徳島県は古く、粟・長の2国造が置かれていましたが、大化の改新の際に統合され阿波国となりました。『延喜式』では9郡、のち海部郡を加え10郡。平安朝期の荘園は大野庄(東寺領)・宍咋庄(高野山領)など。鎌倉期にははじめ佐々木家が守護、承久の変後、小笠原家に替わられました。南北朝期に細川一族の勢力圏となり、室町期には細川(下屋形)家が守護職にありました。戦国期に入り三好家が台頭、1553年以後は三好長慶・義賢兄弟が畿内・阿波一円を支配しました。戦国末期になると長宗我部元親の進出が始まり、1582年に元親が阿波を制圧しました。豊臣秀吉は1585年の四国平定後に阿波一国(住吉領を除く)を蜂須賀家政に与え、江戸期に入っても蜂須賀家が徳島藩として存続し、阿波国一円を支配する領主でした。1871年の廃藩置県により名東県が成立、1876年に廃止されて、旧阿波国は高知県に合併されましたが、1880年に再び旧阿波国の領域が分かれ、徳島県が設置されました。
細川(下屋形)家=阿波守護 三好家 一宮家 赤松家(住吉領) 徳島藩=蜂須賀家 富田藩 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
細川 詮春 | 讃岐守 | 宝勝院 了諲古鼎 |
九郎 左近将監 |
細川頼春男 | ?-1367 | 1367(38) | 勝瑞城(阿波) | ||||
細川 義之 | 従五位下 讃岐守 |
宝光院 常長天祐 |
兵部少輔 | 詮春男 | 1367-1402後 | 1422(60) | ↓ | 1381-1402 阿波守護 |
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細川 満久 | 従五位下 讃岐守 |
心華院 常延齢叟 |
兵部少輔 右馬助 |
細川満之男 | 1402後-1430 | 1430(45?) | ↓ | 1411前-1430 阿波守護 |
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細川 持常 | 従五位下 讃岐守 |
桂林院 道安晋翁 |
兵部少輔 | 満久男 | 1430-1449 | 1449(41) | ↓ | 阿波守護 | |||
細川 成之 | 讃岐守 | 慈雲院 道空大川 |
久之 六郎 兵部少輔 |
細川教祐 (満久男)の男 |
1449-78 | 1511(78) | ↓ | 阿波守護 | |||
細川 政之 | 讃岐守 | 永元院 天蔵珍公 |
兵部少輔 | 成之男 | 1478-88 | 1488(34) | ↓ | 阿波守護 | |||
細川 義春 | 讃岐守 | 久昌院 道仙心岩 |
之勝 彦九郎 兵部少輔 |
成之男 | 1488-94 | 1494(27) | ↓ | 阿波守護 | |||
細川 之持 | 讃岐守 | 最勝院 | 九郎 | 義春男 | 1494-1512 | 1512 | ↓ | 阿波守護 | |||
細川 持隆 | 讃岐守 | 徳雲院 常麟仙岳 |
持重 | 之持男 | 1512-53 | 1553 | ↓ | 阿波守護 | |||
細川 真之 | 掃部頭 | 六郎 | 持隆男 | 1553-82 | 1582 | 1553三好家が実権掌握 1577復権 1582滅亡 |
(阿波守護) |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
小笠原 長房 | 孫次郎 | 小笠原長清男 | 13C前半 | 三好郡内(阿波) | |||||||
小笠原 長種 | 左近将監 | 長房男 | ↓ | ||||||||
小笠原 長景 | 彦三郎 | 長種男 | ↓ | ||||||||
小笠原 長直 | 左京亮 | 長景男 | ↓ | ||||||||
小笠原 長親 | 治部少輔 | 長直男 | ↓ | ||||||||
小笠原 長宣 | 阿波守 | 長親男 | ↓ | ||||||||
小笠原 長隆 | 阿波守 | 長宣男 | ↓ | ||||||||
三好 義長 | 信濃守 | 小笠原長興男 | ↓ | 阿波守護代 | |||||||
三好 長之 | 兵部大輔 | 義長男 | ↓ | 阿波守護代 | |||||||
三好 長輝 | 筑前守 | 見性寺 喜雲道悦 |
之長 主膳正 |
長之長男 | ?-1520 | 1520(63) | ↓ | 阿波守護代 | |||
三好 長秀 | 下総守 | 長輝長男 | (早世) | 1508 | |||||||
