岩手県の主要大名


   岩手県は古くは蝦夷の居住地でしたが、8世紀末から9世紀前半にかけて日本の支配が及び、陸奥国の一部に編入されました。802年には胆沢城が設置され、鎮守府将軍が派遣されました。『延喜式』では(陸中地方に)3郡が見られ、その後、新たに郡が設置されて、後世には11郡となりました。平安朝期には安倍氏が勢力を蓄えて奥六郡を支配、前九年の役で同地は清原氏の統治下に入り、後三年の役を経て奥州藤原氏が一円支配を達成し、独立勢力を保持しました。源頼朝が藤原氏を滅ぼした後、鎌倉期の陸中地方は南部家などの御家人の所領として配分されていました。南北朝期には根城(八戸)南部家や工藤家が南朝方であったのに対し、南部(三戸)家は足利方として活動、次第に南朝方を圧し、室町期には陸中地方を代表する勢力となりました。戦国期には陸中北半に南部家、南半に斯波家、阿曽沼家、葛西家などの諸豪族が割拠していました。豊臣秀吉は陸中南半の諸家を改易し、江刺・胆沢・磐井・気仙の四郡を伊達政宗に、他を南部信直に与えました。江戸期には南部藩が存続し、南四郡も仙台藩(伊達家)の所領として続き、一部は同支藩の一関藩でした。1868年の戊辰戦争により、陸中地方の過半が新政府直轄地となります。1871年の廃藩置県により、陸中の旧南部藩領は盛岡県(鹿角郡は秋田県へ)、陸中・陸前北部の旧仙台藩領は一関県となりました。一関県は同年水沢県、1875年に磐井県と改称しました。盛岡県は1872年に岩手県と改称し、1876年に磐井県を合併(旧陸前五郡は宮城県へ)、青森県から二戸郡を編入し、県域が確定しました。

 南部(三戸)家→南部(盛岡)藩   南部(根城→遠野)家   九戸家   阿曽沼家   和賀家   稗貫家   斯波家   水沢要害 伊達(留守)家   一関藩


南部(三戸)家 → 南部(盛岡)藩

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
 1 南部 光行 信濃守 照山暉公 三郎 加賀美遠光
(小笠原家祖)
三男
1236(51) 源春光女 糠部五郡(陸奥)
 2 南部 実光 彦次郎 鶴林素公 光行二男 1254(38)
 3 南部 時実 又次郎 徳雲明公 実頼 実光長男 1263
 4 南部 政光 孫次郎 俊巌栄公 政元 時実二男 1265(14)
 5 南部 宗経 彦三郎 直山示公 時実長男 1283(36)
 6 南部 宗行 彦五郎 逸山俊公 南部義元
(時実五男)三男
1285(36)
 7 南部 祐行 彦次郎 雄山海公 南部義元二男 1292(45)
 8 南部 政連 弥三郎 普林明公 宗行長男 1302(37)
 9 南部 祐政 彦六郎 実山英公 宗行二男 1319(36)
10 南部 茂時 右馬頭 教浄寺
正阿弥
清宮天心
南部義行
(義元長男)長男
1333(34)
11 南部 信長 伊予守 天巌秀公 又次郎
遠江守
南部義行二男 1339(35)
12 南部 政行 遠江守 浄岳清公 六郎 信長長男 1388(61)
13 南部 守行 従四位下
大膳大夫
陸奥国司
大勝院
祖山禅高
左馬権頭 政行長男 1437(79) 南部信光女
14 南部 義政 遠江守 旭山東公 行政
庄司
大膳大夫
守行長男 1437前-40 1440
15 南部 政盛 大膳大夫 芳林伝公 彦次郎 守行二男 1440-45 1445(68)
16 南部 助政 与次郎 陽山景公 守行四男 1445-48 1448(52)
17 南部 光政 彦三郎 浄乗院
梁山棟公
政盛長男 1448-62 1462
18 南部 時政 彦次郎 興禅院
希山夷公
政盛二男 1462-73 1473(64)
19 南部 通継 彦次郎 法泉院
一峯天公
時政長男 1473-83 1483(48)
20 南部 信時 左衛門佐 勝山慶公 左衛門尉 助政長男 1483-1501 1501(60)
21 南部 信義 修理大夫 梅山芳公 信時長男 1501-03 1503(42?)
22 南部 政康 右馬頭 瑞雲院
傑山昌公
彦四郎 信時二男 1503-07 1507(47?)
23 南部 安信 右馬允 金剛院
悦山怡公
政康長男 1507-36?
24 南部 晴政 彦三郎 大慈院
耀山煕公
安信長男 1536?-63 1563(66)
三戸城を築く
25 南部 晴継 彦三郎 興源院
芳梢花公
晴政長男 1563-72 1572(13)
26 南部 信直 従四位下
大膳大夫
常住院
江山心公
九郎 石川高信
(政康二男)長男
1572-99 1599(54) 晴政女
1590本領安堵
100,000石
1597盛岡城を築く
27 南部 利直 従四位下
信濃守
南宗院
月渓清公
利正
晴直
彦九郎
信直長男 1599-1632 1632(57) 蒲生氏郷養妹
28 南部 重直 従五位下
山城守
即性院
三峯宗元
権平 利直三男 1632-64 1664(59) 加藤嘉明女
1664無嗣
29 南部 重信 従四位下
大膳大夫
大玄院
雲山宗祥
彦六郎
彦左衛門
隼人
西卒
利直五男 1664-92 1702(87) 玉山秀久女 1664所領分割
盛岡城
80,000石
1683高直し
100,000石
30 南部 行信 従四位下
信濃守
徳雲院
玉翁宗珊
八内
南英
重信三男 1692-1702 1702(61) 熊子
(毛利光広女)
31 南部 信恩 従五位下
備後守
霊巌院
了因義方
久信
藤平
刑部
時習斎
行信七男 1702-07 1707(30) 元子
(毛利綱元女)
32 南部 利幹 従五位下
大膳亮
霊徳院
雄山宗英
信応
吉助
左近
主馬
信濃守
自適斎
行信十一男 1708-25 1725(37)
(蜂須賀隆長養女)
33 南部 利視 従四位下
大膳大夫
天量院
宣山宗明
信賀
信視
吉助
修理大夫
壺雲斎
信恩三男 1725-52 1752(45)
(榊原政邦女)
34 南部 利雄 従四位下
大膳大夫
養源院
機翁宗鑑
信貞
辰之助
亀五郎
信濃守
万里
利幹二男 1752-79 1779(55)
(前田吉徳養女)
35 南部 利正 従五位下
大膳大夫
義徳院
南岳宗薫
信由
幸吉
修理大夫
玉集庵
利視七男 1780-84 1784(31) 南部信起女
36 南部 利敬 従四位下
侍従
大膳大夫
神鼎院
竜岳宗丈
信敬
慶次郎
大膳
利正二男 1784-1820 1820(39)
(浅野重晟女)

