切支丹の書斎


殉教者列伝(3)

   毛利家と言えば、戦国時代の覇者、安芸を中心に中国地方西半を支配した毛利元就を中興の祖とし、江戸時代を通じて長州藩として存続、明治維新の原動力となった大大名です。元就は真宗の熱心な門徒であり、伝来して間もないキリシタンにはあまり理解を示さずに弾圧策を採りました。孫の毛利輝元もこれを引き継ぎましたが、やがて外国貿易への野心から妥協を図り、1586年に豊前中津城主であったシモン黒田孝高と会談した末に、ようやく領内に教会を建てることに同意します。しかし翌年の豊臣秀吉の禁教令を機に、毛利領内でも再びキリシタンに対する風当たりが強くなっていきました。


 【列伝】
      33  福者熊谷メルシヨル豊前守元直

   熊谷メルシヨル豊前守は、平家物語の一の谷合戦に登場する熊谷直実の子孫です。熊谷家は鎌倉幕府から安芸の三入(広島市)の地頭職を与えられ、代々国人領主の地位を継承して戦国時代に至り、信直のとき毛利家と姻戚関係を結んで傘下に入り、、毛利一門に準じる待遇を与えられました。元直は信直の孫で、1587年に豊臣秀吉の九州平定に従軍した際に、シモン黒田孝高の影響を受け、その年の復活祭にキリシタンの洗礼を受け、霊名をメルシヨルと称しました。
   彼は豪胆な性格で、毛利家の上級武士の中でも際立った存在でした。小田原の陣、朝鮮侵攻などに出馬しながらも、最初は信仰を忘れず、大仏建立のための木材供出を拒否するなどしていましたが、1593年に祖父のあとを継いで1万6000石の領地を知行し、毛利輝元の重臣として多忙になるに連れ、世俗的な生活に傾いていったようです。96年に京都に滞在していたとき、熱心なキリシタン武士たちの感化により、再び信仰心を強めることができました。帰国したメルシヨルは、広島教会の建設のため尽力しています。
   1600年の関ヶ原の戦で、毛利家は石田三成方と見なされて処断され、周防・長門の二国(山口県)のみに領地を削られてしまい、メルシヨルも8000石に減知されて移転を余儀なくされました。1602年になると、輝元は徳川家の内意を受けてキリシタンに圧力をかけ始め、山口の教会を閉鎖し、宣教師追放に踏み切ります。その中でメルシヨルはあくまでも転宗を拒否し、信徒たちの組織を支えていたので、次第に輝元や他の重臣たちとの溝が深まっていきました。
   05年、メルシヨルは宍戸元続・天野元政・益田元祥らとともに、萩城の築城工事に当たっていました(右の写真は萩城の石垣)。その最中に、益田元祥の部下がメルシヨルの担当部署の石を盗むという事件が起こり、元祥側では陳謝したにもかかわらず、メルシヨル側の部将は不用意にも元祥側に賠償を強く要求しました。元祥から報告を受けた輝元は、絶好の口実とばかりに、この機会にキリシタン問題を解決してしまおうと腹を決めたのです。
   1605年8月15日、毛利家の兵は萩の熊谷屋敷を取り囲みました。殉教の覚悟を決めたメルシヨルは、一晩の間熱心に祈り続けました。翌16日の朝、兵たちが屋敷の中に進入してくると、剛勇なメルシヨルは一旦なぎなたを持って防戦しようとしましたが、すぐに我に返り、キリストのみ心を考え直し、武器を捨ててロザリオと縄(自分自身を縛るための)とを携えて役人の前に出頭しました。斬首されたとき、彼は50歳でした。


      34  福者ダミヤン


   ダミヤンは堺の出身で、盲人であったために琵琶法師をして生計を立てていましたが、戦国時代の終わりごろに山口に来住しました。1587年に洗礼を受けた彼は、すぐにカトリックの教理に精通し、日本の歴史や宗教についても博識であったので、説教師としてすぐれた能力を発揮、異教徒たちを教会に導くなど、司祭不在の間に司牧の代理を行っていました。90年には長崎まで出かけて、巡察師ヴァリニャーノ神父にも面会しています。99年には山口に教会が再建され、P.P.ナヴァーロ神父が赴任したので、三年ばかりの間、山口のキリシタンたちは平穏な信仰生活を送ることができました。
   1602年に毛利輝元が領内から宣教師を追放すると、ダミヤンは信徒たちの中心となって共同体を指導、子どもたちに洗礼を授け、精力的に活動していました。1605年8月16日に熊谷メルシヨル元直を処刑した毛利輝元は、教会組織のもう一人の中心人物も排除しようと考え、19日に二人の奉行を山口へ派遣してダミヤンに出頭を命じました。彼は奉行たちからキリシタンをやめて真宗に改宗するよう説得されましたが、明確にこれを拒否したため、馬に乗せられて一本松に連れて行かれました。
   馬から降りたダミヤンは、大きな声で祈りを捧げた後、首をさしのべて刀の一撃を受け、殉教しました。45歳ぐらいだったと言われています。


*参考文献:   『続・キリストの証し人』 フーベルト‐チースリク   聖母の騎士社  1997