宮城県の主要大名


   宮城県は古くは蝦夷の居住地でしたが、7世紀後半〜8世紀には日本の支配が及び、9世紀には多賀城に陸奥国府が置かれ、陸奥の軍事・行政の中心となりました。『延喜式』では(陸前地方は)17郡。平安朝期には摂家などの荘園も存在しましたが、後期には奥州藤原氏の勢力圏となりました。源頼朝が藤原氏を滅ぼした後、伊沢(留守)家景と葛西清重とを奥州惣奉行に任じ、陸奥の軍事・行政を担当させましたが、鎌倉後期には有名無実になりました。南北朝期には室町幕府の四探題が並立して混乱を招き、南朝方では葛西家が活動しましたが、斯波(大崎)家が幕府方の内紛を収めて奥州探題の地位を確立すると、葛西家も幕府方に転じました。室町期には大崎家が探題職を世襲、葛西家は北方からその勢力を牽制していましたが、戦国期に入ると伊達家が北上して陸前地方に影響力を及ぼし、大崎・葛西両家ともその勢力のもとで領国を維持しました。豊臣秀吉は大崎・葛西領家を改易し、陸前地方ははじめ木村吉清、のち伊達政宗に与えられました。政宗は徳川家康から所領を安堵されて陸前全域を領有し、伊達家は江戸期を通じて仙台藩として領域を統治しました。1868年の戊辰戦争により藩領の過半が新政府直轄地となります。1871年の廃藩置県により仙台県が成立し、翌年には宮城県と改称、1876年に磐井県のうち旧陸前5郡、磐前県のうち旧岩城北部3郡を合併し、県域が確定しました。

 大崎家=奥州探題   白石家→登米要害 伊達家   留守家   葛西家   亘理家=涌谷要害 伊達家   国分家   黒川家   木村家  伊達家→仙台藩   岩沼藩   角田要害 石川家   亘理要害 伊達家   岩出山要害 伊達家   白石城 片倉家   松山所 茂庭家


大崎家=奥州探題

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者  所領/居所 備考
斯波 家兼 正五位下
左京権大夫
長国寺
円承
時家
千代鶴丸
彦三郎
式部丞
伊予守
斯波宗氏二男 1337-56 1356(49) 大崎地方(陸奥) 1354-56
奥州探題
斯波 直持 従四位上
左京大夫
大興寺 直時
彦二郎
刑部大輔
治部大輔
家兼長男 1356-72前 1383(57) 大崎師山城 奥州探題
大崎 詮持 従四位上
左京大夫
金竜寺
法英
詮時
彦三郎
左衛門佐
直持長男 1372前-1400 1400 葛西詮清女 奥州探題
大崎 満持 従四位上
左京大夫
続灯寺 刑部大輔 詮持長男 1400-07後
名生城を拠点
奥州探題
大崎 満詮 左京大夫 向上寺 定詮 満持長男 1413頃-? 奥州探題
大崎 持詮 従四位上
左京大夫
修心院
昌朔
持兼
左衛門佐
満詮長男 1423頃-35後 奥州探題
大崎 教兼 従四位上
左衛門佐
竜谷寺 彦三郎
陸奥守
持兼長男 1450前-77後 奥州探題
大崎 政兼 従五位上
陸奥守
長松寺
同岳
源三郎 教兼長男 1477後-88前 奥州探題
大崎 義兼 従五位上
左京大夫
寿松院
玉岩
彦三郎 政兼長男 1488前-? 奥州探題
大崎 高兼 彦三郎 義兼長男 1530?
中新田城に移転
奥州探題
大崎 義直 従五位上
左京大夫
蟠松院
竜山洞雲
天伊時公
彦三郎 義兼二男 1514前-77 1577 四釜直光女
大崎 義隆 左衛門督 融峰広祝 義隆長男 1577-90 1603(56) 葛西常時女
1590失領


