沖縄県は古くから政治的・社会的に日本本土と切り離され、琉球として独自の道を歩みました。12世紀に最初の王統とされる舜天王家が成立、その後13世紀に英祖王家、14世紀に察度王家と代わり、いずれも浦添に都を置きました。察度王家を滅ぼした尚巴志(第一尚氏)は、15世紀前半に北山・南山の両国をも平定して琉球を統一し、首里に都を置きました。1469年には尚円が新たな王統を樹立して、前王家と同じく尚を称し(第二尚氏)、15世紀までには宮古・八重山の離島をも支配下に置きました。1609年に薩摩島津家の侵攻を受けて服属を余儀なくされましたが、尚家の琉球王国はそのまま江戸期を通して国内を統治し、中国の明・清への朝貢貿易を継続しました。国内には総地頭をはじめとする封建小領主があり、これらは一方で官僚として王府に仕えていました。1872年には明治政府の命により琉球藩と改称し、1879年には藩が廃止されて沖縄県となりました。宮古・八重山の両群島については、日清戦争の後、1895年に日本へ帰属することが決定しました。1945年の敗戦により、沖縄は米国の統治下に置かれましたが、1972年に日本へ返還され、再び沖縄県となりました。
舜天王統 英祖王統 察度王統 北山王家 南山王家 尚家(第一尚氏) 尚家(第二尚氏) |
氏名 | 他の名 | 続柄 | 国王在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
舜天 | 尊敦 | 源為朝の男? | 1187-1237 | 1237(72) | 浦添城(琉球) | (伝説的色彩が強い) | |||
舜馬順煕 | 舜天の王子 | 1237-48 | 1248(64) | ↓ | (〃) | ||||
義本 | 舜馬順煕の王子 | 1248-60 | ↓ 1260禅位 |
(〃) |
氏名 | 続柄 | 国王在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
英祖 | 恵祖の子 | 1260-99 | 1299(71) | 浦添城(琉球) | ||||
大成 | 英祖の王子 | 1299-1308 | 1308(62) | ↓ | ||||
英慈 | 大成の王子 | 1308-13 | 1313(46) | ↓ | ||||
玉城 | 英慈の王子 | 1313-36 | 1336(41) | ↓ | ||||
西威 | 玉城の王子 | 1336-49 | 1349(22) | ↓ 1349滅亡 |
氏名 | 神号 | 続柄 | 国王在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
察度 | 大真物 | 奥間大親の子 | 1349-95 | 1395(75) | 浦添城(琉球中山国) | ||||
武寧 | 中之真物 | 察度の王子 | 1395-1406 | ↓ 1406失国 |
氏名 | 他の名 | 続柄 | 国王在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
怕尼芝 | 兼次 | 1322後-95? | 1395? | 今帰仁城(琉球北山国) | |||||
珉 | 怕尼芝の王子 | 1395?-1400? | ↓ | ||||||
攀安知 | 珉の王子 | 1400?-16 | 1416 | ↓ 1416滅亡 |
氏名 | 他の名 | 続柄 | 国王在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
承察度 | 大里 | 1337後-98? | 南山城(琉球南山国) | ||||||
汪英紫 | 承察度の叔父 | 1398?-1402 | 1402 | ↓ | |||||
汪応祖 | 汪英紫の王子 | 1402-13 | 1413 | ↓ | |||||
他魯毎 | 汪応祖の王子 | 1413-29 | 1429 | ↓ 1429滅亡 |
氏名 | 神号 | 続柄 | 国王在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
尚 思紹 | 君志真物 | 鮫川大主の子 | 1406-21 | 1421 | 美里子の女 | 1406首里城(琉球中山国) | ||||
尚 巴志 | 勢治高真物 | 尚思紹第一王子 | 1421-39 | 1439(68) | 伊波按司の妹 | ↓ 1429国土統一、琉球国 |
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尚 忠 | 尚巴志第二王子 | 1439-44 | 1444(54) | ↓ | ||||||
尚 思達 | 君日 | 尚忠第一王子 | 1444-49 | 1449(42) | ↓ | |||||
尚 金福 | 君志 | 尚巴志第五王子 | 1449-53 | 1453(56) | ↓ | |||||
尚 泰久 | 那之志与茂伊 大世主 |
