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中国史に出てくる諡(おくりな)について(10)---魏(三国)

   今回は、三国の魏の時代の諡号です。小説『三国志演義』は多くの日本人にも愛読され、事実とは離れて脚色されながらも、名前がよく知られている将軍や謀臣たちも少なくありません。この時代に関連するサイトも数多いと思いますので、ここではあまり個人の事跡に踏み込まず、もっぱら諡について述べてみます。

   ここでの諡については他の称号や諱(実名)と区別して、〔  〕内に示し、〔襄公〕〔宣侯〕のように表記します。系譜中で罫線-のあとに続柄を記載していないものは、実子(男子)による襲爵です。また、それぞれの王侯の家の系譜は、主流とおもな傍流を除き省略しますので、封爵を与えられた子孫をすべて掲載するわけではありません。
 

*まずは皇帝の在位年です。

・太祖武帝 曹操 皇帝登位せず、魏王として220年に死去
・世祖文帝 曹丕 220-226
・烈祖明帝 曹叡 226-239
・廃帝斉王・邵陵公〔厲公〕曹芳 239-254
・廃帝高貴郷公 曹髦 254-260
・元帝(晉に禅譲後は陳留王) 曹奐 260-265

*封爵について; 魏の時代、宗室には王と公との二等があり、推恩(宗室一族の分封立家)の爵としては、初代王の庶子に郷公、嗣王の庶子に亭侯、公の庶子に亭伯の爵位が与えられました。また一般の臣将には漢代に続いて列侯の爵位が置かれ、その中に県侯・郷侯・亭侯の三等があり、また列侯の下に関内侯・名号侯・関中侯・関外侯・五大夫の爵位があり、これらはいずれも食邑のない爵位でした。なお魏末の264年には、晉の準備段階の爵位として、公・侯・伯・子・男の五等爵が「復活」しましたが、詳細は晉の章で述べます。


曹氏・夏侯氏の一族
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   武帝曹操の父・曹嵩(大帝と追尊されました)は夏侯氏の出身で宦官曹騰の養子となっています。そのため、曹氏・夏侯氏はいずれも帝室の一族として重職に任じられました。

◆陳侯〔忠侯〕曹仁-甯陵侯 泰-甯陵侯 初
◆楽城侯〔恭侯〕曹洪-楽城侯 馥
◆長平侯〔壮侯〕曹休-長平侯 肇-長平侯 興
◆邵陵侯〔元侯〕曹真-武安侯 爽(クーデタで誅殺)-(真の族孫、再興)新昌亭侯 煕
◆高安郷侯〔忠侯〕夏侯惇-高安郷侯 充-高安郷侯 ヨク(广+異)-高安郷侯 劭
◆博昌亭侯〔愍侯〕夏侯淵-安寧亭侯 衡-安寧亭侯 績-安寧亭侯 褒
◆昌陵郷侯〔悼侯〕夏侯尚-昌陵郷侯 玄(有罪誅殺)-(尚の従孫、再興)昌陵亭侯 本

   曹仁・曹洪・夏侯惇・夏侯淵らは、いずれも武帝曹操と同年代で、将軍として各地に転戦して魏王朝の基礎作りに寄与しています。仁・惇の諡〔忠侯〕は東漢の将軍呉漢を意識したかと推測させます。曹休・曹真は文帝期に将軍、明帝期に宰相として、陳羣や司馬懿とともに政務を補佐しました。真の諡〔元〕はこのあと西晉にかけて重臣に贈られた諡として一つのパターンになります。曹爽は司馬懿とともに斉王曹芳を補佐しましたが、司馬懿のクーデタで一族誅殺され、ここをもって実質的に曹魏政権は終焉、実権は司馬氏=晉に移ってしまいました。夏侯玄は斉王芳の側近として重用され、司馬師の排除を企図しましたが、こと破れて滅ぼされています。

★建国期の臣将

   武帝曹操の創業の功臣で、その廟庭に配饗された者です。文帝曹丕の時代に宰相として活躍した者も少なくありません。全部で25人、うち7人は上に掲げた曹氏・夏侯氏の諸将です。一般の臣将18人は下記の通りです。