白石家 → 登米要害 伊達家(江戸期には仙台藩領内)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
刈田 経元 従六位下
左兵衛尉
次郎 藤原氏庶流 1110(62) 刈田郡内(陸奥)
刈田 元兼 従六位下
右馬助
次郎九郎 経元男 1146(74)
刈田 元継 藤九郎 元兼男 1159(54)
刈田 秀継 右馬允 孫九郎 元継男 1185(58)
刈田 秀信 右兵衛尉 藤次 秀継男 1189(31)
白石 秀長 三郎 秀継男 1244(70)
白石を拠点とする
白石 長政 従六位
民部少輔
太郎 秀長男 1269(67)
白石 長俊 従六位下
左衛門尉
民部次郎 長政男 1276(46)
白石 宗弘 従六位下
近江守
常林寺
天波清雲
彦五郎 伊達政依二男 1339(74) 伊達家に服属
(以下同)
白石 宗嗣 右衛門佐 常賢寺
起山宗雲
近江五郎 宗弘男 1361(69)
白石 宗慶 式部少輔 養雲寺
竜顔雲清
彦五郎 宗嗣男 1377(58)
白石 宗親 近江守 常清寺
心安常情
虎之助
式部少輔
宗慶男 1414(73)
白石 宗信 豊前守 雲光寺
孤月常信
彦五郎
右京亮
宗親男 1425(59)
白石 宗ヤス
〔「滕」の右半〕
右衛門佐 円照寺
紅輪西信
彦次郎 宗信男 1437(47)
白石 宗徳 右衛門佐 円同寺
実参宗智
彦四郎 宗信男 1479(85)
白石 宗長 近江守 常法寺
通巌宗円
四郎 宗徳男 1495(71) 伊達家被官
白石 宗清 伊予守 大洋寺
鉄舟円乗
藤四郎
右衛門大夫
宗長男 1517(67) 伊達家臣
白石 実綱 近江守 清流寺
亀閑英寺
宗綱
藤四郎
右衛門佐
月宗斎
白石宗康
(宗長男)長男
1535(73) 伊達家臣
白石 宗利 大和守 普照院
見児良真
宗量
藤四郎
右衛門佐
実綱長男 1553(47) 伊達家臣
白石 宗実 若狭守 仏徳寺
西意性密
老後丸
右衛門佐
宗利長男 1599(55)
1591水沢城(陸奥)
15,000石
伊達家臣
伊達 宗直 相模 桐林寺
瑞鳳常徳
天之助
右衛門佐
備前
碩斎
伊達宗清長男 1629(53)
1601登米寺池城
(陸奥)
伊達家臣
伊達宗貞(宗直男。登米13,570石)⇒五郎吉(10,570石)⇒宗倫⇒村直(20,000石)⇒村永⇒村倫⇒村勝⇒村良−村幸⇒宗充−邦寧
(早世)−邦教(1869失領)


留守家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者  所領/居所 備考
伊沢 家景 左近将監 瑞山雲公 四郎 藤原兼信男 1215? 多賀城近傍
(陸奥)
1190以後
陸奥留守職
留守 家元 民部少輔 家景男 1234
留守 家広 左兵衛尉 行妙 留守介 留守家業男
(家景甥)
1285後
(家元女)
留守 恒家 左兵衛尉 家広長男
留守 家信 出羽守 恒家男
留守 家助 遠江守 家信男 1350頃
留守 家高 美作守 三郎左衛門尉 家助男 1333前-?
留守 家次 但馬守 家冬
美作二郎
家高男 ?-1351 1351 新田城(陸奥)
留守 淡路守 家任? 家次男 高森城(陸奥)
留守 弾正少弼 家政? 淡路守男
留守 家明 駿河守 弾正少弼男 ?-1372後 山内某の女
留守 詮家 四郎 家明男
留守 持家 美作守 重家 家明男
留守 郡宗 出羽守 長谷五郎 伊達持宗五男 ?-1495 1495 伊達家に服属
留守 藤王丸 郡宗長男 1495-1500 1500(10)
留守 景宗 相模守 光巌威公 四郎
安房守
伊達尚宗二男 1500-54 1554 郡宗女 伊達家被官
留守 顕宗 相模守 光明院
浄天清公
藤五郎 景宗長男 1554-71 1586(68) 黒川氏直女 伊達家被官
留守 政景 従五位下
上野介
大安寺
高岳玄登
六郎
雪斎
伊達晴宗三男 1571-1607 1607(59) 黒川晴氏女
利府城(陸奥)
1591黄海城(陸奥)
1593清水城(陸奥)
1604一関城(陸奥)
20,000石
伊達家臣


葛西家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者  所領/居所 備考
葛西 清重 従五位下
壱岐守
定蓮
清真
三郎
右兵衛尉
豊島清光三男 1221(74) 葛飾郡葛西荘
(下総)
陸奥六郡内
1190以後
陸奥国御家人奉行

