切支丹の書斎


殉教者列伝(23)木村レオナルドとその友たちの殉教

   1619年には、京都や細川領のみならず、長崎でも多くの信仰の英雄たちが殉教の栄冠を得ました。その中でも11月18日と27日、西坂における殉教が知られています。

 【列伝】

    332   福者木村レオナルド

   木村レオナルドは肥前平戸の出身で、1575年頃、領主松浦家の家臣の家に生まれ、13歳から同宿として有馬のセミナリオで学び、絵画や銅版画に優れていました。1602年にイエズス会へ入会、1604年に誓願を立て修士となり、長崎のコレジオで修道院の庶務に従事していました。1614年の追放令の後も日本に留まり、広島に潜伏、長崎・中国地方、京阪地方で宣教に務めましたが、1616年12月に長崎で逮捕され、クルス町と言われた町の牢に投ぜられました。
   狭い牢内では24人の信者たちが不自由な生活を強いられましたが、レオナルドは三年もの間、日課を定めて朝の祈り、黙想、聖歌、断食などを規則的に行い、牢での生活をまるで修道生活のような充実したものに変えてしまいました。
   1619年11月18日、レオナルドは長崎奉行・長谷川権六から尋問された後、イエズス会の者であるがゆえに火刑とする、と伝えられました。彼は福音のために命を捨てることを喜び、西坂の刑場へ向かう途中で集まったキリシタンの群衆に、「告解しなさい。真の信仰を持ち、終わりを全うしなさい」と語りかけました。薪に火がつけられると、四人の同伴者とともに「ラウダーテ」を繰り返し唱え、燃え盛る火を両手で受け止め、冠を抱くように頭に手をかざして殉教しました。44歳でした。

    333   福者ドミンゴ‐ジョルジェ

   ドミンゴ‐ジョルジェはポルトガルの田舎町アギアール‐デ‐ソウザの出身で、1580年頃、普通の農民の家庭に生まれました。成長した後に、インドへ渡って植民地駐屯軍の兵士となり、さらにマカオに移って貿易商を営みました。1600年頃に長崎へ来住し、ロザリオ会に参加しながら仕事に従事、おそらくポルトガル系商人の娘だと推測されるイサベル‐フェルナンデスと結婚して、1618年には一子イグナシオをもうけました。
   ドミンゴ夫妻はカルロ‐スピノラ神父とアンブロジオ‐フェルナンデス修士を自宅にかくまって宿主になっていましたが、1618年12月14日に長崎奉行所の役人に踏み込まれ、ドミンゴは二人とともに逮捕され、二人の修道者は大村の鈴田の牢、ドミンゴはクルス町の牢に入れられました。19年11月18日、火刑の宣告を受けたドミンゴは、「日本全部を領土としていただくよりもありがたい」と喜び、友と並んで殉教を遂げました。

    334   福者村山アンデレ徳安

   村山アンデレ徳安は、アントニヨ等安の長男であり、ロザリオ会の会頭を務め、イエズスのみ名の会にも参加していました。慎み深く徳の高い人として知られ、高位の人たちとの交流よりも、教会での分かち合いに熱心で、また静かな場所で祈るのが好きな人でした。禁教令の後、フランシスコ‐モラーレス神父の宿主になっていましたが、妻マリアの叔父で棄教した末次平蔵(等安の項を参照)の手引きにより、長崎奉行所によって1619年3月15日に逮捕されました。
   11月18日の火刑の日、徳安は駆け寄る群衆に「天主のお恵みによって、きょう殉教がかなうことを喜んでくだされ、オラショをお願いしますよ」と語りながら、四人の同伴者とともに、信仰のため命を捧げました。民衆に慕われていた徳安の殉教が終わると、大きな賛美の声が刑場を埋め尽くしたと伝えられています。

    335   福者吉田ジョアン秋雲(または、しょううん)
    336   福者竹屋コスメ

   吉田ジョアンは京都の出身で、長崎に住んで洗礼を受け、染物屋をしていました。ロザリオ会の会員であり、アロンソ‐デ‐メニャ神父を自宅にかくまっていましたが、棄教した者に告発され、1619年3月14日に逮捕されました。
   竹屋コスメは朝鮮出身で、とある領主に仕えた後、長崎に居住しており、同じくロザリオ会員として、フアン‐マルティネス神父、アンジェロ‐オルスッチ神父をかくまっていましたが、1618年12月14日、長崎奉行所の役人に踏み込まれて逮捕されました。19年11月18日、この二人もレオナルド、ドミンゴ、アンデレとともに火刑となり、奉献を全うしました。

    337   福者関バルトロメ
    338   福者木村アントニヨ
    339   福者岩永ジョアン
    340   福者中西レオたかろ
    341   福者竹下ミゲル勘解由
    342   福者かざかマチヤス
    343   福者松岡ロマノみおた
    344   福者中野マチヤスみおた
    345   福者本山ジョアン
    346   福者籠手田トマスきゅうに
    347   福者中村アレイショ


   関バルトロメは豊後臼杵の出身で、長崎に住んでイエズス会の司祭たちの従者をしていましたが、司祭の宿主たちの連帯責任者として長崎奉行所に逮捕され、他の10人(いずれもロザリオ会員)とともに西坂で斬首されました。

   木村アントニヨは平戸出身、木村レオナルド修士の甥で、殉教のとき23歳。岩永ジョアンは肥前千々石の出身で60歳。中西レオたかろは周防山口の出身で、ロザリオ会の会計係をしており、48歳でした。竹下ミゲル勘解由は地元長崎の人で27歳。かさかマチヤス、松岡ロマノみおた、中野マチヤスみおたは、いずれも大村の出身。本山ジョアンと中村アレイショも肥前(出身地未詳)の人です。
   籠手田トマスきゅうには1578年頃の生まれ、肥前平戸領内生月の領主・ゼロニモ籠手田安一の息子で、1599年に平戸松浦家の背教のため一族とともに長崎に逃げ、住みついてロザリオ会員となり、敬虔な生活を送ってきました。
   当初逮捕された12人のうち、一人が棄教して釈放されましたが、11人は堅く信仰を守り、刑に臨みながら、口ぐちにイエズス、マリアの名を唱えて、従容として死を受け入れ、殉教を果たしました。

   ここに掲げた16人は、1868年、ローマ教皇様から福者に列せられています。

   この列伝も、ここに至ってようやく三分の一まで来ました。終わるまでには先が長いのですが・・・これから、少しずつですがペースを上げていきたいと思っていますので(^_^)


(2014.11.30記)


*参考文献: 
 『長崎代官 村山等安 その愛と受難』 小島幸枝  聖母文庫  1989
 『キリストの証し人』 フーベルト‐チースリク  聖母文庫  1995