◆安郷侯〔粛侯〕程昱-安郷侯 武-安郷侯 克-安郷侯 良
◆安楽郷侯〔貞侯〕桓階-安楽郷侯〔壮侯〕嘉-安楽郷侯 翊
◆潁陰侯〔靖侯〕陳羣-潁陰侯〔穆侯〕泰-潁陰侯 恂(無嗣)-(弟)慎県子 温
◆定陵侯〔成侯〕鍾繇-定陵侯〔恵侯〕毓-定陵侯 駿
◆鄚侯〔壮侯〕張郃-鄚侯 雄
◆陽平侯〔壮侯〕徐晃-陽平侯 蓋-陽平侯 覇
◆晉陽侯〔剛侯〕張遼-晉陽侯 虎-晉陽侯 統
◆広昌亭侯〔威侯〕楽進-広昌亭侯〔愍侯〕綝-広昌亭侯 肇
◆博平侯〔敬侯〕華歆-観陽県伯 
◆蘭陵侯〔成侯〕王朗-蘭陵侯〔景侯〕粛-氶県子 恂
◆高唐侯〔威侯〕朱霊-(継嗣未詳)
◆新野侯〔壮侯〕文聘-(養子)新野侯 休-新野侯 武
◆良成侯〔威侯〕臧覇-良成侯〔恭侯〕艾-良成侯 権
◆都亭侯〔愍侯〕李典-都亭侯 禎
◆関門亭侯〔壮侯〕龐徳-列侯 某(名未詳)
◆典韋(未封侯)-関内侯 満
◆陵樹亭侯〔敬侯〕荀攸-陵樹亭侯 適(無嗣廃絶)-(甥、再興)陵樹亭侯 彪
◆舞陽侯〔宣文侯〕司馬懿-舞陽侯〔忠武侯〕-(甥=司馬昭の子)舞陽侯 
      また、懿の子に晉王〔文王〕-晉王 (皇帝に登位)

   荀攸・鍾繇・陳羣は「潁川グループ」の清流派門閥出身で、武帝から文帝にかけての宰相陣の中核として、国家の基礎固めに参画しました。陳羣の〔靖〕はやや例が少ない諡ですが、荀攸・華歆などの〔敬〕、鍾繇・王朗などの〔成〕は重臣の諡として多用されました。後期の宰相で、司馬政権のもとにありながら魏の臣としての筋を通した陳泰の〔穆〕も、地味ながら良い諡の一つです。武将では張郃・徐晃などの〔壮〕、楽進などの〔威〕、張遼の〔剛〕など。李典の〔愍〕の由来は未詳ですが、30代での早逝を悼まれたのかも知れません。司馬懿の〔宣文〕は西漢の蕭何(「文終侯」)・張良(「文成侯」)・霍光(「宣成侯」)を意識したもので、晉の創業につながる最上級の諡として位置づけられています。


★前期の宰相・文官

   武帝曹操のもとには、上記の者以外にも多くの人材が集まり、魏王朝の建国に活躍しました。

◆洧陽亭侯〔貞侯〕郭嘉-洧陽亭侯 奕-洧陽亭侯 深-洧陽亭侯 猟
◆都亭侯〔成侯〕任峻-先(無嗣廃絶)
◆毛玠(未封侯)
◆徐奕(未封侯)
◆成陽亭侯〔靖侯〕何夔-朗陵県侯 
◆魏寿郷侯〔粛侯〕賈詡-魏寿郷侯 穆-魏寿郷侯 模
◆西陵郷侯〔簡侯〕和洽-西陵郷侯 离
◆関内侯 邢顒-関内侯 友
◆都亭侯〔剛侯〕蘇則-都亭侯 怡(無嗣)-(弟)都亭侯 愉
◆楽平侯〔定侯〕董昭-楽平侯 冑
◆潁郷侯〔粛侯〕辛ビ(田の右側に比)-潁郷侯 敞
◆平陽郷侯〔定侯〕杜襲-平陽郷侯 会
◆都郷侯〔穆侯〕趙儼-都郷侯 亭
◆東亭侯〔景侯〕劉曄-東亭侯 ウ(宀+禹)
◆閺郷侯〔敬侯〕衛覬-菑陽県侯 
◆豊楽亭侯〔戴侯〕杜畿-豊楽亭侯 恕(有罪廃絶)-(再興)豊楽亭侯 
◆東郷侯〔貞侯〕陳矯-東郷侯 本-東郷侯 粲
◆方城侯〔敬侯〕劉放-方城県子 正
◆中都侯〔貞侯〕孫資-離石県子 宏
◆高陽郷侯〔貞侯〕常林-高陽郷侯 ジ(山+亠+日。有罪誅殺)-(弟)高陽郷侯 静
◆津陽亭侯〔貞侯〕徐宣-津陽亭侯 欽
◆長垣侯〔敬侯〕衛臻-長垣侯 烈
◆清陽亭侯〔貞侯〕裴潜-済川県侯 
◆南郷侯〔恭侯〕韓曁-南郷侯 肇-南郷侯 邦
◆安陽郷侯〔孝侯〕崔林-安陽郷侯 述

