切支丹の書斎


殉教者列伝(28)− 平山常陳とその友たちの殉教

   1620年7月22日、一隻の貿易船が台湾沖で英国(正しくは、当時はイングランド・スコットランドの同君連合王国)のフリゲート艦に拿捕される事件が起こります。これが殉教の発端になりました。

 【列伝】

    391   福者ルイス‐フローレス
    392   福者ペドロ‐デ‐スニガ
    393   福者・平山常陳ディアス
    394   福者レオン助右衛門
    395   福者・宮崎ジョアン宗右衛門
    396   福者ミゲル‐ディアス
    397   福者たけのしたマルコ新右衛門(またはビエイラ)
    398   福者・小柳トメ
    399   福者・山田アントニヨ
    400   福者・松尾リヨゴ伝七
    401   福者ロレンシヨ六右衛門
    402   福者ジョアン与五郎
    403   福者バルトロメ茂兵衛
    404   福者・永田ジョアン又吉
    405   福者パウロ三吉


   ルイス‐フローレス神父はフランドルのヘント出身です。1592年にメキシコでドミニコ会へ入会、98年にフィリピンへ渡航して修道院長となり、1617年からカガヤン地区の管区長代理を務めていました。
   ペドロ‐デ‐スニガ神父はスペインのセビーリャ出身、ヌエバ‐エスパーニャ(=メキシコ)副王も務めた上級貴族、ビヤマンリーケ侯アルバーロの息子でした。1604年にセビーリャでアウグスチノ会へ入会、10年にフィリピンに渡り修道院長、18年には一時日本へ潜入して布教のため日本語を学び、19年にいったんマニラへ戻りました。
   平山常陳ディアスは堺の商人であり、京都でバルタサール‐デ‐トルレス神父(福者)から洗礼を受け、キリシタンに入信しました。ロザリオ会員となり、マニラで結婚してここに居を定め、船を所有して貿易を営んでいました。 レオン助右衛門は平山船の副船長、宮崎ジョアン宗右衛門は書記、ジョアン与五郎、バルトロメ茂兵衛、永田ジョアン又吉、パウロ三吉の四人は船員で、いずれもロザリオ会員になっていました。

   1620年6月4日、常陳は鹿皮、絹、黒砂糖などを船に積み、日本へ向けて出航しました。いずれも熱心なキリシタンである商人のミゲル‐ディアス、たけのしたマルコ新右衛門(宮津教会で奉仕した経験がある人です)、ロレンシヨ六右衛門と、旅客の小柳トメ、山田アントニヨ、松尾リヨゴ伝七が乗り合わせていましたが、実はこの船には前述の司祭二人も乗り込んでいました。ペドロはルイスを伴い、宣教のため商人に変装して日本へ渡航することを計画、便乗を依頼された常陳はこれを快諾し、二人を同乗させていたのです。ところが7月22日、台湾沖に差し掛かった平山船は、英国のフリゲート艦エリザベス号に拿捕されてしまいました。英国側は二人が宣教師ではないかと疑いますが、二人は堅く身分を秘して明かさなかったので、英国艦はそのまま平山船を平戸へ曳航して、同盟国であったオランダの商館の牢に二人を投獄しました。もし二人が宣教師でなかったとすれば、英国とオランダとは無実の者を勝手に逮捕したことになりますから、両国は幕府により平戸貿易を停止させられる恐れがあります。そのため、オランダ人たちは二人に激しい拷問を加えて、司祭であると白状させようとしました。
   常陳は長崎奉行所と平戸藩主に対し、英国人たちを海賊として訴え出ました。奉行・長谷川権六をはじめ何人かの役人はスニガ神父の顔を知っていたのですが、取り調べの際にはみな知らぬふりをしていました。しかし1621年11月、スニガ神父を知っていた証人によって身分が判明し、12月には常陳と乗組員・商人・旅客の合わせて13人が逮捕されました。また22年3月にはルイス神父のほうも、牢からの救出を企てたルイス弥吉(福者)らの計画失敗によって身分が知られてしまいます。そのため、二人の司祭は壱岐の牢に移され、その後、幕府から長崎奉行所へ全員の処刑命令が発せられると、みなは長崎の牢へ集められました。

   1622年8月19日、15人は牢から出されて、西坂の刑場へ連行されましたが、多くのキリシタンの群衆がその行列を迎えて聖歌を歌っていました。まずレオン助右衛門たち乗員・乗客12人が、人々の見守る前で次々と斬首されて奉献を全うしました。

   
そして、常陳と二人の司祭は、互いに抱擁して愛を示した後、柱に縛り付けられて火刑にされることになりました。そのとき常陳は日本語がうまく話せない司祭たちに代わって、「病人には医者が必要です。人の子キリストは世界を罪から救うために、十字架の上の苦しみを受けられました。この二人の神父様は、まことの天主様を礼拝することを教えてあなたたちを救済しようと、世の果てから来られたのですぞ!」と演説を始めたので、役人たちはこれを止めようと殴りかかりましたが、常陳は屈せず、さらに「人間に従うのではなく、天主様に従いましょう。兄弟たちよ、主に祈りを捧げ、希望を持ってください。転んでも立ち上がってください。聖なるイエス様の無限のあわれみは、すべての人々に対し平等に与えられることを決して忘れなさるな!」と続けました。この大演説は信者たちを感動の渦に巻き込み、棄教者たちを立ち返らせました。
   柱に点火されて45分の間、燃え盛る火の中で、三人は最期の言葉を交わしました。ペドロ「聖アウグスティヌスよ、私の生みの父よ、試練の中の私をお救いください」。ルイス「兄弟よ、疑いもなく聖アウグスティヌスはあなたの側におられますよ。船長どの。あなたはきょうから天国の船長になりますね」。常陳「まことに。これも神父様のお祈りのおかげです」。
   三人が殉教を遂げると、多くの信者たちが崇敬のあまり、柱の燃えかすや刑場の土を取り集めて、配分したと伝えられています。

   この15人はいずれも、1867年にローマ教皇様から福者に列せられました。


(2018.09.28記)


*参考文献: 
 『日本切支丹宗門史』 レオン‐パジェス  岩波文庫  1938