1808高直し
200,000石
37 南部 吉次郎 常孝院 (利用) 三戸信丞
(利視孫)長男
1820-21 1821(16) (夭折のため
内密で利用が
すり替わる)
38 南部 利用 従四位下
大膳大夫
養徳院
義山宗仁
駒五郎
善太郎
三戸信浄
(利視孫)三男
1821-25 1825(23) (表向きは
吉次郎と
同一人物)
39 南部 利済 従四位下
左少将
信濃守
霊承院
顕道宗祗
謹明
信親
浄祐
修礼
源太丸
静勝斎
南部利謹
(利雄長男)二男
1825-48 1855(59) 雅子
(松平輝延女
=利敬養女)
40 南部 利道 甲斐守 楽堂 謹保
信候
達次郎
(致仕後)
利義
利済長男 1848-49 1888(66) 豊子
(利用女
=井伊直亮養女)
41 南部 利剛 左中将
美濃守
節斎 謹敦
鉄五郎
利済三男 1849-68 1896(71) 明子
(徳川斉昭女)

1868列藩同盟に
参加、隠居謹慎
42 南部 利恭 盛岡藩知事 彦太郎
甲斐守
利剛長男 1868-70 1903(49) 幾子
(溝口直溥女)
喜久子
(浅野懋昭女)
1868減封
白石城(陸奥)
130,000石
1869盛岡に復帰
1870廃藩
伯爵