   【石巻葛西家】
葛西 朝清 左衛門尉 壱岐守? 清重二男 1216陸奥下向
登米寺池(陸奥)
(庶子家?)
 (途中未詳) (系譜が寺池系との
混同や付会により
錯綜しているため
継承の実態未詳)
葛西 宗清 三郎左衛門尉 清宗
伊豆守
清経男? 1336?
葛西 清定 武蔵守 蓮阿 清貞
武蔵守
清信長男 1343
1333?石巻日和山城
(陸奥)を拠点
葛西 親家 左近将監 高清二男 (寺池葛西家の庶家
として存続)
葛西 清澄 親家男
葛西 重勝 清澄男
葛西 春重 従五位下
壱岐守
道栄 信勝
政信
左近大夫
持信三男 1506(74) (寺池系をも継承)
葛西 宗清 従四位上
武蔵守
誠蓮 三郎
七郎
伊達成宗二男 1498後-1522前
寺池葛西家を支配
家領全体を統括

   【関東→寺池葛西家】
葛西 清親 従五位下
壱岐左衛門尉
清蓮 四郎
伯耆守
清重長男 1247(67) 葛西荘 (嫡流?)
葛西 清時 従五位下
伯耆守
行蓮
貞性
時清?
四郎
壱岐小三郎
伯耆左衛門尉
清親長男 1270(56)
葛西 清経 従五位下
伯耆新左衛門尉
経蓮
涼西
遠江守? 清親五男 (別家?) 1287(53)
葛西 清信 従五位下
遠江守
円西 伊豆守 千葉頼胤三男 1317(56)
陸奥にも拠点
葛西 貞清 従五位下
左衛門尉
道西 清信長男 1346?
葛西 高清 従五位下
因幡守
道祐 良清?
備前守
貞清長男 1365(54)
下総の所領喪失
1333以降は
登米寺池城を拠点
葛西 詮清 伯耆守 念祐 為清
重信
高清三男 1388(44) 南部家の女
葛西 満信 陸奥守 覚祐 貞信
左衛門尉
壱岐守
詮清三男 1420(51) 薄衣清常女
葛西 持信 伯耆守 定照 播磨守 満信長男 ?-1469 1469(72)
葛西 朝信 従五位下
壱岐守
蓮仏 信重?
孫三郎
持信長男 1469-80 1480(54) 大崎持詮女
葛西 尚信 兵庫頭 蓮喜 重千代 朝信長男 1480-83 1483(33)
葛西 政信 従五位下
壱岐守
道栄 信勝
春重
左近大夫
持信三男 1483-1506 1506(74)
没後、石巻系の
宗清が家領統括
葛西 晴重 従五位下
陸奥守
祝蓮
道貞
重信
稙信
壱岐守
政信三男 1522前-33 1533(65) 宗清没後、石巻・
寺池を併せ家領
全体を統括
葛西 晴胤 従五位下
左京大夫
律蓮
道誉
高信 晴重二男 1533-55 1555(59) 黒川景氏女
1536寺池を主城
葛西 親信 従五位下
石見守
金蓮
道円
義重 晴胤長男 1555-60 1560(48)
葛西 晴信 従五位下
左京大夫
知山宗彗
通山道融
信清
晴清
壱岐守
相模守
晴胤三男 1560-90 1597(64)
1590失領


亘理家 → 涌谷要害 伊達家(江戸期には仙台藩領内)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
武石 胤盛 従六位下
左兵衛尉
三郎 千葉常胤三男 1215(61) 武石郷(下総)
陸奥三郡内
武石 胤重 二郎 胤盛男
武石 胤氏 四郎 胤重男
武石 宗胤 従五位下
肥前守
弥太郎
左兵衛尉
胤氏男 1314(64) 亘理(陸奥)
武石 治胤 従五位下
右京亮
三郎 宗胤男 1331(67)
武石 高広 従五位下
石見守
四郎 治胤男 1339(43)
亘理 広胤 従五位下
因幡守
左兵衛尉 高広男 1381(63)
亘理 行胤 従六位下
肥前守
彦四郎 広胤男 1393(51)
亘理 重胤 刑部少輔 彦五郎 行胤男 1412(44)
亘理 胤茂 兵部大輔 重胤男 1441(58)
亘理 茂連 肥前守 彦四郎 胤茂男 1446(39)
亘理 宗清 兵部大輔 胤茂男 1463(48)
亘理 茂元 兵庫允 彦五郎 胤茂男 1481(61)
亘理 元胤 因幡守 彦五郎 茂元男 1504(59)
亘理 宗元 右近大夫 彦七郎 元胤二男 1531(60) 伊達家被官
亘理 宗隆 兵庫允 元重
彦五郎
右近大夫
宗元長男 1556(64) 伊達家被官
亘理 綱宗 彦四郎 浄因清亨 伊達稙宗十一男 ?-1543 1543(18) 伊達家被官
亘理 元宗 従五位下
兵庫頭
洛浦院
泰岳元安
乙松丸 伊達稙宗十二男 1543-? 1594(65) 伊達家臣
亘理 重宗 美濃守 大運院
月津雪航
王天丸
源五郎
元宗長男 ?-1604 1620(69)
1591涌谷城(陸奥)
8,000石
伊達家臣
伊達定宗(重宗長男。20,000石)−宗重(22,640石)−宗元−村元−村定−村盛⇒村胤⇒村倫⇒村常−村清−義基−邦隆−胤元
(1869失領。復亘理姓)