   〔貞〕・〔敬〕・〔粛〕・〔孝〕など堅実な良い諡が目立ちます。乱世の中にあって、よく宰輔の役割を果たしたという褒賞の意味でしょうか。杜畿の〔戴侯〕はこの時期では珍しい諡です。

★将軍たち

   中国を統一できなかったものの、魏の戦力が他国を圧していたのは、優れた将軍たちに率いられた軍団があってこそのことでした。上述の元勲以外の諸将を掲げてみます。

◆益寿亭侯〔厲侯〕于禁-益寿亭侯 圭
◆都亭侯〔剛侯〕李通-都亭侯 基
◆万年亭侯 呂虔-万年亭侯 翻-万年亭侯 桂
◆牟郷侯〔壮侯〕許褚-牟郷侯 儀-牟郷侯 綜
◆昌邑侯〔景侯〕満寵-昌邑侯 偉(有罪廃絶)
◆陽曲侯〔貞侯〕郭淮-汾陽県子 正
◆南郷侯 王淩(謀反賜死)
◆安邑侯 毌丘倹(反乱誅殺)
◆京陵侯〔穆侯〕王昶-京陵侯 
◆東武侯〔景侯〕王基-東武侯 徽(無嗣)-(甥、再興)東武侯 ヨク(广+異)
◆高平侯 諸葛誕(反乱誅殺)
◆鄧侯 鄧艾(謀反誅殺)
◆県侯(封号未詳)鍾会(反乱誅殺)

  于禁は武帝曹操の首席将軍の一人でしたが、荊州争奪戦で蜀漢の関羽に敗退して一時捕虜になったことで、文帝から貶められ、〔厲〕と諡されています。〔壮〕〔景〕は漢代に引き続き、武官のほうに比較的多かったようです。後期の王淩・毌丘倹・諸葛誕らは、司馬懿に抗して兵を挙げ、敗れ去った者たちです。

★地方官たち

   魏の時代には、各地方を治める刺史・太守にも有能な人物が輩出しました。

◆劉馥(未封侯)-建成郷侯〔景侯〕靖-建成郷侯 煕
司馬朗(司馬懿の兄。未封侯)-(甥)順陽侯 
◆申門亭侯 梁習-申門亭侯 施
◆西郷侯〔粛侯〕張既-西郷侯 緝(謀反誅殺)
◆楊俊(未封侯)
◆温恢(未封侯)-関内侯 生(無嗣廃絶)
◆陽里亭侯〔粛侯〕賈逵-臨潁県侯 
◆鄭渾(未封侯)
◆倉慈(未封侯)
◆長楽亭侯 田豫-長楽亭侯 彭祖
◆関内侯 牽招-関内侯 嘉
◆都亭侯〔穆侯〕徐邈-都亭侯 武
◆陽陵亭侯〔貞侯〕胡質-南郷侯 威

   贈られた諡の傾向は、中央の宰相・上将級と大差はないようです。地方官クラスになると、列侯・関内侯の爵位まで達しなかった者も少なくありません。

★武帝の諸子

   武帝曹操の男子は25人。兄弟順がはっきりしないのですが、文帝曹丕はおそらく二男(曹昂のつぎ)。諸子のうち5人が夭折して、いずれも〔殤〕と諡されていますが、ここには掲げません。あとの19人を、ある程度年齢順を意識して列記します。