南部(根城→遠野)家(江戸期には南部藩領内)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
波木井 実長 彦三郎 輝山源公
日円
六郎 南部光行三男 1297(76) 波木井郷(甲斐)
波木井 実継 彦次郎 奇巌嶮公 梅平 実長男
波木井 長継 四郎 却岳曠公 梅平治 実継男 ?-1322後
南部 師行 又次郎 旗峯玄紅 四郎
遠江守
南部政行二男 1322後-38 1338 八戸城(陸奥)
南部 政長 遠江守 舜叟敲堯 六郎 南部政行四男 1338-50 1360
南部 信政 右近蔵人 三郎 政長長男 (家督せず) 1348
南部 信光 薩摩守 璋外青公
聖光
刀寿丸
大炊助
三郎
信政長男 1350-76 1376
南部 政光 薩摩守 偉英剛公 四郎
弾正少弼
信政二男 1376-93後
南部 長経 左近将監 天真守公 千歳 信光長男 1427?
南部 光経 修理亮 渓展潜公 竹松
次郎
信光二男 ?-1422後
南部 長安 遠江守 宗徳 六郎
左近将監
新田経安長男 1436頃
南部 守清 刑部丞 涛応碾法 彦次郎 長安長男
(光経孫)
八戸 政経 河内守 巓永仙公 行吉 新田清政
(長安二男)男
1457頃
八戸 信長 但馬守 陽善春公 政経長男
八戸 治義 薩摩守 漢景霄公 信長二男
八戸 義継 五郎 竜岳麟公 治義長男 ?-1539 1539
八戸 勝義 弾正少弼 大素清公 勝継 治義二男 1539-48 1548(24)
八戸 政義 薩摩守 聖山弘公 政栄
政継
彦次郎
弾正少弼
新田行政長男 1548-91 1610(67)
15,500石領有
南部家臣
八戸 直栄 弾正 鶴山意公 彦次郎
弥六郎
政義長男
(勝義孫)
1591-95 1595(35) 南部家臣
八戸 直政 左近 鉄公 三五郎 政義二男
(勝義孫)
1595-1614 1614(28) 南部家臣
八戸 古(めご) 清心 直栄女
直政妻
1614-20 1644(59) 1614相続
12,500石
南部家臣
八戸直栄(古の養子。1627陸奥遠野12,712石)−遠野義長−義倫⇒利戡⇒信有−信彦⇒義顔−怡顔⇒南部義堯−義茂⇒済賢(1869
失領。息子・行義のとき、先祖の旧功により男爵)


九戸家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
九戸 行連 五郎 来室本光 弥五郎 南部光行五男 13C前半 九戸郡(陸奥) (鎌倉期の事実は未詳。後世の系譜
改作、または世代の欠落あるか?)
九戸 連実 左馬助 江山陵公 行連男
九戸 武連 右馬助 梅山芳公 連実男
九戸 連光 宇兵衛尉 性山真公 武連男
九戸 元実 彦左衛門 玉山心公 連実男
九戸 光康 矢部 江珊良公 元実男
九戸 光政 修理 実山相公 光康男 15C後半?
二戸白鳥城(陸奥)
九戸 連康 筑後守 葉山紅公 康連 光政男
九戸 信実 修理 円心道一 連康男
九戸 信仲 右京 紅雲葉公 信実男
九戸 政実 左近将監 機宗奥公 修理 信仲男 ?-1591 1591
1591滅亡


阿曽沼家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
阿曽沼 広綱 民部大夫 足利有綱二男 1189-1213後 閉伊郡遠野保(陸奥)
阿曽沼 親綱 二郎 広綱男 1213後-?
阿曽沼 公綱 下野守 小次郎 親綱男
阿曽沼 公郷 四郎 公綱男
阿曽沼 氏綱 弥太郎 公郷男
阿曽沼 朝綱 下野権守 氏綱男
阿曽沼 弘綱 安房守 朝綱男?
阿曽沼 秀氏 弘綱男? 1437頃 (出自不明瞭。
安芸阿曽沼家
の関係者か?)
阿曽沼 光綱 三河守 禅願 秀氏男
阿曽沼 守親 左馬頭 光綱男
阿曽沼 親郷 守親男
阿曽沼 親広 親郷男 ?-1579前
阿曽沼 広郷 孫次郎 親広男 1579前-90
遠野鍋倉城を築く
阿曽沼 広長 孫次郎 広郷男 1590-1600 1590南部家附庸として本領安堵
1600失領


和賀家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
和賀 忠頼 式部大輔 出自未詳 1197-? 和賀郡(陸奥) (現存系譜では一系となっているが、実は鎌倉
〜戦国期に二〜三度別系統と入れ替わる)
和賀 忠実 式部大輔 忠明 忠頼男
和賀 忠兼 忠実男 1250
和賀 宗忠 三郎 忠兼男 1274
和賀 宗義 太郎 宗忠男
和賀 義維 三郎 宗義男 1323
和賀 義達 三郎太郎 義維男?
和賀 義周 佐渡守 義達男? 1389
和賀 義弼 大和守 義周男? 1424
和賀 義篤 大和守 小次郎 義弼男 1444
和賀 義翁 中務少輔 義篤男 1477
和賀 義弥 薩摩守 四郎 義翁男 1501
和賀 定行 左近将監 義一? 義屋男?
和賀 義明 式部大夫 行儀? 定行男?
和賀 義治 薩摩守 義与 義明男 1580
和賀 義忠 薩摩守 義治男 ?-1590 1591
1590失領


稗貫家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
稗貫 為重 三河守 伊達為家男 1197-? 稗貫郡小瀬川(陸奥) (伊達氏族説のみ掲げる
が、複数の異説あり)
稗貫 光家 右衛門尉 為重男
稗貫 重泰 蔵人 光家男
稗貫 為正 右衛門尉 重泰男
稗貫 家重 蔵人大夫 為正男
稗貫 重任 藤三郎 家重男
稗貫 盛家 式部少輔 重任男
稗貫 為周 右近大夫 盛家男
稗貫 家孝 右衛門大夫 大膳大夫 為周男
稗貫 為中 大膳大夫 家孝男
稗貫 為隆 大膳大夫 大和守 為中男
稗貫 稙重 大和守 為隆男
稗貫 晴家 右衛門佐 葛西宗晴二男
稗貫 輝家 大和守 斯波某の男
稗貫 広忠 備中守 重綱 和賀義治二男 ?-1590
1590失領