国分家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考

   【平氏国分家】
国分 胤通 従五位下
五郎左衛門尉
千葉常胤五男 1213(58) 葛飾国分郷(下総)
宮城・名取二郡内(陸奥)
国分 胤茂 従五位下
美濃守
国寿丸
小太郎
胤通男 1242(46)
国分 胤重 従五位下
修理亮
次郎 胤茂男 1274(57)
国分 胤光 従五位下
左衛門尉
彦五郎 胤重男 1304(64)
国分 重胤 従五位下
美濃守
彦五郎 胤光男 1332(69)
国分 盛胤 従五位下
刑部大輔
彦次郎
修理亮
重胤男 1353(71)
国分 盛経 従五位下
右京亮
彦五郎 盛経男 1416(52)
1416戦死?
平姓国分家
は滅亡か?

   【藤原氏国分家】
国分 淡路守 出自未詳 1353前-63後 宮城郡国分寺郷(陸奥) 平氏とは別系
 (途中未詳)
国分 広政 美濃守? 常政? 淡路守裔?
国分 宗政 正六位上
能登守
覚海宗公 盛光?
宗綱
五郎大夫
弾正少弼
広政男? ?-1572
松森城(陸奥)
伊達家被官
国分 盛氏 能登守 九郎
弾正忠
宗政男
(養子?)
1572?-77?
(前後の継承
状況は未詳)
小泉城(陸奥) 伊達家被官
国分 盛重 三河守 良雄道智 政重
彦九郎
能登守
伊達晴宗十男 1578-1615 1615(63)
1599佐竹領内へ出奔
1602横手城(出羽)
1,000石
伊達家臣
後、佐竹家臣
(称伊達)


黒川家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
黒川 氏直 左衛門尉 最上直家男 1419 黒川郡(陸奥)
黒川 氏基 氏直男
黒川 顕氏 氏直男
黒川 氏房 顕氏男
黒川 氏矩 氏房男 源姓黒川氏は断絶か?
黒川 景氏 下総守 飯坂清宗男 1552? 鶴楯城(陸奥) 藤原姓(別系?)
黒川 稙国 右馬助 景氏男
黒川 晴氏 安芸守 月舟斎 稙国男 ?-1590 1609(77)
1590失領
息子・義康が伊達家臣
となり家存続
その子・季氏のとき
無嗣、絶家


木村家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
木村 吉清 伊勢守 弥一右衛門 出自未詳 1590-91
(登米領)
1598
(豊後国内)
1598 1590新封
登米城(陸奥)
300,000石
1591失政改易
1598豊後国内復封
14,000石
木村 秀望 弥一右衛門 清久 吉清男 1599-1600
(豊後国内)
1615 1590父の領内
古川城(陸奥)
1591失政改易
1590豊後国内襲封
1600関が原の戦で
石田方、改易


