切支丹の書斎


殉教者列伝(8)− 鳥越の殉教

   1613年、江戸で大規模なキリシタン迫害が実行されました。前年の禁教令によって教会が破壊された後、江戸の信徒たちはルイス‐ソテーロ神父が建てた浅草のハンセン病院内の礼拝堂を拠点としていたのですが、将軍徳川秀忠は厳重なキリシタン捜索を命じたので、信徒たちは8月12日に一斉逮捕され、小伝馬町の牢に投獄されてしまいました。そして8月から9月にかけて、浅草鳥越の処刑場で次々と信仰のために生命を捧げたのです。この一連の事件は「鳥越の殉教」と呼ばれています(下方の写真は2002年1月、カトリック浅草教会の裏手に、教会の信者たちによって顕彰のため建てられた記念碑です)。

 【列伝】

      56  アポナリヨ

   アポナリヨは江戸の小役人で、教会に通って洗礼を受けていました。1612年の禁教令のとき、一旦は棄教証文に署名したのですが、ルイス‐ソテーロ神父に告解して立ち返り、熱心な信仰生活を再開したので、翌13年の迫害のとき逮捕され、小伝馬町の牢に監禁されました。彼は飢餓と不衛生の中で祈り続け、四日目に清らかな死を迎えて、殉教者たちの先導役となりました。


      57  笹田ミゲル与右衛門

   笹田ミゲルは河内出身の武士で、京都でキリシタンの洗礼を受け、江戸に移り住み、1599年からは新たに建てられた修道院の聖堂管理に当たっていました。1612年の迫害で聖堂が破却された後は、浅草のハンセン病院を聖堂代わりにして信徒たちの指導的な役割を果たしていましたが、13年に至って町奉行に摘発され、8月12日の一斉逮捕のとき牢に入れられました。16日、他の7人とともに斬首されて殉教しています。


      58   はちくあん(八官? 破竹庵?)常珍

   はちくあん常珍は朝鮮の出身で、江戸ではソテーロ神父をはじめフランシスコ会の修道者たちの宿主でした。町奉行から摘発され、1613年8月12日に捕縛、16日、斬首により殉教。


      59   アントニヨ与兵衛
      60   門前寿庵稲之介
      61   神田トメ喜兵衛
      62   レオ大工「ぽうさき」
      63   神田ルイス
      64   田辺ビセンテ

   この6人の信徒たちは、笹田ミゲルや常珍らとともに教会共同体の指導的な立場にあり、一斉逮捕で小伝馬町の牢に入れられたのですが、狭い牢内で互いに励まし合って信仰を強め、1613年8月16日に8人が相次いで首をはねられて殉教しました。彼らの首は7日間さらしものにされ、遺体は切り刻まれましたが、信徒たちの尊敬の的になっていたので、昼夜を通して厳重な監視がつけられていたと伝えられています。


      65   マルコス喜左衛門
      66   トメ喜右衛門
      67   ジョウチン源内
      68   シモン彦右衛門
      69   アントニヨ半三郎
      70   ジャコベ栄蔵
      71   レオン作内
      72   ジョアン保四郎
      73   マルコス小助
      74   ミゲル弥蔵
      75   マチヤス新五郎
      76   ダミヤン茂助
      77   ジャコベ弥四郎
      78   ジョウチン権左衛門(または喜左衛門、源左衛門)

   この14人の信徒たちは、棄教証文を書いておきながら、立ち返って信仰を取り戻した人たちであり、1613年8月17日に斬首されて殉教しました。その中の何人かは牢内での生活で身体が弱っていましたが、みなが手を携えて見事に神への奉献を全うしました。


      79  ジョアンみぼく(民牧? 未木?)

   ジョアンみぼくは、はじめ愛宕大権現の信者でした。しかし友人の勧めで京都のフランシスコ会の教会を訪れ、ルイス‐ゴメス神父の説教を聴いて喜び、やがて受洗して信徒になると、伝道士となって宣教のため働きました。1610年からはソテーロ神父を補佐して江戸で説教師として活動していましたが、13年の迫害のとき町内から監視を受けて去就を監視されたので、堂々と信仰宣言を書き上げて町奉行に提出したのです。そのため彼は牢に入れられ、9月7日に鳥越の処刑場に連行され、最後まで説教を続けながら、斬首されて生命を捧げました。


      80   グレゴリヨ
      81   パウロ
      82   グレゴリヨ与兵衛
      83   (名前未詳)

   グレゴリヨは浅草でフランシスコ会の伝道士として活動していましたが、1613年の迫害に際して、ジョアンみぼくとともに信仰宣言に連署しました。9月7日、彼はジョアンみぼく、大名の小姓であったパウロとグレゴリヨ与兵衛、牢内で洗礼を受け入信したもう一人の信徒とともに鳥越で斬首され、殉教しました。



*参考文献:   『日本切支丹宗門史』 レオン‐パジェス  吉田小五郎訳   岩波文庫  1938
                  カトリック浅草教会発行の小冊子4種

(2002.10.31)