斯波家

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 所領/居所 備考
斯波 家長 陸奥守 三郎 斯波高経長男 1337(17) 1335高清水城(陸奥)
斯波 詮経 兵部大輔 家長男
斯波 詮将 左馬助 正眼院 詮経男
斯波 詮教 左馬助 正音院 詮将男
斯波 詮勝 治部大輔 大勝院 詮教男
斯波 詮重 洞江院 詮勝男
斯波 詮好 兵部大輔 詮重男
斯波 詮房 詮好男
斯波 詮元 治部大輔 久山宗公 詮房男
斯波 詮森 兵部大輔 詮元男
斯波 詮直 孫三郎 空心
一風
家政
詮国?
詮森男 ?-1590
1590失領


水沢要害 伊達(留守)家(仙台藩領内)

留守政景(伊達晴宗三男、陸奥高森城主留守顕宗養子。高森城→利府城。1591陸奥黄海城。1593陸奥清水城。1604陸奥一関城
20,000石)−伊達宗利(相続10,000石。1615陸奥金ヶ崎。1629陸奥水沢)−宗直(13,000石)−宗景(16,335石)⇒村任
(21,435石)⇒村景(16,135石)−村利−村儀−村善⇒村福−宗衡−邦命⇒邦寧(1869失領。復留守姓)


一関藩(仙台支藩)

氏名 官位/仮名 法名/号 他の名 続柄 当主在位 没年(年齢) 配偶者 所領/居所 備考
〔伊達(兵部)家〕
伊達 宗勝 従五位下
兵部大輔
東岳院
峯山紹雄
千勝丸
兵部
兵部少輔
伊達政宗十男 1644-71 1679(59) 竹田法印某の女
立花宗茂養女
1644仙台藩
領内にて内分、
30,000石
1660分家
一関(陸奥)
1671改易
〔田村家〕
田村 建顕 従五位下
因幡守
徳源院
乾峯自明
宗永
千勝
内膳
修理
右京大夫
田村宗良二男 1682-1708 1708(53) 繁(松平近栄女) 1678岩沼
(陸奥)襲封
30,000石
1682一関
(陸奥)転封
奏者番
1693城主格
田村 誠顕 従五位下
下総守
竜潭院
槐陰禅樹
長信
小膳
助十郎
修理
田村顕当五男 1708-27 1727(58) 熊(建顕女)
田村 村顕 従五位下
左京大夫
霊鳳院
性海玄理
典顕
喜七郎
弁之助
内膳
隠岐守
伊達宗贇四男 1727-55 1755(49) 百(誠顕女)
田村 村隆 従五位下
右京大夫
景徳院
賢巌道猷
村候
村勝
幸五郎
式部
右京
下総守
伊達吉村五男 1755-82 1782(46) 逸(伊達村定女)
田村 村資 従五位下
左京大夫
霊鑑院
大円月覚
保之助
内膳
伊達村良長男 1782-98 1808(46) 琴(脇坂安親女)
田村 宗顕 従五位下
右京大夫
常徳院
天倫常沢
敬顕
紀三郎
堀田正敦
(伊達宗村八男)
二男
1798-1827 1827(44) かね〔金+靡〕
(村資女)
田村 邦顕 従五位下
左京大夫
諦観院
真覚円明
徳顕
深美
宗顕二男 1828-40 1840(25) 鍇(堀親寚女)
由(松平信行女)
田村 邦行 従五位下
右京大夫
謙徳院
温恭崇文
顕允
棣之丞
宗顕四男 1840-57 1857(38) 睦子
(成瀬正寿女)
田村 通顕 磐二郎 諧孝院
恭山通謙
(宗家世子
転出後)
庸村
茂村
総次郎
藤次郎
従四位下
侍従
美作守
邦行長男 1857-63
(仙台藩世子
=伊達茂村)
1867(18)
田村 邦栄 右京大夫
(廃藩後)
海軍省御用掛
栄顕
内膳
石川義光
(伊達吉村玄孫)
二男
1863-68 1887(36) 照子
(田村顕謨女)

1868列藩同盟に
参加、隠居謹慎
田村 崇顕 一関藩知事 鶴太郎
鎮丸
石川義光四男 1868-71 1922(71) 鈴子
(土岐頼之女)
1868減封
27,000石
1871廃藩置県
邦栄が再承
して子爵



(2014.08.31up)


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