伊達家→仙台藩
信達時代を含む)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
 1 伊達 朝宗 従五位下
高松院非蔵人
満勝寺
浄光念西
藤原光隆
(北家山蔭流)
の男
1199(71) 真壁郡伊佐(常陸)・
伊達郡(陸奥)
 2 伊達 宗村 従五位下
次郎
持国院
念山道正
為重?
常陸介?
朝宗二男 伊達郡
 3 伊達 義広 従五位下
蔵人大夫
観音寺
本明覚仏
資綱?
宗広?
粟野次郎
判官代
宗村二男
(弟?)
1256(72)
 4 伊達 政依 従五位下
蔵人大夫
東昌寺
覚印願西
政頼
二郎
義広長男 1301(75)
 5 伊達 宗綱 従五位下
小太郎
金福寺
浄方真西
兵部少輔 政依長男 1317? 信夫・伊達二郡
 6 伊達 基宗 従五位下
孫太郎
満願寺
誠志堅貞
基実
小弾正
宗綱長男
 7 伊達 行宗 従四位下
宮内大輔
延命院
念海円如
朝村
行朝
基宗長男 1348(58) 田村某の女
 8 伊達 宗遠 従五位下
弾正少弼
喜見寺
寂庵定叟
浄高 行宗長男 ?-1385 1385(62) 白河宗広女 梁川城(陸奥。
奥羽九郡に進出)
 9 伊達 政宗 従五位下
大膳大夫
東光寺
儀山円孝
五郎
兵部権少輔
宗遠長男 1385-1405 1405(53) 紀通清女 (奥羽13郡に進出)
10 伊達 氏宗 従五位下
兵部少輔
正光寺
東孝受天
政宗長男 1405-12 1412(42)
11 伊達 持宗 従五位下
大膳大夫
真常院
天海円宗
泰宗
松犬丸
次郎
兵部少輔
氏宗長男 1412-69 1469(77)
12 伊達 成宗 従四位上
大膳大夫
栖竜院
瓊巌円玖
三郎
兵部少輔
持宗二男 1469-? 1487?(53?) 大崎教兼女
13 伊達 尚宗 五位下
大膳大夫
護国院
香山円桂
小三郎 成宗長男 ?-1514 1514(62) 上杉定実女
14 伊達 稙宗 従四位下
左京大夫
智松院
直山円入
次郎 尚宗長男 1514-48 1565(78) 蘆名盛高女
1532西山城(陸奥)
1522-48
陸奥守護
15 伊達 晴宗 従四位下
左京大夫
乾徳院
保山道祐
次郎 稙宗長男 1548-63 1577(59)
(岩城重隆女)

1548米沢城(出羽)
1558前-63
奥州探題
16 伊達 輝宗 従四位下
左京大夫
覚範寺
性山受心
彦太郎
総次郎
晴宗二男 1563-84 1585(42)
(最上義守女)
17 伊達 政宗 従三位
権中納言
陸奥守
瑞巌寺
貞山利公
梵天丸
藤次郎
美作守
左京大夫
越前守
輝宗長男 1584-1636 1636(70)
(田村清顕女)

1589会津黒川城(陸奥)
1590米沢城
奥羽12郡安堵
1591岩出山城(陸奥)
580,000余石
1600以後累増
1603仙台城(陸奥)へ
居所移転
1634までに(陸奥21郡)
625,000石
公称松平
18 伊達 忠宗 従四位下
右少将
陸奥守
大慈院
義山崇仁
虎菊丸
総次郎
美作守
越前守
政宗二男 1636-58 1658(60)
(池田輝政女・
徳川秀忠養女)
19 伊達 綱宗 従四位下
左少将
陸奥守
見性院
雄山全威
巳之助
藤次郎
美作守
(致仕後)
若狭守
嘉心
忠宗六男 1658-60 1711(72)
20 伊達 綱村 従四位上
左中将
陸奥守
大年寺
肯山全提
綱基
亀千代丸
総次郎
瓶菴
綱宗長男 1660-1703 1719(61)
(稲葉正則女)
21 伊達 吉村 従四位上
左中将
陸奥守
続灯院
獅山元活
村房
卯之助
助三郎
藤次郎
越前守
隣松軒
伊達宗房
(忠宗八男)
長男
1703-43 1751(72) 貞子
(久我通誠養女)
22 伊達 宗村 従四位上
左中将
陸奥守
政徳院
忠山浄信
久村
勝千代丸
総次郎
越前守
吉村四男 1743-56 1756(39) 温子=利根
(徳川宗直女・
徳川吉宗養女)
23 伊達 重村 従四位上
左中将
陸奥守
叡明院
徹山玄機
国村
儀八郎
藤次郎
美作守
(致仕後)
左兵衛督
宗村二男 1756-90 1796(55) 年子=惇
(広幡長忠女・
近衛内前養女)
24 伊達 斉村 従四位下
左少将
陸奥守
永慶院
桂山蘭栄
祝村
式三郎
総次郎
美作守
重村二男 1790-96 1796(23) 誠子=興
(鷹司輔平女)
25 伊達 周宗 政千代 青竜院
紹山隆公
斉村長男 1796-1812 1812(17)
26 伊達 斉宗 従四位下
左少将
陸奥守
広徳院
英山元高
徳純
宗純
徳三郎
総次郎
斉村二男 1812-19 1819(24) 信子=鍇
(徳川治宝女)
27 伊達 斉義 従四位下
左少将
陸奥守
曹源院
正山栄因
顕嘉
宗義
吉五郎
石見
藤次郎
田村村資
(吉村孫)
四男
1819-27 1827(30) 蓁子=芝
(斉宗女)
28 伊達 斉邦 従四位上
左中将
陸奥守
慈雲院
竜山真珠
宗礼
藤三郎
幸五郎
総次郎
伊達宗充
(吉村孫)
長男
1828-41 1841(25) 徽子=綏
(斉義女)
29 伊達 慶邦 左中将
陸奥守
楽山 寿村
慶寿
穣三郎
藤次郎
筑前守
斉義二男 1841-68 1874(50) 備子
(鷹司政煕女・
近衛忠煕養女)
孝子
(徳川斉昭女)