尚巴志第七王子 | 1453-60 | 1460(46) | 護佐丸の女 | ↓ | ||||
尚 徳 | 世高 | 尚泰久第三王子 | 1460-69 | 1469(29) | 具志川按司の女 | ↓ 1469没後、王統被奪 |
氏名 | 神号 | 他の名 | 続柄 | 国王在位 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | ||||
1 | 尚 円 | 金丸按司添末続之王仁子 | 内間金丸 思徳金 |
伊平屋里主 (=尚稷)長子 |
1469-76 | 1476(62) | 世添大美御前 | 1469首里城(琉球国) | ||||
2 | 尚 宣威 | 西之世主 | 越来王子 義忠王 |
伊平屋里主 (=尚稷)第二子 |
1477 | 1477(48) | ↓ | |||||
3 | 尚 真 | 於義也嘉茂慧 | 真加戸樽金 久米中城王子 |
尚円第一王子 | 1477-1526 | 1526(62) | 居仁(尚宣威王女) | ↓ | ||||
4 | 尚 清 | 天続之按司添 | 真仁堯樽金 中城王子 |
尚真第五王子 | 1527-55 | 1555(59) | 思真銭金按司 (兼城栄重姉) |
↓ | ||||
5 | 尚 元 | 日始按司添 | 金千代 鶴千代金 久米中城王子 |
尚清第二王子 | 1556-72 | 1572(45) | 真和志聞得大君 (浦添某の孫) |
↓ | ||||
6 | 尚 永 | 英祖仁耶添按司添 日豊操王 |
阿応理屋恵王子 | 尚元第二王子 | 1572-88 | 1588(30) | 島尻佐司笠按司 (北谷王子朝理女) |
↓ | ||||
7 | 尚 寧 | 日賀末按司添 | 思徳金 | 与那城王子尚懿 (尚真曽孫) 長子 |
1588-1620 | 1620(57) | 首里大君按司 (尚永第一王女) |
↓ 1609薩摩島津家に服属 1613奄美群島を 薩摩藩に割譲 |
||||
8 | 尚 豊 | 天喜世末按司添 | 思五郎金 佐敷王子朝昌 |
大金武王子尚久 (尚元第三王子) 四男 |
1620-40 | 1640(51) | 我謝上森按司 (具志頭王子朝盛女) 君豊見按司 (名護良豊女) |
↓ | ||||
9 | 尚 賢 | 久米中城王子 | 尚豊第三王子 | 1640-47 | 1647(23) | 玉寄按司 (越来朝則女) |
↓ | |||||
10 | 尚 質 | 思徳金 佐敷王子 |
尚豊第四王子 | 1647-68 | 1668(40) | 美里按司 (羽地朝泰女) |
↓ | |||||
11 | 尚 貞 | 思五郎 中城王子朝周 |
尚質第一王子 | 1668-1709 | 1709(65) | 奥間按司 (宜野湾正信女) 真壁按司 (立津全敦女) |
↓ | |||||
尚 純 | 思徳金 中城王子 (王位追贈) |
尚貞第一王子 | (早世) | 1706(47) | 聞得大君 (読谷山盛員女) |
|||||||
12 | 尚 益 | 読谷山王子 中城王子 |
尚純第一王子 | 1709-12 | 1712(35) | 聞得大君 (具志川盛昌女) |
↓ | |||||
13 | 尚 敬 | 思徳金 中城王子朝系 |
尚益第一王子 | 1712-52 | 1752(53) | 聞得大君 (仲里良直女) |
↓ | |||||
14 | 尚 穆 | 尚喜 中城王子朝康 |
尚敬第一王子 | 1752-94 | 1794(56) | 佐敷按司 (高嶺朝意女) |
↓ | |||||
尚 哲 | 思徳金 中城王子 (王位追贈) |
尚穆第一王子 | (早世) | 1788(30) | 聞得大君 (高嶺朝京女) |
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15 | 尚 温 | 思五郎金 中城王子 |
尚哲第二王子 | 1794-1802 | 1802(19) | 佐敷按司 (国頭朝慎女) |
↓ | |||||
16 | 尚 成 | 思徳金 中城王子 |
尚温第一王子 | 1802-03 | 1803(4) | − | ↓ | |||||
17 | 尚 灝 | 思次良金 具志頭王子朝相 坊主御主 |
尚哲第四王子 | 1804-28 | 1834(48) | 佐敷按司 (豊見城朝興女) |
↓ | |||||
18 | 尚 育 | 思徳金 中城王子 |
尚灝第一王子 | 1828-47 | 1847(35) | 佐敷按司 (豊見城朝春女) |
↓ | |||||
19 | 尚 泰 | 思次良金 中城王子朝憲 |
尚育第二王子 | 1847-72 | 1901(59) | 佐敷按司 (佐久真正孟女) |
↓ 1872日本に直属して 琉球藩となる 1879廃藩 |
侯爵 |
(2012.08.28up)
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