◆*豊王〔愍王〕昂(戦死、無嗣)-(曹均の子、再興)豊王〔恭王〕琬-豊王 廉
◆任城王〔威王〕曹彰-済南王 楷
◆陳王〔思王〕曹植-済北王 志
◆楚王 曹彪(有罪自殺)-(再興)真定王 嘉
◆*鄧王〔哀王〕曹沖(夭折、無嗣)-(曹拠の子、再興)平陽公 琮
◆*蕭王〔懐王〕曹熊-蕭王〔哀王〕炳(無嗣廃絶)
◆*相王〔殤王〕曹鑠-相王〔愍王〕潜-相王〔懐王〕偃(無嗣廃絶)-(曹茂の子、再興)相王 竦
◆彭城王 曹拠
◆燕王 曹宇-奐(=元帝)
◆沛王〔穆王〕曹林-沛王 緯
◆中山王〔恭王〕曹袞-中山王 孚
◆*済陽王〔懐王〕曹玹(夭折、無嗣)-(曹林の子、再興)西郷侯〔哀侯〕賛(無嗣)-(弟)済陽公〔悼公〕壱-済陽公 恒
◆陳留王〔恭王〕曹峻-陳留王 澳
◆*范陽王〔閔王〕曹矩(夭折、無嗣)-(曹均の子、再興)琅邪王〔原王〕敏-琅邪王 焜
◆趙王 曹幹
◆楽陵王 曹茂
◆*樊公〔安公〕曹均-屯留公〔定公〕抗-屯留公 諶
◆東平王〔霊王〕曹徽-東平王 翕
◆*郿公〔戴公〕曹整(無嗣)-(曹拠の子)成武公〔悼公〕範(無嗣)-(曹拠の子)郿公 闡

   若くして亡くなった者は〔愍〕〔哀〕〔懐〕などが定番、初代王公の*は追贈です。一方、魏では宗室の扱いが冷淡で、王侯とは名ばかりで権限も小さく、才能があった曹植の〔思〕の諡がそれを象徴しています。曹宇は明帝の臨終のとき宰相候補に挙がりましたが、結局用いられず、遠い宗室の曹爽が宰相になっています。曹矩の養子の曹敏の諡〔原〕は、西漢時代には多かったのですが、この時代には稀少になりました。なお曹宇など注記のない4人は、晉代まで長生きしてそのま降格されて公爵になっています。

★文帝の諸子

   文帝の男子は9人。明帝が長男ですが、あとの兄弟順ははっきりしません。

◆元城王〔哀王〕曹礼(無嗣)-(済南王曹楷の子)梁王 悌
◆邯鄲王〔懐王〕曹邕(無嗣)-(済南王曹楷の子)魯陽王 温
◆清河王〔悼王〕曹貢(無嗣廃絶)
◆広平王〔哀王〕曹儼(無嗣廃絶)
◆東海王〔定王〕曹霖-東海王 啓
      また、霖の子に曹髦=廃帝高貴郷公
◆東武陽王〔懐王〕曹鑒(無嗣廃絶)
◆北海王〔悼王〕曹蕤(無嗣)-(琅邪王曹敏の子)文安王 賛
◆*賛王〔哀王〕曹協-賛王〔殤王〕尋(無嗣廃絶)

   夭折した者が多く、曹霖を除けばほとんど宗室としての役割を果たすことなく終わっています。

★後期の宰相

   魏王朝も後期に入り、249年に司馬懿がクーデタで政権を掌握すると、終わりの16年間はほとんど晉王朝の準備段階の形を取ります。そのためこの時期の宰相は、魏の重臣としての役割を果たしながら、司馬氏の体制作りを支えていかなければならないという、難しい立場で政務に参画することになりました。

◆長楽県公 司馬孚(司馬懿の弟)
◆都郷侯〔景侯〕蒋済-都郷侯 秀-下蔡県子 凱
◆容城侯〔成侯〕盧毓-□-容城侯 藩
◆李豊(未封侯? 謀反誅殺)
◆韋誕(未封侯?)
◆安国侯〔元侯〕高柔-□-昌陸県子 渾
◆大利亭侯〔景侯〕孫礼-□-大利亭侯 元
◆孟康(未封侯?)
◆虞松(未封侯?)
◆陽郷侯〔元侯〕傅嘏-涇原県子 祗
◆陽郷侯〔粛侯〕孫観-膠東県子 悝

   この他に、すでに掲げた陳泰などがあります。司馬孚も司馬氏の輔翼(それも一族!)の立場と魏の重臣の立場との板ばさみで悩んだ一人でした。〔元〕〔成〕などは晉王朝の初期にも重臣の定番の諡となります。なお、晉王朝の佐命の功臣に数えられた者については、晉の章で登場します。

(2006.1.8記)