1868列藩同盟を
主導、隠居謹慎
30 伊達 宗基 仙台藩知事 榴岡
鶴城
宜三郎
亀三郎
建千代麿
慶邦二男 1868-70 1917(52) 都子
(松浦詮女)
1868復家
280,000石
1870藩知事辞任
1868
復伊達姓
伯爵
伊達 宗敦
(番代)
仙台藩知事 譲堂 経丸
総次郎
左京大夫
伊達宗城二男 1870-71 1911(60) 万喜子
(松根三楽女)
1870藩知事代任
1871廃藩置県
別家
男爵
貴族院議員


岩沼藩(仙台支藩)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
田村 宗良 従五位下
隠岐守
瑞雲院
乾外禅竜
亀千代
右京
右京亮
伊達忠宗
(田村清顕孫)
三男
1652-78 1678(42) 糸(山口重如女) 1652仙台藩領内にて内分、
岩ヶ崎(陸奥)
30,000石
田村家再興
1660分家、大名となる
岩沼(陸奥)
田村 建顕 従五位下
右京大夫
宗永
千勝
内膳
修理
宗良二男 1678-82 1708(53) 繁(松平近栄女)
1682一関(陸奥)転封


角田要害 石川家(仙台藩領内)

石川昭光(従五位下・大和守。伊達晴宗四男、陸奥石川領主石川晴光養子。1591陸奥松山城6,000石、1598陸奥角田城8,000石、
後12,000石)−義宗(早世)⇒宗敬(14,665石)−宗弘(21,380石)⇒宗恒⇒村弘−村満−村俊−村文−村任−光尚⇒宗光−義光−
邦光(1869失領。同年北海道室蘭郡を支配するも撤退)


亘理要害 伊達家(仙台藩領内)

伊達成実(伊達実元=稙宗三男、陸奥大森城主=の男。1591陸奥角田城、後出奔、1600帰参、1603陸奥亘理20,000石)⇒宗実−宗成
−基実(23,853石)⇒宗氏−村成−村実−村純⇒村好⇒村氏−宗賀(24,353石)−宗恒−邦実⇒邦成(1869失領。同年北海道
有珠郡
へ移転)


岩出山要害 伊達家(仙台藩領内)

伊達宗泰(従五位下・三河守。伊達政宗四男。1603新封、陸奥岩出山城10,670石)−宗敏(14,643石)−敏親⇒村泰−村緝−村通−
村則−宗秩−義監−邦直(1869失領。同年北海道空知郡へ、1871当別へ移転)


白石城 片倉家(仙台藩領内)

片倉景綱(伊達家臣・片倉景重の男。1591陸奥亘理城。1602陸奥白石城13,000石)−重長(17,357石)⇒景長−村長−村休⇒村信⇒
村定⇒村廉−村典(18,000石)−景貞−宗景⇒邦憲(1869失領。同年北海道幌別郡へ移転)


松山所 茂庭家(仙台藩領内)

茂庭綱元(伊達家臣・茂庭良直の男。1590陸奥沼辺城5,000石、1591陸奥赤萩城)−良元(1603陸奥松山城11,255石)−
定元(13,137石)−姓元(13,000石)−嵩元⇒元明−苞元−希元(廃嫡)−善元−有元−徳元⇒升元−敬元(1869失領)



(2009.04.01up)


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