−敏親⇒村泰−村緝−村通− 村則−宗秩−義監−邦直(1869失領。同年北海道空知郡へ、1871当別へ移転) |
片倉景綱(伊達家臣・片倉景重の男。1591陸奥亘理城。1602陸奥白石城13,000石)−重長(17,357石)⇒景長−村長−村休⇒村信⇒ 村定⇒村廉−村典(18,000石)−景貞−宗景⇒邦憲(1869失領。同年北海道幌別郡へ移転) |
茂庭綱元(伊達家臣・茂庭良直の男。1590陸奥沼辺城5,000石、1591陸奥赤萩城)−良元(1603陸奥松山城11,255石)− 定元(13,137石)−姓元(13,000石)−嵩元⇒元明−苞元−希元(廃嫡)−善元−有元−徳元⇒升元−敬元(1869失領) |
(2009.04.01up)
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