三好 長基 | 筑前守 | 南宗寺 海雲善室 |
元長 弾正少弼 |
長秀長男 | 1520-32 | 1532(32) | ↓ | 山城守護代 | |||
三好 長慶 | 従四位下 修理大夫 |
聚光院 眠室宗進 |
利長 範長 千熊丸 孫次郎 筑前守 |
長基長男 | 1532-64 | 1564(43) | ↓ 1539越水城(摂津) 1553芥川城(河内) 1558飯盛城(河内) |
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三好 義継 | 左京大夫 | 重存 義重 熊王丸 |
十河一存 (長基四男)の男 |
1564-73 | 1573 | ↓ 1568若江城(河内) 1573滅亡 |
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【勝瑞三好家】 |
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三好 義賢 | 豊前守 | 物外軒 実休 |
之康 之虎 元康 千満丸 |
長基二男 | ?-1562 | 1562(35?) | 1539頃 三好郡内(阿波) 1553勝瑞城 |
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三好 長治 | 阿波守 | 長治寺 慶翁宗昌 |
千鶴丸 彦次郎 |
義賢長男 | 1562-77 | 1577(25) | ↓ 1577滅亡 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 当主在位 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
一宮 長宗 | 宮内大輔 | 小笠原長久男 一宮大宮司名跡継承 |
14C前半 | 名東郡一宮(阿波) 1338一宮城を築く |
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一宮 成宗 | 宮内大輔 | 長宗男 | ↓ | ||||||||
一宮 成行 | 左馬頭 | 義雄 大宮司 |
成宗男 | ↓ | |||||||
一宮 成良 | 長門守 | 宮内大輔 | 成行男 | ↓ | |||||||
一宮 成賢 | 周防守 | 成良男 | ↓ | ||||||||
一宮 成春 | 宮内大輔 | 成賢男 | ↓ | ||||||||
一宮 久成 | 民部少輔 | 成春男 | ↓ | ||||||||
一宮 成光 | 長門守 | 宮内大輔 | 久成男 | 1481 | ↓ | ||||||
一宮 成義 | 宮内大輔 | 成永 民部少輔 長門守 |
成光男 | ↓ | |||||||
一宮 成房 | 宮内大輔 | 成孝 | 成義男 | 1550 | ↓ | ||||||
一宮 成祐 | 長門守 | 成助 | 成房男 | 1582 | ↓ 1582滅亡 甥・小笠原光信が 徳島藩主・蜂須賀家に 仕え、一宮大宮司継承 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
赤松 則房 | 従四位下 上総介 |
次郎 | 赤松義祐男 | 1585-98 | 1598 | 1583/4 置塩山(播磨)安堵 1585住吉(阿波)10,000石 |
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赤松 則英 | 上総介 | 則房男? (養子説もあり、未詳) |
1598-1600 | 1600 | ↓ 1600関が原の戦で 石田方、戦後自殺、改易 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 配偶者 | 所領/居所 | 備考 | |||
蜂須賀 家政 | 従五位下 阿波守 |
瑞雲院 蓬庵常仙 |
小六 一茂 |
蜂須賀正勝長男 | 1585-1600 | 1638(81) | ヒメ (生駒家長女) |
1585渭津城 (阿波一国) 186,000石 |
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蜂須賀 至鎮 | 従四位下 阿波守 |
峻徳院 心岳義伝 孝公 |
豊雄 忠吉 千松丸 長門守 |
家政長男 | 1600-20 | 1620(35) | 虎=氏姫 (小笠原秀政女・ 徳川家康養女) |
↓ 1615加増 256,940石 (阿波・淡路二国) |
1615 公称松平 |
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蜂須賀 忠英 | 従四位下 侍従 阿波守 |
興源院 煕峯天庸 |
正鎮 忠鎮 千松丸 |
至鎮長男 | 1620-52 | 1652(42) | 繁 (小笠原忠真養女) |
↓ | ||||
蜂須賀 光隆 | 従四位下 侍従 阿波守 |
南崇院 乾徳剛漢 |
至政 千松丸 因幡守 |
忠英長男 | 1652-66 | 1666(37) | 金 (小笠原長次女) |
↓ 1664居城を 徳島と改称 |
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蜂須賀 綱通 | 従四位下 侍従 阿波守 |
徳音院 霊海文瑛 |
正能 千松丸 |
光隆長男 | 1666-78 | 1678(23) | 松 (榊原政房女) |
↓ | ||||
蜂須賀 綱矩 | 従四位下 侍従 阿波守 |
南溟院 操山廉節 |
龍之 正儔 熊太郎 淡路守 (致仕後) 左衛門尉 |
蜂須賀隆矩長男 | 1678-1728 | 1730(70) | 園 (奥津庸広女) 架 (安西作左衛門女) |
↓ | ||||
蜂須賀 宗員 | 従四位下 侍従 淡路守 |
承国院 泰運良清 粛公 |
正員 隠岐 隠岐守 伯耆守 |
綱矩四男 | 1728-35 | 1735(27) | − | ↓ | ||||
蜂須賀 宗英 | 従四位下 侍従 阿波守 |
威峻院 幽岳泰玄 潜外 |
隆泰 勘次郎 宮内 無等軒 |
蜂須賀隆喜三男 | 1735-39 | 1743(60) | − | ↓ | ||||
蜂須賀 宗鎮 | 従四位下 侍従 阿波守 |
憲徳院 仰山宗景 |
頼珍 正泰 松之助 志摩 隼人佐 (致仕後) 木工頭 |
松平頼煕二男 | 1739-54 | 1780(60) | 元 (蜂須賀吉武女) |
↓ | ||||
蜂須賀 至央 | 志摩 | 興雲院 仁祐竜沢 懿公 |
頼央 銕松 |
松平頼煕三男 | 1754 | 1754(19) | − | ↓ | ||||
蜂須賀 重喜 | 従四位下 侍従 阿波守 |
謙光院 貞道泰元 |
義居 政胤 岩五郎 大炊 (致仕後) 大炊頭 |
佐竹義道四男 | 1754-69 | 1801(64) | 伝 (立花貞俶女) |
↓ | ||||
蜂須賀 治昭 | 従四位下 左少将 阿波守 |
良遷院 敬翁義喬 穆公 |
喜昭 千松丸 |
重喜長男 | 1769-1813 | 1814(58) | 俊 (井伊直幸女) |
↓ | ||||
蜂須賀 斉昌 | 正四位上 左少将 阿波守 |
峻陵院 徳洽宜範 |
千松丸 弾正少弼 |
治昭二男 | 1813-43 | 1859(65) | 穠 (井伊直中女) 并子 (鷹司政煕女) |
↓ | ||||
蜂須賀 斉裕 | 正四位上 参議 阿波守 |
大竜院 登雲泰源 |
松菊 淡路守 |
徳川家斉二十二男 | 1843-68 | 1868(48) | 標子=愛 (鷹司政通女) |
↓ | ||||
蜂須賀 茂韶 | 権中納言 (廃藩後) 文部大臣 |
氏太郎 淡路守 左少将 議定 |
斉裕長男 | 1868-71 | 1918(73) | 斐 (蜂須賀隆芳女) 随子 (徳川慶篤女) |
↓ 1871廃藩置県 |
1868蜂須賀 姓に復す 侯爵 貴族院議長 |
氏名 | 官位/仮名 | 法名/号 | 他の名 | 続柄 | 藩主在任 | 没年(年齢) | 所領/居所 | 備考 | |||
蜂須賀 隆重 | 従五位下 飛騨守 |
月江院 蘆錐雪公 |
至照 正武 万之助 下総 (致仕後) 寛楽 |
蜂須賀忠英二男 | 1678-1705 | 1707(74) | 1678徳島藩 蜂須賀家より分家 富田(阿波) 50,000石 |
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蜂須賀 隆長 | 従五位下 飛騨守 |
鶴峯院 定応大心 |
吉之助 頼母 下総守 |
蜂須賀隆喜 (忠英五男)長男 |
1705-14 | 1714(41) | ↓ | ||||
蜂須賀 正員 | 従五位下 隠岐守 |
隠岐 | 蜂須賀綱矩四男 | 1714-25 | 1735(27) | ↓ 1725徳島藩主綱矩の 嫡子となり宗家に還封 |
(2006.06.30up)
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